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浄瑠璃本データベース ニ10-01547
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三冊目
淀川の大川筋を 前に受け北は名にあふ蜆川 河と川との堂嶋や 気も永来(えら)町の家続き野間
やの借屋仮住居(すまい) 鍛冶商売の平右衛門昔の劔薙刀の 錆(さび)零落(おちぶれ)て古釘お直す鞴(ふいご)の風
さへも服力なき病の床 重き槌よりおかる迚妹が傍の看病に煎じ薬の上る間と 一間の口に
立寄て 申兄様 此間はお食も進まず 何ぞお好み有ならば拵へましよと窺ふて 障子明れ
ば平右衛門 苦しき枕を漸上げ 病労(やみつかれ)たる息をつき ヲゝおかるか 中々何にも望にないが 此母老人は
まだかして声がせぬ アイ 長町の毘沙門様へお百度 まちつと隙が入ませふ ドレもふ薬が上らふと
立んとすればアゝいや/\ 木津藤庵ぼいはしやる通り 大人参でも遣はずは 常体(つねてい)の薬ではあび
せても利かぬといはれた といふて急に才覚もならず アゝ隣の長七の供するであろ あの人もとふから
人参を呑したら本復も有ふ 高が隣も糠買の風体 息子の才兵衛は若い斗で小気
な男 世話やいてやらにやならぬ中でもエゝ折悪い大病 弟の忠吉なとやつておきやといふたが どふ
で家主殿のお世話であろ いとしい事じや なむあみだ/\ おれが病も人参次第で本復さ
すといやつても 中々大抵の金じや買れぬ アゝ是も案じまい なむだみだ ドリヤ 又横にと打か
たぐき枕取手も便なき おかるはいとゞ目に涙 コレ兄様なせ其様に苦に持て下さんす 隣
27(裏)
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のはお年の上の大病 お前はまだお若い身 嬶様もうと/\して方々への願立やら どふぞ直し
てやりたいと肝精はつて居さんする 人参の事も私が才覚する程に 必案じて下さんすな 隣
の事も苦にせずと忠吉を付けて置た 何事も構はず心慥に御養生 若し此上にお風でも
引かせましては成ないと 蒲団を裾に打着せ/\障子引立 ホンニ薬がよからふと茶碗にうつし持ち
運ぶ心つかひぞやるせなき 折しもどや/\一群れに灰寄せ戻りは隣の門 息子の最兵衛が白無垢上
下 皺くただら/\引する足を忠吉が 片手に骨桶(こつおけ)手を引て 跡から抱へる道心者 サア/\内へはいら
しやれ コレ気を付けさしやれと忠吉が介抱する声聞付ておかるが頓て走出 エゝ才兵衛様何とした
目でも舞たかコリヤどふじやとおろ/\うろ/\立さはぐ 忠吉はおとなしく コレ姉様 骨上仕廻て戻り品
極楽橋をおりる時 ついすべつて転(こけ)てじや故 二人して起してもろくに物も得いはず 笑ふたり泣
たり気抜の様にナア いやモウ所が所じや故 亡者が取付た物でかな かうしても置れまい サア/\
供々に手を引て マア/\内へと三人が起せど足はひよろ/\/\ エゝコレは扨才兵衛様おかるじやが見知て
か ムウ/\/\女房共コ覚て居る コレ女房共聞へぬぞや んぜ葬礼に出てたもらぬ おれが出いでも済こつ
ちやと 何をいふやらたはいなし 誰かは斯と家主の野間やの久兵衛かけ来り どふじや/\気が付たか
日頃から小気者 親に離た力落し 何やかやが苦に成て 道理/\といへど指当り迷惑家主 永(なが)
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くの煩で着た物は元より 親が體を取置代(しろ)もないといふて 此才兵衛がこちへきて段々の頼 下
地に宿賃も重つた上 練薬(ねりやく)代の薬代の何と銭の取かへも余程有 質商売の事じや
何成と持ておじやといふたら 糠買の内から侍か何ぞの様に 具足腹巻を持てきた 古道具やへ
出したら三文にも買まいけれど 笑止にも有 早ふ葬礼もさしたさ コレ坊(ぼん)様 いかい世話じやげな 聞
ての通りしや 墓布施も借物も安ふ付く様にしてやつて下されい どふで宿もかへさす程に七日
/\ 百ヶ日の弔ひも こなたへ渡しにさしませふ ヤアかふしても置かれまい内へ入れて ヤアコレおかる そなたの事も死
だ親父の長七が 息子が嫁に貰たいといふていた 才兵衛も得心で有げな スリヤ退いた中でもない
世話してやりや シタガそちの兄貴も寝て居るげな ちとえいかの アイ イヤもふ大分悪ふござります
人参を入ねば本復がヤア悲しや 又やつかいのかゝらぬやう おれが医者は聞てやろ 其代薬そつちで
仕や 今からしがくをしておきや 忠吉大義じや 坊様今のを合点か ヲゝ世話や/\ ならぬ者に家にして
家賃はとらず 剰(あまつさへ)葬礼込 四二天作で算盤の桁が違(ちご)たとつぶやき/\我家をさして立
帰る 跡におかるがノウ忠吉 こちへ連まし供々に 介抱とは思へ共 兄様か寝てなれば嬶様が気にかけ
て とやかくと思召やつぱり隣てナア申 アレいや/\ 仏の事なら愚僧が役 病人は何共早 アゝいや申
介抱は私が弟の此忠吉を付まする お前様にはお勤を ムウいかにも/\ そんならばとも角も サア/\伝(てん)
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手に介抱と隣へ伴ひ入にけり 時しも爰ら人立の人目に立たぬ形(なり)そぶり 蜻蛉の八に五下の青二 鬼
の市迚三人連 鍛冶やの門口 窺ふ所へ戻り掛りし姉おかる 夫と見るより取廻し中にも蜻蛉が渋い顔
コレ姉様 お前私抔見知てじや有ろ 預た物はどふさんすぞ 五下をおこしやけふのあすのと 余り埒が明か
ぬ故皆連立て アゝ成程お道理でござります がこちの内にも大切な病人やら 隣に迄俄事 どふ
ぞあす迄 アゝコレ/\女中 市が稲荷山で こな様(さん)の鏡袋は五下に渡した かはりにやつた紙入 中には二両
の小判 コレ 是がそつちの鏡袋 ソレ戻したぞへ えいか サア預た紙入今下んせ サア/\/\ 成程是はわしがの
じやが マア是はそつちへ アゝいや/\/\ コレ此五下がせがみにきて 中でもおれがした様にしごかれるわしが
面晴(めんはれ)夫で二人を連てきたのじや こな様のを戻したら早ふ出して仕廻んせ イヤもふそふいはれては消たい
お程術(づゝ
ないけれど ナ ちつと入らいで叶はぬ急な事で けふはどふも エゝどんな人様じや とんぼよ あの通りじや
ハテよいわい 今のを見せざ成まいと 懐から帳取出し コレけふ出来ぬならしよことがない エゝイそりや
忝ふ アゝコレ/\礼は跡で マアこれ見やんせ アイ/\ 是とは何ぞと押明てムウこりやお前方の お仲間の
名寄帳じやないかへ サア夫合点なら判さんせ アノわしを仲間へ サアはいらんすりやいつ迄も 又取返さい
でも大事ない ヲゝめつそふな 仲間へはいつてどふ済む物と投返せば いやならかうじやと三人が 伝手(てんで)
に小刀さすがを逆手 サア/\/\と取まいて遁さぬ手詰も重なる難儀せん方 つく/\打諾(うなづき 成
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程判しましよ ヤア 心か アイ 致しましよ ムウよごんす そんなら爰に矢立の筆と 渡せば取て名の
下へ ヲツトよし/\ 前書に書た文言 コレよふ見ておかんせ おかる様サアはいらんせ 皆いけ/\も目づかひ
斗 跡をいはぬが仲間のかため 目と目を見合せ別れ行 跡につつくり見送るおかる 口惜涙 胸の
癪撫おろしてもせきのぼす心の内ぞいぢらしき 余所にも哀 鳴る鉦は隣の夕時念仏も 身に
しみ/\゛と聞ゆればいとゞ涙の独り言 大切な兄様の煩ひといひ かき交ぜた身の難儀 僅かの金を
預かつて戻さぬ故にあられもない 盗賊とやらの其中へいやといへば殺すといづ 戻さぬがわしが誤り
といふて欲でもないわいの アゝ儘よ何とせふ よい/\かゝ様にとつくりと頼んでやつたりや大かたに よい返事
も有であろ 其時は ヲゝそれ/\ よしない事を苦にしていては又癪の種 ホンニ才兵衛様は何として
ひよんな病気が発(おこつ)た事じや シタガ起るも道理 貧しい中に爺御の煩ひ たんと気を打たしやんし
た物 わしも女夫の約束して 舅御の介抱も供々にせうと思ふ中 あの兄様の病付 年寄たかゝ様
がおろ/\さんすもいとしぼく 長七様の介抱もそでに成た 夫でさつきに才兵衛様が葬礼にも出なん
たとたつた一口恨口 私が身ふしに釘さすごとく コレ堪忍して下さんせや才兵衛様 お前の事はナ 譬
今の御病気が御本復ない迚も いつ迄も見捨はせぬぞへ 譬何国の浦迄も 身に引かけて見殺
す事ではござんせぬ 必恨て下さんすな いとしのお人や うらめしの世の憂やと いふては歎く胸の内 苧(を)
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綛(かせを乱すごとくにてとかふ 涙ぞ果しなき 斯とはしらぬ母妙三 向ふの首尾もよい機嫌とほ/\
戻る日暮前 娘そこに何してと いふに恟りヲゝかゝ様 テモ早かつたと何気なく 伴ふ一間を差
覗き 兄は尋はせんなんだか 何ぞおましてたもつたか アイ 留主の内尋ても何にもいや迚寝て斗 とかく
今の人参の薬でなければ直らぬとの悔み言 今すや/\と寝入てそふな そして彼春日やの ヲゝよい共
/\ 毘沙門様から戻りがけいたと思や 喜右衛門様も内に成 そなたの手紙も見せた上 段々様子を
咄したら遉は馴染の親方様 そなたの心は知て也 成程おかるも得心て出よといふ文もきた 気の
堅い丁寧者 芸子の時も繁昌したお梶 望の通り二年切て五十両手形はこちへ入込でお袋
の一判で済そ迚 コレ金も請取たと 首にかけたる絹財布久しぶりて此母も小判の顔を見
たはいのと 渡せば取て押戴/\いかい苦労でござんした そっして私が入込は ヲゝ日を見てから迎
にやると 大腹中な旦那殿 内儀様も悦んで馴染のお梶の出やるとは嬉しうござんす よふ
心得てくれいと言伝が有たぞや ホンニそふでござんしよ マア/\何か差置て人参を調へて本復
をきしませふ あkふといふても日が暮た 翌(あす)早々夜の内から ヤ夫はそふと気の毒は才兵衛様 灰
寄の戻りから シタガ此咄しは長い事 灯でも燈て後の事 マア此金は錠前の衣厨(たんす)へかふと引出しの中へとつ
くと納戸 母はいつもの看経(かんきん)に 毘沙門様へもお燈明おはるも付て入相時風さへ四方にしづか成る
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病架の障子そろ/\と枕を上て平右衛門 九死一生引かへて強気五調(がうきがんでう)顔色迄 常に見馴ぬ旅
出立胸も丈夫な衣厨(たんす)の錠前 入れたる金を盗足 指し足そつと手をかけて こぢても明かぬ気の気
転 有合ふ道具の鉄挟(かなばさみ)してやつたりと捻明て 引出す財布を我首へかけ出す足音何者と 見
付る妹が声の内 母もかけ出縋付 盗人やらぬと引留るを ふり切る拍子に顔と顔 ヤア平右衛門か 兄
様か コリヤマアお前は何として 気丈な事やと二度恟り軻る母がふるひ声 扨は病は嘘じやよな そし
てマアあの様に衣厨の引出こぢ明たは委細を聞たか見て居たなァ コリヤやい 此様に達者
な者を 大病の死るのと偽とは夢にもしらず 人参入たら本復もと 思へど一銭一文の しがく仕様も詮
方なさ 願参りと嘘ついて妹が身を売りにいた 其値盗でどこへ行心ぞ おかるが手前も恥よかし
どふした思案 但又貧苦に尽きて兄弟や母を見捨て欠落か サア有様にいへ/\と髷握て引廻し 呵
る詞も半分は不便さ余る恨泣心涙に顕はせり ぐつ共いはず平右衛門指俯いて居たりしが 涙拭ふ
て顔を上 面目ない妹 母人のお腹立御怒一々段々申分んと息をつぎ 私此家へ戻る迄仕へた主人
は 小栗判官兼氏公 其家の足軽役 寺沢平右衛門と名乗勤る所に 主君小栗公 横山郡司
が為に不慮の切腹お家の騒動 家老大岸由良之助利雄殿 本国常陸に籠城して亡君
の仇を報ぜん為 十人の殿原に三十余人の旁 一味徒党の折から 此平右衛門も御加へ下さるべしと願しかば
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アゝいや/\ 三十石以上は格別 夫より下の給人扶持人足軽は 猶以御恩も薄し 連判には叶はぬぞよと有し
故 すご/\当所に立帰り仕付もせぬ鍛冶細工 鉄床(かなどこ)に打槌より 敵の首が討たいと明けても暮
ても夫のみ斗 知行の高下とも角も一合でも殿の御扶持 其御恩を報ぜんには鎌倉へ立越え
横山を一太刀と思ひ込 イヤ/\ 夫には若干(そくばく)の金がなくては得がたし といふて人にも云れぬ時宜 一人の妹に勤
せいとは猶いはれず いはねば金のあだてはなし まつかふ/\と心で工面 病気と云立て引籠り 體を縄で此
通にぐる/\巻 腕の筋迄巻たれば急時も脈も断切て 人参の沙汰にもならば 所で妹が差
詰に身を売るならば其金を かう/\せふと思案の坪 けふといふけふコレ母人 不便や妹が身の油嬉しい
半分悲しさに 身中の汗は熱湯より あつい涙をこぼして居て 震ふ體を心でおさへ アゝいや/\ 母へ
不孝も妹が事も忠義じや物と思ひかへ拵へ置た旅装束 蒲団の内で用意して 此出
立も此金も お主の為と諦て母人おかる 何事も了簡してたべ堪へてと 誠を明す寺沢が 忠義一
途の志頼もしとも又哀なり 始終を聞て母妹 扨はそふした心とは夢三宝しらなんだ 常から貧に
くらす故譬の貧の盗かと さがまふいふた堪てたも赦してたもと詫るにぞ おかるも供に涙声 サア私も心では様
子も有ふと思ふて居た お主の為といふ事をとふに知たら此身をば 一生売でも惜しじゃない しらぬ事迚僅かの
金 アゝいや/\妹そふでない 僅といへば我迚も足軽ふぜいの小身者 主人の御恩を報ずる謂れ外でもなし
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君御存生の御時に鷹の供に召連られ 野道畦道行先も 馬上達者の小栗公 いかゞはしけん堤
の原 駒の足並踏くじき深田へ落んず其時に 透さず其召たるお馬の平首を むづと抱ば小栗公
ひらりとおり立其はづみ 馬諸共に其は 深田へどつさり落重り 馬は強し詮方も漸堤へ引立たり 其
時新道源四郎遅ればせにかけ来り 声をもかけず我を手討と抜く刀 御目早くも兼氏公 いかに新道聊(れう)
爾すな早まるな 是はコレ全く馬の佩芥(はいがい)也 寺沢なくば此兼氏遖恥辱を取べきに いしくも彼が働き故 悪所を
無難に遁しぞよと 賞美の詞に新道は頬(つら)を赤めて 帰宅の供 其後我を御前に召 ほうびに給はる十俵
の俵の数より御機嫌は益々主君の御目鑑 日曇ぬ御代で有し物其けらいが今の此身 拙き運と無念
さと拳を握り語りしが されば其時の有増(あらまし)を知たは八藤長七殿 是も一所に親子連国を退て相隣り 親
に離れたアノ才兵衛 病気の様子も聞ていた ノフおかる まだ其上に盗賊の金迄も 皆おれ故に苦をかけた
四百四病の病より 貧より上のうき艱難赦してたも妹 母へ 一時延れば一時の不忠 最早暇給はるへしと 願へ
ば諾(うなづき)ヲゝ出かした/\ 改いふじやないけれと そなた衆のてゝごぜも昔は九州松浦党 殿の召るゝ御舟の楫取
故有て浪人し昔の名を其儘に 梶忠兵衛が中娘 梶といひしも筐の名残 忠吉にあや
らぬか アゝ何の/\ 是より家主へ立寄て 万事を宜しく頼置ん ヲゝいかにも 随分無事で おさらば/\
さらば/\と夕闇に笠買て きせる値さへ 涙でしらせ 大坂を立別れてぞ「出てゆく