仮想空間

趣味の変体仮名

碁太平記白石噺 田植の段

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/856226

 

 

2

 碁太平記白石噺(四冊目)田植の段

此田のすま/\゛は 水が鏡

かいの 鏡かいの いとし殿御

の影を見て 水がかゞみ

かいの 此田はかたい田で 植

 

 

3

られぬにやれ られぬやれ

板にらまを立るやうで

うへられぬやれ 爰に城下

の片在所与茂作といふ

律義者 元は河内の武士

 

の果 女房の縁により糸の

細布衣(ほそぬのころも) 陸奥の けふの仕事

の肩たゆく 一荷(いっか)に担ふ

早苗より まだ若草の小

娘が ないしよらしげに褄(つま)

 

 

4

からげ 親の手助け正直の

頭(かうべ)にいたゞく昼げ物 土瓶

片手にコレとゝ様 よその衆は

植付も大方済(すみ) 昼休みに

いかしやつたが こちはかゝ様が

 

寝てじや故 何もかも遅

なつた さぞおまへは気がせ

かふと いへばほろりと涙を

こぼし ヲゝよふ云てくれたなァ

今更いふではなけれ共 おれも

 

 

5

元は上方で刀もさいた者

なれど ふとした事で浪人し

侍止(やめ)て農(ものつくり) 如在(ぢよさい)はせぬと

思ふても稼(かせぐ)に追付く貧乏

神 未進(みしん)に追はれて八年跡

 

姉めは江戸へ勤め奉公 おのれ

やれ土に喰付ても かせぎ

ためて金調へ 雨めを取かへ

さふと思ふ中 かゝは煩ひ付く

人手はなし エゝおりや無念な

 

 

6

わい 口惜いはい 蝶よ花よと

楽しみは我斗必ずきな/\思ふて

煩ふてくれなよと打しほ

るれば コレとゝ様 わしといに

ても女の事 どこぞから男

 

の子貰ふてなりと 早ふ楽し

て下されと 真実真身

のしほらしさ ヲゝ合点じや

/\ 気遣ひすな とつと

前侍の時 姉のおきのが

 

 

7

生れると 直ぐに傍輩衆の

子と云号(いひなづけ)して置たが 是

も其後便りも聞かず 其姉

といへば吉原とやらに君傾城

とかくわれが大きうなるを

 

苗の延る様に待兼る 又

庄屋殿はかゝが兄なりや

何やかやと気を付けてくれ

らるゝ 案じてくれなと云

つゝも零落(おちぶれ)し身の跡や

 

 

8

先思ひ廻せばあぢきなく

歎く涙の玉苗や 植へぬ先

より袖ぬらす憂世渡り

ぞ 是非もなき アゝ愚痴な

事いふて ツイ泣いてのけた程

 

にの其様に案じ過しはせ

ぬ物じや 人間は老少不定(ろうしやうふじやう)

今煩ふて居るかゝは長生きして

達者なおれが先へころりと

死ぬまい物でもない 其時にや 

 

 

9

わりやどふするぞ サア其

時はわしや泣くはへ ハゝゝゝゝ子供と

いふ者はなァ コリヤやい泣いた迚

わめいた迚 死んだ者は返ら

ぬはい いつ何時(なんどき)がしれぬで

 

持た世の中じやと いふも

女房が煩ひの 十か九つあつ

ち物 今からいふて覚悟

さす 心と見へて 哀なり

与茂作は ヤほんに思ひ

 

 

10

出した 内に薬を煎じかけ

て置いた いり付かぬ中われ

大義ながら一と走り 一番煎じ

をかゝに飲ましてきてくれぬか

イゝエ内には昨日とめた旅の

 

お侍様 それは/\気を付けて

内の事は構はずと田へいて

とゝ様の手伝ひをせいてゝ

ヲゝあの人もよし有る浪人衆

と見たが そふ/\他人に

 

 

11

任せても置かれぬ つい一走り

往(い)てくれと いふに娘も アイ

そんなら必ずとば/\怪我

せぬ様に わしがくるのを待た

んせやどふやらわしは行き

 

とむない ハテうぢ/\と何云ふ

ぞい 早ふ戻りやと 親と

子が見送り 見返る畦

伝ひ 是ぞ此世の別れ

とは後にぞ 〽思ひしられける

 

 

12

ソレ溢端(いつばた)の久六が畦はすべる

ぞよ 隠居の田へ廻つて

行 ヨ ヨ 利口なやtる どりや

あいつめがこぬ内に うへ

付けて悦ばせふと 踏込畝に

 

しつかりと 足にさはるは以前

の鏡 テモマアかはつたものと打

かへし/\見るを遠目に見

付ける臺七 丹介引連れかけ

来り ヤア其鏡こつちへ渡せ

 

 

13

汝が持て無用の物と 取に

かゝれば イヤ申オ代官様 是は

只今私が田から拾ひ出した

此鏡 ヤア百姓づれが持つ物

ならずと 引たくればむしや

 

ぶり付き こつちの田から出た

物は お代官でもそふ無体

には成ますまい 但しお前

覚へがござりませうか ヤア

面倒な土ほぜりめと 突

 

 

14

放せば待た取付き ヘゝゝゝゝ めつた

無性にほしがらしやると

いひ イヤモ隠した物にろくな

事はない物じや 聞けば昨日

殿様のお内に 何やらもめが

 

有たげな それを思へば こりや

是合点が行ぬ こつちから

殿様へ 持って出て窺ひま

すと 云に臺七胸にぎつ

くり 取かゝるを突飛ばし

 

 

15

逃げ行く首筋引戻す 放せ

やらじとせり合はづみ 鏡は

飛で深田の中 小言いは

すなソレ丹介 心得ぬき打ち

ひらりとすかし あしらふ後ろを

 

臺七が 手だれの早業(はやわざ)

後ろげさ 振返つて エゝ非道な

臺七殿 コレ/\今わしが死で

はの かゝは翌(あす)をもしれぬ

大煩ひ スリヤコレ娘め一人が

 

 

16

路頭に立ますわいの /\

命は助けて下さりませ 娘

やい おのぶやいと わめくも昼

中人や聞くと主従よつて

めつた切 倒るゝうへに乗

 

かゝりぐふつととゞめを四

苦八苦 むざんといふも

余り有 血(のり)押ぬぐひ立

上がる 折がら何の気も付かず

戻る娘が ヤアとゝ様を誰が

 

 

17

殺した /\とゝ様のふ /\ コレ

かゝ様はあの様に煩ふてなり

お前にわかれて わしや

何とせふぞいの こりやマア

どふせふ悲しやと足ずりし

 

たるいぢらしさ 涙ながらに

傍(あたり)を見廻し ムゝ扨は傍に

ござる臺七様 親の敵と

有合ふ早苗 手早に取て打

付け/\ ヤレ人殺し来て下され

 

 

18

在所の衆 /\と呼びたける

声にかけよる一(ひと)村在所 ヤア

与茂作を殺しやつたは

臺七様か 代官でもめつ

たに人を殺しては済ますまい

 

此子の加勢が村中一統

サア元のやうにして返しや

何で殺した訳聞こふ どふじや

/\と田舎そだちの高

調子 聞付けかけくる七郎兵衛

 

 

19

争ふ中へわつて入 マゝゝゝゝ村の

衆おれがくるからは 悪ふは

せぬ おれに任しや/\/\/\ イヤ

申お代官様どふいふ訳で

与茂作を 子のやうにむご

 

たらしふお手打にはなされ

ました 日頃から正直正統

なあの男 ぶ礼いたさふ

様もなし 様子寄てこの庄屋

も聞捨てには致すまい こりや

 

 

20

急度(きっと)吟味を ヤアだまり

おらふ 与茂作とやらんが

殺されたる 其場所へ来

かゝつた其 何じや身共が

殺した エゝそれには何ぞ

 

証拠でも有か 土ほぜりめ

それ成めらうめ 親の敵

なんどゝ訳もいはず 苗を

もつて打付け コリヤ見よ 侍の

顔に泥をぬつたる慮外者

 

 

21

真二つに打放すと 反り打

かゝればとゞむる庄や 娘を

かこふて在所中 ヤア何ぼ

でも切らしはせぬ ヲゝそれ/\

非道な事に人が切れるか

 

切て見やお代官でもこはふ

ない そふじや/\と口/\゛に

わめく声 ヤレ村の衆 やか

ましい しづかに物をいやい

の 又臺七様も臺七様

 

 

22

じやわい コレ此子が慮外は

僅かの事 畢竟(ひっきょう)申さばこりや

コレ幼少のぐはんぜなしと申す

物 それにお手打などゝは

ちとお役がらにも似合ま

 

せぬ 与茂作が殺されて

居た所へ お出なされまし

たが お前の不仕合せ 是非

お前様もナコレかり合いと申す

物 此通り殿様へ村中一統

 

 

23

訴えます そふ心得てござり

ませと 理屈親仁にいひ

込まられ 返答しかなの其

折から 臺七が家来寛平

息を切てかけ来り お旦那

 

是に 弟御の臺蔵さま

昨日よりお行衛詮議致

す所 隣村明神の森の

中(うち)に此お首 お體(からだ)は一町

ばかり山道に捨て置たを

 

 

24

見当たり則(すなはち)持参と 聞くより

恟り 何弟臺蔵が 隣村

に殺され居たとな エゝしなし

たり何者の所為(しはざ)ぞと 驚く

中にも 一分別 コレ見よ庄

 

屋百姓共見が弟一昨日

より行き方知れず 然るに今

聞く通り 殺されたも隣村

是を思へば人をあやめぬ

あぶれ者 此近辺を徘徊

 

 

25

するに疑ひない すりや

与茂作を殺したも 大方

同じやつと思はるゝ 見れば

数ヶ所の刀疵 百姓づれが

手際でない 浪人者など

 

尾羽うちからし あばれ

歩行(あるく)にちがひない 何と

与茂作は身が殺さぬと

いふ事 サこれでうたがひ

はれたかと 頓智の佞奸

 

 

26

弁舌に いひ廻されて百

姓共 さすがの庄屋も理

の当然詞の一理 思案の

吐胸 臺七は仕すまし顔

ヤナニ丹介寛平やい ソレ弟が

 

死骸身が屋しきへもち

帰れ ア思ひも寄らぬ災

難 七郎兵衛身が心を

察してくりやれさ ナニ

与茂作とやらもふびん

 

 

27

千万 娘がなげきおもひ

やると 此場をくろめる間

に合詞 善と悪とはまが

はねど いsばしのくもり天

道の 鏡に心残れども

 

家来 引つれのさばり行く

跡は泣き入る娘のおのぶ 庄

屋がさし図に在所の

者あたりの戸板に与茂

作が死骸を乗せて かき

 

 

28

あぐれば まだいはけなき子

心に思ひつめたる孝行

の 念力通す大盤石 敵は

たれ共白石や 石にたつ

矢のためしまで 弓も引き

 

かた在所中 田面(たのも)の蛙(かわづ)

なきつれて 我が家にこ

そは立帰る 早黄昏の

あぜ道を うそ/\戻る

志賀臺七 あたり見

 

 

29

まはし目覚への 深田おし

分け件(くだん)の鏡 かたじけない

とおし戴く うしろへぬつと

忍びの曲者 鏡もぎ取りいつ

さんに跡を くらまし 〽かけり行