仮想空間

趣味の変体仮名

碁太平記白石噺 第十

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html

      浄瑠璃本データベース ニ10-01458

 

107(左頁)

   第十

京の水色よい染出しの 殿茶小紋を見初めて染て 今宵必かならずやいの 松葉小紋

かはらぬ色をそつちもサ こつちもサ そつちもこつちも 思ひ合のがハテナ幸小紋うたひ諷ふはうた

かたの よるの水や井出の里 所に古き紺屋有り 弥左衛門とは通り名を受て世話役堅親父 弟

子を相手に商売も如才 夏物仕入時 受取物は山吹の花の 女夫も夫(それ)そとは云ぬいろなる

伊達介が 姫諸共に此家へ 染り安きは下さまの爪に藍墨むしんわざ お竹と呼れ吉六と

替る姿ぞ浮世なる サア/\/\吉六もお竹も一ふくせい ヤレ/\/\わいらはマア来てまだ間もない者共

 

 

108

なれど 心一はい精出してくれるので 覚た者ゟやつと仕業のはかゞ行はい 此八尾六はどこへいたな エゝ間かな

透(すき)がな出あるきおる アゝ大方湯屋で又いけもせぬ新内ぶしかなうなつていおろ ヤレ夫はそふと此お娘は

まだ髪を仕まはずかな めんよふ此間は身仕舞に隙(ひま)が入る程にの いつ迄も子供の様に思ふて居れど

親旦那がお過なされてから わしが替つて世話するも今年でこうと ハゝヲゝ丁どあの子もモウ十七

そろ/\と虫の付きたがる時分じやてや アゝどふぞ何事もない中に実体(じつてい)な能(よい)聟を取て 早ふ此

世話をのがれたい物じやが ノウ吉六 ハイ左様な事が随分とよふござります ノウお竹どん ハイそんな

事が大てい能事じやござんせぬ 聟様がないとそこら傍(あたり)がそは/\/\ ひよつともふこちの人にヤ

 

何といやるお竹 イゝエアノこちのお娘御のお染様に 其虫とやらが付ふかと わたしやたんと案じ

られます どこぞこう遠い所から 早ふ聟様を取て お上なされますがよさそふな事のやうに

私は存られますと 思ひのたけをしんし目に 詞のはりやもらすらん 弥左衛門は気も付ず イヤサア夫でも

めつたに気をしらぬ者はどふも入られぬてや ヤ何吉六 そなたは国に二親もないと聞たが 定てまだ

女房も有まいのふ エ サ有か アゝいや ムゝまだ有まいと打點頭(うなづく)心の工面十面の 目顔て留ても

とまらぬお竹 コレ申旦那様 夫聞ておまへ何になされますへ ハテ何にせうとかにせうと そなたが

かまふ事じやない ナニ吉六 一人身なればちつとこつちに 相談の品が有と 聞程胸にあたりの

 

 

109

一目 わしが大事のお事じやと 云て仕廻をかどふせふとせき立袂を引とむる 男の手先へ焼ぎせる

ヲゝアツゝゝエゝ仰山な どこがあついと目に角を 立てはみれどどこやらに流石夫共云ぬ 女心のやる

せなき コレハしたりそう/\゛しい 吉六にとつくりと 在所の事を聞ふと思や めんよふ女子と云物は えし

れぬ事を差出る物じや コレお竹 そなたは爰に用はなし おくへいて共/\に お娘の髪を手伝ふて

早ふ仕事にかゝらしやませといや サアいきや/\ アイ エゝナニをうぢ/\と きり/\行きやとしかられて 跡

に心は残れ共 是非なく立て入にけり 折からひよか/\所のあるき 申々弥左衛門様/\ 庄屋殿迄

たつた今 ござりませとの云付 サア/\/\早ふ/\ゝ意 エゝやかましい何の用じや イヤ何じやしらぬが

 

都から高の師泰とやら云お侍が 何じやか大勢引連てお尋の筋が有故 村中をお召

なさるゝ何じやかしれぬがござりませと せり立られて弥左衛門 そんなら序に得意も一ぺん

コレ吉六 其布地拵へか出来たら 板場へ早ふ形付さじや どれいてこふと引かける 羽織の袖を

通す間も あるきがせがむ表口 とつかはとして出て行 跡見送つて吉六は ハゝ八尾六はモウ帰り

そふな物じやが 干物も取入たし 紋の上絵も急ぐと有は何からしやうやう染物の 絹の

色々取出し ムゝコリヤ幕地 何じや書付は 紋丸に二つ引き ムゝはて合点の行ぬ 正敷是は足利

定紋(じやうもん) 今目前に見るは是 此虚に乗て中黒を 押立よと有しらせ成か 但時節を

 

 

110

待と有か ハアゝいや/\ エゝこちは何じや るり紺に釘貫 ハゝテモ大きな紋じや エゝコリヤ折介のかんばん

物じやナ ヤ夫はそふとお娘はもふ出て見へそふな物じやが さつきにかた/\゛の約束を よもや違は

有まいが 首尾はどふじやと恋人を 松帆の浦の夕梛にやくやもしほの身を焦す お竹はそつと

差足に奥の隙間を忍び出 コレ申義興(よしおき)様 イヤアノナニ吉六殿 今更云には及ばねど こういふ

さもしい宮仕へも 此家たよるて常悦を 味方に付る術(てだて)の為じやと おつしやつたやyにもない

其常悦は打やつて 妹娘のアノお染を どふやら味方に付て此家を 取立るお心と 見たは

まんざら違ひは有まい 夫では互に云かはした 浮かんなんも水の淡(あは) 聞へませぬと取付て

 

わつと泣口おさゆる袖 アゝコレ/\声が高い 又しても我を忘れて おれが心を知らぬか何ぞの

やうに エゝ嗜みや/\ イエ/\/\何ぼ貴様に云はしやんしても 此道斗は ハテ扨愚痴な事

ばかり 大事を抱(かゝへ)し此吉六 色に乱るゝ性根と見たか 皆是も南朝の御為 只我々が身

の上を けどられぬが要用(かんよう)と云聞したを忘れしかと 詞にお竹も胸押さげ 女の愚痴な

心から見捨られもする事かと 案じ過しの余りぞや そもや館を立退てゟ母様にも兄弟

にも かへてお前が大切さ 手馴ぬ業(わざ)も殿御の為としんぼうしている物を 常々からお前はアノ

此家の娘と何じややら面白そふなさゝめごと わしが男といふも云れぬ下女ぼうこう

 

 

111

まゝを焚たり水汲だり いとしい殿御を寝取る女 エゝ恋の敵に様付て 化粧手水の給仕迄 お竹どう

しやこうしやと 呼つかはるゝうさつらさ 紅白粉やつや油みんなお前に見せう迚 髪迄わしに小言

斗 是でよいかの何の迚作る女の顔貌(かたち) 美しう移るとは磨ぬ鏡の恨めしや 何の因果で娘

御の有所へは奉公に 来た事ぞいのと恨み泣 漏(もれ)もやせんと義興も 心遣ひの折からに 娘お染は

吉六に思ひ染込むのうれんの 間(あい)ゟ出て二人がそぶり 見るゟ俄に顔色かへ コレめんやうなわがみ

達は 人がいぬと傍へ寄て見苦しい 女の傍へ男が寄といふ事が どこの世界に有ことじやぞいの 人が

見てもじだらくそふでマア第一 主の此わしへ不躾と云物じや 吉六も吉六じや ずつとこつ

 

ちへ退ていたがよいの そしてコレ吉六や 此染物は始ての受取り 念の為じや 此注文と引合せぐと 何

がな傍に置たがる娘心の恋の山早入相に心せき息せきとして八尾六が戻りかゝつて内の体 ちらりと

見るゟもがりの陰 伺ひいる共白布の端をお竹がお合手と 向ふへ直れば イヤ/\/\そなたは頼まぬ

モウやんがて日も暮るあんどうの拵(こしらへ)して 御持仏へも御(み)明しあげや コレ吉六爰へ来や サア此端持て

墨打を見てたもやいのと寄添へば たけが傍からつこど声 マア/\/\/\お前もめつそうな いかにマ

お主様じやと云ても そりやモウあんまりあつかましいといふ物で御ざんす 現在女房の イヤアノ

女房のない吉六殿じや迚も 娘御のお相手に成と云事が どこの世界に有ことで御ざんすぞ

 

 

112

人が見てmじだらくそふでマア第一 傍で見ていらるゝ物じやござんせぬ ホンニ/\吉六殿も吉六殿

じや まそつとこつちへ退ていたがよいはいなと 無理に押分引退れば 猶さか立てコレお竹 何のそ

なたがさはいだて コレ吉六 主の云訳背きやるかと 又引寄る主従が あなたこなたと争ひを

見ている八尾六むしやくしや腹 遠慮会釈も三人の中へすつくり懐手 見るゟ恟り吉六

お竹 うぢ/\もぢ/\娘のお染 是八尾六 二人ながら主の云ことをねつかり聞きやぬはいの ちつと

そういひ付けてたも ヘゝンアゝ結構な事で御ざりますは ぜんたいお前には此わしが よつぽど気が

有た故 ちよこ/\しかけて見たけれど 主と家来の悲しさは 蹴飛されたら夫(それ)切に張込も云

 

れぬ故 エゝしちめんどいと打やつて思ひ切ていた所へ コゝゝ此吉六は 始めて目見へに来た時に コレお染様

ソレお前がナ アレあしこからちよつとのぞをくれた其時の 其目付の其いやらしさ ヤこいつはけたい

じやと思ふたが 角抜(すみぬく)度に鬢(びん)鏡で おれが顔をつく/\゛見るに どふでも父上や母上が おれを

拵へらるゝ其時は 甚喜悦で有たかして 笑ひ/\刻まれたと見へて つい此様なちやり頭(がしら)にしてのけ

られた アゝいか様お染様の気のないも 無理とはさら/\思はれぬと とんと悟りを開いた所にコゝゝ

此お竹女郎 お前と吉六があぢな目付をしたといふては泣顔 何やら二人囁いたと云ては泣顔 ハア

コリヤ浦山し涙じやなと思ふて 何が寝(ね)所へ這かけたりや 久敷物じやが又はね出された

 

 

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あちらでは突出され こちらて弾(はね)出され 突出したりはねられたりじつかい油鍋ところてん てんと

たまらぬコリヤおたぼう おふくの中てこな様に コリヤドどふじやいやい/\ なんぼそもじが吉六に気が

有ても お主の娘御といふ 向ふにアレ関がすはつて有る 埒の明ぬ事に手間取ろより コレ此八尾六 少将付は

見にくからふが 心の内は糸桜かな 何と付合気はないかいな エゝコレ八尾六 あだ口を聞手間で

きり/\干物取入やと 主の権威にへらず口 アゝ有はいやなり思ふはならず アゝ恋程せつない物は

ないと つぶやきながら立上り ふしくれ立たるもがり竹 竿にひら/\こなたはしやら/\ お竹が

くる/\くり寄せて 引合見る吉六お染 此紋所の蝶々が直ぐに祝言媒(なこうど)役 そなたは男

 

蝶わしや女蝶 こう染込だ此そめが こう引布は天の川比翼の蝶々合点か アノ不肖らしい

顔はいの コレ此布をこう持て こう引てこう巻て こう取付てと抱付ば アゝ申々あつくろしい アレ/\/\

八尾六がアレアノマ顔をおらうじませ エ々何じやいの 八尾六は家来じや物大事ない イゝエ大事が

御ざりますぞ とつとモウ/\/\悟り切た此八尾六でさへたまらぬ物 凡人間たるべき者が コレガマア見て

いらるゝざまかいな ノウお竹ぼん ハテこちらは家来じやもの かまはずと見ていたがよいはいのと いへど

尻目やおとがいで当付らるゝ吉六が アレ/\お竹も見ておりますぞへ ムゝ見て居れは何とぞする

かや そなたの女房じや有まいし かまはずとよい返事 かゝといやるにや放しはせぬと ちはまだ

 

 

114

早き染色の 二人がじやらくら八尾六は 物干竿をぐはつたびし くらがり紛れかつちかち かち/\

ならす火打石 竹がせく程火も移らず エゝどんな火打箱 エゝけたいなもがりじや モウ/\/\/\あの様に

したゝるふては 墨も硫黄もしめるが道理 イヤモ/\/\染物もかわく物じやないはいの マアまだ

火が付ぬは気が付ぬか 吉六どんも吉六どん 大事の染物のしはせいでしはだらけ 弥左衛門様が

留守なりや 爰の内はくら闇じやと 火打こち/\八尾六は 仕事も脇へふくれ顔(づら) エゝ吉六

早ふのして仕舞はぬかい イヤおれはのらはせぬけれど 爰へこいとお召小紋 何するも奉公じやナ 申

お染様 そうでん茶でござりませふがな ムゝぢくち置てくれよ ソレがどこに相伝茶 あんまり

 

藍が勝過るかな ヲゝ八尾六殿の云てじや通り イヤモウけふもあすもさめ小紋でござんす イヤコレ

竹聞にくい そたなの殿茶か何ぞの様に 当世茶もしらぬに 誰が頼んで色上吟味 こび茶

な事置てたも お納戸茶にすつこみやと 云はれてせき立お竹が目色 じゆつない者は吉六ひとり

染物手早にたゝみ付仕事でさして逃入は イヤ/\/\弥左衛門の留守の内 返事聞ねば気が済ぬと

つゞいて欠入娘のお染 心ならねばお竹も共に 行んとするを八尾六が 後ゟひんだかへ コリヤ/\/\

君よ 二度とは云ぬたつた一度 又一度がいやなら一分二厘でも大事ない コリヤ吐てくれとしめる

手を すげなく振切り飛退て エゝ八尾六殿 何のこつちやぞいの 人の心もしらず てんごうさん

 

 

115

すと喰付ぞ ヤ何じや喰付く ヘゝ何の/\ 喰付るゝは愚かの事 せう/\はモ喰殺されてもいとや

せぬ 幸薄暮丁と能首尾 帯をとかずとついちよこ/\と 又取付ばしつこいと 下地のもや/\

腹立まぎれ 傍に有合たばこ盆 しんし絹巻しゆろ箒 当り眼に投付/\奥へはしれば

八尾六は コリヤ手ひどいと云つゝも同じく〽奥に入けり 春の日も西にかたぶく 年ばいも昔小

紋の片意地作り 渋柿染のかうかつ親父 得意廻りの戻りがけ ずつと這入て コレハ扨

不用心な 吉六よ 八尾六 ナニお竹もソレ行燈(あんどう)へも火をともさぬかい ハイ/\/\と納戸ゟ 付木を

しほに皆立出る 庄屋殿仕廻て商先の旦那衆 脈の上つた古懸おこさぬは合点でも 次手

 

ながら催促したりや いかず村の孫三が銭三百の内上げ 足の次手に戻りがけ 此三方ねぎり

詰たが おれが年と六十八文 三方が若いかおれが年か安いか サゝゝゝ皆よつて評判ちきや/\ コリヤ

八尾六 染物は皆出来たか ハイ大方は片付ました おつとよし/\ ヤコレお染様も吉六も爰へおじや

コレこなた衆はあぢやるの いつからのせゝくり合 隠さずと云はつしやれ ヲゝそんな事誰がいふた

こちら二人に覚はないと 口は涼しく手はもぢ/\ 吉六はたゞお竹が手前 顔もしかなのたばこぼん呑ぬ

煙にまぎらかす 詞改め弥左衛門 ヤコレお染様叱のじやない ガわしが云事よふ聞しやりませ こなたの

兄様勝介殿は 商人嫌ひの兵法好き 武者修行とやらに出て行れたはとふの事 夫を気やみに

 

 

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お袋の死なしやつたは去年の夏 臨終迄苦に召れ おれを枕元へ呼付 兄にこりた妹娘 好た男と女夫にせい

頼むは其方 家の家督の極る迄は町所をも勤てくれと おれが前の名長兵衛を改め 去年か弥左衛門と

替たは爰の旦那の名 お袋の遺言なれば 好た男と見て女夫にするのじや エゝと恟り吉六お竹 娘は

とかうの返事さへえくぼに覆ふ振の袖 心のたけが手拭を かんでねぢ向夫の顔 夫としらねば弥左衛門

いやでないやら 恥かしそふな 嬉しそふな ナニやらもほしそふなアノ顔 ヘゝゝゝハゝゝゝ コリヤヤイお竹よ ナニをばた/\しをる

ぞやい 吉六もいやでは有まい 直ぐに紺屋の旦那殿と いへば八尾六差出口 スリヤマアあんまり急で 早速に返事も

成まい マゝ受人(にん)にも相談して 親判から庄屋組中 向ふ三間両隣 御念仏講へも談合極めて上の事 ハテ

 

むつかしい 女夫中に受判や御念仏講は入ぬはい 又いやといへば爰には置ぬ 追出さるゝか聟になるか

二つ一つの返事聞こ どふじや/\と詞にお染はもどかしく 女夫にしやうと結構な了簡 何のいな

があるぞいな ノウ吉六そふで有ろがの ハテこなた斗呑込では落付かぬ弥左衛門 おゝといへば此三方が

直ぐにこん/\の盃臺 何と八尾六そふじやないか ハイ イヤモウこん/\やら盃臺やら何じややらかじややら一向

訳かないとんとやくたいでござります 何ぬかしおるぞい 竹もまだ二階はきおらぬか マゝ箒持て其ざま

何じやエゝきり/\いきおれやい ハイ いきおれやいと叱り付られ是非なくも 塵にまじはる紙

くずを お染が方へはき付けて ぴんしやんとして上り口 ハテ仰山な女子じやと ?(つぶやき)ながら立上り

 

 

117

ヤおれが居るからけつく遠慮 謀は宵の中(うち)八尾六来いと引く連て 勝手へこそは入にけれ 跡にお染が

何となく今ではけつく改り心どぎまぎ胸せかれ云寄詞納戸口有合針さし引寄て 針のみゝずに

願ひの糸通りも早き色の道 吉六お染が傍に寄 申々お染様 此中染た此手拭 ちよつと端に

何なと印 松葉成と縫て下さりませ ソリヤアノいつぞや時行(はやつ)た歌の唱歌まつにこんとは わしや気に

かゝる つれない心と寄添て わしが心は此糸を こうした所がはんじ物 ハゝゝそりやしれた事

ひらかなのしの字 サアいとしいはいのともつれ糸 ほどけかゝりし下紐の 井手の下行みなれ竿

深い浅いをさぐりあふ 申お染様 チトお尋申たい事がござります ヲゝ改た何ごとじやいのふ アイヤ

 

何の事でもござりませぬ ガアノお前の兄様は 宇治の常悦様と申ませふがな イゝエ

兄様の名は

勝助 サゝゝ其勝助様が常悦と名をかへ 鎌倉にござるを お前しらぬといふことは有まい こう赦

されて夫婦に成からは 何事も隠さぬが互の真実 サどふじや/\とうらどへば サイのふ 兄様は

此内を家出して行かしやんして夫から一向便りもなし 力に成て共々にお行衛も尋てほしい

何かの咄しもたんと有 モウ夜も更るいて寝よふと手を取ば アゝ得心で女夫に成から

今宵に限つた事じやない 今夜は延して明日の夜か いつそ紺屋のあさつてになされ

ませ エゝ何じやたら気のしれぬ わしが心のやうにもない こちへおじやと手を引れいとに

 

 

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よるべのふしの間も お竹が手前気毒を アゝしやう事もなく入にけり 一間の内に弥左衛門

持仏に向ひ打ならす かねては母の遺言を 立し位牌へお染が縁 結ぶを告る看経も昔

気質の撞木の音 南無阿弥陀仏/\/\ソレ新しい夜着出して ナ能か 南無阿弥陀仏/\/\

春の夜の そよ吹風の音信(おとづれ)も 有かなきかの旅薦僧(こもそう)此家の軒に彳みて 昔に

替らぬもがり竹住居も替らぬ我家なれど 今土手際の戸治が噂 母は去年の

夏 過行れたと聞く残念ねぶつの声は慥に長兵衛 冥途の母の呼入れ給ふと我身の不孝

が思ひしられて アゝ詮なき後悔無やく/\いるきは父が譲りの敷居こへて笠取庭の内

 

誰頼まんと案内の声 アレどなたやら お得意先からお人が有 ソレお茶でも持て出ぬかいやい 南無

阿弥陀仏/\/\ イヤ勝助じや身共じや トハ前の旦那に生写しと不審立出すかし見て ヤア

こなやは息子殿じやないか 長兵衛堅固で祝着と 草鞋解く間も待兼る 老が深切ほや/\

機嫌 ヤレ/\嬉しや サゝゝゝ上らしやれ/\ 今の兄もこなたの噂 家出さしやつたを かぞへて見れば十

三年 アゝ今頃はどこにどふしていやしやるやら 今日は出世して戻らしやるか 明日は心も直つて帰らしやる

かと 待に待たる今月今宵 ヨウマア戻つて下さつたと云たいが 聞へませぬ内の勘定成なら

ぬも知ているこなた 厄介をおれに振向 面白そふに薦僧姿 尺八の竹ゟは なぜもがり竹に気を

 

 

119

入さしやらぬ 罰の程思ひ知らしやつたか トいふて其厄介かぶつたを恩にきせるおれじやござらぬ

妹御のお染様もモウ十七 髪のかざりや衣装迄能物がほしい最中 此間も云はしやるには コレ弥左衛門

アノ隣のおよし様のしていさんす 黒繻子の帯 わしもとふぞ買てほしいとせかましやる コレこなたも

帯所じや有まいぞ ちと物に勘略さつしやれ 去年から段々の物入しらうか 随分内の仕事を

精出さしやつたら 買てしんぜると叱たら アイ/\ 随分仕事精出す程に どふぞ買てくれてゝ 詞

もかへさず聞分くるに エゝこなたはのふ おりやモウ其時にはのコレ 此白い目玉から 黒繻子の様な

涙がこぼれたはいのふと 親方思ひのへんくつ親仁 昔作りの形板にじみな涙を流しけり 常悦も

 

打絶(たへ)て勘当の身の悔み泣 今更返す詞もなし 弥左衛門目をしばたゝき コレまだ其上に母御

さまも イヤ御死去の様子は参りがけ 村はづれで承はり 申そう様もない残念千万 其残

念が遅いはいの アゝ併 今泣すやるが真実真身 母御様が存生の中云しやるには コレ長兵衛

此勝介めは何国おるぞ 此母が死だら 日頃の不孝思ひしり 嘸勘当が悲しかろ 若し心も直り

戻つたなら 勘当を赦してやつてくれと 親旦那の名をおれに譲りて置かしやつた 久離は切れぬ赦し

ます 何々弥左衛門と名をかへ赦してやるとは アゝ有難い御仁心 ぞつこんにしみ渡り 家来とは思はぬ

弥佐衛門様 親父様 爰な若子勿体ない 主が家来に何の礼 イヤそなたが有ばこそ 勘当も

 

 

120

赦(ゆり)たでないか ゆりたが夫程嬉しいか 嬉しうなふて何とせふ おれも嬉しい 此方も そつちも こつちもと手を

取組 留ぬ主従縁の糸袖やしぼりに染ぬらん 常悦も感じ入千金にも久がたきは人の

実心 サア々そふ思はしやるならアノ仏間で 改てお詫云さつしやれや まだ其上に母御様の くれ/\゛と

云置かしやつた事も有り委い事はアノ一間で 誠に夫(それ)も老人の心休め イザ同道と打連て一間へ

こそは入にけれ 早灯火も 眠る頃 遠寺の鐘の かう/\と やゝ更渡る丑満時 奥より出る

吉六が 以前の姿引かへて 大小立派の長上下 お竹も元の千束姫 見かはす斗の打かけ姿

申義興様 コリヤシイ声が高い 兼て云聞せし通 此家の世躮勝助が 陰謀企有様子 とくゟ

 

知て入込所 故郷を慕ひ戻りしは天の与へ 南朝へ味方せば差殺し 北朝へ方へかたんせば

首討て尊氏を亡す血祭り ぬかるな千束と囁き點(うなづ)き忍び入らんとする一間 障子

の内ゟ声高く 吉六と姿をやつし入込し 新田義貞の弟義興 宇治の常悦見参と 一間

の障子押開き 長絹に長袴金作りの陣刀威有て 猛き其骨柄 義興臆す色

もなく 傍近く進み寄 某が本名究る上は包に及ばず 汝ごときの育ち賤しき匹夫めら 謀反

などゝは事可笑しや 名もなき軍(いくさ)は万民の愁い 尋常に首差のべ討るゝやいなや但

心を改め義興に仕へ 南朝の御味方申や サゝゝゝゝ返答聞かんと詰かくれば ホゝけなげなり

 

 

121

新田殿 南朝無二の忠義臣 実(げに)義貞の舎弟ぞかし 頼もし/\ 某が宿意の一条 名もなき

軍に豈(あに)天下を苦しめんや 我も南朝譜代の忠臣 楠判官正成の一子正之(ゆき) ハレ珎敷対面

やと優美の顔色 義興から/\と打笑ひ ヤア手詰に至り此場を遁れん其為に 正成の一子

とは何を証拠ソレ聞んと云せも果ず ホゝ不審尤 我正しく夢の告にて一子成事悟りし上 今又

奥にて亡母ゟ某へ残し置れし定紋の籏 弥左衛門ゟ譲り受たり イザ疑ひを晴されよと

懐中ゟ取出す 楠家(なんけ)に伝ふる菊水の籏 折に幸山風にへんぽんとひるがへる 実かんばしき

橘の氏の系譜ぞいちじるし 義興ハタト横手を打 ハゝア誤つたり/\ 斯明白成楠の正統

 

いかで疑心を生ずべき 今ゟ共に心を合せ勢ひ微弱の吉野山 花吹御代に翻さんと

誓は龍虎の新田楠義兵の礎 ハゝゝゝハゝゝゝゝ幸/\ 常悦が去し頃白坂にて 思はず手に入石堂

家の綸旨 我手に有て益なき賜 千束殿への我寸志と 渡せば取て押戴 エゝ忝いさり

ながら 我々夫婦が姿をやつし入込しも 常悦様を討取手筈 こふお心か解けあふからは 此場の

様子味方の者へ云聞せ ホゝ能ぞ心付しぞかし 片時も早ふ合体の委細をしらせ 師泰が捕

手を破らん 千束来たれと引連て 出行両人奥の間ゟ コリヤ待吉六 お竹も待としはがれ声

お染が手を引き弥左衛門 力身返つて大あぐら ヤイ吉六め イヤサ本名は新田殿て有ふが又

 

 

122

千束姫で御ざらふが コリヤ見よ コゝコレ奉公人請状の事 一此吉六と申者 コレ/\/\此竹と申女 跡

の文云読にや及ばぬ サ是がこつちに有中は 御大将でもお姫様でも やつはり紺屋の

下人吉六 食焚のお竹に違ひはない 主のおれが用が有 エゝ爰へ来い/\ コレ/\お染様

何も泣事はござらぬぞや ヤイ二人共爰へ来おらぬか 暇の乞捨は天下の法度じや コリヤやい

おれは何にも知らずに 奥の間に寝ていたりや 此子がござつて コレ弥佐衛門 吉六こふたは

義興様 お竹は千束姫様とやら女夫じやげな そんな上つかたに 紺屋の娘がどふ女夫に

ならりやうぞ 留めたうても此様な形(なり)で あなた方に詞かいすも恥かしい したがあんまり残り

 

多い程に せめて最一度あなたから 何と成りとお詞が聞たい いつとの間なりと留てくれてゝ

寝ているおれをゆりおこし しく/\と泣ていさしやる ヤコリヤ又尤 無理じやない ヲゝ一ばん云

にやならぬ所じや 大事ない/\ 気遣ひさしやるなと受合て 留に出た此親仁 論ゟ証拠

書た物が物云はいやい書たものが お竹めといふ女房の有上 ナゼ此子に疵付けた コレマいかな大身

れき/\でも 大事の/\娘御の喰ひ逃げは 人体に似合ぬ/\と わゝりかけたる主思ひ 理の

当然に義興千束 行くも行かれず顔見合い黙念としておはせしが ハゝア尤の一言去ながら

聞るゝ通り敵方を取りひしぐ性急の此場所 こりややい 紺屋の内に中形や 小紋の形は

 

 

123

有うちじやが敵がたとは何事じや 其様な用を誰が云付てわりやするぞ 最前祝言

したじやないか イヤサ夫はそふでも しかと妻に致したと云ではなし サゝゝゝ妻でなければ お染様は

お主じやないかと こねる紺屋の糊加減 ねまりの強き親仁なり 千束も気の毒サア其奉

公人に どふでお隙を ヲゝ其様にびら/\と長い物着た奉公人 職人の内には間に合ぬ 成程隙も

やらふガやるにしてからが十日と廿日は お礼奉公も勤内じや お染様の得心さしやる迄は

マアならに 出替り時迄待てもらおふ ならんぞ /\/\ずんどならんぞ アゝあんまりじやべつで腹が

へつた コリヤお竹よ 食(めし)焚たか イゝエ 是は扨早ふ焚おれやい 出来たらソレ 茶づけ一ぱいくはせ

 

コリヤ吉六よ何うろ/\ソレ味噌すつて汁拵へいと我儘も 主命何と長袴の 裾踏しだく腹拵へ 姫君

変じてまゝ焚や 袖の錦に襷がけ 手拭ちよつと奥様も 今更何といふ食の まゝならぬ世を

娘は気の毒 手つだをかいなと云つゝも 男の袖をすり鉢の目とめを味噌の こい中や お竹は

胸の中くはつ/\ じや/\時の釜の下 火を引椀ふく鍋取の お公家様でも大名でも 喰ねばならぬ

と弥左衛門 箸箱取出し待いたる 常悦は諸手を組 始終の様子伺ひいる お竹は時分と杓子とり

ひつにうつせば陰々と湯気の立のぼる不祥の気 常悦きつと目を付 アゝラ心へぬ 一掬(いっきく)の

米一盞(いっさん)の水 釜中(ふちう)に熟して人間の生育す 生成の根元食類の冠(くはん)たる一物(ぶつ) 宇宙の珎寶(ちんぼう)

 

 

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に過ず 今器(うつわ)にうつせる飯(いひ)の湯気 殺罰(さつぱつ)の気を顕はすは ムゝ軍将合体の今此時 味方に取て不

祥の逆気 我手において事破れん覚なし 扨は鎌倉に置て秋夜が方に虚事有は必定 アラふし

ぎやいぶかしとそなたの空 詠めやつたる叡智の明察 義興千束人々も共にあやしむ其折から 百廿里

を二日半飛鳥のごとくに熊川三平 常悦が前に手をつかへ 扨も今度の御采配 鎌倉表の惣大将と

定め置かれし秋夜殿 軍用金を集んと 出入の具足師藤兵衛といへる者 招き寄て酒興の上 一味

の密事を明かされしに 其場は承知の体にもてなし 内へも帰らず 鎌倉の決断所へ即刻注進したる

よし 鞠が瀬殿を搦んと既に 其夜の亥の刻過 捕手の役人市垣将曹 組子引連れこみ入る所

 

例の鎌鑓縦横無尽 寝巻のす肌に術尽きて ひるむ所を折重り 縄めに引るゝ決断

所 其間に老母が即座の気転 連判状は火鉢の中 もへ立煙に立紛れ 漸某一方を打

破り 此旨注進仕らんと 夜を日に継で参上と 大息ついで訴ふれば 是はと人々あきるゝ内

りん/\然たる宇治常悦 無念骨髄いnおし通り 眼はさけて血をそゝぎ エゝ口惜や残念やな

日頃短慮の鞠が瀬秋夜 一方を預けしは一生の我誤り 三平は此様子難波の浦の勘兵衛へ

片時も早く告しらせよ 急げ/\の下知ゟ早く飛がごとくにかけり行 弥左衛門はうろ/\声 モウ/\/\

こう成上からは 此子の事は千束様 何のいなァ悋気所じやこざんせぬ 大事の殿御を二人して

 

 

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エゝ有難いとお染が悦び せはい中で妹背のかため忍び立聞八尾六が 身がまへして踊り出 何も

かも皆聞た 師泰公の下知を受犬に入込此八尾六 しらせはとうと有合火入 もがりの竹へ投付れば

合図の狼煙上るにつれ遠音に響く貝鐘太鼓 義興すかさず首筋掴み ぐつと一しめ

投付れば目玉飛出て死てけり 常悦はつつ立上り 此場は我に任されよ 義興殿には二人の女

弥左衛門諸共に 一走り立退き笠置の古城へ早く/\ 道法(のり)近きは長池玉水 此地へ来る道筋は皆

常悦はが味方となし 笠置の用害堅め置たり 軍慮を爰ゟ見せ申さん 弥左衛門と詞の下

千束お染も奥の障子 明方近き笠置の城 中黒の籏菊水の 籏手にさし物

 

数千の人馬折しる花に色そひて 晝と見まかふてうちん松明目さましくも又いさきよし 常悦は

庭に折立て何かはしらず川岸の 八重山吹をかきわけて仕度する間に義興は 二人の女弥左衛門

諸共に 引連れてこそ出て行 程もあらせず寄せくる師泰 大勢引ぐし大音声 此家の内に

謀反の張本 宇治の常悦隠れ居るよし相図によつて向ふたり 最早遁れぬ尋常に腕

を廻せと呼はつたり 常悦は騒がずゆう/\然と牀几にかゝり ヤア謀反とは存外なり 敏達天皇

の後胤楠判官正成が一子正之 常悦と仮名せしは大望露顕に及ばぬ以前 今日只今

憚りなく北朝を取ひしぐ 大元帥の目通りなるぞ 徳になつき礼儀を施し罷ん出よ 対面

 

 

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してとらせんと 勇備の詞にさしもの師泰威に恐れ いかゞはせんとためらふ内 どうど響きし大石火矢 大地はさけてもへ立

炎 秘法の火術に師泰主従みぢんに砕けて死てけり 常悦につこと打笑ひ 年来こつたる地雷のこゝろみ アラ心よや

悦ばしや 是ゟ直ぐに笠置の城へ後詰して 北朝を取ひしぎ目出度御代にひるがへさんと 英雄巍々たる丈夫の魂 実楠の

                       二葉の勇気逞かりける〽有様なり