彦山権現誓助剣 第三

 

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    イ14-00002-677

 


12(左頁)
第三
周に服せぬ頑民も殷には忠の至れるをや 長門の太守郡音成 真柴い引きし弓取も時代になび
く武威強く 拝受今度三韓を攻め伐つ君か御名代 家の眉目と一家中賜る酒の杯盤も狼藉
に迄賑はへり けふ一日は下々に御庭拝見赦さるゝ 白洲にとや/\立留り ノウ皆の衆 何所を見ても結
構な事じやないか お泉水の石一つでも大まいの小判道具とさた聞て おらは魂消はてあてゃよ おめで
たなりやこそこんな所 長生きすれば徳得ますらよ ヲゝテヤ此お目出たの根をとへは 元が奴の久吉様 打
ては勝ち攻めては取り 乱をしづめ太平にさしやつたはきつち其身の大功じやてゝノヨ あなたを大功様といふはヨ 其
大功か唐を取てゝノヨ軍の名代此殿様がさつしやります 重い役目を請取しやつたもうんのおつよい故
てノヨ 夫レでけふのお目出た様じや 広い日本が取りさらいで唐迄も取らふとは 武士の腹といふ物は分な物じやない


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かいの ヲゝ扨あなたに限らず侍といふ物は よき敵と見りやあの首取たい よい国と見りやあの国取たい
常住てうとこちとらが 女コ見た様な気持じやと仇口々に奥庭へ一群(むれ)にこそ歩み行 跡へ白洲へつつ
かつか 杖も樫木(かたぎ)の房州と 二字をしるせし三度笠 立はだかつて見廻し/\ テモとんだイゝふしん どこもかしこも金物と
箔すくめ 何の事ねい御門徒宗の仏壇を見る様だ 大名にや何が成る 金のなる木も有かいと うら山しげに
立折から 一間もれくる 笛つゞみ 乱舞のしらべ音も高し ハゝア聞へたけふは家中のぶ礼講 此別館(しもやかた)で芸づくしが
有と聞たがヲゝ夫レた/\ 漸此頃治まるともふ早乱を忘れたほたへ ハゝゝ夫レも何の構はぬ事 是から奥の
お庭廻り 拝見すへいと遣り水の岸を伝ひに歩み行 奥ざしきにはもふ勢がいや/\とつと誉(ほむ)るこへ 鷹の間
の襖明け 出るおきくが舞の袖 汗拭ふやらあふぐやら 嬪共が寄だかり ノウ千草面白い事じやなかつたか 臺子

の所作も及ぶまい イヤもふ/\及ばぬ段か器量な舞ぶりなら 天津乙女の舞の袖 天人に見せて恟りがさして
見たい 御台様にも殊ない御ほうび 衣装直すはわしらが役 そもじはそこでゆるりつと汗入る間の咄し伽
情郎(おもはく)様を今こゝへおこすもわしらが仲間から そもじへ花の縫小袖手んでに持て入にける 夫レとしも犯せる事は
なけれ共 恋には人目忍び足一間を出る弥三郎 見るよりこなたは飛立斗逢たかつたと寄そへば コレハ邊りの人目
忍ぶ恋路を見付けられどふ云訳をする気じやと 叱られて涙ぐみ サア其逢見るも常々は堅い屋形の打とけ
て 逢夜まれ成る七夕の織女様も此様に 思ひこがれてこざるかしらぬ 二人が中の弥三松を うみ落したも四
年前 姉様のおせわになり 古ふ勤める友平が里に預けて育つれど 夫レから後は奥様のおそばはなれぬ
奥勤 嘸可愛らしう成て居よ 尋ねて居よふしたふて居よ 顔が見たやの思ひ子も 思ふ夫も他人


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向き我夫よ共我子共 云れぬ様なあしきないえんがせかいに又有ふか 人目忍ぶの恋草も 日影に枯るる身なら
ずは たとへ虎ふすのべなりと 親子三人居て見たい しあんしてたべ弥三郎様 わしや手枕の現にも 忘るゝ隙はな
いしやくり訳も涙にかきくどく ヲゝそふ思やるもむりならねど 儘にならぬがうき世のならひ えんと月日はこゆるぎ
の急がば廻れ其内に 仕様もやうも有ぞいのと 云つゝしつと引寄て 雪の手先にしからみし いもせわりなき折
こそ有れ花に嵐の足音とん/\驚くこなたはさあらぬ体 仲間(ちうげん)一人白洲に蹲ひ 猿の真似する小童(こわつは)連
たる下郎 今日の御遊の折から何卒倅が舞の一手 上々様の上覧に入度望み 御門へ参り相願候がいかゞ斗らひ
申さんと 伺へは弥三郎 ホゝ幸い奥様も入せらるれは 一入のお慰み 早く通せの下知を受け下部は 御門へはしり行
夫とひろうに付々が 数多かしづき真弓のかた 座に着き給へば舞童(わらは)頓(やが)て御前に立出る 五つ斗のうない子

髪も二葉の抓み髷 抓からげの愛らしく 猿の面をきさんじに 白洲にこそは走り込 跡付添男か高こへ コレ/\
ナニぼたゝみ敷いた様なお庭でも そないはしつて躓いたら 手々や膝ぼん擦むきましよ ハイ/\ノゝ御前じや/\
居しからしやれ ハアと手を下につくばふ顔 一目見るよりおきくが恟り ヤア友平か預けたる子は夫レか共夕顔の 立
寄らんにも御前の手前 さし控ゆれと大方はは上にもしろし召かるらん 下には男が杖しやにかまへ ハイ廻らぬ舌てちよ
と申上ます 此猿めは生れ落るから てゝごも母御もアゝイヤ 親猿のない正真の木から落た孤猿でごさ
りますが 此小猿にたつた独りの伯母がござりまするが 此伯母猿がモウ/\/\夫はレ/\なみ大抵のせわじや
ござりませぬ 夫レでも親子のえんと申物は 厚い物でござりまして とゝ様が見たい かゝ様が見たいと 常住親を
したいます其いとしさ 今日はぶ礼講に多くの人の入込もし其中に能似た人もござりましようと夫レ故ハイ/\ 連


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て参りました 只今舞せまするも たつた三日のけいこでござりますればぶ調法がちでござりますれど首尾能
舞おふせましてござりませふなら 外に何んにも望みませうる義はござりませぬが 御ほうびに此猿めを抱いておやり
なされて下さりませ サア/\猿殿 コレノウ去りとは/\きよろ/\した太夫では有はいの ガまた見たがるもむりじやない 親子は傍に有り
ながら アイヤハゝゝ 母様によふ似た伯母様が有かてゝ子供と云物は扨も/\/\ 扨もめでたの秋津洲や 金(こがね)桝にて米(よね)
はかる米斗るひんだの踊りは面白や/\ べいよかゝ様やとゝ様ににた 伯父様や伯母様はどれじや コレ/\/\むりいふまいぞ マ舞ふて
仕廻たら跡でべいがいふて聞す 舞ふたり/\ よさの泊りはどこが泊りじや からが内にて袖枕/\ 乳房ふくめる親もなく 子も
泣く おらも泣く 泣けどしたへど名のれぬ/\ ひんだの踊りは面白 舞納むれば 真弓の方は御きげん能く 年先も行かぬ稚子に
おしへもおしへ舞も舞たり 付きし男がことのはに かくならんだる其中に 母によふにた伯母の有とや したふ子よりもしたはるゝ

親の心は嘸や嘸 ノウおきく弥三郎 そち達二人も今の間に似合のえんの妻夫 設るやゝの抱きならひ 抱て
見るのもよからふと情の底意奥深く 入せ給へは嬪共 サアこれからこちの世じや 其子こゝへと縁の上抱上げさせて
取廻し 色もくつきり 手や足の尋常た年はいくつ アイこれ程と右の手の 指広くれば五つか/\ そておかゝ様はとふしやつた
ぞ アイわしやかゝ様もとゝ様もない よふ似た伯母様や伯父様を見せるてゝ べいかこゝへ連れてきた ヲゝ可愛そふに
孤(みなしこが こんな子うんだ母様なら嘸器量よしと思はるゝ 能ふ似たと有からは わして有ろかの イヤそんならわしか イヤ そん
ならやつぱりわしで有ろ イヤおれかべゝと アノ伯母様のべゝと 一つしやによつて 外のおば様はいやしや アノおは様に抱れたいと
いふも天然親子のえん 傍にかけ寄抱付く 弥三郎もこへうるみ テモ利口な小猿め 抱てやれよと奥様も お赦し
の上誰か咎めふ 親とまかへてしたふ其猿心ゆるしにとつくりと 抱てやられよおきく殿 といふは抱たき百はいの思ひも


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一つ両の手に きくか引寄引しめて わがみの様なよい子をば 孤となし置く露の玉に逢見る顔たにも 親共子共 名
のられぬ邊りの人め横障の雲の隔てしうさつらさ余所に かこつぞいぢらしき 縁の下には友平が うかむ涙をすりこすり
親の子を思ふ程 子は親を思はぬ物とは 此子から見りや諺の間違 どなたもお聞なされて下さりませ 子細有て其お子は
人めを包む預り物 親御かないといふしやなし 逢せたふても 儘ならぬうきよのならい かくし育つる葛屋萱場せまひ住
家の背戸門を よその子供が母親や 爺親に手を引れたり 抱れて通りやけなりがり べいはよおりやとゝ様やかゝ
様はなせない とゝ様に逢せかゝ様へ連て行け 行きくされとたゝける子を 漸すかしてねさすれば 親心にお袋と思ひちがへ べいめ
が乳の山椒粒 抓んで見ては目を覚まし かゝ様/\と泣かしやる時のいぢらしさ イヤモウ是を思へは親子の紲(きづな)程せつない哀
な いぢらしい物はござりませぬ 是を思へは釈迦如来様が うきよをいとひ捨るには 女房持なとおつしやつたとは 身にしみ

/\と尊いおしへ 親達の心の内も ヲゝ推量しておりますはい/\/\ けふは殿様おめでたで 無礼講の御遊も有
お庭拝見御免の噂 承つた嬉しさも 打通りではお庭斗 どふぞ爺御や母御に似た お二方のお顔を
につしりと 見せたいていの思ひ付 枕を割た猿の舞 其覚へのよさとした事がたつた三日でお聞なさいたつた
三日 モわつかな日かづで覚へさしやつたもきようても利はつてもなく おとゝ様やかゝ様に しやない似たお人に逢いたいとお
もふあの子の一念 真実の子の様に思ふて抱てやつて下さりませ コレほん 日頃夜も昼もこかれさしやつた程 とつくり
と抱てもらはつしやれといふも真身の友平が せつなき咄しそばに聞く 嬪共も諸共に思ひやつた貰泣き 涙もろきは女ごかや
一間の内より弥三左衛門奥方の賜(たまもの)手に捧げしづ/\と歩み出 ナニ弥三郎殿に召さるゝ御用ぞ有らん 行け/\ おきく殿もいづ
れもおくへと きびしき父の一言に 底気味悪く弥三郎 其場を立ば一同に 皆打連て入にけり 弥三左衛門持出し


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臺の物縁にさし置き 緋縮緬五巻金子の包み稚き者へ下さる 有がたふ頂戴せよ 小児こゝへと膝近く そちが名は何
と云 弥三松 ナニ弥三松とな テ顔見せい フン額のかゝり 目の能は爺親に生写し 瓜実顔は母に其儘 テモ能似たな
あとサ誠の叔父が傍に居は 嘸斯云ふで有ふ物 殿のおかけで伯父伯母も親も出るには供に供 夫レに引かへ又すぼ
らしい まめな可愛顔見たりや 嬉しふて恨めしかろ やもめでははたさぬ?や娘 思ひ初めた時 親へ打明け云
おつたか 表向から三々九度 可愛い孫を世間晴 抱て詠めて楽しむかい ハゝゝ我子か孫でも有様に そな男 秋
に音する萩のはも おのが身からは音せねど 風かわやくでナ わやくいはふと見たがつと 逢つ見させつする程は余人の
目にも能見ゆる さすれは孫子が不便でも 云曲られぬお家の掟 大事にかけて連かへれ 身もかはらふと弓取も
迷ふ血脈稚子を連て二人は打しほれ 倶に我家にかへりける きくは恩愛稚子を 今一目見たさ間(あい)の戸を

明けて立出る後ろより 伺ひ居しが京極内匠 コレ/\おきく殿出来ます/\ ヲゝ内匠様何じややら出来ます
何がいな コリヤ又きついおかくし こそつと子迄儲け イヤモ舅殿の粋た当世/\ 花も恥らふあてやかさ 引く手数多
は元より推察 ガ恋は心の外々に 何ぼ男が有ろと儘よさ 日外につと見初てから思ひに痩せた此京極 叶へてほしい
と抱付く手先漸はらい退け エゝめつそふな事斗 ざれに事かき役柄の重き身ながらふ義徒ら 事顕はるれば身
の上に ヲゝ成のがつてん 惚れかゝつたら金輪際くどい/\くどきぬく 扶持も知行も塵芥 おふとさへいや連立てこゝをほい
都へ成と東へなりと 立退くしあん内匠が心底 何と憎ふは有まいがと立寄折から一味斎 そぶりは見れどさあらぬ体 ヤア
娘そちや何用で是に居る 年若き女の端近 悪名請くる基(もとい)と知らぬか行け/\と追やつて ナニ京極氏 貴殿と我
は殿の御師はん国に二人の剣術と 人に知られし身の放埓 人なき折を幸いに御異見申す止まりめさ コリヤ老人の深切


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しごく忝い ガ聞く気ござらぬいやでござる そふお手前が知る上はもふかくさぬ/\ もらいたい イヤサ 息女おきくを我妻に申
受たい吉岡殿 やあだまり召れ掟を乱つて色に溺れ法に背きし今の一言上意に達せば明日をも知れず腹切る御辺
に連れ添はす 娘は吉岡持合ざぬ スリヤ承引はどふ有つてもや ハテ知れた事を 麒麟の子を鼠が念がけ 妻にした
が望事叶はぬ限りと苦笑ひ 襖引立入ければ ヲゝ承引せねばうぬが首 娘に添て請取ると 欠行く京極欠
出る東蔵 マゝゝお待なされ先生 様子は小影で承はつた御立腹は尤なれど 今せんせいが手を出されては恋の意趣
討人聞悪し 恨を晴す趣方はの コレ斯々と耳に口 フン実に尤 きゃつと御前の試合を望みぶちすへた上てつべい押 サゝ
手に入るおきくはお前の奥様 一つ家と成ば恨はさらり こつが斯して行ぬ時は仕様もやうも又様々 せく所ではござらぬと 武士の
道より内心の 邪智に勝れた両人は 點頭伴ひ入る跡へ 是老て矍鑠たる 投化夷人木曽官何角(かしら)木の箱

物を手に携へて入来れば ソリヤ唐人が来たげなと 追々出てくる嬪共 物見高いは常なれや 木曾官立向
いゝきんかんたんやあこうはんいつえつしてさいたくとうらいしいらい/\とこそ云入る嬪共は顔見合せホゝゝ久しい物じや
がアリヤ何といふ経じやいのふ ヲゝあれこそほんのちんぶんかん 訳は知ねど推量が 器量のよい同士此様に並んでいる
唐土のおだて文句で有まいか イヤ/\/\ もしもあれが物申といふ あん内詞の唐様なら 聞流しては落度の基ひ マア/\
御前へ此通りと案内に連て一間より 月の真弓の匂やかに立出給ふ御姿 見るよりハツと低頭平身恐れ 入て蹲
れば 奥方なゝめに見やり給ひ ホヲ過し頃長居の浦辺にて初て目見へし三韓人 まめやかな体悦ばしと 仰
の下に額をもたげ 誠に其節願しごとく異国攻伐の統戒(じう)たる 音成公の武徳を慕い帰降を望む木曾官
一度相見し機縁をば捨られず宜しく御披露下されは 味方に先駆異国の案内 遖三韓八道を御手 


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に入れんは瞬く内則ちこれこそ彼の国の山河を縮め画(えがけし)地理の図 拝謁の印として御らんに備へ奉ると 件の箱物恭
敷広縁に差置けば ヲゝ夫レこそ我夫マ兼てより 望給ひし韓の絵図 夫々此よし申せよと の給ふこへの内よりも
聞た/\と太守音成 ゆふ/\としとねに座し 誠や?何相府(しやうかしゃうふ)に地理の図をとらずんば 子坊(しぼう)賢(さか)しといへ共計
略ならじ いしくも手に入此一巻 迚もの望木曽官 猶もくはしく物語聞してんやと有ければ ハツと領掌庭上に
目に見るごとく述べにける 先日本は五畿七道 我三韓は八道にて 全羅慶尚京畿道(てつらけぐしやくけんきたい)是は日本の五畿内に
て 帝の在す都也其外うつさんとくねぎ城 舩のかゝるは釜山海 味方の舩をこゝにとゞめ 手いたく攻入る程ならば
久しく治る世に馴て戦いぶ得手の三かん勢 立足もなくちり/\゛に 逃ぐるを射留め からめ取り 首のかはりに切耳を 御大将へ
御土産に上る勝鬨勝ち軍 只手の内に候と 申上れば音成夫婦実いさましき物語 奇成画工の手際やと

目枯れもやらず見る折から かたへに忍ぶ以前の道者 しけみをはい出地理の図を こは/\゛そつとさし覗き 我を忘れて
高笑ひ ヤレ/\おかしや 此絵はまつかいな嘘八百 此様な物を以て来て抱へられふとは ハゝゝ太い仕事と嘲わらふ
木曽官大きにいかり ヤア大切の図さみする曲者うぬは何やついづくの匹夫ヤモ何所の者と手身は知た関東者
先年堺の小西へ行て 誠の韓の地理の図見た コレ絵図は山を川 難所を平地とまつかいさまふしんのはれぬ
捧げ物 皆様油断遊ばすなと 云も切せず木曽官 せき立つ佩釼(はいけん)抜く手も見せず 只まづ二つと切付る
白刃を杖にて丁と請留 其手しやちつと行ないと 刎れは付入二人が争ひ 近習がこへ/\゛ 殿様のお目通りしづ
まれよとせいすれ共 聞すひるます戦ふ有様 音成いかつて ヤレ誰か有我見る前共憚らす兵刃をふるふ敵の両人 からめ
とつて引すへよと 下知にかけくる吉岡京極 御上意なりと大音に 肝取ひゞしぐ武の威光夷は内匠が手にからめ


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道者はついに一味斎くゝし上たる其折から 久吉公の御成と 白洲に入来る究竟の武士 手に捧げたる太刀一腰 恭々敷
座に通り 某義は久吉の郎党桜井新吾 此太刀先君春永在世の時 片時はなさず帯せられし桂丸と名
付し尤(わざ)物 君を殺(しい)せし明智が反逆 本能寺の大変聞へしは 此地に軍をいどむ陣中 当家の大軍虚に乗りて後(しりへ)
を討たば 山崎の一戦かたかるべきに 安々明智を討ちし事偏に和睦を承引有し音成公の情によれり 高義を謝す
る此一品 けふのお成の土産として 進上との御事也と使者は云捨座を下る 音成謹んで太刀押戴き コハ有がたき
御賜 家の面目此上や候はん シテ/\御大将は ホヲゝ真柴大領久吉 夫へ行て対面せんと 思ひがけなき件の道者縄
引ほとき笠かなくり 忽智貴人の勿体 衣服改め寛然と儲けの 席に座し給ひ 誠や久吉愛智郡(こほり)
の土民に産れ今日本を平呑し武将と成迄其間 草履取より押上り柴田か肩のあんま取 賤が手わ

さの種々様々 せざるしんくもなかつしかと 縄かゝつて見しは初て 運つき擒と成族(やから) 嘸口おしく思ふらん ハゝゝ去にても一味
斎 我をとらへて高手小手にくゝし上んと思ひの外 縄をまといし斗にて 小手をゆるせし所存を聞かん ハゝツ恐れ入たる
君の御上意 貴き事天子につゝき 冨四海を保たせ給ふ君とは存しよらね共胸にてつする貴人の相形 縄
取腕もしびるゝ斗 フウ夫故小手を赦せしとな 面白しナニ京極内匠とやら そやつ異国の紛れ者 尋ね問ふべきしさ
い有共 中々一応再応では白秋すまじき顔魂 刃物をうばい桎梏をきびしくし 獄屋につなぎ並べしと 上意に猶
余なは付を引立/\入にける太守重ねて威儀を正し 数ならぬ愚臣が茅亭(ほうてい) 御沓を入られ下さる事大
悦此上や候はん 麁末ながら奥殿にて一献すゝ奉らん 渡御なし下し置るべしと 申上れば御大将 ホゝヲ浅からぬ深切
辞するは無礼しからば其意に任せんと 仰嬉しく奥方も 御案内迚諸共に座を立給ふ其所へ 衣川弥三郎


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あはたゝしく罷出 三韓の木曽官獄屋につなぎこれ有所 いか成術をなしたりけん縲絏(るいせつ)の縄目を抜(もぬけ) 真弓の方
の守り刀奪取て行方知れず 申し訳の為切腹御赦免下さるべしと 願へは音成顔色変し 御大将の御気色を 計り兼
たる色目を察し 衣川とやら小気成若者曲者一人迎せし迚腹切んとは犬死/\ 侏離鳥云(しゅりてうげん)の夷貊(えびす)のわさ
くれ 遁れ去る迚何事をかなし得ん 聊か心を労すにたらず 今死する身を生存(ながら)へ 三韓攻めの軍中に
明兵数百の首切かけ 異国に揚ぐる誉を以て けふ過ち償はんとは思はずやと 人を殺さぬ寛仁大度
胸は紅河のはかりなくとう/\としている弓の 矢に似ず曲(ゆがむ)心より 心ぐるしき京極内匠 白紙に包む願書を
えんにさし置ひれ伏は 音成手に取り逐一披見し ナニ内匠此願書は一味斎と試合の勝負が望とな よからぬ願 一つ
方は負けたる恥辱 音成が領池に足は留かたからん三韓征伐近きに有は 武士一人もおしき時節 是を計つて

此願は取上ぬ差控へよ ハツ御意を返すは恐れながら 勝負は時の運に寄る 手強き相手を乞望むも
藝道の励み第一は軈て異国の戦いに敵を引請かけ悩ます 腕だめし共存ずれば 何卒御免下さるべしと 猶
押かへす下心邪智とはしれどさあらぬ音成 フン一理有申し条 しからば一味斎を是へよべ ハツと近習が主人命に
座を立て行程もなく 釼は一人に敵する極意 胸に甘なふ一味斎 しづ/\御前に伺公(しこう)する ホゝヲ早速の
入来大義 召寄し事別義にあらず 即ち夫成京極内匠 其方と試合を望 さし留むれ共是非との願 老
体と云苦労成べきが いなまず汝立合んや コハ有がたき慈愛のお詞 老さらぼふては候へ共 打物取ては百万の
強敵も秋袖にすだく虫共存ぜず 御上意でござらふならば ムウ辞退せず立合んとな 然らば両人試
合をゆるす 殊には殿下御座の間近し能致せよ ハツと猶余も我慢の内匠 肩衣刎ねかけ サア一味斎御免の


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出た試合の勝負 急支度を致されい イヤ/\剣法は油断を敵とす 試合を常 常を試合の場とするが 八重
垣流の心の取方 スハ立合と云に成こと/\゛敷支度立 ふ意に敵はなき物かはハゝゝと 早勝色を顕せし 木太刀
をきくが持出て 直すも父の利運をば 弓矢神への心の祈誓 其外茶の間仲居迄傍に居流れ勝負と
皆吉岡の親父様 勝てもらをも常からの實な気はつを請ているひいき連中と知られける イザ参ふ両人は
作法の式礼太刀の傍 寄より早く立別れ ヤアヤアと 互のかけごへ 内匠はいらつて打込太刀 心へたりと請流し 又打かゝる
一味斎 京極透さず身をかはし 打入込上段下段 時うつる迄打合しが 何とか仕けん一味斎太刀筋弱つてた
ぢ/\/\ 勝負は見へた一味斎 遖見事と音成の 賞美の詞に一味斎 ハツと其儘平伏す 傍に内匠が夫不興
顔 コハいぶかしき殿の御上意 眼前見へたる試合の勝負 拙者が負けとは其意得ずと 云を云せず ヤア京極 今

の仕合を勝ちと思ふか 其身に纏ふ衣服を見よ 二太刀めには左の紋 四太刀めに右の紋 一味斎が打たる
笄 眼に当らばめくらと成ん 咽を打れば即座のさいご 死がいと成ても戦ふかと 理飛明白の判断にぐつ共すつ共京
極が拳を握り無念の思ひ 音成重ねて ホゝおしむべし一味斎 今少し若くば三韓攻めに一方の大将共なさんず器
量 ヘエ残念/\ 当座のほうび一千石 汝に遣はす所 相違なき条誉れをば子々孫々に伝ふべし ヤイ内匠今の
恥辱に音成がせうぶを止めし所存の底意一々思ひ当りつらん 過て改るに憚らず 以来昼夜に励みを
加へ軍馬の前の忠節こど此上ながら肝要と ゆうびの詞諸共に下る御簾(きよれん)は一面の青雲とこそ隔てけり
跡見おくつて一味斎 忘れかたきは主君の重恩 マ忝しと三拝し イヤナニ京極殿 只今はぶ調法 ヤモ闇の筒先まくれ当
必ず心にさへられな 後刻御意をば栄花の花藝に咲せて立かへる 跡に無念と京極が 胸はむしやくしや眉


23
に皺おくよりさし足藤蔵が そはに立寄 コレサ先生今更何のしあん顔 重々憎き一味斎 ぶち放して遺恨をはら
すが一ばん近道上分別 シイ音高し壁に耳 きやつも打たしおきくもほしし ヲゝ斯つと 巧む心の奥の間は 又も御遊の乱無
の響き 庭に二人が示し合ふ武士の 性根も乱拍子打連おくへ入相を 遠山寺の鐘の音も 花に心を奥御殿 木々
の梢に風断て 草もゆるがぬ 広縁先に 山の近き盤石にて造り立たる 手水鉢ゆるぐと見へしが引かづき 顕れ
出たる木曽官 おどろの白髪三千丈 髭ぼう/\と眼の光り星と輝く其有様 奥を目がけて歩み行上段
の間に銀燭台ともし立たる中央に 錺置しは紛いなき 小田の重宝桂丸 してやつたりと立寄て抜は新刀(あらみ)の
次刀 錺り置しは謀(てだて)斗もや エ有ふと儘と細瑾に構はぬふ敵投げほふり 今度はゆるす久吉音成 ふ日に来つて
頭を取ん待ておらふも独り言のつか/\と行先に道をさへぎる茅(つはな)の穂先 シヤ小しやくにも巧みしと見かへる跡も鑓ぶすま

取巻く逞兵嘲笑ひ ハゝゝしやらくさき蚊とんぼめら 芋(う)がらに等しきべろ/\鑓 鉄身に立べきかと 手を拱いて幻
術の秘文 唱ふるこへと突つかくる 鑓は一度に折飛だり 驚きながら屈せぬめん/\ 組で取らんと柄を投捨 かゝるを捻首
腕引抜き 一度にかゝれば人礫 つかんで庭の立石に 打付さられてひつしや/\ 群がる蜘と砕け死 さしもの多勢溜り得
ず さつと一度に引退く ハゝゝ追ぬ敵に逃ぐる/\ アラ隙入りやと 夕闇に人なき野辺を行くごとく 歩むこなたの一間
より 曲者待てと高んらか 恟にぎつくりこたへしが 打捨て猶も出行くを イヤサ三韓の降将木曽官とは偽り先年小田
の天下を掠め 山崎に亡びし明智が賊党四方田但馬守 止まれやつと肝先に鳴る雷とこたゆる大音 さしもの
強勢百練の鎖に足をつなぐがごろく 覚ず知らずたぢ/\/\ 馳もどつて欄外にぐつと詰かけ 異国に生い立つ木曽
官 明智が残党なんどゝは 奇怪しごくといはせも立てずいふな但馬 酒を盗む者は色に顕はれ香を盗む


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者は香に顕はる 山崎合戦の大崩れに岸田が一矢射削つたる 矢疵の跡は左の高頬四方田と呼かけしを我名
にあらで見かへるべしや 討死せしと披露させ 其身は異国に年つもり ふ日に三韓征伐と聞と等しく此地に
渡海し 山を川険阻を平地と欺く地理の図 日本の大軍こと/\゛く異国の難所におびき入れ 鏖(みなごろし)にせん計策(てだて)と
は見抜た推量違ふまじ 子坊諸葛は欺く共 此久吉を謀らん事 及ばぬ巧みと大やう也 ホゝヲ遉の久吉遖眼
力 ガ明智天下を掠めしと 我を唱へて賊徒となす 汝が身の上しるや猿冠者 春永甲州退治の折から 快
国師を焼殺し 種々の悪政見るに忍びず 主人光秀数度諫言 用いぬのみか鉄骨の 扇に額を
ぶたれし恨 本能寺にて亡せしは武に逞しき弓矢の本懐 汝却て春永の大恩を被れ共 其主の子を幕下(ばつか)
に属(つけ) 小田の天下を横取する国賊とは儕が事 其下に働く大名めら 手下とやいはん同類とやいふべき 儕々が分に

応し国郡の分口取り盗人原の大将久吉 人を称へて賊となし 盗賊の成敗致せば うぬが首から先ず刎ねよ ハゝゝ偃鼠(えんそ)能
水飲共満腹に止まる 小さき眼にさこそ思はん 先君不慮の落命より 時日をうあつさず仇を討ち 民を安んじ王位を
守護し 春雄晴信其徳なければ 是非なく国家を治むる久吉 汝ごときが知る事ならず ヤア多言也久吉 謀は
汝に負る共 異国に得たる我帯剱 切味見せんと飛かゝるを はつたとにらむ大将の 天性御目に重(ふたつ)の瞳子 尖き武
威に蹴おされて 五体すくばる無念の歯がみ 大将面色直らせ給ひ ヤラレ但馬 巌顔蜀に降つて英雄
の名を失はず 心を改め従はゞ命を助け召し仕はんサ 仕へんや四方田と 仰の左右に取巻勇兵 サア猶余せば
火ぶたを切ん 何と/\と詰かくる さしもの但馬悪びれず 諸肌くつろげ物をも云ず腹へぐつと突立つれば
首をかゝんと立寄る兵士 車輪とやらむいかりの大音 ヤアじたばたとさはがしい日本無双の四方田 うぬらに取るゝ首は


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持たぬと 罵る強勢優美の大将ゆう/\と 階下におり立 疵口とつくと 見事也四方田とやゝ観賞の御
詞 音成一間を立出て 先刻よりかしこに有て様子に承はる 本能寺の大変より紛失したる桂丸 君が賢
慮を廻らされ 贋を誠と四方田 おびき寄せたる其甲斐なく 彼も所持せぬ此上は イヤサ異国は知らず日
本は此久吉が下知の下 深山幽谷に隠す共 手に入れん事案の内 気遣いせられそ郡氏 只々おしきは四方
田 あたら勇士と仁恵の 一言五臓にこたへけん チエゝ忝き情の一言 最早此世を辞する某 先刻内匠がか
けたる縄目 脱出しは搦人(くゝりて)の失なりと 嘸心外に存ずべし 我皺首の介錯を渠(かれ)に御下知下さらば末期の
志願此上なしと 余義なく見ゆれば御大将 ホゝ心有願聞届けた ナニ内匠はなきか ハツと奥よりかけ出る京極 はる
かこなたへ手を突ば イヤ京極別義でない 汝が介錯望む但馬 聞得て遣はす仕てとらせい 事足(たん)ぬれば

帰らんと 御一言も厳々たる 智仁勇備の名将に従ふ郡音成も 御見おくりの威義清く本陣さしてかへ
らるゝ 跡に手負は傍りを見廻し ナニ京極殿 今はの際の某が一言云たき仔細有り 近ふ/\とこへを潜め 誠や
往事渺茫たる 明智に数多仕ふる中 わきて股肱と頼まれし 此四方田但馬守 年老たれ共百万の 敵は蠅共
思はね共 うんをはかつて今日只今 かくごの自害も時刻を延し頼み置きたき子細といつぱ マ先ず尋ねん 貴殿稚き時
の名は秀丸とは云ざりしや ヤこいつ血迷いしな 我出生は備前の小嶋 父は京極新左衛門 イヤノフ左にては有まじ 両
目は岩下の電に等しく 額に一つの喜怒骨は 光秀公の忘れ筐 親子迚能似られし ヤモ健気にも生立
れしな其骨柄にて仇をねらはゞ やはか仕損じ有べからず ヤア種々の戯言叶はぬむほん我に譲り 逆徒明智
類葉なと筋なき汚名を蒙らせ 我三族をも絶やす所存か 義に当つては三族を 絶やすも天に叶ふ孝


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行 よく聞給へ一昔春永亡びし其時は 天が下しる惟任将軍 いたはしや光秀公 山崎の一戦大崩れと成しかば憂き近
江路に 落下り 再び義兵の籏上に けふの恥辱をしらさんと 心はやたけの藪伝ひ 闇はあやなき小栗栖村
物の具剥がんと土民めらひつそぎ竹鑓突鑓 うんの突き出す鑓先に弓手の脇腹ずつと突れ さしも強気(ごうき)の
明智殿急所の疵(いたで)に目もくらみ 深田にがはと遠近(おちこち)の土に武名を埋まれし 無念はしゆらの妄執を しらす所
存はござらぬかと むほんの血筋を受けつがす 謀(てだて)も耳に空吹く風 返答なきは承引はござらぬの チエゝ是非もなし
承引なし迚此儘置ふか 一念忠義にこつたるこんばく こなたの皮肉に分け入て はた上させで置くべきや 南無や幻法守護
神帯 但馬が五体を此儘に 神に捧ぐる誓いの牲(いけにへ) 日本六十六国 再び明智の有となさん 我忠義を感
応有れ 玄鑑あやまる事なかれ ぜんすまるや さんたまる はらいそ/\ ヤア細言(こまごと)吐ずとくたばれと なぐり情も白髪

首 只一討に刎ねてけり サアこれからが身の片付 試合にまんまと負たれば 此地に足は留められぬ おきくを連て欠お
ちの 工面は兼て胸巧み 但馬が持ちし御台の刀 後日の様に立ながら 死がいをけやり出て行先道をさへきり弥三郎
ヤアどこへ京極 御台所の守り刀 うばい立退く不敵者 こつちへ渡せと詰寄せたり ナニ小僧めがひくしやくと 主に
隙やり出行内匠 逢たふ思ふた恋の仇 よふも先陣ひろいだな 一味斎めもぶち殺し おきくを女房に持つ
こんたん 先ず儕から片付ん かくごひろげとつゝ立たり ヤア重々につくき人非人 者共来れと弥三郎が 下知に群がる数多
の家来 屈せぬ内匠が手だれの刃先 右にさらへ弓手に当り 打てど払へど叶はゞこそ 危ふき後ろに冥々と
顕れ出たる但馬が姿 猶も閻俘の幻(いつな)の術 家来は夢か現のごとく 打付け投付け悩ませしは 手鞠をつくにこと
ならず 死霊の助けに京極が虎口を遁れ門の外 出る我身も我ながら 怪しと見かへる塀の上 すつくと立たる


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但馬が姿 早立去れと幽魂の 指ざすかたは広小路 冥火にてらす道すぢをいづく 共なくなりにけり