仮想空間

趣味の変体仮名

浪花文章夕霧塚 第七冊目

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html

     浄瑠璃本データベース  イ14-00002-603

 

53(右頁4行目)

  第七冊目  「わかれ行

春の夕ぐれに山々を見渡せば 折しも春風に桜の花がちりかゝる ちり/\ばつと 花のちりたるは

空にしられぬ雪かと見へて面白や ヲツト待て三が切れや 三は切れても二世の縁 一期はなれぬ心ぞ

や 嬉し悲しうござんせう イヤこいつらは伊左衛門が身の上を諷ふなと 芸子相手のうてうてん 押こめの

 

身の大さはぎ恋の重荷に綛(かせ)かけててんじかへたる遊び也 此家の主(あるじ)藤屋の番頭 甚右衛門とて物馴し 主に勤め

も長場に居宅構て馴染ちゃる 妾も昔は里の花首尾ようちつて葉桜や 辻と呼れて角も

なく 丸い相手に丸みの挨拶障子押明け ホゝウお気がすむやら賑やかでお嬉しや 気の詰らぬ様に 芸子

衆でも呼でおなぐさめ申せと連合の云付け 夫甚右衛門殿もけさおもやから呼に来て今に帰られませぬ 定め

てお前のお詫をして居らるゝでござりませふが 隙の入るはどふでよい首尾 必お案じ遊ばすな ナフ子共様(さん)方

何成とあなたがお好きの事を弾てお慰め申て下さんせ イヤこれお辻 そなたも元は勤の身 素人のいふ事

と一つに聞けば曲がない仲間じやが 甚右衛門も其通り 茶やづるも握つた果は堅い様でもごこやらが軽石 夫(それ)に

 

 

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かはつてこちの親仁の御影石 モウ/\もてる物ではない イヤ又傾城買の親の粋(すい)なと 元年の暦はない物

大方今時分は親仁が甚右衛門とらまへて 長々と古文真宝 衆人皆酔我ひとり醒たりぐらいやらるゝ

を 甚右衛門律儀に御尤を左様で和会(あしらい?) 少し辛みに畏りましたを入れて居やるであろ ノフお辻 おれがそこに

居合すと 洗足(せんぞく)の水清(すめ)らば以て我顔を洗ふべし 行水の水濁らば以て我足を洗ふべし とかく時代/\でご

ざると やりこめてやるにのと打笑へば芸子共 アゝ伊左衛門様は何やら寺方で諷誦(ふじ・ふじゅ)読む様な事をおしやんすはい

サア夫でこちの家名をふぢやといふはいやい そこで我等神道の元祖で 則猿田彦道明(あけ)の神 扨狐の

官上りはいなりの亀井を飛こへさす 又芸子共の官上りは そち達がコリヤ此亀井を男にくゞらすの

 

じや どふで一度は渡る川 早う波切仕廻て大己貴(あなむち)の命(みこと)になれ エゝめつそうなと一同につめりつたゝいつさqはぎ

の内 お辻は聞付け申 アレ前栽へ鶯がきたそふな 本にこりや面白い 是を肴に座敷でのめ 皆いけ

/\とせり立れば アイとてんでに三味線 こきう とり/\゛に 引連てこそ入にけれ 跡にはとかくおもやの首尾

いとゞ案じる表の方 アレ/\申/\ぬしがあれへ戻られますと いふに見やりてヤアほんに戻るは/\ 編笠のいごき

のつよいは 仕おふせてきたに極つた 早ふ様子が聞たいと心せく中甚右衛門笠取て内に入る 戻りやつたか/\

是は若旦那御機嫌のよいお顔付 扨女房共 云付た通り芸子でも呼でお慰め申しやつたか アイたつ

た今迄歌三味線で おさはぎなされてござつても どこぞが心にかゝるかして 甚右衛門はまだか/\とお待兼

 

 

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でござります そふであろ/\ したがおまへはどこぞで酒を上つたか いかふお顔の色がよい そしてマアおもやの

首尾はどふでござんす サレバ初めの程は大不首尾 によつと行くと親旦那が ヤイ甚右衛門 世伜めはどふしておる

黄連(わうれん)が若い時分から溜置た金銀花黄金を猪苓(ちよれい)/\と盗出し 澤瀉(たくしゃ)に升麻(しやうま)巴豆(はづ)がないて そ

してマア縮砂(しゆくしや)に尻が居(すは)らず兎角蓮肉(れんにく)の様に飛たがる あの枳実(きぢつ)が直らねば どふでかはら柴(さい)

胡(こ)の住居じやと イヤモこんな事ではない 薬種有たけ云立て大茯苓(だいふくりやう)の顔色(がんしよく)アこりやせんしやう常

のごとしではいかぬと思ひ そこで我等かげんをして むつかしい引云をやりかけたじや 何といふた/\聞たいの/\ エゝ又

おまへ酒機嫌でめつたな云過ごしじやなかつたかへ イヤ/\酒は酒理屈は理屈 先居住いをかふやつきと直し

 

申旦那 あの鮭と申魚は 出初めの時分は一番二番三番迄御ほうびも出る程の景物(けいぶつ) 調味をして

の味も至極 夫程の肴が又乾鮭(からざけ)を御らふじませ 水にほとばし和らげても昔の味には戻りませぬ 若い時

の料簡と 今のおまへの心を一つに思召ては 大きな違ひでござると からざけの引云(こと)鋸で挽切た様にいふたれば

そこで親旦那もぽんと折になられて いか様そちがいふ通是はおれが煤けた心じや アゝ先の近いこちが命 跡

は遠きさゝ波やと額のしはを撫て 兼平(かねひら)の謡と出かけられた ヒヤ渡りに船とは此時さらば便船申そふと 色

々あはづな事も請合 なんなく詫言漕付けたじや シテ/\夕霧を見受する金の事はいはなんだか 申まし

た共 いふたらそりや又機嫌が悪かろ あんまりようはござりませなんだ 所を是は又そろばんで申ました

 

 

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猶埒が明ぬでござんしよな サアものにははり合の有物 アレ今おもやの普請をして居らるゝを引云にみしらし

たじや アノちよこ/\と続くる普請をなされますは そろばんにかけては大きな御損 いつそぐはらりと建て直

す御思案はござりませぬかと うらとふて見たれば 旦那もしれ者 暫く思案しムゝ甚右衛門 そりや伊左

衛門が遣ふ銀を一つにして 馴染の傾城受け出せといふ事か 千両や二千両で傾城といふ物が受出されは

しよまいと 色里しらぬ悲しさは 阿蘭陀舟の荷物一人して買様に思召す ハテ扨訳もない 高七百両

の内二百両は手附に渡す 残つて五百両 揚銭の滞りが三貫目 是さへ有と節季/\゛づゝくり普

請も入ず お家の大黒程礎が居るといふ物とやりかけたれば そこで旦那がムゝそれは存じの外な渡し普

 

請 どふぞ思案して見よとコレ雲に汁の有る御呑込じや ハア雲に汁は嬉しいがじやくは雨じや有まい

かの アゝ何のいな 親旦那がそれ程にやはらいでござつたら 埒が明くでござりませう ヲゝそれ/\ 夕霧様

の親方から毎日/\跡金の催促も もふ/\けふ限(ぎり)て請まいぞと いふに悦ぶ伊左衛門アゝ番頭殿お手

がら/\ 太夫が事を天神へ願こめた験(しるし) 忝い/\ ナフお辻是から夕霧が事頼むぞや/\ そりやお気遣ひな

されな私が為にもお主 郭の咄しを致しましよと 悦びいさむ其所へ手代の彦兵衛 下男に銀箱持

せ入来り コレ甚右衛門殿 親旦那が此銀箱其元へ渡してこいとおつしやつた 鍵もそふてござります 若

旦那嘸お気づまりにござりませう イヤ私はもふ御暇と云捨てこそ帰りけれ エゝ手代共がしれば気

 

 

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の毒 そなたが持して戻りはせいで いや左様にも存じましたれ共 親旦那が密に跡から持してやろ程に

マア適(いね)と有た故 一時も早うお前に安堵させませうと気をせいて帰りました ヲゝ嬉しい/\ 尤国

元から爰へ登る時 母人が蜜に内証金を下さつたれど 夫ではたらず いろ/\こはい事迄して 銀調へたり

盗出したり 遣ひ捨た此伊左衛門 お見捨もなう夕霧を請出す銀迄下さるといふ事は 有がたうて涙がこ

ぼれる 親父様に逢心で早う銀に対面と いふ所へ座敷から芸子共はばら/\と わたしら斗面白

ない藤様(さん)さあ/\御出/\ ヲゝもふそこへいく/\/\ 幾瀬か案じた此銀と鍵取上れば コレ申若旦那 子供まし

くらさはぎの此場 金銀を其様にそまつにはなされぬ物 ヲツト誤つた コリヤ/\わいらは早ふもふいね/\ 今

 

夜は又久しぶりで新枕する嫁入が有 あすは早々云合して部屋見舞にきてくれよ サア追付此銀(かね)が花

嫁とかはります テンから/\と鍵がらつかし銀箱かゝへていそ/\と 座敷へはいれば芸子共 もふお暇申ましよ

お辻様さばへ/\と挨拶そこ/\立出れば ヲゝようこそ/\其内へと 見送り帰して コレ申 さつきによそで

上つた酒でお気合でも悪いか 済ぬ顔してござります 夕霧様も案じてござろ 廓で人でもやつたら

よかろと お辻一人が気をいらち 申/\若旦那様 夕霧様を悦ばしに早う今の銀を持て 廓へお出なされ

ぬかと 尋る声に伊左衛門 ヲゝ其銀は爰に有り おれが肌身を放さぬぞと 障子押明け立出る 袷紙子に

赤ばりし破れ編笠手にさげて 見すぼらしげな其姿 女房是はと興さまししばし 詞もなかりけり コレ

 

 

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夫婦の衆 金箱には此紙子に編笠 おもみには石瓦 アゝ思へば此筈の事 国元でお仕置に逢ふ所を命

を助け連帰り 家の客にも成る事か 放埒に身を持崩し あげくに傾城身請の相談 釈迦でもあいそ

が尽きねばならぬ 人の性根も直すべき時直さねば 乱れかゝつてはとめどがない ふと夕霧に馴れ染め 流れの身で

も真実を立て通せばかはゆふなり 子迄なしたる互の因果 親の恩も商売も忘れて居た 外の養子か

実の子でも かう放埒な身持をしたら御勘当はしれた事 夫にかはり此伊左衛門は 殿ゟ貰ひし養子な

れば 藤屋の家は崩れても追出されぬといふ事 親父様の義理立に 気の付なんだ我誤り 夫を

思へば明けしくれし 憎ふ思召そと 思ひ廻せば勿体なや 今悔んでも跡の祭り 其上おれがかふして

 

居ては 親父様迄御難儀のかゝろもしれぬ事も有 家出せんと思ふに付け 何とぞ夕霧と一所

にとよしない金もむさぼつて さはぎ納めの芸子の三味線 けさからあほう尽したも 心はくはんじて

居たはいのと語るも涙にくれければ 甚右衛門も打しほれ そんなお心とはしらず 親旦那がいんだら早ふ

追出せとおつしやつたれど 戻るとおまへが待兼て 甚右衛門金はどふじやのとお問なさるゝ おもやの首尾

もしらず アゝおいとしやと思ふて いひ出し兼て何やかや 一時遁れの間に合をいふて斗おりましたが 扨はお

まへは 兼て其お覚悟で有たかと 心を汲で目は涙 お辻はわつと泣出し 其お心なら猶いとしぼい いか

にまあこらしめじやとて 紙子にやぶれあみ笠とはあんまりむごい親旦那 せめての事にお

 

 

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小袖をと 取に立を押とめて アゝいや/\ 此姿で出て行がせめてもの御腹いせ 是迄お腹の立たの

が少しは休まる事もなろ コレ甚右衛門お辻 いかい世話に成たのふ 落付く所の宛はなけれど命が有

ば便りせう 此紙子と編笠は養父の筐の唐錦 死だら直ぐに幢(はた)天蓋 目せきの瓔珞(やうらく)いたゞ

いていきますと 編笠かぶりしほ/\と出るも黄昏くら紛れ こらへ兼て夫婦はわつと伏まろび泣より

外の事ぞなき かゝる歎きの折も折頬かぶりしてかけ来るをすかし詠めてヤア夕霧じやないか ナフ伊左衛門様か 此

形はいのと取付て泣をこなたも抱しめ おれはおれじやがそなたは何故おしやつたぞ サイナ住吉屋の客の

玉置が どふでも受出すといふて親方へ金見せる 親方も欲気に成り 伊左衛門様の跡金はけふの

 

あすのと規定も違ふ こちらへやると今夜手形 どふも廓に居るも居られず かけ落して

来たはいなと 語るを内にも聞耳立て 外にも難儀重なる思ひ 大方追手が来るであろ これ

甚右衛門どふせうぞ ハテどふと申てからお前が是にござる事しつて居れば 一ばんがけにくるは定 戸棚

の内も有た格 どふしてよかろと見廻す外面 アレ/\あれへ親旦那 見付られては猶わるい どふかかう

かと四人のうろたへ 甚右衛門心付木割れ着て戻つた編笠を それ/\女房と夕霧に 着せて取々

三味線胡弓 てん手に調子も合(あい)の手も つれ弾く糸や歌のあや 我らふたりが身の上を 今

はなまなかながらへだてをしたら浮世にあいそもこそも つきぬ恩愛親子のきづな歌の唱歌

 

 

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を了哲は耳へもいらずずつと通り 甚右衛門どふ仕やつた 伊左衛門はもふいたか追出してたもつたか アイもふ

とうお出でござりますと いふも涙に曇り声 お辻は居直り申旦那様 若い時は若の出端(ばな) 殊にぎり有る

伊左衛門様 達て御異見遊ばしたら御合点も参らふのに 見ぐるしい紙子や編笠 是着ていけとはどうよくな

常のお気には似合ませぬと 恨み涙に了哲は 異見や理屈で済む事なら追出しはせぬはいの 伊左衛門が為

には命がはりの紙子編笠 お仕置にあふのを助けるのじや エゝイそりや何故何事と 門の二人も歌を

やめ耳をすまして聞居たり 了哲懐ゟ人参箱を取出し 口とめした故甚右衛門は女房にもいはぬと

見へた お辻 伊左衛門が内証で人参十箱質に置た 上には朝鮮 下には桔梗の賢人参 コレ此通り

 

此様な事せうより なぜ了哲が蔵の銀を盗では遣はなんだ ぎり有る中と心の隔てか 腹からの商人ではなし 此

恐ろしい工み事 何のあれが手業であろ 皆万八めがだました事とみす/\知れて有ながら 置き主の詫文が伊

左衛門 きのふ先から代官所へ訴へたげな せんぎせうにも万八めは欠落して今はおらねば いやながらあれ一人が科人

家出をしておりませぬと申上て 其中に扱ふて済す料簡 此事を聞したら根が小気な生れ付 無分別

でも出しおろかと 夫が悲しい斗(ばっかり)にこらしめの様に見せ 編笠や紙子て姿をかへさし 大坂を立退そふ為で

おじやる そしてマア甚右衛門どこへ向けてやつてたもつた イヤ其先は何共申しや致しませぬ ヤヤ エゝどうよくな 夫程の事

はそなたが気を付けてくれうと思ふておりやいはなんだ エゝかはいや 行先にうろ/\とどこを宛所(あてど)に出ていたぞ

 

 

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定めて夜露に打れているであろ アゝ是程親は案じるに 伊左衛門もまた恨めふし 世間でもとやかくと

隔てた中と謗るであろ 本に産みの子斗持て 隔た中をしらぬ衆に 養子している親心の苦しみがしら

せたい/\と 世を恨たる悔み泣聞て夫婦がせき上れば 外に二人は思はずもわつと斗に泣しづむ 声に驚き

了哲は耳をすまし ハゝア合点の行ぬ泣声 いとゞ案じの胸にこたへる 甚右衛門アリヤ誰でおじやる イエあれは/\と

どぢぐぢ紛らす其中に お辻は庭におり立て コレ申今の鳥辺山に 必縁を引まいぞへ とかく命が物種ぞと

つど/\いふを了哲も すかし詠むる外と内 ヤアまだそちは其連れはと いふを見せじと甚右衛門 戸口をびつしやり コレ

通らしやれハテ遠い所へ通らしやれ ハツト二人は涙声 親子の中垣袖の雨袂を しぼりて「別れ行