仮想空間

趣味の変体仮名

おさな源氏 巻一~二

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2567273

 言葉の意味を調べ、漢字を充ててみました(薄字)。

 

 

1

おさな源氏物語  巻一~二

 

 

2

ある女はうの長/\しきさうしをよみけるをわらはへ

とものこそりよりて聞いけるかはやそらにおほえて

くち/\にいひつゝくる何ものゝわさにか故もなき

事共を書あつめたる物也これをまことゝ思ひて耳

にふれ口になるゝはあつたら事也と思ふ物から此名たか

き物語のすたらをかたのことくつゝめて書つゝく代々の

歌人さえ大事とつたへをかれたるまき/\をうは

のそらに見わくへきならねはかす/\のうそに

かたことをとりましへておさな源氏と名付たりかの

あたことをよみおほえんよりはいろはのかた手にこれ

を見ならひ侍らはよそめにはやさしくも思はれおと

なに成てもまことのたよりにも成へき物にこそ  立圃

 

或る女房の長々しき草紙を読みけるを、わらわべ共のこぞりて聞きいけるが、はや空に覚えて口々に言い続くる。何者の業(わざ)にか、故も無き事共を書き集めたる物也。これを誠と思いて耳に触れ口になるるは、あったら事也と思う物から、この名高き物語のすだら(首陀羅?)を、形(かた)の如く約めて、書き続く代々の歌人さえ大事と伝えおかれたる。巻々を上の空に見わくべきならねば、数々の嘘に片言を取り混じえて「おさな源氏」と名付けたり。かの徒言を読み覚えんよりは、いろはの片手にこれを見習い侍らば、よそ目には優しくも思われ、大人に成っても誠の頼りにも成るべき物とぞ。  立圃

 

 

3

  源氏物語 巻之一二

きりつほ

はゝ木ゝ

うつせみ

ゆふかほ

わかむらさき

すえつむはな

もみちの賀

花のえん

あふひ

 

桐壺 帚木 空蝉 夕顔 若紫 末摘花 紅葉賀 花の宴 葵

系図略)

 

 

4

系図略)

 

  きりつほ

いつれの御時にか女御かういあまたさふらひ給ひ

ける中にきりうほのかういとてみめかたちすくれたる

あり此かういを御てうあいひあるによりて世の人きり

つほのみかとゝ申たてまつるなりあまたの女御更衣た

ちにくみそねみてあさゆふの御みやつかへ何かにつけて

くるしけにもてなしわつらはしむれは目にそひて物

心ほそく里がちになりて心のまゝにみやつかへをもえし

奉らぬをみかといとゝあはれとおほしめし人のそしり

をもはゞからせ給はて御さそひのおり/\にはまづめ

させ給へりもろこしにもかゝる事のおごりこそ世も

みたれけれとみな人なけきかなしめりかういの父あ

ぜちの大納言はなく成て母一人はたのもしけなき身

なりしかとこのかしこき御かげをなくさめにて年月

 

  桐壺

何れの御時にか、女御、更衣数多侍(さぶら)い給いける中に、桐壷の更衣とて、見目容優れたる有り。この更衣を御寵愛有るに依りて、世の人、桐壷の帝と申し奉るなり。数多の女御、更衣達、憎み嫉みて、朝夕の御宮仕え、何かに付けて苦しげにもてなし煩わしむれば、目に添いて物心細く、里がちになりて心の儘に宮仕えをも得し奉らぬを、帝いとど哀れと思し召し、人の謗りをも憚らせ給はで御遊びの折々には間詰めさせ給えり。唐土(もろこし)にも、かかる事の奢りにこそ世も乱れけれと、皆人歎き悲しめり。更衣の父、按察(あぜち)の大納言は亡くなりて、母一人は頼もしげ無き身なりしかと、この畏き御かげを慰めにて、年月

 

 

5

を過せりさきの世よりの御ちきりやふかゝりけんおのこ

みこうまれさせ給ふ(これをひかる君と申也 源氏の君の事也)一の宮は右大臣の御む

すめこうきでんの女御の御はらにてまうけの君とか

しつけ奉れとも此二の宮の御かたちには中/\ならひ

給ふへくもあらすみかといよ/\浅からぬ御ちきりとお

ほしめし猶しけくめしよせ給へは人々のにくみもいや

まさりかういのあさゆふかよひ給ふうちはしわたどの

こゝかしこのみち/\にふじやうのわさをあしてをくりむか

への人々のきぬのすそをけがし又ある時はあとさき心を

あはせてらうかにたてこめ人しれすわつらはせ給ふ事

もありわかみやみつにならせ給ふとしかういわつらひ給ひ

て里へ出給はんとあれとみかとゆるさせ給はねはかういの母

さま/\に申なしさとにおろし給へりみかとかなし

くおほしめしこしかたゆくすえの事まてちき

 

を過ごせり。先の世よりの御契りや深かりけん、男御子生れさせ給う(これを光君と申す也 源氏の君の事也)一の宮は右大臣の御娘、弘徽殿(こきでん)の女御の御腹にて、儲けの君と傅き奉れども、この二の宮の御形には中々習い給うべくも非ず。帝、いよいよ浅からぬ御契りと思し召し、猶繁く召し寄せ給へば、人々の憎みもいや増さり、更衣の朝夕通い給ううち、橋渡殿(はしわたどの)ここかしこの道々に不浄の業をして、送り迎えの人々の衣(きぬ)の裾を穢し、又ある時は、後先心を合わせて廊下に立て込め、人知れず煩わせ給う事も有り。若宮三つにならせ給う年、更衣患い給いて里へ出給わんと有れど、帝赦させ給はねば、更衣の母、様々に申しなし里に下ろし給えり。帝悲しく思し召し、来し方行く末の事まで契

 

 

6

りの給へはかういのうた

 かきりとてわかるゝ道のかなしきにいかまほしきは命なりけり

手くるまをゆるさせ給ひており給ふみかとは御むねふた

かり御心まとひ何事もおほしめしわかれぬに夜な

かすくる程にたえはて給ふをたぎといふ所にてけふり

になし参らする母君もおなしけふりにとなきこかれ

給へりみかとは一の宮見給ふにもわか宮をこひしと

おほしめし女房たちをつかはし給ふ野わきの風ふき

物さひしきゆふくれにゆけいのみやうふをうは君

へつかはさる 御

 みやきのゝ露吹むすふ風のをとに小萩かもとを思ひこそやれ

みやうぶかういの母にあひて

 すゝ虫のこえのかきりをつくしてもなかき夜あかずふる涙かな

うは君

 いとゝしく虫のねしげき浅ぢふに露をきそふる雲のうへ人

 

かういの残しをき給へるしやうぞく御くしあげのでう

どなと参らせらるみやうふとりてかへりわか宮の御事

うは君の有さまそうして御返しをたてまつる

 あらき風ふせぎしかけのかれしより小萩かうへぞしづ心なき

をくり物ともを御らんして

 尋ゆくまほろしもかなつてにても玉の有りかをそことしるへく

一の宮の御母は久しくうへの御つほねにも参り給はすかう

いのうせ給へるをうれしとおほして月のおもしろき夜

くはんけんなとしてあそひ給ふきく人つらき事と思ひ

いづ也みかとはうは君のもとをおほしめして

 雲のうへも涙にくるゝ秋の月いかてすむらんあさぢふの宿

月日をへてわか宮参り給ふあくる年一の宮とうぐう

にさたまり給ふにみかとは此二の宮をとおほしめされ

けれとも世の人せういん有まじきとて色にも出させ

 

り宣へば、更衣の方

 限りとて別るる道の悲しきに いか(行・生)まほしきは命なりけり

手車を許させ給いて降り給う。帝は御胸塞(ふた)がり御心迷い、何事も思し召し別れぬに、夜中過ぐる程に絶え果て給うを、たぎという所にて煙と成し参らする。母君も同じ煙にと泣き焦がれ給えり。帝は一の宮を見給うにも、若宮を恋しと思し召し、女房達を遣わし給う。野分の風吹き、物淋しき夕暮れに、靫負(ゆげい)の命婦を姥君へ遣わさる。  御

 宮城野の露吹き結ぶ風の音に小萩が元を思いこそやれ

命婦更衣の母に会いて

 鈴虫の声の限りを尽くしても長き夜明かず降る涙かな

姥君(母君)

愛ししく虫の音繁き浅茅生(あさじう)に露置き添うる雲の上人

更衣の残しを着給える装束御髪上げの調度など参らせらる。命婦取りて帰り、若宮の御事姥君の有様総じて御返しを奉る。

 荒き風防ぎし影の枯れしより小萩が上ぞ賤心無き

贈り物共を御覧じて

 尋ねゆく幻もがな つてにても 魂(たま)の有りかをそこと知るべく

一の宮の御母は久しく上の御局にも参り給わず 更衣の失せ給えるを嬉しと思して、月の面白き夜、管弦などして遊び給う。聞く人辛き事と思い言う也。帝は姥君の元を思召して

 雲の上も涙に暮るる秋の月いかで棲むらん浅茅生の宿

月日を経て、若宮参り給う。明くる年一の宮、春宮(とうぐう)に定まり給うに、帝はこの二の宮をと思し召されけれども、世の人、承引有るまじきとて、色にも出させ

 

 

7

給はすうは君其頃うせ給ふにつけてもみかとあはれに

過にし事までおほしめし出させ給ふわか宮七つに

なり給へは文はしめし給ふ御がくもんはさてをき琴

笛のねまても雲井をひゝかし給へり其頃こまうど

のさうにん参り此わか宮のかしこくかたちのきよら

なるにめてゝひかる君とつけたてまつる此若宮をは

源氏のしやうをたひてたゝ人になし給はんとおほしめ

す年月にそへてかういの事わすれ給はす御心なく

さむかたもあらさるらしに先帝の四の宮のかたちす

くれ給へるをないしの介そうし参らせたり此姫君は昔

のかういによくにさせ給ひて人のきはまさり給へは御

心うつりてしげくわたらせ給ふ源氏の君は此姫君のおは

します藤つほへも打つれおはします十二にならせ給へは

げんぶくし給ひ左大臣とのゝ姫君十六になり給ふを

そひふしにさためさせ給ふ(此ひめ君あふひの上也)

 

給わず。姥君、その頃失せ給うにつけても、帝哀れに

過ぎにし事まで思し召し出させ給う。若宮、七つになり給えば、文始めし給う。御学問はさておき、琴、笛の音までも雲井を響かし給えり。その頃高麗人(こまうど)の相人参り、この若宮の賢く容(かたち)の清らなるに愛でて、光君(ひかるきみ)と付け奉る。この若宮をば源氏の称をたびて、只人に成し給わんと思し召す。年月に添えて更衣の事忘れ給わず、御心慰む方も非ざるらしに、先帝の四の宮の容を優れ給えるを、内侍(ないしのすけ)奏し参らせたり。この姫君は昔の更衣によく似させ給いて、人の気は勝り給えば、御心移りて繁く渡らせ給う。源氏の君はこの姫君のおわします藤壺へも打ち連れおわします。十二に成らせ給えば元服し給い、左大臣殿の姫君十六に成り給うを、添い臥しに定めさせ給う。(この姫君、葵の上也)

 

 

8

御 いときなきはつもとゆひになあっきよをちきる心はむすひこめつや

左大臣 むすひつる心もふかきもとゆひにこき紫のいろしあせすは

源氏の君は其夜左大臣殿へおはします此おとゝの御

子蔵人の少将には二条の右大臣殿の四の君をあはせ

給へり源氏の君姫君には御心もつかす藤つほの御

かたちをたくひなしとおひしてつねにしけくわたらせ

給へはおとなに成給へはみすのうちにもいれ給はす琴笛

のねに聞かよひもろ共に恋しうのみおほされけり

 

  はゝき木 源十六才の夜の事也きりつほと

        此まきのあひた三年あり其間に

        藤つほに心をかはし給ふへし

ひかる君は藤つほに御心さしふかけれは内にのみおはし

まして左大臣殿の御かたへは時々おはします長雨は

れまなき頃内の御ものいみつゞきていとゝながいし

給ふ左大臣殿の御子頭の中将(蔵人の少将事也)は心やすくよろつの事か

くしあへす源氏の君の物いみにこもりおはします所へ

 

おはしてともし火ちかく御しよせみづしの中ななるいろ/\

の文共をひらき見給ひてその人の手か此人かととはるれ

とそれもあらはし給はすそなたにこそ見所ある文ともは

おほからめすこし見せ給へさあらは此づしも心よくひらく

へきとの給ふ此ついてに女のしな/\をさため給へりおや

にあかめられたるむすめふかきまどの内にこもりいたる

其かたかとをきゝつたへて心をうごかす事も有へし又

もとのしなたかくうまれぬれどおとろへて位みじかきと

猶人のかんたちめまでなりのほりて家のうちふつき

なるとはいかゝはわくへきと定めかね給ふにむまのかみとう

式部二人参りて此しな/\をさためあらそふ猶人(むまのかみ云)の

なりのほりたるは人の思ひなしかろ/\し又もとはやんこと

なきすぢなれとおとろへたる人は事のたらさるにつけ

てわろひたる事も出くる物なれはいつれも中のしなといふ

なるへしずりやうのなかにもふつきにしてかしつけるむ

 

御 幼き初元結に長き世を契る心は結び込めつや

左大臣 結びつる心も深き元結に濃き紫の色し褪せずば

源氏の君はその夜左大臣殿へおわします。源氏の大臣(おとど)の御子、蔵人の少将には、二条の右大臣殿の四の君を会わせ給えり。源氏の君、姫君には御心も付かず、藤壺の御容を類い無しと思して、常に繁く渡らせ給えば、大人に成り給えば、御簾の内にも入れ給わず 琴、笛の音に聞き通い、諸共に恋しゅうのみ思されけり。

 

 帚木 (源十六才の夜の事也。桐壷と、この巻の間、三年有り。その間に藤壺に心を交わし給うべし)

光る君は藤壺に御志深ければ内にのみおわしまして、左大臣殿の御方へは時々おわします。長雨晴れ間

無き頃、内の御物忌み続きて、いとど長居し給う。左大臣殿の御子、頭の中将(蔵人の少将の事なり)は心安く、萬の事隠しあえず、源氏の君の物忌に籠りおわします所へおわして、灯火近く差し寄せ、御厨子(みずし)の中なる色々の文共を開き見給いて、その人の手か、この人かと問わるれど、それ共現し給わず、そなたにこそ見所有る文共は多からめ、少し見せ給え。さあらばこの厨子も快く開くべきと宣う。この序に女の品々を定め給えり。親に崇められたる娘、深き窓の内に籠り居たり。その片才(かたかど)を聞き伝えて心を動かす事も有るべし。又、元の品高く生れぬれど、衰えて位短きと、猶人の上達部(かんだちめ)まで成り上(のぼ)りて、家の内富貴(ふっき)なるとは、わからば分くべきと定めかね給うに、右馬頭(うまのかみ)、籐式部(とうしきぶ)二人参りて、この品々を定め争う。(右馬頭言う)猶人の成り上りたるは人の思い成し軽々し。又、元はやんごとなき筋なれど衰えたる人は、事の足らざるにつけて悪怯(わろび)たる事も出くる物なれば、何れも中の品と言うなるべし。受領の中にも富貴にして傅けがむ

 

 

9

すめねざしいやしからぬも有へしみやつかへに出て思ひ

かけぬさいはひにあふもおほかるへし人にしられすむくら

のやとにこもりいたるもおかしかるへし大かたなんなきも

我ものと思ひさためんは有かたき世なり人はたゝしなに

もよらしかたちをはささたかにもいはす物まめやかにしづか

なる心さしたにあらはついのたのみには思ひ定むへかり

けるさてむまのかみ物かたりにまだわらはへお時女ばう

なとの昔物かたりをきゝてあはれなる事かなとなみたを

おとしたも今思へはかろ/\しき事也心さしふかき男の

すこしつらき事有とて家を出てにけかくれおとこの

心を見んと思ふにげにだうりなりと人にほめたてら

れてあはれもすゝみぬれはあまになる也これをおとこきゝ

てなみたをなかせは日ころつかはれしふる女はうなときて

おとこの御心はあはれなる物をあつたら御身をあまにな

らせ給ふ事よといへはくやしき心いてきて仏のみちをも

 

すめ(娘)根挿し卑しからぬも有るべし。宮仕えに出て思いがけぬ幸いに逢うも多かるべし。人に知られず葎(むぐら)の宿に籠り居たるもおかしかるべし。大方難無きも

我が物と思い定めんは有難き世なり。人は只品にも依らじ、容をば沙汰にも言わず、物まめやかに静かなる志だにあらば、終の頼みには思い定むべかりける。さて右馬頭、物語にまだ童(わらはべ)の時、女房などの昔物語を聞きて、哀れなる事かなと涙を落としたも、今思えば軽々しき事也。志深き男の少し辛き事有るとて、家を出て逃げ隠れ、男の心を見んと思うに、実(げ)に道理なりと人に誉め立てられて、哀れも進みぬれば尼になる也。これを男聞きて涙を流せば、日頃使われし古女房など来て、男の御心は哀れなる物を、あったら御身を尼にならせ給う事よと言えば、悔しき心出で来て、仏の道をも

 

 

10

とりうしなふ也たとひおとこの心はよそにうつろふ共あひ

そめたる心さしいとおしく思はゝかんにんしてうらむへき

事なとあらはにくからぬやうにいひなし心をとりたらん

にはおとこの心もしねんとおさまるへしなを/\むかし

の事共かたり申さんとてちかくいよれは君もめをさ

まし中将もつらるえをつきてきゝい給へり(むまのかみ)それかし

いまた下らうの時あはれと思ふ人有しかかたちまほに

もあらねはそひとくげしとも思はすとかくまきれ侍しに

此女しつとの心ふかきをうるさく思ひなから物まめやかに

うしろみとなり我にたかふ事なきやうにとなびきて

心もげすしうもあらすたゝ此しつとの心ひとつをおさめ

かねて我ゆひひとつくひきりたりこれはいかなる事そ

かくかたわになりては世のましはりもなりかたしけふこ

そかきりなれといひて

 手を折てあひみし事をかそふれは是ひとつやは君かうきふし

女 うきふしを心へつにかそへきてこや君か手をわかるへきおり

此女はたつた姫(物をたち ぬふ事)たなはたの手にも(物をそむる 事也)をとるまし

くいとあはれにあもひたりとかたり申す

「又おなし頃かよひし所あり神無月の月おもしろき夜

内よりまかて侍るにある殿上人のいふやうこよひ我を待

人ありとて我車にあひのりてかの女の家のあれたるくつ

れより入たり是はつねに我かよひし所也もとより心かはせ

るにやすのこにしりかけてふえをふけは女は内より

わごんをかきあはせたり

女 琴の音に聞もえならぬ宿なからつれなき人をひきやとめける

  こからしに吹あはすめる笛のねを引とゝむへきことの葉そなき

すける女には心をかせ給へあやまちして見ん人の

ため名をもたてつへきものなりといましむ

「とらの中将の物かたりにしのひて見そめし人ありおや

もなく心ほそけにて我を打たのめるに四の君(北のかた也)よりうたて

 

とり失う也。例え男の心はよそに移ろうとも、相初めたる志愛おしく思わば、堪忍して恨むべき事などあらば、憎からぬ様に言い成し、心をとりたらんには男の心も自然(じねん)と収まるべし。猶々昔の事共語り申さんとて近く居寄れば、君も目を覚まし、中将も頬杖(つらづえ)をつきて聞き入給えり。(右馬頭)其未だ下郎の時、哀れと思う人有りしが、容(かたち)真秀(まほ)にも非ねば、添い遂ぐべしとも思わず、兎角紛れ侍りしに、この女嫉妬の心深きをうるさく思いながら、物まめやかに後ろ見となり、我に違(たが)う事無き様にと靡きて、心も下衆、主もあらず、只この嫉妬の心ひとつを収めかねて、我指ひとつ喰い切りたり。これは如何なる事ぞ。斯く片端に成りては世の交わりも成り難し。今日こそ限りなれ、と言いて、

 手を折りて逢い見し事を数うればこれひとつやは君が憂き節

女 憂き節を心一つに数え来て こや君が手を別るべきおり

この女は たつた姫(物を裁ち縫う事)七夕の手にも(物を染むる事也)劣るまじ

く、いと哀れに思いたりと語り申す。

「又同じ頃通いし所有り。神無月の月、面白き夜、内より罷で侍るに、或る殿上人の言う様、今宵我を待つ人有りとて、我が車に相乗りて、かの女のもとより心交わせるにや、簀子に尻掛けて笛を吹けば、女は内より和琴(わごん)を掻き合わせたり。

女 琴の音に聞くも得ならぬ宿ながら つれなき人を引きや籠めける

  木枯らしに吹き合わすめる笛の音を 引き留むべき言の葉ぞ無き

好ける女には心置かせ給え。過ちして見ん人の為、名をも立てつべき物也と戒む。

「籐の中将の物語に、偲びて見初めし人有り。親も無く心細げにて、我を打ち頼めるに、四の宮(北の方也)より、うたて

 

 

11

しき事をいひやるさる事をも我はしらて久しく音信もせさるに

おさなきものひとりあるに思いわひてなてしこの花につけて

女 山かつのかきほある共折/\はあはれをかけになてしこの露

  打はらふ袖に露けきとこなつにあらし吹そふ秋もきにけり

(此女は夕かほの上也 むすめは玉かつら也)其後はあともなくうせたりいかにもして此なてしこ

を尋ねんと思へとえこそ聞付侍らねとかたり給ふ

「とうしきふか物かたりにあるはかせのもとに学問し侍るとて

かよひし程にはかせのむすめにいひよりて物をもならひ

侍しかさいしとたのまんにはむだいにて心のうちはつかしく

そひとげん共思はれす久しく参らて物のたよりに立

よりたれは物こしにあひていふやう月頃はらのやまひを

もきによりごくねちのさうやくをくひてくさしこの

にほひうせなん時立より給へといふ藤式部

 さゝかにのふるまひしるき夕くれにひるますぐせといふかあやなき

 

しき事を言いやる。さる事をも我は知らで久しく音信もせざるに、幼き者の一人有るに思い侘びて、撫子の花に付けて

女 山賤の垣穂有る共折々は 哀れを影に撫子の花

頭中将 咲き交じる花は何れと分かぬ共猶常夏に敷くものぞ無き

女 打ち払う袖に露けき常夏に嵐吹くき添う秋も来にけり

(この女は夕顔の上也 娘は玉鬘也)その後は跡も無く失せたり。如何にもしてこの撫子を尋ねんと思えど、えこそ聞き付け侍らぬと語り給う。

「藤式部が物語に、或る博士の元に学問し侍るとて通いし程に、博士の娘に言い寄りて物をも習い侍りしが、妻子を頼まんには無体にて心の内恥ずかしく、添い遂げん共思われず、久しく参らで、物の便りに立ち寄りたれば、物腰に会いて言う様、月の腹の病をも気により、極熱の草薬を食いて臭し。この臭い失せなん時、立ち寄り給えと言う。 藤式部

 細蟹(ささがに:蜘蛛の糸)の振る舞い著(しる)き夕暮れに昼間過ぐせと言うが文(あや)なき

 

 

12

女 あふ事の夜をしへたてぬ中ならはひるまも何かまばゆからまし

君たちそらことゝてわらひ給ふけふは日のけしきもなを

れりまかで給はんとあるに内よち左大臣殿へは長神ふた

かりたりいつかたへかかたよへし給はんとていよのすけか子き

のかみか家に中川のわたりなるにおはしましたり水の心

はへ柴かきすゝしく蛍とびまはり虫のこえもしげし

人々はわた殿の下よりなあkれたる水にのそみてさけのむ

源氏の君はにしおもてに女のこえの聞ゆるを立きゝ給ふ

いよの介か女はうのおとうと十二三はかりなる有此子に

あねのこえしてみなね給ひたるかととふも聞ゆ君はうち

とけてもねられ給はすしやうじのかけかねをこゝろみに引

あけ給へは火はほのくらくみたれかはしき物とものなかを

わけ入給ふによくしつまりたり人しれぬ思ひをかけて

との給へは女おとろきたり中将の君といふ女はう参りて

見付こはあさましと思へとなみ/\の人ならはこそひきも

 

かなぐらめあまたの人のしりてはよからぬ事かと思ふにお

くなるおましにいたきて入せ給へり鳥もなき人々も

おきさはぐこえしけれは

 つれなきをうらみもはてぬしのゝめに取あへぬまて驚かすらん

女は此ありさまいよのすけ国にてゆめにや見んとそら

おそろしくて

 身のうさをなげくにあかて明る夜はとり重てそねもなかれぬる

左大臣殿へかへり給ひ小君をめしよせあねの事をかたり

て文を此子につかはし給ふ

 見し夢をあふ夜ありやとなけくまにめさへあはてそ頃もへにける

かゝる文は見るへき人もなしと申せとて返事もなし又物

いみの頃おはしてこよひあはんとおほせ共中将といふ女房

のつほねにかくれいたり小君たつねあひてかくと申せはな

やましくてあたりに人おほくこしを打たゝかせてと申せと

いひはなち心のうちにはいかに程しらぬやうにおほすらん

 

女 逢う事の夜押し隔てぬ中ならば昼間も何か眩ゆからまじ

君達、空言とて笑い給う。今日は日の景色も直れり。罷で給わんとあるに、内より左大臣殿へは長神塞(ふたがり)たり。何方(いずかた)へか片寄し給わんとて伊予介が子、紀伊守が家に中川の渡りなるにおわしましたり。水の心映え、柴垣涼しく、蛍飛び回り虫の声も繁し。人々は渡殿の下より流れたる水に臨みて酒を呑む。源氏の君は西面に女の声の聞こゆるを立聞き給う。伊予介が女房の弟、十二三ばかりなる有り。この子に姉の声して、皆寝給いたると問うも聞こゆ。君は打ち解けても寝られ給わず、障子の鐉(かけがね)を試みに引き開け給えば、火は仄暗く乱れがわしき者共の中を分け入り給うに、よく静まりたり。人知れぬ思いをかけてと宣えば、女驚きたり。中将の君という女房参りて見付け、こは浅ましきと思えど並々の人ならばこそ引きもかなぐらめ(引き退ける)。数多の人の知りては良からぬ事と思うに、奥なるおましに抱きて入らせ給えり。鳥も鳴き、人も起き騒ぐ声しければ、

 つれなきを恨みも果てぬ東雲に取あえぬまで驚かすらん

女はこの有様、伊予介、国にて夢にや見んと空恐ろしく、

 見の憂さを嘆くに飽かで明くる夜は鶏重ねてぞ音も泣かれぬる

左大臣、殿へ帰り給い、子君を召し寄せ姉の事を語りて文をこの子に遣わし給う。

 見し夢を逢う夜ありやと嘆く間に目さえ合わでず頃も経(へ)にける

かかる文は見るべき人も無しと申せとて返事も無し(為し?)、又、物忌の頃おわして今宵逢わんと仰せ共、中将という女房の局に隠れ居たり。小君尋ね逢いて斯くと申せと言い放ち、心の内には如何に程知らぬ様に思(おぼ)すらん

 

 

13

と思ふ(源)君は此女の心のほともはつかしくうしとおほして

 はゝきゝの心をしらてそのはらの道にあやなくまとひぬるかな

女もさくかにまとろまれさりけり

 数ならぬふせきやにおふる名のうさにあるにもあらて消るはゝきゝ

 

  うつせみ

其後御せうそこもたへてなしかくてもえやむまし

けれはいかならんおりにかと待おほしめしきのかみ国に

くたり夕やみのたと/\しけなるに小君か車にあひのり

て人しれすおはしましたりすたれのはさまによりての

そき給へはきのかみかいもうとのにしのかたと碁をうちい

たりもやの中はしらに西ざまにそはめる人はこきあや

のひとへかさねかしらつきほそやかにちいさし今ひとり

はひかしむきにて残りまくみゆしろきうすものゝひとへ

かさねふたあひのこうちきくれないのはかまこしひきゆ

 

と思う。(源)君はこの女の心の程も恥ずかしく、憂しと思して

 帚木の心を知らで園原の道にあやなく惑いぬるかな

女も流石にまどろざりけり。

 数ならぬ伏屋(ふせや)に生うる名の憂さに あるにもあらで残る帚木

 

   空蝉

その後、御消息も絶えて無し、かくても得止むまじければ、いかならん折にかと待ち思し召し、紀伊守、国に

下り、夕闇のたどたどしげなるに、小君が車に相乗りて、人知れずおわしましたり。簾の狭間に寄りて覗き給えば、紀伊守が妹の西の方と碁を打ち居たり。靄の中柱に、西ざまに側める人は、濃き綾の単衣重ね、頭(かしら)つき細やかに小さし。今一人は東向きにて残り無く見ゆ。白き薄物の単衣重ね、二藍(ふたあい)の小袿(こちぎ)、紅(くれない)の袴、腰引きゆ

 

 

14

へるきはまて見えたり人みなねて火のほのかなるにきちやう

引あけて入給へは女はあさましと思ひてすこしのひとへ斗

きてすへり出にけり源はひとりふしたるを心やすくより

給へるにその人にはあらすまゝむすめの西の御かた也目さめ

てあきれたるけしき也人たかへといはんもつらき人のためあし

かるへしとおほしたひ/\の方たかへに事よせ侍しなど

いひなし給ふ此むすめはなま心なくあはれにてなさけ/\

しく契をかせ給ひ(うつせみ)後女のぬき置たるうす衣をとりてかへり

給ふ二条のいんにおはして打やすみ給へとねられ給はす

此きぬを見給ひてひとりことに

 うつせみの身をかへてけるこのもとになを人からのなつかしきかな

うつせみの君もあさからぬ御けしきをありしなから

のわか身ならはとしのひかたけれは

 うつせみのはに置露のこかくれてしのひ/\にぬるゝ袖かな

 

える(結える)際迄見えたり。人皆寝て、火の仄かなるに几帳引き上げて入り給えば、女は浅ましと思いて、少しの単衣ばかり着てすべり出にけり。源は一人伏したるを心安く寄り給えるに、その人には非ず、継娘の西の御方也。目覚めて呆れたる気色也。人違えと言わんも辛き人の為悪しかるべしと思し、度々の方違えに事寄せ侍りしなど言いなし給う。この娘は生心無く哀れにて、情け情けしく契り置かせ給い、(空蝉)後女の脱ぎ置きたる薄衣を取りて帰り給う、二条の院におわして打ち休み給えと寝られ給わず、この衣(きぬ)を見給いて独り言に、

 空蝉の身を変えてけるこのもとに 猶人柄の懐かしきかな

空蝉の君も浅からぬ御気色を、在りしながらの我が身ならばと忍び難ければ

 空蝉の羽に置く露の木隠れて忍び忍びに濡るる袖かな

 

   夕かほ

おなし年の夏六てうのみやす所へ忍ひてかよひ給ふ中

やとりに源氏のめのとこれみつか母いたくわつらひてあま

に成たるをとひより給ふ五条なる家のかたはらにはしとみ

あけわたし簾すゝしけなるにおかしきひたいつきのすき

かけ見えたり夕かほの花の咲かゝりたるを一ふさおりて参

れとあれはずいじん入ておる内よりきなるすゝしのひ

とへはかまなかくきなしたるわらは出て白きあふぎの

こがしたるに花をきて参らせたり君はこれみつが

母のもとにおり給へは兄のあじやりむこの三河守むすめ

なともつとひいてよろこひかしこまるあま君もおき

あかりよろこひてなくなりさらぬわかれのなくもがなと

ねんころにかたらひ給ふかへり出給ふとてしそくめして

ありつる扇を御らんすれは歌あり

 心あてにそれかとそ見る白露のひかりそへたる夕かほの花

 

  夕顔

同じ年の夏、六条御息所へ忍びて通い給う中宿りに、源氏の乳人(めのと)惟光が母、いたく煩いて尼に成りたるを、問い寄り給う。五条なる家の傍らには、蔀(しとみ)明け渡し、簾涼しげなるに、おかしき額つきの透き影見えたり。夕顔の花の咲きかかりたるを一房折りて参れとあれば、随臣入りて折る。内より黄なる生絹(すずし)の単衣袴、長く着なしたる童(わらわ)出て、白き扇の焦がし(香を焚きしめ)たるに花を置きて参らせたり。君は惟光が母の元に下り給えば、兄の阿闍梨、聟の三河守、娘等も集いて喜び畏まる。尼君も起き上がり喜びて泣くなり。去らぬ別れの泣くもがなと懇ろに語らい給う。帰り給うとて、紙燭召してありつる扇を御覧ずれば、歌あり。

 心宛てにそれかとぞ見る白露の光添えたる夕顔の花

 

 

15

これみつに此にしなる家は何人のすむそととひ

給へはやともりのおのこをよひてとふおとこはいたか

にまかりてわかき女なんありと申す

(源)よりてこそそれか共みめたそかれにほの/\みつる花の夕かほ

「六条のみやす所はよはひの程もにあはす人のもりきかん

もつらさに時々わたり給ふ朝とて出給ふに女はうたちの

中将のおもとをくりて出けるを見かへり給ひてかう

らんにしはしひきすへて 源

 咲花にうつるてふ名はつゝめ共おらて過うきけさの朝かほ

手をとらへ給へはいとなれて 中将

 朝霧のはれまもまたぬけしきにて花に心をとめぬとそみる

夕かほの宿は頭の中将のあはれにわすれさりし人にや

と思召これみつにたはからせておはしたりたかひに

あやしう思ひなからあひそめ給ひてより後時々かよ

ひ給ふ八月十五夜の月いたやのひまもりいるも見なら

 

惟光に、この西なる家は何人住むぞ、と問い給えばやと、守りの男を呼びて問う。男は田舎に罷りて若き女有りと申す。

(源)寄りてこそそれか共見目黄昏にほのぼの見つる花の夕顔

六条御息所は齢の程も似合わず、人の漏り聞かんも辛さに、時々渡り給う。朝、疾く出給うに、女房達の中将の御許送りて出けるを見返り給いて、高欄に暫し引き据えて、

(源)咲く花に移るてふ名は包めども折らで過ぎ憂き今朝の朝顔

手を捕え給えばいと慣れて、(中将)

 (中将)朝霧の晴れ間も待たぬ気色にて花に心を留めぬとぞ見る

と思し召し、惟光に憚らせておわしたり。互いに怪しう思いながら、相初め給いてより後、時々通い給う。八月十五夜の月、板屋の火守り居るも、見習

 

 

16

ひ給はぬさまなるにあかつきかたとなりの家々のしづの

おともめをさまし物いひかはしこほ/\とふむからうす

のをときぬたのをと空とふ鴈のこえかべの中のきり/\

すもさまかはりておほさるみたけしやうしにや南無たう

らいたうしとおかむをきゝ給ひてかれ聞給へ此世との

みはおもはさりけりとあはれかり給ひて

  うばそくかおこなふ道をしるへにてこんよもふかき契りたがふな

  (女)さきのよの契りしらるゝ身のうさに行末かねてたのみかたさよ

いさ此あたりちかき所にて心やすくとて右近といふ女

はうをめして御車にのせ参らせ給へり

 (源)いにしへもかくやは人のまとひけん我たましらぬしのゝめのみち

(夕かほ)山のはの心もしらてゆく月はうはのそらにてかけやたえなる

なにかしのいんとかや人めもなくうとましくあれはてゝ

草も木も見ところなく池はくさにうつもれみな秋

の野らなる所へいさなひ給へり

 

 夕霧にひもとく花は玉ほこのたよりに見えしえにこそ有けれ

 (夕かほ)光ありと見し夕かほのうは露はたそかれ時のそらめ成けり

いか成人そ名のり給へむくつけしとの給へと打とけぬさま也

すたれをあけてそひふし給ふに御まくらかみにおかし

ける女きて此夕かほの上をかきおこさんとすと見給ふ

物にをそはるゝ心ちしておとろき給へは火もきえにけり

太刀を引ぬき右近をおこし給ふに是もおそろしと思ひ

て参よれりしそくさして参れとて手をたゝき給へは

山ひこのこえかとまし女君わなゝきて我かのけしき也しそ

くめしよせ見給へは夢に見えつる女まくらかみにいてきえ

うせぬやゝとおとろかし給へとひえ入ていきはたえはてに

けりうこんはおそろしと思ふ心もさめはてゝなきまどふ

これみつをめしていかゝはせんとあれは此いんもりに聞せん

はびんなるへしこゝをはまづ出させ給へとてうはむしろに

をしくゝみて車にのせ清水に昔しれるあまのもとへ出

 

い給わぬ様なるに、暁方となり、家々の賤の御伴目を覚まし、物言い交わし、こぼこぼと踏む唐臼の音、砧の音、空飛ぶ鴈の声、壁の中のきりぎりすも様変わりて思さる。御嶽精進にや南無当来導師と拝むを聞き給いて、かれ聞き給え、この世とのみは思わざりけり、と哀れがり給いて、

 優婆塞が行う道を標にて来ん世も深き契り違(たが)うな

 (女)先の世の契り知らるる見の憂さに行末かねて頼み難さよ

いざ、この辺り近き所にて心安くとて、右近という女房を召して御車に乗せ参らせ給えり。

 (源)古もかくやは人の惑いけん我待た知らぬ東雲の道

 (夕かほ)山の端の心も知らで行く月は上の空にて影や妙なる

某の院とかや、人目も無く疎ましく荒れ果てて、草も木も見所無く、池は深草(みくさ)に埋もれ、皆秋の野良なる所へ誘いけり。

 夕霧に紐解く花は玉鉾の便りに見えし縁にこそ有りけれ

 (夕かほ)光有りと見し夕顔の上露は黄昏時の空目なりけり

いかなる人ぞ名乗り給え、むくつけし、と宣えど打ち解けぬ様也。簾を開けて添い臥し給うに、御枕上(がみ)におかしげなる女来て、この夕顔の上をかき起こさんとすと見給う。物に襲わるる心地して驚き給えば、火も消えにけり。太刀を引き抜き、右近を起こし給うに、これも恐ろしと思いて参り寄れり。紙燭さして参れとて手を叩き給えば、山彦の声かと在(ま)し、女君、戦慄きて、我かの気色なり。紙燭召し寄せ見給えば、夢に見えつる女、枕上に居て消え失せぬ。やや、と驚かし給えど冷え入りて、息は絶え果てにけり。右近は恐ろしと思う心も冷め果てて泣き惑う。惟光を召して、いかがせん、とあれば、この院守りに聞かせんは敏(便?)なるべし。ここをば先ず出させ給えとて、上筵に押し括みて車に乗せ、清水に昔知れる尼の元へ出

 

 

17

し奉る源は二条院にかへり給ふかもしいきかへりて我

をつらくやおほされんと一たひなきからをたに見んとて

馬にておはしけり手をとらへてこえをたにきかせ給へ

いかなる昔のちきりにかとなきまとひ給ふ右近もおな

しけふりにとしたひいしをとかくすかして二条のいんに

かへしをき給ふ源はむねふたかりて馬にもはか/\しく

のり給はすつゝみのほとりにて馬よりすへりおちさせ

給ひ御心ちまとひ給へはこれみつ川の水にて手を

あらひ清水のくはんをんをねんしたてまつる二条院

にかへり給ひていか成人そと右近にとひ給へは父は三位の

中将なりしかうせ給ひて頭中将殿にあひそめ給ひ

て三とせはかりかよひ給ひひめ君うまれ給ふかこその秋

右大臣殿よりおそろしき事の聞えしにをぢ給ひて

あやしきあばら屋にかくれおはしゝなり姫君は西の京の

めのとのもとにあつけをき給ふ也と申す (源)

 

 見し人の煙を空となかむれはゆふへのそらもむつましき哉

「うつせみの君は(源)わするゝやとこゝろみて

 とはぬをもなとかととはて程ふるにいかはかりかは思ひ見たるゝ

(源)うつせみの世はうき物としりにしを又ことのはにかゝるいのちよ

まゝむすめのかたへ小君して

 ほのかにも軒はの萩をむすはすは露のかことを何にかけまし

(返し)ほのめかす風につけても下萩のなかはは霧にむすほれつゝ

夕かほのうへの四十九日ひえの山にてすきやうせさせ

給ふふせにつかはさるゝはかまに

 なく/\もけふは我ゆふ下ひもをいつれの世にかとけて見るへき

五でうの夕かほの宿にのこりいたる人/\うへはいつか

たにかとおもへとえたつねすうこんもひめ君の事

をえきかす 「いよのすけは神無月にひたちへ

くたるうつせみもくたらんにとてくしあふぎぬさな

と後こうちきもつかはさる

 

し奉る。源は二条院に帰り給うが、若し生き返りて我を辛くや思されんと、一度亡骸をだに見んとて、馬にておわしけり。手を捕えて声をだに聞かせ給え、いかなる昔の契りにかと、泣き惑い給う。右近も同じ煙にと慕いしを、兎角賺(すか)して二条の院に帰し置き給う。源は胸塞(ふた)がりて馬にも捗々しく乗り給わず、堤の畔にて馬より滑り落ちさせ給い、御心地惑い給えば、惟光、川の水にて手を洗い、清水の観音を念じ奉る。二条院に帰り給いて、如何なる人ぞと右近に問い給えば、父は三位の中将なりしが失せ給いて、姫君生れ給うが去年(こぞ)の秋、右大臣殿より恐ろしき事の聞こえしに怖じ給いて、怪しきあばら屋に隠れおわしし也。姫君は西の京の乳人の元に預け置き給う也、と申す。

(源)見し人の煙を空と眺むれば夕べの空も睦まじきかな

「空蝉の君は(源)忘るるやと試みて、

 問わぬをも などかと問わで程ふるに如何許かは思い乱るる

継娘の方へ小君して

 仄かにも軒端の萩を結ばずば露のかごとを何にかけまし

夕顔の上の四十九日、比叡の山にて誦経(ずきょう)せさせ給う。布施に遣わさるる袴に

 泣く泣くも今日は我結う下紐を何れの世にか解けて見るべき

五条の夕顔の宿に残り居たる人々、上は何方にと思えど得尋ねず、右近も姫君の事を得聞かず。「伊予の介は神無月に常陸へ下る。空蝉も下らんにとて、櫛、扇、幣(ぬさ)等、後、小袿(こうちぎ)も遣わさる。

 

 

18

  あふまてのかたみはかりと見しほとに

  ひたすら袖のくちにけるかな

(うつせみ)せみの羽もたちかへてけるなつころも

   かへすを見てもねはなかれけり

けづは冬たつ日なり時雨の空をなかめくらし給て

  過にしもけふはわるゝも二みちに

  ゆくかたしらぬ秋のくれかな

 

逢うまでの形見ばかりと見し程に只管袖の朽ちにけるかな

(空蝉)蝉の羽も立ち変えてける夏衣返すを見ても音(ね)は鳴(泣)かりけり

今日は冬立つ日也。時雨の空を眺め暮らし給いて、

  過ぎにしも今日別るるも二道に行く方知らぬ秋の暮かな

 

   わかむらさき

源氏十七才の春わらは(おこり也)やみにわつらひ給ひて北山に

ひじりのある所におはしたり御ふうを奉りかぢし

けりおこりの心まきらはし給はんとて立出てこゝか

しこ見わたし給へはそうばうおほき中に小柴かき

らうなとつゝけたる所はなにかしそうづのこもり給ふ

所と也こゝに女こともわかき人なと見ゆるをこれ三つ斗

御ともにてのそき給へはにしおもてに仏すへて四

十あまりのあま君きよけなるおとな二人わらはへいで

入あそふ中に十はかりにやあらんしろききぬきて

はしりきたりすゝめの子をいぬきといふわらはへのにかし

たるなりふせこにこめつるものをとてかほあかくす

りてたてり藤つほによくにたりとおほしてかへり

給ふ此姫君の事をあま君

 

  若紫

源氏十七才の春、わらわ病み(瘧:おこり也)に患い給いて、北山に聖のある所におわしたり。御封を奉り加持しけり。瘧(おこり)の心紛らわし給わんとて立出でて、ここかしこ見渡し給えば、僧坊多き中に小柴垣廊など続けたる所は、何某僧都の籠り給う所と也。ここに女子供、若き人など見ゆるを、惟光ばかり御伴にて覗き給えば、西面(おもて)に仏据えて、四十余りの尼君、清げなる大人二人童へ出で入り遊ぶ中に、十ばかりにやあらん白き衣着て走り来たり。「雀の子を、いぬきと言う童んべの逃したるなり。伏籠に籠めつるものを」とて、顔赤くすりて立てり。藤壺によく似たりと思して帰り給う。この姫君の事を、尼君

 

 

19

 おひたゝん有かもしらぬ若草ををくらす露そきえん空なき

(姫君の めのと 少納言)はつ草のおひ行末もしらぬまにいかてか露のきえんとすらん

此そうづのかたより源氏の君へ御使ありてやかておはし

まし物かたりなとし給ふにひるのおさなきおもかけ心

にかゝりて尋給へはそうづのいもうとのあまのまこ也ちゝは

兵部卿の宮也とかたり給ふ也(此兵部卿は藤つほの兄也)夜ふけ

て此姫君のめのと少納言にあひ給ひて (源)

  はつ草のわかはの上をみつるよりたひねの袖も露そかはかぬ

かくてあま君にかたりけれはあま君

  まくらゆふこよひ斗の露けさをみ山のこめにくらへさらなん

おさなきほとの御うしろみとゆくせの事まて

ちきりの給ふ暁かたせんほうのこえ山おろし瀧のをと

ひゝきあひてめつらしくきゝ給ふ (源)

  ふきまよふみ山おろしに夢さめて涙もよほす瀧のをとかな

 

 生い立たん有りかも知らぬ若草を後(おく)らす露ぞ消えん空無き

(姫君の乳人少納言)初草の生い行末も知らぬ間にいかでか露の消えんとすらん

この僧都の方より源氏の君へ御使い有りて、やがて、おわしまし物語等し給うに、昼の幼き面影、心にかかりて尋ね給えば、僧都の妹の尼の孫也。父は兵部卿の宮也と語り給う也。(この兵部卿藤壺の兄也)夜更け

てこの姫君の乳人少納言に会い給いて、

(源)初草の若葉の上を見つるより旅寝の袖も露ぞ乾かぬ

かくて尼君に語りければ、

(尼君)枕結う今宵ばかりの露けさを深山の苔(後家)に比べざらなん

幼き程の御後ろ身と行末の事まで契り宣う。暁方、懺法(せんぼう)の声、山颪(やまおろし)の瀧の音、響き合いて、珍しく聞き給う。

 (源)吹き迷う深山颪に夢さめて涙催す瀧の音かな

 

 

20

 (そうづ)さしくみに袖ぬらしける山水にすめるこゝろはさはぎやはする

 (源)宮人に行てかたらん山さくら風よりさきにきても見るべく

 (そうづ)うどんげの花まちえたる心ちしてみ山桜に目こそうつらね

 (ひじり)奥山の松のとほそをまれにあけてまたみぬ花のかほを見る哉

あま君の御かたへ源より

  夕まくれほのかに花の色をみてけさはかすみのたちそわつらふ

(あま君)まことにや花のあたりは立かいとかすむる空のけしきをも見ん

御むかへの人々君たちもあまた参れり君かくれのこけ

のうへになみいてかはらけ参る頭中将笛ふきならし

弁の君うたひ給ふ(此弁は頭中将の弟也)そうつきんをもて

出て御手ひとつとあれはかきならし京へかへり給て又の日

 (源)おもかけは身をもはなれす山桜心のかきりとめてこしかと

  あらし吹おのへの桜ちらぬまを心とめけるほとのはかなさ

二三日ありてこれみつをつかはさる

 

 (源)あさか山浅くも人を思はぬにほと山の井のかけはなるらん

  くみそめてくやしときゝし山の井のあさきなからやかけを見るへき

「三四月の頃より藤つほわつらひ給ふ(くわいにんなり)

源と藤つほの中だちはわうみやうぶ也

 (源)みても又あふ夜まれなる夢のうちにやかてまきるゝわかみともかな

(藤つほ)世かたりに人やつたへんたくひなくうき身をさめぬ夢になしても

「あま君京へかへり給へは源時々おはしけり

 (源)いはけなきたづの一こえきゝしよりあしまになづむ舟そえならぬ

 (同)手につみていつしかも見ん紫のねにかよひける野へのわか草

あま君九月廿日の程うせ給ふ姫君と少納言は京に

こもりおはせるを源とふらひ給て

  あしわかのうらにみるめはかたく共こは立なからかへるなみかは

(めのと)よる波の心もしらてわかのうらに玉もなひかんほとそうきたる

四十九日過ては姫君はちゝ兵部卿の御かたへむかへ給はんと也

 

僧都)さしぐみに(いきなり)袖濡らしける山水に澄める心は騒ぎやはする

 (源)宮人に行きて語らん山桜風より先に来ても見るべく

僧都優曇華の花待ち得たる心地して深山桜に目こそ移らね

 (聖)奥山の松の枢(とぼそ)を希に開けてまだ見ぬ花の顔を見るかな

尼君の御方へ源より

 夕間暮れ仄かに花の色を見て今朝は霞の立ちぞ煩う

(尼君)誠にや花の辺りは立憂きと霞むる空の気色をも見ん

御迎えの人々君達(きんだち)共数多参れり。岩隠れの苔の上に並み居て土器(かわらけ:酒宴)参る。頭中将笛吹き鳴らし、弁の君歌い給う。(この弁は頭中将の弟なり)僧都琴(きん)を持て出て、御手ひとつと有ればかき鳴らし、京へ帰り給いて又の日、

 (源)面影は身をも離れず山桜心の限り留めて来しかど

   嵐吹く尾上の桜散らぬ間を心留めける程の儚さ

二三日有りて、惟光を遣わさる

(源)浅香山浅くも人を思わぬに など(何故)山の井のかけ離るらん

  汲み初めて悔しと聞きし山の井の浅きながらや影を見るべき

「三四月の頃より藤壺患い給う。(懐妊なり)

 (源)見ても又逢う夜希なる夢の内にやがて紛るる我が身共かな

藤壺)世語りに人や伝えん類い無く憂き身を醒めぬ夢に成しても

「尼君京へ帰り給えば、源、時々おわしけり。

 (源)稚(いわ)けなき鶴(たづ)の一声聞きしより葦間になづむ舟ぞ得ならぬ

 (同)手に摘みていつしか見ん紫の根に通いける野辺の若草

尼君九月二十日の程、失せ給う。姫君と少納言は京に籠りおわせるを、源弔い給いて

  葦若の浦に海松布(みるめ)は難くとも こは立ちながら帰る波かは

(乳人)寄る波の心も知らで和歌の浦に玉藻靡かん程ぞ浮きたる

四十九日過ぎては姫君は父兵部卿の御方へ向かえ給わんと也

 

 

21

「源しのひ/\かよひ給ふ所をすきがてに門たゝかせともの

人にうたはせ給ふ

  朝ほらけ霧たつそらのまよひにも得過かたきいもかかとかな

内よりつかひを出して(此女は誰ともなし)

  立とまり霧のまかきの過うくは草のとさしにさはりしもせし

「姫君父の御もとへむかへ給はぬさきにとり給はんとて夜ふかく

わたらせ給ひ姫君をいたきおこし御くるまにのせ給ふ

(めのと)少納言は夢の心ちしてのりたり二条院にてわらはん

とも参らせてひめ君の御心をすかし給ふ

 (源)ねはみねと哀とそ思ふむさしのゝ露わけわふる草のゆかりを

(姫君)かこつへきゆへをしらぬはおほつかないかなる草のゆかりなるらん

 

   すえつむ花

故ひたちの宮の御むすめ心ほそくてい給ふをたゆふの

みやうぶ源にかたりていさよひの月おかしき程におはし

 

「源、忍び忍び通い給う所を、過ぎがてに門叩かせ、伴の人に歌わせ給う。

  朝ぼらけ霧立つ空の迷いにも行き過ぎ難き妹(いも)が門(かど)かな

内より使いを出して(この女は誰とも無し)

  立ち止まり霧の籬(まがき)の過ぎうくは草の閉ざしに障り(触り)しもせじ

「姫君父の御元へ向かえ給わぬ先に取り給わんとて、夜深く渡らせ給い、姫君を抱(いだ)き起こし、御車に乗せ給う。

(乳人)少納言は夢の心地して乗りたり。二条院にて童共参らせて、姫君の御心を賺(すか)し給う。

 (源)寝はみねど哀れとぞ思う武蔵野の露分け侘ぶる草の縁(ゆかり)を

(姫君)託(かこ)つべき故を知らねば覚束な如何なる草の縁なるらん

 

  末摘花

常陸の宮の御娘、心細くて居給うを、太夫命婦、源に語りて、十六夜の月、おかしき程におわし

 

 

22

まさせてことのねをきゝ給ふにかきのほとりにおとこ

いたりたれならんとおほしたれは頭中将也

(頭中将)もろ共に大うち山は出つれと入かたみせぬいさよひの月

 (源)里わかぬかけをは見れと行月のいるさの山をたれかたつぬる

ひとつ車にのりて大とのにかへり給ふ此姫君は

あひ給ひてもものをいひ給はねは (源)

 いくそたひ君かしゝまにまけぬらん物ないひそといはぬ頼みに

姫君の御めのとこ侍従とてありさし出て

 かねつきてとちめん事はさすかにてこたへまうきそかつはあやなき

(源)いはぬともいふにまさるとしりなからをしこめたるはくるしかりけり

かへり給ひて夕つかた御文つかはし給ふ

 夕霧のはるゝけしきもまたみぬにいふせさそふる宵の雨哉

御返しえし給はねはじゝうをしへきこゆる

 はれぬよの月待ほとを思ひやれおなし心になかめせすとも

此姫君はいたけたかくをせなかに御はなはふげんぼさつ

 

ののり物とおほゆ色白くひたいはれてしもがちにはな

のさきあかくかみはうちきのすそに一尺はかりひかれたり

ふるきのかはきぬをき給へりたゝむゝとうちわらひて

口をもけなるもいとおしくかゝる人を我ならてはたれかは

見しのはんとあはれにおぼさる

 朝日さす軒のたるひはとけなからなとかつらゝのむすほゝるらん

山里めきてたち花の雪にうつもれたるをずいじんに

はらはせ給ふ御車出へき門をおきなのえあけや

らねはむすめよりて引たすくる

 (源)ふりにけるかしらの雪をみる人もをとらすぬらすあさの袖かな

きぬあやわたなとつかはし給へは(姫君)

 から衣君か心のつらけれはたもらはかくそそほちつゝのみ

あさましのくちつきやとおほして此文のはしに

 なつかしき色共なしになにゝこのすえつむ花を袖にふれけん

(きやうふ)jくれないのひと花衣うすく共ひたすらくたす名をしたてすは

 

まさせて琴の音を聞き給うに、垣の辺(ほとり)に男居たり。誰ならんと思したれば、頭中将なり。

(頭中将)諸共に大内山は出でつれど入り方見せぬ十六夜の月

 (源)里分かぬ影をば見れど行く月の入るさの山を誰か訪ぬる

一つ車に乗りて大殿に帰り給う。この姫君は逢い給いても、ものを言い給わねば、

 (源)幾ぞ度君が静寂(しじま)に負けぬらん物な言いぞと言わぬ頼みに

姫君の御乳人子、侍従とて有り。差し出でて、

 鐘撞きて閉じめん事は流石にて答えまう(憂)きぞ且つは文(あや)無き

 (源)言わぬをも言うに勝ると知りながら押し込めたるは苦しかりけり

帰り給いて夕つ方、御文遣わし給う。

 夕霧の晴るる気色もまだ見ぬに鬱悒(いぶせ)誘うる宵の雨かな

御返し得し給わねば、侍従教え聞こゆる。

 晴れぬ夜の月待つ程を思いやれ同じ心に眺めせずとも

この姫君は居丈高く、お背長に、御鼻は普賢菩薩の乗り物(象?)と覚ゆ。色白く、額腫れて、下がちに、鼻の先赤く、髪は袿(うちぎ)の裾に一尺ばかり引かれたり。黒貉(ふるき)の革衣(かわぎぬ)を着給えり。只「むむ」と打ち笑いて、口重気(おもげ)なるも愛おしく、かかる人を我ならでは誰かは見偲ばんと、哀れに思さる。

朝日射す軒の垂井は溶けながらなどか氷柱の結ぼおるらん

山里めきて橘の雪に埋もれたるを、随臣に払わせ給う。御車出べき門を翁の得開けやらねば、娘寄りて引き助くる。

 (源)降りにける頭の雪を見る人も劣らず濡らす朝の袖かな

絹綾綿など遣わし給えば、

(姫君)唐衣君が心の辛ければ袂はかくぞ そぼちつつのみ

浅ましの口付きや と思して、この文の端に、

 懐かしき色とも無しに何にこの末摘花を袖に触れけん

命婦)紅の一花衣薄くとも ひたすら朽(くた)す名をし立てずは

 

 

23

(又の日 源)あはぬよをへたつる中の衣てにかさねていとゝ見もしみよとや

紫の上の御かたにてひいなあそひえなとかきてかみの

なかき女をかきてはなにべにをつけて

 くれないの花そあやなくうとまるゝ梅のたちえはなつかしけれと

 

   もみちの賀  源十七才 十八才

しゆしやくいんの行幸は神無月十日あまりまづしがく

をせさせ給ふ源氏の君と頭週条せいかいはをまひ給ふに

みな人涙おとしけりつきの日源より藤つほの御かたへ

 物思ふに立まふへくもあらぬ身の袖うちふりし心しりきや

 (藤つほ)から人の袖ふる事はとをけれと立いにつけてあはれとはみき

行幸の日はとうくうみこたち世に残る人なしがくの船

をかざり紅葉のかけに四十人のかいしろ物のねふきたて

たりせいがいはかゝたき出たるにかさしのもみちちりて菊

をおりてさしかへ給ふ藤つほはくはいにんゆへ参らせ給はす

 

 (又の日 源)逢わぬ夜を隔つる中の衣でに重ねていとど見もし見よとや

紫の上の御方にて、雛遊び絵など描きて、髪の長き女を描きて、花に紅を付けて、

 紅の花ぞ文無く疎まるる梅の立ち枝は懐かしけれど

 

  紅葉賀   源 十七才 十八才

朱雀院の行幸は神無月十日余り、先ず試楽(しがく)をさせ給う。源氏の君と頭中将、青海波(せいがいは)を舞い給うに、皆人涙落としけり。次の日、源より藤壺の御方へ

 物思うに立ち舞うべくも非ぬ身の袖打ち振りし心知りきや

 (藤壺)唐人の袖振る(古い)事は遠けれど立ち居につけて哀れとは見き

行幸の日は春宮、御子達、世に残る人無し。楽の船を飾り、紅葉の陰に四十人の垣代(かいしろ)、物の音(ね)吹き立てたり。青海波輝き出たるに、挿頭(かあざし)の紅葉散りて、菊を折りて差し替え給う。藤壺は懐妊ゆえ参らせ給わず。

 

 

24

「年あけてむらさきのうへをさしのそき給へはひいな

ともをしすへて三尺のみつし又ちいさきいへともつく

りあつめてあそひい給へり

藤つほは二月十日あまりにおとこみこうみ給ふ(此みこ れいせいいん也)

此わか宮は源氏の君によく似給へは人の思ひとかめんとむつ

かしけなるもことはり也源はいまたわか宮を見給はて

 いかさまに昔むすへる契りにて此世にかゝる中のへたてそ

(みやうふ)みても思ふみぬはたいかになけくらんこやよの人のまどふてふ闇

此わか宮のうつくしきを源見給ひて

 よそへつゝみるに心はなくさまで露けさまさるなてしこの花

藤つほにこれを見せたりけれは

 袖ぬるゝ露のゆかりと思ふにも猶うとまれぬやまとなてしこ

「源内侍のすけとて年五十七八なるかあためいたるあり

こゝろみんとてものすそを引給へはあふきをかさし見かへり

たり取かはして見給へは歌あり

 

 君しこはたなれのこまにかりかはんさかり過たる下葉なりとも

 (源)さゝわけは人やとかめんいつとなくこまなつくめる森のこかくれ

うんめいでんのわたりをたゝすみありき給へはけんないしび

はを引いたり源はあつまやをうたひてより給へは (内侍)

 立ぬるゝ人しもあらしあつまやにうたてもかゝるあまそゝきかな

 (源)人つまはあなわつらはしあつまやのあまりもなれしとぞ思ふ

頭中将は見あらはさんとて源氏のあとをしたひ入給へるに源

は人きたるとおほして屏風のうしろにかくれ給へは内侍

かなしと思ひて手をすれは打わらひ給ふ源も出給ひてさ

らはもろ共にとて中将のおひをときてぬかせ給へり

 つゝむめる名やもりいてん引かはしかくほころふる中のころもに

 (源)かくれなき物としる/\なつ衣きたるをうすき心とそ見る

ないしあさましくておちとまりたるおひさしぬきなと

あしたにたてまつるとて (内侍)

 

「年明けて紫の上を差し覗き給えば、雛共押し据えて、三尺の御厨子、又、小さき家共作り集めて遊び給えり。藤壺は二月十日余りに男御子産み給う。(この御子 冷泉院なり)この若宮は源氏の君によく似給えば、人の思い咎めんと、難し気なるも理なり。源は未だ若宮を見給わで、

 如何様に昔結べる契りにてこの世にかかる中の隔てぞ

 (命婦)見ても思う見ぬはだ いかに嘆くらんこや(子や?)世の人の惑うてふ闇

この若宮の美しきを源見給いて、

 寄そえつつ見るに心は慰まで露気さ増さる撫子の花

藤壺にこれを見せたりければ、

 袖濡るる露の縁(ゆかり)と思うにも猶疎まれぬ大和撫子

「源内侍(げんのないしのすけ)とて、年五十七、八なるが怨めいたる有り。試みんとて裳の裾を引き給えば、扇をかざし見返りたり。取り交わして見給えば、歌有り。

 君し来ば手馴れの駒に刈り飼わん(かりかう)盛り過ぎたる下葉なりとも

 (源)笹分けば人や咎めんいつと無く駒懐くめる森の木隠れ

温明殿(うんめいでん)の渡りを佇み歩き給えば、源内侍、琵琶を弾いたり。源は「東屋」を歌いて寄り給えば、

 (内侍)立ちぬるる人しも非じ東屋に うたてもかかる雨注ぎかな

 (源)人妻はあな煩わし東屋の真屋(両下)の余りも馴れじとぞ思う

頭中将は見顕わさんとて、源氏のあとを慕い入り給えるに、源は人来たると思して屏風の後ろに隠れ給えば、頭中将屏風を、こほこほと畳み寄せて太刀を引き抜き給えば、内侍愛(かな)しと思いて手を擦れば、打ち笑い給う。源も出給いて、さらば諸共にとて、中将の帯を解きて脱がせ給えり。

 包むめる名や洩り出でん引き交わし かく綻ぶる中の衣に

 (源)隠れ無き物と知る知る夏衣着たるを薄き心ぞと見る

内侍、浅ましくて、落ち止まりたる帯、差し抜き等、明日に奉るとて、(内侍)

 

 

25

 恨てもいふかひそなきたちかさね引てくるしなみのなこりに

 (源)あらたちし波に心はさはかねとよせけんいそをいかゝうらみぬ

此なをしの袖を頭中将より源へ奉らければ (源)

 中たえはかことやをふとあやうさにはなだの帯は取てたにみす

 (頭中将)君にかく引とられぬる帯なれはかくてたえぬる中とかこたん

「みかとは藤つほを御てうあひにて此わか宮をとうくうにたて

給はんとおほせ共御うしろみすへき人もおはせねはこう

きでんの女御を引こして藤つほを中宮にたて給へは源

 つきもせぬ心のやみにくるゝかな雲いに人を見るにつけても

 

   花のえん  源 十九才

きさらき廿日あまりなんでんの桜のえんせさせ給ふ

中宮春宮こうきてんの女御参り給ふ源氏の君頭中

将しゆんわうでんりうくはえんまひ給ふ源のかたちに

中宮御めとまりて

 

 恨みても言う甲斐ぞ無き立ち重ね引いて帰りし波の名残に

 (源)荒立ちし波に心は騒がねど寄せけん磯をいかが恨みぬ

この直衣の袖を頭中将より源へ奉らければ

 (源)中絶えば託言(かごと)や負うと危うさに縹の帯は取てだに見ず

 (頭中将)君に斯く引き取られぬる帯なれば斯くて絶えぬる中と託たん

「帝は藤壺を御寵愛にて、この若宮を春宮に立て給わんと仰せども、御後見(うしろみ)すべき人もおわせねば、弘徽殿の女御を引き越して、藤壺中宮に立て給えば、

 (源)尽きもせぬ心の闇に暮るるかな雲居に人を見るにつけても

 

   花の宴  源 十九才

如月二十日余り、南殿の桜の宴させ給う。中宮、春宮、弘徽殿の女御参り給う。源氏の君、頭中将、春鶯囀(しゅんのうでん)、柳花苑(りゅうかえん)舞い給う。源の容に中宮御目留まりて、

 

 

26

 大かたに花のすかたを見ましかは露も心のをかれましやは

かんだちめきさき春宮かへらせ給ひ月あかくさし出

たるに源氏は藤つほのわたりしのひうかゝひこうきてん

のほそとのに立より給へは三の口あきたり女御はうへ

の御つほねにのほり給て人すくな也人はみなねたるに

いとわかくおかしけなる声sていおほろ月夜ににる物そ

なきとずんじてこなたさまにくるふと袖をとらへて

 ふかき夜の哀をしるも入月のおほろけならぬ契りとそ思ふ

 いつれとそ露のやとりをわかんまにこさゝか原に風もこそふけ

人々おきさはけは扇はかりをしるしにとりかはして出

給ふ後扇は桜の三重かさねにてかすめる月をか

きて水にうつしたる也 (源)

 世にしらぬ心ちこそすれ有明の月の行衛を空にまかへて

 

 大方に花の姿を見ましかば露も心の置かれまじやは

上達部、后、春宮帰らせ給い、月明かく差し出たるに、源氏は藤壺の渡り、忍び伺い、弘徽殿の細殿に立ち寄り給えば、三の口開きたり。女御は上の御局に上(のぼ)り給いて人少な也。人皆寝たるに、いと若く、おかし気なる声して、朧月夜に似る物ぞ無きと誦(ずん)じて、こなたざまに来る。ふと袖を捕えて、

 深き夜の哀れを知るも入る月の朧げならぬ契りとぞ思う

名乗りし給え、いかで止みなん、と宣えば、

 (女)憂き身世に頓て消えなば尋ねても草の原をば問わじとや思う

 いずれとぞ露の宿りを分かん間に小笹が原に風もこそ吹け

人々起き騒げば、扇ばかりを印に取り交わして出給う。後、扇は桜の三重かさねにて、数ある月を描きて水に映したる也。

 (源)世に知らぬ心地こそすれ有明の月の行方を空に紛(まが)えて

 

 

27

「三月廿日藤のえんに桜二木をくれたるいとおもしろ

きに源のおはしまさねは (大との)

 我宿の花しなへての色ならは何かはさらに君をまたまし

「こうきてんの女一女三おはします戸くちに源よ

り給ひておほろの手をとらへて

 あつさ弓いるさの山にまとふかなほのみえ月の影やみゆると

 (返し)心入かたならませは弓はりの月なき空にまよはましやは

 

   あふひ  源 廿一より廿二才

きりつほのみかとの御世しゆしやくいんにかはり春宮

の御うしろみは源氏にきこえつけ給ふ

かものいつきの宮の御はらへの日かんたちめかすさだ

まりて下かさねうへのはかま馬くらまてみなとゝのへた

り源氏もちよくしにたち給ふ也一条のおほちよりさ

じきをうちて物見給ふ大とのゝ君はなやましける

 

とをき国々のあやしき山かつまてもめこを引つれ見け

る事をとてにはかに日たけて出給へは車共のひまも

なく立わたりあふひの上の御車のたて所はなしさし

のけさせんとする中にあじろ車のふるくよしあり

けなるふたつ有是はさいくうの御母六てうのみやす所

のしのひて出給へるとて口こはく手もふれさせす

あふひの上の人々さないはせそとて苑車のまへに

御車をたてつけたれは人たまひのおくにをし

へられて物も見えすしちなともをしおられて人

めわろくなにしにきつらんとくやしくてかへらんと

し給へととをり出んみちもなくて (御息所)

 影をのみみたらし川のつれなきに身のうき程そいとゝしらるゝ

まつりの日は大とのゝひめ君はもの見にもいて

させ給はす(あふひの上の事也)

むらさきの上の御くしきよらに見ゆるをかきなで

 

「三月二十日、藤の宴に桜二本をくれたる。いと面白きに源のおわしまさねば、

 (大殿)我宿の花しなべて(押並べて?)の色ならば何かは更に君を待たまじ

「弘徽殿の、女一、女三おわします戸口に、源寄り給いて朧の手を捕えて、

 梓弓いるさ(入佐:射るさ)の山の山に惑う哉仄見し月の影や見ゆると

 (返し)心入る方ならませば弓張の月無き空に迷わましやば

 

  葵  源 二十一より二十二才

桐壺の帝の御世、朱雀院に代わり春宮の御後見は、源氏に聞こえ付け給う。

加茂の斎宮(いつきのみや)御祓の日、上達部(かんだちめ)数定まりて、下重ね、上の袴、馬鞍まで皆調えたり。源氏も勅使に立ち給う也。一条の大路より桟敷を打ちて物見給う。大殿の君は悩ましける。遠き国々の怪しき山賤(やまがつ)までも、めこ(女子供?馬子?)を引き連れ見ける事をとて、俄に日長けて出給えば、車共の隙も無く立ち渡り、葵の上の御車の立て所は無し。差し退けさせんとする内に、網代車の古く由有りけるが二つ有り。これは斎宮(さいぐう)の御母、六条の御息所の忍びて出給えるとて、口強(こわ)く手も触れさせず、葵の上の人々、然(さ)な言わせそ、とて、その車の前に御車を立て付けたれば、副社(ひとだまい)の奥に押しやられて物も見えず、榻(しぢ)等も押し折られて、人目悪(わろ)く、何しに来つらんと悔しくて帰らんとし給えど、通り出ん道も無くて

 (御息所)影をのみ御手洗川のつれなきに身の憂き程ぞおとど知らるる

祭の日は、大殿の姫君は物を見にも出でさせ給わず(葵の上の事也)。

紫の上の御髪(おぐし)清らに見ゆるをかき撫で、

 

 

28

けふはよき日なりとて御ぐしそぎ給ふ

 (源)はかりなきちひろのそこのみるふさのおひ行末は我のみそ見ん

 (紫の上)千尋共いかてかしらん定めなきみちひるしほののとけからぬに

源は紫の上とひとつ車にてかものまつり見給ふかん

たちめの車おほき中に女車より扇をさし出てまね

くいかなるすきものそと御車よせさせ給へれは源内侍(年五十七八の女はう)也

 (内侍)はかなしや人のかさせるあふひゆへ神のゆるしのけふを待ける

 (源)かさしける心をあたにおもほゆるやそうち人になへてあふひを

  くやしくそかさしけるかな名のみして人のためなる草葉はかりを

あふひの上は御なやみなれと心くるしうおほして御ず法

おこなはせ給ふに物のけいきりやうなといふものさま/\

名のりする中に人にもうつらすかた時はなるゝおりも

なきものひとつ有此御なやみを見すてかたくてとて源よ

り六条のみやす所へ御文をつかはさるれは返事に

 袖ぬるゝ恋ぢとかつはしりなからおりたるたこのみつからそうき

 

今日は善き日なりとて御髪削ぎ給う。

 (源)計り無き千尋の底の海松房(みるふさ)の生い(老)行末は我のみぞ見ん

 (紫の上)千尋共いかでか知らん定め無き満ち干る潮の長閑(のどけ)からるに

源は紫の上と一つ車にて賀茂の祭見給う。上達部の車多き中に、女、車より扇を差し出(いで)て招く。如何なる数寄者ぞと御車寄せさせ給えば、源内侍(年、五十七、八の女房)也。

 (内侍)儚しや人の挿頭(かざ)せる葵(逢う日)ゆえ髪の許しの今日を待ちける

 (源)挿頭しける心ぞ怨(あだ)に思おゆる八十氏(やそうじ)人に並べて逢う日(葵)を

   悔しくてぞ挿頭しけるかな名のみして人の為なる草葉ばかりを

葵の上は御悩みなれど心苦しゅう思して、御修法(みずほう)行わせ給うに、物の怪、生霊など言うもの、様々名乗りする中に、人にも移らず片時離るる折も無きもの一つ有り。この御悩みを見捨て難くてとて、源より六条の御息所へ御文を遣わさるれば、返事に、

 袖濡るる泥(こひぢ:恋路)と且つは知りながら下り立つ田子の自らぞ憂き

 

 

29

 (源)あさみにや人はおりたつ我かたは身もそほつまて深き恋ぢを

物のけおこたらすかぢの僧ほけきやうよむに

 なけきわひ空にみたるわか玉をむすひとゝめよ下かひのつま

(是はをんりやう のよめる歌也)すこししつまり給へは大宮御ゆなと参らせ

給ひかきおこされてうまれ給ふ(此御子 夕霧也)みやす所れう

となり給へは御そにけしの香しみかへりあらへ共

此香うせされは我なからうとましうおほさるとのゝ内

人すくななるににはかにむねせきあけて程なくたえ

入給ふ二日三日見給へとかはり給ふ事ともあれは鳥

邊野にをくりたてまつる (源)

 のほりぬる煙はそれとわかね共なへて雲いのあはれなるかな

にび色の御そたてまつるも夢の心ちして (源)

 かきりあれはうすゝみ衣あさけれと涙そ袖をふちとなしける

みやす所より源へ菊の花につけて

 ひとの世を哀と聞も露けきにをくるゝ袖を思ひこそやれ

 

 (源)とまる身も消しも同じ露のよに心をくらんほとそはかなき

 (頭中将)雨となりしくるゝ空のうき雲をいつれのかたとわきてなかめん

 (源)見し人の雨と成にし雲井さへいとしくれにかきくらすころ

わか君の事を大みやへ (源より)

 草かれのまかきに残るなてしこをわかれし秋のかたみとそ見る

 (大宮)今も見て中/\袖をくたすかなかきほあれにしやまとなてしこ

源よりあさかほのさいいんの御かたへ

 わきて此くれこそ袖は露けゝれ物思ふ秋はあまたへぬれと

 (斎院)秋霧に立をくれいときゝしよりしくるゝ空もいかゝとそ思ふ

ふるきまくらふるきふすまたれと共にかと (源)

 なき玉そいとゝかなしきねしとこのあくかれかたき心ならひに

 (同)君なくてちりつもりぬるとこなつの霧打はらひいくよねぬらん

つれ/\なるまゝにむらさきのすみ給ふにしのたい

にて碁うちへんつぎなとしつゝ日くらしたまふ

おとこ君はとくをき給ひて女君をき給はぬあした

 

 (源)浅みにや人は下り立つ我方は身も濡(そぼ)つまで深き泥(こいぢ:恋路)を

物の怪怠らず加持の僧法華経を読むに、

 歎き侘び空に見たる(乱るる)我が玉(魂)を結び(とど)止めよ下交い(下前?)の褄(これは怨霊の読める歌也)少し静まり給えば、大宮、湯など参らせ給い、かき起こされて生れ給う(この御子、夕霧也)。御息所、霊となり給えば御衣(おんぞ)に芥子の香染み返り、洗え共この香失せざれば、我ながら疎ましう思さる。殿の内、人少ななるに、俄に胸せき上げて、程無く絶え入り給う。二日、三日見給えど、変わり給う事も有れば、鳥辺野に送り奉る。

(源)上(のぼ)りぬる煙はそれと分かね共並(な)べて雲居の哀れなるかな

鈍色の御衣(おんぞ)奉るも夢の心地して

(源)限り有れば薄墨衣浅けれど涙ぞ袖を淵となしける

御息所より源へ菊の花につけて

 人の世を哀れと聞くも露けきに送るる袖を思いこそやれ

 (源)留(と)まる身も消えしも同じ露の世に心送らん程ぞ儚き

 (頭中将)雨と成り時雨るる空の浮雲を何れの方と分きて眺めん

 (源)見し人の雨と成りにし雲居さえ いと(いとど)時雨に掻き暗す頃

若宮の事を大宮へ、源より、

 草枯れの籬に残る撫子を別れし秋の形見とぞ見る

 (大宮)今も見て中々袖を腐(くた)すかな垣穂荒れにし大和撫子

源より朝顔の斎院の御方へ、

 分きてこの暮こそ袖は露けけれ物思う秋は数多経(へ)ぬれど

 (斎院)秋露に立ち遅れぬと聞きしより時雨るる空も如何とぞ思う

古き枕、古き襖、誰と共にかと、

(源)なき玉(魂)ぞいとど悲しき寝し床の憧(あくが)れ難き心倣いに

(同)君なくて塵積りぬる常夏の露打ち払い幾夜寝ぬらん

徒然なる儘に紫の住み給う西の代(たい)にて、碁打ち、偏継(へんつぎ)等しつつ日暮らし給う。男君は疾く起き給いて、女君起き給わぬ朝(あした)

 

 

30

あり御心ちれいならすおぼさるゝにやと人々なげ

くに引むすひたる文あり

 (源)あやなくもへたてけるかな夜をかさねさすかになれしよるの衣を

そのよさりいのこのもちい参らせたりこれみつを召

て此もちいあすのくれに参らせよとの給ふ少納言

あはれにもかたしけなくもまつうちなかれけりとし

かへりて院内春宮に参り給ひそれより大とのへ参

り給へはおとゝはあたらしき年ともおほさす (源)

 あまた年けづあらためし色衣きては涙のふる心ちする

 (おとゝ)あたらしき年共いはすづる物はふりぬる人の涙なりけり

 

有り。御心地、例ならず思さるるにや、と人々嘆くに、引き結びたる文有り。

 (源)文(あや)無くも隔てけるかな夜を重ね流石に馴れし夜の衣を

その夜去り、猪の子の餅(もちい)参らせたり。惟光を召して、この餅、明日の暮に参らせよ、と宣う。少納言は哀れにも忝くも、先ず打ち泣かれけり。年返りて、院内、春宮に参り給い、それより大殿へ参り給えば、大臣(おとど)は新しき年とも思さず、

 (源)数多年今日改めし色衣着ては涙の降る心地する

 (大臣)新しき年とも言わず降る物は降りぬる人の涙なりけり

 

                                 巻二終