仮想空間

趣味の変体仮名

おさな源氏 巻五~六

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2567275?tocOpened=1

 

 

2

  源氏物語 巻之五六

玉かつら

はつね

こてふ

ほたる

とこなつ

かゝり火

野わき

みゆき

ふちはかま

まきはしら

むめかえ

藤のうら葉

 

 

3

系図略)

 

   玉かつら  源 卅五才

とし月へたゝりぬれと夕かほの上の事(源)わすれ給はすう

こんをかたみとおほしてたいの御かたにさふらはせ給へり

西の京にい給ひし姫君(玉かつら)四才の時めのとのおとこ少弐になり

てつくしへつれていきけり船の中にてめのとむすめ二人

 舟人も誰をこふとかおほ嶋のうらかなしけにこえの聞ゆる

 こしかたも行えもしらぬおきに出て哀いつくに君をこふらん

つくしひぜんにくたりても夕かほの上はいつくにかおはします

夢に見え給ひても心ちあしけれは世になくならせ給ふや

と思ふ少弐にはおのこ子三人有しか此姫君は京へぐし

てかへり人にもしらせたてまつれといひて姫君十はかり

の頃少弐はうせぬ京へのほらんとすれと中あしき国の

人おほくてをぢはゞかりてのほる事もならてとし月を

すこす此姫君のかたちよき事をいなか人きゝてむかへ

 

   玉鬘  源 三十五才

年月隔たりぬれど、夕顔の上の事(源)忘れ給わず、右近を形見と思して、対の方に侍(さぶら)わせ給えり。西の京に居給いし姫君四才の時、乳人の男、少弐に成りて、筑紫へ連れて行きけり。船の中にて乳人、娘二人、

 舟人も誰を恋(こ)うとか大島のうら(浦)悲しげに声の聞ゆる

 来し方も行方も知らぬ沖に出て哀れ何処に君を恋うらん

筑紫、肥前に下りても、夕顔の上は何処にかおわします。夢に見え給いても心地悪しければ、世に亡くならせ給うやと思う。少弐には男子(おとこご)三人有りしが、この姫君は京へ具して帰り、人にも知らせ奉れと言いて、姫君十ばかりの頃、少弐は失せぬ。京へ上らんとすれど仲悪しき国の人多くて、怖じ憚りて上る事もならで年月を過ごす。こkの姫君の容良き事を田舎人聞きて、迎え

 

 

4

むといふものおほけれ共かたわにおはしませはあまになし

参らするといつはりいへり少弐か子共おのこもむすめも

所にたより出きて京のかたはとをさかる程に姫君廿

はかりに成給ふ其頃ひごの国に大ゆふのげんとて年卅

斗にていきほひおそろしけなるつはもの有此玉かつらの

事を聞てたとひかたわにおはします共いたゝきにさゝけ

てわたくしの君と思はんとねんころにいひて此国に来り

ぬ少弐かむすこ二郎と三郎は身の行すえのたよりにも

たのもしからんと思ふぶんごのすけといふはおやのゆいごん

にまかせ京へのほせたてまつらんといふ此げんか有さまのお

そろしきに心をやふらしとてめのと出てげんにあひたり

監(げん)はいなかものとてあなつらんにとて歌をよみたり

 君にもし心たかはゝまつらなるかゝみの神をかけてちかはん

めのとはこゝろをもちひかへてよみけれと監はきゝし

 

(迎え)んと言う者多けれ共、片端におわしませば尼に成し参らする、と偽り言えり。少弐が子供、男子も娘も所に頼り(縁)出で来て、京の方は遠ざかる程に姫君二十ばかりに成り給う。その頃、肥後の国に大夫監(たゆうのげん)とて年(とし)三十ばかりにて、勢い恐ろしげなる強者(つわもの)有り。この玉鬘の事を聞て、たとえ片端におわしますとも、頂きに捧げて私の君と思わんと、懇ろに言いてこの国に来たりぬ。少弐が息子、二郎と三郎は身の行末の頼りにも頼もしからんと思う。豊後介と言うは、親の遺言に任せ、京へ上せ奉らんと言う。この監(げん)が有様の恐ろしきに心を破らじとて、乳人出て監に逢いたり。監は田舎者とて侮づらんにとて歌を詠みたり。

 君にもし心違(たが)わば松浦なる鏡の神を掛けて誓わん

乳人は心を持ち控えて読みけれど、監は聞き知

 

 

5

らすうれしとおもふなり

 年をへていのる心のたがひなはかゝみの神をつらしとや見ん

卯月廿日の程むかへにまからんといひて監はひこの国へ

かへりけり(此姫君を京へくしてのほらん事を年ころいのる也もしたかひ

たらはかゝみの神をつみしと思はん心なるを監は聞しらぬなり)

ぶんごのすけと兵部の君といふむすめ心を合て姫君をつれ

参らせ夜にまきれはや舟にてにけてのほる (兵部の君)

 うきしまをこきはなれても行かたやいつくとたりとしらすも有哉

 (玉かつら)行さきも見えぬ波路に舟出して風にまかする身こそうきたれ

 うき事にむねのみさはくひゝきにはひゞきのなたのさはらさりけり

九条に昔しれる人あるをたつねていけり後国にても願を

たてつれは八幡にまうて又はつせへ参る4日といふにつば

いちといふ所につきたり此宿に又よそのおとこ女馬なとひ

かせてつれたり是は昔夕かほの上につかはれし右近也ぶん

ごのすけ姫君の参り物手つからとりかまなへるを右近もの

 

こしにのそき見れは見たるやうなるかほつき也三でうと云

女の有をよく/\みれは是も見えいやうにて右近もかほ

をさし出せは三条は右近を見しりてあらうれしやさて

は夕かほの上はおはしますやといふ/\なく右近は姫君はと

とふめのとに此よしいひてみな夢の心ちして昔を

かたりあひむせかへりなきくらすうこんはひめ君をう

つくしと見奉り三日こもり此なり君の御ためとて御

あかししたゝめおかみ参らせて

 二もとの杉のたちとを尋ねすはふる川のへに君を見ましや

 (玉かつら)はつせ川はやくの事はしらね共けふのあふせに身さへなかるゝ

京にかへりて君(源)に此よし申たれは父おとゝにはなし

らせそ我は子もすくなけれはしらぬかたより我子を

たつね出たりといはんとの給ふ

 (源より玉かつらへ)しらす共尋てしらんみしま江におしつるみくりのすぢはたえしを

 

(聞き知)らず、嬉しと思うなり。

 年を経て祈る心の違(たが)いなば鏡の神を辛し(恨めしい)とや見ん

卯月二十日の程、迎えに罷らんと言いて、監は肥後国へ帰りけり。(この姫君を京へ具して上らん事を懇ろ祈る也。もし違(たが)いたらば鏡の神を辛しと思わんの心なるを監は聞き知らぬ也)

豊後介と兵部君という娘、心を合わせて姫君を連れ参らせ、夜に紛れ早舟にて逃げて上る。

(兵部君)浮島を漕ぎ離れても行く方や何処泊(とまり:港)と知らずも有る哉

 (玉鬘)行き先も見えぬ波路に舟出して風に任する身こそ浮き(憂き)たれ

 憂き事に胸のみ騒ぐ響きには響灘(ひびきのなだ)も障らざりけり

九条に昔知れる人有るを尋ねて往けり後、国にても願を立てつれば、八幡に詣で、又、初瀬へ参る。4日というに海柘榴市(つばいち:椿市)という所に着きたり。この宿に又よその男、女・馬など引かせて着きたり。これは昔、夕顔の上に遣われし右近なり。豊後介、姫君の参り物、手ずから取り賄えるを、右近、物越しに覗き見れば、見たる様なる顔付きなり。三条と言う女の有るをよくよく見れば、これも見し様にて、右近も顔を差し出せば、三条は右近を見知りて、あら嬉しや、さては夕顔の上はおわしますや、と言う言う泣く。右近は、「姫君は」と問う乳母にこの由言いて、皆夢の爰として昔を語り合い、むせ返り泣き暮らす。右近は姫君を美しと見奉り三日籠り、この形(なり)君の御為とて御証(あかし)認め、拝み参らせて、

 二本(ふたもと)の杉の立ち処(ど)を尋ねずば古川の辺(べ)に君を見まじや

 (玉鬘)初瀬川早くの事は知らねども今日の逢瀬に身さえ流るる

京に帰りて君(源)にこの由申したれば、父大臣には、な(※)知らせそ。我は子も少なくなければ、知らぬ方より我子を尋ね出たりと言わん、と宣う。

 (源より玉鬘へ)知らずとも尋ねて知らん三嶋江におしつる(「おふる:生うる」の写し違え)三稜(みくり)の筋は絶えじを

 

 

6

 (玉)数ならぬみくりや何のすぎなれはうきにしもかくねをとゝめけん

右近か里の五条にまつしのひてすませ給ふ花ちる里

にも紫の上にも此玉かつらの母夕かほの事かたり我子

のやうにいひなし給ふ玉かつら源にたいめんし給ておや

のかほはゆかしき物也さもおほさぬかとて木丁ををしやり

給へははつかしけにてそはみ給へり母上によく似給へは

 恋わたる身はそれならて玉かつらいか成すちをたつねきつらん

年の暮には人々のしやうそくをくはらせ給へりこうはいのいと

もんうきたるえびそめのこうちき今やう色のすくれたると

は紫の上桜のほそながにつやゝかなるかいねりそへてあかし

のひめ君あさはなだのかいふのをり物こきかいねりそへて

花ちる里山ふきのほそなか玉かつら柳のをり物にから

草をれるをすえつむてふ鳥ちがひたる白きこうちきにこき

つやゝかなるかさねてあかしの御かたうつせみのあま君に

あをにびのをりものくちなしの御そゆるし色そへ給ふ

 

 (玉)数ならぬ三稜(みくり)や何の筋なれば憂きにしも斯く根を留めけん

右近が里の五条に先ず忍びて住ませ給う。花散里にも紫の上にも、この玉鬘の母、夕顔の事語り、我が子の様に言い為し給う。玉鬘、源に対面し給いて、親の顔は床しきもの也。さも思さぬか、とて几帳を押しやり給えば、恥ずかしげにて側み給えり。母上によく似給えば、

 恋渡る身はそれならで玉鬘如何なる筋を尋ね来つらん

年の暮には人々の装束を配らせ給えり。紅梅の糸紋浮きたる葡萄染(えびそめ)の小袿(こうちぎ)、今様色の優れたるとは、紫の上、桜の細長に艷やかなる掻練(かいねり)添えて、明石の姫君、浅縹(あさはなだ)の海部の織物、濃き掻練添えて、花散里、山吹の細長、玉鬘、柳の織物に唐草織れるを、末摘、蝶々違いたる白き小袿に、濃き艷やかなる重ねて、明石の御方、空蝉の尼君に、青鈍の織物、梔子の御聴色(ゆるしいろ)添え給う。

 

 

7

すえつむはひかしの院におはして

 きてみれはうらみられけりから衣うへしやりてん袖をぬらして

御使にやまふきのうちき袖口すゝけたるをかつけ給へり

 

末摘は、東の院におわして、

 着てみれば恨みられけり唐衣返しやりてん袖を濡らして

御使いに山吹の袿(うちぎ)袖口煤けたるを被(かづ)け給えり。

 

 

   初音  源卅六才 元日の事也

六條院の内見所おほきかた/\の中に春のおまへ(紫の上)とり

わきて梅のかもみすの内のにほひにまかひてやすらか也

めしつかへの人々もわかやかにすくれたるは明石の姫君の御かた

にえらせ給ひおとなひたるはよし/\しくしやうそくして

はかためのいは井もちいかゞみにむかひ千とせのかけにしるき

いはひ事してそほれあへるにおとゝ(源)さしのそき給へはふところ

手引なをし人々たはふれ事いひて夕つかた (源)

 うす氷とけぬる池のかゝみには世にたくひなきかけそならへる

 (紫の上)くもりなき池の鏡に万代をすむへき影そしるく見えける

けふは子日也姫君のかたへわたらせ給へはわらはしもつかへなと

 

御前の山の小松をひきあそふあかしのうへにひげこ

わりご五えうのえたにうくひすをつくりて

 年月を松にひかれてふる人いけふ鶯のはつねきかせよ

 引わかれ年はふれとも鶯のすだちし松のねをわすれめや

夏の御かたにはむつましきいもせの契りはかりをいひかはし

給て玉かつらへわたり給へり明石の御かたにわたり給へは硯さうし

共取ちらし姫君の小松の返歌を見い給ひて

 めつらしや花のねくらにこつたひてたにのづるすをとへる鶯

こよひはこなたにとまり給ふあけほのゝ程におき出給ひて紫

の上へ渡らせ給ふ東の院へは日頃へてわたり給ひすえつむ

のお前のこうばい見はやす人もなけれは

 ふる里の春のこすえにたつねきてよのつねならぬ花を見るかな

おとこたうかあり正月十四日の節会也

 

  初音  源 三十六才 元日の事也

六条院の内、見所多き方々の中に、春の御前(紫の上)取り分きて、梅の香も御簾の内の匂いに紛いて安らか也。召仕えの人々も若やかに優れたるは、明石の姫君の御方に選せ給い、大人びたるは由由(よしよし)しく装束して、歯固めの祝い、餅鏡(もちいかがみ)に向い、千歳の陰に著(しる)き祝い事して戯(そぼ)れ合えるに、大臣(源:おとど)差し覗き給えば、懐手引直し、人々戯れごと言いて、夕つ方、

 (源)薄氷溶けぬる池の鏡には世に類無き影ぞ並べる

 (紫の上)曇り無き池の鏡に万代を澄むべき影ぞ著(しる)く見えける

今日は子日なり。姫君の方へ渡らせ給えば、童(わらわ)下仕(しもつかえ)等、御前の山の小松を引き遊ぶ。明石の上に髭籠、破籠(わりご)、五葉の枝に鶯を作りて、

 年月を松にかかれて旧る人に今日鶯の初音聞かせよ

 引き別れ年は旧れども鶯の巣立ちし松の根を忘れめや

夏の御方には睦まじき妹背の契りばかりを言い交わし給いて、玉鬘へ渡り給えり。明石の御方に渡り給えば、硯、草紙共取り散らし、姫君の小松の返歌を見居給いて、

 珍しや花の塒(ねぐら)に木伝(こづた)いて谷の古巣を問える鶯

今宵は此方に泊まり給う。曙の程に起き出給いて、紫の上へ渡らせ給う。東の院へは日頃経て渡り給い、末摘の御前の紅梅、見囃す人も無ければ、

 故郷の春の梢に尋ね着て世の常ならぬ花を見るかな

男踏歌有り。正月十四日の節会也。

 

 

   こてふ

 

   胡蝶

 

 

8

やよひ廿日あまり春のおまへ(紫の上)のは庵の色鳥のこえ山の

中嶋のわたりいとめつらしからめいさる舟つくらせ歌づかさの人

めして船のがくもよほさせ給ふ秋このむ中宮はかろ/\しく

こなたにわたらせ給ふへきならねは女はうたちをのせて

りやうとうげきしゆをかたりみづらゆひたるわらはへにかぢとり

さほさゝせ南の池にとをし御らんせさせ給ふ (女はうたち)

 風ふけは波の花さへ色見えてこやなにたてるやまぶきのさき

 春の池やいての川瀬にかよふらんきしの山ふきそこもにほへり

 かめの上の山もたつねし舟のうちにおひせぬ名をもこゝにのこさん

 春の日のうらゝにさして行舟にさほのしつくも花そちりける

舞人に手のかきりつくうさせ給ふ夜にいれはかゝり火ともして

みはしのもとのこけの上にがくにんめしてかんたちめみこ

たちみなひき物ふきものとり/\也

玉かつらの事をきゝて心かけ給ふ人おほかり

 (兵部卿)紫のゆへに心をしめたれはふちに身をなけん名ははおしけき

 

弥生二十日余り、春の御前(紫の上)の花の色、鳥の声、山の木立、中嶋の渡り、いと珍し。絡め居たる舟造らせ、歌司の人召して、船の楽、催させ給う。秋好中宮は軽々(かろがろ)しく

此方に渡らせ給うべきならねば、女房達を乗せて「龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)」を語り、角髪(みずら)結いたる童に舵取り棹ささせ、南の池に通し御覧ぜさせ給う。

 (女房達)風吹けば波の花さえ色見えてこや名に立てる山吹の崎

 春の池や井出の川瀬に通うらん岸の山吹底も匂えり

 亀の上の山も尋ねし舟の内匂いせぬ名をもここに残さん

 春の日の麗(うらら)に差して行く舟に棹の雫も花ぞ散りける

舞人に手の限りを尽くさせ給う。夜に入れば篝火灯して、御階(みはし)の元の苔の上に楽人(がくにん)召して、上達部(かんだちめ)、御子(みこ)達、皆弾き物、吹き物とりどり也。

玉鬘の事を聞きて心掛け給う人多かり。

 (兵部卿)紫の故に心を占めたれば淵(藤)に身を投げん名やば惜しけき

 

 

9

 ふちに身をなけつへしやと此春は花のあたりを立さらて見よ

けふは秋このむ中宮の御どきやうのはしめ也春のお前より

花たてまつり給ふてふ鳥にかさりわけたるわらはへ八人

しろかねの花かめに桜をさしこかねのかめに山ふきを

さして南の山きはより舟をさゝせて御せうそこは殿の

中将して(夕霧 の事也)むらさきのうへより

 花そのゝこてふをさへやした草に秋まつむしはうとく見るらん

こそのもみちの御返しなりと中宮うちわらいて

御らんす御返し

 こてふにもさそはれなまし心ありてやへ山ふきをへたてさりせは

大とのゝ中将は玉かつらをいもうと共しり給はて

 思ふ共君はしらしなわきかへり岩もる水にいろし見えねは

おとゝ右近をめして此返しともは人えりしてせさせ

よとの給ふおとゝも時々けしきあること葉をませ給へ共

玉かつらはきゝしらぬさまなり

 

 淵に身を投げつべしやとこの春は花の辺りを立ち去らで見よ

今日は秋好中宮の御読経の始めなり。春の御前より花奉り給う。鳥蝶に飾り分けたる童八人、白銀(しろがね)の花瓶に桜を挿し、黄金(こがね)の瓶に山吹を挿して、南の山際より舟をささせて、御消息(せうそこ)は殿の中将して(夕霧の事也)紫の上より、

 花園の胡蝶をさえや下草に秋松虫(待つ虫)は疎く見るらん

去年(こぞ)の紅葉の御返しなりと、中宮打ち笑いて御覧ず。御返し、

 胡蝶にも誘われなまじ心有りて八重山吹を隔てざりせば

大殿の中将は、玉鬘を妹ととも知り給わで、

 思うとも君は知らじな沸き返り岩漏る水に色し見えねば

大臣、右近を召して、この返し共は人選りしてせさせよと宣う。大臣も時々気色有る言葉を交ぜ給え共、玉鬘は聞き知らぬ様なり。

 

 

10

 (源)ませの内にねふかくうへし竹の子のをのかよゝにやおひわかるへき

 (玉)今さらにい(「か」抜け)ならんよか若竹のおひはしめけんねをは尋ねん

 (源)たちはなのかほりし袖によそふれはかはれる身共おもほえぬかな

 (玉)袖かをよそふるからにたちはなの身さへはかなく成もこそすれ

むつかしと思ひてうつふし給へるさまなるかしうはたつきのこまや

かにうつくしけなるにけふ思ふ事しらせ給ふさかしらなる御

おや心なり御ぞもよくまきらはし給ひてちかやかにふし給ふ

又の日御文に

 打とけてねもみぬ物を若草の事ありかほにむすほらるらん

 

(源)籬(ませ)の内に根深く植えし竹の子の己(おの)が世々にや生い分(別)かるべき

 (玉)今更に如何(いか)ならん夜若竹の生い始めけん根をば尋ねん

 (源)橘の香り袖に粧(よそう)れば変われる身共思ほえぬかな

 (玉)袖の香を粧るからに橘の身さえ儚く成りもこそすれ

難しと思いて俯し給える様懐かしう、肌付きの細やかに美しげなるに、今日思う事知らせ給う賢(さか)しらなる御親心也。御衣(おんぞ)もよく紛らわし給いて近やかに臥し給う。又の日、御文に、

 打ち解けて根も見ぬ物を若草の事有り顔に結ぼらるらん

 

 

   ほたる  五月

玉かつらはおとゝ(源)の思ひの外なる御けしきを心くるしくおほす

しけくわたらせ給ひて人とをきおりはけしきばみたまふ

兵部卿の宮しんしちにせめ聞給へは御返事なとし給ふ

ある夜しのひやかにおはしたるにおとゝは木丁へたてゝかくれお

 

はしましきちやうのかたひらに蛍をおほくつゝみてにはかに

しそくをさし出たるかとあさましきに玉かつらの扇をか

さし給へるかたはらめのうつくしきを宮御らんありてま

ことの御むすめならはかやうにはもてなし給はしとおぼす

 (兵部卿)なく声も聞えぬ虫の思ひたに人のけつらはきゆるものかは

 声はせて身をのみこがす蛍こそいふよりまさる思ひなるらね

(此事ゆへに此宮と ほたる兵部卿といふ也)五日にはむまばのおとゝに出給ふついてに玉

かつらへ(源)わたり給へり 兵部卿の宮より玉かつらへ

 けふさへや引人もなきみがくれにおふるあやめのねのみなかれん

 (玉かつら)あらはれていとゝあさくもみゆるかなあやめもわかすなかれけるねの

ところ/\よりおとゝへくすだままいるむまはのおとゝはこ

なたのらうより見とをす程とをからす

おとゝは花ちるさとにおほとのこもる今はおましなと

もこと事なれは花ちる里

 そのこまもすさめぬ草と名にたてるみきかのあやめけふや引つる

 

   蛍  五月

玉鬘は大臣(源)の思いの他なる御気色を心苦しく思す。繁く渡らせ給いて、人遠き折は気色ばみ給う。兵部卿の宮、真実(しんぢち)に責め聞こえ給えば、御返事等し給う。或る夜、忍びやかにおわしたるに、大臣は几帳隔てて隠れおわしまし、几帳の傍らに蛍を多く包みて、俄に紙燭を差し出たるかと浅ましきに、玉鬘の扇を翳し給える。傍ら目の美しきを、宮、御覧ありて、誠の御娘ならば斯様には饗し給わじと思ず。

 (兵部卿宮)鳴く声も聞えぬ虫の思いだに人の消(け)ずらは消ゆる物かは

 声はせで身をのみ焦がす蛍こそ言うより勝る思いなるらめ

(この事ゆえに、この宮を蛍兵部卿と言うなり)五日には馬場(うまば)の殿(おとど)に出給うついでに玉鬘へ(源)渡りえり。 兵部卿の宮より玉鬘へ、

 今日さえや引く人も無き水隠(みがく)れに生うる菖蒲の根のみ流れん

 (玉鬘)現れていとど浅くも見ゆるかな菖蒲も分かず流れける根の

所々より殿(おとど)へ薬玉参る。馬場殿(うまばのおとど)は此方の楼(ろう)より見通す程遠からず。

大臣(おとど)は花散里に大殿籠る。今は御坐(おま)しなども、異(こと)事なれば、

 (花散里)その駒も遊(すさ:喰)めぬ草と名に立てる汀(みぎわ)の菖蒲今日や引きつる

 

 

11

 (源)にほとりに影をならふる我こまはいつかあやめにひきわかるへき

おとゝより玉かつらへ

 思ひあまり昔の跡をたつぬれと親にそむける子そたくひなき

 (玉かつら)ふるき跡を尋れとけになかりけり此世にかゝるおやのこゝろ

内のおとゝは御子たちおほかる中に彼なてしこのゆくえ

いかにとおほしめし玉かつらは源のまことの御むすめとおぼし

て御子たちにもしさやうのなのりする人あらはみゝ

とゝめ給へとの給ふ

 

 (源)鳰鳥(におどり)に影を並ぶる我駒はいつか菖蒲に引き分くるべき

大臣より玉鬘へ、

 思い余り昔の跡を尋ぬれど親に背ける子ぞ類無き

 (玉鬘)古き跡を尋ぬれど実(げに)無かりけりこの世に掛かる親の心は

内の大臣は御子達多かる中に、彼撫子の行方如何にと思し召し、玉鬘は源の誠の御娘と思して、御子達に、若し左様の名乗りする人有らば、耳留(とど)め給え、と宣う。

 

 

   とこなつ  同六月

いとあつき日六てうのいんの東のつりとのに出てすゝみ

給ふ夕霧殿上人もあまた参り給て西川よりあゆか

も川のいしぶし奉るをお前にててうし参らす大とのゝきん

たちも参り給ひ御物語のついてに内のおとゝのほかはらの

むすめ尋出給へるはまことかととひ給ふ(あふみの 君の事也)おとゝはにし(玉)の

 

   常夏  同六月

いと暑き日、六条の院の東の釣殿に出て涼み給う。夕霧、殿上人も数多参り給いて、西川より鮎、鴨川の石伏奉るを、御前にて調じ参らす。大殿の公達たちも参り給い、御物語のついでに内の大臣の外腹(ほかばら)の娘、尋ね出給えるは誠か、と問い給う(近江の君の事也)。大臣は西(玉鬘)の

 

 

12

たいへわたり給ひていにしへ父おとゝのなてしことかたり

たまひしをおほしめし出て

 なてしこのとこなつかしき色を見はもとのかきねを人や尋ん

 (玉かつら)山かつのかきほにおひしなてしこのもとのねさしを誰かたつねん

内のおとゝは今姫君をいかにせんかへしをくらんも物くるをし

女御に参らせてよろついひをしへ給へと也此あふみの君は

五節の君とすく六をそ打ける女御の里におはします

時は参て人のさまをも見ならひ給へと父おとゝ仰らるれ

はうれしき事かないつか参らんとてまつ文を参らす

 草わかみひたちの海のいかゝさきいかてあひみんたこのうら波

女御此文を御らんして此返しは中納言の君にかき給

へとゆつり給ふ御文のやうにて

 ひたちなるするかの海のすまの浦波たち出よはこさきの松

 

対へ渡り給いて、古、父大臣の撫子と語り給いしを思召し出て、

 撫子の常夏(懐)かしき色を見ば元の垣根を人や尋ねん

 (玉鬘)山賤の垣穂に生いし撫子の元の根差しを誰か尋ねん

内の大臣は今姫君を、如何にせん帰し送らんも物狂おし。女御に参らせて萬(よろず)言い教え給えと也。この近江の君、五節の君と双六をぞ打ちける。女御の里におわします時は、参りて人の様をも見習い給えと、父大臣仰せらるれば、嬉しき事かな、いつか参らん、とて、先ず文を参らす。

 草若み常陸の海(常陸)の伊加加崎(河内)いかで逢い見ん(会いたい)田子の浦駿河) 

女御、この文を御覧じて、この返しは中納言の君に書き給え、と譲り給う。御文の様にて、

 常陸なる駿河の海の須磨の浦波立ち出よ(来なさい)箱崎の松 

 

 

   かゝり火  同秋

 

   篝火  同秋

 

 

13

秋のはつ風すゝしき五日六日の夕月夜西のたい(玉かつら)へお

とゝ(源)わたり給てわこんをしへ給ふかゝり火ともさせ御琴を

まくらにてもろ共にそひふし給へり (源)

 かゝり火にたちそふ恋の煙こそよにはたあへせぬほのを成けれ

 (玉まつら)行衛なき空にけちてよかゝり火のたよりにたくふ煙とならは

 

秋の初風涼しき五日、六日の夕月夜、西の対(玉鬘)へ大臣(源)渡り給いて、和琴を教え給う。篝火灯させ、御琴枕にて諸共に添い伏し給えり。

 (源)篝火に立ち添う恋の煙こそ世には絶えせぬ炎成りけれ

 (玉鬘)行方無き空に消ちてよ篝火の便りに類う煙とならば

 

 

   野分  同秋

中宮のおまへに秋の花をうへさせくろぎあかぎのませを

ゆひませ給へりれいの年よりも野分あら/\しく吹

たりおとゝは姫君のかたにおはしますほとに夕霧は東の

わた殿よりつまとのあきたるを何心なく見いれ給へるに

ひさしにい給へる人まきるへくもあらすけたかくきよら(紫の上也)也

春のあけほのゝ霞のまよりかは桜の咲みたれたる心地

すみすを吹あくれは人々におさへさせうちわらひ給へるか

ほあいきやうはにほひこほるゝ斗也おとゝのつねにけどを

 

くもてなし給へるもことはりにて立さり給ふにおとゝ西

のかたよりわたり給へり夕霧はたゝ今参たるやうにこは

つくりしてあゆみ出給へはおとゝ彼つま戸のあきたるは

夕霧や見給ふらんととかめ給ふ夕霧は大宮の風におぢ

させ給はんとて出給ふ大宮(うは君)まちよろこひわなゝき給へり大

きなる木の枝もおれかはらさへ吹ちらしははれたる屋共

はたふれたり東の町(花ちる)は人すくなにておとろき給はんと人召

てところ/\つくろわすへきよしいひをき給ふひくれは中宮

お前にはわらはへ四五人むしの籠ともに露かはせ給ふおとゝは

中宮へわたり給ひそれよりあかしの御かたへおはして風のさはき

斗をとひてつれなく立かへり給へはあかしの上

 大かたにおぎのは過る風の音もうき身一つにしむ心ちして

西のたいにはおそろしと思ひあかし給へるなごりにねすぐして今

そ鏡見給ふおとゝ入給ひてれいのすぢにむつかしうき

こえたり玉かつらはうたてと思ひなから打えみ給ふ

 

  野分  同秋

中宮の御前に秋の花を植えさせ、黒木、赤木の籬(ませ)を結い混ぜ給えり。例の年よりも野分荒々しく吹きたり。大臣は姫君の方におわします程に、夕霧は東の渡殿より妻戸の開きたるを、何心無く見入れ給えるに、庇に居給える人、紛るべくも非ず気高く清ら(紫の上也)なり。春の曙の霞の間より川桜の咲き乱れたる心地す。御簾を吹き開くれば人々に押さえさせ、打ち笑給える顔愛嬌は、匂い零るるばかり也。大臣の常に気遠く饗し給えるも理(ことわり)にて立ち去り給うに、大臣、西の方より渡り給えり。夕霧は只今参りたる様に声作りして歩み出給えば、大臣、彼妻戸の開きたるは夕霧や見給うらん、と咎め給う。夕霧は大宮の風に怖じさせ給わんとて出給う。大宮(乳母君)待ち喜び戦慄き給えり。大きなる木の枝も折れ、瓦さえ吹き散らし、離れたる屋(離れ家)どもは倒れたり。東の町(花散)は人少なにて驚き給わんと、人召して所々繕わすべき由言い置き給う。日暮れは中宮の御前には童、四、五人虫の籠共に露交わせ(水やり)給う。大臣は中宮へ渡り給い、それより明石の御方へおわして、風の騒ぎばかりを問いて、つれなく立ち帰り給えば、

 (明石の上)大方に荻の葉過ぎる風の音も憂き身一つに染む心地して

西の対には恐ろしと思い明かし給える。名残に寝過ごして、今ぞ鏡見給う。大臣入り給いて、例の筋に難しう聞こえたり。玉鬘は、うたて(不快)と思いながら打ち笑み給う。

 

 

14

夕霧はいかで玉かつらのかたちみてしがあんと木丁引あげ給へは

よくみゆおとゝと玉かつらはおや子と聞えなからかくふところ

はなれ給はぬをあやしと見給ふすこしそはみ給へるを引よせ

給へるに御くしのなみよりてはら/\とこほれかゝりたるは

いとむつかしきけしきなからさするなこやかなるさまして

なれ/\しくより給へる御けはひきのふ見し人(むらさきの上)にはをとり

たれとみるにえまるゝさまは立ならぶべくおほゆ八重山ふき

の咲みたれたるさかりに露かゝれる夕はえなり (玉かつら)

 吹みやる風のけしきにをみなへししほれしぬへき心ちこそすれ

 (源)下露になひかましかは女郎花あらき風にはしほれざらまし

姫君の御かたへ夕霧参り給てかみすゝりこひて雲

井の雁へ御文つかはし給ふ

 風さはき村空まよふゆふへにもわするゝまなくわすられぬ君

 

夕霧はいかで玉鬘の容見てしがなと、几帳引き上げ給えば、よく見ゆ。大臣と玉鬘は親子と聞こえながら、斯く懐離れ給わぬを怪しと見給う。少し側(そば)み(横を向く)給えるを引き寄せ給えるに、御髪(おぐし)の

波よりて、はらはらと零れ掛かりたるは、いと難しき気色ながら、さする和やかなる様して馴れ馴れしく寄り給える御気配、昨日見し人(紫の上)には劣りたれと見るに、笑(え)まるる様は立ち並ぶべく思ゆ。八重山吹の咲き乱れたる盛りに露掛かれる夕映えなり。

 (玉鬘)咲き乱る風の景色に女郎花萎れ死ぬべき心地こそすれ

 (源)下露に靡かまじかは女郎花荒き風には萎れざらまじ

姫君の御方へ夕霧参り給いて、紙、硯乞いて、雲居の雁へ御文遣わし給う。

 風騒ぎ村空迷う夕べにも忘るる間無く忘られぬ君

 

   みゆき  源 卅六七才

しはすに大原野行幸とて世にのこる人なく見さ

はぐ六条院の人々の見給ふしゆしやかより五条のおほ

ちを西さまにおれ給ふかつら川のもとまて物見のくるま

ひまなし雪いさゝかちりて道の空えん也みこたちかん

だちめは鷹をすへさせ給ふひげぐろの大将やな

くいおひて色くろくひげがちなるを心つきなく見給へり

おとゝ(源)は御ともにはあらて御みきくた物なと奉給ふ

みかとよりの御使は蔵人のさえもんのせうきじ一えた

 (御)雪ふかき小塩の山にたつきしのふるきあとをもけふはたつねよ

 (源御返し)をしほ山みゆきつもれる松原にけふ斗なるあとやなからん

おとゝより玉かつらへきのふうへは見奉らせ給ふやみやつかへ

に出給ふへきやとの御文也御返しに

 

   行幸  源 三十六、七才

師走に大原野行幸とて、世に残る人無く見騒ぐ。六条院の人々も見給う。朱雀より五条院の大路を西ざまに折れ給う。桂川の元まで物見の車隙(ひま)無し。雪聊か散りて道の空艶也。御子達、上達部は鷹を据えさせ給う。玉鬘は帝の麗しき御容を、なずらえなく(並ぶべくもなきを)見給う。鬚黒の大将、胡簶(やなぐい)負いて色黒く鬚がちなるを、心付き無く(気に入らぬ)見給えり。大臣(源)は御伴に合わして、御神酒、果物(菓子)など奉り給ふ。帝よりの御使いは蔵人の左衛門尉、雉一枝、

 (御:帝)雪深き小塩の山に立つ雉の古き跡をも今日は尋ねよ

 (源御返し)小塩山深雪(行幸)積もれる松原に今日ばかりなる跡や深らん

大臣より玉鬘へ、昨日、上は見奉らせ給うや、宮仕えに出給うべきや、との御文也。御返しに、

 

 

15

 うちきらし朝くもりせし行幸にはさやかにそらの光やは見じ

 (源)あかねさす光は空にくもらぬをなどて行幸にめをきらしけん

玉かつらの事あらはしてんとおほして大宮へおとゝ渡り給ふ

 (あふひの上の 御母也)あふみの君の事大宮かたり出給へり内のおとゝも

君たちも参り給てかはらけたひ/\ながれ玉かつらのこと

かたり出給へは内のおとゝめつらかにてまつ打なき給ふ御

ともの人々何事ともしらす御もきは二月十六日と

さため給ふ御こしゆひは父おとゝをとおほす大宮

より玉かつらへ御使あり 御文には

 ふたかたにいひもてゆけは玉くしけ我身はなれうかけご成けり

秋このむ中宮よりもからきぬ御くしあけのしやうそくつほ

にからのたき物入て奉り給ふ末つむより青にほひ(青にひ)のほそ

なか一かさねおちくりのはかまむらさきのしらきり見ゆる

あられぢのこうちきころもはこに入て御文には

 

 打ち霧(き)らし(曇り)朝曇りせし行幸には清かに空の光やは見じ

 (源)茜射す光は空に曇らぬをなどで行幸に目を霧(き)らしらん

玉鬘の事現してん(だろう)と思して大宮へ大臣渡り給う(葵の上の御母也)。近江の君の事、大宮語り出給えり。打の大臣も君達も参り給いて、土器(かわらけ)度々流れ、玉鬘の事語り出給えば、内の大臣、珍らかにて先ず打ち泣き給う。御伴の人々何事とも知らず、御裳着は二月十六日と定め給う。御腰結は父大臣をと思ず。大宮より玉鬘へ御使い有り。御文には、

 二方に言いもて行けば玉櫛笥我身離れぬ掛け籠(ご)なりけり

秋好中宮よりも唐衣、御髪上の装束、壺に唐の薫物入れて奉り給う。末摘より青鈍の細長一襲(かさね)、落ち栗の袴、紫の白霧(?)見ゆる(紫の透ける)霰地(あられじ)の小袿衣、箱に入れて、御文には、

 

 

16

 我身こそうらみられけれから衣君かたもとになれすと思へは

おとゝれいのとおかしくて

 から衣又からころもから衣かえす/\もからころもなる

内のおとゝは玉かつらの御こしゆひのほとしのひかたく

御けしきなり御かはらけまいりて

 うらめしやおきつ玉もをかづくまていそかくれけるあまの心に

おとゝ玉かつらにかはりて

 よるへなみかゝりなきさに打よせてあまも尋ぬもくつとそ見し

此事をあふみの君きゝて女御のおまへにかしは木中将

少将さふらひ給ふにすゝみ出て殿(内大臣也)は御むすめまうけさせ

給へるかれもをとりはら也ないしのかみにて宮つかへにいそ

き給ふときくとて女御をうらみけれは中将うちわらひ

てないしのかみにはなにかしをこそと思ふにひたうにも

おほしかけたるをの給へはなを/\はらたてゝ中将殿

 

こそつらけれせう/\の人はたてかましき御うちかなとて

いさり入たりないしのかみには我を申なし給へと女御

をせめたり父おとゝは此のそみをきゝ給ひて打わらひ

申文をつくりなが歌なとをよみてあけたらはすてさせ

給はしとの給へはやまと(あふみの君の詞)うたはあしくもつゝけ侍らんむね

/\しき事は殿より申させ給へとて手ををしすり

ていたりかたはらにてきゝける女はうはおかしきに中

/\しぬへくおほゆ

 

 我身こそ恨みられけれ唐衣君が袂になれずと思えば

大臣、例の、と可笑しがりて、

 唐衣又唐衣唐衣返す返すも唐衣なる

内の大臣は玉鬘の御腰結の程、忍び難く、御気色なり。御土器(盃)参りて、

 恨めしや興津玉藻を被(かづ)くまで磯隠れける海女(あま:娘のこと)の心よ

大臣、玉鬘に代わりて、

 寄る辺波かかる渚に打ち寄せて海士(あま:内大臣のこと)も尋ねぬ藻屑とぞ見し

この事を近江の君聞きて、女御の御前に柏木中将少将、候(さぶら)い給うに進み出て、殿(内大臣殿)は御娘儲けさせ給える。彼も劣り腹也。内侍の上にて宮仕えに急ぎ給うと聞くとて、女御を恨みければ、中将打ち笑て、内侍の上には何某をこそと思うに非道にも思し掛けたる、と宣えば、猶々腹立てて、中将殿こそ辛けれ。少々の人は立てるまじき御内かな、とて躄り入りたり。内侍の上は、我を申しなし給え、と女御を責めたり。父大臣は、この望みを聞き給いて打ち笑い、申し文を作り、長歌などを詠みて上げたらば、捨てさせ給わじ、と宣えば、大和歌(近江の詩)は悪しくも(下手だけど)続け侍らん。宗々(むねむね)しき事は、殿より申しさせ給え、とて、手を押し摺りて居たり。傍らにて聞きける女房は、可笑しきに中々死ぬべく思ゆ。

 

 

   藤はかま  源 三十七才 八九月

大宮は三月廿日の頃うせ給ふ玉かつらにび色にやつれ

夕霧の中将もおなし色の姿にてないしのかみの事

の御使に玉かつらへおはしたり彼野分の御あさかほ心に

かゝりて人にきかすましき事の御使に参りたりとそ

 

   藤袴  源 三十七才 八、九月

大宮は三月二十日の頃失せ給う。玉鬘、鈍色に窶れ、夕霧の中将も同じ色の姿にて、内侍の上の事の御使いに、玉鬘へおわしたり。彼野分の御朝顔(朝に見た玉鬘の顔)心に掛かりて人に聞かすまじき事の御使いに参りたりとぞ、

 

 

17

人々をしりそけて木丁のうしろにそはみいて御りことを

なか/\しくいへは玉かつらはいらへ給はんやうもなし此ついて

にらにの花をみすのつまよりさしいれとらせ給へる御袖

うこかして (夕霧)

 おなしのゝ露にやつるゝ藤はかまあはれはかけにかことはかりも

 (玉かつら)尋るにはるけき人の露ならはうす紫やかことならまし

今すこし思ふ事をもらさまほしけれとなやましとて玉

かつらは入給へり 頭中将父おとゝよりの使に参て

 いもせ山ふかき道をはたつねすてをだえの橋にふみまどひける

 (玉かつら)まとひける道をはしらていもせ山たと/\しくそたれもふみ見し

ひげぐろの大将はかしは木中将をつねによひて父おとゝにも

申いれ大との(源)ゝいかにおぼす共まことの親の御心たにま

かはすはと弁のおもとをせめて

 (大将)数ならはいとひもせましなか月にいのちをかくる程そはかなき

 (蛍兵部卿)朝日さす光をみても玉さゝのはわけの霜をかたすもあらなん

 

人々退けて几帳の後ろに側み居て、作り事を長々しく言えば、玉鬘は応(いら)え給わん様も無し。このついでに蘭(らに)の花を御簾の褄より差し入れ取らせ給える。御袖動かして、

 同じ野の露に窶るる藤袴哀れは掛けよ託言(かごと)ばかりも

 (玉鬘)尋ぬるに遥けき人の露ならば薄紫や託言ならまじ

今少し思う事を洩らさまほしけれど悩まし、とて、玉鬘は入り給えり。頭中将、父大臣よりの使いに参りて、

 妹背山深き道をば尋ねずて緒絶(おだえ)の橋に文惑いける

 (玉鬘)惑いける道をば知らで妹背山辿々しくぞ誰も踏み(文)見し

鬚黒の大将は柏木中将を常に呼びて、父大臣にも

申し入れ、大殿(源)の如何に思す共誠の親の緒心だに紛わずばと、弁の御許(おもと)を責めて、

 (大将)数ならば厭いもせまじ長月に命を掛くる程ぞ儚き

 (蛍兵部卿)朝日射す光を見ても玉笹の葉分けの霜を消(け)たずもあらなん

 

 

18

 (紫の兄 兵衛督)わすれなんと思ふも物の悲しきにいかさまにしていかさまにせん

 (兵部卿 返し)心もてひかりにむかふあふひたに朝をく霜ををのれやはけつ

 

 (紫の兄、兵部督:ひょうぶのかみ)忘れなんと思うも物の悲しきに如何様にして如何様にせん

 (兵部卿返し)心もて(自ら)光に向かう葵(向日葵)だに朝置く霜を己やは消つ

 

 

   まきばしら

けくろの大将は玉かつらの事父おとゝのゆるしそめ給へ

は大との(源)ゝ心ゆかぬけしきをみせんもいとおしく大将は玉かつ

らを我かたにわたし給うはん事をいそき給へともとの北の方

のよくも思ひ給ふましと心のとかなるやうにもてなし給ふ

大将のおはせぬひるつかさおとゝ(源)玉かつらへ渡り給へはまやま

しけにおもやせ給へるをよそに見はなあつよと口おしうて(くわいにん也)

 折たちてくみはみね共わたり川人のせとはた契らざりしを

 (玉かつら)みつせ川わたらぬさきにいかてなを涙のみか(「を」の間違い)のあはときえなん

大将の北のかたはおほえ世にかろからすかたちもよくおはし

けるをしうねき物のけに年ころわつらひ給てうつし心

なくて程へ給けれど大将の御心はうつるかたもあらざりしに

 

  真木柱 

鬚黒の大将は玉鬘の事、父大臣の許し初め給えば、大殿(源)の心行かぬ気色を未然も愛おしく、大将は玉鬘を我方に渡し給わん事を急ぎ給えと、元の北の方の良くも思う給うまじと、心長閑なる様に饗し給う。大将の居わせぬ昼つかた、大臣(源)、玉鬘へ渡り給えば、悩ましげに面痩せ給えるを、よそに見放つよと口惜しうて(懐妊也)、

 下り立ちて汲みはみねども渡り川人の背とはた契らざりしを

 (玉鬘)三瀬川渡らぬ先に行かで猶涙の澪の泡と消えなん

大将の北の方は覚え世に軽ろからず、容も良くおわしけるを、執念(しうね)き物の怪に年頃患い給いて、現(うつ)し心無くて(少気を失い)程経給いけれど、大将の御心は移る方も非ざりしに、

 

 

19

玉かつらにうつりそめ給へるを北のかたの父式部卿の宮こきし

めしていまめかしき人をわたしをきてかしつかれんかたすみ

に人めわろくてあらんより我かたへよひかへし給はんとあれは

北のかたは親のあたりといひなから今さら立かへらんも人ぎゝ

あしかるへしとさま/\に思ひみたれなやましく成てふし

給へり(紫の上の あね也)大将殿ひるは北ほかたと一ところにおはしまして

くるれは玉かつらのかたへ出給はんとおほすに雪かきたれふる

いかにせんとはしちかうなかめ給ひてちいさき火とり袖

に引入てたきしめ給へり北のかた此けしきを見てにはかに

おきあかり大なるひとりを鳥てうしろによりて大将殿

になけかけ給ふこまかなるはい大将殿の目はなに入て物

もおほえ給はす御ぞもやけとをりたれはけふは玉

かつらへ御文つかはし給ふ

 心さへ空にみたれし雪もよにひとりさえつるかたしきの袖

もくの君といふ女はうたち

 

 ひとりいてこかるゝむねのくるしきに思ひあまれるほのをとそ見し

 (大将殿)うき事を思ひさはけはさま/\にくゆる煙そいとゝたちそふ

北のかたの御はらには女君ひとり(十二三斗)おとこ君二人おはしける

父宮より中将侍従民部大輔なと御むかへに参れり(北の方の 兄弟也)

おとこ君たちは残しをき姫君はつれてで給ふかつねにより

い給ふひかしおもてのはしらをよその人にゆつる事のかな

しけれはひはた色のかみに歌をかきてはしらのわれ

たる所にかうかいのさきにてをしいれ給ふ

 今はとて宿かれぬ共なれきつるまきの柱は我をわするな

 なれきとは思ひいつ共名ににより立とまるへきまきの柱そ

 (中将のおもと)あさけれといしまの水はすみはてゝ宿もる君やかけはなるへき

 ともかくも岩間の水のむすほられかけとむへくもおもひえぬ世を

兵部卿の宮より玉かつらへ

 み山本に羽うちかはしいる鳥のまたなくねたき春にもあるかな

年かへりておとこたうかあり (正月十四日せちえ也)

 

玉鬘に移り初め給えるを北の方の父、式部卿の宮聞こし召して、今めかしき人を渡し置きて傅かれん。片隅に人目悪(わろ)くて在らんより、我方へ呼び返し給わんとあれば、北の方は親の辺り(その状態にある人:間接的に人、人々)と言いながら、今更立ち帰らんも人聞き悪しかるべしと、様々に思い乱れ悩ましく成りて伏し給えり(紫の上の姉也)。大将殿、昼は北の方と一所(ところ)におわしまして、暮るれば玉鬘の方へ出給わんと思すに、雪、掻き垂れ降る(激しく降る)。如何にせんと端近う眺め給いて、小さき火取(ひとり)袖に引き入れて薫(たき)しめ給えり。北の方この景色を見て俄に起き上がり、大なる火取を取りて後ろに寄りて、大将殿に投げ掛け給う。細かなる灰、大将殿の目鼻に入りて、物も覚え給わず(どうしてよいかわからない)。御衣(みぞ)も焼け通りたれば、今日は玉鬘へ御文遣わし給う。

 心さえ空に乱れし雪模様(もよ)に一人(火取)囀る片鴫(片敷)の袖

木工(もく)の君と言う女房達、

 一人居て焦がるる胸の苦しきに思い余れる炎とぞ見し

 (大将殿)憂き事を思い騒げば様々にくゆる煙ぞいとど立ち添う

北の方の御腹(産まれた子)には女君一人(十二、三ばかり)、男君二人あわしける。父宮より中将、侍従、民部大輔等御迎えに参れり(北の方の兄弟也)。男君達は残し置き、姫君は連れて出給うが、常に寄り居給う東面の柱を、他所の人に譲る事の悲しければ、檜皮(ひわだ)色の紙に歌を書きて、柱の渡れる所に、笄(こうがい)の先にて押入れ給う。

 今はとて宿離(か)れぬ共馴れ来つる真木の柱は我を忘るな

 馴れ来とは思い出(い)ずとも何により立ち止まるべき真木の柱ぞ

 (中将のお許:御方、ご婦人)浅けれど石間の水は澄み果てて宿漏る君ゆあ掛け離るべき

 兎も角も岩間の水の結ぼほれ掛け止むべくも思ほえぬ世を

兵部卿の宮より玉鬘へ

 深山木に羽打ち交わし居る鳥の又鳴く妬(ねた:音た)き春にもある哉

年返りて男踏歌有り(正月十四日節会なり)。

 

 

20

玉かつらの内侍ははい賀に参り給へはうへさたらせ給ひてお

ほしめす事のたかひあるをうらみの給はれて (御)

 なとてかくはいあひかたき紫を心にふかくおもひそめけん

 いかならん色ともしらぬ紫を心してこそ人はそめけれ

大将玉かつらを我かたにむかへんとて車よせたれは (御)

 九重にかすみへたては梅の花たゝかは(か)りもにほひこじとや

 (玉かつら)かばかりは風にもつてよ花のえに立ならふへき匂なくとも

右近は玉かつらにつきて大将殿へ参る二月雨ふりつれ/\

なるにおとゝ思召いてゝウゴンかもとへ文つかはさる

 かきたれてのとけき頃の春雨にふるさといかに人を忍ぶや

 (玉かつら)なかめする軒のしつくに袖ぬれてうたかた人をしのはさらめや

おとゝやまふきのおもしろきを見給ふにつけても

 思はすに井手の中道へたつともいはてそこふるやまふきの花

かものおほかるを見給ひて (源)

 おなしすにかへりしかいの見えぬかないか成人の手ににぎるらん

 

玉鬘の内侍は拝賀に参り給えば、上渡らせ給いて思し召す事の違(たが)いたるを恨み宣わせて、

 (御)などて斯くは居合い難き紫を心に深く思い染めけん

 如何ならん色とも知らぬ紫を心してこそ人は染めけれ

大将、玉鬘を我方に迎えんとて車寄せたれば、

 (御)九重に霞隔ては梅の花ただ香ばかりも匂い来じとや

 (玉鬘)香ばかりは風にも伝に花の枝(え)に立ち並ぶべき匂い無くとも

右近は玉鬘につきて大将殿へ参る。二月雨降り徒然なるに、大臣思し召しい出て、右近が元へ遣わさる。

 掻き垂れて長閑けき頃の春雨に故郷(ふるさと)如何に人を忍ぶや

 (玉鬘)眺めする軒の雫に袖濡れて泡沫(うたかた)人を忍ばざらめや

大臣、山吹の面白きを見給うにつけても、

 思わずに井手の中道隔つとも言わでぞ恋うる山吹の花

鴨の多かるを見給いて、

 (源)同じ巣に帰りし甲斐の見えぬかな如何なる人の手に握るらん

 

 

21

大将見給ひて御返しはかはりて

 すかくれて数にもあらぬかりの子をいつ方にかはとりかくすへき

十一月に若君うみ給ふ父おとゝは思ふやうなる御すくせ

とよろこひかしつき給ふいか成おりにかあらん殿上人にあづ

みの君人々の中をしわけて出いたりあなうたてと引

いるれはさがなげににらみてこえいとさはやかにてゆふ

ぎりをさして (あふみの君)

 おきる舟よるへ波ちにたゝよはゝさほさしよらんとまりをしへよ

雲井の雁を恋給ふにかなはすは我さしよらんとの心也 (夕霧)

 よるへ波風にさはかす舟人も思はぬかたにいそつたひせす

 

大将見給いて御返しは代わりて、

 巣隠れて数にも非ぬ雁の子を何方にかは取り隠すべき

十一月に若宮産み給う。父大臣は思う様なる御宿世(すぐせ)と喜び傅き給う。如何なる折にあらん、殿上人数多、夕霧も女御の御方に物の音調べて遊び給うに、近江の君、人々の中押し分けて出いたり。あな転(うたて:いっそうひどく、ますます)と引き入るれば、さがなげ(意地悪く)に睨みて、声いと爽やかにて夕霧を指して、

 (近江の君)沖津舟寄る辺波路に漂わば棹さし寄らん泊(とまり)教えよ

雲居の雁を恋給うに叶わずば、我差し寄らんとの心也。

 (夕霧)寄る辺波風の騒がす舟人も思わぬ方に磯伝いせず

 

 

   梅かえ  源 卅九才

しゆしやく院のみこ十三才にて二月御かうふりの事有へし

あかしの姫君(十二才)入内ちかつきけれは二条院の御くら

 

   梅が枝  源 三十九才

朱雀院の御子十三才にて、二月御蒙りの事有るべし。明石の姫君(十二才)入内近付きければ、二条院の御蔵

 

 

22

あけさせ御よういともいそく香ともは昔今の取ならへ

御かた/\にくばりたき物二くさつゝ合させ給ふおとゝは黒

方じう合せ給ふせんさいいんよりるりのつほに入て

松梅を引むすひ御文そへて参らせらる

 花の香はちりにし枝にとまらねとうつらん袖に浅くしまめや

 (源)花のえにいとゝ心をしむるかな人のとかめん香をはつゝめと

おとゝの二くさは西のわた殿の下より出るみきはちかううづ

ませ給へり兵部卿はんじやにてよしあしをさため給ふさい

いんの黒方おとゝの侍従たいの三(むらさきの上)の梅花をまさる匂ひ

なしとめて給ふ夏の御かた(花ちる)かえう冬の御かた(あかし)のくのえかう百

ぶのほう合させ給へり姫君の御もぎのうちならしに御こと共

のしやうそくけるをとゝめさせ刑部卿のみやびはおとゝさう

のこと頭中将わごん夕霧よこふえ弁の少々ひやうし

とりて梅かえうたひ給へり

 (兵部卿)蛍のこえにやいとゝあくかれん心しめつる花のあたりに

 

 (源)色も香もうつるはかりに此春は花さく宿をかれずもあらなん

 (頭中将)蛍のねくらの枝もなひくまて猶ふきとをせよはの笛竹

 (夕霧)心有て風のよくめる花の木に取あへぬまて吹やよるへき

 (弁少将)霞たに月と花とをへたてすはねくらの鳥もほころひたまし

兵部卿宮かへり給ふに御なをしたき物二つほ奉らせ給ふ (宮)

 花の香をえならぬ袖にうつしもてことあやまるといもやとかめん

 (源)めつらしとふるさと人も待そ見ん花のにしきをきてかへる君

御もぎには秋このむ中宮の御かたにおとゝわたり給ふ紫

の上も此ついてに中宮に御たいめんありてねの

時に御もsたてまつれり御母あかしの上はかゝるおり

にも見たてまつらぬをいみしと思ひ給へり

春宮の御元服は廿日あまrにあん梅かえの左大臣

三の君四月に参り給ふれいけいでんと聞ゆ姫君の御

でうどゞもさうしどもゝえらせ給ふとてさいしやう中将

兵衛のかみ頭中将なとにあしで歌えをかゝせ給ふおとゝも

 

開けさせ、御用意ども急ぐ。香ともは昔今の取り並べ、御方々に配り、薫物二草ずつ合わさせ給う。大臣は黒方、侍従(六草の薫物のうちの二種)合わせ給う。先斎院より瑠璃の壺に入れて松梅を引き結び、御文添えて参らせらる。

 花の香は散りにし枝に留(と)まらねど移らん袖に浅く染(し)まめや(染まない)

 (源)花の枝(え)にいとど心を染むるかな人の咎めん香をば包めど(隠しているが)

大臣の二草は西の渡殿の下より出る汀近う埋(うず)ませ給えり。兵部卿、判者にて、良し悪しを定め給う。斎院の黒方、大臣の侍従、対の三(紫の上)の梅花を勝る匂い無しと愛で給う。夏の御かた(花散里)荷葉(かよう)、冬の御方(明石の上)薫衣香(くのえこう)、百歩(ひゃくぶ)の方、合わさせ給えり。姫君の御裳着(もぎ)の内慣らし(下稽古)に御琴共の装束しけるを留めさせ、兵部卿の宮・琵琶、大臣・箏の琴、頭中将・和琴、夕霧・横笛、弁の少将・拍子取りて、「梅枝」歌い給えり。

 (兵部卿)鶯の声にやいとど憧(あく)がれん心占めつる花の辺りに

 (源)色も香も移るばかりにこの春は花咲く宿を枯れずもあらなん

 (頭中将)鶯の塒の枝も靡くまで猶吹き通せ夜半の笛竹

 (夕霧)心ありて風の避(よ)くめる花の木に取り合えぬ迄吹きや寄るべき

兵部卿宮帰り給うに、御直衣(なおし:のうし)薫物二壺参らせ給う。

 (宮)花の香を得ならぬ袖に移しもて事誤りと妹(いも)や咎め

 (源)珍しと故郷人も待つぞ見ん花の錦を着て帰る君

御裳着には秋好中宮の御方に大臣渡り給う。紫の上もこのついでに中宮に御対面有りて、子の時に御裳(も)奉れり。御母明石の上は、かかる折にも見奉らぬを、いみじ(忌みじ)と思い給えり。

春宮の御元服は、二十日余りになん。梅枝の左大臣の三の君、四月に参り給う。麗景殿(れいけいでん)と聞こゆ。姫君の御調度(てうど)共、草紙共、得らせ給うとて、宰相中将、兵衛督(ひょうえのかみ)、頭中将などに、葦手(あしで)歌絵を描かせ給う。大臣も

 

 

23

御心のゆくかぎり女はう二三人にすみすらせて女でを

いみしくかきつくし給ふけうそくの上にさうし共をきて

筆のしりくはへて思ひめくらし給へるさまあくよなくめてたし

内のおとゝは雲井の雁の君さかりにとゝのをりつれ/\

としめりい給へは人のねんころなる時になひるまし物

をとくやしくおほす夕霧はおとゝのかくたはみ給へる

御けしきを聞給へとあまりにつらかりし御心をしつめてと

おほす御文はてすかよはし給へり (夕霧)

 つれなさはうきよのつねに成行をわすれぬ人や人にことなる

 かきりとてわすれかたきをわするゝもこや世になひく心なるらん

 

御心の行く限り、女房二、三人に墨を摺らせて女手をいみじく書き尽くし給う。脇息の上に草子共置きて、筆の尻咥えて思い巡らし給える様、飽く世無く目出度し。内の大臣は雲居の雁の君盛りに整おり、徒然と湿り給えば、人の懇ろなる時に靡かまし物を、と悔しく思す。夕霧は大臣の斯く撓み給える御気色を聞き給えど、余りに辛かりし御心を鎮めてと思す。御文は絶えず通わし給えり。

 (夕霧)つれなさは浮世の常に成行を忘れぬ人や人に異なる

 限りとて忘れ難きを忘るるもこや世に靡く心なるらん

 

 

   藤のうら葉  源 卅九才

やよひ廿日は大宮の御き日にて内のおとゝふか草のこくらくじ(極楽寺)にまうて給ふ夕霧は此おとゝのつらかりつる

に見え給はんも心つかひせられてしつまりい給へは内の

 

   藤の裏葉  源 三十九才

弥生二十日は大宮の御忌日にて、内の大臣、深草極楽寺に詣で給う。夕霧は大臣の辛かりつるに見え給わんも、心遣いせられて鎮まり居給えば、内の

 

 

24

おとゝ袖を引よせて我冬年ものこりすくなきに

何とて心へたて給へるそけふのみのりのえをもたつね

給はゝつみゆるし給へとうらみ給へは夕霧は御けしき

にはゝかりてといひなし給ふ卯月ついたち頃庭の

藤さきみたれたるにおとゝより夕霧へ

 我宿の藤の色こきたそかれに尋やはこぬ春のなこりを

 (夕霧)中/\に折やまとはん藤の花たそかれ時のたと/\しくは

夕霧わたり給へはあるしの君たち七八人むかへに出て

いれたてまつれりおとゝたいめんし給ひ春の花

みなうちすてゝちりぬるかうらめしき頃此花のひと

り藤にさきかゝるほと色もはたなつかしきゆかりしつへ

しとて打わらひ給ひみき参り御さそひなとし給ふ

おとゝそらえひして藤のうら葉と打ずんじ給へは

頭中将一ふさおりて御さかつきにくはへ給ふ (内大臣

 紫にかことはかけん藤の花まつより過てうれたけれ共

 

大臣、袖を引き寄せて、我冬年も残り少なきに何とて心隔て給えるぞ、今日の御法の縁(えに)をも尋ね給はば罪許し給え、と恨み給えば、夕霧は御気色に憚りて問い為し給う。卯月朔日頃、庭の藤、咲き乱れたるに、大臣より夕霧へ、

 我が宿の藤の色濃き黄昏に尋ねやば来ぬ春の名残を

 (夕霧)中々に折や惑わん藤の花黄昏時のたどたどしくば(辺りがよく見えない)

夕霧渡り給えば、主の君達七、八人迎えに出て入れ奉れり。大臣対面し給い、春の花皆打ち捨てて散りぬるが恨めしき頃、この花の一人藤に咲き掛かる程、色も、はた(やはり)懐かしき所縁(ゆかり)しつべし、とて打ち笑い給い、御酒参り、御遊びなどし給う。大臣、空酔(そらえい)して、藤の裏葉と打ち誦(ず)んじ給えば、頭中将、一房折りて御盃に加え給う。

 (内大臣)紫に託言(かごと)は書けん藤の花松(待つ)より過ぎてうれた(いまいましい)けれども

 

 

25

 (夕霧)いくかへり露けき春を過しきて花のひもとくおりにあふらん

 (頭中将)たをやめの袖にまかへる藤の花みる人からや色にまさらん

夜ふけ行程に宰相(夕霧)の君そらなやみし給へは御やすみ

所もとめよとて入給ふ夕霧夢かとおほえて

 (女)あさき名をいひなかしける川口はいかゝもらしゝせきのあらかき

 もりにけるくきたの関を川口のあさきにのみはおほせさらなん

ねくたれかみの御朝かほ見るかひあり夕霧の御文には

 とかむなよ忍ひにしほる手もたゆみけふあらはるゝ袖の雫を

賀茂のみあれの御使はとうないしのすけなり

此出立を夕霧はとひ給ひて

 何とかやけふのかさしにかつみつゝおほめくまてに成にけるかな

 (藤内侍)かさしてもかつたどらるゝ草のなはかつらを折し人やしるらん

入内には紫の上そひて参り給ひ三日過してまうで

給ふ今は明石の上たちかはりて参り給ふに紫の上とたい

めんし給ひてうと/\しきへたてものこらすなつかしけに物

 

かたりなとし給ふ其秋おとゝは太上天皇になすらふ御

位え給ふ内のおとゝは太政大臣夕霧は中納言也雲井

の雁のめのと夕霧を六位すくせとつふやきし事

をおほし出て菊を給はせて (夕霧)

 あさみとり若はの菊を露にてもこき紫の色とかけきや

 (めのと)二葉より名たかるそのゝ菊なれはあさき色わく露もなかりき

夕霧は三条の殿のあれたるをしゆりしてわたり給へ

りむかしのうば君をおほしめし出て

 なれこそは岩もるあるし見し人の行衛はしるや宿のましみつ

 (女君)なき人のかけたに見えすつれなくて心をやれるいさら井の水

父おとゝもおはしましてありつる手ならひともの

ちりたるを御らんして

 そのかみの老木はむへもくちぬらんうへし小松も苔おひにけり

 (夕霧の めのと)いつれをもかけてそ頼む二葉よりねさしかはせる松の末/\

神無月廿日あまりに六条院に行幸あり院も

 

 (夕霧)幾返り露けき春を過ごし来て花の紐解く折に逢うらん

 (頭中将)手弱女の袖に紛える藤の花見る人からや色も勝らん

夜更け行く程に宰相(夕霧)の君、空悩みし給えば、御休み所求めよとて入り給う。夕霧、夢かと思えて、

 (女)浅き名を言い流しける川口は如何漏らしし関の荒垣

 漏りにける岫田(くきだ)の関(責任)を川口の浅きにのみは仰せざらなん

ねくたれ(寝乱れ)髪の、朝顔見る甲斐有り。夕霧の御文には、

 咎むなよ忍びに萎る手も弛み今日洗わるる袖の雫を

賀茂の御阿礼(かものみあれ:賀茂神社祭初日の祭礼)の御使いは、籐典侍(とうないしのすけ)也。この出で立ちを夕霧は問い給いて、

 何とかや今日の挿頭(かざし)よ且つ見つつ思べく迄に成りにけるかな

 (籐典侍)挿頭しても且つ辿らるる草の名は桂を折りし人や知るらん

入内は紫の上添いて参り給い、三日過ごして詣で給う。今は明石の上、立ち代わりて参り給うに、紫の上と対面し給いて、疎々しき隔ても残らず懐かしげに物語等し給う。その秋、大臣は太上天皇に準(なずら)う御位得給う。内の大臣は太政大臣、夕霧は中納言也。雲居の雁の乳母(めのと)、夕霧を六位過ぐせと呟きし事を思し出て、菊を給わせて、

 (夕霧)浅緑若葉の菊を露にても濃き紫の色と掛けきや

 (乳母)双葉より名立たる園の菊なれば浅き色湧く露もなかりき

夕霧は三条の殿の荒れたるを思し召し出て、

 なれ(おまえ)こそは岩守(も)る主見し人の行方は知るや宿の真清水

 (女君)亡き人の影だに見えずつれなくて心を遣れる(気晴らし)いさら井(少しの井、湧き水)の水

父大臣もおわしまして、ありつる手習いの共の散りたるを御覧じて、

 その上(昔)の老木は宜(むべ)も朽ちぬらん植えし小松も苔生いにけり

 (夕霧の乳母)何れをも掛けてぞ頼む双葉より根挿し交わせる松の末々

神無月二十日余りに、六条院に行幸有り。院も

 

 

26

おはしまして馬ばのおとゝに左右のつかさの御馬

ひきならべて五月のせちにあやめわかれすひ

かしの院に舟ともうけてうかひのおさめしならへて

おろさせ給へり西のお前のもみち心ことなるを中の

かへをくつして中門をひらき御らんせさせ給ふ暮

かゝるほとにてん上のわらはへ舞つかうまつる (源)

 色まさるまかきの菊もおり/\に袖打かけし秋をこふらし

 (太政大臣)紫の雲にまかへる菊のはなにこりなきよのほしかとそ見る

 (院)秋をへてしくれふりぬる里人もかゝる紅葉の秋をこそ見ね

  よのつねの紅葉にとや見るいにしへのためしにひける庭のにしきを

 

おわしまして、馬場の大臣に左右の司の御馬引き並べて、五月の節(せち)に文目(あやめ)分かれず、東の院に舟共浮けて鵜飼の長(おさ)召し並べて降ろさせ給えり。西の御前の紅葉、心事なるを、中の壁を崩して中門を開き、御覧せさせ給う。暮れ掛かる程に天上の童、舞仕う奉る(つかうまつる)。

 (源)色勝る籬の菊も折々に袖打ち掛けし秋を恋うらじ

 (太政大臣)紫の雲に紛える菊の花濁り無き夜の星かとぞ見る

 (院)秋を経て時雨降りぬる里人もかかる紅葉の秋をこそ見ね

   世の常の紅葉とや見る古の例(ためし)に引ける庭の錦を

 

 

 

(※)

副詞

①…(する)な。…(してくれる)な。▽すぐ下の動詞の表す動作を禁止する意を表す。

出典万葉集 三〇三二

「君があたり見つつも居(を)らむ生駒山(いこまやま)雲なたなびき雨は降るとも」

[訳] ⇒きみがあたり…。◇上代語。

②〔終助詞「そ」と呼応した「な…そ」の形で〕…(し)てくれるな。▽終助詞「な」に比してもの柔らかで、あつらえに近い禁止の意を表す。

出典古今集 春上

「春日野(かすがの)は今日(けふ)はな焼きそ若草のつまもこもれり我もこもれり」

[訳] ⇒かすがのは…。

語法下に動詞の連用形(カ変・サ変は未然形)を伴う。

注意禁止の終助詞「な」(動詞型活用語の終止形に接続)と混同しないこと。

参考①②とも、上代から用いられているが、②は中古末期以降、「な」が省略され、「そ」のみで禁止を表す用法も見られる。  

 

古文辞書 - Weblio古語辞典古語辞典より