仮想空間

趣味の変体仮名

火水風災雑輯(一)71~74コマ

 

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2592140?tocOpened=1

 

 

71

大阪大地震津浪記 難波本清板

嘉永七甲寅年十一月四日朝五つ半刻大地震同五日七つ半刻ゟ夜

五つ半時迄大地しん津波にて安治川木津川辺につなぎおき

たる所の親舩大津波にて一同に道頓堀の川へおし入日吉ばし

汐見ばし幸橋住吉ばしを押やぶり大黒橋にてとまる川中は

大舩にて十文字たて横におし破りかさなり合候ゆへ濱川蔵

屋しき町家土蔵納屋こと/\゛く舩さきにて押やぶり小舟

茶舟抔は大舩におしつぶされ道どん堀大こく橋迄え舩入こみ

候事は実に前代未もんの大さうどうに有之候

一大坂地震にてくづれ候場所は左之通せんば辺は座摩の社内鳥居

ならびに門たをれ北久太郎町其地大くづれ塩町佐の屋ばし角

堺死人けがにん其数しれず南本願寺御堂は北西へそんじ御堂

の社井戸くづれじゆんけい町辺其地大くづれにて出火いたし程なく

しつまり長堀へん板屋はし北詰大くづれ阿波座さつま堀へん

願教寺たいめん所つぶれ永代橋京町堀へん三四軒やける天満

の社内うら門近辺池田町ひがし天満へんはくつれば所数しれ

す中のしま辺常あん橋角大にくづれ西横ほりへん新町遊女

屋の所大くづれ堀江へん四つはし御池通り土佐横御やしきの場

くつれあみたが池の辺大にくづるゝ安治川九條へん南は永町辺

幸町ノ辺栄ばしへん西づめ大くつれなんば新地しん川辺また

あんやう寺の鐘つきとうつふれ住よしの石とうろう残らすたをれる

その外末社くづるゝ上町へんのばく上本町へん玉つくり辺御祓筋

くづれ二けん茶屋へん上町清水ぶたいつふれて天王寺近へん此

外市中くづれ場所数しれす

摂州尼ヶ崎の御城はそん御城下五十軒程つぶれ西ノ宮兵庫なだ

三ヶ所大坂同様南海紀州熊の浦ゟしま遠江なた伊豆大浦迄

凡百五里余の海がんの人家津波にて大半流出致候猶追々

諸国の場處出板仕候

(下段)

 諸国大地震大津浪場処書上之覚

嘉永七甲寅年十一月四日五つ時過大地震津波にて東海道の国々上方

すじ中山道信州岩村田残らずつぶれ其上出火小田井宿同断松代の御

城下同在々半つぶれ人馬けが人多く同松本の御城下在々右同断

此外少々のくるれ数しれず扨又甲府は大半つぶれ身延道中同断

同五日七つ半朝上方すし中国九州四国路大ちしん大津波広大にして

凡其数四十六ヶ国のさうどう此外少々のそんじは数しれず里数は肥前

長崎ゟ江戸迄三百五十里又伊豆下田ゟ九州迄大津波の場所しらず

先江戸は御屋敷町方近在の村々関八州共少々づゝのそんしは扨置東

海道は小田原御城下辺分だんつよく箱根御関所大にそんじ同宿

門半つぶれ夫ゟ伊豆みしま明神社つぶれ神前ゟ東の方へやける其

近辺大にそんじ又石山くづれて人馬けが多し下田の湊八分通りつなみ

にて流失致候大浦白浜柳さき沼津御城下町在共大半つふれ又

うらては川つなみ原宿少々吉原宿半つぶれ出火大宮つぶれふじ川

向岩ぶち半つぶれ出火けがにん多し蒲原宿半つぶれ問屋場ゟ上の方へやける

由井興津少々江尻宿八分通り潰れ又清水湊つぶれ出火残らず流出三保

町同断府中御城町々過半潰れ横田ゟ制札場迄焼る阿部川立場本陣

初め六軒潰れ川津波鞠子宿少々つぶれ岡部宿半潰れ藤枝四分通

潰れ六分やける嶋田宿少々大井川大水金谷宿半潰れ地われとろを

吹出す鈴鹿山大損じ小夜中山夜なき石飴餅や不残潰れ日坂は少々

掛川御城そんじ町々潰れ出火けが人有原川合の宿潰れ袋井残らず

潰れ焼死けが人あまた見付宿大に損同所臺の下人家不残つぶれる

天龍川近辺中いつみ御陣屋川ばた池田村不残つぶれ同相良辺大に損じ

横須賀御城町在共半つぶれ怪が人多し濱松御城大にそんじ御城下

三十軒程つぶれ舞坂扁大半流失荒井半潰れ渡舩流れ御関

所潰れ門の程斗り残る大つなみ白すか二タ川三分通り損吉田御城下大に

そんじ吉田橋そんじ岡崎御城下少々損矢作の橋東の方橋杭落込東

西地割れる鳴海宿大にそんじ申候  浪花本清板

 

 

72

 大地震津波場所書上之覚

一大坂ゟ四国路中国筋九州の扁は四日五日ゟ八日迄五日の間日々しん

どう相やみ不申候又尾州宮宿内大そんじ濱手廿三軒つふれ

御役所つぶれ亀崎半田大津浪つしま名古屋清須のへん

少々のそんじは数しれず伊勢桑名御城御城下共大にそんじ

長しま辺四ヶ市つぶれ家多し亀山御城そんじ町家大にくづ

るゝ神戸白子のへん少々津の御城町々共大にそんじ濱手大津

浪山田の町は家蔵大にそんじ忝くも両御宮は御別条なし

田丸御城下八平山越大にくづれ往来とまる紀州田辺御城

下へん新宮御城下辺熊野へん惣名九十九浦黒江日方藤代

大津浪にてゆかゟ三尺斗り汐上る同廣浦七分とふり流失いたし候

又河原箕しま由良の湊流失いたし大崎有田日野加太日高

大にそんじ泉州岸和田大そんじ堺の町は大坂同様に

大そんじ摂州高つき御城下辺八幡山崎辺淀の御城下伏見町々

京都洛中洛外山城大和河内少々のくづれは其数しれず

一越前福井の御城下大にそんじ同つる賀辺丹波亀山同その部辺

四国路一円阿州徳しま御城下大にそんじ其上出火五百羅かん辺大に

そんじ土佐国大つなみ淡路しま大津浪丸亀御城下へん高松御

城下大にそんじ豫州大地しん摂州三田御城下辺池田痛み播州

明石御城下大にそんじ姫ちへん赤穂へん備前田の口下村辺備中倉

鋪玉しま備後尾の道鞆福山御城下へん三原御城下へん安藝

廣しま宮しま周防長門豊前小倉御城下へん靏ざきへんつぶれ

家多し豊後国府内御城下四百軒程つぶれ同別府御代官所

弐百三十四軒つぶれ同靏崎熊本御領分大地震大つ浪日向

灘汐のさし引ふ時にて大海大に荒れる肥前肥後長さきつぶれ家

四百軒唐人屋敷おらんた屋敷大にそんず古今希なる事故こゝに記す

    浪花本清板

(下段)

頃は嘉永七甲とら年

十一月四日朝五つ時頃

伊豆をはしめ駿遠

武州甲州六ヶ国

大地しんにて甲州

甲府辺まで伊豆は下田

近辺家つぶれ山々大地われ

人馬数多そんしる其外赤沢

仁田あたみ辺大にそんしるなり

箱根山あれる三嶋は家つふれ明神

社より西へ五六軒東へ二丁やける

駿州はぬまづ御城下ゆりつぶれやける

はらよし原かん原ともつぶれ家

多し由井宿はやけるおきつは入

津なみにて人家多くそんじる

えじり宿つよく府中御城下大に

いたむ又田中御城下大にふるひ

やける相州小田原大いそ平

つかふじ沢辺かくべつのいたみ

もなくかまくら武州

さは辺大にそんじとつか程

がやかな川川崎辺江戸に

ても少々づゝのそんじ所

あまたにて昼夜何ヶ度

となく六日夜やう/\ゆり

止る古今までなる大地しん

ゆへ遠国の親るいへはやく

つけんが為こゝにしるす

 

 

73

つら/\往古ゟの年暦を考ふるにかゝる大氷のふれる

ためしを写す頃は嘉永五年子六月十八日上野国

橋は川越様御陣屋にて毎年祇園御祭礼は参

詣くんじゆなせり然るに其日八つ時頃俄に一天かき曇風

雨はげしく雷厳しき折から大氷ふる出し是又おひたゝし

其大さ五合枡のごとくにして立木をたをし或は家を破り

河原を砕き其有様いわんかたなく殊に祭礼の事なれは数万

の老若是をのがれんとして親をすて子をうしなひ或は是が為に

けがするもの少からず此時陣屋ゟ是をすくはんと御手

くばりあるといへ共中々人力に及ひがたくなをも氷のふることはげしく

して雷は所々にくだり向町橋林寺雷火にて類焼并十

五間町名主七右衛門類焼夫ゟ大氷大雷増/\さかんにして

前橋領高崎領御代官所都て(而)村数村数七十五ヶ村に及び中

にも上泉片貝村野中村長磯村上大嶋下大嶋駒形宿

後かん村両家村ぬ手嶋宿河内龍門村河内村

光寺村寺賀村横手村新堀村日高村小相木むら

此村々の内にては別而樹木をたをし家蔵田畑ともに

そんずることおびたゝしく猶又なんじうあるは後かん村両家村

小相木村右三ヶ村にして大氷に打れ鳥類の死したる

事其数をしらずかゝる大変の中にも無なんにてすみたる

村々もあり前橋ゟ東中通り米野溝呂木辺はしるし

ばかりにて夕六つ時氷風しづまり雷やみて諸人安堵の

思ひをなせり

(下段)

上野国大氷」

前ばし領高崎領其外御

代官地惣而七十五ヶ村ほど

わけて十四五ヶ村程はげ

しくじんば諸鳥共

おひたゝしく損す

雷所々におつる

氷の大さは

領家村ゟ上け

たるは凡五合入

枡のごとく

 

重サ四百九

十目ほど又

ごかん村ゟ上

たるは三百八

十匁なり と云

 

小相木村は

三百八十匁

又尺而御改に

相成候處

氷の深さ

日向か一尺

五寸日かげ

は二尺五寸 有也

 

▲印あれば(荒れ場)(図内略)

 

 

74

「實入秋豊雷城人一首(みのるあきほうらいはくにんいつしゆ)上」

てんぢてんのう 

秋の田のかり 

ほのために 

なるらいは わ

こゝろでも 

ついおそれつゝ

 

柿本人丸 

あしも 

てもなり 

だす音に 

したらなく 

なが/\し 

よをひかり 

とめなん

 

はる丸太夫 

おくさまは 

もみち 

さつきをよび あつめ 

声もたて 

ずにいるぞ 

かなしき

 

あべのなか丸 

あめのあし 

ふりだし 

みればがら/\と 

みたけあか 

ぎをいでし 

らいかな

 

小のゝの小まち 

かほのいろはあほ 

ざめにけり 

いたはしと 

わがみに くらべ 

ながめせしまに

 

さんぎたかむら

くものはら

やたらにかけて

おつこちぬと

ひとにも つげて

あとのつくろひ

 

 やうぜい院

つくばつて

これはあおちると

みなのかほ

こはさつのりて

ふりと

なりぬる

(二段目)

ぢとう天のう

はだかみで

なりくる

らいにうろ

たへて

子どもをかゝへ

あたまかく山

 

 山べのあか人

田のうろに

うちいでみれば

らいゆへに

米のたかねも

今さがり つゝ

 

 中なごん やかもち

かささして

わらじの

くせに雨

やどり

ひかりをまてば

よぞふけにけり

 

 きせんほうじ

わがいへは

みなその

あたり

しかもすむ

ようおちなんだと

人はいうなり

 

 せみ丸

このやねのいた みも

らいの こはれとは

しるもしらぬも

大あめの さた

 

 そうぜう へんじやう

あまつかみ

くものかよひぢ

ふみはづし

おとこも

すがたしばし

ちゞまん

 

 かはらの さだいじん

みちなりの

ひこのゆき

きもたへ /\に

ひかりも つよく

がら/\ なるに

 

「実入秋豊雷白人一首(みのるあきほうらいはくにんいつしゆ)下」

こう/\ てんのう

きみわるく

ねどこをいでゝ

かやをつり

わが子ども

らもなきは

やみつら

 

 ありはらのなり平

ひはやふる

かしとも

しらずかみなりの

がら/\

なるに水

かくるとは

 

 いせ

なにもかをみじ

かきかやを

つりまわし

あわてこの

子をすご

して

いよとや

 

 そせいほうし

ごろ/\といゝし

ばかりか

なかきよを

有明ごろも

おこし らい かな

 

 大えのちさと

おちたれば

りかきとこ

こそひゞき けれ

わがみひとりで

きくには

あらねど

 

 三條の右たいじん

なりだして

大あま やみも

せぬからは

しかもふられて

くる よつでかご

 

 源のむね行 あそん

山のてはふりぞ

さびしく

またもなる

ひかりも

つよくおちると

おもへば

(下段)

中なこん ゆきひら

たちついつ

いなかのいへに

みをひそめ

やみしと

きかばいま

かへりこん

 

 ふし原の とし行 あそん

すさまじく

ひかりも

つよくなる らいに

ゆめのこゝちで

ひとを よふらん

 

 元よししんのう

やみぬれど

今また

らいの

ならふかと

みなつく/\゛と

あきれたと

おもふ

 

 ぶんやのやすひで

なるからに

あとひきじやうご

しほ /\と

むりなる さけを

あびしといふらん

 

 かんけ

このらいは

あさになる

までなり

やます

またひかり しと

とこにまじ /\

 

 中なごん かね輔

みゝやはら

ひゞきならるゝ

いかづちのいつまで

なるかはてし

なからん

 

 じゆんとくいん

もゝとせのふるきに

のこる

はなしぞと

なをくもりたるそらを

ながめる