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趣味の変体仮名

義経記 巻第四

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287995

参考にした本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2567790?tocOpened

 

 

2

義経記巻第四目録

 よりともよしつねに対面の事

 義経平家のうつてにのほり給ふ事

 こしごえの申状の事

 土佐坊よしつねの討手にのほる事

 よしつね都おちの事

 すみよし大物(だいもつ)二か所かつせんの事

 

 

3

義経記巻第四

 

  よりともしつねに対面の事

九郎御ざうし浮嶋が原に着給ひ。兵衛佐(すけ)殿の陣の

前三町ばかり引しりぞいて陣を取。しばらく息をぞや

すめられける。佐(すけ)殿是を御覧じて。爰に白籏(しらはた)しろしる

しにて。きよげなる武者五六十きばかり見えたるはた

れならんとおぼつかなし。信濃の人々は木曽にしたがひ

てとゝまりぬ。甲斐の殿原は二陣なり。いかなる人ぞ假(け)

名(みやう)実名を尋て参れとて。堀の弥太郎を御つかひに

てつかはされ。家の子郎等あまたひきくして参る。あひ

を。へだてゝ弥太郎一きすら見出申けるは。足に白しる

しにておはしまし候はゝ誰人にてわたらせ給ひ候そ

 

 

4

假名実名をたしかに承候へと。鎌倉殿におほせにて候

と申ければ。其中に廿四五ばかりなるおとこの。色しろ

く尋常なるが。あかぢのにしきのひたゝれにむらさき

すそごのよろひの。すそ金物うちたるを。き 白ぼしの五枚

かぶとにくはがた折ていくびにき。大中黒の矢おひ重(しげ)

藤(とう)のゆみもちて。くろき馬のふとくたくましきにの

りたるが。あゆませ出て申されけるは。かまくら殿も

しろしめされて候。わらはが名うしわかと申さふらひし

が。近年奥州に下向仕り候てい候ひつるが。御謀叛の

よし承り夜を日につぎてはせ参じて候。見参に

いれてたび候へと仰られけれは。ほりの弥太郎さては

御兄弟にてまし/\めりと。馬よりとんでおり。御ざう

 

しのめのと佐藤三郎をよび出してしきたいあり。弥太

郎一町ばかり馬をひかせけり。かくて佐殿の御前に

参り此よしを申上ければ。佐殿は善悪にさはがぬ

人にておはしけるが。今度は事の外にうれしげ

にて。さらばこれへおはしまし候へ。見参せんとの給へは。

弥太郎やがて参り。御ざうしに此よしを申。御ざうし

も大きによろこびいそぎ参り給ふ。佐藤三郎同四郎。

いせの三郎これら三きめしつれて参らるゝ。佐殿御

ぢんと申は。大幕百八十町ひきたりければ。その内は

八ヶ国の大名小名なみいたり。をの/\しきがはにて

ぞ有ける。すけ殿御ざしきにはたゝみ一でうしき

たれとも。佐殿もしきかはにぞおはしける。御ざうしは

 

 

5

かぶとをぬぎてわらはにもたせ。ゆみとりなをしま

くのきはにかしこまつてそおはしける。そのとき佐

とのしきがはをさり。わが身はたゝみにぞなをら

れける。それへ/\とぞ仰らるゝ。御さうししばらく

じたいしてしきがわにぞなをられける。すけとの

御さうしをつく/\と御らんじて。まづなみたに

ぞむせばれける。御ざうしもそのいろはしらねとも

ともになみたにむせびたまふ。たがひにこゝろ

のゆくほとなきてのち。すけ殿なみだをおさへて

さてもかうのとのにをくれたてまつりて。そのゝ

ち御ゆくえをうけたまはり候はず。ようせうに

おはし候とき見たてまつりしばかりなり

 

 

6

よりともいけのあまのなだめられしによりて。伊豆

の配所にて伊東北條に守護せられ。心にまかせぬ身に

て候し程に。奥州へ御下向のよしは幽(かすか)に承て候しかど

も。をつづれだにと申さす候。兄弟ありとおほしめし忘

れ候はて。取あへず御上り候事申つくしかたくよろこび入

候。是御覧候へかる大事をこそ思ひてはたてゝ候へ。八か国の

人々を初めとして候へとも。皆他人なれは身の一大事を申

あはする人もなし。皆平家に相したがひたる人々なれば

頼朝がよはげをまほり給ふらんとおもへば。夜もよもす

がら平家の事のみおもひ。又或時は平家の討手上せ

ばやとおもへとも。身は一人なりよりとも自身すゝみ候へ

は。東国おぼつかなし。代官をのぼせんとすれは心やすき兄(きやう)

 

 

7

弟(たい)もなし。他人をのぼせんとすれば。平家と一つにな

りて還て(かへつて)東国をやせめんと存するあひだ。それもかな

ひがたし今御へんを待(まち)つけて候へば。古(こ)左馬のかみ殿よみ

がへらせ給ひたるやうにこそおもひ候へ。我らが先祖八幡

殿の二三年の合戦に。むなうの城(しやう)をせめられしに。多

勢みなほろぼされて無勢に成て栗屋川のはたにお

り下りて。へいはくをさゝげて王城をふし拝みなむ八幡

大菩薩御おほえをあらためず。今度の寿命をたすけ

て本意をとげさせてたへと祈誓せられけれは。まことに八

幡大ほさつの感応にや有けん。都におはする御おとう

と形部丞(きやうふのせう)は内裏に候けるが。俄に内裏を紛れ出奥

州のおぼつかなきとて二百よきにて下られける。路次(ろし)に

 

てせい打くはゝり三千よきにて。栗屋川にはせ来て。

八幡殿と一つに成て終に奥州をしたがへ給ひける。其時

の御心も頼朝御辺を待(まち)え参らせたる心も。いかでか是に

まさるべき。けふより後は魚(うを)と水とのごとくにして。先祖の

はぢをすゝぎ。亡魂の憤(いきとをり)を休めんとの給ひもあへず。涙を

ながし給ひけり。御ざうしはとかくの返事もなくして。たも

とをぞしぼられけるこれを見て大名小名たがひの心

のうち。をしhかられてみな袖をぞぬらされける。しばらく

有て御ざうし申されけるは。おほせのごとく幼少の時。御

めにかゝりて候けるやらん。配所へ御下りの後は。よそつね

も山しなに候しか。七さいの時くらまへ参り。十六までか

たのごとく学問を仕り。扨は京都に候しが内々平家は

 

 

8

うへんをつくるよし承り候し間。奥州い下向仕りて。

ひてひらを頼(たのみ)候つるが御謀叛のよし承て取あへすはせ参

る。今は君を見奉り候へば。こかうの殿の御見参に入候心

ちしてこそ候へ。命(めい)をばこかうの殿に参らせ候。身をは君に参らす

る上はいかゝ仰に随ひ参らせでは候べきと。申もあへす又涙をながし

給ひけるこそ哀なれ。扨こそ此御ざうしを大将軍にて上せ給ひけり

 

  義経平家の討手(うつて)に上り給ふ事

御ざうし寿永三年に上洛して平家をおひおとし。一谷

八嶋だんの浦。所々の忠をいたし。さきがけ身をくだき。終に

平家をせめほろぼして大将軍前(さき)の内大臣宗盛父子(ふし)を

生捕(いけとり)。三十人ぐそくして上洛し院内の見参に入ての

ち。去(さん)ぬる元暦元年に検非違使(けんひいし)五位の尉(ぜう)になりたまふ

 

 

9

太夫本官(たゆほんくはん)むねもり父子(ふし)をぐそくして。こし越に付給ひ

し時。梶原申けるは。判官殿こそ大臣殿父子ぐそくして。こし

越につかせ給ひて候なれ。君はいかゞ御はからひ候。判官殿は身

に野心をさしはさみたる御事にて候。其儀いかにと申に。

一谷のかつせんにしやうの三郎たかいえ。ほん三位の中将以

下取奉り。三河殿の御手にわたりて候を。判官大にいかり

給ひて。三河殿は大かたの事にてこそ義経が手にこそわた

るべきtものを。きくわいの者のふるまひかな。よせてうたんと候し

を景時がはからひに土肥の次郎が手にわたしてこそ判官はしづ

まり給し也。其上平家を打とつては。関より西をはよしつね給

はらん。天に二の日なし。地に二人の王なしといへ共。此後は二人の

将軍やあらんずらんとおほせ候しぞかし。かくて武こうの達者

 

 

10

一度もなれぬ舟いくさにも。風波(ふうは)のなんをおそれう。舟ばたを

はしり給ふ事鳥のごとし。一谷のかつせんいも城(しやう)は無双の城(しろ)や。

平家は八十万よきなり。みかたは六万五千よきなり。城は無勢

にて。よけては多勢こそ軍(いくさ)の勝負はけつし候に。城は多勢

案内者寄(よせ)ては無案内の者共也。たやすくもかよひがた

きがんせきを。無勢にておとし。平家を終にをひおとし給ふ

事は。凡夫のわさならず。今度八しまの軍に。大風(ふう)にてなみ

おびたゝしくて。舟のかよふべきやうもなかりしを。たゝ舟五そ

うにてはせわたし。わづかな五十よきにて。さうなく八しまの

城(しやう)にをしよせて。平家の数万よきをゝひおとし。だんのうら

のつめいくさまでも終によはげをみせ給はず。かんか本朝

 

にも是ほどの大将軍いかでか有へきとて東国西国の兵(つはもの)と

も一同にあふき奉る。野心をさしはさみたる人にておはすれ

ば。人ことに情(なさけ)をかけ。さふらひまてもめをかけられし間。侍

共哀(あはれ)たのむべき主かなと。此殿に命(めい)を奉らん事はちり

よりもおしからじと申て。心をかけ奉りて候。それにさうなく

かまくら中に入参らせ給て。御ざ候はん事いふせく候。御一都(と)の

ほどは君の御果報なれば。さりともと存じ候御子孫の世

にはいかゝ候はんすらん。又御一ごと申てもなにとも御ざ候はんと

申ければ。君此よしを聞てあひはからはん事は。せいたいの

けがるゝ所也。九郎かつきたるなれは。明(みやう)日是にて梶原にもん

だうせさせ候べしと仰られける。大名小名是を聞て。今の

 

 

11

御諚のごとくにてぞ判官もとよりあやまり給はねは、も

したすかり給ふ事も有なん。されともかげ時かさかろたて

むとの論のやまさる所に。だんの浦にてたがひに先がけ

あらそひて。矢はづを鳥給ひし其遺恨にかやうに讒(さん)

言(けん)申せば。ついにはいかゝあらんすらんと申ける。めしあはせん

と仰られ。いふ時舟梶原あまなづのしゆくしよに帰りて

偽(いつはり)申さぬよし起請(きしやう)をかきて参らせけれは。此上はとて

大臣殿をばこしこえよりかまくらに請取。判官をば腰越

にとゝめらるゝ。判官せんぞのはぢをきよめ。亡魂のいきとを

りをやすめ奉る事は本意なれ共。すいぶん二位とのゝき

しよくにあひかなひ奉らんとてこそ。身をくだきてはふるま

ひしが恩賞にをこなはれんずるかとおもひつるに。かうげん

 

をたにもとけられざる上は。日来(ひころ)の忠も益(えき)なし。あはれ是

は梶原めが讒言ごさんなれ。西国にて切てすつべきやつを。

哀隣をたれてたすけ置(おき)て。敵をなしぬるよと後悔し

給へ共甲斐ぞなき。かまくらには二位殿河ごえの太郎を

めして。九郎がいんの御きしょくよきまゝに世をみたさん

と内々やくむなる。西国の侍共つかぬさきに。腰越にはせ

むかひ候へと仰られければ。川越申されけるは。何事にても

候へ。君の御諚を背き申へきにては候はね共。かつうはしろし

めして候やうにむすめにて候ものを。判官殿のめしうぇおかれて

候間。身に取てはいたはしく候。他人に仰付られ候へと申捨(すて)て

ぞたゝれける。ことはりなれば重ても仰出されす。又畠山を

めしておほせられけるは。川越に申候へば。したしくなり候と

 

 

12

てかなはじと申さればとて。世をみたさんとふるまひ候九郎を。其

まゝをくべきやうなし。御辺打むかひ給ひ候べし。吉例なり

さも候はゝ。伊豆駿河両国を奉らんと仰られけれは。畠山よろ

づにはゞからぬ人にて申されけるは。御諚背きかたく候へ共。八幡

大ぼさつの御ちかひにも。人の国より我国。他人よりも我人

をこそ守らんとこそ承候へ。他人としたしきと云くらぶれは

たとふる方(かた)なし。梶原と申は一たんの便によりてめしつかは

るゝ者なり。かれか讒言により年来(としころ)の忠と申御兄弟の

御中と申。縦(たとへ)御恨み候とも。九国にても参らさせ給ひて。

見参とてしげたゝに仰候はんする。伊豆駿河両国をけん

しやうの引出物に参らせ給ひて。京都の守護にをき参ら

せ給ひ候て。御うしろを守らせ給ひて候はんほとの。御心

 

やすき事はなに事か候へきと。はゞかる所なく申すてゝ立れ

ける。二位殿ことはりとおほしめしけるにや。其後は仰出さるゝ

事もなし。腰越には此事を聞給ひて。野心をさしはさま

ざるむね。数通の起請もんを書(かき)進じられけれ共。猶御承引

なかりければ。かさねて申状をぞまいらせられける

 

  腰越の申状の事

みなもとのよしつね。おそれなから申上。意趣は御代官の其一

にえらはれ。勅宣の御つかひとして朝敵をかたふけ。会稽

の恥辱をすゝぐ。くんこうにをこおなはるべき處に。おもひの

外虎口の讒言によつて。莫大のくっっこうをもたせられ

よしつねをかす事なうしてとがを蒙り。あやまりなしと

いへ共こう有て。御勘気を蒙るの間。むなしく紅涙(こうるい)に沈

 

 

13

む。讒者の実否(じっぷ)をたゝされず鎌倉中へだに入られさるの

間。素意をのぶるにあたはず。いたづらに数日を送る。此時に

当(あたつ)てながくをんじんを拝し奉らず。骨肉同胞(とうはう)の義既に

たえ。宿運きはめてむなしきに似たるか。将又(はたまた)前世の

業因をかんずるか。悲しきかな此条。古亡父尊霊(そんりやう)再誕(さいたん)

のえんにあらすんば。誰人か愚意の悲嘆を申ひらかん。何

のともがらか哀憐をたれんや。事新き申状述懐に似たり

といへ共。よしつね身体はつふを父母にうけ。いくばく時節を

へずして。古頭殿(ここうてん)御他界の間孤子(みなしこ)となつて。母の懐中

にいだかれて。大和の国宇多郡(うたこほり)。龍門の牧に趣(おもむき)しより以来(このかた)

一日片時(へんし)も安堵の思ひに住せす。甲斐なき命(めい)を存ずとい

へども。京都の経廻(けいくわい)難治(なんち)の間。身を在々所々にかくし。辺土遠(をん)

 

国(こく)をすみかとして。土民百姓(はくせい)らにぶくじせらる。しかれ共かうけい

忽にじゆんじゆくして。平家の一族追討のために上洛せしむる。

先(まつ)木曽義仲を誅戮(ちうりく)の後。平家を責(せめ)かたふけんがために。或時

はがゝたるかんぜきに駿馬にむちうつて。かたきのために命を

ほろぼさん事をかへり見ず。或時はまん/\たる大海に風波のな

むを凌ぎ身を海底にしづめん事をいたまずして。かばねを鯨(けい)

鯢(けい)の顋(あぎと)にて。しかのみならず甲冑を枕とし。弓箭(きうせん)を業(げう)とす

る本意。しかしながら。亡魂の鬱憤(いきとをり)をやすめ奉り。年来の宿

望(まう)をとげんとほつする外は他事なし。あまつさへよしつね五位

の尉に補任(ふにん)せらるゝの条。当家のぢうしよく何事かこれに

しかん。しかりといへ共今うれへふかくなげくせつなり。仏神の御

たすけにあらすより外は。いかでかしうそをたつせん。是によ

 

 

14

つて諸寺諸社の。牛王宝印(こわうほういん)のうらをもつて。まつたく野心を

さしはさまざるむね。日本国中大小の神祇冥道(しんきみやうたう)を請(しやう)じおど

とかし奉りて。数通の起請文を書しんずといへ共。猶以御宥免な

し。それ我国は神国なり。神はひれいをうけ給はず。頼む所他(た)

にあらず。ひとへに貴殿広大の御慈悲をあふき。便宜(ひんぎ)をうかゞ

ひ上聞(ぶん)にたつせしめ。秘計をめぐらしてあやまりなきむねに

ゆうぜられ。はうめんにあづからは。積善(しやくせん)の餘慶(よけい)家門に

をよび。栄花(えいくわ)をながく子孫につたへ。よつて年来のしう

びをひらき。一期(ご)のあんねいをえ書紙(しよし)につくさず。しかしな

がらせいりやくせしめ候をはんぬ。よしつね誠恐(せいけう)謹言

  元暦二年六月五日    源義経

進上    因幡守(いなはのかみ)殿

 

 

15

とそかゝれたる是を聞召て。二位殿をはじめ奉りて御前(まへ)

の女ばう達にいたるまで。涙をぞなかされける。扨こそしば

らくさしをかれけれ。判官は都にいんの御気色よくて。京

都の守護には義経に過たる者あらじとの御きしよくなり。

萬事あふき奉る。かくて秋もくれ冬の初にもなりしかは。

梶原が憤りやすからずして。しきりに讒言申けれは。二

位殿さもとや思はれける

 

  土佐房よしつねの討手に上る事

二階堂の土佐房めせとてめされけり。鎌倉殿よま所に

おはしまして。土佐房めされ参る。梶原とさ参りて候と

申ければ。鎌倉殿是へとめす。御前にかしこまる。源太を

めして土佐に酒のませよと御諚有けれは。梶原殊の外に

 

 

16

もてなしけり。鎌倉殿仰られけるは。和田畠山に仰けれ

共あへて是をもちいず。九郎が都にいて。院の御きしよく

よきまゝに世をみださんとするあひた。河越の太郎に

仰けれ共。えんあれはとてもちいす。土佐より外に頼(たのむ)べきも

のなし。しかも都の案内者なり。上りて九郎をうちて参

らせよ。そのくんこうには。安房上総を給はるべきとぞ仰ら

れける。土佐申けるはかしこまり承候。御一門をほろぼした

てまつれと。仰を蒙り候こそなげき入存じ候と申けれは。

かまくら殿きしよく大にかはりあしく見えさせ給へは。

土佐つゝしんでこそ候ける。かさねて仰られけるは。扨は九

郎にくみしたるにやと仰ければ。せんするところおやの

くびをきるも君のめいなり。上とうへとの合戦には。侍命(めい)

 

を捨ずしては討べきにあらすと思い。さ候はゝ仰に随ひ

候はん。おそれにて候へばしきたいばかりと申。鎌倉殿され

ばこそ。土佐より外にたれかむかふべきとおもひつるに

少(すこし)もたがはず。源太これへ参り候へと仰られければ。かしこ

まつてぞ居たりける。有つるものはいかにと仰有ければ。

おさめどのゝかたよりして。みは一尺二寸有ける。てぼこのひ

る。まきしろくしたるを。ほそかいをめぬきにしたるを持て

参る。土佐がひざの上にをけとぞの給ひける。是は大和の

千手院に作らせて。秘蔵して持たれ共。よりともが敵

うつには。つる長きものを先とす。和泉の判官を討し時に

やすくくびを取て参らせたりしなり。是を持てのほり

九郎がくびをさしつらぬき。参らせよと仰られけるは。

 

 

17

情なくぞ聞えける。梶原をめして安房上総の者ども

土佐か供せよとぞ仰られける。承てせんなき多勢か

な。させるよせ合のたてつきいくさはすまじひ。ねらひよ

りて夜うちにせんとおもひけれは。大勢はせんなく候

とさが手勢ばかりにてのほり候はんと申。手勢はいかほ

どあるぞとの給へば。百人ばかりは候らん。扨は不足なしと

ぞ仰られける。とさおもひけるは。大勢をつれ上りなは

もししおふせたらん時。くんこうをはいぶんせさらんもわろ

し。せんとすれは安房上総はたけおほく田はすくなし。

徳分すくなくて不足なりとさけのむかた口にあんじ

つゝ。御引出物給て二階堂に帰り。家の子郎等よびて申

けるは。鎌倉殿よりくんこうをこそ給て候へ。急ぎ京上

 

りしてしよち入せん。とく下りて用意せよとぞ申ける。

それはつね/\の方向か又なにゝよりてのくんこう候

ぞと申せば。九郎判官を討て参らせよとの。仰を承て候

といひければ。ものに心えたるものは。あは上総も命

ありてこそとらんずれ。いきて二たびかへらばこそと申

ものも有。あるひは主の世におはせは我らもなどか世

にならさるらんといさむるものも有。されば心はさま/\

なり。土佐はもとよりかしこきものなれば。うちまかせて

の京上りの体にてはかなふまじとて。白ぬのをもつ

てみなじやうえをこしらへて。えぼしにしでをつけさせ

法師にはときんにしでをつけ。ひかせたる馬にも尾かみ

にしでつけ。神馬(しんめ)と名づけ引ける。よろひはらまきを

 

 

18

入たるからひつを。こもにてつゝみしめを引。くまのゝは

つを物といふふだをつけたり。かまくら殿の吉日判

官殿の悪日をえらひ。九十三ぎにてかまくらを立

て其日はさかうのしゆくにぞ着(つき)たりける。当国の

市の宮と申はかちはらが知行の所なり 嫡子の源

太をくたして。白くり毛なる馬。白あし毛なる馬二疋

に。白くらをかせてぞひきたる。是にもしでつけ神

馬と名付たり。夜を日につきてうつ程に。九日と

申に京につく。いまだ日たかしとて四のみやかはら

などにて日をくらし。九十三ぎを三手(て)にわけ

て。あからさまなるやうにて五十六きにて。わが

身は京へぞいりけり。のこりは引さがりて入にけり

 

 

19

祇園大路をとをりて。河原を打わたりて。東のとう

いんを下りにうつほとに。判官殿の御内にしなのゝ国

の住人に。江田(えだ)の源三(けんさう)と云ものあり。三条京こくに女の

もとにかよひけるが。ほり河殿を出て行ほとに。五でうの

ひがしのとういんにてはたと行あひたり。人のやかげの

ほのぐらき所にて見ければ。くまのまうでと見なして。い

づくよりの道者(たうしや)やらんと。先陣をとをして後陣を見れ

ば。二階堂の土佐と見なして。土佐が此ころ大勢にて。く

ま野詣(まうて)すべしとこそおほはねと。おもひあんずるに。我ら

が君と鎌倉殿と御中不和なり給へば。なにとなくよ

りて問(とは)ばやとおもひけれ供。ありのまゝにはよもいはじ。

中々しらぬよしゝて土佐が下人をすかして問ばや思い

 

 

20

て待(まつ)所に。あんのごろくをくればせの者とも。六でうの坊

門油の小路へはいづかたへ行ぞと問けれは。しか/\に

をしへける。江田はかれが袖をひかへて申けるは。是はいづ

れの国の誰と申御大名ぞと問ければ是は相模国二か

いだうの土佐殿とぞ申ける。あとりょり来る者共の申

けるは。さもあれ身の一期けんぶつは京とこそきくに。

なんぞ日中に京入をばし給はで。道にて日をくらし

給ふそ。殊さらをもにはもちたり夜はくらしとつぶや

きければ。今一人がいひけるは。心みじかき人のいひやうか

な。一日もとうりうあらば見んずらんといひけれは。今一人

の男の申けるは。わともばらもこよひばかりこそしづかな

らんすれ。明日は都はくだんの事にて大らんにてあらん

 

すれ。されば我々までもいかゝあらんずらんとおそろしさ

よと申ければ。源三是を聞て。かれらが跡につきて物

語をぞしたりける。是もぢたいは相模の国の者にて作

しが。主に付て在京して候か。我国の人と聞はいとゝ

なつかしくぞんし候なとゝすかされて。同国の人ときけば

申候ぞ。げにかまくら殿御おとゝ。九郎判官殿をうち参せ

よとの討手の御つかひを給て上られ候。披露はせんな

く候と申ける。江田是をきゝて我宿所へ帰るにをよば

ず。ほり河殿にはしり参り此よしを申上る。判官はす

こしもさはがずさこそあらんずらん去ながら。御辺行(ゆき)むか

ひて土佐にいはんずるやうは。是よりくわんとうに下し

たるものは京都のしさいをせんにかまくら殿へ申べし。

 

 

21

又関東より上らんものはさいぜんに義経がもとに来

て。事の子細を申べき所に。今までをそく参るびろう

なり。きつと参るべきと時刻をうつさすめして参れと

仰られける。江田承て土佐が宿所油の小路に行て見

れば。馬どもみなこらおろしゆあらひなどしける。又かた

はらをみれば。くつきやうのつはもの五六十人なみいて。な

にとはしらす評定しける。土佐房はけうそくにより

かゝりていける所へ。江田つつと行て仰ふくめらるゝむね

をいひければ。とさちんじ申けるやうは先(まづ)めつらしう

候江田殿。扨それかし上洛の事別(べち)の子細にて候はす。かま

くら殿三つのお山へしゆくぐわんの御事候て。御代官に

くま野へ参詣仕候。かまくらにはさしたる事も候はす。さい

 

ぜんに参し候はんと随分存(そんし)候しに。路次(ろし)より風の心ちあ

しく候ゆへ。今夜養生を仕り明日参し。御目見えを仕へ

きよし申ふくめ。只今子にて候ものをしんじ候はんと存るお

りふし。御つかひに預りかしこまり入候よし。申させ給へと

申ければ。江田はかへり参り此よしを申。判官殿日頃は

さふらひ共にむかひ。御言葉をあら/\しくもの給はざ

りしかども。たゝ今は大にいかつての給ひけるは。土佐め

ほどの法師いぎをいはせけるは。ひとへに御へんがおめたる

によつてなり。向後(きやうこう)の出仕むやくなりと大きにいかり給へ

ば。江田は御まへをまかりたち。宿所へもかへらず御前をへ

だてゝいたりけり。むさしはうは御酒もち過し時。我宿所

へ帰りしが。御内に人もなくおはすらんとおもひて参りけ

 

 

22

る。はうぐわん御覧じていしくも参り給ひ候。唯今かゝ

るふしきこそあれ。其法師急ぎひつたて参れとて。江田

の源三をつかはして候へば。土佐が返事にしたがひてかへ

り来るまり。御へん行むかつて土佐をめして参れと仰

られければ。かしこまつて承候とて御まへをまかり立(たち)。お

もふほどこそ出たちけり。くろかはおどしのよろひき。五ま

いかぶとのおをしめ四尺五寸の太刀をはき。判官殿のひ

さうせられける。大くろといふ名馬にはたせ馬にそのり

にける。人あまたにてかなふまじと。ざつしき一人めしぐ

して。土佐か宿へぞ打入ける。土佐がいけるさしきのえん

の上にゆらりとあがり。すだれをさつと打あげて。ざしき

の体をみければ。郎等ども七八十人ばかりなみいて。夜(よ)

 

討(うち)の評定をぞしける。もとよりおくせぬむさしにて

らうとう共をはたとにらみ人々御めん候へといふまゝに。て

うしかはらけけちらかし。土佐がいたるよこざにむずと

よろひの草ずりをいかけて。ざしきの体をねめまはし。

其後土佐をはたとにらみ。いかに御へんはいかなる御代官

なりとも在京有ならは。先ほり川殿へ参て関東の

子細を申さるべきに。今まで遅参はびろうのいたす

所なりと。さもあらけなくいひければ。土佐房子細を

いはんとするところに。弁慶いはせもたてず。申へき事

あらば君の御まへにて随分ちんじ申されよ。いでさ

せ給へと手をとつてひきたつる。兵(つはもの)ども是を見て。色を

そんじ土佐おもひきり給ふほどならば。うちあはんず

 

 

23

るていなれ共。さすがにあんふかき土佐坊にて。さらぬて

いにもてなし。やがて帰らむと申けるほとに。さふらひ共も

ちからをよばず。しばらくむまにくらをかせんといひける

を。弁慶が馬の有うへは。たゝ/\是にのり給へとて。土

佐が小がいなをむずととり引たつる。土佐も聞ゆる大力(りき)

なりしかども。弁慶に引たてられて。えんのきはま

で出にけり。むさしが下人心得て。えんのきはに馬を

引よせたりければ。弁慶とさがよはこしむずとだき。

こらつほにどうどのせ。わが身もうしろ馬にむず

とのり。たづなとさにとらせてかなはしとおもひ

うしろよりとり。むちにあぶみをあはせて。六てうほ

りかはにはせつき。このよし申あげたりければ

 

 

24

判官南面のひろびさしに出むかひ給ひて。土佐を近くめ

して事の子細を尋ね給ふ。土佐ちんじ申けるやうは。鎌

倉殿の御代官に熊野に参り候。江田殿に申上候ごとく。とく

参り候てかまくらのやうをも申上候はんと存候つれとも。路

次(じ)より風の心ちにて候間。すこしかんびやう仕まかり出んと

存候處へ。御つかひかさなり候程に。おそれ存じ候て参り

て候と申。判官聞召(きこしめし)。をのれはよしつね追討のつかひとし

て上るとこそきけ。せいをばいかほどもちたるぞと仰ら

れければ。土佐つゝしんて申けるは。ゆめ/\存じよらざる事

にて候。人のざんげんにてぞ候らん。いづれか君にてわたらせ

給はぬ定(さだめ)てごんげんもちけんしまし/\候はんと申せは。

西国のかつせんにきずをかうふり。いまだ其きずいへぬと

 

 

25

もがらが。なまきずもちながらくま野さんけいに。くるしから

ぬかと仰られければ。さやうの仁一人もめしぐせず候。くまの

三つの御山の間。山賊みち/\て候と承り候間。わかきやつ

ばらをせう/\めしぐして候。それを人の申候はん。判官仰ら

れけるは。汝がしもべ共なる京都は大いくさにてあらんず

るぞといひけるぞ。それはやあらそふと仰られければ。土佐

申けるは。かやうに人のむしつを申付候にをいては。わたくし

にはちんじひらきがたく候。御めん蒙りて候てきしやうもん

をかき候はんと申ければ。判官神はひれいをうけ給はず

といへば。とく/\きしやうをかきゆるすへしとの御諚にて。

くまのゝ牛王(ごわう)七枚にかゝせ。三まいは八まん宮(くう)におさめ。一

枚はくまのにおさめ。今三枚は土佐が五たいにおさめよと

 

て。やきてはいになしてのみにけり。此上はとてゆるされ

ぬ。土佐ゆるされて出さまに。うつしてこそみやうば

つも神罰もかうふらめ。こよひをばすくすまじものを

と思いける。宿へかへりてこよひよせずばかなふまじきとて。

をの/\ひしめきける。判官の御前には。むさしをはじめとし

て侍共申けるは。起請と申は少事にこそかゝすれ。是程

の大事にこよひは御用心あるべく候と申せは。判官は何程

の事かあらんとの給ひける。さりながらこよひは打とく

る事候ましと申せは判官こよひなに事も有ならば。

たゝ義経にまかせよ。さふらひどもはみな/\やと/\に

かへれとの給ひければ。をの/\しゆくしよへぞ帰けり。判官は

終日(ひねもす)のさかもりにえい給ひて。前後もしらず臥(ふし)給ふ。其頃

 

 

26

判官はしづかといふ遊女をめしをかれたり。さか/\しきもの

にて。是程の大事を聞ながら。かやうに打とけ給ふも御

うんのすえやらんと思ひ。はしたものを一人土佐か宿所へつ

かはして。けしきを見て参れと有ければ。はしたもの行て

見るに。唯今かぶとのをゝしめ馬ひつたてすでに出んと

す。猶も立入ておくにて見すまして申さんとてふるひ

/\いる程に。土佐がしもべ是をみて。こゝなる女はたゞもの

ならずと申ければ。さもあるらんめしとれとて。かの女をとら

へあげつおろしつかうもんす。しばらくは落ざりけれ共。あ

まりにつよくせめられてありのまゝにそ落にける。

かやうのものをゆるしてはあしかるべしとて。やがてさしころし

てすてにけり。土佐がせい百き。しら河のいんち五十人あひ

 

かたらひ。京の案内者として。十月十七日のうしのこくばか

りに。六条ほり川にをしよせたり。かくてほり川の御所には。

こよひは夜(よ)もふけ何事もあらじと。をの/\宿へ帰る。武蔵

坊かたをか両人は六条なる宿へ行てなし。佐藤四郎いせの

三郎はむろ町なる女のもとへ行てなし。根尾(ねのを)わしの尾は

ほり川のやどへ行てなし。其夜はしもべに喜三太(きさんた)と申も

のばかりぞ候ける。判官も其夜はふくる迄さかもりして

前後もしらずふし給ひける。かゝる所に土佐か大勢をし

よせ。ときをどつとつくる。しづかはときの声におどろき。判官

殿ををしうごかし。てきのよせたると申せども前後もし

らすふし給ふ。からひつのふたをあけて。御きせながを取出

し。御身になけかけたりければ。かつはとおき給ひ何事

 

 

27

やらんとの給へば。てきのよせて候ぞと申けれは。哀女の心

ほどけしからぬ物はなし。思ふに土佐めこそよせつらん。人々は

おはせぬかあれをひはらへとの給ひけり。侍一人もなしよひ

御いとま給て。みな/\宿へかへり候ぬと申ければ。さぞある

らん去にても男はなきかと仰られけれは。女ばう達はし

りめぐりて。しもべに喜三太ばかりなり。喜三太参れとめ

されければ。南面(みなみをもて)のくつぶぎにかたまつてぞ候ける。近う参

れとめしけれ共。日ごろ参らぬ所なれば。さうなく参りえす。

きやつは何とて参らぬと仰られけれは。しとみのきはまて

参りたり。よしつねが出んほど汝よろひきて出むかひて。

よしつねを待(まち)つけよと仰られける。承候とて大ひきりや

うのひたゝれに。さかおもだるの腹まききて。長刀ばかり

 

をおつとり下へとんでおりけるが。哀御でいの方(かた)に御弓の候

らんと申せば。入て見よとおほせける。はしり入て見けれは。しら

のにくゞいの羽(は)をもつてはぎたる。くつまきの上十四束(そく)に

こしらへて。白木の弓。にぎりふとなるをそへてぞをきたる。あ

はれものやと思ひて。ていのはしらにをしあてゝえいやとはり。

かねをつくやうにつるうちちやう/\どして。大庭にぞはし

り出けり。下らうなれ共弓矢取(とる)事はすみともまさかと養(やう)

由(ゆふ)にもをとらぬ程の上手なり。四人ばりに十四そくをぞいけ

る。我ためにはよしとよろこびて。門外に出むかつてくわん

の木をはづし。戸びらのかた/\をし開き見ければくまなき月

に甲のほしもきら/\として。内甲(かふと)すきていよげにこそ

見えたりける。かたひざつき矢つぎばやに。さしつめ引づめ

 

 

28

さん/\にいる。土佐がまつさきかけたる郎等五六きいおとし。

矢庭に二人ぞうせにけり。土佐かなはしとおもひけん

きつと引にけり。土佐きたなし。かくてかまくら殿の

御代官はするかとて。戸びらのかけにひかへた。土佐是

を聞。かくの給ふは誰人ぞ名乗給へかく申は鈴木たう

に。土佐坊正しゆんなり。鎌倉殿の御代官と名のりけれと

も。下らうなればてきのきらふ事も有なんとをともせ

ず。かくて判官は大くろといふ馬に。金(きん)ぶくりんのくらを

かせて。赤地のにしきのひたゝれに。ひおとしのよろひきて

わがた討ちたる白ほしの甲のをゝしめ。金(かね)作りの太刀はいて。

きりうのそやおひて。しげとうの弓のまん中にきり馬

引よせめして大庭にかけ出。まりのかゝりにて喜三太と召けれは

 

 

29

喜三太申けるは。下なき下らうの。今夜のさきかけ承て

候なり。生年(しやうねん)廿三我とおもはんものはよりてくめ

とぞ申ける。土佐是を聞てやすらずおもひければ。

戸びらのすきよりねらひよりて。十三束(そく)よつひきひ

やうどいる。喜三太が弓手(ゆんで)の太刀うちを。はふくらせめ

てつといとをす。かいかなぐりてすて喜三太弓をがは

となげすて。大長刀のまん中とつて戸ひらを左右へ

をしひらき。よれやもの共と待(まつ)所に。てきくつばみを

ならべておめいてかけ入。もつてひらいてさん/\にきる。

馬のひらくびむないたまへのひざをさん/\にきられて。

馬たをれければ主はさかさまに落(をつ)る所を。長刀をおつ

取のべすんど切てぞおとしける。其外(ほか)むかふもの共をもて

 

 

30

をおひて引しりぞく。され共大勢にてせめきれは。はしり

かへりて御馬の口にすがる。さしのぞき御覧ずれば。むないた

より下は血にぞなりたる。をのれは手をおふたるか。さん候と申

大事の手ならばひけと仰られければ。かつせんのにはに

出て死するは弓矢の面目なりと申けれは。きやつは

けなげものとの給ひける。なにともあれをのれとよしつねと

だにあらばとぞ仰られける。され共判官もかけ出給はす

土佐もさうなくかけもいらず。りやうはうしばしやすら

ふ所に。むさしはう六条の宿所にふしたりけるが。kもよひ

はなにとやらん夜こそねられね。さても土佐こそ京にあ

るぞかし。殿のかたおぼつかなし。めぐりて帰らばやと

おもひければ。草ずりのしどろなるひやうし。よろひの

 

さねよきに大太刀はき。ばううちつれて高あしだは

きて。とのゝかたへかし(ら)り/\としてぞ参りける。大みかどくわ

むの木さゝれたりとおもひて。小門よりさし入御馬屋の

うしろにて聞けれは大にはに馬のあしをと六しゆしん

どうのごとし。あら心うやはやてきのよせたりける物を

とおもひて。御馬屋にさし入て見れは大ぐろはなし。

こよひのいくさにめされけるとおもひてひかしの中門に

つと上りて見れば。判官喜三太ばかり御馬そひに

てたゝ一きひかへ給へり。弁慶是を見て。あら心やすや

去ながら。にくさもにくや。さしも人の申つるを聞給は

て。きもつぶし給候はんとつぶやきことして。えんのいた

ふみならし。にしへむきてとう/\とゆきける。はうく

 

 

31

わんあはやとおほしめして。さしのぞき見給へば。大の法

師のよろひきたるにてぞ有ける。土佐めがうしろよりい

けるかとて。矢さしはぎてむま打よせ。あれにとをる法師

は誰なるらん。名のれなのらであやまちせられ候なと仰

られけれ共。さねよきよろひなりければさうなくうらは

かゝじとおもひてをともせずいけんする事もありと思

召。矢をばえひらにさし。太刀のつかに手をかけ。すは

とぬひてたれぞなのらできるゝなとて。やがて近付給

へば。此殿はうち物とつてははんくわい長良(ちやうりやう)にもを

とらぬ人ぞとおもひて。遠くはをとに聞給へ。今はちか

しめにも見たまへ。あまつこやねの御へうえい。くまのゝ

別当へんせうが嫡子に西塔(さいたう)の武蔵ばう弁慶とて

 

判官の御内に。一人当千の者にて候とそ申ける。判官け

うある法師のたはふれかな。時にこそよれと仰られけ

る。さは候へ共仰かうふり候へば。爰にて名のり申べきと猶

もたはふれをぞ申ける。判官さればとさによせられたる

ぞ。弁慶さしも申つる事を聞召入給はで。御用心なども

候はで。さうなくきやつばらを門外まで馬のひつめをむ

けさせぬるこそ安からず候へと申けれは。いかにもしてきや

つを生どりて見んずつと仰られければ。たゝをかせ給へ

しやつがあらんかたに。弁慶むかひてつかんでけんざんに

いれ候はんと申ければ。人を見て人をみるにも弁慶。か

やうなる人こそなけれ。喜三太めにいくさせさせたる事は

なけれとも。いくさにはたれにもをとらじ。大将軍は御

 

 

32

へんに奉るぞ。いくさは喜三太めにせさせよと仰ら

れける。喜三太はやぐらに上りて、大をんあげて申

けるは。六条殿に夜うち入たり御内の人々はなき

か在京の人はなきか。たゝ今参らぬともがらは。明日

は謀叛のよたうなるべしとよばゝりける。こゝに聞つ

けかしこに聞つけ。京白河一つになりてさうだうす。

判官殿のさふらひどもを初めとして。爰かしこよりはせ

来るとさがせいを中に取こめてさん/\にせむ。かたをか

の八郎土佐がせいの中にかけ入て。くび二つ生とり三人

してげんざんにいる。伊勢の三郎生どり二人くび三とつて

参らする。かめ井の六郎。備前の平(へい)四郎二人うちて参

る。かれらをはじめとして。生どりふん取思ひ/\にぞしける

 

 

33

其中にも軍(いくさ)のあはれなりしは。江田の源三にてとゞめ

たり。よひには御ふしんにて京ごくに有けるが。堀川殿に

軍有と聞てはせ参り。てき二人がくび取て武蔵坊明

日げんざんにいれてたび候へといひて。又いくさのぢんに出け

るが。土佐かいける矢にくびのほねのなかせめてそいられける。

はげたる矢をうちあげて。ひかん/\としけるか。たゝよはり

にぞよはりける。太刀をぬき杖につき。はう/\参りて

えんへ上らんとしけれ共。上りうかねて誰か御わたり候と申

ければ。御前(まへ)なる女ばう達出て。何事ぞとこたへければ。

江田の源三にて候。大事の手おふて今をかきりと存じ

候げんざんにいれてたび候へと申ければ。判官これを聞給

ひて。あさましげにおほしめして。火をともしさしあげて

 

 

34

御覧すれば。くろつはの矢のおびたゝしかりけるを。いたて

られてぞふしたりける。判官いかに人々と仰られけれは。いき

の下にて申へり。御ふしんかうふりて候へども。今はさいごに

て候。御しやめんをかうふりよみぢを心やすく参り候はゝやと

申ければ。もとより汝ひさしくかんだうすべきや。たゝ一たんの

事をこそいひつるにと仰られて。御なみだにむせび給へは。

源三よにうれしげに打うなづきたり。わしの尾の七郎

ちかく有けるが。いかに源三弓矢とるものゝ矢一すちにて

死するは。むげなる事ぞ。故郷へ何事も申つかはさぬかと

いひければ。返事にもをよばず。わとのゝ枕にpはしまし候

は。君にて御ざ候と申ければ。源三いきの下より申ける。

まさしく君の御ひざもとにて死候へは。一期の面目なり。今

 

は何事をか思ひをく事の候べきなれども。すきにし春

のころ。おうあにて候ものゝしなのへくだりしに。かまへて

いとま申て冬のころはくだれと申しあひだ。承はると

申て候しに。下人がむなしき骨(こつ)をもちてくだり母に

見せて候はゝ。さこそかなしみ候はん。つら/\是をこそふ

びんにおもひ候へとよ。君都におはしまさんほどは。つね

の仰をかうふりたく候へと申せば。それ心やすく」思ひ候へ。

つね/\とはすると仰られければ。よにうれしげにてな

みたをながしける。かぎりと見えしかばわしのおよりて

ねんぶつすゝめければ。高声(かうしやう)に申。君の御ひざの上

にして生年廿五にてうせにけり。判官弁慶喜三太を

めして。軍(いくさ)はいかやうにしなしたるぞと仰られけれは。土佐

 

 

35

がせいは二三十きばかりこそと申せは。江田をうたせた

るがやすからぬに。土佐めが一るい一人ももらさず。命(めい)な

ころしそ生捕て参らせよと仰られける。喜三太申

けるは。てきいころすこそやすけれ。いきながらとれと

仰かうふり候こそ。もつての外の大事なれ。さりなが

らもとて大長刀をもちてはしり出ければ。弁慶あ

はやきやつにさきせられてかなはじと。まさかりひつ

さげてとんて出。喜三太はうの花がきのさきをついと

をりて。いづみとのゝえんのきはを西をさしてぞ出け

る。爰にきつき毛なる馬にのつたる者むまにいき

をつかせて弓(ゆん)づえにすがりてひかへたり。喜三太は

しりよりて。爰にひかへたるはたれとといけれは。土

 

佐が嫡子土佐の太郎。生年十九と名のつてあゆませ

むかふ。是こそ喜三太よとてつとよりかなはじとやおも

ひけん。馬のはなを返して落けるを。あますまじとて

おつかけたり。はやうちのなかはせしたる馬の夜もす

がりいくさにはせめたりけり。もめども/\一所にて

おどるやうなり。大長刀をもつてひらいて丁どきり。

さうのからすかしらつときる。馬さかさまにまろびけ

れば。ぬしは馬より下にぞしかれける。取てをさへて

よろひの上帯ときて。疵一つもつけずからめて参

るを。下部(しもべ)に仰てみ馬(ま)屋の柱にたりながらゆいつけ

させられける。弁慶喜三太にさきをせられて。安か

らずおもひてはしりまはる所に。みなみの御えんに

 

 

36

ふじなはめの。よろひきたる者一きひかへたり。弁慶

はしりよちて誰と問。土佐がいとこいほうの五郎もりなを

とぞ申ける。是こそ弁慶よとてつとよるかなはじと

や思ひけん。むちをあてゝぞ落ける。きたなしあますま

しとておつかけ。大まさかりをもつてひらいてちやう

どうつ。馬のさんづにいのめのかくるゝほど打こみ。えいとい

ひてぞひきたりける。馬こらへずしてどうど臥()ふす。五郎を

取てをさへて上帯にてからめて参りける。土佐の太

郎と一所につなぎをく。正しゆんはみかたのうたれあるひは

落行(おちゆく)を見て。我は太郎後藤をとられて。いきてなにか

せんとや思ひけん。其勢十七きにて思ひ切てたゝかひける。

かなはじとや思ひけん。かち武者がけちらして六条河原まで

 

打て出。十七きが十きは落て七きになる。かも川を上りに

くらまをさして落行。別当は判官殿の御師匠しゆとは

契ふかくおはしければ。後はしらず判官のおぼしめす所も

こそあれとて。くらま百坊おこつて。をひ手と一つになりて尋

ねけり。判官むげなるもの共かな。土佐め程の者をにがしける

むねんさよ。しやつをにがすなと仰られければ。堀河殿をば

在京の者共に守護させて。判官の侍一人も残らずをひか

けゝる。土佐はくらまをもをひ出されて。僧正が谷にぞこ

もりける。大勢つゞいてせめければ。よろひをばきぶねの大明

神にぬぎて参らせ。主は大木のうつろににげ入ける。弁け

いかた岡土佐をうしなひて。なにともあれ是をにがしてと

君の御きしよくもいかゞとて。爰かしこを尋ねありくほどに。

 

 

37

喜三太はむかひに見え候ふし木に上りて立たり。わしの

尾殿の立給へるうしろの大木のうつろに。ものゝはたらくや

うに候こそあやしくおぼえ候へと申せば。太刀打ふりてみれ

ば。とさはかなはじとや思ひけん。木のうつろよりつと出てま下に

くだり。弁慶是を見て。大手をひろげて。いかにとさいづくまでと

てをつかくる。土佐も聞ゆるあしはやき者なれは。弁慶より三だん

斗(ばかり)さきだつ。はるかなる谷の底にて。かたをか爰にまつぞたゞを

ひくだせと申ける。此声を聞てかなはじとや思ひけん。そばをかひ

まはりて上りけるを。たゞのぶが大かりまたをさしはげて。あます

まじとて下り。矢さきに小引(こひき)にひきてさしあてたり。土佐は

腹をもきらずして。武蔵房にさうなくとられにけり。扨こら

まへぐして行(ゆき)。とうくはう房より大衆五十人付てぞ送られけり

 

 

38

土佐をからめて参りて候と申ければ。大庭に引すへさせ。え

むに出させ給ひて。いかに正(しやう)しゆん起請はかくよりしてしるし

あるものを。なにしに書たるぞ。いきて帰たくはかへさんするぞ。いか

にと仰られければ。かうべ地に付て猩々(しやう/\)は血をおしむ。さいは

角(つの)をおしむ。日本の武士は名を惜むと申事の候。生(いき)て帰

りて侍共に二たび面(おもて)をむくべしともおぼえ候はず。たゝ御

をんにはとく/\くびをめされ候へとぞ申ける。判官聞食(きこしめし)て。

土佐はかうのものにて有けるや。さてこそかまくら殿の頼み

給ふらめ。大事者めしうとを切べきやらん切ましきやらん。

それむさしはからへと仰られければ。大ちからを獄屋にこめを

きてふみやぶりてはせんなし。やがてきれとて。喜三太になは

どりさせて。六条河原に引出し。するが次郎は太刀どり

 

 

39

にてきらせけり。相模の八郎。同太郎は十九。いほうの五郎

は三十三にてきられけり。打もらされたる者共下りて。

かまくら殿に参りて。土佐はしそんじ判官どの尾にきられ

参らせ候ぬと申せば。よりともが代官に上せたるものを。お

さへて切こそ遺恨なれと仰られければ。侍共きり給ふこそ

ことはりよ。げんざいの討手なればとみな人々申ける

 

  よしつね都落の事

とにもかくにも討手を上せよとて。北条の四郎時政を大将

軍にて都へ上る。畠山はじだい申たりけれ共。かさねて御

諚有ければ武蔵七道をあひぐして尾張国熱田の宮に

はせむかふ。後陣は山田の四郎ともまさ。一千よきにて関東

を門出すると聞えけり。十一月一日太夫の判官三位(み)をもつて。

 

院へ奏聞せられけるは。義経命(めい)を捨(すて)て朝敵を退治仕候しは。

先祖の恥をきよめんずる事にて候へども逆鱗をやすめ

奉らんがためなり。然れば朝恩として。忠賞(ちうしやう)をもをこなは

るべき所に。鎌倉の源二位。よしつねに野心を存るによつて

追討(うつて)のためにくわんぐんをはなちつかはすよし承候。所詮あふ

さかの関より西を給はるべきよしをこそ存じ候へ共。四国九国

ばかりを給て。罷下り候はゞやとぞ申されける。これによつて

ことはり成てうしなるべき間。公卿せんぎ有。をの/\申され

けるは。義経が申所も不便(ふひん)なれ共。これに宣旨を下さ

れは。源(みなもと)の二位の憤りふかゝるべし。又宣旨を下されずは

木曽が都にてふるまひしごとく。義経かふるまはゞ。世は

代にても候まじ所詮とても源(げん)二位討手を上せ候なる

 

 

40

上は。義経に宣旨をたび下して。近国の源氏どもに仰

付て。大もつにてうたせらすべく候やと。をの/\申されけ

れは。宣旨を下されけり。かゝりければ判官は西国へ下らん

とて出給ふ折ふし。西国の兵(つはもの)どもその数おほく上りたり

ける。中にも岡田の三郎これよしが上りけるをめして。九

国を給はりて下るなり。汝たのまれてやと仰られければ。

これよし申けるは菊池の次郎が折ふし上洛仕りて候なれ

ば。さだめてめされ候はんずらん。菊池をちうせらればお

ほせに随ひ申べきよし申。判官は弁慶いせの三郎をめ

して。菊池とおかだといづれにて有らんと仰られけれは

とり/\にこそ候へども。菊池こそ猶も頼もしきものにて

候へたゞし猛勢なる事は岡田こそまさりて候らんと申

 

ければ。きくち頼まれよと仰られければ。菊池の次郎申

けるは。尤仰にしたがひ参らせたく候へ共。子にて候者を

関東へ参らせて候間。父子両方へ参り候ん事。いかゞ候べ

きやと申ければ。さらばうてとて。武蔵坊いせの三郎

を大将軍にて。菊池が宿所へをしよせける。きくちは

矢たね有ほど射つくして家に火をかけて自害してげり。

扨こそをかだの三郎参りけれ。判官おぢびせんのかみをともな

ひて。十一月三日に都を出給ふ義経が国入の初(はじめ)なれば。ひ

きつくろへとて尋常にこそ出立けれ。其ころ世にも

てなしけるいそのぜんじが娘に。しづかといふ白拍子をかり

しやうぞくせさせてぞめしぐせられkる。我身は赤地

のにしきのひたゝれに。小ぐそくばあkりにて。くろき馬の

 

 

41

ふとくたくましきに。尾かみあくまでたゝひたるに。白ふく

りんのくらをきてぞ乗給ふ。くろ糸おどしのよろひき

て。くろき馬に白ふくりんのくらをきて。のりたるもの五十

き。もえぎおどしのよろひに。かげなる馬に乗たる者五十

き。毛つがへに其数うたせて。其後は打こみに百き二百

きうちける。以上其せい一万五千よきなり。西国に聞えたる

月丸といふ大船(たいせん)に。五百人の勢をとりのせて財宝をつみ

廿五疋の馬どのたてゝ。四国地を心ざす。舟の中(うち)波の上の

すまいこそかなしけれ。いせをのあまのぬれ衣。ほすひ

まもなきたよりかな。入江/\のあしの葉に。つなぎをき

たるもがりぶね。あらいそかけてこぐ時は。なぎさ/\になく

ちどり。おかしがほにぞ聞えける。かすみへだてゝこぐ時

 

は。沖にかもめのなくこえも。てきのときこえかと思ひける。風

にまかせしほにしたがひてこぐほどに。ゆんではすみよし

明神ありがたしとふし拝み。めてを見ればにしの宮。

あしやの里いく田のもりをよそになし。わだのみさきを

こき過て。あはぢのせともちかくなる。えじまが磯をめ

てになしてこがれ行程に。時雨のひまより見給へば。高(たかき)

山のかすかに見えければ。舟の中にてこれをみて。あの山

いづれの国のいづくの山ぞと申ければ。そんじやう其

国の山と申せども、くはしくしるたる人もなし。武蔵房

は舟ばたを枕にしてふしたりけるが。かはとおきて舟の

へいたにつたつて。たゝ一目みて申けるは。遠くもなかり

けるものを、遠きやうに見なし給ひたり。あれこそはり

 

 

42

まの国しよしやのだけのみゆるやとぞ申ける。山はしよ

しやの山なれども。よしつね心にかゝる事の有は。此山の

にしのかたよりくろ雲の。にはかにぜんじやうへきれて

かゝる日もにしにかたぶき候はゝ。定て大風ふくべしと

おほゆるぞ。しぜんに風おちきたらば。いかなる嶋かげあら

磯にも舟をはせあげて。人の命をたすけよとぞ仰ら

れける。弁慶申けるは此雲のけしきを見候に。よも風

雲にては候まじ。君はいつの程におぼしめし忘れ給ひ

て候ぞ。平家をせめさせ給ひし時。平家の君たちおほく

波のそこにかばねをしづめ。こけの下にほねをうづみ給

ひし時。仰られ候し事は今のやうにこそ候へ。源氏は八

幡の守り給へば。事にかさねて日にそへ。あんをんなら

 

むとおほせられし。いかさまにもこれは君の御ため悪風と

こそ思ひ候へ。あの雲くだけて御舟にかゝらば。君もわたらせ

給まじと。我らも二たび故郷へ帰らん事不定(ふちやう)なりとぞ申ける。

判官是を聞召て。なにかさた事のあらんとぞ仰られける。弁

慶申けるは。君はたび/\弁慶が申事を御もちい候はて。御

後悔候へ。さ候はゞげんざんに入候はんとて。もとえぼし引こう

で。太刀長刀はもたざりけり。しらのにくゞいの羽にては

ぎたる矢に。白木の弓取そへ。舟のやさきにつゝたつて。人

にむかつてものをいふやうに。かきくときて申やう。天神

七代地神五代は神の御世。神武天皇より四十一代のみ

かとよりこのかた。保元平治とて両度の合戦しらず。こ

れら両度にも、鎮西の八郎御さうしこそ。五人ばりに

 

 

43

十五そくをい給ひなをあげ給ひし。それより後はたえて久

しくなりたり。扨は源氏の郎等の中に。弁慶こそかたのこと

くも弓矢とつて。人数(にんじゆ)にいはれたれ。風雲のかたへさゝへて

いあんするほとに。風雲ならばいるともきえうせじ。天のまつ

りごとにて有間。平家のあくりやうならばよもたまはじ。

それにしるしなくは神をあがめ奉り。仏をたつとみ参らせて。

祈りまつりもよもあらし。源氏の郎等ながらぞくしやう。

たゝしき侍ぞかし。あまつこやねの御へうえい。くま野の別当

へんせうが子に。さいたうの武蔵坊弁慶と名のつて。矢

つぎばやにさん/\にいたりければ。冬の空の夕日あか

りの事なれば。うしほもかゝやきて。なかざしいづくにおちつく

とは見えね共。死霊(しれい)なりければかきけすやうに失にけり。

 

 

44

舟の中には是を見て。あらおそろしや武蔵房だになかり

せば。大事出来(いできた)らんとぞ申あひける。をせやもの共とてこぐ

程に。あはぢの国みつ嶋の東をかすかに見て行程に。さき

の山の北のこしに又くろ雲の車輪のやうなるがいてきた

る。判官あれはいかにと仰られけれは。弁慶是こそ風雲

よと申もはてぬに。大風おちきたり。頃は十一月上旬の事

なれば。あられまじりてふりけれは。東西の磯も見えわかす。

ふもとには風はげしく。津の国むこ山おろし。日のくるゝにした

がひていとゝはげしくなりにけり。判官かんとり水手(すいしゆ)に

仰られけるは。風のつよきにおき中にひけよと仰られけ

れ。ほをおろさんとすれ共雨にぬれて。せみもとつまりて

さからす。弁慶かたをかに申けるは。西国の合戦の時た

 

 

45

ひ/\大風にあひしぞかし。つなてをさげてひかせよ。とまを

まきてつけよと下知しければ。つなをさげとまをつけゝれ

共すこしもしるしなし。川しりを出し時西国舟のいしおほ

く取入たりけれは。かづらをもつて中をゆひなけ入たりけれ

共。つなもいしもそこへはしつみかねて。上にひかれて行ほ

どの大風にてぞ有ける。舟のはらをたゝくなみの音にお

どろき。馬とものいはふこそおひたゝしき。けさまではさり

ともとおもひける人。舟そこにひれふして。黄水(わうすい)をつくこそ

かなしけれ。これを御覧じて。たゝほの中をやぶつて風を

とをせとて。ないかまをもつて帆の中をさん/\にやぶつて

風をとをせども。やさきにはしらなみたてゝ。千のほこをつ

くかごとし。さる程に日もくれぬ。さきにも舟か行ねば

 

かゞり火もたかず。あとにも舟のつゞかねばあまのたく火も

見えざりけり。空さへくもりたれば。四三のほしの見えず只

長夜(ちやうや)の闇にまよひける。せめてわが身独(ひとり)の事ならばいかゞ

せん。都におはしましける時。人しれずなさけふかき人にて

おはしまししかば。忍びてかよひ給ひける。女はうに四人とぞ

聞えし。其中にも御心ざしふかゝりしは。平大納言の御娘。

大臣殿の姫君。からはしの大納言。とりかひの中納言

御むすめ。此人々はみなさすかにゆうなる御事にてそお

はしける。其外しづかなどを初めとして。白拍子五人総じ

て十一人ひとつ舟にぞ乗給へる。都にてはみな心々におは

しけれとも。一所にさしつどひ。中々都にてとにもかくに

も成べかりしをと悲しみ給ひけり。判官心もとなさに立出

 

 

46

給ひて。こよひはなん時にかなりぬらんとの給へば。ねの時

のをはりには成ぬらんと申せは。あはれとくして夜の明(あけ)よかし。

雲を一目見てとにもかくにもならんなとゝ仰られける。そ

も/\さふらひの中にも。下部の中にもきりやうのものや

有。帆柱に上りて。ないかまにてせみのつなをきれとぞ

仰られける。弁慶人は運のきはめに成ぬれば。日頃おはせぬ

爰とのつかせ給へるとつぶやきけれは。判官それはかならず御へ

んにのほれといはゞこそ。御辺はひえの山そだちのものにて

かなふまじ。ひたち房はあふみの水かみにて。小舟などにこ

そてうれんしたりとも。大船にはかなふまじ。いせの三郎は上

野のもの四郎兵衛は奥州の者なり。かたをかこそひたちの

国。かしまなめがたといふあらいそにそせいしたるものなり。

 

しだの三郎うきしまの有ける時も。つねに行てあそびける

に。源平の乱いでき候はゝ。あしの葉を舟にしたりとも。いて

うへのわたりなんとたんしける。かたをかのぼれと仰られけ

れば。承て候とて。やがて御前を立て。こそでひたゝれぬぎ。

たづな二すちよりて胴にまき。もとゞりひきくしてをし

いれ。えぼしにひたいゆいて。やいばのないかま取てたつなに

さし。大せいの中をかきわけて。はしらよせに上り手をかけ

て見ければ。大のおとこのあはせていだく舟。さしもあはぬほ

どや。はしらの高さは四五丈も有らんとおもふ程なり。むこ山

よりおろす嵐につめられて。雪と雨とにぬれて。氷はたゝ

ぎんはくをのべたるにぞ似たりける。いかにもしてのぼるべきとも

おぼえず。判官是をみ給ひて。あゝしたりかたをかと力をそへ

 

 

47

られて。えいと声を出しのぼれば。するりとおち/\。二三ど

しけるが命を捨(すて)て上りける。二丈ばかり上りて聞ければ。ものゝ

をと舟の中にこたへて。地しんのごとくになりて聞えけれは。あは

や何やらんと聞所に。はまうらより立たる風の。時雨につれ

しきたる。それきくやかんどり。うしろより風のくろぞ波をによ

く見よ。風をきらせよといひもはてざりければ。ふきもて

きてほにひら/\とあつるかとすれば。風につきてざゝめかし

はしりけるが。いづくとはしらず。二所にものゝはた/\となりけれ

ば。舟の中に同音にわつとぞおめきける。ほばしらはせみの

もとより二丈ばかりをきて。しもをふつとおれにけり。はしら

海に入けれは。舟はうきさきにつとはせのびける。かたをかするり

とおりて。ふなばりをふみはり。ないかまを八のつなに引かけて。かな

 

ぐりおちたりければ。おれたるはしらを風にふかせて。夜も

すがら浪にゆられrける程に。暁にもなりければ。宵の風はしづま

えいたるに。又風ふき来(きた)る。弁慶これはいづくよりふきたる風や

らんといへば。五十ばかりなる梶取出て。これはまたきのふの風よと

申せば。かたをか申けるは。あはおとこよく見て申せ。昨日h北の

風。ふきかはす風ならば。たつみか南にてぞ有らん。風下は津

の国にてそ有らんと申せば。判官仰られけるは。御辺立はあん

内をしらぬ者なり。かれらは案内者なれば。たゝほをひきてふ

かせよとて。やほの柱をちゃてゝやほを引てはしらかす。暁にな

りてしらぬひかたに御ふねをはせすへたり。しほはみつるか

ひくかひき候と申せば。さらばしほみつるをまてとて。舟のは

しなみにたゝかせて。夜の明(あくる)を待給へば。くがのかたに大がねの

 

 

48

こえこそ聞えけれ。判官鐘のこえの聞ゆるは。なふぃさのち

かきとおぼゆるぞ誰かはある。舟にのりてゆきて見よと

仰られければ。いかなる人には承きとかたづをのむ所に。

いくたびなりともきりやうの者こそゆかんずれ。かたをか

ゆきて見よと仰られける。承てさかをもだかのはらま

ききて。太刀ばかりはいて。くつきやうの舟のりなりけ

れば。はし舟にのりさうなく磯にをしよせて。あがりて見

ればあまのしほや/\とまやの軒をならへたり。かたをかより問(とは)ばや

と思ひけれ共。わが身は心うちとけねば。とまや前を打

過て。一町あがりて見れば大なる鳥居あり。鳥居につきて

行てみれば。ふりたる神をいはひ参らせたる所なり。かたをか近

付ておかみ奉れば。よはひ八しゆんにたけたる老人。唯一人たゝすみにけり

 

 

49

あれはとの国のいづくの所ぞと問ければ。爰にまよふはつねの事。

国にまよふこそあやしけれ。さらぬだに此所は二三日さうどう

する事のあるに。判官の昨日是を出て。四国へとて下り給ひし

が。夜の間に風かはりたり。此浦にぞ着給ふらんとて。当国の住

人に。豊嶋(てしま)の蔵人。上野の判官小溝の太郎承て。くかに

あがり。五百疋の名馬にくらをゝきて。磯には三十艘の杉舟

にかいたてをかき判官を待かけたり。もし其方さまの人ならば。

急ぎ一まつ落てのがれ給へと仰られけれは。かたをかさらぬ

体にて申けるは。是は淡路国の者にて候が。おとゝひの釣にま

かり出。大風にはなされてたゞ今是に着(つき)て候なり。有のまゝ

にしらせ給へと申ければ。古歌をぞ詠じ給ひけり

 いさり火のむかしのひかりほのみえてあしやのさとにとふほ

 

 

50

たるかなと詠じてかきけすやうに失(うせ)にけり。後に聞けれは。

すみよしの明神をいはひ奉りたる所なり。あはれみをたれ

給ひけるとぞおほえける。かたをかやがてかへり参りて。此よ

し申ければ。さては舟をおし出せと仰られけれは。しほは

ひたり御舟を出しかねて。心ならず夜をぞあかしける

 

  すみよし大物二か所かつせんの事

天に口なし人をもつていはせよと。大物(だいもつ)のうらにもさうどう

す。よひには見えぬ小舟(しやうせん)の夜のうちに着てとまをとらせて。

是ぞあやしければ。なに舟にてある引よせてみんとて。五百

よき三十どうの舟にとりのつてをし出す。しほひなれ共

小船なりければあしはあひゃく。くつきやうのかんどりはのせた

り。おもふやうにこぎかけて。大船を中にとりこめもらす

 

なとぞのゝしりける。判官御覧じて。てきがすゝめばとて

みかたはあはつな。よしつねがふねと見ばさうなくよも

近づがし。狼藉をせばむしやにめなかけそ。柄(え)ながらに熊手

にて。大将とおぼしきやつを。手取(てとり)にせよとぞの給ひける。

武蔵ばう申けるは。仰はさる事にて候へ共。舟の中の

いくさは大事のものにて候。けふの矢あはせはよの人は

望み有べからず。弁慶仕り候はんと申けれは。かたをか是を

聞て。僧たうのばうにはむえんの人をとふらひ。けちえんの

ものをみちびくこそ法師とは申せ。いくさといへは御辺のさ

きだつ事はいかゞ。そこのき給へつねはる矢一ついんとぞ申

ける。弁慶これを聞て。御へんより外は此とのゝ御内に弓(きう)

箭(せん)とる者はなきかとぞ申ける。佐藤四郎兵衛是を聞て

 

 

51

御前にかしこまつて申けるはかゝる事こそ御座候へ。此人と

もかさきがけ論ずる間に。敵は近付(ちかづき)ぬ哀(あはれ)おほせを蒙

りて。忠信さきを仕候はゝやと申けれは。判官いしう申

たる者かな。望めかしとおもひつる所にとて。やがてたゞ

のふにさきがけを給て。みつしげめゆひのひたゝれに。もよ

きおどしのよろひに。三枚甲(かぶと)のをゝして。いかもの作りの

太刀をはき。たかうすひやうの矢。廿四さしたるをかしら

だかにおひなして。上(かみ)矢大のかぶら二つさしたりける。ふじ

まきの弓もちて。やさきに打わたりて出合(いてあひ)たり。豊嶋(てしま)

の冠者。上野の判官。両大将軍として。かいだてかいたる小(せう)

船(せん)にとりのりて。矢ごろにこぎよせて申けれはs.抑(そも/\)この御

舟は判官殿の御舟と見参らせて候。かく申はてしまの

 

くわんしやと。こうずけの判官と申ものにて候。鎌倉殿の

御つかひと申所に。さうなく落人の入せ給ひ候を。もらし

参らせ候はん事。弓箭の恥辱にて候と存る間。参て

候と申ければ。四郎兵衛忠信と申ものにて候ぞと。いひ

もはてずつつたちあがる。豊嶋のくわんじやいひけるは。代

官は自身におなじとて。大のかぶらを打はめて。よくひき

てひやうどいる。かぶらはとをなりして舟ばたにどうどたつ。

四郎兵衛是を見て。時のつくりと日のかたきは。真中(まんなか)

をふつといちぎりたるこそおもしろけれ。忠信程の源氏

のらうとうを。げじやうせらるゝぶしとこそおほえね。て

なみを見給へとて。三人ばりに十三束(そく)みつかけとつて

つかひよくひきてひやうといる。かぶらは遠なりして

 

 

52

大のかりまたの手さきうち甲に入とぞ見えし。くひの

ほねをかけてふつといちぎりて。かりまたははちつけにた

つ。くびはかぶとのはちにつれて海にたぶとぞ入にける。

上野(かうつけ)の判官是をみて。さないはせそとてをしちがへて。え

びらのなかさし取てよく引てひやうどいる。たゞのぶかやき

しはげて太刀たり。弓手の甲の鉢をつけづりてかぶらは海へ

入。忠信是を見て。ぢたい此国の住人は。てきいるやうをばし

らさりけるやつに。手なみの程見せんとて。とがり矢をさし

はげて。小にき舟引てまづ敵の一の矢射損じて。むねんに

や思ひけん。二の矢をとつてつかひ打上る所を。よくひきて

ひやうどいる。弓手のわきの下より。めてのわきに五寸ば

かり射いだす。則(すなはち)海へたぶと入。たゞのぶつぎの矢をはけ

 

なから御前に参りける。ふかくとも高名とも。さたのか

ぎりとて一の筆にぞ付られげる。豊嶋のくわん者

と、上野の判官うたれければ。郎等ども矢ごろより

遠くこぎのけたり。かたをかいかに四郎兵衛殿。いくさ

は何とし給ひたりといへば。手の上手が仕りて候と申

ければ。のき給へさらばつねはるも矢一ついてみんとい

ひければ。さらはとてのきにけり。片岡白きひたゝれに。き

しら地のよろひきて。わざと甲はきざりけり。折えほしに

えほしかけて。白木の弓わきにはさみ。矢びつ一かう

せかいの上にからとをきて。ふたをとりてのけゝれは。のを

もためてふしの上をかきこそげて。羽をばかはきには

きたる矢のいちいと。くろかしとつよげなる所をこしら

 

 

53

へて。まはり四すんながさ六すんにこしらへて。つ

のきわりを五六すん入たりける。なにともあれこれ

をもつて。ぬしをいばこそよろひからかゝぬともいはれ

め。四国のかたすぎふねのはたうすなるに。大せいは

こみのりて。ふねのあしはいりたり。見うぎはを五

すんばかりさしさけて。矢めちかにひやうどいるな

らは。のみをもつてわるやうにこそあらんずらめ。

水すねにいらば。ふみしづめ/\て。みなうせんとす

るものを。たすけ舟よらばせいひやうにひやをは

きらふべからず。つるべ矢にいてくれんとそ申ける。つ

はものとも承と申ける。かたをかせがいの上にかたひざつ

いて。さしつめひきつめさん/\にこそいたりけれ

 

 

54

いちいの木わりを。十四五いたはゞをきたりければ。水一は

い入あはてふためきてふみ返し。めのまへにてすき舟三ぞ

うまで失にけり。豊嶋のくわんじやうせにければ。大物(だいもつ)

のうらに舟をこぎよせて。むなしきからだをかきて。な

く/\宿所へぞかへりける。武蔵ばうはひたちはうを

よびて申けるは。やすからぬ事かないくさすべかりつるも

のを。かくて日をくらさん事と。たからの山に入て手をむ

なしくしたるにてこそ。あれとこうくわいする所に。小溝

の太郎は大物にいくさありと聞て。百きのせいにて

大物のうらにはせ下りて。くがにあげたりける舟を五

そうをしおろし。百きを五手にわけて。我さきにとをし

いだす。これを見て弁慶は。くろかはおどしのよろひ

 

 

55

おき。がおぞんはくるいとおどしのよろひきたり。ひたちば

うはもとよりくつきやうのかんどりなりければ。小舟に

取のり。むさしばうはわざと弓矢をばもたざりけり。四

尺二寸有ける。つかしやうぞくの太刀はいて。いばとをし

といふ刀をさし。いのめほりたるまさかり。ないかみくまで

を舟にからりひしりと取入て。身をはなさすもちける

ものは。いちいの木のばうの一丈二尺有けるにくろがね

ふせて上にひるまきしたるに。石ふきしたるをわきに

はさみて。小舟のへさきにとびのる。やうもなきことこの

舟を。河の中にするりとこぎいれよ。其時くまでとつ

ててきの舟はたにひつかけ。するりと引よせてかはと

のりうつり。甲のまつかう。これのつがひひざのふし。こし

 

ほねなぎ打にさん/\にうたんするほどに。かぶとのはち

だにもわれば。ぬしめがかしらもたまるまじ。たゝをいて

物をみよとつぶやきごとして。やくじんのわたるやうに

てをしいだす。みかたはめをみすまして是をみる。小溝の

太郎申けるは。抑是程の大勢の中に。只二人乗てよる

者はなに者にてか有らんといへば。ある者是を見て。一人

は武蔵房一人は常陸房とぞ申ける。小溝是を聞て。

それならば手にもたまるまじぞとて。ふねを大物へぞむ

けさせける。弁慶是を見て。こえをあげてきたなしや。

小溝の太郎とこそみれ。返しあはせよやといひけれ共。

聞も入ず引けるを。こげやかいぞんと云ければ。舟はたを

ふまへてぎしめかしてこきたりける。五そうのまん中へす

 

 

56

るりとこひ入ければ。くまてをもつて敵の舟にうち

つらぬき。引よせゆらりと乗うつり。ともよりへさき

にむかつて。なぎうちにからめかして。ひしぎつけてぞ通

りける。手にあたるものはいふにをよばず。あたらぬも

のもおぼえず。しらす海へとび入/\失にけり。判官是

をみ給ひて。片岡あれせいせよさのみつみなつくりそ

と仰られければ。弁慶是を聞てなにを申ぞよ。すえ

もとをらぬあを道心。御諚をみゝにないれそ。八方をせ

めよとて。さん/\にせむる。杉舟二そうはうせて三艘

はたすかり大物の浦へぞにげあがりける。其日判官

軍(いくさ)にかちすまし給ひけり。御舟の中にも手おふも

 

の十六人。死する者は八人ぞ有ける。死(しゝ)たるものをばて

きにくびをとられじと。大物のおきにぞしづめける。

其日は御舟にて日をくらし給ふ。夜に入ければ人々

みなくがにあがり給ひて。心さしはせつなれども。かく

てはかなふまじとて。みな方々へぞをくられける。二位大

納言の姫君は。するがの次郎承てをくり奉る。久我(こが)

大臣どのゝひめ君をば。喜三太をくり奉る。其外残り

の人々は。みなえん/\につけてそ送り給ひける。し

づかをば心ざしふかくやおもはれけん。ぐし給て大物のう

らをば立給ひて。わたなげに着(つき)て明(あく)れは住吉の神

主(あるし)ながもりがもとに着給て。一夜を明し給て。大和国

宇多の郡(こほり)きしの岡と申所に着給て。げしやくに

 

 

58

付てちかづきのもとに。しばしおはしけり。北条の四

郎時政いがいせの国をこえて。うだへよするときこえけ

れば。我ゆへ人に大事をかけじとて。文治元年十二月

十四日の明(あけ)ほのに。ふもとに馬を乗すてゝ春は花の名(めい)

山(さん)と名をえたるよしのゝ山にぞこもられける

 

義経記巻第四終