仮想空間

趣味の変体仮名

女殺油地獄(再読)

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html

     浄瑠璃本データベース イ14-00002-140 (再読)

      (参考:平成二十六年七・八月 文楽劇場公演床本集)

 

 

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 上巻  女殺油地獄   作者 近松門左衛門

舟は新造の乗り心、サヨイヨエ、君と我と、我と君とは、図に乗って来た。しっとんとんとんしととんとん。嫉妬と逢瀬の波枕。盃はどこ行た。君が盃いつも呑みたや、武蔵野の月の、月の依夜すがら戯れ遊べ。囃し立てたる大騒ぎ。北の新地の料理茶屋、主無けれど咲く花や、後家のおかめが請け込んで、客の変え名は郎九とて、生まれは

 

 

3

陸奥会津にて、名代流さぬ金使い。この頃浪花この里へ登り詰めたよ。天王寺屋、小菊を思い思われたさに、鯰川よりゆらゆらと、野崎詣りの屋形船、卯月半ばの初暑さ。末の閏(うるう)に追い繰りて、未だ肌寒き川風を、酒に凌ぎてそそり行く。昔在霊山妙法華、今在西方名阿弥陀、娑婆示現観世音、三世の利益、三年続き、去々年戊亥の春は、裏屋背戸屋に罪深く、針櫛箱や数珠袋、そこに日の目も見ず知らぬ、一文不通の衆生迄、千手の御手の掴み取り。紫磨黄金の御肌(はだえ)に忽ち那智の観世音。去年は和州法隆寺聖徳太子の千百年忌。これ又久世の大悲の化身。続いて今年この薩埵(さっだ)、桜過ぎにし山里の、誰問うべくも無かりしに、老若男女の花咲きて、足をそらそら空吹く風に散らぬ色香の伊達参り。大人

 

 

4

童も歌うを聞けば、行くもちんつ、帰るもちんつ、又来る人もちんつちりつて。チリチツテ。伝手を頼みの乗合船は借り切るよりも徳庵堤、共に舳先を漕ぎ付けて余所も一つの船の内。客はこれ見よ顔自慢、ややともすれば痴話事の、それに任せた身の上も、人も恥ずかし気詰まりと、小菊は〽陸へ一飛びに、一人帽子の深々と、眉は隠せどとりなりの、町で名古屋の胸高帯は小笹に露の溜まられぬ。始末算用世智辯も、人にこそよれ品にこそ、撚れつ縺れつ道草に、人の言草アア難しく、五月蝿く憎く嫌らしく、我友舟を小手招き、これの見さんせナ愛宕の山にヨエ、陣の煙が、三筋立つ煙がナ、陣の、陣の煙が、三筋立つ。四筋に別れ、玉鉾の、これより辰巳奈良街道。丑寅隅は八幡道。玉造へは未申。西は

 

 

5

もと来し京橋や、野田の片町大和川。ここは名に負う寿命の松。御代長久の岡山を、歌には忍びの岡とも読み、佐良々山口一橋、渡して救う御願力。無量無辺の慈悲深く、慈眼寺衆生念彼(ねび)観音。身得度者の御誓い。問うも語るも行く船も、徒路拾うも諸共に、迷いを開く腰扇、御堂に念誦(念珠)を繰り返す。所を問えば本天満町。町の幅さえ細々の、柳腰柳髪、とろり渡世も種油、梅花紙濾し荏の油。夫は豊島屋(てしまや)七左衛門。妻の野崎の開帳詣り。姉は九つ三人娘、抱く手引く手に見返る人も、子持ちとは見ぬ花盛り。吉野の吉の字を取って、お吉とは誰が名付けん。お清は六つ中娘。母様ぶぶが飲みたいも、折節傍の出茶屋店、ここ借りますと安らいぬ。これも同町筋向かい、河内屋与兵衛まだ二十三親がかり。

 

 

6

同商売の色友達、刷毛の弥五郎、皆朱の善兵衛、野崎に参りの三人連れ。万事を夢と呑み上げし、寝覚め提重五升樽。坊主持ちして北うづむ(?)。小菊めが客と連れ立ち、よしよしと下向するもこの筋と、のさばり返って来る道の、茶店の内より、「もうし、もうし、与兵衛さん、ここへ、ここへ」と呼び掛けられ、「や、お吉さん、子供衆連れての参りか、存じたら連れになりましょ物。七左衛門殿は留守なさるるか。」「いや、こちの人も同道、二、三軒寄る所も有り、追っ付けここへ見える筈。お連れ衆もマアこれへ。平に、平に」と強いられて「煙草一服致そうか」と、腰打ちかくるも、のんこらし。「なんと与兵衛さん、お繁盛な参りではないかいの。良い衆の娘子達やお家さん方。アレアレあそこへ桔梗染めの腰替変わり。嶋襦の帯しやじゃわいの、しやじゃわいの。」「ソレソレそこへ嶋縮みに鹿の子の帯。確かに中の風と見た。又一位(ひとくらい)見事では有るぞ。「如何様若いお衆がこの様な折に、あんな見事な者引き連れ、贅のやりたいは道理。こなさんも連れ立ちたいものが有ろ。こんな折に新地の天王寺屋小菊殿か、新町の備前屋松風殿か、なんと

 

 

7

よう知って居るが、なぜ連れ立って参らんせぬ」と、ばっと乗すれば、ふわと乗り、「残り多い。天晴今日は物の見事な事で、参りの群衆に目を覚まさしょうと、この中からもがいたれど、備前屋の松風めは先約が有って、貰いも貸しもならぬと抜かす。天王寺屋の小菊めは、野崎へは方が悪い、どなたの御意でも参らぬと言い切る。それに聞いて下され。小菊めが今日、会津の客に揚げられ、早天から川御座で参りおった。田舎者にし負けては、この与兵衛が立たぬ。小菊めが帰るを待って一出入り」と、話の内から二人の連れ、腕押し揉んで力み掛け、鬼共組むべき勢い也。「それそれ問うには落ちず、語るに落ちると、利口そうにそれが信心の観音参りか、喧嘩師の野良参り。買わしゃんす、娼婦(おやま)も傾城も何やの誰、何屋の誰と、親御達がよう知って愛(いと)ぼしや。そちへは与兵衛めが間がな隙きがな入り浸っておる。異見して下されと、わしら夫婦に折り入って口説き事。こちの七左衛門殿もいやらぬ事は有るまい。定めしこなさんの心には、所こそ有れ野掛けの茶店若い女ごのざまで、入れ子鉢の様な面々の子供の世話ばかり

 

 

8

焼き居らず、小差し出たと憎かろが、この諸万人の群衆を突き退け押し退け目に立つ風俗。本天満町河内屋徳兵衛という油屋の二番息子。茶屋、茶屋の訳も碌に立てず、あの様(ざま)見よと指差しするが笑止な。こうと(大阪言葉で質素:控え目)な兄さんを手本にして、商人という物は一文銭も徒(あだ)にせず、雀の巣も喰うに貯まる。随分稼いで親達の肩助けと、心願立てさんせ。脇へは行かぬその身の唱言(誓言?)。ハア気に入らぬやら返事が無い。姉おじゃ、早う参ろう。道でこちの人に逢わしゃんしたら、本堂に待っていると言うて下さんせ。茶屋殿過分」と袂より置き茶の銭の八九文。四分に重く五分には、軽々(かろがろ)しげの物参り、別れてお吉は通りける。悪性に上塗りする皆朱の善兵衛、「あの女は与兵衛が筋向かいの内儀(おか)様ではないかい。物腰もどこやら恋の有る美しい顔で、さてさて堅い女房じゃな。」「されば年も未だ二十七。色は有れど数の子程産み広げ、所帯じゅう(染み)て気がこうと(質素)、良い女房に厳(いか)い疵。見掛けばかりで旨味の無い飴細工の鳥じゃ」と笑いけり。斯くとは行かで素人の、田舎の客

 

 

9

に揚げられて、連れて主の後家交じり、変わりちんつ(変わった口三味線)の国訛り。「やつしは甚左衛門、幸左衛門が思案事、四郎三が憂い事。ちんつ、ちんつ、ちんちりつてつて日本一の名人様やっちゃやっちゃ」と褒める歌より褒めさする。金ぞ諸芸の上手成る。「そりゃそりゃ来たぞ」と三人が手ぐすね引いたる顔色、小菊遠目にはっと驚き、「申し花車さん、同じ道ばかり気が尽きる。始めの舟に乗りたい」と裾かい取りて立ち安らう。先に与兵衛帆柱立ち、後に仁王の張番立ち。「与兵衛急くな、女郎と詰め開いて男立てい。会津蝋燭が光り立てしたら、こち二人が芯切って踏み消してくれる」と、草履を腰に腕まくり、客は転動花車も下女も狼狽え、小菊を囲うて怖(うぞ)震う。「小菊殿、借った。借ったからは動(いご)かせぬ。」と、茶屋の床几に引き摺り据え、「これ売女様、安娼婦(やすおやま)様、野崎は方が悪い。どなた様の御意でも参らぬと、この河与と連れに成るを嫌い、好いた客と参れば方も構わぬか。その訳聞こう」と理屈張る。目玉の鬼門金神(こんじん)もなどやかに、「河与様、角が取れぬの。小菊という名が一つ出れば、与兵衛という名は

 

 

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三つ出る程深い深い、と言い立てられた二人の中。連れ立って参らぬも皆んなこなさんの愛しさ故。人に育てられ(おだてられ)けしかけられ何んじゃの、わしが心は誓文こうじゃ」と、ひったり抱き寄せしみじみ囁く。色こそ見えね、河与が悦喜。忝いと伸びた顔付き、客は堪らず傍にどうと腰掛け、「小菊殿、お身は聞こえぬ。如何なる縁にか会津様程愛しい人は、大坂中に無いと言ったぞよ。国女の外聞、身の大慶と、大事の金銀を湯水の様に川遊び。ちょがらかされにゃ(なぶられ:からかわれなければ)来申さない。その男が聞く前で夕べの如く言わないけりゃ、どやどや通りのむやむやの関。二度と越し申さない。どうだどうだ」と責めせちがう(責めたてる)。言い合わせし二人の連れ、つかつかと寄って、「ヤイ猛者め、この女郎こっちへ貰う、置いて帰れ。但し東(あずま)土産に川の泥水振る舞おうか」と、両方より立ち挟み、投げてくれんず面構え。坂東者のどう(貪?)強く、「何さ、ぶいぶいども、脅しの腕に色々の彫り物して喧嘩に事寄せ、懐の物取りと聞き及ぶ。貧乏という棒に脛を殴られ、腰膝も立たぬ女狂い。上方の泥水より奥州者の泥足喰らえ」と

 

 

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つっと寄り蹴上ぐる足首。刷毛が頤(おとがい)蹴違えられ、どう!と転(まろ)んでころころころ、川へだんぶと跳ね落とされ、これはと取り付く皆朱が大事の命の魂(たま)、縮み込む程蹴付けられ、「鳶がかけた(掛けた:駆けた?)南無三」と呆れて空を、みちみちみち(壊れる音。「見」と掛けた)、腹這い腹這い逃げて行方は無かりけり。友達投げさせ見て居ぬ男、「逆様に植えてくれん」と、むずと掴めば振り放し、「ちょこざいな毛才六(けざいろく:罵り言葉)、鰓骨ひっ欠いてくれべい」と、喰らわす拳を受け外しては打(ぶ)ち返し、叩き合い掴み合う。「のう、気の通らぬ、これ、どうぞ」と、中へ小菊が加勢(かせ)に入り、「ああ怪我さしゃんな大事の身」と、花車が囲えば下女も手を引き立ち隔つ。「そりゃ喧嘩よ」と諸人の騒ぎ。茶屋は店を仕舞うやら、二人は絶体絶命の、打ち合い組み合い堤の方、岸踏み外し小川にどうどう落ち別れ、藻屑泥土舞い塵(ごみ)砂、互いに投げ掛け掴みかけ、打ち合い打ち付け扱い手無き相手勝負気根比べと〽見えにけり。折こそ有らめ、嶋上郡(こおり)高槻の言えの子、御小姓達の出頭、小栗八弥。馬上に上下御代参の徒若党。揃い羽織の濃柿に知恵の輪の

 

 

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大紋、手振りの先供「はいはい、はいはい」の声をも聞かず与兵衛が、手繰り掛けて打ち泥砂。出会う拍子に馬上の武士の袷上下(あわせかみしも)皆具(かいぐ)迄、ざっくと掛かるも時の運、栗毛忽ち泥付き毛、沛艾(はいがい:馬の気が荒く跳ね暴れる事)鞍も鎮まらず、与兵衛もはっと驚く所、「それ逃すな」と徒の衆、ばらばらと取り巻く中、相手は川を渡り越し、小菊も花車も手捷(てばしか)く参りの諸人に紛れて退く。徒頭山本森右衛門、与兵衛が両脛掻いて「ぎゃっ」とのめらせ、膝を背骨に拉ぎ付くる。「アアお侍様、怪我でござる、ごめん成りませ。お慈悲、お慈悲」と吠え面かく。「こいつ慮外者、お小袖馬具に泥をかけて、怪我と言うては済まぬ。面を上げい」と首捩じ上げ、「ヤア森右衛門殿、叔父者人」「ムム与兵衛めか」と互いにはっと驚きしが、「ヤイおのれは町人。如何様の恥辱を取っても疵にならぬ。旦那より御扶持を蒙り、二字を首に懸けたる森右衛門。慮外者を取って押さえ甥と見たれば猶助けられぬ。討って捨てる、立ちませい」と小腕を取って引き立つる。馬上の主人「ヤイヤイヤイ、ヤイ森右衛門、見ればその方が大小の鞘口、詰め様が緩そうな。ふと、

 

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鞘走って怪我でもして、血を見れば殿の御代参叶わず、帰らねばならぬ。下向までは随分鞘口に心を付けて森右衛門、供をせい、せい」「ハアはっ」とお言葉忝く、「おのれ下向には首を討つ、暫しの命」と突き放し、随分叔父が目に掛かるなと言いたけれども侍気。声せぬ夏の手振り鶯、はいはいはい、武家の生き方馴染(なず)まぬ御馬、足を早めて急がるる。与兵衛うっとり夢か現か酔(え)いたる如く「南無三、叔父の下向に切らるる筈。切られたら死のう、死んだらどうしょ」と心は沈み気は上盛り。逃げてくりょうと駆け出で、「ハア、こう行けば野崎、大坂はどちらやら方角が無い。こっちは京の方、あの山は暗(くらがり峠)。但し(或いは)比叡山かどこへ行たらば逃りょう」と、眼(まなこ)も迷い狼狽え、アどうかしょう、何と加賀笠お吉と見るより地獄の地蔵、「ヤアお吉さん下向か、わしゃ今切らるる、助けて下され。大坂へ連れて往て下され、後生でござる」と泣き拝むj。「こちゃ未だ下向じゃないわいの。七、八町行たれど、あんまり人競り(ひとぜり:人がひしめく事)。こちの人待ち合わせにここまで帰った。エエ気疎なげな、身も顔も泥だらけ。気が違うたか与兵衛さん」「尤も、尤も。喧嘩は

 

 

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して泥を掴み合い、跳ね馬に乗った侍にその泥が掛かって、それで下向に切らるる筈。頼みます、頼みます」と立ち去らず。「エエ呆れ果てた。親御達の病に成るがいとしぼい(いたわしい:不憫)。向かい同士のけんけん(とげとげしい)とも成らず、茶屋の内借って振り濯いでしんぜましょ。顔も洗い、とっとと大坂へ帰って以後嗜ましゃんせ。又ここ借ります、お清、父(とと)様が見えたら母(かか)に知らしゃ」と、二人葦簀の奥長き日影も昼に傾ぶけり。さぞや妻子が待つらんと、弁当傾げ旁に姉を手を引き豊島屋(てしまや)の七左衛門、喉が乾けど飲む間も急ぐ、茶屋の前にて中娘、「アレ父様か」と縋り寄る。「オオ待ち兼ねたか、母はどこに」と尋ねれば、「母様はここの茶屋の内に、河内屋の与兵衛さんと二人、帯解いて、べべ(衣服)も脱いででござんする」「ヤア河内屋与兵衛めと?帯解いて裸に成ってじゃ?エエ口惜しい、目を抜かれた。そうしてあとはどうじゃ、どうじゃ」「そうして鼻紙で拭(のご)うたり洗うたり」と聞くより急き立つ七左衛門、顔色変わり眼も座り、門口に立ちはだかり、「お吉も与兵衛もこれへ出よ。但し出ずばそこへ踏ん込む」と、呼ばわる声に「こちの人か、子供がお昼の時分も忘れ、どこに何して

 

 

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居さしゃんした」と出るあとから与兵衛が「七左衛門殿、面目ない。ふとした喧嘩に泥に嵌り、色々お内儀のお世話。これも七左衛門殿のお陰、忝い」と言うに鬢先髪の鬟(わげ)も泥まぶれ。身は濡れ鼠、腹立ちやら可笑しいやら。挨拶もせず「これお吉、人の世話も良い頃にしたがよい。若い女が若い男の帯解いて、そうしてあとで紙で拭ううとは尾籠至極疑わしい。よその事は放からかして、サアサア参ろう、日が長ける。」「オオ待って居ました、詳しい事は道すがら」と、姉が手を引き、おと(弟妹)は抱く。中は父親肩くま(肩車)に乗り(法)の教えも一つは遊山、群衆を分けてぞ急ぎけり。与兵衛ひとり茶屋の店、とほん(ぼんやり)として居る所に、亭主を始め辺り在所の者共五、六人。「さっきにからここな人は参りか下向か、一つ所にうろうろと、合点が行かぬ、サア通った(行け)」と追い立つる。折から「はいはいはい」の声に交わる轡の音。小栗八弥下向の徒立ち、与兵衛狼狽え逃げ損ない、押し割る供先、叔父の眼に掛かる不肖の出会い頭ひっ捕らえ捻じ据え、「最善は御参詣、今は御下向慎み無し。討って捨てる」と刀の柄に手を掛くる。「待て待て森右衛門、その者討って捨てんとは、何故、何故」「きゃつは最善の慮外者。他人ならば

 

 

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少々は見逃しにも致し、御免なされ下し置かるる様の執り成しをも申すべき所。きゃつが母は拙者が兄弟、現在の甥、何とも助け難し」と申すも敢えぬに「して、その科というのは何事」「御尋ねに及ばず、呉服に泥を投げかけ、御身を穢し汚したる科」「いやいや、この八弥から身を穢せしとは心得ず。これ見よ、着類の何処に泥が付いたるぞ」「イヤ召し替えられぬ以前の御小袖」「さればされば、着替ゆれば泥を掛からぬも同然では有るまいか」「御意とは申しながら、既に御馬の鞍、鐙も泥に染み、御徒歩(おかち)でお帰りなさるるは、旦那に恥辱を与ゆる慮外者」と申し上ぐれば「黙れ黙れ。馬の皆具には泥の掛かる物故に、障泥(あおり)という字は泥を隔つと書く。泥の掛からぬ物ならば何しに隔つるという字の入るべきぞ。恥辱も慮外も科も無し。武士たる者の恥辱とは、ただ一雫の濁り水も、名字に掛かるは洗うに落ちず、濯ぐに去らず。あれ等体(てい)の雑人、身が目からは泥水。泥より出て泥に染まぬ蓮(はちす)の八弥。名字は穢れぬ助けてやれ」「ハアはっ」と又有難き御意を大事に振る手を揃え足揃え、行列立ててぞ〽

 

 

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  中之巻

羯諦羯諦波羅羯諦(ぎゃていぎゃていはらぎゃてい)波羅僧羯諦波羅羯諦(はらそうぎゃていはらぎゃてい)波羅羯諦波羅僧羯諦(はらぎゃていはらそうぎゃてい)おんころおんころせんだりまとうぎ(薬師如来真言)、おんあびらうんけん(大日如来真言)、おん油屋仲間の山上講、俗体ながら数度のお山、院号受けたる若手の先達(せんだち)新客混じり十二とう(灯?党?)組み、吹き出す法螺の甲斐甲斐しげなる金剛杖、腰に腰当て首に数珠、巾着代わりの水のみ(?)、河内屋徳兵衛、店先に立ち寄り、「なんと与兵衛、内にか、内にか。講中何事無う、お山勤めて有り難い。今日の下向は知れた事、懇ろな友達は桑津まで迎いにじゃ。おぬし一人見えぬは気色でも悪いか。忝い御利生見て来た。これが土産、先話そう。西国者とやら、両眼の潰れた十二、三な盲が大願懸けて山上し、行者様を拝む中、両方ともにくわっと開き、小笹の坂を杖も突かず、つっつと下がる。お山の衆がか考え、アア有り難い、この秋から世の中直る御告げ。あれ合点行かぬか。小さい盲は小盲、即ち米蔵開いて、易々と下り坂は下がり口との教え。手隙なら夕方おじゃ。色々お山の話で

 

 

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旅の疲れを晴らそう羯諦、羯諦羯諦」と罵めきける。親徳兵衛、走り出で、「若い衆下向か、殊勝にござる。こちの泥めは山上参りの行者講のと、今年も身共から四貫六百。順慶町の兄、太兵衛から四貫、以上十貫違い銭取って、どれ何処に迎いに出居らぬ。神仏の罰も思わぬどろく(道楽?)者。友達甲斐に引き締めて異見頼みまする」と言う所へ、奥より母親両手に茶碗。「のうのう目出度い下向、マア一つずつ参れ。こちの与兵衛が山上様へ嘘ついたその咎めが、妹娘のおかちが十日ばかり風邪引いて枕上がらず。医者も三人替えても今に熱が冷めかね、節句は近付き聟を入れる談合極まり、先からは急いで来る、何かに付けて夫婦の苦労。みんな与兵衛の野良めが行者様へ嘘ついた祟り。お若い衆お詫びの祈祷頼みます」と、しみじみ語れば講中の先達。「いやいやお山の祟りなれば与兵衛に罰が当たる筈。役行者との言わるる仏が若輩らしゅう何の脇がかりなれりょう。娘子の熱病は又他の事。その様な患いには薬も医者も要らぬ事。皆様知らずか、あんまり

 

 

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奇妙で、異名を白稲荷法印と申す、今の世の流行り山伏。与兵衛も定めし知って居よ。この法印を頼めば本復はたった一鍛冶。これから直ぐに立ち寄り、頼むに否は有るまい」と語れば喜び「ノウノウ忝い。これも行者のお知らせ。私は医者殿へ参ります。回復(貝吹く)降伏悪魔を払う真言の、声も散り散りはらはら羯諦。おんころころに別れ帰りける。逆な弟に似ぬ心順慶町の兄、河内屋太兵衛。用有り気にも浮かぬ顔付き。「ヤ弥兵衛、来てか。おかちが気色見舞いか。書き出し何か忙しい時分、見舞いには及ばぬ事」と言えば太兵衛、側近く寄り、「母には道にお目に掛かり、立ちながら詳しゅう物語り致せしが、高槻の叔父の森右衛門様から、たった今飛脚の状に物怪(もっけ)な事が言うて来ました、見さっしゃれ。あとの月、ご主人の伴して野崎詣りの折節、極道の与兵衛も参り合わせ、友達喧嘩に掴み合う拍子、御主人へ段々の慮外、当座与兵衛めを斬り殺し、ぬしも腹切り合点の所、御主人の

 

 

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御了簡大人しく、事相済み帰って後、御家中町家これ沙汰。のめのめと面提げて奉公ならず。暇を願い浪人し、四、五日中に大坂へ下り、二度(たび)侍の立つべき思案せずば、この分で刀は差されぬとの分体也。」と言うよりハッと膝を打ち、「扨こそな。ふぉこぞで大事(おおごと)仕出そうと思う壺、かてて加えておかちが患い、叔父の難儀。又この上に泥めが何を仕出そうやら、分別に能わぬ」と頭をかけば、「イヤ分別も何も要らぬ。ぼい出して退けさっしゃれ。自体親父様が手緩い。私と与兵衛めは御前の種で無いとて、余り御遠慮が過ぎまする。腹に宿った母者人と連れ添うお前、真実の父と存ずる。やがて聟を取る程背丈伸びた、おかちは打(ぶ)ち叩きなされても、あんだら目には拳一つ当てず、ほたえ(ふざけ:浮かれ)させ、万事に遠慮が皆身の仇。叩き出してこちへ来さっしゃれ。どれぞ酷い主に掛け矯(た)め直してくれましょう」と言えば親は無念顔。「エエ口惜しい。尤も継父(てて)なればとてお親は親。子を折檻するに遠慮は無い筈なれど、そなた衆兄弟は身共が親方の子。

 

 

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親旦那往生の時は、そなたが七つ、野良めは四つ。坊(ぼん)様兄様、徳兵衛どうせいこうせいと言うたを彼奴がきっと覚えて居る。嬶も始めはお母様の内儀様のと言うた人、叔父森右衛門殿が了簡でそちが家を見捨てては、後家も子供も路頭に立つ。兎角森右衛門次第に成ってくれと段々の頼み故、親方の内儀とこの如く夫婦(めおと)に成り、親方の子を我が子として守り立てし甲斐有って、そなたは自分の一人稼ぎも召さるる。与兵衛めに商いの手を広げさせ、手代も置き、蔵の一軒も建てる様にと足掻いても、尻のほどけた銭差し。籠で水汲む如くあとから抜け、一匁儲ければ百匁使う根性。意見一言言い出せば千言で言い返す。エエ元が主筋下人筋の親と子、釘応えせぬ筈。身の境涯が口惜しい」と歯を食いしばれば、「サアこなたのその正直さを見抜いて、道楽者めがしたい甲斐に踏み付ける。親父様の陰でこそ親子三人橋にも寝ず、人の門にも立たず名跡立てて下された。その忍徳は本の親にも変わらずと、毎度母もその悔やみ。子供に遠慮有るからは現在腹に宿した母にも気兼ねが有るかと思わぬ心置かるる。

 

 

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因果晒しの物にならずに飽き果てた。太兵衛頼む、江戸長崎へも追い下し死におらば死に次第。二度面も見とうない。微塵も愛着残らぬ」と、如来掛けての母が言い分からは「何御遠慮。勘当なされ」と評議の声に目を覚まし、「アアずつ(術)ない(苦しい)母様母様。母様はまだ帰らずか」と、おかちが苦しむ屏風の内。門には「ものもう(申)、河内屋徳兵衛殿はこの方か、山上講中頼みにつけ、稲荷法印御見舞い申す」と案内す。「さては、おかちが祈祷なさるる一段、一段。私は高槻の返事が急ぐ。お暇申す」と表に出、徳兵衛宿に罷り在る早々御出、忝し。あれへお通り遊ばせ」と、太兵衛帰れば法印は、〽端の間にこそ通りけれ。

 

踏み締めも無く世の中を、滑り渡りの油屋与兵衛、売り溜め銭は色狂い、搾り取られて元も利も、滓も残らぬ油桶。俤に見せる汗は夏、中は涼しき水樽を、担うて宿へ帰りしが、「ヤ珍しい、お山ぶ(山伏)。こなたは見知った白稲荷殿、妹が病気祈りのためか。あの憑き物がそなた衆の祈りで退いたら、この与兵衛が首懸け。母者人は薬取りにか。耆婆(ぎば)でも行かぬ(不治)死病、言われぬ気骨折らるる。ヤこれ

 

 

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親父殿、おかちが患いより何より大事が有る。その当座に母者人には言うたれど、それよりばったりと打ち忘れ、今日ふっと思い出し商いやめて帰った。あとの月、野崎でおじ森右衛門様に行き合い、わざわざ飛脚もやる所、幸いの便り親達へ言うてくれ。主人の金四つ宝三貫目余り引き負い、この節季に立てねば切腹か縛り首、一生の無心。兄太兵衛は義理も法も知らぬ奴、沙汰無しに三貫目調え、与兵衛に持たせて下されと、段々の言伝て。二貫目や三貫目で叔父に腹切らせて、こなた衆の外聞世間が立つまい。今日は二日、際と言うて明日明後日。万事を差し置き今日の内三貫目調えて渡さっしゃれ。明日夜明けに駆け出せば昼迄往て戻る」と、たった今直筆の叔父の文の裏表。憎く可笑しく、「如何な叔父でも主の金引き合う様な侍。腹切らせたがマシ。何じゃ御沢山に三貫目。三匁もおじゃらぬ。おぬしが商い去年から一文も見せぬ。算用したら三貫目や四貫目は残る筈。やりたくば、その金やれ。追っ付け聟を呼び入るる大事の

 

 

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娘が病気、どんな評定する隙が無い。ヤ法印様お待ち遠。おかちが容態御覧なされ下され」と余りの事を言うて取り合わず。「おお、おお、手柄に聟が呼ばりょうが呼んでみや。見物しょう」と親の前に足踏み伸ばし、算盤枕の胸算用、がらりと違うて見えにけり。父がそろそろ抱き起こす、おかちが顔の面窶れ。法印とっくと見、「ムム、年はいくつ」「十五」「病み付くは」「あとの月十二日」「むむ薬師如来の縁日、十五は阿弥陀」と懐中の書籍(しょじゃく)繰り広げ、指を折り、子細らしき声つき。「そもそも法蔵比丘の浄瑠璃に曰く、阿弥陀と約しは御夫婦と云々。すなわちこの病は一時も早く婿殿を呼び入れ、夫婦に成りたいと思う気病みに、少し他の見入れ有り」と言うより徳兵衛尤も顔。法印図に乗り「稲荷大明神の使者白狐の教え。髪筋程も違わぬ祈り加持も薬同然。神仏にもその役々、熱病冷まし冷やすには比叡山の二十一社、温むるには熱田明神、頭の病は愛宕権現、足の病は阿閦仏、走り人盗人、動(いご)かせぬは不動の金縛り、

 

 

25

咳気を祈るは風の宮、老人達の老い病みには白鬚明神白髪薬師、若衆の病の祈りには大慈大悲の地蔵菩薩、歌留多の絵の付く祈祷に麻布の明神釈迦牟尼仏、胴取りの祈りは四三五六社大明神、八つ講、七の社、別してこの法印が得物(えもの)、銭小判、俵物の相場商い、上ぎょうと下ぎょうと高下は自由、持ちの方が値上げしたい祈りには、強気に上がり高天原の八百万神、端下(売り果たした:弱気)衆の盛りを祈るは、高きお山を時の間に麓に下がる嵯峨の釈迦、安井の天神、持つと果た(?)と両方一度の祈りには、高からず安からず中を取って河内国高安の大明神、法力の新たな事、棚な物取って来る如く礼物は大方三十両。いつでも受け取る。いで一祈り」と錫杖振り立て再多角(いらたか)数珠をさらりさらりと押し揉んだり。印をも未だ結ばぬに、病人重たき顔を上げ、「のう、祈りも要らぬ、祈祷もいや。おかちが病治すには、聟取りの談合やめてたも。あの与兵衛が若気ゆえ、借銭に責めらるる。その苦しみが冥土の苦患(くげん)、これぞ呵責の責めとなる。流れ勤めの女子(おなご)なりとも与兵衛

 

 

26

が契約の想い人を請け出し嫁にして、この世帯を渡してたも。是非に聟を取るならば、おかちが命は有るまいぞ。思い知ったる思い知れ」と辺りをぎろぎろ睨め回し、「アア術ない、苦しい」と悶え戦慄きそぞろ言(ごと)。父は驚き色違え、法印少しも臆せず「汝元来何処(いずく)より来る、疾っく去れ去れ。行者の法力尽くべきか」と鈴(れい)錫杖をちりりんがらがら。「急々如律令」と責め掛くる。与兵衛むっくと起き、「何を知って。去れ去れ。どう(強意の接頭語:罵り言葉)山伏置きおれ」と、落ち間にガバと突き落とせば、「ヤア山伏の法を知らぬか、印を見せずば忝まじ」と駆け上がりんりん鈴(れい)りんりん、引き摺り下ろせば股駆け上がり不動の真言どたくたがったりばったりだ。引くずり下ろされ山伏も錫杖がらがら命からがら帰りけり。与兵衛、親の側に膝捲くり。「これ親父殿、今のそぞろ言(ごと)耳へ入ったか。死んだ人を迷わせ地獄へ落としても、この与兵衛が好いた女房持たせ世帯渡す事は嫌か成らぬか。「ヤイ姦しい。辺り隣も有るぞかし、余っ程ほたえ上がれ。この徳兵衛は死んだ人のあと式取らいでも、五人七人はゆるりと通る術(すべ)知ったれど、年忌命日も弔い、地獄へ落とさず迷わせまい為に、名跡継いで苦労する。わごりょが好いたお山請け出し女房に持たせ、半年も経たぬ内、世帯破って親方の弔いもなら

 

 

27

ぬ様には得せまい」「扨は是非聟取って妹に世帯渡すな」「オオ渡す」「ムムよう言うた、道知らずめ」と立ち上がり、俯けに打ちのめし、肩骨背骨うんうんうんと踏み付くる。「のう悲しや浅ましい兄様」と妹が縋れば「おかち構うな、あいつが腹の癒る程、存分に踏ましゃ踏ましゃ」と身も働かず座も去らず。妹耐え兼ね「あんまりな兄様。わしは何も知らぬ者、死霊の付いた顔して、このよにこの様に言うてくれ。それからは商いも精出し、親達へ孝行尽くし逆らうまいとの誓文立て。それが嬉しいばっかりに病み呆けたこの形(なり)で、怖い怖い恐ろしい死人の真似して嘘つかせ、父(とつ)様を踏んづけ、それが親孝行か。年寄った父様、目でも眩(ま)うたら、それはそれは聞く事じゃないぞ」と縋り取り付き泣き喚けば、「生き女郎め。抜かすまいと、誓文立てて口固め、憎(にっく)い頬桁、死霊よりこの与兵衛という生霊の苦しみ、覚えておれ」と同じくガバと踏み伏せたり。「病み疲れた妹を踏み殺すか畜生め」と、取り付く父親はったと蹴飛ばし、「腹の入る程踏めと言うたな、これで腹を癒るわい」と、顔も頭も分かち無く散々に踏むさなか、母立ち帰り、はっとばかり薬投げ捨て与兵衛が髷(たびさ)引っ掴んで、横投げにどうとのめらせ乗り掛かり目鼻も言わせぬに

 

 

28

ぎり(握り)拳。「ヤイ業晒しめ、提婆(だいば)め、如何な下人下郎でも踏むの蹴るのはせぬ事。徳兵衛殿は誰じゃ、おのれが親。今の間にその脛が腐って落ちると知らぬが罰当たり。疎(おと)ましやおとましや。腹の中から盲で生まれ手足片輪な者も有れど魂は人の魂。おのれが五体どこを不足に産み付いた。人間の根性なぜ提げぬ。父親が違いし故母の心が僻んで、悪性根入ると言われまいおのれと、差す手引く手に病の種、おのれが心の剣で母が寿命を削るわい。おのれ先度も高槻の叔父御がお主の金を引き負いしと、ようもようもこの母をぬくぬくと騙したな、たった今、兄太兵衛に行き合い、おのれが野崎の暴れ故、叔父は侍(さむらい)一分立たず、浪人し大坂へ下るとの便り。おのれが嘘が現れた、その時母がつかつかと親父殿へ話し、あとで忘れては扨は親子の言い合いと疑われ、夫婦の義理も欠け果てる。内でも外でもおのれが噂碌な事は一度も聞かぬ。その度毎に母が身の肉を一寸ずつ削いで取る様な因果晒しめ。半時もこの内に置く事ならぬ、勘当じゃ出て失しょう。出去れ出去れ」と打(ぶ)っつ、喰わせつ叩く片手に押し拭う、涙手の隙無かりけり。「この与兵衛がここを出て何処へ行く所がない。」「オオおのれが好いた、お山が所へ出て失しょう」と小

 

 

29

腕(がいな)取って引き出だす。「ノウ兄様追い出し、わしはこのあと取る事嫌。堪えて進ぜて下され」と取り付けば、「何知って退いておれ。これ徳兵衛殿、きょろりと見て居て誰に遠慮。エエ歯痒(はがい)い」、叩き出してくれん」と朸(おうこ)追っ取ち振り上ぐれば、ひらりと外し、ひったくり、「この朸でわごりょを打つ」とはたはたと打ち付くる。徳兵衛飛びかかり朸もぎ取り、続け打ちに七つ八つ息もさせず打ち据え、はったと睨む目に涙。「ヤイ木で作り、土を捏ねた人形でも、魂入れれば性根が有る。耳有らばよう聞け。この徳兵衛は親ながら主筋と思い、手向かいせず存分に踏まれた。腹を借った産みの母に今の様、脇から見る目も勿体無うて身が震う。今打ったも徳兵衛は打たぬ、先徳兵衛殿冥土より手を出してお打ちなさるると知らぬかやい。おかちに入婿取るというは、あとかたもないこと。エエ無念な。妹に名跡注がせては口惜しと恥入り、根性も直るかと一思案しての方便。あの子は余所へ嫁入りさする、気遣いすな。他人同士親子と成るは、よくよく他生の重縁と、可愛さは実子一倍。疱瘡した時日進様へ願掛け、代々の念仏捨て、百日法華に成る。これ程万(よろず)面倒見て、大きな家の主にもと、丁稚も使わず肩に棒。稼ぐ程使いほっく(反故?:使い捨てる)。お

 

 

30

のれ今の悪盛り、一働き稼ぎ五間口七間口の門柱の、主にと念願を立ててこそ商人(あきんど)なれ。たった一間真中の門柱に念懸け、母に手向かい父を踏み、行き先偽り騙り言。その根性が続いたら門柱は思いもよらず、獄門柱の主に成ろう。親はこれは悲しい」と、わっと叫び入りければ、「エエもどかしい徳兵衛殿、石に謎かける様に口で言うて聞く奴か。出て失せ出て失せ、うじうじひろがば町中寄せて追い出す」と、また追っ取って母が突っ張り朸の先。怖いというを知らぬ者、町中と言うにぎょっとして吐胸突きたるけでん(怪訝?)顔(驚き怪しむ顔)。「のう兄様出して、わしはあとに残らぬ」と縋る妹を押し留め、「きりきり失しょう、朸が喰らい足らぬか」と振り上げこすり出だされて、越ゆる敷居の細溝も親子別れの涙川。徳兵衛つくづくと後ろ姿を見送りて、わっと叫び声を上げ、「あいつが顔付き背恰好、成人するに従い、死なれた旦那に生き写し。あれあの辻の立ったる形(なり)を見るに付け、与兵衛めは追い出さず、旦那を追い出す心がして、勿体ない、悲しいわいの」とドウと伏し、人目も恥じず泣く声に、憎い憎いも母の親嗜む涙堪え兼ね、見ぬ顔ながら伸び上がり、見れども余所の絵幟(えのぼり)に、影も隠れて

 

 

31

  下之巻

葺き慣れし年も庇(久し)の蓬菖蒲は家毎に、幟(のぼり)の音のざわめくは、男子(おのこご)持ちの印かや。娘ばかりの豊島屋(てしまや)は亭主は外に掛け一巻。内の仕舞いと小払いと、油買ったり舞うたりに三人の娘の世話。「まあ姉から」と櫛笥(くしげ)取り出し梳き櫛に、色香揉み込む梅花の油、女は髪より形より心の垢を梳き櫛や、嫁入り先は夫の家、里の住家も親の家。鏡の家の家ならで家という物無けれども、誰(た)が世に許し定めけん。五月五日の一夜さを女の家と言うぞかし。身の祝い月祝い日に何事無かれ撫で付けて、髪引く柚子の妻櫛の歯の「ハア悲し。一枚折れた」呆れてとんと投げ櫛は別れの櫛とて忌む事をと、口には言わず気に掛かる。なんぞの柘植(告げ)のお櫛かや。掛けも十(とお)に七左衛門、大方寄って中戻り。「ア思いの他早い仕舞い。内の払いもさらりと仕舞い。両替町の銭屋から燈油(ともし)二升梅花一合。今橋の紙屋から通い持つて燈油一升。当座帳に付けて置く。まあ洗足して早うお休み。 明日はとお(早朝)から礼に出さしゃんせ」「いやいや早う休まれぬ。天満の池田町へ行かねばならぬ。フウ

 

 

32

気疎い(きょうとい)、もうよいわいの。池田町は北の果て、近所の掛けさえ寄ったらば過ぎての事」「こな人何言やる。節季によらぬ金の過ぎて寄った例(ためし)は無い。今日暮れてから渡そうと言葉継がうた(約束した)。つい一走り行て来う。此(この)うちがい(金入れの帯状の胴巻き)に新銀五百八十目、財布の銭も戸棚へ入れて錠下ろしゃ。やがて帰ろ」と立ち出でる。「もうしもうし、そんなら酒一つ、姉、それ燗して進じゃ」と立って戸棚へ徳利から銚釐(ちろり)へ移せば、「アこりゃこりゃ、燗せいでも大事無い。肴も盃も要らぬ、中がさ(中型の木皿)添えて持て来い。夜が短い気が急く、そこから注げ」「あい」とは言えど、とどし(十歳未満)では手も届かねば立ち上がり、注ぐも受くるも立ち酒を、お吉見つけて「そりゃ何ぞ忌々しい。子供は頑是が無いにもせい、立ち酒呑んで誰を野送り、ア気味悪」と言われて夫もちゃっと腰掛け取り直し、「掛乞に行く門出に墓行きの立ち酒、この世に残らぬ残らぬ」と、言う程猶哀れ世の永き別れと出でて行く。母を見習う姉娘、夜の襖をしきじきに御座よ枕よ蚊帳の吊り手は長けれど、届かぬ足の短か夜や。「おでん(妹)をろく(平)に寝させて、母様もちとお休み」と言いければ、「オオ出来(でか)しゃった、父様も未だ遅かろ。蚊帳の内から表は母が

 

 

33

気をつける。我が身も寝々しや」「いえいえ私は眠とうござらぬ」と、言いつつ眠るも大人しし。この節季越すに越されぬ河内屋与兵衛、手筈の合わぬ古袷、心ばかりが広袖に提げたる油の二升入り。一升(一生)差さぬ脇差も今宵鐺の詰まりの分別。勝手知ったる豊島屋の門の口覗く後ろより、「与兵衛じゃないか」「オ、与兵衛じゃが誰じゃ」と振り返れば上町の口入れ綿屋小兵衛。「アこなたは順慶町へ行けば『本天満町親御の所へ』と言わるる。親御へ行けば『追い出した、ここへは居ぬ』と有る。貴様は留主でも判は親父の判。新銀一貫目今宵延びると明日町へ断る(届け出る)」「ハテここな人は意気方の悪い。手形の表こそ一貫匁、正味は二百目。今宵中に済ませば別条無い約束ではないかいの。「されば明日の明け六つ迄に済めば二百匁、昼の日がにょっと出ると一貫匁。もと二百匁を一貫匁にして取れば、こっちの得の様なれど、親父殿に非業の金を出さするが笑止さに、こなた贔屓で急(せ)突くぞや。今宵屹度(きっと)済ましゃ。」「小兵衛こりゃ念入るるな。河内屋与兵衛男じゃ男じゃ宛てが有る。鶏の鳴く迄には持って行く。眠たくと待って貰お。「はて

 

 

34

今宵済まして入用なれば、明日又直ぐに貸すわいの。こっちも商売、一貫目や二貫目はいつでも。その男気を見届けた」と、言葉で与兵衛が首締める綿屋小兵衛は帰りけり。与兵衛見事に受け合うは受け合いしが、一銭の宛ても無し、茶屋の払いは一寸逃れ、「抜き差しならぬこの二百匁、有る所には有ろうがな。世界は広し、二百匁どのは誰ぞ落としそうな物じゃ」と後ろを見れば小提灯、「河」という小文字(こもんじ)は、こっちの親父南無三宝と、鎖(さ)いたる店に平蜘蛛の、ひったり身を付け身を忍ぶ。徳兵衛は気も付かず豊島屋の潜り、そっと開け、「七左衛門殿お仕舞いか」と、つっと入れば「これはこれは徳兵衛様、こちのはまだ仕舞わず、天満の果て迄行かれます。私は取り紛れお見舞いも申さぬに、ようこそようこそ。この極(きわ)は与兵衛様の事に付き、いかいお世話でござんしょ」と、蚊帳より出れば「さればされば、こなたは幼い娘御達の世話、我等は成人の与兵衛に世話を焼く。何れの道にも子に世話病むは親の役。苦労とも存ぜねども引き付けて一緒に有る内は気も落ち着く。あの様な無法者を勘当すれば自棄(やけ)を起こし明日火に入るも構わず、謀判贋判、一貫匁の銀に十貫匁の手立てして、一生の首繋がる

 

 

35

ためしも有る事と思いながら、産みの母の追い出すを継父(ままてて)の我等軽薄らしゅう止められず、聞けば順慶町兄が方に居るとやら。もしこの辺りへ狼狽えて見えましたら、七左衛門殿御夫婦言い合わせて、父親は合点、随分母に詫び言致し土性骨入れ替え、二度内へ戻る様に御異見偏に頼み入る。こちの女房おさわが一家一門皆侍。その慣わしか、思い切っては見返らず、義理堅い生まれ付き、それに似ぬ道楽者。本親の旦那も行儀強く義理も情けも知ったる人。二人の子供に心を尽くすは皆古旦那への奉公。今与兵衛めを追い出し、一生荒い言葉も聞かぬ親方に、草葉の陰より恨みを受くる。無(ぶ)果報はこの徳兵衛一人、推量なされ、お吉様」と、煙草に涙紛らして噎せ返るこそ道理なれ。「ムウウ思いやりました。こちのも追っ付け帰らりょう。会うてお話なされませ。」「いやいや何方も今宵の事万事のお邪魔。これ、この銭三百、女房が目顔を忍び、つい懐へ入れて出た。与兵衛めが失せたらば追っ付け正気に赴く。さっぱりと肌の物でも買いおれと、夢々我等の名を出さず七左殿の心付けか、どう成りとも御機転頼み入る」と差出す。後ろの門

 

 

36

口「お吉様お仕舞いか」と訪るるは女房お沢が声。徳兵衛びっくり。「ハッ会うては気の毒、隠れたい卒爾ながら御免なれ」と隠るる蚊帳の後ろ影。「これこれ徳兵衛殿、我女房に隠るるとは何事」と声かけられて夫も敗亡、お吉も度まくれ(度肝を潰し)挨拶無く、外には与兵衛「サア母の鎌がわせた(うるさいのが来た)、何言わるる」と枢の穴耳を付けてぞ聞き至る。女房お沢腰打ち掛け、「ノウ徳兵衛殿、七左衛門様もお留守と言い、内の事はそこそこに、いつ会おうと侭(まま)の向かい同士。互いに忙しい際(きわ)の夜さ、ここへは何の用が有る、悪性する年でもなし、ムウその与兵衛めが事、悔やみにか。如何に継しい子なればとてあんまりに義理過ぎた。真実の母が追い出すからは、こなたの名の立つ事は無い。この三百の銭、野良めにやるのか。常々に身を歪(ひず)め(苦しめ)始末してあいつに遣るは淵へ捨つるも同然。その甘やかしが皆毒害。この母はそうでない、サア勘当という一言、口を出るがそれ限り。紙衣着て川へ嵌まろうが油塗って火に焚ばうが、うぬが三昧。悪人めに気を奪われ、女房や娘は何になれ。サアサア先へ往なしゃれ」と引き立つる袖を振り放し、「エ嬶酷いぞや、そうでない。生まれ立ち母(かか)親は無い子が年寄っては親と成る。親の始めは皆人の子、子は親の慈悲で立ち

 

 

37

親は我子の孝で立つ。この徳兵衛は果報少なく今生で人は使わずとも、いつでも相果てし時の葬礼には他人の野送り百人より、兄弟の男子に先輿あと輿舁かれて、天晴死に光りやろうと思うたに、子は有りながらその甲斐無く、無縁の手に掛かろうより、いっそ行き倒れの釈迦担いがマシでおじゃる」と又咽せ返るぞ哀れ成る。「ア与兵衛めばかりが子ではない。兄の太兵衛、娘なれどもおかちはこなたの子でないか。サアサア早う先へ」と押し出す。「ハテ往ぬなら連れ立とう、そなたもおじゃ」と引き立つる。母の袷の懐より、板間へカラリと落ちたは何ぞ、粽一輪に銭五百。「のう情けなや恥ずかし」と我が身を覆い押し隠し声を上げ、「徳兵衛、真っ平許して下され、これは内の掛けの寄り、与兵衛めにやりたいばかり。わしが五百盗んだ。二十年添う内隔心(きゃくしん)隔ての有る様に情けない。例えあの悪人めが談義に聞く様な須梨槃特の阿呆でも阿闍世太子の鬼子でも、母の身で何んの憎かろう。如何なる悪業悪心が胎内に宿ってあの通りと思えば、不憫さ可愛いさ果てて親の一倍なれども、母が可愛い顔しては隔てた心に、あんまり母があいだてない(分別無い)。剛張り強うて、いよいよ心が直らぬと、嘸憎

 

 

38

まるるは必定と、態と憎い顔して打つつ叩いつ追い出すの勘当のと、酷う辛う当たりしは継父のこなたに、可愛がって貰いたさ。これも女の回り知恵、許して下され徳兵衛殿。わしに隠してあの銭を遣って下さる志、言葉では喧々と慳貪に言うたれど、心で三度戴きし、何を隠そうあいつは立派好きもする奴、取り分け祝い月、鬢付け元結を調え、人混じりもしたかろう。生れてこの方節句節句祝儀欠かぬにこの月ばかり、身に祝いもしてやりたさ。見苦しいこの恥辱を晒すも、お吉様頼んで届けん為。まだこの上に根性の直る薬には、母が生き肝を煎じて飲ませという医者あらば、身を八つ裂きも厭わねども、一生夫の銭金も慈悲奈落(じひならか)(文字ひらがな?)も違えぬ身が、子故の闇に迷わされ盗みして現れた。恥ずかしゅござる」とばかりにて、わっと叫び入りければ、「道理道理」夫が嘆き子を持つ者は身に堪え、行く末思うお吉の涙、折からに無く蚊の声も、いとど涙を添えにけり。「ヤ祝い日に心も無い、泣き喚き不調法。その銭もお吉様頼み、与兵衛に遣ってお暇申しゃ」と、言えども女房涙に暮れ、「こな様の遣って下さるその深い志に、

 

 

39

盗んだ銭がなんとやりょ。」「ハテ大事ない、ひらに遣りゃ。「いや許して下され」と、夫婦が義理の遣る方無さ、お吉も涙留めかね、「アアお様様の心推量した、遣り難い筈、ここに捨てて置かしゃんせ、わしが誰ぞ良さそな人に拾わせましょ。」「アア忝い、とてものお情け、この粽も誰ぞ良さそな犬に食わせて下さんせ」と、又泣き出す二親の心隔てぬ潜り戸も子の不孝より落ちたる枢開けて〽夫婦は帰りけり。

 

父母の帰るを見て心一つに頷き脇差抜いて懐に鎖いたる潜りさらりと開け、つと入るより胸も枢も落とし付け、「七左衛門殿は何方へ定めて掛けも寄りましょ」と、余所の方から裏問いける。「誰かとこそ思うたれ、与兵衛様か、こな様は幸せな、後とも言わず良い所へござんした。これこの銭八百、この粽、こなさんへ遣れと天道から降りました。頂かしゃんせ。なんぼう浪人でも際の日の宝、間(まん)が直ろ」と差し出せば、与兵衛ちっとも驚かず、「これが親達の合力か」「ハテ早合点な。追い出した親達が何のこな様へ銭金を遣らしゃんしょ。「「いや隠さしゃるな、先にから門口に蚊に喰われ、長々しい親達の愁嘆聞いて涙を零しました。「ムムそんなら皆聞いてか、よう合点参りしか。他人でさえ目を泣き腫らした。この銭一文も仇

 

 

40

には成るまい。肌身に付けて一稼ぎ、お二人の葬礼に、立派な乗り物に乗しょうと言う気が無ければ、男でも杭でも無い。それを御背きなされたら天道の罰仏の罰。日本の神々の逆罰が当たって将来が良う有るまい。先戴いて」と差し出せば、「いかにもいかにも。よう合点しました。只今より真人間に成って孝行尽くす合点なれども、肝心お慈悲の銭が足らぬ。と言うて親兄には言われぬ首尾。ここには売り貯め掛け貯めの寄り金も有る筈。新でたった二百匁ばかり勘当の許(ゆり)る迄貸して下され。「それそれそれ、奥を聞こうより口聞け(腹の奥聞かずとも口先でわかる)。どこに心が直った。嘘にも金貸してくれとは言われぬ義理。世間の義理を欠いても金借って悪性所の払いして、あとから段々行こうでな。成程金は奥の戸棚に上銀が五百目余り、銭も有るは有りながら、夫の留守に一銭でも貸す事はいかないかな。いつぞやの野崎参り、着る物洗うて進ぜたさえ、不義したと疑われ、言い訳に幾日(いくか)掛かったやら、のう、疎ましや疎ましや。帰られぬ内、その銭持って早う往んで下さんせ」と、言う程側へにじり寄り、「不義に成って貸して下され」「ハテならぬと言うに、くどいくどい」「くどう言うまい貸して下され」「イヤ女子(おなご)と思うて嬲らしゃると声立てて喚くずや」「ハテ与

 

 

41

兵衛も男。二人の親の言葉が人魂に染み込んで悲しい物。嬲るの侮るのと言う所へ往く事か。何を隠しましょう、あとの月の二十日に親父の謀判して上銀二百匁、今晩切りに借りました。」「ヤ」「まあ後を聞いて下され。手形の表は上銀一貫目、借った金は二百匁、明日になれば手形のお通り一貫匁で返す約束。それよりも悲しいは親兄の所は言うに及ばず、両町の年寄り五人組へ先様まら断る筈。今に成ってこの金の才覚、泣いても笑うても叶わぬ事。自害して死のうと覚悟し、この懐にこの脇差、差し挟いで出たれども、只今両親の嘆き御不憫がりを聞いては、死んでこの金親父の難儀に掛くる事。不孝の塗り上げ身上の破滅、思い回せば死ぬるにも死なれず、生きてはイられず詮方無さに見掛けての御無心ぞや。無ければ是非も無し、有り金たった二百匁で与兵衛が命を継いで下さる御忍徳。黄泉路の底まで忘りょうか。お吉様、どうぞ貸して下され」と言う目の色も誠らしく、そうした事もと思いながら兼ねての偽りもこれも又その手よと思い返して、「フウ禍々しいあの嘘わいの。まだ尾鰭付けて言わしゃんせ。ならぬと言うてはきつう成らぬ。」「これ程男の冥利に掛け誓言立てても成りませぬか、ハア何んとしょう、

 

 

42

借りますまい」と言うより心の一分別。「そんならこの樽に油二升取り替えて下さりませ。」「それは互いの商い内、貸し借りせいでは世が立たぬ。成程詰めて」と売り場に掛かり、消ゆる命の灯火は油量るも夢の間と、知らで枡取り柄杓取り、後ろに与兵衛が邪険の刀抜いて待てども見ず知らず、「言うて節句もお仕廻いなされ、こちの人とも割り入って相談、有り金なれば役に立つまい物でなし、五十年六十年の夫婦の中も侭に成らぬは女の習い、必ずわしを恨んでばし下さるな」と言う内に、灯火(ともし)に映る刃の光、お吉びっくり「今のはなんぞ与兵衛さん」「イヤなんでもござらぬ」と、脇差後ろに押し隠す。「それそれ、きっと目も座って、のう恐ろしい顔色。その右の手ここへ出さしゃんせ」おっと脇差持ち替えて「これ見さしゃれ、何もない何もない」と言えどもお吉、身もわなわな。「アアこなさんは小気味の悪い、必ず側へ寄るまい」と、後退りして寄る門の口。開けて逃げんと気を配れど、「ハテきょろきょろ何おそろしい」と付け回し、付け回し、出合えと喚く一声、二声待たず飛び掛かり、取って引き締め、「音骨建てるな女め」と、笛の鎖をぐっと刺す。刺されて悩乱手足をもがき、「そんなら声立てまい、今死んでは年端も行かぬ三人の子が流浪する。それが可哀い死

 

 

43

にとも無い。金も要る程持ってござれ、助けて下され与兵衛さん」「オオ死にともない筈、尤も尤も。こなたの娘が可愛い程、俺も俺を可愛がる親父が愛しい。金払うて男立てねばならぬ。諦めて死んで下され。口で申せば人が聞く、心でお念仏南無阿弥陀仏」と引き寄せて馬手より弓手の太腹へ割いては抉り抜いては切り、お吉を迎いの見え度の夜風、はためく門の幟の音、煽ち(風の吹き煽る)に売り場の火も消えて庭も心も暗闇に打ち撒く油流るる血。踏みのめらかし踏み滑り、身内は血潮の赤面赤鬼、邪険の角を振り立てて、お吉が身を裂く剣の山目前油の地獄の苦しみ、軒の菖蒲の刺しもげに、千々の病は避くれども、過去の業病遁れ得ぬ。菖蒲(勝負)力に置く露の玉も乱れて〽息絶えたり。

 

日頃の強き死に顔見て、ぞっと我から心も遅れ、膝節がたがたがた付く胸を押し下げ押し下げ、下げる鍵を追っ取って覗けば蚊帳の打ち解けて、寝たる子供の顔付きさえ我を睨むと身も震えば、連れてがら付く鍵の音、頭(こうべ)の上に鳴神の落ち掛かるかと胆に堪え、戸棚にひったり引き出す打飼(うちがい:袋)上銀五百八十匁宵に聞いたる心当て、捩じ込み捩じ込む懐の重さよ足も重くれて、薄氷を踏む火炎踏む。この脇差

 

 

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栴檀の橋から川へ沈む来世は見えぬ先、この世の果報の付く時と内を抜け出し逸散に足に任せて 

 

〽押し照るや、浪花の春は京に負け京は浪花の景色より劣り水無月夏神楽。廓四筋は四季ともに散る事知らぬ花揃え。娼(よね)の風俗揚屋の煙、冨士も及ばぬ恋の山、第一日本の名所なり。一年三百六十日、紋日が三日足らぬとて、亡八(くつわ:揚屋の主人)は嘆く、女郎はそれ程客に厄介を変替(心変わり)に行く客も有り、好んで頼み頼まるる客は一際厳つ気に駕籠を飛ばする揚屋客。扇で忍ぶ茶屋の客、一座遊びは女方めく、肩で風切る空ぞめき、位を問うは田舎客、寝て物語る馴染客、太鼓過ぎてと囁くは女郎の手揉めの振る舞い客、親親方の持つ客有り、我が身の上の滅却有り、飛脚も交じり行き通う道の間を暫くも口只置くは恥らしく、役者物真似、地の物真似、小唄浄瑠璃口転業(出任せ)西口東口々に行くも帰るも障り無き、夕べ夕べの大寄席は豊かなる世の功(いさお)し也。されば山本森右衛門、与兵衛が身持ちの知らせに驚き、暫く主人に暇乞い、大坂へ立ち越えしが、女殺して金取りしも確かにそれとは知れねども、衆目(しうぼく)

の見る所、与兵衛に指差す身の放埒。

 

 

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もしやと詮議も寄り付かねば先々尋ねる廓の内。東口にて尋ねしに、そんじょそことは教えしかど、何れも同じ局の掛かり、ここや備前や、これや教えし備前屋かと、見紛い佇み居る折節、手に嵩高な文持って西の方より来る禿(かぶろ)。「これこれ物問おう。備前屋と申す傾城屋は何方。その御内に松風殿と申す傾城、御存知ならば教えてたべ。我等当初不地案内、頼み入る」とぞ堅苦(かたくろ)し。「フウ仔細らしい物の言い様。備前屋はこの家。西の端に戸の割いた、客の有る局が松風様でござんす。コレお侍様、左の足上げさんせ。ソレソレまた右の足も上げさんせ。オオ良う上げさんした、いかい世話の」と、嬲ってぴんしゃん行き過ぎる。所柄とて人に馴れ、気軽い奴と打ち笑い、教え局に立ち寄れば内に火影は有りながら戸口ひっしと立ち詰めたり。さてこそ客は与兵衛に極まる。出づるを捕え会わん物と待つ間程なく戸を開き、編笠担ぎ立ち出る。すかさずムズとひん抱かゆる。女郎も続いて「こりゃ誰ぞ、卒爾せまい」と引き分くる。「苦しからず卒爾でない。おのれ与兵衛め隠れたらば会うまいか」と、笠引きちぎり顔見合わせ「ヤアこりゃ与兵衛でない人違(たが)え、真っ平真っ平面目なや」と腰折って手を擦れば、彼奴も忍びの恋やらん、うなづくばかり

 

 

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顔隠し、東の方へ走り行く。「河内屋与兵衛に深い仲と音に聞く松風殿、昨日にも今日にも与兵衛はここ元へ参らずか。気遣いの無い用事有って尋ねる者、隠されては彼が為ならず。サア真っ直ぐ聞きたい聞きたい」「まちっと先に見えまして、これからすぐに曽根崎へ叶わぬ用とてござりんした。」「なんじゃ曽根崎へ。南無三宝遅かった。拙者もあとから参らずば成るまい、序でにも一つ尋ねましょう、五月の節句前か後か、六月へ入っては漸六日、その間にここ元で金銀の払い、金沢山に使うた事はござらぬか、これも隠さずお知らせなされ。」「どうござんすぞ、金の事は存じやせぬ。遣り手にお問いなさりんせ」と、言い捨て局についと入る。「これは我等不調法、よしそれとても与兵衛に会えば知るる事、道も知ったる曽根崎へたった一飛び、一走りと、尻三の頭(しりさんのず:馬の背骨3つ目:腰高)迄引っからげ揉みにもうでぞ(腰をもみ動かす) 〽君を待つ夜はよやよやよ、西も東も南もいやよ、兎角待つ夜は北が良い。先にも待ちは待ちながら、こちからひたと行き通う道の犬さえ見知る程現抜かせし河内屋与兵衛、小菊に逢瀬を田の面の雁よ新町の花を見捨てて蜆川、ここの花屋に辿り寄る。後家のお亀出迎い、「たまたま見えるお客にこそ、ようお出でが相応なれ、与兵衛様はここが家、ちと風変わり御出をやめて戻らしゃんしたか。小菊さん呼びましゃ。内は上下座敷も詰まる。浜の床几で大きく

 

 

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酒盛り、きりきりと呑み掛けましょ。小菊さん、サアここへ行灯に油差しゃ、油の序でに油屋の女房殺し、酒屋に仕替えて幸左衛門がするげな。殺しては文蔵憎いげな。与兵衛さん未だ見ずか。小菊さん連れまして、ちとお出。やれお盃持て来い」と、たった一人でべり立つる(喋り立てる)。「後家嗜め、ちと人にも物言わせい。生れて与兵衛こんなむさい床几の上で、酒呑んだ事無けれど、今日は許す。東隣借り足して与兵衛が座敷分に一つ拵や。材木諸色諸入り目、見事に我等仕る。きつい物かきつい物か、エ、下卑たこの蒲鉾の薄い切り様は」と僭上たらたら暴れ酒。暫く時をぞ移しけり。「与兵衛ここに居るか、知らす事が有って来た」と、刷毛の弥五郎床几に腰掛け、「我を侍が探すぞよ。「ヤ、してそりゃどんな侍が」と、胸にぎっくり横たわるも心に包む悪事の塊。俄に転動うろうろ眼(まなこ)。「ハテきょろきょろすないやい。昨日から兄が所へ来て居る侍じゃとやい」「アアそれで落ち着いた、高槻の叔父森右衛門、会うては難儀ここへ尋ねて来うも知れぬ。早う外して会いとも無い、と思えど急にも立たれねば、何がな潮に」と見回し見回し、「アア思い出した、新町に紙入れ忘れて来た、中に呻く程金入れて置いた、つい一走り取て来う。刷毛も来い」と立ち出る。小菊引き止め、「アざわざわと何んじゃの、有る所の知れた紙入れ、明日なと取らんせ。「イヤそうで

 

 

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ない、そうでない。懐が重うなければ、つんと遊ぶ心がせぬ」と、袖引き放し二人連れ。根から忘れぬ紙入れの空贅(からぜい:見せかけの贅沢風)吐いて急ぎける。熱い茶四五服飲む程の間もすかさず森右衛門、行灯目当てに花屋の門口、「花車に会おう、ここへここへ」と呼び出し「河内屋与兵衛が後追って参った。二階に居るか下座敷か、罷り通る」とつっと入る。「これこれ申し、新町に紙入れ忘れたとて、たった今お帰り。」「なんだ帰った」「まだ梅田橋越すか越さずか」「これはしたり、又あとへん。しからば明日にも与兵衛が参り次第、酒でも呑ませ、ここに留め置き、早々本天満町河内屋徳兵衛方迄屹度知らせ。只今参りがけ櫻井屋源兵衛へも立ち寄り、吟味致せば五月四日の夜、大金三両銭八百受け取ったと有る。ここ元へは何程払った、隠してはその方が為に成らぬ、真っ直ぐに言え言え。」「私方へも五月四日夜に入って、大金三両銭一貫文」「シテその夜は何を着て参った」「広袖の木綿袷、色は確か花色かしっかりとは覚えませぬ」「ムウよいよい、入れ入れ」と言い捨てて、もと来し道を引き返し、また新町へと 〽変成男子の願を立て女人成仏誓いたり。願以此功徳平等施一切同発菩提心往生安楽国。釈の妙意、三十五日お逮夜の志。お同行衆寄り集まり勤めも既に終わりける。中にも同行中の老体、帳紙屋五郎九郎。昨日今日の

 

 

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様に思いしが、早三十五日の逮夜に罷り成り、二十七を一期として不慮の横死。平生の心立ち人に勝れ、上人の御忍徳、報謝の心も深かりし、この世こそ剣難の苦しみは有れども未来は諸々の業苦を除き、本願往生疑いはよも有るまじ。この御催促に心驚き、弥よ一遍の称名も喜んでお勤めなされ、必ず嘆かせらるな七左殿、殺し手もその内知れましょう。ただ御息女の介抱が第一。先立つ人もそれをこそ満足」と、示せば難有涙ぐみ、「左様左様、お吉が事は思い忘れ、これも如来のお陰と、心身堅固に喜びを重ね、行往坐臥に称名は欠かしませぬ。さりながら乙(おと)のおでんめは二つ子、乳(ち)が無うては不憫に存じ、死んだ明くる日金付けて余所へ貰かします。姉は良う言い聞かせたれば合点して、香花の切れぬ様に仏壇に付いてばかり居ますが、のう中娘めが朝から晩迄、かかさん母様と言うて吠え居ります。これには困り果てました」とちゃっと後ろの壁向いて声を呑んだる啜り泣き。「尤も、さこそ」と同行衆も濡らさぬ袖はなかりけり。折節居間の桁梁(けたうつばり)、通る鼠のけしからず、蹴立て蹴掛くる煤埃、反故をちらりと蹴落として鼠の荒れは静まりぬ。「ソレ何やら落ちた七左殿」「誠にこれは」と取り上げ見れば、半切り紙に一つ書き。十匁一分五厘、野崎の割付。五月三日とばかりにて、誰から誰への名宛ても無く、色

 

 

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こそ変われ、所々血に染まったる書き出し一通。「不思議の物」と手に取り回し「これは誰やら見た手じゃわいの」「我等もどうやら見た手の風」「アア河内屋の与兵衛、与兵衛」「それよそれよ」と四五人の口も与兵衛に極まれば、思い出して七左衛門、「誠に死んだ亡者が物語、四月十一日我等夫婦野崎参り致せし日、皆朱の善兵衛、刷毛の弥五郎、河内屋与兵衛三人連れて参りしと話せしが、その割付に極まった。お吉を殺しても大方これで知れました。三十五日の逮夜にあたり鼠がこれを落とすというも、亡者が知らせに疑い無い。これも仏の御忍徳、アア南無阿弥陀」とひれ伏して喜ぶ心ぞ道理成る。気味悪ながら折々の問い訪れも我したと、人に言われじ悟られじと、一倍大柄逸らさぬ顔。「河内屋の与兵衛でやす」と、つっと入り、「つい三十五日の逮夜に成りましたの、殺した奴もまだ知れず気の毒千万。したが追っ付け知れましょ」と、我と口から向こうの吉左右(きっそう)、七左衛門尻ひっからげ、寄り棒追っ取り、「ヤイ与兵衛、女房お吉をよう殺したな、おのれはここへ縛られに来たか、遁れは無い」と棒振り上げる。「アア七左衛門聊爾するな。シテ俺が殺したその証拠は」「言うな言うな、野崎参りの割付十匁一分五厘という書付。所々に血も付いて、おのれが手に紛い無い。この他に証拠が要るか同行衆、捕えて下され」と、掴み付かんその勢い。「南無三宝現れし」

 

 

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と、突き上げる胸の動悸じっと抑えて苦笑い。「この広い世間幾たりも似た手が有るまい物で無し。野崎詣りの入用は俺が揉め。割付も何んにも知らぬ。良い年をして馬鹿ひろぐな。おのれら迄も同じ様に立ち騒いで何としおる。」「先ずこうする」と掴み付くと取って投げ、寄れば蹴倒し踏み転かし、一世一度の力の出し場、棒捻じたくり一振り振れば、わっと逃ぐる空きを伺い逃げんとすれば「逃がすな」と追っ取り巻く。小庭の内を追いつ返しつ二、三度四、五度隙きを見合い、潜りガラリと逃げ出る。門の前に両三人、どっこい捕ったと胸がい掴んで捻じ据ゆるは、検非違使別当大理の庁の官人也。あとに続いて叔父森右衛門声をかけ、「最前より各々表に立ち給い、家内の一々残らず聞き届けられしぞ。必ず未練に陳ずるな、エエ是非も無やナ、世間の風説十人が九人おのれを名指す。聞く度にこの叔父が心の中を推量せよ。事現れぬ先遠国へも落とすか、さなくば自害を勧め恥を隠しくれんと、新町曽根崎、行く先々を尋ねても、あとへ回りあとへ回り、出会わぬはおのれが運の極め。それ太兵衛、その袷これへこれへ。即ち五月四日の夜着し出たるおのれが袷。所々のきわ付き強張り大理の庁より御不審。只今証跡の実否(じっぷ)。おのれが命生死(しょうじ)の境成るぞ。誰か有る、酒、酒。あっと言うよりちろり燗鍋手ん手に引っ提げ、さらさらさっと零し掛け、かかる甥持ち弟持ち、心を砕く涙の色、酒塩変じて明けの血

 

 

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潮、叔父甥顔を見合わせて、あっとより他言葉無く、軻れ果てたるばかり也。与兵衛覚悟の大音上げ、「一生不孝放埒の我なれども、一紙半銭盗みという事ついにせず。茶屋傾城屋の払いは一年半年遅なわるも苦にならず。新銀一貫匁の手形借り、一夜過ぎれば親の難儀、不孝の科勿体なしと思うばかりに眼付き、人を殺せば人の敵、人の難儀という事に、ぐっつと眼付かざりし。思えば二十年来の不孝無法の悪業が、魔王と成って与兵衛が一心の眼を眩まし、お吉殿殺し金を取りしは河内屋与兵衛。仇も敵も一つ悲願南無阿弥陀仏と言わせも敢えず、取って引っ敷き縄三寸に締め上げれば、早町中が駆け付け駆け付け、直ぐに引っ立て引き出す果ては千日千人聞き、万人聞けば十万人、残り方無く世の鑑伝えて君が長き世に、清からぬ名や残すらん