仮想空間

趣味の変体仮名

宝永千歳記 巻之壱(コマ3~25上段のみ)

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2554612?tocOpened=1

 

 

(上段を続けて読みます)

3

北野天満宮は菅丞相(かんしやうじやう)の御

垂迹(すいしゃく)也。丞相は大臣の唐名(からな)

也。御諱(いみな)は道真(みちざね)。御先祖は天(あまの)

穂日命(ほひのみこと)の末。垂仁天皇の御(ぎよ)

宇(う)に出雲の国野見宿禰(のみのすくね)

と云人と。大和国當麻蹶速(たいまのくえはや)

といふ者と力くらべけるに。

野見力まさりて蹴速が脇

骨を折腰を踏で殺す。これ

に依て蹴速が所領を野見

宿禰に賜(たまは)る。是日本にて相撲

の始なり。菅原氏(すがはらうじ)は則(すなはち)野見

宿禰の子孫也。天穂日命

五世(せの)孫(まご)古人(ひさひと)と云人の時。始て

菅原姓(すがはらのしやう)を賜ふ。古人の曾孫(ひまご)

 

 

4

参議従三位(じゆさんみ)是吉(これよし)と云人。

霊夢によりて菅丞相を

まふけ給ふに。成人(ひとゝなり)聡明

叡智にして。和漢の才にくら

からず。故(かるがゆへに)官職日々に進み

給ひ。延喜帝(えんぎのみかど)の御宇に。昭宣(せうせん)

公の嫡男藤原時平(ふぢはらのしへい)を左大臣

し。菅丞相を右大臣として。

天下の政を行はしむ。時平は

年いまだ若くして。其うえ

伯父国経の妻を奪取て。世

の譏(そしり)有けれ共。藤原の嫡流

代々の執政なるによりて第

一の臣に定(さだめ)らる。菅丞相は賢

才人に越(こえ)。事に馴たるによ

 

りて人皆是を敬ふ。帝も御

寵愛浅からず。これによりて

時平悦ひず。天皇の御弟。斎世(ときよ)

親王は菅家の聟なれば。菅丞

相此親王を位に即まいらせん

との巧(たくみ)有と讒奏(ざんそう)しければ。帝

御年京十七にてわたらせ

給へは。其実否をも糺されず。

菅丞相は筑前の宰府へ流さ

れ。終に筑紫にて果たまふ。

其後内裏度々炎焼し。雷(いかづち)

清涼殿の上へ落て公卿あまた

命を失ふ。是菅丞相の怨霊

なるべしとて太政大臣に贈(おくりな)し。

天満大自在天神と崇(あがめ)奉る

 

 

5

四十二万の二つ子とて吾朝(わがてう)に

忌(いむ)子細は。四十二は男の大役の年

なり。父四十二に子の二つを添

て都合四十四なり。四は人の嫌ふ

数也。四と死と声通ず。惣じて

我国のならひにて。言葉縁儀

を取て吉不吉(ふきつ)とす又。嘗君(しやうくん)

伝に五月五日に生(うまる)る子も。父母

忌べしと。又丙午の年の女は夫

を尅(ころす)と人皆云は。丙は陽火なり

午は南方の火也。火に火を加へ

てなじかは吉(よ)かるべきぞ。男女の

縁にかぎらず。神道。陣中。

病家。船乗。よろずの道に。

忌詞ばと云事は。ある物なれば。

 

是我朝の風俗なり。いむも

よしいまぬもよしされども

運は天にあり妖は人に不勝(かたず)と

いへば。男子たる人は常に。物い

むは迷(まよひ)なり。又毛詩(もうし)曰女は感

陽気春思(やうきにはるおもふ)男。は感陰気秋(おとこはかんしていんきにあき)

思((おもふ)女といへり。此故に源氏若

菜の巻に女は春をあわれ

ふと。ふるき人の云おき侍り

けるとあり男女会合する

に三月をよしと周礼にも

あれば。此月昵婚姻に宜しき

とす或は此月婚姻すれば

四十二の役子を生ずといふ。

しかれ共日本の俗語に。三月

 

 

6

花月と云て婚礼に忌なり

花のあだなるを以ての故ならん

又花は散て根に帰ると云事を

忌か。いといぶかし唯聖賢の語

に従て。春を婚礼の月と定む

べし。又男女婚姻をなすの礼。

古法に男子十六にして精通

ずれとも。必三十にして娶る。

女子は十四にして月経いたる

といへども?す二十にして

嫁(か)す。今の世には時いたらずし

て婚姻するゆへに精気早く

もれ。未完(まつた)からずして傷。是を

以て交合しても子なし。子あ

りても脆(もろう)して寿からず。

 

又時至り。色を思ふて交合せ

ざるも亦(また)病となる。是によりて

精を泄(もら)すに限(かぎり)有。二十の人は

四日に一度。三十にして八日に一度。

四十にしては十六日に一度。六十

以上は精を蔵(かくし)て泄さず。精は

女人にあたゆれば子を生ず。我

身に止(とゞむ)れば我命を延(のぶ)。命は

燈火のごとく精は油のごとし。

是諸人知れる事にて。他(た)の

淫事(いんじ)僻事(ひがごと)なすをわらふと

いへども。其身に慎む人まれ

なり。よく心得べき事にぞ

秋津洲(あきつす)は日本の異名也。むかし

人王(にんわう)の始(はじめ)神武天皇。即位三十

 

 

7

一年四月。天皇諸国に御幸(みゆき)

あつて。高き丘に登(のぼり)て日本の

地形(ぢぎやう)を見て。蜻蛉(あきつむし)に似たれば

とて。秋津洲(あきつくに)と名付たまふ。

亦日本を倭(やまと)と名づくる事は。

天地開闢の後に。地は皆山に

して平地(ひらち)なし。人の世と成て

山をひらき。平地(へいぢ)となして住す

るに依て。山跡(やまあと)といふなり。ナタ

神武天皇大和国畝傍(うねび)山を開

きて内裏を作り。始て帝位に

即(つき)給ふに依て。日本の惣名

を大和(やまと)と云ともいへり。又日の

本(もと)といふことは。日の神天照太(ていせうだい)

神(じん)の出生し給へる国なれば。

 

なり。又異国より日東(につとう)と云

事は。唐土(もろこし)より日本は東に

当りて日の出るに近き故也。

又神代(かみよ)には豊葦原(とよあしはら)の水穂の

国と云。是は昔天地(あまつち)初(はじめて)啓(ひらく)時

大海(おほうみ)の中に一つの物有。浮へる

形葦牙(あしかい)のごとし。其中に神

人記生(あれます)。故に豊葦原の中つ国

と号すも。御鎮座本紀に見へ

たり。又日本紀私記に曰。此国は

是肥饒豊富(とへあきゆたかにとめる)の国なり。凡(およそ)肥美(こへうるはし)

の地には葦草多(おほく)生(おふる)る故に。是

を喩(たと)ふと。又皇孫御手(すべみまごみて)を以て

千穂(ちいほ)を抜たまふ故に。千穂秋

津国と。名付るともいへり

 

 

8

▲「飛州(ひしう)大喰女(たいさんおんな)の参宮」

宝永二年弥生のこと。予(よ)

参宮を心ざし。伊勢の国。

まつ坂。ちやわん屋といふ

家に。一しゆくせしが。其跡へ

二十二三の。いとうるはしき女

を。かごにのせ外(ほか)に男二人付。

是も参宮のよしにて。同(をなし)家

に。やどをもとむ。しばらく有。

あるしの女房ざしきにいで。

かの三人の客に、食物(あいよくもつ)の事

をとふ。一人のおとこ。いわく米

六枡たき給るべし。又明朝(めうにち)も。

同じごとく頼(たのむ)のよし申に。

あるじのによう房。ふしん。な

がら同者の望にまかせ。六

 

枡(せう)の飯(いひ)を出(いだ)す。予(よ)いぶかしく

次の間よりながめけるに

彼(かの)いつくしき女。いだけた

かになり。食しける事。見

るだにもおそろし。をよそ

此女一人して。米五枡の余

食すべしと見ゆ。家内の

数人も是を見て。前代未

聞のふしぎなりと。皆/\

けうをさましぬ。すでに

食すぎて後。かの男家内(けない)

の人数を。ざしきに近付(ちかづけ)。

さんげして語りけるやう。

われらは飛州益田の郡(こほり)

の者なり。しかるに此女の

 

 

9

親にて候者は。所にさたす

るほどの福人にて候へども

慳貪(けんどん)無道(ぶとう)心なる事。たゞ

いなし。六十歳のころ。いき

ながら。餓鬼となつて。大食

かぎりなし。一日に八九枡の

食(めし)を喰(くい)て。ついにあがき死

す。それより二月ばかり

すぎて。此むすめにとり

つき。食くいたしと。よばわ

ること五六日なりしが。大食

かぎりなきゆへに。後には

大桶に食を入昼夜共に

くい次第に喰せけるが百

日ばかり際限もなく。くい

 

けるゆへ一門衆中(しゆちう)さま/\々

りやう治をなせとも。さらに

やますある人申けるは。大神

宮にもふで此事をいのらは

早速本復すべしと。ありし

ゆへ。かやうにつれ参り候と

かたりき。何れもきいの

おもひとなしぬよく日(じつ)此

人々同々にて御参宮申

すてに下向し宮川を打

すぎけるに食の望すき

とやも快気を得たり。其

日も松坂前の家に一宿せ

しが。女の顔色(がんしよく)いとうるはし

食事よのつねの人よりも。

 

 

10

きやしやにて宿の内ふと

いとしめやかなる物語などし

ける此病人を見聞の男女

神明の御加護感嘆せずと

いふことなし

仁徳天皇は應神大皇の御

子なり。御諱(いみな)を大鷦鷯尊(ざゝきのみこと)と

申奉る。應神在位の時末子(ばつし)

菟道稚郎子(うら(じ)のわかいらつこ)を太子として

天下を譲り大さきをば

太子の輔(たすけ)としてまつりごと

をおこなはしむ。應神崩御

の後太子のたまはく君は尊(たつと)

く臣はいやし兄は尊く弟は

いやし。いかんぞ兄をさしをき

 

て。くらいに即(つく)べにやとて。大

ざらきへ譲る。大鷦鷯のまはく。

我兄なりとも。いかでか父の御心

に。背(そむか)んやとて受給ず。互にゆ

づる事三年まで。帝位定らず。

民の貢物も両方へ持はこべ共。

互に受給ず。太子曰(のたまはく)。われ生て

天下を。わづらはせにょりはとて。

自死し給。是によりて仁徳位(くらい)

に即(つき)給ふ。ある時高屋(たかきや)に登て

見るに。民の竈のけふり。少(すくな)

かりければ。万民の貧(まずし)きことを

覚(さとり)て。年貢の外の課役(くわやく)を免(ゆる)

し。御衣(ぎよい)たぶるれ共改め調へず。

御殿くづれて雨風もれども修

 

 

11

理する事なし。御膳をも減し

給ひて。三年すぎて又高屋

に登りて見たまへば。民のかま

ど。はなはだしげく立(たつ)を見て。

万民の冨(とめ)るをしりて。大によろ

こびたまふ。かくて五穀も

ゆたかなりければ。民等(たみら)皆

内裏を修理(しゆり)せんと。のぞみ

申といへども。同心したまはず。

又三年を歴(へ)て。始て内裏

を造りたまへば。万民老たる

も。わかきも。皆ちからを尽

して営(いとなみ)けるほどに。幾程なく

成就す。此天皇を聖人なりと。

誉たてまつるとなん

 

▲「産女(うぶめ)姑獲(こくわく)の評説」

仏説に地獄有て罪ある

人死すれば。地獄に入。挫焼(させう)

とて切きざまれ。火にやか

れ。舂磨(しやうま)とてうすにて

舂(つき)くだかれ。あらゆる苦み

をうくると也。朱子(しゆし)の説

に。死する者は形。朽滅(きうめつ)し

て。神(しん)と亦(また)瓢散(へうさん)す。すてに

形は土木と。おなじく。くち

はて。神(たましい)は風花のごとく

飄/\然(ぜっm)として。いづちに行(ゆき)

たるもしれず。形なく神(しん)

散(さん)ぜば。挫焼舂磨の法

??????たす所な

 

 

12

からん???誠におも

しろく。至て此理(ことはり)ふかゝり

しに。此度伝(つて)之助。南閻浮(なんえんぶ)

洲(しう)第日本国をめぐりし中(うち)。

越中国立山の咄をきゝし

に。抑(そも/\)此御(をん)山は。文武天皇

宝三年。三月十五日に教興(けうこう)

聖人(しやうにん)。示現(じけん)をかうふりて此山

をひらく。巌石(がんせき)そばだち。刀

のはのごとくなる。険/\た

る山外に有。これを劔(つるぎ)が御

ぜんの嶽(だけ)と云。又血の池とて

水あかき池あり。或は千蛇(せんじや)

が池ともいふ。産(さん)のうへにて

 

死したる女の為に。血盆経(けつぼんきやう)

を此池におさめて供養し

侍る其外三十六地獄の

体相(ていさう)こと/\く爰に有て

誠におそろしき事。いふ

ばかり。なし。伝之助も身

の毛よだち。念仏ふかく

口にとなへ。すでに下山の

ころ。折ふし雨そぼふり。

いときびしき夕くれ。年の

頃十八九なるおんな。いとた

へがたく。なきさけび。向の

方より来ぬ。其かたち

腰??下は。血にひたつて

 

 

13

色あをざめ。髪はおどろの

ごとくにて。力わよき風

情なりしが。伝之助をみる

より。彼おんな。そばに立

寄。御身のありさま見ま

いとするに。いまだ娑婆

にまします御方と。見請

候。余りわらはが身のうへ。

浅ましく侍れば。やうす

を語申べし。我は羽州

沢の何がしが女房なりしが。

過にし二月八日の夜(よ)。なん

産にて空しくなり侍り

しが。千蛇が池にしづめら

 

れ。昼夜のくるしみ。例(たと)ふ

べきかたもなし。御あわれ

みとおぼしめし。此事を

わが親里へしらしめたまひ。

たゞしきとむらいをなさし

め給へと。云こえもたよ/\

として。名残をしげに帰

りけるを。伝之助おそろし

ながら。いふかしくおもひ。跡

をしたひ。みをくりけるに

彼血の池に入と見えて。

後かたなくなりにける。

不思議と云も言語に

およばず。其後伝(つて)。羽州

 

 

14

至りし頃。かの家に尋けれ

ば父母きゝて涙を流し。

御身の立山にて逢見給

ひし日は。彼(かの)女死して四十

九日めとぞ語りぬ是より

父母。家内の財宝。ありし

程しろなし。彼むすめ

の為ふかくとむらひ。夫(ふう)

ふともに。出家と成ぬ

▲「遊女赤子(せきし)を慕(したふ)」

言粋(こんすい)曰。産女といふもの。世

間にいふ懐妊してうみ離

さずして死せる女。その

まゝ野にすつれば。胎内の

子死せずして野にて生(うまれ)

 

母の魂魄。かたちに化(け)して。

子をいだき養育(やしなふ)て夜(よな)/\

?(あるく:走に十に草)なり。其赤子の啼(なく)を人

あやまつて。うぶめなくと

いふ。人もし是を見合(あわす)れば。

負(あう)て給われと云。おそれ

ずして負へば福貴(ふつき)に

なすと云。又おわざれば怨(あた)

をなすとなん。又唐(もろこし)に

姑獲(こくわく)と云は。我朝の産女成

姑獲は鳥なり。故(かるがゆへ)に本草(ほんざう)

綱目(かうもく)鳥の部に出(いだ)せり其

文にいわく。一名は乳母鳥(にうぼてう)を

いふ。云心は産婦死して

 

 

15

变化(へんげ)して。是になる。能(よく)人の

子をとつて。以て巳(おのれ)が子とす。

胸前(むなさき)に両乳(りやうにう)ありといふ。是は

人の子を取て我子にして

乳(ち)をのませて養ふ事。人の

乳母に似たるゆへかくはいふ

なり。又玄中記(げんちうき)には。一名隠(おん)

飛(ひ)。一名。夜行(やぎやう)。又ある説には

遊女すべて此鳥になると

いふ故は遊女。死すれば子

なき罪とてふかくせむる

ゆへ堪がたく子を欲がり

執心。魂魄。变化して。この

鳥となりて。夜飛まはり

 

て人の子をとるとなり

又此鳥よる穏飛(おんび:かくれとび)して人

の家に行て子をたづぬる

ゆへ。小児の衣を。夜そとに

ほすときは。其夜に此鳥

の血。點(てん)ずるゆへに。其子

短命なりと云。日本にも

小児の衣を夜外にほす

事を忌(いむ)は。此ゆへなり又姑

獲をにせて野狐(やこ)も妨(さまたげ)を

なすとなり。又此まじ

ないには。産(さん)にて死せる女

の。夫の犢鼻褌(とくびこん:ふんどし)と。ならべ

てほせば苦しからずと也

 

 

16

たとへまじないに。利あり

とも。ほさゞるにはしり?

▲「貞女夜行(やぎやう)の一心(しん)」

諺に親子は一世。妻は二世と

いふ。かならず。むつましき

男女のことばに。おなし蓮(はちす)の

臺(うてな)に。坐(ざ)をならべんなどゝ

云て。死の後までの事を。

契りかわすものあり。誠に

をろかとやいわん。おかしき

ことにぞ。此世こそ色欲(しきよく)

おぼれ。酔生夢死(すいせいむし)すとも。

後世まで邪淫の念お引

こと。あさましく。つたなき

わざにはあらずや。竊(窃:ひそか)に

 

世間を観ずるに。五百生(しやう)まで

父となり子とならんと。父(ふ)

母にちかふ子は。千万の内一

人もなし。一蓮托生を願(ねがふ)は。

みな妻(さい)や妾には。人々愛着(あいじやく)

を残せり。爰に賀州金沢

の辺に。松崎吟之進とて

心だて。いとやさしき男あ

り。いまだ其年わかき

ゆへ。さだまる妻とても

なく。ならびの里。よしある

人の娘と。ふかく云かわし。

此世はいふにをよばず。末

の世五百生々(しやう/\゛)と。いかほども

 

 

17

あらんかぎりは。夫婦ぞかし

と。世にむつましく契り

けるにぞ。女のかたより父

母の目をしのび。毎夜通ふ。

しかも其道。

野路(のみち)なれば。

小童(わらは)のごとくに。身をやつし。

わきざしを。さし。かい/\゛敷(しき)

風情なり。爰に娘の近所

に。富(とみ)屋権蔵といふ男。いつ

の頃より此女に心をかけ。

よすがもとめて文を送(をくり)

しかば。女もさるものにて。

返事(かへり)をつかはし。御心底

かたじけなく侍(はんべ)れども。

 

我身ごときにも。さわる

事候て。儘ならぬ身にて

候へば。此段は御ゆるしたま

はるべしと。言(こと)を分(わけ)。返しを

せしに。猶此男おもひ止(やま)ず。

ある夜。女の通(かよひ)ける道のほ

とりに。忍(しのび)居て。其程を

待けるに。今宵も女。夜更

て後。あんのごとく。通ける

時。権蔵木蔭より出(いで)。年頃

の御つらさ。去とも今は

堪がたく。かやうに身を苦

しめ候事。責(せめ)ては露の

御情(なさけ)。たれか見とがめ候べき

 

 

18

やと傍若無人ありさま。女

も今は覚悟きわめ。脇指

ひんぬき。此男のわきばら

をえぐりければ。えぐられ

ながら。男も女のむなさき

をさしつらぬき。両人共に

なくなりぬ。夜あけぬれば

吟之進きゝつけしより。

驚(をどろき)さわぎ泣(なく)/\死骸を

葬礼して後。権蔵がたちへ

切こみ。権蔵兄弟二人を切

ふせ。我身もいさぎよく切

腹し果ぬ。誠に人間一人

生ずる事は不容易(たやすからず)。天

 

地の性名を受。父母の恩

須弥泰山より高く。仰(あをく)も

愚(おろか)なるべし。我身体は父

母の血脈なれば。むさと。し

ばしも穢(けがらは)しく持(もち)なし。仮

初(そめ)の怒に。一命を果し。支体(したい)

に疵をつくる事は。不孝の

至り。敬(つゝし)みおそるべき事にて

▲「飛頭蛮(ろくろくび)笑(えみ)を食(のむ)」

女の飛頭蛮(ろくろくび)とてあるよしに

云伝へ侍る。そのほか女に

ふしぎなる姿の者あり。

三首比肩とて。頭三つ有

て肩二つならべり。又垂(すい)

尾(び)とて狗(いぬ)のごとくに。尻に

 

 

19

尾の有ものあり。又飛頭(ひとう)

蛮(ばん)と云は。耳を翼として。

家内を。飛廻り。虫(ちう:むし)物を喰(くらい)。

暁(あか)がたには。むくろに帰りて

本(もと)のごとし。異物志(いふつし)に云。嶺

南と云所の女に。ろくろ首

おほし。又或書には。呉(ご)の将

軍。朱檀(しゆたん)と云者の娘に有

と云。かく文(ふみ)には記(しるし)はんべれ

ど。未(いまだ)まのあたり見る事

を得ず爰に伝(つて)之介。奥

州にて有徳の家に一宿

せしが。此家の娘とおぼし

くて。年の頃十六七の女。其

 

容顔美麗なること。たとふ

べきやうもなく。尚も教

訓。正しきゆへにや。父母に

事(つかへ)。孝行のていにぞ見

えける。漸/\夜もふけ皆

寝所に入し後。いかであひ

えてしがなと。密(ひそか)に忍(しのび)

て。次なる座敷を。ふすま

のかげより。かひまみける

に。燈火(ともしび)ほのかにし。主の

夫婦休(やすみ)ける邊(ほとり)に。かの娘も

ふしけるにぞ。いとあてや

かなるねすがた。つく/\と

ながめ居けるに。ふしぎや

 

 

20

此女の頭(くび)。につこと笑ふて

ぬけ出ける時。伝之助。案の

外に身の毛。よだち。おそ

ろしながらに身をひそめ。

のぞき居けるに。其あと

より。糸のやうなる細き

物つたへり。夫(それ)より天井

の板をつらぬき。いづくにか

行(ゆき)けん。やゝ暫しあり。たち

帰り。もとのごとく。我がむ

くろに入ぬ。恐しき事。云

ばかりなし。夜明と後も

子細なく。彼女常のごとし

まのあたり。ふしぎをみし

 

と伝之助かたりぬ

▲「鷺火(さぎひ)人魂に誤(あやか)る」

下総の国佐倉の在に。伝一

宿せし夜。あるじの男かたり

けるは。此所より廿町を隔

あなたなる山根に。過し頃

より光物出。人を取或は

なやます事数度なり。

と咄ぬ伝聞。是は珎しき

ことにぞ。其所につれ行。

我にひかりを見せ給へと云。

あるじの曰聖人は怪をみず

とのたまふ。御身ぬてこの

光を望給ふは。いぶかしき

ことにぞ伝云我は其珎

 

 

21

敷を。見めぐる為の修行也

ひたすら見せ給へといふ。

主も是非なく。其邊の

人五六輩。納條にこと寄

野外に逍遥せしかば。かの

光物。西南の山よりとび

来り。田中の枓(くいせ)にとゞまり

居。火を吹ごとく。いき/\と

ひかりぬ。中にも剛力の

男ありて。今宵こそ正体

を見んと。刀をぬいてはしり

寄て。どうと切れば。二つ

にわれて落ながら。猶

ひかりはやまず。さあ仕

 

とめたりと云まゝ。松明

などさしよせ。よく見るに。

大蜘蛛(ちちう:くも)なり。かたち碁盤

を丸めやるがことく。金箔を

すりつけたるやうに。黄なる

横文(よこもん)ありて。其紋ひかる

なり。蜘のいは針金のごとし

と。伝之助語りければ。

言粋(ごんすい)聞て。むかし景行

天皇の御時。豊前の国の

窟(いわや)に。土蛛住(すみ)て人を悩ま

しけるとかや。誠に有間

敷(しき)とも云がたし。我も過し頃。

大なる鯛を切て鉢に入置(をき)

 

 

22

たれば。夜に至てすさま

じく。つよく光る。是を煮

て喰たれども。害をなさ

ざりけり。鯛ごとには。かぎ

らす魚(うを)によるべし。又蛸

にも夜に入ひかるあり。惣(そう)

別海朝(べつかいてう)。夜はひかる物ばり。

ある人庭樹(ていじゆ)に。夜に入て

光物たゝずむなる。鉄砲

してうちたるに鵁鶄(あをさぎ)な

めり。あをさぎも。ひかる物

なり。又朽たる木。朽たる

竹など暗夜にいたりて。

光(ひあkる)事有又女の強く怒

 

れる眼(まなこ)も。時により。光る

事有。又俗説に人魂の

飛といふなる。人魂とべば

かならず其家内の人。程

なく死す。又一両年過て

死するも有など云。其

けい色(しき)は。青く赤き火の玉

ゆらめき行となん。有

べきこともおぼえず魂

すでに飛てしばらく

も身存すべきや。粗竜

身在(あり)て魂ひ先飛など。

作れる詩は。秦の始皇の

張良(ちやうりやう)が。鉄槌(てつほい)におどろき。

 

 

32

たまふをいへり。実(まこと)に魂

飛にはあらず。かならず右

に云し。蜘蛛青鷺の類

ならん

▲「女性(によしゃう)火蛍(くわけい)の吉相」

房州勝(かち)山の町に。奇麗な

る薬師堂あり。此如来

かみより。霊験あらたに

ましますゆへ。不断参詣

の人絶まなし。爰にある

有徳の町人。めしつかひける

下女。此如来をば信心し。い

とま有ばもふでけるが。さ

すが事しげき?なる

ゆへ。不断はあゆみはこぶ

 

ことあたはず。毎日我す(わがしう)は

れる食(めし)の初尾(はつを)を。此如来

奉るとて。我膳の片わきに

置(をき)食事をしまへる時は。此

あがりをば又われ戴(いたゞき)かやう

にいたせる事。すでに二年(ふたとせ)

に餘りぬ。ある時此女日暮

閨(ねや)に入て髪を梳(くしけづ)りぬ。燈

火もなくて暗かりしに。梳(けづ)る

度に髪の中より火焔。は

ら/\とおつる。女驚(おどろき)とらん

とすれば。消てなし。又梳(くしけづ)

れば又出る。其さま蛍な

どの。多(おほく)集りて飛散(とびちる)がごとし。

 

 

24

件の女はしり出。主人に

此よしを訴(うつたふ)。一家(け)悉く集(あつまり)

見て。ためしなき物のけ也。

いづれよろしき事は有まし

とて。彼(かの)女を追出せり。女泣

なくまどひ?(ありい:歩き)けるが。いかゞは

したりけん。富家(ふうか)の妻(め)と

なりて。子どもおほく産(うめ)り。

此女富家に嫁(か)してより。なを

薬師をば信心せしに。ある時御(ご)

夢相(むさう)を請しとて病人を。まじ

なひけるに。いかやうの病にて

も。治(ぢ)せずと云事なし。或は

盲目。聾者(つんぼ)ごときも忽(たちまち)に

 

見聞(けんもん)する事。奇妙と云

も不思議なり。後には次第

に聞伝(きゝつたへ)。近在近国はいふに

およばす。十里二十里を隔(へだて)。

諸鋲んたのみ来(きたり)て。門前

に市をなすよし。伝之助

是を聞。いぶかしき事に思(おもひ)。

彼家に尋行しに。はたして

此事正説(しやうせつ)なり。是薬師

如来の授(さづけ)たまふ。まじなひ

に。疑ふべくもあらず。誠に

有難き事にぞ。代酔編(だいすいへん)

に。王行甫(わうぎやうほ)がいひけん。家兄(かけい)

嘉甫(かほ)が衣を解(とけ)ば。常に火(くわ)

 

 

25

星(せい)まろび出る。又頭(かしら)を梳るっは。

髪髻(はつけい:かいもとゞり)の中より。晶蛍(しやうけい:ひかりもの)流落

す。是は陽気茂識(もしき:さかん)の験(しるし)也。

貴徴(きてう)にあらざれば寿徴(じゆでう)なり。

と有。又博物誌に積油(せきゆ)満(みつれば)

万石自然生火(ひを)(積油万石に満つれば自然に火を生む)と云り。むかし

普(しん)の武庫(ぶこ)焼ぬるを。張華(ちやうくわ)

油幕(ゆはく)万匹(まんひつ)を積(つめ)る故也と

いふ。これらを以(もって)みれば。女は

常に髪に油を。多くつくる

ゆへ。湿熱にむされて。髪

中(うち)より火星(くわせい:ひだま)出てけるにや。

しからば女ごとにしか有べ

きに。いづれも。いぶかしき事也

 

 (コマ3に戻り下段へつづく)