仮想空間

趣味の変体仮名

北條時政記(上)

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10301572

 

 

2

北條時政記(ほうじやうじせいき) 森屋版

  卯の春 (上) しん はん

 

 

3

五柳亭徳舛撰 全五冊

五亀亭定房画 前編

北條時政記

文政十四    東都馬喰町

辛卯新板     版元 森治

 

夫(それ)天道は正を善(よく)して邪を憎む 昔より治乱(ちらん)興廃(かうはい)善悪邪正(じやしやう)によること天の

命ずる所にして人功私智(じんかうしち)の曁(およぶ)ものにあらず 平相国清盛(へいさうこくきよもり)国家を掌

握して二十有余年栄花の夢も西海の浪のおとにやぶれ 源家(げんけ)清平(せいへい)

の世となり頼朝卿天下草創の大業 日本惣追捕使(そうついほし)を賜ひ鎌倉

御所に日本の武士を師(ひきい)て繁栄朝暾(あさひ)の昇(のぼる)がごとく よつて頼家卿実

朝卿三代におよぶ世々北條家執権職たり そのあらかじめを繪双帋(えぞうし)の

小冊に縮め 模写なせば たゞそのすぢのみにして 委しきことは星月夜を

熟覧あるべし たゞ童児のもてあそびなれば其拙なきことは見ゆるし給へと しかいふ

 文政十四辛卯初春  五柳亭徳舛戯述

 

 

4

老来剏見大鵬(ろうらい はしめて みる たいほうの)

悪(あく)

不測子孫九世(はからす しそん くせの)

栄(えい)

平の政子(まさご)  北條遠江守(とふ/\みのかみ) 時政(ときまさ)

 

相模守 義時(さがみのかみ よしとき)  式部丞 泰時(しきぶのじやう やすとき)

寛仁度量長者風(くはんじんのとりやう ちょうしやのふう)

土民億兆浴恩澤(どみん おくてう よくす おんたくに)

 

 

5

人皇八十三代後

土御門の院正治元つちのと

未とし正月十三日かまくら

うだいしやうよりとも卿

たかいまし/\てそん

がいをつるがおかほつ

けじにほふむりたて

まつりよりいへ

きやうを左中将

ににんぜられ

二だいのぶしやう

とさだめられ

ゆいせきをつぐ

このとき十八才

にてわたらせ

給へば大小の▲

 

▲せいじはほう

じやうふし大江

ひろ元わだ

よしもり三

うらよしすみ

ひきよし

かず(一)

 

(二)はたけやま

しげたゞかぢ原

かげときあだち

もりなが

さゝ木 (三)

 

(四)もり

つなとう

さうだん

してこれを

とりさばき

あらたにけつ

だんしよを

かまへ

これへあつ

まりける

よつて

しよ

ら う しん ん

せいちうをつくし

しやうばつをたゞ

しうすといへども

よりいへ卿うまれ

つき女こを

あいしあけくれ

 

(左頁下)

いんしゆをことくし

給ふこゝにあだち

もりながゝちやくし

弥九郎かげもり

みやこより一人の

しらびやうしをねび

きしてべつしゆくに

おいてちやうあい

なすよりいへ卿

ひそかい此

ことをきゝ

つたへ

きん

しん

をして

うかゞはしむるにぶ

そうのびぢよ也と

きゝみぬこひにあこ

がれいかにもして

そのをんなを

手にいれんと

(五)

 

(六)あるとき

あだちかけもり

よふむきありて

三しうへゆきて

るすのおりから

これくほきやうの

ことなりとてなか

野五郎にめいじ

あるよひそかに

うばひとりごらんあるにきゝしに

まさりしびぢよ

なればごりやう

あいはなはだしく

ちうやいんしゆに

ふけおはしますし

かるに八月十八日

かげもり三河

国よりきさん

なしてあいせう

のしゅく所に

おもむきし

にさんぬる

廿日のよぶし

一にん

(七)

 

(八)あまたの

らうとうを

したがへ

しのい入て

うばひとら

れしときゝ

かげもり

大にぎやう

てんしてあき

れはて且は

いかり大に

のゝしり(九)

 

(十)

たゞ

きやうき

のごとく

ちうや

引こもり

いる

「次へ」

 

 

6

「つゞき」かぢ原かげ

ときこれをきゝ

ひそかによろこひ

たちまちれいの

かんけいをめぐらし

あわの判ぐはん

だいたつしげと

かたらひかげ

もりかたへき

こくの賀を

のべにつかはしぬ

かげもりは

あいせうを

うばはれ心ちう

やすからざるを

しつてひそかに

かたるやう羽林(うりん)

家(け)たうじいん酒

にふけり去月

廿日夜中野

五郎にめいじて

びぢよをとも

なひ石のうぼ

の御所にいれ

おかるゝに ちや

ゆうえんのみ

にて なかの をかさ

わらのともがら

以上五人のほかは

(左頁上)

ていりをゆるさすと

かたりければかげもり

おほきにおどろき

かついかりおもてにあら

はれぬあはのはんぐはん

代しすましたりとみを

すりよせまことや

しきじやうは上下の

へだてなくかゝる時に

よはきものこそくち

おしけれ うりんけ今の

おんみもちにては

ぶしやうのにんに居

給ふことあたはじ いそぎ

あまみだいへうつたへ

ひそかに御かんげん

あるべしと申てかへり

ける かげもりはじ

めてさとりぬ

さつそく尼ぎみの

御ぜんにいでゝいち/\

ごんじやうなしなげき

うつたへければ尼ぎみ

大におどろかせ

給ひなんぢすこしも

らうすることなかれ

とりかへしえさすべし

とありければ あり

がたきよし御うけ

申てたいしゅつ▲

(右頁中)

▲なしぬ かぢはらかげとき

此やうすをきゝわが小平次

かげたかをまねき

はかりごとを

をしえ

うりんの

御ぜんに

い でゝ

あだ ち

かげ

もりを

いろ/\

あしさまに

ざんげんす

けつきの

大しやうかげ高

がことばをしんじ

大にいかりかげもり

しんたるのれいを

うしなひわれを

そしりはゝぎみ

にうつたへぬる

こそきくわい也

ぎやくしん

はやくも

ちうせずんば

(左頁)

あるべからずと

いたけ

だかに

なつて

いきどふ

りぬ かぢはら

しすまし

たりと

 

※しゆく

しよへかへる

あとにて

をがさはら弥太郎

中野五郎ひきの三郎

細野四郎を大しやうとして

すひやくきにてあまなはの「右の下へ」

(右頁下)

「左の上ゟ」

かげもりが

しゆく所へ

おしよせんと

そうどうす

あま御ぜんこの

ことをきこしめして

大におどろきいそぎ

かげもりがしゆくしよへ

ならせられ うりんの

かたへししやをもつて御い

けんありければ せんかた

なくとゞまりぬ これに

よるてかぢはらがざん

げん水のあはとなる

こゝにまたゆふき

七郎ともみつは

くまがへ◆

(左頁下)

◆なをざねほうし

れんしやうをしんかう

してせんくんぼだいの

ため一ぞくをあつめ

ねんぶつを

しゆす かぢ

はらかげとき

此事をきゝ

ゆふき七郎いん

ぼうのくわだて

まぎれなしと うりんの

御ぜんへうつたへぬ はや

このことゆふき七郎とも光へ

ないつういたすものあり

ければ大におどろき「次へ」

 

 

7「つゞき」すぐに

三うら

よし村が

しゆしよに

ゆきて ことの

よしをかたる よし

むらつかひを以て

しよらうしんを

(左頁)

まねき ないだんなし

みやうにちつるがおかの

くはいらうにてさん

くわいせんとてわかれ

ける かくて十月廿八日

わださえもんのぜうよし

のりくわいぶんをもつてあつまる

めん/\は ちば あだち 三うら はたけ山

うつのみや しぶや さゝき どひ つちや おかざき

いなげ そが くどう にたの四郎たゞつねらを

はじめとして以上六十六人つるがおかの

くわいらうにあつまりいならぶときに

わだよしもりすゝみいでゝいふやう天下お

ためにわざはいをはらひきみのためにぞくを

ほろぼし忠をはげむは大じやぶのねがふところ

なり かぢはら平三かげときせんくん御ざいせのおり

から ねいべんぜつりよくをもつてすにんをさんがい

せしこといまさらいふにおよばず 今 羽りんの

御代にいたつてもなをやまさればこくぞくをしりぞけ

きみをたもたんとほつするなり これによつてかれが

しよあくをしるしそじやうをしたゝめ きみが御しゆいを

うかゞはんと思ふなり おの/\えとくし給はゞれんばんを

くわへ給へといひわたす このとき六十六人のうち

かげときがためにおやきやうだいをうしなひしもの

あまたありければ一にんもいはひなくいちどうに

しやうちしてれんはんをすえる かくて わだよしもり 三うら

よしむら両にんくだんのそじやうをたづさへ「右へ」

(右頁)

「左ゟ」大江の

ひろもとに一いて

うつたへける ひろもと

さつそくうりんへひろうす

かげときはせんくんのちやうしん

なればみだりにつみをくわへがたし

(左頁)

しゆうしんのうつたへすこぶるりふじん

なりとのたまふ ひろもとがいはく

このうつたへとりあげなきに

おいてはそう

どうをひき

いだすべし▲△

 

▲△かげとき一人と

六十六人の大めうとは

かへかたしと申すにより

ひとまづかげときか

れうち一のみやへ

ちつきよいたすべし

とおほせいだされ

ける かげとき大に

おどろくといへども

いまさらせんかた

なく十一月十三日

かまくらをたいきよ

しける これによつて

しよしあつまると

いへども かぢはらが

うつぶんさんぜ

されは ばんばの

忠太をひそかに

上察せしめ羽林

よりいへ「つぎへ」

 

 

8

「つゞき」身もちよろしからず かまくら

大名めい/\わがまゝのふるまひかならず

大らんをひきいだすべしとそうもんし

りんしをこひうけみかたをあつめむほん

せんとはかる 此ときかまくらにおいては

ほうじやうときまさうつたへけるはかげ

ときがねいかんさゆろんずるにおよ

ばず しよしのうつたへこと/\゛くりに

あたれば かぢわらが一ぞくの

れうちめしはなされついほう

あつてしかるべしと わだよし

もり 三うらよし村 じやうしとして

つかはされさいどかまくらへめされて

かぢわら一け十二月廿八日はくちうに

うちほうせらるゝありさま見ぐるしかりける

しだい也 きせんくんじゆなしてこれをけんぶつす

かげとき心ちうにいちもつあればことゆへなく

するがのくにへと心ざしぬ ときにかのみやこへ

のぼせしばんば忠太ことじやうじゆなして

いそぎとうかいどうをくだりしところ

江しうのれうしゆ さゝ木もちつなが一子

太郎のぶざね はやそのいをさとり かゞみが

しゆくにしんせきをたてゝ忠太をからめとらん

とす 忠太みつしよをくひきりはら十文じに

かききりうせにけり これによつてかぢわらがいんぼう

いよ/\ろけんにおよびぬ かくともしらずかぢわらおやこ らうどうを▲

 

▲引つれしゆう/\゛五十人

廿日亥のこくに すんしう

きよみづせきにいたる

たうごくのぢう人いゝ田五郎

あし原八郎 工どう八郎 三沢

八内抔これをしつて かぢ

わらをさゝへる かまくらより

うつてとして 三うらよし村

工どうかすや よを日につので

うちとらんとはせのぼる はや

かつせんはじまり おつとり

こめてうちとらんとす かぢ原

源太二男平次三男三郎

ゆうをふるつてたゝ

かふといへ

ども

かなはず

して

かげ

のり

かげ

むね

かげくに

かげつら

おひ/\

うち

じに す

「二巻へ」

(左頁)

「壱巻ゟ」ちゝかげとき

今はこれまで也

とてやたてのすみ

にふでをそめ

ものゝふの

   かくごも

かゝるときに

     こそ

こゝろしられぬ

なのみおしきぞ

とかいてよろひの

そでにゆひつけ

くさのうへにざし

じがいす

つゞいて

かげすえ

かげたかも

はらかき

きつてはて

にける

かくてかぢわらが

ざんとうこと/\゛く

ほろびせい

しつにおよ

ひぬ

 

 

9

かくてその年もくれ 正治

三ねんはる かいげんあつて

けんにん元とり年と号す

こゝにえちごの国のぢう人

じやうの四郎 平のながもち

せんぞはちんじゆふ

しやうぐん平これもち

のばつえふなり

たいじげんじのぶい

さかんにして平氏

けちみやくたるもの

かまくらのぬひに

ひとしく ことに

よりいへぶせいの

きにあらず

ちうやいんゆに

ちやうじ こくかの

せい

むを

す て 給ふ ゆへ に しよ

(左頁)

めう

た が ひ に ぎ し ん を

さし は

さむ

ふた たび

平氏

おこさんこと

今このとき

なりとて

ほんごく

えち

ご 

に は

(右頁下)

▲おひの小太郎すけもり もり

なが がいもと はんかく女をのこし

おき その身は二郎すけいへ 三郎

すけまさを

ともなひて

みやこに

のぼり

いんぜんをこひ

ぎへいをあげ

んとす

はや此こと

みやこざいばん

なる小山さへもん

のせうともまさ

しつて じやうの

ながもちが

りよしゆくに

おしよする

ながもちかな

わずしてみや

こをおちのび

よしの山にかくるゝ

ところを

さんもんの

しゅとに

いけどられ

じがい

なす

(左頁)

らうどう

一にんのがれ

北こくへ下り

小太郎

すけもり

はんがく

女にこれを

つげる

両にん

大に

おど

ろくと

いへども

今さら

せんかた

なく

とり坂にじやう

くわをかまへ

かまくら

うつてをまつ

そのぜい

三千よにん

みな平氏

よるい なり

 

 

10

くら

への

ちう

しん くし

のはを ひくか

ことし これに

ようつてそう

どう大

かたならず

うつて

として

上野の

くに

さとに

三郎

もり

つな

入どう▲

 

▲さいねんを

大しやうとして

かひしなのゝぶし うんの

ふぢさは むらかみ たけた

あさりをはじめとして 一まん

よにんはせむかひ とり坂じやうを

とりかっこみせむるといへども

(左頁)

しやうへいいきほひつよくして大ぼく

大石をなげかけうつていで よせてを

なやます これみなはんがく女がぐんほう也

さゝ木入どうは古らうのむしやなれば

よせてをかたくいましめ此うへは

ひやらうぜめにせんとて

ぢん/\をまもらせける じやう

へいあんにそういなし てき

ぢんにようちせんとはやる

はんがく女これをせいすと

いへども聞いれざるによつて

その身と大しやうすけ

もりはしろにのこり一千

五百よき こよひ

ようちとさだめられ

ける 此ときさゝきもり

つな入どう鳥

さかじやうの

うしろの

山に

のぼり

じやう

ちう

を●

(上)

  • うかゞふに

ひやうろうのしたく

しきりなれば さては

こよひようちとおぼへたり

これまちまうけたる所也

とて本ぢんにかへりみかたを▲

(右頁下)

▲五つてに

わけて

ふせゞい

なし

ぢん中

かゞり火

にて

たかせ

まつ

所に

城兵

一千五百

よき

まん?に

そなへ

てきぢん に

うつていり

見れば

よせて一人

もなし

おどろき

しりぞ

かんと

すると き

八方

より

伏 ぜい

(左頁)

おこり

もら

さじ と

せめ

たゝ

かふ

じやう

へい

たる

もの

「次へ」

 

 

11

つよさ かずしれず なんぎのおりからじやう中ゟ

はんがく女これを見て すくはずんばあるべからずと

わづか三百??にてうつていづる これを

ふせがんために城ちかくに産前余にんの

ふくへい一度におこり はんがく女をとりかこむ

少しもおそれず女ながらもゆうがうの

はたらきむかふてきをきつておとしちかよる

ものをなぎ

はらひ

ひとへにおに

かみのごとく

これが

ために

よせて

おぐ

みて

見へ

けれ

あさ

くわ ん

じや

与市

よし

とほ

(左頁)

大に

いかり

かれを

うち

とらずんば

あるべ

からず

とて こまの

かしらを

ふり

むけ

すゝ

ませ

打て

かゝる

はん

かく こゝろへたりとわたりあひ

たゝかひたりしがめんどうなりとて

えものをすてむんずとくむ りやうばが

あはひにどつとおつる はんがくすかさず与市

よしとほをとつておさへる 与市下よりはねかへし

はんかく女をくみしく らうどうおりかさなつてついに

はんがく女をいけどる 此ときさゝ木もりつな入どうしきりに

げぢしてしろをせめる よせてなんなくつけいりついにとり坂らく

じやうにおよび じやうの太郎すけもりはしがいなし らうどう

のこらずうちじにしてめつぼうにおよびける よせては十ぶんの

かちどきをあげ かまくらへ引かへしことのよしをつたへければ羽林を

はじめしよしもりつな入どうがぶゆうをかんじかつあさりの与市※

(右頁中)

※よしとほが

はんがく女を

いけどりし

ぶゆうをび

しやうあつて

はんがく女を

つまにたまはり

ければ与市大に

よろこび本国かひへ

ともなふて

ながくも▲

 

▲かいらうの

ちぎりをむす

びぬ

○さてもよりいへ

きやう ちうや

いんしゆいりなん

にぞうちゃうし

さらにらう しん

らの

いさ

めを

もち

ひず

?りに

ことを

?つ

され

ゆう 興

のみ

にて

こく

せい を

すてさせ

給ふこそ

ぜひも なし

(左頁)

そのとし

せいいしの

せんげあり

はくいん

けん 仁

ねん

五月

前君 の

れいに

まかせ

いづの

おくのゝ

かりくら

より

ふじの

すそのゝ

みかりを

もよふ

さんと

ふれ

られける

 

 

12(左頁)

それ/\

したく

とゝのひ

しかば

四月廿六日

かまくら

しんばつ 五月朔日に

おくのゝかりばにつき

給ふ 御ともには

さい鎌くらの諸しん

こと/\゛く召つれられ

ければ そうしはせまはり

えものをたてまつる よく

じつ いとうがさきの山ちうに

ひとつのほらあなあり よちいへ

きやう御らんじて たれかある此内を

見きはめきたれとあれば みな/\

きくわいをおそれてすゝむものなき所に

えがらの平太たねなが ぐわんらい大たんふてきの「次へ」

 

 

13

「つゝき」かうのもの

なれば かしこ

まり候とて

かついうに

身をかため

やゝさき

くらき

ほら穴へ

たいまつを

よういして

たゞ一にん

すゝみいる

頃は午の

上こく也

未の下

こくに

およぶと

いへども

いまだ

かへりき

たらず

やう/\

とりの

下こくに

および

平太

大わら

(左頁)

わに

なり

かへり来る

みな/\よろ

こびいかにと

とふ 平太

こたへて 取て

ゆくこと三り

ばかりに

して日の

光りみる

ことなし あん

やのごとく

ひゆること

かん中の

ごとし なを

おくふかく

いるに

光るもの

あり たい

松をあげ

これを見

れば ほら

にあまる

大じや也

それがし

をのまん

とす のま

れじと※

(右頁下)

※身をさけ大じやのどうなりを

二つにきる 大山もくづるゝ

ごとく

きこへ

しが

しば

ら く し て な り も し づ ま り▲

(左頁下)

▲きを

しづめて

よく

見れば

大じやを

きりころ

せしなり

とかたり

けれは

大せう

はじめ大にかんじ給ふ

同年六月三日ふじの「次へ」

 

 

14

「つゞき」ふもとに

大いなるほら

あり 世にふじの

人あなといふ

これあつて

そのおくを

見れはむる

ものなし より

いへ卿これを

ここし召て

このたびは

仁田の四郎

たゞつねに

めいぜ

らるゝ

 

たゞ

つねかし

こまり

らう等

五人を

えらび かの

ほらにいり

一ちうやに

およんで

たゞつねかへ

りきたらず

よく巳のこく

になり たゞ

つね一にん

(左頁)

かへりきたる

大せうはじめ

そのゆへをとひ

給ふに たゞつね

ほらにいりて

ゆくこと数十里

さきに大きなる

川あり 此所にて

らうとうはみな

そくしにおよび

それがしはきみゟ

たまはりたるつる

ぎを川へいれて

一めいをたすかり

たりといふ よりいへ

そのしだいをいち/\

とひ給ふによつて

せんかたなくその川の

むかふにうるわしき

官女たち給ひ こゝは

人げんの来るべき所に

あらず そう/\かへるべし

よりいへゆうきやうに長じ

こくせいをすてる以来

ゆうきやうをやめよといふ

べし なんぢもこゝにてしす

べきなれどもちうぎに

めでゝ△

(右頁下)

△このたびはたすけ

つかわすなり

ゆめ/\

此こと

人に

かたるべからずと

申されたり

といち/\申し

ければよりいへも

きみ

わろ く

おぼ し

めして

さう/\かま

くらへ

かへり

給ふ

(右頁中)

さても

よりいへ卿

かま

くら

(左頁)

くわんの

のち 御

びやうのう

はつし給ひ

だん/\おも

らせ給ひ

すで

に あ や

ふく

見へ

ければ しよ

らうしんを

めして御ゆい

げんとして

くわんさい三

十八ヶ国を

もつて

御人しや

てい

「次へ」

 

 

15

「つゞき」さねとも卿へゆづり くわんとう

二十八ヶ国をもつて御ちやくし一はた

ぎみ ときに六才にならせ給ふに

ゆづるべしとありけれは ひきのよし

かづ 一はたぎみに二十八ヶ

こくはふそくなり につほん

六十余しうをうけつかし

われ御うしろみせんと

ない心に思ひ よりいへ

卿についてまづ ほう

じやううじをうしなはん

とていろ/\に

ざんげん 二いの

けうこれを

きゝ大におど

ろき給ひて

ときまさ

おやこに

これを

つげる▲

 

▲時まさこれをきいていそぎちうりくせんと内々

そのよういをなし なこしのていへ よしかづをまねかれ

ける よしかづ何心なく行ところを市川べつとう 中の

五郎 仁田四郎 天野みんぶをふせおいてなんなく

とらへちうしける すぐさまひきのやかたへおしよせ

一はたぎみをはじめ一ぞくのこらずうちとりぬ

このせつよりいへ卿びやうき少々こゝろよく

此事を聞給ひ大にいかり 時まさ臣たる

身としてわれにもしらさすらうしんを

ちうりくし あまつさへわかちやくし一はた

ぎみをうしなふことやすからず いそぎ

ほうじやうふしをほろぼさん

とて わたよしもり 仁田の四郎

たゝつねにみつしよを下さる

時まさ此きをさつして仁田の

四郎をなこえのていに招き

よしかつをうちとりしうを

せうしそのゝちちんすひなさ

しめ たゞつねをうちとりぬ

これかのれい女がきくわい

なるべし よりいへ卿なを

いかり給ふに尼公

はしめよりいへ卿に

しゆけ とく

どうを

すゝめ 給ふ

むたいに

らくはつ

(左頁)

なさしめ

給ふ む

ねんに

思し召

ども

せん

○御びや

うしんの

こと

なれば

せんかた

なく

御しや

てい

せんはた

ぎみに

ぶしやう

ゆづり

給ふ

(上)

▲千はたぎみの

しつけんは北じやう

とほ/\みのかみ

とき政也いまだ

御えふちにわた

らせ給へば北条の

やかたにありて御

代かはりのしよを

しよ臣に

番はる□

 

□ひとへに北

でうぶせうの

ごとくこれより●

(上)

 

  • あ さ

日の

のぼ

るが

ごとく

みな

てん

かの

せいじ

北条 の

はか

らひ也

「次へ」

 

 

16

「つゞき」ときに建仁

亥年9月十七日

千はた君を従五位

下にじよせられ

ぶせうのせんげあ

りてかまくら

御所にうつ

らせ給ふ

これにより

さきのぶせう より

いへ卿かまくら

おかんこといかゞなれば

とて いづの国しゆ

ぜんじにおくりたて

まつる これみな

北条がはからひ也

ひとへにはいしよ

どうぜんのありさ

それに引かへ千はた

ぎみは ひやうえの

すけににんぜられ

さねとも卿と申したて

まつる すでにその

としもくれ けん仁四年

正月かいげんあつて元久

元年となる よりいへ卿は

豆しうにありて御かとくを

(左頁)

弟にうばはれ おしこめどう

やうの身のうへ これひとへに

とき政がはからひ也と

むねんのつきひを

おくり

給ふ

しかるに いなげ

三郎しげなり入どう

ほうでうときまさが

つまとひそかにかん

けいをめぐらし かまくら

たつていづにおもむき

よりいへ卿をとひまいらす

きみもなつかしきまゝ

御そばにまねかれて

かまくらのやうすを

とはれければ

いなげにうどう

たちまちなみ

だをながし

当じかまくら

せいじはこと/\゛く

ほうじやうふしの

はからひなれば しよしん

これをうらみのゝしり こゝろ/\゛

にてたゞきみの御ざいせの

事をのみ申くらし候なりと▲

(右頁中)

▲まこと

しやかに

申ければ

よりいへ

あけくれ

此ことを

のみ御心し

めする人

わたりに

ふねと

かんだん

す こゝに

およびて

ついに

いなげ

入どうに

はかられ

しょ国の

(左頁)

ぶへぐん

ぜい ざい

そくの

三ぎやう

しよ を●

(右頁下)

  • くた

されける

いなげ

しすまし

たりと

とりおさめ

いそぎかま

くらへかへり

ときまさに

ついてうつたへ

ぬるは いづの

ぜんしつ御む

ほんのくはだて

しきりにて

しよこくの

ぶしをかたらふ

すなはち御

しよをたま

はりしことて

くわい中より

すつうの

御しよを

とり

いだし▲

(左頁下)

 

▲さし

あげければ

ときまさ

よく/\

見るに

よりいへ卿の

御しよに

さうい

なければ

大に

おど ろき

さつ そく

尼公の

御ぜんに

いでゝ

さね

とも卿

にも

御らん に

いれ

ければ

さつそく

しよ

らうしん

をめして

 

ひやう

ぎ に

およ

ばれ

ける

 

 

17

そのときれつさのめん/\には大江ひろ元

和田よしもり 小山ともまさ はたけ山

しげたゞ 抔なり ときまさくだんの

御しよをひろうにおよび ことめい

はくなるよしを申ス そのときたれ

あつてこたへるものなきところ しげ

たゞいはく まづ此しよを何ものより

きみへうつたへしや そのものをとらへて

ぎんみをとげられしかるべし とあり

ければ とき政せんかたなく いなげ

入どうなりといふ いそぎ

此ものを

めすべし

とて

まねき

よせられ

しげたゞ

とはれけるは

伊豆の

ばんしつより

此御しよは

何ものか

ぢさんいたせしや

ししやのせいめい

(左頁)

めんていおぼへあるべし

とありければ いなげ

にう

どう

はつと

おどろくと

いへども

大たんふて

きのねい

かんぢや

ちの

いなげ

なれば すこし

おそ

れず

こた

ける

○そのぎは

ししやを

だましすかし

いちやとうりういたさせ

ひつとらへてかまくらへひかんと

せしところ やちうにそのいを

さとり ちくてん仕り候 かつめんてい

さらに見しらざるものにてせいめいを

とへどきよごん申しじつみやうは申さず候と●

(右頁中)

  • のべけれは よしもりいはく ごへん一にんを

みかたにたのまんと

ぞんずるにすつうの

御しよはいかなる

ことぞ▲

▲いなげ

こたへて かう

じやうをもつて第一のみかた

たるべくとのことゆへ国ちうの

(左頁)

ぶしはそれがしつうだついたすべし

といつわりなんなくうばひ

とり候といふ しげたゞなんじて

これはよのつねのつかひ

ならず みつじの一大事

なればぜんしつよりいへ

きやうのふくしんと

し給ふ

ぶしに

めいぜ

らるべきに

たゞ今のやう

すにてはへいぜいいんしんなどの

つかひにひとし さやうなるあさはかな

羽りんにても

ましまさず

たとへ

ひつぷげらう

にも

せよ

かゝるみつじをかうむる

からはすこぶる才かくの

中からなるべきに おのれが

うけ給はりしつかひを「次へ」

 

 

18

「つゝき」

御へん

いかに

申さるゝ

とも

わたす

へき

いはれ

なし

それは

かくべつ

すでに

しよかんを

のこらず

わたすほど

ならば御へんを

よく/\みかたと

思ふがゆへなり

しかるにやちう

ゆへなくちくてん

いたせしとは

ぜんごそろ はぬ

しわざなりと

はゞかる所なく

申けり

 

(下)

貞房画

 

畠山重保(はたけやましげやす)

由比(ゆい)が濱(はま)にて

北條の

奸計に

おちいり

討死する