仮想空間

趣味の変体仮名

伊賀越道中双六 第七 関所の段

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       浄瑠璃本データベース  ニ10-01451

 

 

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 第七 関所の段

藤川の新関と人に云ど影の郷 一村籠る松影に茶屋の娘のお袖とて 年は二八の

 

跡や先まだ内証は白歯の娘 雪気いとはぬ寒空に 水の出花や煎じ茶の 仏をだしに

参詣人 黒谷の上人鎌倉へ下向の道山中の法僧寺にけふで三日の逗留 御符御札の

お影にて (?病垂れに立に日:おし)か物いふ聾が治る 膝行(いさり)のお祖母が礼参り 御礼参りの三人が 茶屋の床几に腰打かけ

何と太郎兵きつい人群集の 扨皆聞かしやれ 御符のお影で奇妙な事がござる 吉田の宿の搗(かち)

栗屋といふ炭屋の子が疱瘡で目が潰れ 何が一人子の事故夫婦の衆が発心して 罪亡しに

西国に出る所へ上人様の御立寄り 何が御符を戴くやう聞かしやれ 其夜から目か明ましたといの

それから吉田中がひつくりかへし 山中がお泊り故毎日の参詣人有かたい事ではないか ハテそりや

 

 

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其筈いの 炭屋の子なら黒谷様に御縁が有 ハゝゝ ヤこちらも逝で縁の有 かゝが焚た御符をば

戴きませうと打笑ひ我家/\に帰りける 父の教を守らざる其罪科の降積る雪気の

空もいとひなく 姿を略(やつ)す和田志津馬 敵の行衛知れたれば 虚しく過る光陰の やたけに心関所前

コレ姉様 最前ゟ子の茶店で 待合す体の人は見なんだか イエ/\左様なお方は見受ませぬ 然らば

暫しと腰打かけ 姉様此遠眼鏡は往来の慰みか イエ/\慰ではござりませぬ わたしがとゝ様

は此お関の下役人 若し切手なしに抜道を通る人が有ふと 吟味の為の此目鏡と 聞て志津

馬が心の当惑 差当つたる切手の用意 ハテとうかなと思案顔 お袖は一心志津馬が顔

 

テモよい男と思ひ初め 云たい事も娘気の口へ出兼る花香 顔を詠めて汲む手元 脇へ流す

も気もそゞろ茶碗斗を手に持て 差出す心の思はくは汲で知りし 目遣ひも相手に

芸気か有ばこそ 是はきつい御馳走 余り茶に福が有 然らば今一つ迚もの事にほんま

の茶を いくつも/\呑たいと 思はぬお茶の捨詞お前故なら何度でも 入れ花を上たいと何と

云寄方もなく 顔は上気の初紅葉男の際粋一盛に 恋の出花と見へにけり 志津馬も扨は

と心付 我に心をかけしこそ幸い切手の手かゝりと 心で點頭すり寄て コレお娘頼たい事が有 何

と聞てくれる気かと 思ふたつぼへ和らかに 云かけられて返答の詞に詰る女子の情(じやう)何と返

 

 

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事の云様も わたしもお前にお頼が サどの様な事なりと 頼むと有は引はせぬ エゝ忝いわたしもお前

故ならば その様なお頼でもいとひはせぬと 寄添はそれ聞て落付た 何を隠さふ我身の上

今夜中に此関を通らねば我一命にかゝる事 こなたの覚し抜道を何とぞ教て貰いたい 死で

も忘れぬコレ頼むと 色で仕かける我身の大事しつとしむればしめかへし 恥しいやら嬉しいやら

抱き付てはしめかはす 袖ゟ人目の関の門暮六つからは通路ならす それ迄に私が働き若し間違は

わたしがお供立退ん 必気遣ひ遊ばすなと 思ひ合たる他生の縁二人が望は二道の 一筋道を

急ぎの道中状箱刀にくゝり付 通りかゝればお袖は呼留 お飛脚様お休と いへば奴が立

 

どまり 呼かけられて姉様に恥かゝしてよいものか まだ八つは間も有べい一ぷく

せいと腰打かけ ヤレ/\しんどや/\ 申お客様御免なされといへど志津馬も

何気なふお飛脚はとれからお立 イヤ下拙は鎌倉扇が谷の四つ辻切通し 夜前濱松泊り日

が短くて漸爰迄と 聞ゟ志津馬は心当りだまして問んと傍に寄 扨/\早い事 私共は

何として/\ 浦山しい足元と 咄しを塩に茶の出花 一目見るゟ余念なく お袖が傍にぐみや

と成り コリヤ忝い 白歯の娘のお初穂 一口呑す気はないか 一目見るから恋茶と成た エゝ奴殿悪

ちやり置かんせ ちやは/\とちや/\入れまい こちやずんどほんのこつちや コレイノ/\ そつちや向まいどうちや/\

 

 

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アゝ去ちは貴公も顔に似合ぬやつし形 名は何と云ます 身共が名は助平 イヤもふ飯も好物

だてや コレサ/\お娘どう仕てくれる エゝしやら/\と そんな事より此様な面白い物見る気はないかと

目鏡の傍へ突やられ 助平は差覗き ハアコリヤ面白いと詠め入り テモ大勢人が見ゆる ハア向ふに

見るは アゝあれはおらが仲間の頭だ コレ頭何ぞ用はないか 何じや金比羅様の提灯も有

ハア川が見へる 何じや藤屋の二階で客が楽しみよる ヨヨ 味い事/\ ハアあの女房見た

様な それだ/\ ヤわりやおきのでないかと 一目見るより屹相かへ ヤア儕は/\ようもおれに

退き状おこしそこに楽しんで居るな コリヤヤイ云かはした事忘れはせまい 旦那へ願ふて奉公

 

引かし女房に持と思やこそ春からも歩行遣り 三歩やり四歩遣る 女房じやと思やこそ おら

か切米打込で遣たぞよ コリヤ其折からに何と云た お前と夫婦に成て夜も昼も楽しもといふた

じやないか それに何だ 我見る前で尾籠千万 其男と抱れて寝るか よくもおらを欺したな 鎌倉

て人も知たる沢井殿の家来沢井助平もふ了簡が成ぬはいとかけ出せしが ハアハア今のは何所だ 何だ

何にも見へない コリヤとふだと いふにお袖が差覗き アリヤ吉田の茶屋の二階 爰から一里も有所 腹立

なさるだけが損 もふ了簡なされ いか様云ば一理有 遠方から悋気するは聾に耳とらするに

同じ こは云なはら残念と 又差覗き 現に成ば是幸扨は沢井の家来よなと 志津馬は辺に

 

 

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気を付けて状箱の封押切 一通奪取元のごとくに直すのも 知らぬ介平一心不乱打詠め エゝ

口中を契りをる こりやもふ堪忍ならないと お袖が腰を力草 エゝ放して下さんせ 何と是が放

されう ハア/\と古木のごとくしやちばり返り 横にどつさり朽木倒し登り詰たる奴風巾(いか) 糸

目の切しごとくなり 傍に落たる紙入の 中より出る関所の切手見るにお袖は飛立思ひ 嬉しい

やら強(こは)いやら結ぶの神の此切手と 志津馬に渡せば懐中し 我身の詮議は遁れたが かうして

置かれぬ奴殿 コリヤ虫腹か癲癇病みか コレ顔へ其水吹かけたと いふにお袖はロウバイて 沸返たる

茶釜の茶 天窓へざつふり打かくれば 恟り気の付く助平が辺り見廻し起上り さも苦しげに

 

声揮(ふる)はし どなた様か忝い 生れ付て躮めが虫早く 時々おこる疱瘡(ほうそ)子に 湯がかゝつで助つたと 咄せば二人は

顔見合せおかしさ隠す斗なり 時も違へず関所には 打つ拍子木に介平が 一つ二つと指折て ムゝウ ありや七つの時かはり

大切の此状箱 一時も早くお届申さん 関所の切手と紙入の 内を扖(さが)せどめんような 南無三宝跡の茶

店で落したか ドリヤ一走りと立出れど 水気取れし河童奴(かはたろう)ふなら/\と池水の ごみに逢たるごとくにて 元来し

道へ引返す お袖は跡を見送りて 此間に早ふと茶店の道具を門内へ運ぶ片手に顔詠め 見飽ぬ目

鏡の恋男 志津馬は一心敵の手がゝり 白歯娘が手を引て岡崎「さして帰りける 鎌倉の奥女中

お里帰りの道中と 人目に見せる鋲乗物関所の前へ舁据る 家来御傍へ立寄て お関所で候へば

 

 

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暫く是より御歩行と 聞とひとしく戸を開き 旅姿に身を窶し兜頭巾に目斗出し 昨日にかはる

勢も淵瀬と沢井股五郎 辺り見廻し コリヤ駕籠の者大義で有た 是ゟ早く帰てたもれ

林左殿は何してござるな あれへ御出でござります お旦那にはお先へお帰りなされませ ヲゝ木にも茅にも

心置は世話人の志(こゝろざし)無足にせぬ我心底 譬我を打ねらへばとて何程の事あらん 見付次第に返り討ち

わいらもちつ共気遣ひすなと 家来引連れ打通る 此海道を住家とする蛇の目の眼八 人喰

馬に桜田が手に入れ顔に先に立 コリヤ蛇目 今咄した事男と見込で頼むぞよ 何で有ふと

見付次第に合点か エゝ親方気遣ひさあんな 此蛇の目が見入れたら一寸も動かしやせぬ

 

ハテサテ気味のよいやつと 紙入より取出しきんす千疋手に渡し 当座の褒美納めて

置た エゝ忝い 馬士(うまかた)に千疋とは 仕合せよしの此蛇の目 何で有ふと見付たら皆撫(かいなで)に

する一どつぱと 祝ふ簺先(さいさき)林左衛門 晩の泊りで何かの事 しめし合さんサア来いと 門内さして

入相の 鐘諸共に関の門閂ぱつとしむる音 宙をかけつて政右衛門 関所の前に立寄ば

門戸かためて出入もならず 暮時でわからねど うしろ姿は林左衛門に違ひなし スリヤ

股五郎を道々には極た エゝ付込だ敵を取逃せしか口惜やと 歯がみをなして身をもだへ

門内を白眼(にらみ)付け 無念涙にくれ居たる ヲゝそれよ 志津馬と爰で出合約束 但し先へ入込だか何に

 

 

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もせよ出合前は一筋道 今夜中に此関越ねば 最早敵は手に入ぬと 行つ戻りつ思案を

極め 兼て聞居る抜道は慥に竹の林の中 押分行けば山づたひ 探り廻りしまつくらがり うろ

/\眼に介平が是も窺ふ抜道を すかし見れば雲つく様な大男 恟り驚き身を

忍ぶ 探り当りし政右衛門 竹藪押分忍び行 とつくと見届け介平が状箱腰にくゝり

付 味い/\と抜道の跡を慕ふて「急ぎ行 不敵成かな政右衛門天に一命投打て目ざす

もしらぬ真の闇 降来る雪の道踏分 裏道づたひ壱丁斗行よと見へしが 関所

の内に声高く 忍びの鳴子の音するは 裏道を越る曲者有と呼はれば それ遁す

 

なと捕人の人数 兼て用意の高提灯 人数を配つて取巻しは危ふかりける「次第なり 政

右衛門は事共せず三角に眼を見開き 山を食する猿松め 皮引ぱいてくれんずと だんびら

引ぬき持かけたり それ遁すなと組子共 一度にかゝる四方詰 イヤこしやくなと振ほどき付

入所を宙にて切取飛くる熊手を受流し 切立/\切立でば 詞には似ぬ組子共 跡をも見ずして逃ちつたり 逃

るを追ず政右衛門 道の案内は此提灯と 勝手覚し杣道の足跡しるべにしたい行 跡におくれて介平は 道の勝手は

方角知らず うろつく折柄取て返す組子共 それといふにも及ばゝこそ高手小手にくゝり付

狼狽奴と夢にも知らず 組子の頭大音上 強敵の曲者を 組子仲間へ生捕たりと引立てこそ「急ぎ行