仮想空間

趣味の変体仮名

於六櫛木曾仇討「下」

読んだ本 https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/index.html

       於六櫛木曾仇討 (HTML)

 

「下」

2

かくて

両人

翌(あくる)

みめい

にほつ

そくし

又八は

丹二郎を大つまで

おくりて東かいどうを

くだるべしと両人いつしよに

すりはりどうげまで

きたりくうふくに

なりけるゆへ木の

ねにこしかけろうぼの

てづからにぎりて下されし

やきいひをとりいだし

両人ともにうちくひけるが

たん二郎あやまりてやきいゝを

一つ地にとりおとしけるにからす

とびくだりてこれをついばみ

一里づかのうへにもりゆきて

おやからすにくはせけり丹二郎

これをつく/\見てなみだをながし

からすにはんぽのかうありといふに

たがはずてうるいでさへおやのをんを

かへすなりわれは人とうまれながらふたおやにすこしのおんもかへさずしてふりよに

わかれせめてばゞさまをよういくしてかうをつくさんとおもへばかくかぎりしれぬ

たびぢにおもむきていきわかれをするかなしさよろうじんのことなれば▲

▲あすの

ところは

おぼつか

なし

いま一ど

おかほを

見てよく/\

いとまごひがしたい

とて又八をとう/\

してあとへとつて

かへしぬ

「又八あの

からすの

はんほの

こうを

みやれ

にんげんは

はづかしひ

ではないか

「はて

しゆ

せうな

もので

ござり

ます

 

(読み下し)

斯くて両人翌(あくる)未明に発足し、又八は丹二郎を大津まで送りて東海道を下るべしと、両人一緒に摺針峠まで来たり。空腹になりけるゆえ木の根に腰掛け、老母の手ずから握りて下されし焼飯(やきいい)を取りい出し、両人ともにうち食いけるが、丹二郎誤りて焼き飯を一つ地に取り落しけるに、烏飛び下りてこれをついばみ、一里塚の上に持ち行きて親烏に食わせけり。丹二郎これをつくづく見て涙を流し、「烏に反哺(はんぽ)の孝ありと言うに違(たが)わず鳥類でさえ親の恩を返すなり。我は人と生れながら二親に少しの恩も返さずして不慮に別れ、せめて祖母(ばば)様を養育して孝を尽さんと思えば、斯く限り知れぬ旅路に赴きて生き別れをする悲しさよ。老人の事なれば明日の所は覚束無し。今一度お顔を見て、よくよく暇乞いがしたい」とて又八を同道してあとへ取って帰しぬ。

「又八、あの烏の反哺の孝を見やれ。人間は恥ずかしいではないか

「はて、殊勝なものでござります

 

 

3

たん二郎又八をともなひはんとより

たちかへりければお六いぶかり何ゆへ

かへりたまひしといへば丹二郎

ろうぼにむかひ長のたびと申

もこんつきてかへりうちに

ならんもはかりがたく候へば

とかくばゞ様に心ひかされ

なほよくおんいとまごひ

せんためにもどりしといふにぞ

ろうぼこれをきゝしからば

こよひなごりをおしみ明

ちゃう出たつせよとて

ことさらきけんよくよも

すがらさけくみかはして

なごりをおしみしんや

いたりてみな/\すこし

まどっろみぬほどなく

ひがししらみければ丹二郎

又八おきあがりお六も

おきいでゝすでに又八ほつ

そくせんとろうぼのねどこ

ろへゆきてみれはこはいかに

ろうぼはじがいして死しいたり

みな/\こは何ゆへの於しがい

ぞとおどろくにたんとうの

さやにゆひつけたる一つうの

かきおきありひらきみれはその文さのごとし

 

「 かきおきの事

一我抔事ひとりおきのこり大せいのひごうをみる事

よく/\あしきいんくわとそんし候そもし事かねて

かう心ふかく候へば我抔世にある内は心にかゝりおのづから

かたきうちのさまたげと成べくそんし老くちふ用

の身にてそもじのほだしとならん事むやくとそんし

かく成はて候へば大のしんはわれらのためにもかたきと

そんしいさぎよく出立し早々本いをたつしくれらる

べく候なき人/\と一所にくさばのかげにて相待可申候

一わづかにうり残候まもり刀はそもじへきんちやく一つ

又八へかうがい一本むかし風にてきに入申まじく候へ共

お六へかた身に遺こし候

一日ごろ手をはなさぬじゆずはついでにかうや山へおさめ

可被下候けちみやくはくわんおけへ入可被下候

又八夫婦へこれまでかいほうの礼よく/\つたへ可被下候

めいどをいそぎ申残し まいらせそうろう かしく ばゝ

   丹二郎へ 」

かくのごとくかきのこし六十よ

さいをいちごとしてあしたの

つゆときへければ丹二郎しが

いにとりつきわたくしけつくたち

かへりしはばゞさまをころしに

かへりしもどうぜんなりとて

こうくはいしこへをあげてな

きければ又八ふうふもなげき

にたへずこれといふも大のしんめが

なすわざ也うらみはかれ一人にき

はまり候とてともになきかな

しみけるがかくてもあるべき

ことならねばのべのおくりをいと

なみ此うへはとてかさいをうり

はらひいへをしまいたん二郎は

さいこくへこゝろざし又八はつまの

おろくをきそのやまがのゆかり

あるところへあづけおきそのみは

とうこくへくだりけり

 

(読み下し)

丹二郎、又八を伴い半途より立ち帰りければ、お六訝り、何ゆえ帰り給ういしと言えば、丹二郎「老母に向かい長の旅と申し、もし運尽きて返り討ちにならんも測り難く候えば、兎角祖母様に心惹かされ猶よく御(おん)暇乞いせん為に戻りし」と言うにぞ。老母これを聞き、然らば今宵名残を惜しみ明朝出立せよとて、殊更機嫌良く夜もすがら酒を酌み交わして名残を惜しみ、深夜に至りて皆々少し微睡みぬ。程なく東白みければ、丹二郎、又八起き上がり、お六も起き出でて、既に又八発足せんと老母の寝所(ねどころ)へ行きて見れば、こはいかに、老母は自害して死し居たり。皆々「こは何ゆえの御自害ぞ」と驚くに、短刀の鞘に結つけたる一通の書き置き有り。開き見ればその文左(さ)の如く。

「  書き置きの事

一、我等事一人生き残り、大勢の非業を見る事、よくよく悪しき因果と存じ候。そもじ兼ねて孝心深く候えば、我等世に有る内は心にかかり、自ずから敵討ちの妨げと成るべく存じ、老い口不用の身にて、そもじの絆(ほだし)とならん事、無益(むやく)と存じ、斯く成りはて候えば、大之進は我等の為にも仇と存じ潔く出立し早々本意を達しくれらるべく候。亡き人々と一所に草葉の陰にて相待ち申すべく候。

一、僅かに売り残り候、守り刀はそもじへ、巾着一つ又八へ、笄(こうがい)一本昔風にて気に入り申すまじく候えども、お六へ形見に遺し候。

一、日頃手を離さぬ数珠は、序でに高野山へ納め下さるべく候。血脈(けちみゃく)は棺桶へ入れ下さるべく候。又八夫婦へこれ迄介抱の礼よくよく伝え下さるべく候。

冥土を急ぎ申し残しまいらせそろ。かしこ 祖母

  丹二郎へ 」

斯くの如く書き残し、六十余才を一期として明日の露と消えければ、丹二郎死骸に取付き「わたくし結句立ち帰りしは、祖母様を殺しに帰りしも同然なり」とて後悔し声を上げて泣きければ、又八夫婦も嘆きに堪えず、「これと言うのも大之進めが為す業也。恨みは彼一人に極まり候」とて共に泣き悲しみけるが、斯くてもあるべき事ならねば野辺の送りを営み、この上はとて、家財を売り払い家を仕舞い、丹二郎は西国へ志し、又八は妻のお六を木曾の山家(やまが)の縁(ゆかり)ある所へ預け置き、その身は東国へ下りけり。

 

 

4

大のしんはけらい

岩八谷すけを

つれて出ほんし

まづきやうへ

のほりてはん年

ばかりかくれ

いける

かうがのやかたより

せんぎきひし

ければ京のすまい

なりがたくあづ

まへくだらんと

しのびのすがたに

いでたちかさふかく

とかぶりて大井川を

れんたいにてこへ

岩八谷助ははるか

しもをかちわたり

したりけりこゝに

又かまど又八は東

こくにくだりおゝしう

のはてまでいたり

こゝろをつくしみを

くるしめてたづね

けれどもかたきの

ゆくへふつにしれ

さればせんほうつき

 

まつ丹二郎があとを

おひ上かたよりさいこく

へんをたづねみばや

と東かいどうを上り

これもれんだいにて大井

川をこへ大のしんが

れんだいとはるかに

へだちたがひにふかき

かさのうちよりかへり

みてどふやらにたやうなとおもふうち

そうほうへゆきすぎ

ければうたがひつゝも又八は

ぜひなくむかふのきしに

つきあとへとつてかへし

せんぎせんかと思ひけるが

ほどなく日もくれ川も

とまりければこゝろならずも

そのよじゃかなやのしゆくに

とまりぬ

「京伝店」きれぢあぶらかみ たばこわれきせる

はながみふくろるい此せつ

しんたくにつきべつしてふう

りうの雅品おほくはつこう仕候

京伝筆自画さん扇子あり

雪香扇となつくふうりう也

(右頁セリフ)

「はて どう やら にた よう な

(左頁セリフ)

「はて どう か みた やうな やつた

 

(読み下し)

大之進は家来岩八、谷助を連れて出奔し、先ず京へ上りて半年ばかり隠れけるが、甲賀の館より詮議厳しければ、京の住まい成り難く、東(あずま)へ下らんと忍び姿に出立ち、笠深々と被りて大井川を蓮台にて越え、岩八、谷助は遥か下(しも)を徒渡りしたりけり。ここに又鎌戸又八は東国に下り奥州の果て迄至り、心を尽し身を苦しめて尋ねけれども、仇の行方臨(ふつ)に知れざれば詮方(せんほう)尽き、先ず丹二郎が後を追い、上方より西国辺を尋ねみばやと東海道を上り、これも蓮台にて大井川を越え、大之進が蓮台と遥かに隔ち、互いに深き笠の内より顧みて、「どうやら似たような」と思う内、双方へ行き過ぎければ、疑いつつも又八は是非なく向こうの岸に着き、後へ取って返し詮議をせんかと思ひかけるが、程なく日も暮れ川も止まりければ、心ならずもその夜は金谷の宿に泊りぬ。

「京伝店」裂地(切れ痔)油紙、煙草、割れ煙管、鼻紙、袋類、この節新宅につき別して風流の雅品多く発行仕り候。京伝自画賛扇子あり。雪香扇と名付く風流也。

(右頁セリフ)

「はて、どうやら似た様な

(左頁セリフ)

「はて、どうか見た様な奴だ

 

 

5

こゝにまたたん二郎はさいこく

へんをのこりなくたつねけれ

どもかたきのゆくへしれず

ふとひとのかたるをきけば

しばらくきやうとにかくれ

いたるがやかたのせんぎきひし

きをおそれあづまへ

くだりしとかたるをきゝ

とびたつおもひしてとう

かいどうをおひかけくだり

けるが大のしんはたぶんひる

しゅくして夜あゆみける

ゆへみちにて丹二郎一日ぢ

さきになりしまだのしゆく

まできたりけるが長のたびの

つかれにやいぜんのびやうきの

さいほつにやきぶんあしくて

ほかうなりがたくしまだの

しゆくのはたこやに一日とうりう

していしやをやとひくすりを

もちひてほやうし

けるかたん二郎が

うんめいのつきる

ときいたっるにや

そのよ大のしんしう/\゛

おなしはたごやに

とまりあはせとなり

さしきにたん二郎

やまひにくるしみ

いるを見つけ

きやつさだめて

われ/\をたつ

ぬるたびなるべし

かへりうちのじせつ

とうらいてんのあたへと

よろこびしんやに三人

いひあはせたん二郎が

ざしきへきりこみ

 

ければたん二郎びやうくを

しのびてぬきあはせ

けれどもやまひくるしき

さいちうなれば

ふかでをおひ

あたりちかい

かはらまておひ

ゆきてたゝかひけるが

ついにそこに

たふれけるにぞ

三人はしすまし

たりとよろこび

うろたへてとゞめも

さゝずにもどりして

たん二郎がろぎんを

うばひとりいづくともなく

にげうせけり

◯又八かなやのしゆくにとまり

よもすからおもふにどうしても

ひるのりよじんは大のしんに

まぎれなしとよのめもあはず

みめい川のあくをまちて

いそぎわたりけるにむかふの

かはらにてさくやわかしゆの

さふらひころされしとて

そうどうのさいちう也

やうすをきけばたん二郎に

うたがひなし又八大におとろきいそぎまとひて

かしこにいたりみればはたして

たん二郎なりいまだすこしの

いきあり又八をみてなみだを

ながし大のしんしう/\゛

三人にてわれをだまし

うちにしたりとばかり

いひてそのまゝいきたへて しゝぬ

(右頁セリフ)

「をりあしく

やまひに

くるしみ

かへりうちに

あふとは

よく/\

ぶうんに

つきたか

くちおしや

ざんやん や

「はやく

くたばれ

「うぬさへぶつ

ちめれはもふ

あとにかたきと

ねらふ

やつは一人も

ない

これから

まくらを

たかく ねる のだ

 

(読み下し)

ここに又丹二郎は西国辺を残り無く尋ねけれども仇の行方知れず。すと人の語るを聞けば、暫く京都に隠れ居たるが館の詮議厳しきを恐れ、東へ下りしと語るを聞き、飛び立つ思いして東海道を追いかけ下りけるが、大之進は多分昼宿して、夜歩みける故、道にて丹二郎一日時先になり、島田の宿まで来たりけるが、長の旅の疲れにや、以前の病気の再発(さいほつ)にや、気分悪しくて歩行なり難く、島田の宿の旅籠屋に一日逗留して、医者を雇い薬を用いて保養しけるが、丹二郎が運命の尽きる時至れるにや。その夜、大之進主従、同じ旅籠屋に隣り合わせと成り、座敷に丹二郎、病に苦しみ居るを見付け「彼奴(きゃつ)定めて我々を尋ぬる旅なるべし。返り討ちの時節到来、天の与え」と喜び、深夜に三人言い合わせ丹二郎が座敷へ斬り込みければ、丹二郎病苦を忍びて抜き合わせけれども病苦しき最中なれば深手を負い、辺り近き河原まで追い行きて戦いけるが、遂にそこに倒れけるにぞ。三人はしすましたりと喜びうろたえて、止めも刺さずに戻りして、丹二郎が路銀を奪い取り、何処(いずく)ともなく逃げ失せけり。

◯又八は金谷の宿に泊り、夜もすがら思うに、どうしても昼の旅人(りょじん)は大之進に紛れ無しと、夜(よ)の目も合わず、未明、川の明くを待ちて急ぎ渡りけるに、向こうの河原にて昨夜若衆の侍殺されしとて騒動の最中也。様子を聞けば丹二郎に疑い無し。又八大いに驚き急ぎ惑いて彼処(かしこ)に至り、見れば果たして丹二郎なり。未だ少しの息有り、又八を見て涙を流し「大之進の主従三人にて我を騙し討ちにしたり」とばかり言いて、そのまま息絶えて死しぬ。

(右頁セリフ)

「折悪しく病に苦しみ返り討ちに合うとは、よくよく武運尽きたか、口惜しや、残念や

「早くくたばれ

「うぬさえぶっちめれば、もう後に仇と狙う奴は一人も無い。これから枕を高く寝るのだ。

 

 

6

「すひやくの

おゝかみ

あつまり

きたる

「又八ぜんごくかくになげき

よもとほくはゆくまじ

さだめて下りににげゆき

たらんといだてんはしりに

おひゆき七八里おひかけけるが

はや行がたしれざれはせんかた

なくたちもどりたん二郎が

なきからをあたりの寺にほうむり

いづれにもとうごくへにげくだりたらんと

あとをおひつゝいそぎにしから山を

こゆるときぐとおゝかみのまじはるをみて

ふもとにくたりめづらしきことをみたりとて

かたりければさと人どもきもをつぶし

およそおゝかみのまぐはるをみたるものは

いかなるところにかくるゝともよくしり

あまたのともをつれきたりてそのもとを

くひころすなりむらのものゝなんきに

なれははやくこゝをたちさりたまへとて

日くれたれどもやどをかすものなし

又八おもふはさと人のいふことしじ

がたしといへどももはや御主人がたの

かたきをうつもの此ひろいせかいに

われより外は一人もなしおもへば

此みたいせつなればすこしも

あやうきにちかづきがたしされども

いづくにかくれてもたづねきたると

いへはせんかたなしもしさもあらば

うでのつゞくたけはいち/\きり

 

つくすべしとあしばよきところを

たずねしゆくすへのぢぞうつかに

のほり大はたぬぎ目くぎをしめして

まちいたりさてよもしん/\とふけ

わたるころはるかなる山のかたに

おゝかみのほゆるこへ

すさまじくきこへ

さてこそと思ふに

そのこへだん/\に

ちかつき

すひやく

のおゝ

かみよりきたりすてに

又八を

みつけ●

  • くひ

ころさん

とす

又八かた

なを

ぬき

おゝかみ

つかのうへに

のぼるとは

きり/\して

のこらず

きりころし

けるときには

ほの/\゛とあけ

いたりそこらを

みれはおゝかみの

山をなしちは

ながれていづみの

ごとし又八は

さきをいそけは

ゆうよせす

すぐにたち

さりける

あとにて

さとひと

みつけ

これは

てんぐのわさ

ならんと

おそれける

とぞ

 

(読み下し)

「数百の狼集り来たる

「又八前後不覚に嘆き、よも遠くは行くまじ、定めて下りに逃げ行きたらんと韋駄天走りに追い行き、七、八里追い掛けけるが、早行き方知れざれば詮方無く立ち戻り、丹二郎が亡骸を辺りの寺に葬り、何れにも東国へ逃げ下りたらんと後を追いつつ急ぎ、西から山を越ゆる時ふと狼の交わるを見て、麓に下り、珍しき事を見たりとて語りければ、里人ども肝を潰し、凡そ狼のまぐわるを見たる者は如何なる所に隠るゝとも良く知り、数多の供を連れ来たりてその者を食い殺すなり。村の者の難義に

なれば早くここを立ち去り給えとて、日暮れたれども宿を貸す者無し。又八思ふは里人の言う事信じ難しと謂えども、最早御主人方の仇を討つ者この広い世界に我より他は一人も無し。思えばこの身大切なれば少しも危うきに近付き難し。されども何処に隠れても尋ね来たると言えば詮方無し。もし、さもあらば、腕の続くだけはいちいち切り尽くすべしと、足場良き所を尋ねし行く末の地蔵塚に上(のぼ)り大肌脱ぎ目釘を示して待ち居たり。さて夜もしんしんと更け渡る頃、遥かなる山の方に狼の吠ゆる越えすさまじく聞こえ、さてこそ、と思ふに、その声だんだんに近付き、数百の狼寄り来たり。既に又八を見付け、食い殺さんとす。又八刀を抜き、狼塚の上に上るとは切りりして残らず斬り殺しける時にはほのぼのと明け渡り、そこらを見れば狼の山を為し、血は流れて泉の如し。又八は先を急げば猶予せず、すぐに立ち去りける。あとにて里人見付け、これは天狗の業ならん、と恐れけるとぞ。

 

 

7

又八はそれより

むさしのくにゝ

いたりあさくさでらの

くわんおんにまうてなに

とぞ主人

大ぜいの

かたき大のしんに

めぐりあはせ

たまへもし又

ほんもうとげ

られずば

たゞいまはら

かききつてしにいべし(いくべし?)と

こゝろにちかひ

おやtyびを

もつて

はしらを

おしければ

三寸ばかり

くほみぬ

さては

ねがひ

かなふ

しるしと

たのもしく

おもひぬ

(下)

「今にかまど又八がゆびのあととてくはんおんだうに

のこれるはこれなりとぞそのよつやしけるが

とろ/\まどろむゆめにわはんおんあらはれ給ひ

これよりきそにいたりふうふ一しよに

くらしじせつをまたばおのつから▲

▲かたきにめぐりあふべしとまさ

しきつげを

かうふり けり

「大ぐはんじやうじゆの

しるしかたじ けない

 

(読み下し)

又八はそれより武蔵国に至り浅草寺の観音に詣で、何卒主人大勢の仇大之進に巡り合わせ給え、もし又本望遂げられずば只今腹描き切って死にい(いく?)べし、と心に誓い親指を以て柱を押しければ三寸ばかり窪みぬ。さては願い叶う験(しるし)と頼もしく思いぬ。

「今に鎌戸又八が指の跡とて観音堂に残れるはこれなりとぞ。その夜通夜しけるが、とろとろまどろむ夢に観音現れ給い、これより木曾に至り夫婦一緒に暮らし時節を待たば自ずから仇に巡り合うべし、と正しき告げを被りけり。

「大願成就の験忝い

 

(左頁)

かくて又八はきそにいたりお六に

あいてしか/\のことを

かたりなかたいら村と

いふ所にすみかを

もとめ又八は馬を

おひてゆききの

たび人に気を

つけてお六はき

ようなる

ものにて

きその山中

にてみねばりと

いふ木をとつて

すきぐしをひく

ことをしおぼへて

これをひくによくかみの

あかをさりはさきやはらか

にしてかみのけきれずはなはだ

べんりなりとてはやりいだし

ゆききのりよじんきゝつたへて

おほくこれをもとめついにとう

しよの名物となりぬきその

お六ぐしとていまにおいておこなはるゝ

○もとお六此くしをひくにかまくらつるがおかの

ほうもつまさごごぜんの十二のてばこのうちなる

らでんのくしのかたちをまねびて

ひきはしめけるとぞ

「どうぞ

はやく

かたきにめぐり

あひたいものじや

「あまり

きな/\

おもふて

わづろうて

くださんすな

 

(読み下し)

斯くて又八木曾に至り、お六に会いてしかじかの事を語り、中平村という所に住処を求め、又八は馬を追いて往来(ゆきき)の旅人に気を付け、お六は器用なる者にて木曾の山中にて「みねばり」という木を取って、梳き櫛を挽く事をし覚えてこれを挽くに、よく髪の垢を去り、刃先柔らかにして髪の毛切れず、甚だ便利なりとて流行り出だし、往来の旅人聞き伝えて多くこれを求め、遂に当所の名物となりぬ。木曾のお六櫛とて今に於いて行わるる。

○元お六櫛を挽くに、鎌倉鶴ヶ岡の宝物、真砂御前の十二の手箱の内なる螺鈿の櫛の形を真似びて挽き始めけるとぞ。

「どうぞ早く仇に巡り合いたいものじや

「あまりキナキナ思うて患うて下さんすな

 

 

8

又八お六ふうふともかせぎにしてへんしもかたきのことを

わすれずしばらく月日をおくりけるにおにかみをあざむく

大力の又八なれともふとしやうかんをわづらひほんぶくは

したれどもちからぬけて馬を押ふことさへならずかくては

あすが日かたきにめぐりあふともほんいはたつしがたしと

お六がなげきおゝかたならず又八もこはいかなるいんぐはぞと

かなしみけるにあるよのゆめにあさくさでらの

くはんおんあらはれたまひこまがたけのふもとに

いわあなあり其所をほれば石そうめんといふ

ものありそれをしよくせばもとのごとくちから

いづべしとつげたまふによりありがたく

又八さつそくかしこにいたりこゝかしこを

たづぬるにとあるいわのあいだにひかり

はつしければこゝならめとおもひ

くはをもつておくふかくほりけるに

あらあやしやあなのおくより

かみはおどろをみだし身ひは

かれくさをまとひてかほあかつき

やせおとろへたる異人右のてに

一つのどくろをもち

ひだりのてに

しろきくさの

やうなる物を

もちてあら

はれいでぬ又八

こは山おとこなど

いふものにやとあやし

 

むにかのいしん又八を

つら/\見てなんちは

きぬかさけき左衛門

とのゝわかとうかまと

又八にはあらすや

見わすれたるもこと

はりなりわれこそつるみ

たもんがようし 孝太郎

なるはわれせんねん父と

ともにとうざんにいたり

うしじま大のしんがため

に父をうたれわれもふかで

すかしよおひて此山上

のいわあなにすて

られいsがあなの

うちにはくはつの

ろうおかあら

はれてわがてきづ

をれうじ給ひ

おしへによりて此

あなの内の石

そうめんといふものを

しよくしてこれまでいき

なからへぬ

あなのうちにひかる

いしありてくらき事

なかりしなりいまはいつれの時ぞとたづぬ

(右頁セリフ)

「さては 孝太郎

さまでござり

ましたか

わたくしはかまど

又八で

ござり ます

(左頁セリフ)

「この

どくろ

はちゝ

たもんが

ゆい ごつ じや

これを ほう むり

つい ふくを

いとなみ くれ よ

 

(読み下し)

又八お六夫婦とも稼ぎにして片時も仇の事を忘れず暫く月日を送りけるに、鬼神(おにかみ)を欺く大力の又八なれども、ふと傷寒を患い、本復はしたれども力抜けて馬を追う事さえならず、斯くては明日が日、仇に巡り合うとも本意は達し難しと悲しみけるに、或夜の夢に浅草寺の観音現れ給い、「駒ケ岳の麓に岩穴あり、そこを掘れば石素麺という物あり。それを食せば元の如く力出(いず)べし」と告げ給うにより、有り難く又八早速彼処(かしこ)に至り、此所彼処を尋ぬるに、と或る岩の間に光発しければ、ここならめ、と思い鍬を以て奥深く掘りけるに、あら怪しや、穴の奥より、髪はおどろに乱し身には枯れ草を纏いて顔赤付き痩せ衰えたる異人、右の手に一つの髑髏を持ち、左の手に白き草の様なる物を持ちて現れ出でぬ。又八、こは山男等言う者にや、と怪しむに、彼の異人、又八をつらつら見て、汝は衣笠外記左衛門殿の若党鎌戸又八にはあらずや、見忘れたるも理なり、我こそ鶴見多聞が養子 孝太郎なるは、我先年父とともに当山に至り牛嶋大之進が為に父を討たれ我も深手数ヶ所負いて、この山上の岩穴に捨てられしが、穴の内に白髪の老翁現れて、我が手傷を療治給い、教えによりて石素麺という物を食してこれまで生き長らえぬ。穴の内に光る石有りて暗き事無かりし、今は何れの時ぞ、と尋ねける。

(右頁セリフ)

「さては 孝太郎様でござりましたか、わたくし鎌戸又八でござります

(左頁セリフ)

「この髑髏は父多聞が遺骨(ゆいごつ)じゃ。これを葬り追福を営みくれよ

 

 

9

又八大におどろきさては 孝太郎

さまにて候か今は建長五年十二月にて

おんみあなにすてられたま ひし

ときよりかそふればはや

十ねんのせいさうをふり

ぬといへば 孝太郎もおど

ろきわれはきのふけふの

やうにおもひしがはや

十年たちけるか此ごろ

又あなのうちにかの

老おうあらはれこの

所までみちびき給ひ

こゝにまたばとをからず

せかいにいづることあるへしと

つげたまひしがはたしてなんぢ

ためにこゝにいでたり此どくろはすなはち

父多聞がゆいこつなりといふにぞ又八きいの

おもひをなしいわ切丸のふんじつげき左衛門の

せつおぷくひさかたゆきのがひごうの死ろうほかた田が

じがい丹二郎がかへりうちにあひたることそのみ

やまひにてちからぬけあさくさくわんおんの

つげにて石そうめんをえんために此ところを

ほりしとかたり大のしんは大ぜいのあたなりと

かたればあるひはおどろきあるひはかなしみ

しばしあきれていたりけるがさては

われふしぎにいのちながらへしもみな

くわんおんのおうごにてかのろうおうは

 

ほとけのけしんなることうたがひ

なしあらありかたやとうとやとて

はだのまもりふくろにいれたる

一寸八分のくはのんをいだいsて

はいし石ぞうめんといふは

すなはちこれなりとて

てにもちたるをあたへ

ければ又八おしいたゞき

これをろふにあぢはひ

かんみにてたちまち

しん/\すくやかに

なります/\

ほとけのりやくを

たふとみぬかゝる

ところにかりうとに

おはれしにやておひくま

二ひきいかりをなして

かけきたり両人を目がけて

とびかゝらんとするを又八よき

ちからためしとおもひつく

まづ一ひきをそつかにかけて

ふみころし一ひきをいわに

なけつけてうちころしければ

 孝太郎大によろこびうち

つれて又八がすみかにいたりぬ

(右頁セリフ)

「又八

でかした

それでは もふ

大じやう ぶた

(左頁セリフ)

「くわんおんのおかげ

ありかたいもとのとをりに

ちからができました

「くまふんだり。

くまふまず。

くまふまなん

たり。

くまふみ

くまふまず

でござり 

ます

 

(読み下し)

又八大いに驚き、さては 孝太郎様にて候か、今は建長五年十二月にて御身穴に捨てられ給いし時より数うれば早十年の星霜を降りぬ、と言えば 孝太郎も驚き、我は昨日今日の様に思いしが早十年経ちけるか、この頃又穴の内に彼の老翁現れ、この所まで導き給い、ここに待たば遠からず世界に出る事あるべしと、告げ給いしが、果たして汝為にここに出でたり。この髑髏は則ち父多聞が遺骨(ゆいごつ)なり、と言うにぞ。又八奇異の思いを為し、岩切丸紛失、外記左衛門の切腹、久方・ゆきのが非業の死、老母片田(ママ)が自害、丹二郎が返り討ちに合いたること、その身病にて力抜け浅草観音の告げにて石素麺を得ん為にこの所を掘りしと語り、大之進は大勢の仇なりと語れば、或は驚き或は悲しみ、暫し呆れて居たりけるが、さては我不思議に命長らえしも皆観音の応護にて、彼の老翁は仏の化身なること疑い無し、あら有り難や尊やとて、肌の守り袋に入れたる一寸八分の観音を出だして拝し、石素麺(ぞうめん)と言うは則ちこれなりとて、手に持ちたるを与えければ、又八押し頂きこれを食らうに、味わい甘味にて忽ち心身健やかになります、なります。仏の利益を尊みぬ。かかる所に狩人に追われしにや、手負いの羆二匹怒りを為して駆け来り。両人を目がけて飛び掛からんとするを、又八良き力試しと思いつく。先ず一匹を足下に掛けて踏み殺し、一匹を岩に投げつけて打ち殺しければ、 孝太郎大いに喜び、打ち連れて又八が棲家に至りぬ。

(右頁セリフ)

「又八でかした、それではもう大丈夫だ

(左頁セリフ)

「観音のお影有り難い、元の通りに力が出来ました

「熊踏んだり。熊踏まず。熊踏まなんだり。熊踏み熊踏まずでござります

 

 

10

又八はもとのごとく

大りきとなりし

をよろこびお

六は 孝太郎が

ふしぎにがん

くつよりいで

たるをよろ

こびゆあみ

させひげを

そえいかみとり

あげていふくを

きせければ

いさましきわかものとなり見

ちがへるばかりなり

此うへはへんしも

はやく大のしんが

ゆくへをたづね大ぜい

のあだをむくふ

べしとそれのみ

こゝろをつくしぬ

こゝにまた

大のしん

しゆう/\゛

三人は

せんねん

丹二郎

 

をかへりうちにしてすぐに

さいこくににけゆきはや

六ねんの月日をおくり

けるがもはやきづかひ

なしと

こゝろ

ゆるみ

けんじゆつ

をいひたて

にしてとうごく

もちづきの

やかたにかゝへられなめ川

岩八かけはし谷助

をはじめ大ぜいとも人

をつれざゞめきわたりて

とうごくへくだり

けるが又八はやく

此ことときゝ出し

 孝太郎に

つげうどん

げのなは

まち

えたる

こゝち

して

お六もともに▲

▲しう/\゛三人

かい/\゛しくいでたち

くつかけむらにて

まちうけそうほう

すでにたゝかひけるが

 孝太郎ついに大のしんを

大げさにぶちはなして

くびをかく又八は■

■岩八谷助をとらへてひやしぎの

ごとくうちあはせけれは両人目くち

はなゟちをはきて

死しにけり●

  • 「お六はのこるものどもを

きりちらして

三人かほ見

あはせ

よろこぶこと

かぎりなし

(右頁セリフ)

「をんなに

まけて

七ふぐりと▲

▲いはるゝとも

かなはぬ /\

にげろ /\

「あゝ ごめん /\

「このとき大のしんかた なをいわにきり

つけたるにいはをは すにきりおとし

ければこれまさ しくふんじつのいは

きり丸にうたがひ

なしと 孝太郎これ

をとり

てます /\

よろ こびぬ

(上)

「ひ きゃう

もの

かへせ/\

「うち

もの

わざは

どうだ

いつそ

ふたりの

あたまを

ひやうし

ぎに

うつて

やろう

(下)

「とふ ぞ 命 ば かり は お た すけ/\

(左頁セリフ)

「大あく人め

おもひ

しつたか

 

(読み下し)

又八は元の如く大力となりしを喜び、お六は 孝太郎が不思議に岩窟より出でたるを喜び、湯浴みさせ髭を剃り、髪を取り上げて衣服を着せければ、勇ましき若者となり見違えるばかりなり。この上は片時も早く大之進が行方を尋ね大勢の仇を報うべしと、それのみに心を尽しぬ。ここに又、大之進主従三人は、先年丹二郎を返り討ちにしてすぐに西国に逃げ行き、早六年の月日を送りけるが、最早気遣い無しと心を緩み、剣術を言い立てにして東国望月の館に抱えられ滑川岩八、梯谷助を始め大勢供人を連れ、ざざめき渡りて東国へ下りけるが、又八早くこの事を聞き出し孝太郎に告げ、優曇華の花待ち得たる心地して、お六も主従三人甲斐甲斐しく出で立ち、沓掛村にて待ち受け、双方既に戦いけるが、 孝太郎遂に大之進を大袈裟にぶちはなして首を掻く。又八は岩八、谷助を捕らえて拍子木の如く打ち合わせければ、両人、目口鼻より血を吐きて死しにけり。

「お六は残る者共を斬り散らして三人顔を見合わせ、喜ぶこと限りなし。

(右頁セリフ)

「女に負けて七ふぐりと言わるるとも敵わぬ敵わぬ逃げろ逃げろ

「ああ御免御免

「この時大之進、刀を岩に斬り付けたるに、岩を斜(はす)に切り落としければ、これ正(まさ)しく紛失の岩切丸に疑い無しと、 孝太郎これを取りて益々喜びぬ

(上)

「卑怯者、返せ返せ

「打ち物技は面倒だ、いっそ二人の頭を拍子木に打ってやろう

(下)

「どうぞ命ばかりはお助けお助け

(左頁セリフ)

「大悪人め思い知ったか

 

 

11

かくてもち月のやかたより小早川森内といふ人かたきうちてんけんの

ためきたりければ 孝太郎又八かはる/\これまでいさいの

ことをかたりけるがかの人つるみ多聞がようしと

きゝて大におどろきわれせんねんゆへありてらう/\の

身ろなりひんきうにせまりて母をよういくの

ためぜひなく一子を石山寺の門ぜんに

すてしがのち/\きけば甲賀三郎どのゝ

かしんつるみ多聞といふ人にひろはれしと

きゝしが其のちはいかゞなり行しや

しらざりしにさてはそなたは

わがじつ子にうたがひなし

しやうこははだのまもりに

あさくさくはんをんのうつし

一寸八分の銅仏ありし

はづ也おぼへあるべし

大おんをうけたる

ようふぼのあたを

むくひしはぶしの

みやうがに叶ひし

ところぞと

よろこべは 孝

太郎さては実父にて

おはすかとてともに

よろこふことかぎりなし

森内又いはく又八ふうふに

あはするものありとてとも人を

はしらせければほどなくこしもと

 

両人つきそひたる女のり物を

かききたりてすへければ森内

いはく又八ふうふわれを見

わすれ候かわれはせんねん

おんみのむすめを金廿両

にてまうしうけたるたびの

さむらひなるはとてのり

ものゝとをあくれば十四五才のうつくしきむすめ花の

ごとくによそほひ立

いで又八お六がてを

とりわたくしはじつの

むすめ小松にて

候といへば又八ふうふは

ゆめのごとくたへて

久しきおやこのたいめん

によろこびなみだにむ

せびけり森内又いはく

われはいまはかとくのなんしも

あれば此むすめを 孝太郎

ためあはすべしわれおや

もととなりてつかはすべしと

いふにぞ又八ふうふます/\

よろこびぬかくて 孝太郎

いはきりまるをかうがの

やかたへさし上かたきうちの

しゝうをつぶさに申あげければ▲

▲かねくにかう

大にかんじ

たまひ 孝太郎を

めしかへされ五百こくの

ほんちにかぞうを

たまはりきぬがさのいへは

又八ふうふをとりたてゝ

つがしめたまひぬ

(右頁セリフ)

(中)

森内いはく

「これみな

石山でら

あさくさでら

両くわんおんの

御りやくじや

ます/\

しん/\゛

おこたるな

(下)

「さてはじつの

ちゝうへて

おはする

「森内又八

ふうふに

むかひて

いはく

われせんねん

子をすてゝ

ときのくるし

さをおもひおんみら

ふうふ子を

うるといふ

なげきを

きくに

しのびず

むすめを

申うけて

これまで

そだて

もふ した

森内

「その

みほと

けが

しやう

こじや

小まつ

「ちゝうへ

はゝうへ

おなつ

かしう

(左頁へ)

ござります

「うぢより

そだちとは

よくいふた もの

さても

/\

うつくしう

おいたちしぞ

わが子 とは

おも われぬ

「およろ

こびは

ごもつ

とも

じや

 

(読み下し)

斯くて望月の館より小早川森内という人、敵討ち点検の為来りければ、 孝太郎、又八代わる代わるこれまで委細の事を語りけるが、彼の人鶴見多聞が養子と聞きて大いに驚き「我先年故有りて母を養育の為是非無く一子を石山寺の門前に捨てしが、後々聞けば甲賀三郎殿の家臣鶴見多聞という人に拾われしと聞きしが、その後はいかが成行きしや知らざりしに、さてはそなたは我が実子に疑い無し、証拠は肌の守りに浅草観音の写し一寸八分の銅仏有りし筈也、覚え有るべし、大恩を受けたる養父母の仇を報いしは武士の冥加に叶いし所ぞ、と喜べば 孝太郎、さては実父にておわすかとて、ともに喜ぶ事限りなし。森内又曰く、又八夫婦に会わする者有りとて、供人を走らせければ程なく腰元両人付添いたる女乗物を舁き来たりて据えければ、森内曰く、又八夫婦我を見忘れ候か、我は先年御身の娘を金二十両にて申し受けたる旅の侍なるわとて、乗物の戸を開くれば十四、五才の美しき娘花の如くに装い立出で、又八お六が手を取り、私は実の娘小松にて候と言えば、又八夫婦は夢の如く絶えて久しき親子の対面に喜び涙にむせびけり。森内又曰く、我今は家督の男子も有れば、この娘を 孝太郎に娶すべし、我親元となりて遣わすべしと言うにぞ。又八夫婦益々喜びぬ。斯くて 孝太郎、岩切丸を甲賀の館へ差上げ、敵討ちの始終を具に申し上げければ、兼国公大いに感じ給い 孝太郎を召還えされ五百石の本地に加増を賜り、衣笠の家は又八夫婦を取り立てて継がしめ給いぬ。

(右頁セリフ)

(中)

森内曰く

「これ皆石山寺浅草寺両観音の御利益じや、益々信心怠るな

(下)

「さては実の父上でおわする

「森内 又八夫婦に向かいて曰く、我先年子を捨てて時の苦しさを思い御身等夫婦子を売るという嘆きを聞くに忍びず、娘を申し受けてこれまで育て申した。

森内

「その御仏が証拠じゃ

小松

「父上、母上、お懐かしゅう

(左頁へ)

ござります

「氏より育ちとはよく言うた物、さてもさても美しゅう生い立ちしぞ、我が子とは思われぬ

「お喜びは御尤じゃ

 

 

12

そのころほうでう

ときより入道あんぎや

のせつにて又八お六が

ことをきこしめされひるい

なきものなりとかんじ

たまひあまたほう

びをたまはりければ

かうが三郎かねくに

公もかれにきぬがさ

のいへをつがしめ

ほんちにかぞう

をたまはり

ければにはかに

ふうきの身と

なりぬこれみな

ちうぎていせつの

くどくなりときく人

かんぜざるはなかりけり

めでたし/\

 

「読書丸(どくしよがん)」一つゝみ  売弘所

壱匁五分  京伝店

きこんをつよくしものおぼへを

よくす心腎のきよそんきのかたぶら/\わづらひによし

つねに身をうごかさずこゝろばかりつかひてしんろうおほき人

ろうにやくなんによにかぎらずもちひてよしすべて生れつき

よはき人はかならずもちゆべししよかんのせうはべつして

もちゆべしえんねん長じゆのみやうざいなり

 

 豊国画「山東京伝作」

「ごしゆじんの

いへをつぐとは

めうがなひ

ことじや

「この やう な

めで たい

ことは

ござり 

ません

 

(読み下し)

その頃北條時頼入道行脚の節にて、又八お六が事を聞こし召され、比類なき者なりと感じ給い数多褒美を賜りければ、甲賀三郎兼国公も彼に衣笠の家を継がしめ本地に加増を賜りければ俄に富貴の身となりぬ。これ皆忠義貞節の功徳なりと、聞く人感ぜざるは無かりけり。めでたし、めでたし。

 

「読書丸」一包み一匁五分 売弘所(うりひろめどころ)京伝店

気根を強くし、物覚えを良くす。心腎の虚損、気の方ぶらぶら患いに良し。常に身を動かさず心ばかり使いて心労多き人、老若男女に限らず用いて良し。全て生まれつき弱き人は必ず用ゆべし。暑寒の節は別して用ゆべし。延年長寿の妙剤なり。

 

 

 

初めのカタルシスが事件とは直接関係のない女と赤ん坊に依っているのと、肝心の仇討ちが大之進暴挙の微に入り細に入る描写に比べあっさりとした報告に過ぎないのとが気に食わなかったですオワリ。