仮想空間

趣味の変体仮名

於六櫛木曾仇討「中」

読んだ本 https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/index.html

       於六櫛木曾仇討 (HTML)

 

「中」

2

丹二郎ふもとに

くだりけるに

道のほとりの

ぢぞうどうに

百しやう大ぜい

百万べんをくり

いたればどうの

えんにこしを

かけちやを一つ

こひけうrに

どうもりの

そうしぶ

ちやをくみて

あたふたん

二郎はなし

のついで

百まん

べんは村の

しゆの

こゝろざし

にやしゆ

しやうの

こと也と

いへは

どう

もりの

どうしん▲

▲さればよそれにつき

よにあはれなる

はなしありとて かたりける

「もふ なん どき じや しらん

 

(読み下し)

丹二郎麓に下りけるに、道の辺(ほと)りの地蔵堂に百姓大勢百万遍を繰り居たれば、堂の縁に腰を掛け、茶を一つ乞いけるに、堂守りの僧、渋茶を汲みて与う。丹二郎、話のついで百万遍は村の衆の志にや、殊勝の事なりと言えば、堂守りの同心、さればよ、それにつき世に哀れなる話有りとて語りける。

「もう何時(なんどき)じゃしらん

 

 

3

どうもりかたりけるは

このころかしこの山の

谷そこにとしころ

三十四五のみめよき

女と五六才の女の

子ところされいたるを

村のものたきゞこりに

ゆきてみつけたるが

きるものをはがぬを

見れば山だちなどの

わざともみへずさだめ

て山いぬにくはれしならん

なにゝもあれふびんの

事とて村のもの

うちよりしがいを

かの山中にほうふり

こんや一七日にあた

れゔぁほだいのため

百万べんをくるなり

いづくのものかは

しらねども世に

あはれのこと

ならずやとかたる

たん二郎これを

きいてむねとゞ

ろきその女の

きるものはいか

 

なるもやうと

たつぬれば

ほだいのため

そのきもの

にてはたを

こしらへ

ほとけに

たてまつりぬ

あれ見給へとて

ゆびさせば

丹二郎みあ

かしのひかり

にてよく

見ればm

かふかたなき

母の小そで也

さてはさき

ほどのあら

つかは母いもと

をほうふりし

ところにて

ありしかそれ

とはしらず

まくらめし

にてうえを

しのきしは

おやこの●

(右頁中)

  • えんのつきざる所なるべし

とすぐにかの山中に

いりつかのまへに

ねんぶつ

もふして

そのよは

つやをし

なげき

かなしむも

だうり

なり

(セリフ)

「そのはなし

くはしく

うけたま

はり たい

「かたるもなみだ

のたねでござる

「ふびんな

(左頁)

ことで ござる

「なんまい /\

なまだア/\/\/\

 

(読み下し)

堂守語りけるは、この頃彼処(かしこ)の山の谷底に年頃三十四、五の見目良き女と、五、六才の女の子と殺され至るを村の者、薪樵(たきぎこ)りに行きて見付けたるが、着る物を剥がぬを見れば山立(やまだち)等の業とも見えず、定めて山犬に食われし成らん。何にもあれ、不憫の事とて村の者、内より死骸を彼(か)の山に葬り今夜一七日(ひとなのか)に当たれば菩提の為百万遍を繰るなり。何処の者かは知らねども世に哀れの事ならずや、と語る。丹二郎これを聞いて胸轟き、その女の着る物は如何なる模様と尋ぬれば、菩提の為その着物にて旗を拵え仏に奉りぬ。あれ見給えとて指させば、丹二郎御灯(みあかし)の光にてよく見れば、紛う方無き母の小袖なり。扨は先程の新塚は母、妹を葬りし所にてありしか、それとは知らず枕飯にて飢えを凌ぎしは親子の縁の尽きざる所なるべし。と、すぐに彼の山に入り塚の前に念仏申してその夜は通夜をし、嘆き苦しむも道理なり。

「その話委しく承りたい

「語るも涙の種でござる。不憫は事でござる。

「なんまいなんまいなまだァ・・・

 

 

4

たん二郎そう/\のがみ

のさとへかへり

いさいの事を

かたりければ

みな/\大に

おどろきいか

なるしき

いんぐはにて

かくまでぐ吉

のかさなる

事とくどき

たてゝぞ

なけきける

此たびはゝ

いもとの

わうしなに

ともこゝろへぬ

ことなり

まつたく大のしんめが

いしゆばらし

なるべし

なにとぞ

じつぷをたゞし

それにちがひ

なくば大のしんを

うつてはゝのうらみを

 

はらすべしといふ

にぞ又八うけたまはり

わたくしいのちにかへても

じつふをたゞし申べし

といふさていろ/\の

うれいかさなり心を

いためしゆへにや

丹二郎ふとびやうき

づきたん/\おもく

なりければろうぼ

かたせがあんし大かた

ならず久かたがあたを

むくひおんかたなを

せんぎしてつるみきぬ

がさのりやうけを

さいかうせんとおもふも

みなそなたばかりの

ちからなり カ そなた

にもしものことあらば

此はゞは何とせうなま

なか小長いきして

かゝるうきめを

みるはなに

たるいんぐはぞ

そなたにかはりて

此はゝがしにたきことよと

きごきたつるもことはり也

(右頁セリフ)

「ちと おせ なかを さすり ませう

「もし もの ことが あつた なら この ばゞは なんと しやう

「そなたふう

ふのしんせつ

しんでも

わすれぬ

くはぶんな ぞや

とても

くはいきは

おぼつか なひ

ばゞ さまか おみの うへ たの む ぞや

「そんな 

おきの

よはひ

むりに

まんまを

あがり ませ

 

(読み下し)

丹二郎早々野上の里へ帰り委細の事を語りければ、皆々大いに驚き、如何なる悪しき因果にて斯く迄不吉の重なる事と口説き立ててぞ嘆きける。この度母妹の横死、何とも心得ぬ事なり。全く大之進めが意趣晴らしなrべし。何卒実否(じっぷ)を糺し、それに違い無くば大之進を討って母の恨みを晴らすべしと言うにぞ。又八承り、私(わたくし)の命に代えても実否を糺し申すべしと言う。さて色々の憂い重なり心を痛めし故にや、丹二郎ふと病気付きだんだん重くなりければ、老母片瀬が案じ、大方ならず久方が仇を報い御刀を詮議して鶴見衣笠の両家を再興せんと思うも皆そなたばかりの力なり。が、そなたにもしもの事が有らば、この祖母は何としょう。生半(なまなか)小長生きして係る憂き目を見るは何たる因果ぞ。そなたに代わりてこの祖母が死にたき事よと、口説き立つるも理なり。

(右頁セリフ)

「ちとお背中を摩りましょう

「もしもの事が有ったなら、この祖母(ばば)は何んとしょう

「そなた夫婦の親切、死んでも忘れぬ、過分なぞや。とても快気は覚束ない。祖母様がお身の上頼むぞや。

「そんなお気の弱い、無理に飯(まんま)を上がりませ。

 

 

5

はじめのほどはもちのいたるいるいぞうぐをうりぐひにして大ぜい口をやしなひ

けるがそれもうりつくしたればせんかたなく又八かいだうにいでうまをおひおもにを

せおひてわづかのぜにをとりつまおろくはよの目もねずに布をおりて大ぜいを

やしなふそのかんなんなか/\ことばにつくされずそのうへにたん二郎びやうき

なればふかくあんじいしゃのかぢきとうのとさま/\゛にこゝろをつくし又八もお六も

とせいをやめてかんびやうしけるがいつたいまづしき

うへにびやうき入用かた/\にて今は

あさゆふのけふり

さへたてかねまこと

にゆきつまりぬれ

どもろうぼやびやう

にんにまづしさを

みせまじとふうふの

心づかひおほかたな

らずある日こめかふ

ぜにもなかりしかば

おろくかみの中を

すりかりだにかりて

米をかひきたるを

たん二郎やまひの

とこより見つけ

おろくかしんていを

おしはかりてしのび

なみだにむせびけり

たん二郎つら/\思ふ

にわれかく大ひやう

をわづらひてとても

 

たすからぬ命なり

なまなか長いやう

をわつらひてまた八

ふうふになんぎを

かけんより又八に

ばゞさまのことたの

みおきせつぷく

するにしかじと

そのよかきおきを

のこしすでにはら

きらんとせしを又八

みつけておしとゞめ

いかにもしてほん

ぶくしほにをとげ

んとはおぼさず

ふがひなきおん

こゝろやとはじし

めてやう/\じがい

をとゞめこのゝち

はものをそばに

おかざりけり

(右頁セリフ)

「はやく とめて くりやれ

「おとし

わかとは

もふしながら

そりや

ごたんきで

ござり ます

(左頁)

「とても

ぶうんに

つきたるみ

はゞ様の

ことは

そのほう

ふうふに

たのみ

おくぞ

「これはきばし

ちがひ

たまふか

 

(読み下し)

初めの程は持ち退きたる衣類雑具を売り食いにして大勢口を養いけるが、それも売り尽くしたれば詮方無く、又八街道に出で馬を追い重荷を背負いて僅かの銭を取り、妻お六は夜の目も寝ずに布を織りて大勢を養う。その艱難中々言葉に尽くされず、その上に丹二郎が病気なれば深く案じ、医者の、加持祈祷のと、様々に心を尽し、又八もお六も渡世をやめて看病しけるが、一体貧しき上に病気入用方々にて今は朝夕の煙さえ立て兼ね、誠に行き詰まりぬれども、老母や病人に貧しさを見せまじと夫婦の心遣い大方ならず、ある日米買う銭もなかりしかば、お六髪の中をすりかり(剃り刈り?)にして米を買い来たるを、丹二郎病の床より見付け、お六が心底を推し量りて忍び涙にむせびけり。丹二郎つらつら思うに、我斯く大病を患いて、とても助からぬ命なり。生半長病を患いて又八夫婦に難義を掛けんより又八に祖母様の事頼み置き、切腹するに如(し)かじ、とその夜書き置きを残し既に腹切らんとせしを又八見付けて押し留め、いかにもして本復し本意を遂げんとは思(おぼ)さず不甲斐なき御(おん)心やと恥しめて、漸自害を留め、この後刃物を側に置かざりけり。

(右頁セリフ)

「早く止めてくりゃれ

「お年若とは申しながら、そりゃ御短気でござります

(左頁セリフ)

「とても武運に尽きたる身、祖母様の事はその方夫婦に頼み置くぞ

「これは気ばし違い給うか

 

 

6

丹二郎に人じんをもちひなば万に

一つくはいきあるべしといへども

大金のくすりをもとむる

てだてなし金づくにて

御主人のいのちを

うしなふこと

此うえのかなしき

ことなしと又八

おろくふかく

なげき外に

しあんもなく

此のがみさとは

ゆう女おほき

所なれば五才

になる女子

小まつおさ

なけれ共

すこしは

かねになる

べしとふう

ふそうだん

きはめて

小松をみれば

ぐはんぜなき

おさなごなれば

ちゝはゝのそう

だんをわがみの

 

事共思はず

所がらとてきゝおぼへたる

なげぶしをしたもまはらず

うたひながらかみ人ぎやうを

こしらへてきげんよくあそび

いるお六をつとに

むかひあのやうに

なげぶしをきゝ

おぼへてうたふも

そのみをうらるゝ

ぜんひゃうか忠ぎの

ためとはいひながらかた

ときもそばはなさず

かんなんしてこれまでにそだてあけたるいとしこを

わづかのかねにみをうりて

こがたなばりやつめのあと

じやけんのせめにあふことはひつじやう也なんぎの時に

うまれあひふしあはせの

みのうへやとすゝり上て

なきければ小松立より

かゝさまなぜなかしやる

きやいでもわるいかや

とてちいさきてゞ

せなかをさすれば

ふうふのもの

こたへかねてぞ

なきふしける

(右頁セリフ)

「さて/\

よの中には

さま/\の

あはれな

ことも

ある もの だ

(左頁)

「女ほうなくな

おくへきこへては

御ひやう人の

さはり じや

「かゝ さま なぜ なか しやる

きやい でも わるひかへ

 

(読み下し)

丹二郎に人参を用いなば、万に一つ快気あるべしと謂えども大金の薬を求むる術(てだて)無し。金尽くにて御主人の命を失う事この上の悲しき事なしと又八お六深く嘆き、ほかに思案も無く、この野上里は遊女多き所なれば、五才になる女子、小松幼けれども少しは金になるべしと夫婦相談極めて小松を見れば、頑是なき幼な子なれば父母(ちちはは)の相談を我が身の事とも思わず、所柄とて聞き覚えたる投節(なげぶし)を舌も回らず歌いながら紙人形を拵えて機嫌良く遊び居る。お六夫に向かい、あの様に投節を聴き覚えて歌うもその身を売らるる前表(ぜんぴょう)か、忠義の為とは言いながら、片時も側放さず艱難してこれ迄に育て上げたる愛し子を僅かの金に身を売りて、小刀針や爪の痕、邪険の責めに合う事は必定なり。難義の時に生れ合い不幸せの身の上やと、すすり上げて泣きければ、小松立つより、かかさま何故泣かしゃる、気やいでも悪いかや、とて小さき手で背中をさすれば夫婦の者堪(答)え兼ねてぞ泣き伏しける。

(右頁セリフ)

「扨々世の中には様々の哀れな事も有るものだ

(左頁セリフ)

「女房泣くな、奥へ聞こえては御ひやう人(御表人?)の障りじゃ

「母さま、なぜ泣かしゃる、気やいでも悪いかえ

 

 

7

かゝるおりしもききりどのそとに一人の

たびさむらひたゝずみやうすを

きいて内にいりそつじながら

いまふうふのなげきのてい

さて/\きのどくなり

なにゆへに子をうり

たまふといへば又八

ふうふはぢいり

ながら主人の

びやうくをすく

はんためといふにぞ

さむらいひいよ/\

あはれにおもひ

われさいはひやう女を

たづぬるをりなれば

その子をわれにたまはるべし

これはすこしなれども

しるしなりとて金廿両

あたふれば又八おしいたゞき

此御おんわするべからずと

よろこびいふおろくはゆふ女に

うるにはましとおもひながら

おやこのえんもこれかぎり

いきわかれのなげきにたへず

小まつはぐはんぜなく此おぢ

さまがまつり見せにつれゆくと

いふにぞいさみすゝんでおふはれゆきぬ

「おちやあがりませ

「この子のことは

きづかひめさるな

ゆへありて

名は なのらぬ

ごえんも

あらば

かさね て

あひ 申ふ

「すて る

かみ あれば

たすける

かみ あり とは この ことで

ご ざり ます

 

(右頁読み下し)

かかる折しも切戸の外に一人の旅侍佇み様子を聞いて内に入り、卒爾ながら今夫婦の嘆きの体、扨々気の毒なり。何故に子を売り給う、と言えば、又八夫婦恥じ入りながら、主人の病苦を救わん為と言うにぞ。侍弥々哀れに思い、我幸い養女を尋ぬる折なればその子を我に賜るべし。これは少しなれども印しなりとて金二十両与うれば又八押し戴き、この御恩忘るべからずと喜び言う。お六は遊女に売るには増しと思いながら親子の縁もこれ限り、生き別れの嘆きに耐えず。小松は頑是なく、この小父様が祭り見せに連れ行くと言うにぞ。勇み進んで負ぶわれ行きぬ

「お茶あがりませ

「この子の事は気遣い召さるるな。故有りて名は名乗らぬ。御縁も有らば重ねて会い申そう

「捨てる神あれば助ける神ありとは、この事でござります

 

(左頁)

うしじま大のしんがてかけ

さつきといふおんなそのころ

くはいにんしていけるがあるとき

かゞ見にむかひけるにやせおとろへ

たる女のかほうつりければわが

かほのかはりたるにやとおど

ろきふたゝびてらしみれば

まことにわがかほうつりぬ

これよりのちかほあらはん

とたらいにむかへばわが

かほはうつらでかのおんなの

かほうつりてうづばちにむかへは

そのうちにもかの女の

かほうつり井戸を

のぞけば井戸の

うちにもかの女の

かほありいけを

のぞけばいけの

水にもかのおんなの

かほうつりのちには

ちうやめさきに

みてしばしも

はなれざれば

これをきやみ

にしてついに

おもきやまひと

なりぬ

「大のしんが

てかけさつき

「のふかなしや

こはひかほが

うつつた

 

(左頁読み下し)

牛嶋大之進が妾(てかけ)皐月という女、その頃懐妊して居けるが、ある時鏡に向かいけるに痩せ衰えたる女の顔映りければ、我が顔の変わりたるにやと驚き、再び照らし見れば誠の我が顔映りぬ。これより後顔洗わんと盥に向かえば我が顔は映らで彼の女の顔映り、手水鉢に向かえばその内にも彼の女の顔映り、井戸を覗けば井戸の内にも彼の女の顔有り、池を覗けば池の水にも彼の女の顔映り、後には昼夜目先に見えて暫しも離れざれば、これを気病みにして遂に重き病となりぬ。

「大之進が妾皐月

「のう悲しや、怖い顔が映った

 

 

8

大のしんこゝろにおもふはてかけさつきが

目にみへるはかならずひさかたなるべし

きやるわがゆうきにおそれて

われにはちかづきがたくこゝろ

よはきさつきが目にめhて

なやますとおぼふなり

さもあらばあれなにほどの

ことかあらんとみづからひき

目をいなどしてびやうにんを

しゆごしければやう/\

女のかほの目にみへる

ことはやみやまひも

すこしこゝろよく

なりほどなく

りんけつに

なりて女子

をうみけるに

その生れこ

うではなく

左りの手

ばかりあるが

それも五ほんの

ゆびはなく

しやくしの

やうなる

かたは子也

されとも

 

いきありて

そだてなば

そたつべき

やうす也

大らんほう

きの大の

しんも

これを

見て身

のけいよ

たちかゝる

子をそだ

てなば

のち/\

いかなる

あたを

せんも

はかりがたし

と思ひとり

あげばゝに

金とらせてくち

とめしひそかに

しめころしてゆかの

下にうづめけり此

ときびやうぶの

そとにみよ/\

といふてわらふ

こへきこへぬ

(右頁セリフ)

おかゆ

でき ました

あがり ませ

「おく すりが

さめねば よい

◯久方が 亡魂

いくつにもなり

あらわるゝ

人の目には

みへず

「みよ みよ

(左頁セリフ)

「みよ みよ

「これは けし からぬ

大ぐはん じやう じう

かた うて

ない こが

うまれ 

さしやつた

「ひそかに

しめ

ころして

す てる

かならず

さたを

おし ゆるな

 

(読み下し)

大之進心に思うは妾(てかけ)皐月が目に見えるは必ず久方なるべし。彼奴(きゃつ)我が勇気に恐れて我には近づき難く、心弱き皐月が目に見えて悩ますと思うなり。さもあらば、あれ何程の事かあらんと自ら蟇目負い等して病人を守護しければ、漸女の顔の目に見える事は止み、病も少し快くなり、程なく臨月になりて女子を産みけるに、その生れ子腕は無く左の手ばかりが有るが、それも五本の指は無く杓子の様なる片端子なり。されども息有りて、育てなば育つべき様子なり。大胆剛気の大之進もこれを見て身の毛弥(いよ)立ち、係る子を育てなば後々如何なる仇をせんも測り難しと思い、取り上げ婆に金取らせて口止めし、密かに絞め殺して床の下に埋(うず)めけり。この時屏風の外に「見よ、見よ」と言うて笑う声聞こえぬ。

(右頁セリフ)

「お粥が出来ました。上がりませ。

「お薬が冷めねば良い

◯久方が亡魂、いくつにも成り現るる。人の目には見えず。

(左頁セリフ)

「見よ、見よ

「これはけしからぬ。大願成就片腕が無い子が生れさしゃった。

「密かに絞め殺して捨てる。必ず沙汰を教ゆるな。

 

 

9

てかけさつきさんごにいたり

また/\おもきやまひと

なりそれ/\わがまくら

もとへあまたのへびが

はふてくるはやくとり

のけてたべあれ/\てに

まきつくのとへまとふ

はやくとりすてゝよあゝ

くるしやたへかたやと

いふてはたふれてたへ

いることたび/\なり

のちにはこゝろくるわしく

なりやみつかれてこしも たゝぬ

身になるにおり/\

すつくとたちあがり

かんびやうしている大の

しんをはつたとにらみ

おのれ大悪人めとのゝ

ごひそうのいわきり

まるのめいけんをぬすみ

とらせたること人は今に

しらざれども天地の神は

ごぞんじなりいまにみよ/\

とのゝしりてはたふれふし

けるにぞ大のしんこのことを

ひとにきかれては一だいじと

のちにはこしもとゞもをもしり

 

ぞけおのれとなめ川岩八かけはし

谷助とたゞ三人のみかはる/\

かんびやうしかぢきとうなど

さま/\こゝろをつくせど

死りやうさらに

のぞかずさつきは

だん/\らんき

あらくなりて●

  • いろ/\の

ことを口ばしり

そのうへまいややなり

しんどうしてさま/\の

あやしみありければかない

のなんによだん/\

いとまをとりのちには

岩八谷助両人

のみのこりぬ

(右頁セリフ)

「けしからぬ

しんどう じや

のふ おそ ろしや

又 や な りが する

 

(読み下し)

妾(てかけ)皐月、産後に至り又々重き病となり、「それそれ、我枕元へ数多の蛇が這うて来る、早く取り退けてたべ。あれあれ手に巻き付く、喉へ纏う、早く取り捨ててよ、ああ苦しや、耐え難や」と言うては倒れて絶え入ること度々なり。後には心狂わしくなり、病み疲れて腰も立たぬ身なるに、折々すっくと立ち上がり、看病している大之進をはったと睨み「おのれ大悪人め、殿の御秘蔵の岩切丸の名剣を盗み取らせたること人は今知らざれども天地の神は御存知なり。今に見よ、今に見よ」と罵りては倒れ伏しけるにぞ。大之進この事を人に聞かれては一大事と後には腰元どもをも退け、おのれと滑川岩八、梯谷助と只三人のみ代わる代わる看病し、加持祈祷など様々心を尽せど、死霊更に除かれず、皐月はだんだん乱気荒くなりて、色々の事を口走り、その上毎夜(や)家(や)鳴り震動して様々の怪しみ有りければ、家内の男女だんだん暇(いとま)を取り、後には岩八、谷助両人のみ残りぬ。

(右頁セリフ)

「けしからぬ震動じゃ

のう、恐ろしや。又家鳴りがする。

 

 

10

さてあるよあめかぜつよ

かりけるが三人ともにかん

びやうにつかれすこし

まどろみけるにぐはら/\

といふおとしてびやう人

わつとさけびけるにおど

ろき目をさまして

みればまどのかみに

ひかりものさつと

うつりけるにぞ

いそぎびやうぶをひきあけてみれば

びやうにんいず

こはそもいかにと

おどろきくま/\を

たあづぬれども

みへず大の

しんがかしら

にたら/\と

ひやゝかなる

ものかゝり

けるゆへ

あまもりの

しづくかと

かしらを

なでゝ

みれは▲

▲なまち

なればます/\

おどろく

ところに

やのむねに

から/\と

いふこへし

なにやらんとんと

おとしてえんがはに

おちたるゆへてしよくを

 

ともしてみればさつきが

くびなり大のしん扨は

久かためがしれうに

とう/\とられたか

ざんねんさよと

やねのむねにのぼりて

みればはふぐちに

うで一つあるのみ

にてむころはいづくに

とり行しかみへず

さすがの大のしんも

大におそれけり

さつきこれまで

大のしんが岩きり

まるをぬすみ

たることをたび/\

口はしりければ

とのゝみゝにいり

大のしんを

めしとりきうめい

すべしとめいぜられけるが

大のしんはやく此ことをきゝ

たくはへのきん/\゛を

たづさへけらい岩八谷助

両人をつれかあいはその

まゝさしおきていづく

ともなくにげさりけり

(右頁セリフ)

だんな今の

ひかりものは

なんで

ござる

「とう/\

久かたが

しれうに

とられ

たか

ざん

ねんな

◯さつきが うで

はふ口に

おちて ある

(左頁セリフ)

「見よ/\

思ひ

しつたか

 

(読み下し)

さて、ある夜雨風強かりけうrが、三人ともに看病に疲れ、少しまどろみけるに、ガラガラという音して病人わっと叫びけるに驚き目を覚まして見れば、窓の紙に光り物サッと映りけるにぞ。急ぎ屏風を引き開けて見れば、病人何処は抑如何にと驚き隈々(くまぐま)を尋ぬれども見えず、大之進が頭(かしら)にタラタラと冷ややかなる物かかりける故雨漏りの雫かと頭を撫でて見れば生血(なまち)なれば益々驚く所に、屋の棟にカラカラと笑う声し、何やらん、トンと音して縁側に落ちたる故手燭を灯して見れば、皐月が首なり。大之進、扨は久方が死霊にとうとう取られたか残念さよ、と屋根の棟に登りて見れば破風口に腕一つ有るのみにて、骸(むくろ)は何処(いずく)に取り行きしか見えず、流石の大之進も大いに恐れけり、皐月これまで大之進が岩切丸を盗みたる事を度々口走りければ、殿の耳に入り、大之進を召捕り糾明すべしと命ぜられけるが、大之進早くこの事を聞き、蓄えの金銀を携え家来岩八、谷助両人を連れ家財はそのまま差し置きて、何処ともなく逃げ去りけり。

(右頁セリフ)

旦那、今の光り物はなんでござる

「とうとう久方が死霊に取られたか、残念な

◯皐月が腕、破風口に落ちて有る

(左頁セリフ)

「見よ、見よ、思い知ったか

 

 

11

こゝに又みのゝくにのがみの

里にてはかまど又八がちう

ぎのまことにてたん二郎の

びやうきへいゆしければ大に

よろこび此うへは大のしんに

ちかづきはゝのかたきのじつ

ふをたゞさばやとすでに

あふみに出立ぜんと

したりけるがあるよの

ゆめに久かたあらはれ

とつとたもんどのをころし

岩きりまるをうばひ

父げき左衛門どのをじめつ

されそのうへわれらおや

こをうばひとりゆきのを

なぶりごろしにしわれを

へびせめにしてころしたるは

みな大のしんがしはざにて

けらい岩八谷助といふ

ものにいひつけてさること

なりわれ大のしんがてかけ

さつきといふおんなをとりころし

大のしんをもとりころしてうらみを

はらさんとおもひしがかれつねに

身をはなさぬ岩きり丸のいとく

におそれてちかづくことあたはず

われ大のしんがかのつるぎを

 

うはひたることを

さつきにぐちばし

らせたるにより

とのゝおんみゝに入

きうめいせよと

めいぜられたる事を

きいて大におそれ

大のしんしゅう/\゛

三人ゆきがた

しれずなりぬ

なにとぞ

そのゆく

へをたづね

て大ぜいの

かたきを

うちくれよ

めいどのつかひ

しげれば

なごりはおしけれど

はやかへるなりさらば/\

といふかとおもへばゆめ

さめぬろうぼかたせ丹二郎

又八ふうふおなじゆめみて

はじめてその実をしり丹二郎

又八こぶしをにぎりおのれ

大のしんいきゞもとりてくろふ共

あきたらぬやつといかりけり

(下)

久かた

ゆめに

すがたを

あらはす

「はゝうへさまたん二郎

又八づうづなつかしや/\

 

(読み下し)

ここに又美濃国野上の里にては、鎌戸又八が忠義の誠にて丹二郎の病気平癒しければ大いに喜び、この上は大之進に近付き母の仇の実否(じっぷ)を糾さばやと、既に近江に出立せんとしたりけるが、ある夜の夢に久方現れ、「夫多聞殿を殺し、岩切丸を奪い、父外記左衛門殿を自滅させ、その上我等親子を奪い取り、ゆきのを嬲り殺しにし、我を蛇責めにして殺したるは皆大之進が仕業にて、家来岩八、谷助という者に言い付けてさせる事なり。我、大之進が妾皐月という女を取り殺し、大之進をも取り殺して恨みを晴らさんと思いしが、彼常に身を離さぬ岩切丸の威徳に恐れて近付く事能(あた)わず。我、大之進が彼(か)の劔を奪いたることを皐月に口走らせたるにより、殿の御耳に入り、糾明せよと命ぜられたる事を聞いて大いに恐れ、大之進主従三人行方(ゆきがた)知れずなりぬ。何卒その行方(ゆくえ)を訪ねて大勢の仇を討ちくれよ。冥土の使い繁ければ名残は惜しけれど早帰るなり。さらば、さらば」と言うかと思えば夢覚めぬ。老母片瀬、丹二郎、又八夫婦、同じ夢見て初めてその実を知り、丹二郎、又八、拳を握り、「おのれ大之進、生き肝取りて喰らうとも、飽きたらぬ奴」と怒りけり。

(下)

久方、夢に姿を現す。

「母上様、丹二郎、又八夫婦、懐かしや、懐かしや

 

 

12

大ぜいのかたきしれたるうへは

一日もゆうよしがたし

とて丹二郎はさいこくを

たづね又八は東国を

たづねもしたづね

あたらばたより

すべしとたがひに

いとまごひのさかつき

をしければろうぼ丹

二郎にむかひかならず

わがことをこゝろにかけず

かたきのせんぎにこゝろ

ゆだねへし世にまごほど

かはゆきものはなくへんしも

わかるゝにしのびざれど

ぶしのいへにうまるゝ

からはかゝることにのそみ

てはおんあひもすて

ねばがらずあすをもしらぬおひのみなればあと

にてもしものことあらばこれをゆい

げんともおもふべしとてこま/\としめし

ければ丹二郎はたゞなみだをおとす

ばかりなりお六かたはらより御ろうぼ

さまのおん事はわたくし大せつに御かいほう

いたすべきあいだかならずおあんじあそ

ばすなと力をつけてそのよはやすみぬ

(下)

「だうちう

たべものに

きをつけやれ

「やがてほんまう

とげておよろこばせ

申ませふ

こゝろへました

「ずいぶん

ごろう

ぼさま を

だい じに

しや れ

 

(読み下し)

大勢の仇忘れざる上は一日も猶予し難しとて、丹二郎は西国を、又八は東国を訪ね、もし尋ね当らば便りすべしと互いに暇乞いの盃をしければ、老母、丹二郎に向かい「必ず我が事を心にかけず、仇の詮議に心を委ねべし。世に孫程可愛きものは無く、片時(へんし)も別るるに忍びざれど、武士の家に生るるからは、係る事に臨みては恩愛も捨てねばならず、明日をも知らぬ老いの身なれば、あとにてもしもの事あらば、これを遺言とも思うべしとて、細々(こまごま)と示しければ、丹二郎はただ涙を落とすばかりなり。お六傍らより御老母様の御事は、わたくし大切に御介抱致すべき間、必ずお案じ遊ばすなと、力を付けてその夜は休みぬ。

「道中食べ物に気を付けやれ

「やがて本望遂げてお喜ばせ申しましょう

「心得ました

「随分御老母様を大事にしやれ