仮想空間

趣味の変体仮名

宝永千歳記 巻之ニ(コマ27~39上段のみ)

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2554612?tocOpened=1

 

 

(巻之二:上段を続けて読みます)

27

▲「鬼女(きじょ)鬚(ひげ)を疑ふ 説」

地獄を見侍(はんべ)れば。鬼

は角を戴き口耳ぎわまで

さけるがら。上下の牙おひ

揃(そろひ)たる。されば角ある物は。

上牙(うはば)なき物なり。鬼も生(いき)

物ならば。角ありて上牙

有べからず。偽(いつわり)は事毎に顕

るゝと。言粋わかへば。伝(つて)きゝ

さなのたまひて。昔は鬼

多(おほく)有と聞つれど。近代は

上方にめづらしきゆへ。うた

がひ給ふ。我は遠国にて。

正しく此度見侍るなり。

其次第を語申べしと云。

 

 

28

言粋。むかしの鬼とは。鈴鹿

山。大江山羅生門などの事

にや。鈴鹿山。羅生門の鬼は。

強盗なるべし。往来の人を殺

し。剥取ゆへに、鬼と云けん。

大江山酒呑童子も。叡

山の児(ちご)なりしが。強力(ごうりき)の者は

酒狂の時は。人を備ふゆへ。

山門を追出され。大江山

ふもとに彳(たゝずみ)て。人を悩しぬ。

いづれの時代に。誠の鬼と云

もの有や。伝云昔はいさ

しらず。我は此度。木曽の

山家(やまが)にて見侍るなり。又

 

鬼女も目旁(まのあたり)見しなり、前

にしるす。房州の、まじなひ

せる女の方へ。三巻之首書にみゆ

上総の国林田の女なりとて。

つれ来り。其㒵(かたち)。鬚面てい

に生(はへ)茂り。口耳ぎわまで

割(さけ)。両角生たり。其鬚の

ふとき事。たとへば針の如。

是鬼女なりと云。彼(かの)女呪(まじない)

て後には美女(かをよき)となれり。

是にても疑ひ給ふや。

言粋是も鬼女と。見給

は愚につたなし。実(まこと)の鬼女

ならば。児たりとも。其容(かたち)

 

 

29

なをるべきや。又たとい鬼女

にもせよ。鬚の生しこと。猶

いぶかし。假(たとへ)ば鬼女と云からは。

鬼の女房にて有べし。女房

ならば鬼おm婚合(こんごう)の道は。知

べし。道をしらば子を生ず

へし。子を生せば鬚は生(はゆ)べか

らず。女に鬚のはへぬ事。

其のゆへ有。むかし黄帝。岐(ぎ)

伯に問たもふやう。婦人鬚

なき者は。血気なき乎(か)。岐

伯答てまうさく。人身に

衝脉(せうみやく)。任脉(にんみやく)とて。奇経の脉

あり、此二脉は人の身の血の

 

海なり。胞中(ほうちう)とて。女の精(せい)

を蔵(かくす)ところより。おこりて

脉めぐり。上りて咽喉(のんど)に

会して。唇をまとふなり。

其の養(やしない)によりて。皮膚を

栄して。毫毛(ごうもう:けけ)を生ずる也

然ども婦人は毎月。月水有

て。大に破血(はけつ)するゆへに。衝

仁の二脉。口唇を栄せず夫

ゆへに鬚を生ぜぬ也髪は

血の餘なれば。血餘(けつよ)とも云

なり。精(くわしく)は霊枢五音(れいすうごいん)の篇

に見へたり。か程の事に工

夫を費し。書を引は。をろか

 

 

30

なれども鬼女に。あらざる

証拠と云へば。伝之助も口を

とぢぬ

▲「鬢髪(びんはつ)猪(しゝ)に与ふ」

下野の国。宇都宮。ある村

の百姓。一人の娘を持けり

容(かたち)あてにいつくしかりしが。

まづしくて世に住ける故

夫より道二里ばかり隔

し村へわづかの給銀にてみ

やずかへを、さしめ。此道山谷(さんや)

をへだてければ。父娘を

送り彼村に行ぬ。すでに

山中に至りし頃。大木の

木蔭に。鹿(しゝ)の子一つ。いと

 

堪がたき風情にて。身を

もだへ苦(くるし)めり。いかなる故

ぞと此男。立寄見れば赤

蛇を食しけるにや。前足

の邊より。毛色も替ぬ。

鹿には大の毒なるよし

此男善心の者にて。扨哀

なる事にぞと。暫し詠

居たりしが。急度(きつと)おもひ付

たる事有。これには女の

髪を切て。鹿の五体を撫

ぬれば。少蛇(しやうじや)かならず消(きゆ)る

と云事。其の以前見え馴

ければ。娘にかくと語り

 

 

31

物の命をたすくる事。何より

の後生なるべし。汝が髪の中

を切て此猪(しゝ)を救(たすけ)んやと云。娘

違背なく。假(たとひ)いかなる仰なり

とも。父の御意を背(そむく)べきやと。

すこしも惜(をしま)ざる気色な

れば。父小刀を抜。一ふさ切。

猪の五体を撫けるに。不思

議と苦みを止(やめ)。ふかく悦。風

情にて。奥山をさしかけ入

ぬい。夫より父は彼村に娘を

おくり。別条なく帰りぬ。

ある時此男。奥山に入て栗

を取けるに。下は深き谷に

 

て水ほそく流たる。奥山

の方(かた)より。熊一つ子を連て

出。谷川の傍なる石をいだき

上(あぐ)れば。子その石の下に

入て。蟹を取て食(くらふ)とぞ。見

へしが。此男梢の上にて音も

せず窅(まほり)居るに。いかにして

取おとしけん。栗二つ三つ

ばら/\と。落かゝりぬるに

驚(おどろき)て抱(いだき)たるを石を捨たれば。

下なる子。押されて死に

けり。熊限なく悲鳴して。

巳がしわざとは思はず。誰が

殺しぬると、彼方此方。叫び

 

 

32

歩(ありく)に。いかゞはしけん。梢なる

男を見付。是ぞ子の仇と

おもひけん。哮(たけり)かゝりて木に

登る。男おそろしさ。云限り

なく。迚ものがれぬ所と思ひ。

木末(こすえ)にてはかなふまじ。下

におり勝負をせんと飛下(とびをり)

ければ。熊も爰に飛来(きたつ)て。

互に入ちがい暫く組(くん)ず。

覆(ころび)けれ共。元来熊の勢(いきほひ)

はげしく。既に抓(つかみ)割(わか)るべき

時。何所(いづく)より来りけん。大

の猪鹿(いのしゝ)哮かゝつて熊の横

腹胸のあたりまでかず/\

 

掛しに腸出て死にけり。

猪(しゝ)も前足を打折れ。後

の胯間(またあい)よりざん/\に引

さかれ。空く成ぬ。男は危(あやう)き

命を。たすかり。漸々と帰

けるが。定て此鹿(しゝ)は其前

たすけし鹿。成長して

此度命に、替りけるにや

と。いと哀をもやうし熊は

子の仇を報ずるに。身を

わすれ。かれらさへ義有

こと。いみじき。ふるまひと。思

ひつゞけ。夫より此男。出家

して熊(くま)鹿(しゝ)の菩提を。ふかく

 

 

33

とふらいけるとぞ

▲「大蛇(だいじや)童子(どうじ)を吹出(ふきいだ)す」

伝(つて)之助鎌倉にいたりしころ。

扇が谷(やつ)を一見せしに飯盛山

の大蛇の事を里人に聞(きゝ)。爰

にしるす。抑(そも/\)扇が谷は。亀が谷

坂を越て南の方(かた)。西北(にしきた)は海

藏寺。東南は華光院。上杉

定政の旧宅。英勝寺の地

を扇が谷と云。又子の所に飯

盛山と云有。すぐれて位

高き山なり。近辺の里人

に。鬼市平次(おにいちへいじ)とよばれ。常

づね。其心邪見(じやけん)の者あり。

しかも力他(た)の人にすぐれ。

 

凡(およそ)十余人しても動かしがた

き大石なども。一人して是を

持。かれが一子十三才に成し

が。近所の童(わらは)ども多をともない。

彼山に入て。雀の子を捕ぬる

に。大木の上より。大蛇下りて

市平次ヶ子を呑でげり。残の

童子にげ走(はしり)て。家に帰り

て此事を語るに。市平次聞

とひとしく行てみれば。大蛇

なし。爰かしこと尋ければ

遥の谷へわしり行。市平次

刀を抜もち一あししておつ

かけければ大蛇此音に跡を

 

 

34

見帰り。呑(のみ)たる童を吹出す。

つく息につれて。一丈ばかり

前へ飛出たり。されども父

続て蛇(じや)を切殺さんと?(かゝり:言偏に卓?倬?)

しに。蛇も首を振あげ。この

男を呑んと紅(くれない)の舌をふり

たて。眼(まなこ)をいからかし。瞠(にらみ)よる。

男もさすがの者にて。恐

ず抜持たる劔にて。大蛇の

䫤(みけん)を切わりける時あをき

煙を吹かけしが。是にもこと

ともせず。なんなく切殺(ころし)。

其長三丈あまり。ふとさ

は抱(いだく)ばかりなり。扨飛出たる

 

わらわは死せるごとくなれ

ども。呼吸はとまらず家に

ともない帰りて修養して

安全なれとも。頭(かしら)の毛悉く

抜(ぬけ)たり。又は其翌日より五

体いたみ出やまず二三日過て

腐骨(くさりほね)に入て。終に死ける

とぞ

▲「福姫(ふくひめ)玉を授(さづく)る」

鎌倉鐙摺(あふみすり)山は。多古江ばま

杜戸(もりど)へとをる道なり。伝之助

此所を一見せし時。里人にとふ。

いかなる故に鐙摺山といへる

や。里人の曰。むかし頼朝卿。

三浦の邊へ出御の時。爰にて

 

 

35

鐙をすり給ゆへに鐙摺山

と申也東鏡に。武衛頼朝

義久か鐙摺の家に。渡御し

たまふとあり。又盛衰記

に。三浦の義盛。畠山重忠

合戦の時。あぶみずり山に

陣を取とあり。猶是より

南に見へしは。浅間山と申侍(はべる)

よし。くわしく教(をしへ)。里人は帰ぬ。

伝之助委細に聞(きゝ)。誠に常

ならぬ名所なりと。爰かしこ

うち詠。すでに其日も

西山(せいざん)にかたふく頃。俄に山鳴(やまなり)

さわぎて。風の吹ごとく。一筋

 

の程。茅葦(ぼうい)左右(さう)へわかれ。

何者やらん来ると見へし。

樹間(じゆかん)に隠居(かくれい)て。ながめけるに。

むかふの大木の後より真

白く鬢髪(びんはつ)うるはしく。眉(び)

目(もく)はれやかに。顔いつくしき

女なりけり。年のころ十八

九ともみゆ。されど常の

女より。耳大にして。鼻た

かし。片手に四五寸まわり

の金玉(きんぎよく)を持(もて)り。伝之助限(かぎり)

なくおそれ。身をひそめ。見

居たりしに。此女四方を見

まわし。莞尓(につこと)笑(えみ)て引込(ひつこみ)

 

 

36ぬるに又風吹ごとく茅(ちがや)左(さ)

右へわかれて本(もと)の路筋(みちすじ)に

帰りぬと見ゆいと恐しき

もの也定(さだめ)て是山海経

云けん鴞(がう)馬腸(ばちやう)奢尸(しやし)燭(しよく)

陰(いん)の類のものにやあらん

深き山には常ならぬ禽(とり)

獣(けだもの)も多かんめれと伝之助

語ける時言粋曰その類

いづれか耳大にして手に

玉をもてるや其手に

玉持しは山姫(びめ)とて男出

逢ぬれば限(かぎり)なき宝物

をくれ其身一生栄耀に

 

くらす事なり。残念なる

次第とかたれば。伝之助も

かしらを抓。宝の山に入なが

ら。手をむなしとは此こと

なるべし。扨口惜やと。悔(くゆ)れ

ども甲斐なし。片への人。

宝は得ずとも。命こそ物

種と。伝之介に力を付ぬ

是も鎌倉にて。大町と云

所に。松金屋(まつがねや)とて有徳

の酒屋あり。内に白き

狗を飼。此家の婢(ひ)つねに。

その狗を寵愛しければ。

よくなつきぬ。ある時此婢(び)。

 

 

37

むしつの罪をうけ。口惜く

や思けん。身を投んと志て。

暁がた。しのび出ぬるに。狗あ

とより、したひ行ぬ。十余

町過て深き池の有けるに。

石を懐にして飛入んとし

ける時。此狗女の着たる小

袖のすそにくらひつき。跡へ

引けるにぞ。婢おどろき見

れば。我が常に寵あいせし

犬なり。女ふかく悲み。われ

夜(よ)ふかに出しを見をくり

来り。今身をなげん我を

かなしみ。留(とゞ)めけるにや。しほ

 

らしの。ものなりと。暫く

涙をうかへき。此間に家(け)内

の者たづね来り。あやうき

命をたすかりぬ。是を思ふ

に狗は。よく物しれるもの

にぞと。伝之助かたりけれ

ば。言粋曰さればある書に

いわく。昔さる山里に鰥(やも)め

住(ずみ)の女有けるが。手飼の

犬を。我が夫のごとくに、夜(よな)/\

かたらひ通じける。其家へ

旅人来り。やどを借りて

見るに。女一人にて外(ほか)に

人なし。此女かたち。いみ

 

 

38

じくおかしければ。われ定る

つまなし。夫婦とならん

事をちぎるに。女うけひ

て色なし。いかにととへば。

はづかしながら。わが夫は

此犬なりといへば。犬よに

ねたましきこえして吠

かみつき。などしければ

男もうるさく覚へて

うちやみぬ。其後かの男

此山里へ。しのび入て。かの

犬を害し。かたわらの

土にうづめて。一年(とせ)ばかり

すぎて。彼おんなの許へ

 

とふらひ寄に。女もさす

がに懐気(なつかし)けにて。さま/\

饗応(もうけ)などしけるに。彼(かの)犬

の事たづねければ。過し

秋。行末もしらず成行

しなど。涙ぐみて云ければ。

男今は。さわる事なし

夫婦とならんよし。打

わびて云ければ。女もさ

すが徒然(つれ/\)にて。終にその

家に嫁(か)し。七年に七人の

子を。もふけぬ。男いまは苦

からずと。さよのね覚(ざめ)の

むつ事に。昔御身の夫にし

 

 

39

給ふ犬は。かやうにそひ参(まいら)せん

謀に。我殺たりと云。女むね

うち騒。おどろく気色を忍び。

男よく寝(いね)させて後。枕刀を

持て夫を刺殺て。犬の仇を報

じけるにぞ。是を思ふに女は

其根。おそろしき物にして。

又浅はかなる者にぞ。假(たとい)五十(いそじ)

そひ語るとも。女に大事を

かたる事なかれ。むかしより

我朝(てう)のことわざに。七人

の子をもつとも。女に心

ゆるす事なかれと云事。

まことなるかな

 

(コマ27に戻り下段へつづく)