仮想空間

趣味の変体仮名

浪花文章夕霧塚 第一冊目

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html

     浄瑠璃本データベース  イ14-00002-603

 

2

  浪花文章夕霧塚  座本・豊竹越前少掾

 第壱冊目

太刀は鞘弓は袋と納りて 鳴渡の沖に立浪の

千代にかたまる阿波の国 児嶋殿と聞へしは 先祖の武功

名も高く 行儀正敷(しき)家がらに 慈悲は上(かみ)から下々迄流

れを 汲し賑ひも 曽頃(さいつころ)より御ふ例とて御手医者町医

者相詰て 御家門他門の使者の応対諸寺諸山へ

 

 

3

祈祷の代参 家中の勤もひそ/\といづれ隙なく見へにける

目も早たけて午の刻 心のかすげ顔に見へ一皮内も渋気(け)

有る 遠見役の小栗軍兵衛 御機嫌窺ふ次の間の 通路の

鈴の引き綱も しらせに出くる 振袖は 平岡左近が一人娘 お十瀬

といふて御家中にならび名とりの器量よし 御前様のお気に入

しとやかに立出 是は軍兵衛様 毎日の御見舞御苦労でござり

ます 殿様も段々と御機嫌ようお成遊ばし 御前様は申に及ず

 

わたしら迄いか程かお嬉しう存ます 御見舞の様子お上へ申上ませうと 立て

行をしばしと呼とめ イヤコレおとせ殿 御親父(しんぶ)左近殿や母御は御ふた方の御

願(ぐはん)とて多賀明神への代参 まだ下向はござらぬか アイもふ今(こん)明日の内で

ござりませう そんならそもじも待兼さしやろといひつゝ寄て抱付ば アゝコレ

申めつそふなはなしなされ イヤはなさぬ エゝむぎぞや/\ いつぞやから召つかひを

頼で幾度かやる文に 一度の返事もなされぬはどふよくといだきしめるを突

はなし 親の赦さぬ結び事は女(おなご)の嗜わたしや嫌ひじや イヤ嫌ひでない

 

 

4

事しつている 衣笠主計(きぬがさかずへ)を見る度に 親の赦さぬ結びでも といて貰ひた

そふに付廻しすれつもれつ 何ぼこなたが付廻してもありや大坂新町の

太夫にちん/\ 聞ば子迄産したげな 何がそふした中じやによつて京都の御用

も大坂では仕廻 有馬へ湯治と隙を願ひ夜も昼も新町へはまり込

で居たと聞 遠見役の其殊にこなたがあいつに惚ているがむやくしさに

ない事有事聞付次第訴へた故 しつての通主計めは押込 近日に縛り

首か上首尾で切腹 何ぼこなたが惚て居ても石塔はつめたかろ 生きて

 

段々はつかうするおれにおふといはしやると 親達へいふて置つい子の出来る様にする 其

子をすかして遊んだらたのしみで有ふがの やいの/\としなだれかゝればひつしよなく コレ軍兵

様 いとしぼそふに科もない主計様を罪に落そふ迚わんざんを云上げ なんぎさす様なむ

ごい心ないお人に物いふ事もわしやいやじやとふりはなし行帯とらまへ 直々にいふて刎られ

ては分が立ぬ マアおうといふて貰ふ返事聞にやいごかさぬ コレはなしなされ サア返事と猶は

なさねば詮方なく 思はずしらず力草 通路の鈴の綱に手を かけたもしらず後から引ば

こたへる鈴の音 綱を放せばへたばりながら膝にだかへ マア手付にちよつとゝ顔すりよせ どう

 

 

5

じや/\とせちがふ所へ 鈴の響に奥よりも頭(かしら)雪に三つ輪くむ おとせが祖父(ぢい平岡左太夫

お部屋を預かるかうかつ親仁 軍兵衛見るより飛のいて手持ぶさたに見へければ 祖父は不興

の目をいからし ヤイおとせ うぬは爰に何しておる 惣じて香をきゝ茶を館にも 男の手からは直々に

茶碗香炉の取渡しさへ遠慮すべき事女の身持 常々云教へ置に不届千万 奥

へうせふと追やり 軍兵衛殿も不遠慮に存る 拙者共は殿の御病気心をいため罷有に

役からにも似合ませぬ急度嗜召れよと 叱られてぬからぬ顔 イヤ何左太夫殿 先達

て御両親へ云かけたれど埒の明ぬ口ぶり故 近道をいて見るのでござる 高が女(め)し夫なし おとせ

 

殿が合点めさるとこなたの為にはひさう孫聟 見ぬ顔なされても大事ない餘りけん

/\おつしやるなと人を人共思はぬ口上 短気の老人腹にすへ兼 ヤア身の上しらぬ存外 元来(もとより)

法度つよき御家風 人の善悪を見出すはお身が役じやないか アレあの敷皮が目にかゝらぬ

か 只右衛門が躮主計(かすへ) 御用の度ごとに大坂で傾城狂ひ格せしと 則お身が申上お気に

入の主計なれ共 お家の掟は是非もなく 今日切腹仰付らるゝ 傾城狂ひさへ其通り家

中同士の不義徒(いたづら)はお定りの縛り首 ヤア不義徒とおいやつても相手がいまだ得心ないこ

と何を見付て申さるゝ ヲゝ得心でぬかとせめを捕へなぜ手ごめにはお仕やつた 猛かん和かん同

 

 

6

罪とは式目の表 不埒なるお身と一所に孫めを仕置にする事ならぬと老の一途のかた

くなにこなたも血気のがむしや者 互に詞もあらし合さつぱ廻して詰あふ所に 御台様の御出と

しらせに双方しづまるは 上を恐れの刀の冥加そりを なをして控へいる それとしれ共顕はさぬ 香

ほり床しき襠(うちかけ)や姿の柳たをやかに立出給ひ 御詞もさはやかに ノウ両人殿の御病気と

やかくと案じての相談ならん 一家中が其様に心を尽しやる精力にや 仏神の加護お薬の

威徳で次第に本復 自も嬉しいぞや 夫はそふと此度禁庭にはお歌合せの事に付 定

家郷の色紙をお集なさるゝ 則其お役目は山城の中将様 武家百姓町人によらず所持

 

有らば指上よと国々へお触 そなた衆もしつての通り指上し者には百石百貫の御恩賞と

の御添書 御恩賞は貪らねど所持しているが家の規模 殊に天子の御用に立のは有がたい

仕合 中将様迄指上よと殿様の御上意 高位の使者年若な者をつかいはしぶこつも有ば上(かみ)人の

恐れ 左太夫に云付よとの仰 老人への大義ながらと色紙の箱を指出し給へば ハア御大切なる御使

者祖父(ぢい)めに仰付らるゝ段有がたき仕合 是より直に参らんと件の箱を受取ば 軍兵衛はコレ左太夫

殿 只今の争ひは私事 是は又殿の御用勝手宜しういたすが忠義 遠見役の其何角のこと

も承り合すに 山城の中将様は此御勤の宿願か又は勅使の御役目か 近々男山八幡宮

 

 

7

御社参と 上片の役人より昨日飛脚で申越した 其心得にて道すがら心を付けて登られよと 機

嫌直しの注進に左太夫も面を和らげ ハアこりやはやよいおしらせ忝しと 詞で付合御前に

向ひ いとま申て色紙の箱たづさへ「てこそ出て行 子の罪を親は衣笠只右衛門 奥方の急御用

に登し跡でも我子の事 若や罪科に大坂の 御用勤て立帰り御前に出れば ヲゝ待兼た只

右衛門戻りやつたかと仰の中(うち) 軍兵衛はいがみ顔 ノウ只右衛門殿承はれば大坂へ人参調へに御出

とな 御城下にいくらも有人参を指置て いかに貴殿の懇意じや迚大坂の藤屋/\と かた

贔屓な仕方やと兎に角人の悦ばぬ生れ付なるにが詞 成程御城下の人参あれ

 

是取寄せ 値段抔迄御吟味の上 殿や旁が宜しき迚 拙者御用の次手調へきたれよと 御

役人中ゟの御指図 其上殿や伊左衛門 金銀の御用迄も承はれどいおまだ御め見へも致さず 此

義も先達て願ひし事 今度の次手におめ見へさせよと 仰を受て伴ひ下り次の間に控へ

させたり ヤア殿や伊左衛門よき折からぞ先奥様へ御め見へ致されよ ハツト答へて立出るきんかあたま

に黒鬢付 ぬつた移りか耳たぶも大黒めきしまつ黒は 金持とこそ見へにけり ホウ大坂の薬

商人(あきんど)藤やの伊左衛門とはそちが事か 用向万事世話と聞幾久しうとやはらかな 仰にはつと頭

をさげお受より外詞なし 奥女中手をつかへ お枕時計の七つも早打ましてござりますと 申

 

 

8

上ればノウ只右衛門 主計が事を色々と殿へ願ふて見たれ共 不便に思召ながら家の掟は破られず けふ

七つの上刻切腹をさせよとの御意 幼少からお傍に居てはつめいに勤し者 殿にも深うおしみ給ふ自

迚も同じ事 そなたは親の事なれば不便さは嘸やさぞ いはねど思ひやるゝと打しほれさせ給ふに

ぞ 軍兵衛はしたり顔 伊左衛門は一図に様子しらねば主計様 いかなる仕落かなさしたと案じ入たる

其風情 只右衛門は頭を下げ 不行跡の躮縛り首も召さるべきを 切腹仰付らるゝは此上の御慈

悲と うつむく先へ涙の玉 霰とばするごろくにて見るに哀ぞ増さりけり 奥方もくもり声 いつ

聞てもよい物は琴の音か峯の松風 其外は浮世のこ事を聞ぬがよいと昔の人の書れしも

 

理りぞや いはゞ主計は傾城狂ひ 夫でさへ云人(いひて)が有て お耳へ入と赦されず切腹さす 譬は人の

娘を捕へ此様な奥近い所で 役がらに似合ぬ不行義な事するのを みす/\奥から見て居

ても訴へなければしらぬて済ます ノウ軍兵衛 そんな事を誰ぞがマアひよつと訴へたら夫こそはし

ばり首ノウ軍兵衛 主計が事も遠見役の堅いそなたが所へ 役はらに精が出ると殿にも

たんと御満足 去ながらそなたの詞一つで生き死にの出来る事 夫を思へば遠見役は万事横目

役がよさそふな物じやなふと つめつてさするお詞に 軍兵衛はもじ/\と頬(つら)まつかいな申の上刻

未のあゆみ身の上に 衣笠主計はしほ/\と心もくもる夕霧に誰かは跡でつげの櫛 契り

 

 

9

も今はあだしのゝ露と 消行旅出立 白無垢浅黄上下に 罪をふれけん恥しと面ふせくも出

来る 父はふりむく顔と顔 もふ一生の見おさめかと互に詞なけれ共 涙ぞ親子の道しるべ よその見

るめもいぢらしし 暫く有てお君御前 ヤア主計病気といひ立て大坂へ行傾城狂ひ 此度も又

有馬湯治を云立大坂に長逗留 上を偽る科切腹させよと殿の仰 云置事も有なら

ば遠慮なぐと宣へば ハゝ有がたき御仁心一家中へ不行跡の名を流す頬恥 片時も早く御暇

を給はるが 此上の御慈悲と指うつむいて居たりけり 伊左衛門傍に寄り コレ申主計様 大坂の藤や伊

左衛門めでござります 科々と聞た時は人でもあやめなされたか 何ぞ大きな工み事でも有たか

 

と存ておりましたに 御用の隙に傾城お買なされた迚切腹と極て有は テモ又きつい御家風

でござりますのふ 大は武士と申ましてびゞしさを見る時はうら山しう思ひましたに はかない物でご

ざりまする おまへもいつそ町家にお生れなされたら此御なんぎはござりますまい 幼少からおなじみ故他人の

私さへ悲しうて身ふしがなへる さぞ只右衛門様おしう思はしやりましよ 悲しうござりましよ お金を遣ひ

込しやつた不足を立ててお詫がならば わたしが身上有さけでも御勘定は立ませう コレ仕様模様は

ござりませぬかと 今一度願ふて見よがしに親にも教へ主計にすがり 流す涙に白無垢も染

 

 

10

る斗に見へければ 只右衛門は嬉しさ目礼斗物いはず 軍兵衛はとかり声 コリヤ伊左衛門科極つて有

物を石仏の頬へ水 所詮埒の明ぬ事時刻うつるサア主計 傍輩のよしみたけ介抱は身がし

てやる 用意よくば直られよと刀提(ひっさげ)立上れば イヤ軍兵衛殿待てくれめせ 生恥をさらす躮

此親が介錯して せめて死恥のない様に致したい アいやそりやならぬ いはゞ貴殿も科人の一るい

遠慮すべき身を以て介錯所じやござるまいと 云捨て立行をコリヤ/\軍兵衛 そちには又誰(たが)云

付けた かまはず共控へていよ 介錯の役人は此方に云付て有ソレ/\と宣へば アイと答へて左近が

娘 腹切刀臺にのせて仰は聞ながら 主計を見るより身もふるはれ打しほ れてぞいた

 

りける コレおとせよ其三方を主計が前に直すには 云聞する事が有 罪の重いと軽いにて其三

方の直し様が違ふ 重い罪は切腹人の膝元へ直し腹切せ 苦痛をさせて其上で首を打 軽い罪

には其臺を間半(まなか)も隔てて直し置 引よせんと手を出す時苦痛をさせず首を打 主計は掟

のお咎斗其心得で臺を直し 介錯もそちがせい エゝイ いやコリヤ驚く事はない 此役を勤むるは大

抵ふかい縁ではない みらい迄互のみやげぞちが手にかけ跡を弔ひ 一生忘れず香華も取そぐと思ふ

て 夫でそちに云付 今教た様に思ひ切て イヤこりや思ひ切ではない 一思ひに介錯せよとおとせ

に刀を給はれば 主命是非も涙ながら受取る刀の乱れ心や乱焼き 結ばぬ先の悪縁か 切のが

 

 

11

縁を結ぶのかと思ひ余りて傍に寄り ノウ主計様 お前は何共思召まい かた思ひに沈む身に介錯

せよとの御上意は 悲しい共せつない共胸の中(うち)もはりさける いやと申せは主へ不忠 是非なう介錯

致します去ながら 其刀で直にわたしもめいどの御供 不便と思ふて下さんし 死出の山でも三途の

川でも必待て下さんせと 声より先にちる涙刀に伝ひ秋の野に 薄の露のごとくにてよ

その 袂もぬらしけり 主計はとかふいらへなく 御前に向ひ一礼し 御介錯御苦労と敷皮に居

直れば とせは後に廻りてもいとゞ涙はせき上て いとしい人の介錯をするはいかなる因果そと思へはい

とゞ身もふるひ 涙にふさぐ恋の闇何と せんかたなく中に 主計は既に三方へ手を指延るを

 

奥方は ソレと御声かけ給へば エゝまとろしいと小栗軍兵衛 手が廻つたる臆したか 身共がかわつて介

錯せんと立上れば只右衛門 帯掴で引留ながら コレ/\おとせ殿 武士の娘が介錯を仕損じては

親達迄の名をよごす 二つには躮めが苦痛をすれば見るめも不便 ねだばを合してかませう

かと件の刀指除き ヒヤ其刀は刃(は)ひ ヤアこれ/\只右衛門 あおの刀は殿様の御秘蔵御手覚への有

新身(あらみ) 其刀で切れぬとはハテ合点のいかぬ 扨は主計は藤身じやはいの エゝエいや藤身に極った

介錯迄さしたれば科の掟は立た コリヤ伊左衛門 其方は名代の薬や 何と藤身にかへて療治す

 

 

12

る妙薬は有まいかな ハはつと気の付く伊左衛門 やがて立寄り人参試(だめ)の秤を出し 主計が腰に

しつかと指込御前に向ひ 憚りながら町人と申者は いか程傾城に金銀を遣ひ捨たと申て

も 切腹致さず死罪に逢ず 漸家を追出す斗藤やが家の藤身の妙薬一味加減は

刀に替る秤より外にはござりませぬ ヲツヲさもあらん刀を捨て秤とは 主計が為にはよい薬

殿様の御病気に人参は入ね共 其方を呼寄たはそふした療治をさそふ為 自が医案と

此様にも合物か 薬料にはソレ其腹切刀を遣はす家重代にしてくれと 仰に立寄取上れば

刀にあらで片折に一生不通の養子証文 コハ有がたしと押いたゞき/\三拝すれば ウ只右衛門

 

あの刀は無銘じや 先の家の重代に成物そなたが銘を切てやりやと 残る方なき御情 親は

六根五臓にしみ畳に喰付有がた涙おとせや主計は手を合せお慈悲/\と伏拝む 軍兵

衛は医案も違ひ何ぞ外に難経を 見出したそふな頬魂 御台は夫ぞと顕脈(けんみやく)に早くも御

座を立給ひ 薬やが療治にて本復すれば不老不死 父子の別れを悲しむなと 仰にやかて只

右衛門一礼血判すへ以来は他人と投出せば受取て押戴き 今日ゟ我名をば直に譲りて藤やの

惣領 竃の下の灰迄を譲が則一(ひと)療治 上の恵の君臣佐使(さし) そろばん持して子の御恩 一倍

一戻さしましよ早お暇と引立れば 主計は始終顔は上ず詞も出ずもみ手のお礼 おとせが別れ

 

 

13

は人目を恥親の別れはお上をおそれ 恋のあだ人ぶつてう顔 御台は不便の御顔ばせ拝み/\て

                   人々は礼儀を のべて「出て行