祇園祭礼信仰記 第一

 

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      イ14-00002-225

 

 
2(左頁)
 再板 祇園祭礼信仰記 (第一)  座本 豊竹越前少掾
罷出たる者は 九条の里の揚屋でござる 扨も室町の将軍
足利十三代の武将従二位左大臣朝臣義輝公 当
所名代の転職 花橘の君を根引有て 初春の御遊数々の
中に 今日は御経法(みしほ)の護摩を移され 此所において阿弥陀
の光りと申す御遊びを催せられ候間 昵近(じつきん)の侍達とう
/\御前へ相詰られ 早々御遊を始め候へはじめ候へや


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あら尊や大集月蔵経に曰 解脱堅固を始め 五々二千五百歳
に至て闘浄堅固の時をさす 大聖世尊の御法の花 光陰既に
百七代 正親(おゝき)町院の天業(あめがした) 永禄八つの太郎月 始の
八日の ばさら事 征夷大将軍源義輝公 儲けの褥を高座とし
偏胆(だん)右肩合掌有 過帳箱には諷誦文(ふじゆもん)の夫にはあらぬ阿弥陀
の光り 鬮取りの帳押ひらき一々に御覧有 松永大膳久秀 豆腐を
買にいたかいやい ハア御前に ハゝゝ 故三好入道長慶が嫡子 修理太夫存(まさ)

保 黒木の柴を買たかやい ハア御前に候 ハゝゝゝ 出来た/\ シテ花橘は何じや
/\ アイとえしやくし擂鉢に せつかい添て鶯の まだ乳くさい禿の辰弥 形(なり)
相応な貝杓子引舟 やり手が荷ふて来た 一つ竃(べつつい)釜の蓋 二つ引両
紋日けふの御遊の数の物 揃ふは君が御威勢ぞと皆万歳(ばんぜい)を唱へけり
揚屋の亭主は越路の城主浅倉義景 両手にとさん間(かん)鍋のつる/\ 
と持て出 どなたも/\お早い来臨 御大将輝大臣様には マア差詰あみだ銭
程 曲輪の沙汰もお金次第 格の古い趣向でもお役人が皆歴々 四十八願


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の数に合せ それ/\の買物役 相応ながお慰み 蓮華の間のお座敷で いざ
御酒宴と勧むれば 実にも/\此松永も左思ふ所 物に堅い三好殿も 鬮に当ッ
ては否応ならぬ柴薪 我等又姥が豆腐 角の取れたお饗(もてなし) 料理の加減塩
梅は 花橘の君に任せ お相伴に参らんと そやし立たる佞人の舌打したる酒宴
の興 甚機嫌も義輝公 欣然と打笑み給ひ 松永といひ三好といひ 浅倉
義景 いづれも一国一城の大名 花橘も諸共に似合ぬ役目 イヤはやどふもいへぬ
趣向 大膳でかした/\けふの花には何をやらふな アゝ夫よ/\ 足利累代小袖の鎧宝

蔵第一の宝なれ共 兼て汝が所望すれば 鎧は大膳にとらするぞと 酒がいはする寛濶
大尽 松永ハツト手をつかへ 冥加至極の御賜と 義景に目と目を合せ 鬮取の数
揃ふ上は 御座を改め賑はしく宴(さかもり)せんと勧むれば ヲゝいかにも/\花橘もサア奥へと 御座を
立んとし給へば三好存保暫しととゞめ 昨日絵合せの扇 判者は則ち御母君 慶寿院
様の御方へ遣はされたる扇 嬪の小雪追付持て参るべし 暫く是に御持ち有て 御覧
も且はお慰と 申上る折こそ有 お使ぞふと披露させ 入来る使者 振袖の小雪といふ
て絵の事は 雪舟が孫娘 花橘が妹といはねど白き姫瓜の顔と顔とを見合せて


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御前間近く畏る 義輝御覧し ヲゝよくぞ/\ 母の慶寿院には 生得絵を好給ふ 昵懇
の面々に云付 絵合せと名付け思ひ/\の好に任せ 筆は狩野助直信 判者は母人 何れ
の扇が御意に入しぞ 勝負を聞も一興 早く申せと御諚の下 はつと取出す扇二本 御
傍に差置ば やがて取上見給ふに 五重の塔に雪解の 雫が軒を伝ふ風情 又一本はやさ
しくも紫宸殿の階(はし)の本 橘の花の梢折取姿を画きたるは いか成心の主は誰(たそ) 子細ぞ
有んと御不審顔 修理太夫は二本の内心に覚え松永も 詮議に扇の二人が顔 小雪
は見ぬふりしらぬふり 御不審は御尤 いつれ劣らぬ御趣向の中に二本の此模様 恋に寄せ

たるはんじ物 解る雪とは春の雪春の雪こそ直に小雪 砂地に雫は惚るといふ下心
絵合を幸に小雪に心有者の所為(しはざ)ならん 又橘も多き中に 大内の庭を画きしは 下さまな
らぬ右近の橘 是は及ばぬ貝恋故に 手を空しうすると解けたるぞ 小雪が姉の花橘 今で
は義輝の寵愛 よもや夫レでも有まし 誰にもせよ扇に主の名はなけれど 画人(かきて)は狩
野ノ直信殿 慶寿院様のお傍へめし 御尋に是非なく其主/\を聞し召 武士の家で
はかやうな事 急度糺すが政道の第一 小雪 こりやそちが心得にて二人の衆へ渡し 詮議も
密かに御合点かと二本の扇押たゝみ松永三好が手に渡せば 面々名ざし浪風も 扇


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も納る要と工合 花橘も打笑みて 御母君の傍近ふお宮仕への程有て お使兼の発
明さ むつかしそふな云ひらき マア久しぶりで顔を見て 嬉しうござると兄弟が手を取かはす真
身同士 義輝公も小雪が利発 感ずる余り近く召れ 姉花橘を身請して向
後御台に定る上 其妹のそちなれば 姫といふ名を付かへて 雪姫と呼からは 慶寿院
も外ならず大切におぼされん 此旨帰つて申上よ お有難やと手をつかへ お暇申姉上様
又重ねてと立上れば 妹さらばと 見送りの辞儀も作法も武家馴し 室町さして
立帰る 引違へて出来る奏者 小田上総助信長 参上也と相述る 何信長か来りし

とは 年頭の礼でかな 花橘は先奥へ 礼儀正しき信長此体を見られなと 台の物取呼
付 大将始人々も 俄に威儀を刷(かいつくろ)ひ 待間程なく式台に長袴の裾しづ/\と 大紋
の袖かき合せ 手を拱て打通り 卑臣信長年始の御賀を祝し尊顔を拝し奉り候と
しさつて敬ふ礼義の程 義輝打點かせ給ひ珎らしや信長 扨も今川の大敵一戦に打
勝たる注進 早速叡聞に達し勲功の恩賞として 二品上総の太守に補(ふ)せられし間
弥忠勤励むべし コハ忝き御諚や候 さしも手剛き今川が首取たるも 全く将
軍の御武運によつてなり かゝる悦びの折から 興を添奉らんと 式台に打向ひ用意


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の物とく/\の声も揃への拍子取 えいさらえいと引く綱の嬪女郎がはで姿 四季の草木の
花車 籠花生けを花々敷御用意通りに引すへさせ 皆々大義と追かへし遊里は風流異(こと)
様(やう)を以て鬱滞を晴すと申 籠には佳肴銘酒を調へたり 何茂一献勧め給はるべしと 言上
有は松永大膳 是は/\思ひ寄ぬ御作意 いかにも/\イデ披露致さんと義景が立かゝり
花引のくる籠の中 酒も銚子もあら笑止や 足利重代小袖の鎧 コハいかに/\と驚く
斗に呆れ居る 大将大きにせかせ給ひ いかに信長是こそ伝はる先祖の鎧 いか成事にて手に
入たる 子細聞んと御気色かはれば ちつ共動ぜず御不審は御尤 昨夜禁裏より帰る所 室

町の御所裏門通り 鎧櫃を背負逃くる曲者 スハ何者ぞと咎めたる声に驚き櫃を捨て逃
失せたり 蓋を開けば此御着せ長 扨こそ/\直に御所へと存ずれ共 夜陰と申所中の騒も
いかゞ 君は当初にましませばあくしつらひ持参らせしも 世の人口を憚り 穏便に致さん我寸志
御先祖尊氏公御運を開き給ひし鎧 疎かになし給ふへからず 国に盗人家に鼠 残り多き
は夜前の盗賊 取逃したる残念やと 松永を尻目にかけ一目に見ぬく栄雄の 眼を覆ふ
残念義景 ヤア信長 申訳は聞へたが かほどの盗賊取逃したと斗では詮議が残つて
何とやら異な物 ムゝ盗賊を取逃せば詮議が残つて異な物とはな ハテサ奪ひ返した


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との言訳が気ぶさい/\ 証拠がなくては君の疑ひいつ迄もと いはせも立ず膝立直し 両執権
を指置て一はな立て支へるからは 却て詮議は和主にかゝる イヤ義景に詮議とは 何を
証跡いへ聞ん ハゝゝいで引出してお目にかけふか 者共参れ はつと答て近習の武士舁て
出たる鎧櫃 信長やがて立かゝり 蓋押明て引出す死骸 大膳がけでん顔残念が
恟りはいもう 何と御両所 水責にかけ白状の上 思ひの外もろいやつ とつくりと見られしなと
取納めしづ/\と御前に向ひ 某は明る帰国 爰は遊里の入込所 御沙汰は御所へ還
御の後 松永殿三好殿 万事用心肝要ぞと 夫とはしれど此場の是非 是は是

成ける緋威しの 鎧も納まる年始の礼 喰ひちがふたる義景が手持ぶさらを三好が目礼
にが笑ひして大膳がすゝめ廓の大騒ぎ弥陀の光は四十八上総の太守信長か 始終を土
産に帰国有 明智の程こそ「類なき祇の園感神院の鳥井筋 下川原の片かげに
哥占と看板も 女の手業媚た色紙短尺糸による物ならなくに我人の願ひをさすが神
子ならぬ神の園生に住めはとてお園/\と名も高し 往来(ゆきゝ)の老若立つどひ評判のお園が
店占ふて貰ふかいと簾を上てコリヤまだこぬか マア此短冊の假名見事じやないか器量
もよし 歌もよし お公家様の落し子じやと 取々にいひますといへば傍から何のいの 此広い世界


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じや物 女の歌人もなふてわい こちの娘も此月か産み月じや 男を産か女の子か 占ふて貰はふと
待間程なく歩くる姿もしやんとかいしよげに 赤前垂に水手桶茶店に腰をかけ持の
哥占の人立を待るゝ身より待つ人の心を先へ指かけし 床几の先に佇ば マアおれからと引短尺 コレ
此歌読で下され アイとお園が手に取て まかなくに何を種とて浮草の根のうね/\生ひ
しげるらん 此歌の心を判じて見れば 懐胎と見へなする お子は姫ごぜ産も安ふござります した
がコリヤ爺なし子と見へまする ハアそりや又どふして見へまする アイ此五文字のまかなくは まかぬ
のにといふ述べ仮名 親の赦さぬ妹背のかたひら 誰が種とて浮草の娘のうねりに生茂るらん

生は則生るゝ共読みまする 何と左様でござんしよがな コリヤ奇妙 成程御所へお末の奉公 跡の
月から戻つた故とつくりと吟味すりや 去年四月葵祭を見にいた時 車の前後に押付ら
れて主は誰とも白歯の娘疵物に成ましたと 頭角兵衛に又一人どれ/\おれも引て見よ此短尺
大江山か アイ幾野の道の遠ければ また文も見ぬ天の橋立 あなたは付文と見へまする 人に人
をお頼なされ 折角心尽しても また文も見ぬとござります 一度や二度では叶はぬ恋 三度も五
度も大江山 幾野の道濡の道 随分辛抱なされませと いへば皆々手を打て したり扨も見
通しじやと 値をめん/\巾着の紐もとく/\ちり/\゛に 塵打払ふ葭簀の床 又人立を待いたる


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折から来る伏面頭巾 浪人めけ共鰭有男 往来の噂聞侍人御葭簀の先に立とゞまり 某
は遠国浪人 此程当所へ罷登しが 遉は花野都人やさ風流なる哥占 願ひの節も有なれば
そと占ふておくりやれと ひく短尺は百人一首 朝ぼらけ宇治の川霧たへ/\゛に 顕れ渡るせゞの
網代木 御浪人の願ひとは 定めて立身出世の事 夫はよい歌でござります ムゝ成程 出世を望
む某に 能歌といふ其子細 どふじや聞たいといふに内より アイ今迄お前の身の上も 川霧や山の
霞が隔りて有付きもなかりしが顕はれ渡るといふ所が則御立身の網代木でござります おめで
たやとぞ答へける 扨々よい吉左右を承つて祝着致す 謝礼は屹度出世の後 是は当座の

席料と紙入捜して豆板の 露白紙のひん捻を内へ投込折も折 非人共が口々に申/\旦那
/\ 此間はマア結構なお金を我々へといふ口押へて コリヤ音高し是へ/\と声をひそめ 見る通り浪
人の身分として 分に過たる黄金をやつたは折入て われ達に頼敷事有故さ 必定頼まれて
これる所存か アイいやも何が扨/\ お侍様のおつしやる事といひ お金を戴た冥加 非人相応の事
なら何成共おつしやりませ ナアコリヤ 牛よ次郎よ ヲ太郎や八がいふ通り 命でも指し上ませふ ヲゝ頼もし
く ヤ外の義でもない コリヤ耳よこせ ナゝ合点か 譬へ狼藉をしたり迚高がわれ達 あつちも
神へ詣の道 聊爾な事も有まい コリヤ頼の印と紙入より 取出し手に渡せば めんめが 伝手(てんで)に


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押戴き 又一角仙人様 コリヤ有難いと戴く所へ先のけ/\の先払ひ 将軍家の御母君 御参詣
の下向道片寄ませいと行過る こなたも點く非人同士 簾の内にも菊水の邉に暫し
窺はんと しめし合せて行空や お園も店を取片付け茶店を さして出て行 鳥居通りをしづ
/\と一際目立物詣は 将軍義輝公の御母公慶寿院 孫君の輝若丸乳母の侍従
が御供に 外珎らしき嬪達 空も晴着に留伽羅や梅が香深き染小袖室町様(やう)ともて
はやす 下川原にぞ休らひ給ふ 同し道筋 ?如(するすみ・匹如身)の南都一乗院の慶覚法師 夫レと見るより
笠取て 立寄給へは輝若君 アレ伯父様と指ざして 一礼有ば是は/\御母公甥の輝若誘ひて

徳日の参詣ならめ 我等も今朝奈良を出 只今当社へ法施を参らせ 直に室町へ立よ
らん心ざし ヲゝ珎らしの慶覚や 互に息才て嬉しうござる 自も下向の道 いざ室町へ同道し 道す
がら何かの事 物語らんと宣ふ内 侍従が見やる向ふの方 あれに見へるは信長殿の鑓印 祇園
様へ参詣でござりませふと 申内より下馬前(さき)に馬上をひらりと小田信長 花麗の大紋長
袴 裾も衣紋も用捨なく御前に烏帽子を摺付 将軍家の御母公 歩行(かち)よりの御物
詣 早御下向候な 慶覚公には一別以来 先は御堅勝の体恐縮至極と平伏あれば 是
は/\ 斯く遁世の慶覚 久々南都に所住すれば穏便は互の事 シテ信長には在京でも召されしか


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ハア仰の如く年始の参内仕り 室町の御所義輝公へ謁(掲?)し奉り 御暇申上只今帰国の旅立
途中ながら慶覚公へ逢奉るは幸の悦び 忝くも武家の棟梁義輝公の御舎弟 信長
が口にかけ申上るは恐れながら 何卒御還俗有て 未幼稚におはします 輝若君の御後見共成
給はら 礎に礎を重ね禁庭の御守護此上や候べきと いはせも敢ず ヤア信長 此慶覚に還俗
せよとは 迚も沙門は遂げまじと堕落破戒を勧むるよな よしなき事に此耳を汚したる悔しやと
数珠こと/\敷爪ぐり/\空嘯ておはします 信長は返答も指俯て母尼公始終をとつ
くと聞し召 イヤなふ慶覚 さのみな腹を立られて 信長に代て此母が 有増(あらまし)を云聞そふ 情な

や兄義輝 花橘が色に溺れ 天下の政道もおのづと懈怠(けだい) 三好存保など折々の諫言も空吹
風 花橘は松永が妹 将軍の小舅などゝ威をふるはせ 我意に任する邪の政道を余所に
見る其悲しさ そこを察して信長の還俗を勧るも 家国の為輝若が行末思ふ忠の道 御身
も天下に二人の兄弟 室町へ来て供々に諫言申て下されと 御目に涙持ながら声は曇らぬ
十寸鏡(ますかゞみ)移る浮世を思ひ草しほれ入たる御風情 侍従も若の手を取て 慶覚の傍近
く 世界広しと申せ共一人の甥君一人の伯父君 還俗を遊ばす科で 阿鼻地獄の苦
み受ると思召し 御後見有やうに供々お頼遊ばせと教ゆれば指寄て 伯父様いんで下さり


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ますな お爺(とゝ)様や祖母様と一所にいて下さりませと廻らぬ舌に手をついて 礼儀は乳母が育て
から 慶覚もやゝ暫し黙然としておはせしが 母君の仰信長が勧め一々道理に当つたる 兄親に
向つて諫言申程の事は逆縁なれ共 善を勧め悪をこらすは出家の役 いざ御供と立給へば 御
母君は信長に向ひ 必帰国召さる共都の事を頼ぞや 取分け大事にかけ奉る神爾の御箱 吉
野様より帰り給ひて又禁庭へ送る迄は一大事の預り物 一つには此輝若 我は年老あす
しらず 只何事もよい様にと つかせし薙刀爰へ/\と手に取寄 是は是三条小鍛冶が打たる
長刀 信長帰国の土産共 又は頼の印ぞと渡し給へば押戴 何よりの御賜有がたし/\

譬?国と隔る共 忠臣の魂は御傍にきつと守護致さん おさらば さらば輝若おじやと糸
遊に 春めくのべの草踏分け室町さして帰らるゝ 跡見送て信長は拳を握り牙を噛み エゝ 
憎(にっく)きは松永 残り多いは慶覚御坊 追付て今一度 アゝイヤ/\/\何を云てもあの片意路 一応て
は得心あらじ 先々帰国を急がんず蘭丸来れと供へ引具し 宮居にかゝる道ばたへ以前の非人がのつ
か/\ お歴々のお大名 合力とらして下はりませ 御大身の御参詣とふからかこふておりましたと 
大道一ぱい立たかり道をふさいで邪魔すれば森蘭丸声をかけ ヤア貴人の前共憚らぬ慮
外やつすされさがれといふ程摺寄手を出して おへどひつこい虻蠅共 切てくれんず身構へを


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信長制してヤア麁忽なせそ 神前といひ血をあやすは神慮の恐れ 其儘来れと先に合力せず
ば通すなと 横にころ/\消炭俵 手ざしもならず供先も倦み果てたる其所へ 走に走て彼浪人
抜く手も見せぬ抜き討に非人を残らず切捨/\頭巾ひんぬぎ土に手をつき 我等山口九郎次郎と申す
浪人 小田信長公に向つて狼藉働く非人めら 御覧のごとく切留て候へば もはや寛々(ゆる/\)御開きと
しさつて申せば打點き 山口九郎次郎様とやら 此信長を能知て なんぎを救ひ下さる段悦ばしし
去ながら 社参の道筋血を見るは心よからず 是より空しく立帰らんと引返す袂につがり イヤ/\神拝
の路次において血をあやせしは我等が誤り 申訳の切腹ぞと 刀逆手に取直すを聊爾有なと

押とゞめ 信長故の生害余所に見てあられふか 扨々驚入た刀の手練 遖おしき武士生害を
止(とゞま)り 信長に奉公あらば知行を以て恩謝せん こは有がたき御詞 某迚も浪々の身 出世を
望む折に幸 身命を?(なげうつ)て忠勤を尽し奉らん ヲゝ早速の得心満足/\ 当座の所領千五
百石 其上の立身は勲功によつて沙汰せんずと の給へば頭をさげ有がたし忝しと おのが智略の
工にて念なふ主従安堵の思ひ 蘭丸も名対面以後はは互に/\と 約束堅き神垣や 祇園
林下川原 下部がふり出す行列に連て 帰国ぞ「ゆゝしけれ 玉敷庭はおのづから夏も
涼しと 夕顔の光る源氏の黄昏や 夫は五条の軒端やら 爰は二条の室町に 義輝


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公の奥御殿昼夜をわかぬ酒宴の興日も酣(たけなは)としられけり お傍女中が立集る中
にも梅路がノウ皆の衆 いかに御台様がござらぬ迚 傾城の花橘を引上 新御台成の御
祝儀とて しつかい御殿は揚屋同前 皆松永殿のさはいじやげなと いへば萩野がされば
いの 慶寿院様のお嬪小雪女郎は花橘の妹 大膳殿が惚ぬいて付つ廻しつしられて
も 雪姫は下地から狩野介直信殿と しつほりの中じやげな 直信殿は御所番の色
男也絵の名人 弟子入したいと思ふたに先こされたと口々に羨み咄のさはめく中 奥より出る
松永大膳 髭は名におふ鎌かけて ヤア女共何のらかはき隙入れる きり/\いけと叱付追

立やり戸に窺ひいる 大膳が弟同苗鬼藤太 浅倉義景を伴ひ互に黙礼歩寄 兼
て仰付られし神爾の御箱 弥今日暮を相図某が案内して 是なる義景公へ ヲゝサ其
義はあなたとしめし置た 義景殿を同道して 直に手渡し仕れ 又慶寿院と家の籏
はコリヤ かふ/\と囁き點き浅倉殿お頼申と欲悪非道の三つ鼎(かなは)義景は笑みをふくみ 彼
御箱を受取なば 拙者は直に帰国せん 跡は宜しう松永殿 何事も今日中委細は跡か
ら合点と しめし合せて両人は身を忍びてぞ入にける 大膳只一人心をこらす胸の闇 かく
とはしらぬ狩野め小雪に思ひ寄さへや昼も人めを忍ぶ草切戸のかげに身をひそめ こが


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るゝ心の通じてや小雪は廊下へつか/\と 歩出たる出合頭見るより大膳是は/\雪姫殿 明暮御
前に詰て居ても そもじは慶寿院のお傍になり 云寄る伝(つて)もなかつた故 此春の絵合 惚
ぬいている心のたけ 画てやつた扇の謎々 サア其返事今聞ましよ 折節傍(あたり)に人はなし 逢た時に
重つてしつほり堅める夫婦の結び いやでもおうでも女房にすると 髭摺付るべた濡を
アゝこれ無体なマア放して イヤ/\放さぬ寝て咄すと しがみ付たるいやらしさ 狩野はたまり兼
かけ出る屹相を 見るより姫がコレ出まいぞ出れば何かとやかましい 出まい/\と思ふていてつい爰へ
出て此難義と しらす詞と目つかひに 出るもでられずむしやくしや腹立たり居たり身をも

がく こなたも漸ふり放しコレ大膳様 誰有ふ義輝様の御家老と 肩をならぶる人もなく 下々の
猥らな事を 御政道もなさるお身 そしてマア姉様はお前の妹分 スリヤ私が為にも マア兄様 其お前か妹
を捕へて ヲゝ其畜生合点 モウ/\畜生は愚か鶏烏といはれても かふ惚ゝつたか因果 連ていて
祝儀の相伴 サアおしやいかふと無理無体いやと逃るを引留る後の障子に慶寿院 細目
に明けて見給へ共 しらけし酒宴奥の間に 義輝公は声高く松永いつくに有 大膳/\と召るゝに
ぞ エゝどんな時のお召じやと ふつくさいふても詮方なく 主と病に刀の鐺さしもの松永長袴も すそふみちらし入にける
小雪は跡に涙くみあたいやらしい此よふに髪まで?ひくさつたと恨み涙を衝立の
後ろに隠れし直信がはしり寄て溜いきつぎエゝ憎ひ髭づら出頭を


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鼻にかけ我儘働く大悪人 討て捨つるやつなれ供 そなたとおれが恋中も 天井が抜ぬ故 出なといや
るに心付じつと無念をこらへて居た サア私も夫が苦に成て申直信様 とふから咄さにやならぬ
事 逢ば嬉しさ床しさに 何をいふ間もなかりしが お前も絵師の家なれば様子は聞てござんせう
わしが祖父(じい)様は雪舟迚 唐土へ迄お渡りなされ 絵に妙を得給ふ迚 明帝より名剣一ふり給はりし
を 倶梨伽羅丸と名を付けて 我父将監雪村迄 秘蔵して持伝へしを 河内の茲眼寺潅
項の瀧の本で 何者やら父を殺し くりから丸を奪行しが 男子なければ家も立ず 姉様は
九条の里へ身を売り母様を育む中 程なく病の床に臥し女ごでこそ有ふず共くりから丸を手が

かりに父の敵を討てくれ 名剣を望むからは敵は武士と思はるゝ 心を付けよと末期の遺言 悲しさの日
も立て此お館へ宮仕へお前の器量になづんだと 馴てぞ知れる御真実 力と成て敵を討ち私もお
前の弟子となし 雪舟の家を興して給はれと 恩と情を二筋の涙は膝に渕なせば直信も
感じ入 ヲゝ女ながら遖々 くど/\挨拶いふに及ばず 其望を聞上は 我も父古法眼が 画師の冥
加侍冥理敵を聞出し助太刀せん 絵空言とな思はれそと 親を誓の画書(えかき)同士 約束禿ぬ
極彩色妹背わりなく見へにける 程なく奥の一間より 慶寿院様お渡りと披露の声に
ヲゝと慎み敬ひ出向ふ 慶寿院は御愛子の慶覚法師を誘ひて しづ/\立出給ふにもつま


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ぐる数珠の涙の玉 けふは五月十九日 先御台の命日 輝若丸は乳母の侍従と三好修理太夫
存保(まさやす)を連 菩提所へ詣しが 片時離ぬ孫の輝若留主と思へば猶淋しい ノウ慶覚 母を
見舞と南都より当春都へ見へて後 けふはいなふあすは奈良へ帰ろとは鹿の鳴く音を友として無
常を感ずる沙門の身を 名残おしさに此母が一日/\溜め置てきのふの様なれど花の盛
散過ぎて卯の花青葉郭公(ほとゝぎす)指折ば 早五月打はやし歌連哥も同催(もよほ)は慰みならず 何
かなと思ふに付け あれに居る二人の者は名有画師の子供なれば軽書を望んで置た 直信は竹
雪姫には松せめては是を母が馳走 サア用意はよいか早ふ/\と宣ふ内 ハツト二人は取々に慶

覚の御傍へ差出す絵絹引寄て打詠/\遖雪舟元信が孫子にて有けるよな見事さよ
/\ 直信が画し竹を慶覚が南都への 家づとに貰ふそと 仰に直信謹んで 未熟成狩野
助 及ばぬ筆に汚せし絵絹 御賞美は有がたしと一礼なせば御母君松の絵絹を取上て二つにさつ
と引裂給ふ コハ何故と雪姫が驚顔には目もかけず ノウ慶覚 孟子の母は織かけし絹を断ち
我子を励ます教へとす 此母も此ごとく折角あの雪姫が 心を尽した松の絵絹 裂た心を
推して見や ホゝウ其元乱れて末納まらず 世の成行を思召 慶覚に還俗して乱るゝ糸を結
べとの御志は厚けれ共一旦仏の道に入 浮世に返る望はなしと 破れし絵絹を引寄て 竹に上 


19
下の節有 松に古今の色なしといへ共 北洲の千年も終には亡ぶ例との 松を裂たるお心は ホゝゝそりや
互にいはぬ事 コリヤ/\雪姫 直信 此裂た二つの絹 そち達に取らするぞ 雪姫は狩野助と
師弟の契もせしと聞師匠の苗氏を受継は弟子の誉軽書の褒美には今よりも狩野
雪姫と呼からは 師弟中能いつ迄も 秘密を受つ直信も不便をかけよとつと/\に二人か訳
を夫レぞとは いはでの森の露に濡れし二人ははつと斗 赤らむ顔は丹青の筆のえにしと成にける
母君も御機嫌よく サア慶覚 是から奥の仏間へいて輝若が下向を待たふ コリヤ雪姫
直信 そち達にはまだ云聞す事が有 こなたへ来よと打連て一間の内に入相の きのふは里

の花紅葉けふ九重の御所桜 盛もまだき輝若君 三好修理太夫存保 乳母の侍従
が付参らせ 御廟参の下向道廊下口に指し窺ひ アレ聞給へ存保様 松永様の取持で御台
成のおめてたと奥御殿の賑はしさ サレバ/\正体もなき君の御身持 父長慶が数度の諌めも御
用ひなく 剰へ松永が催しの能の帰るさ 父か俄の落命は鴆毒てもあたへしるゝ 心には含みな
がら部屋住の事なれば 実否も糺さず暮す中 当春扇の絵合に大膳が我を招き 君
御寵愛の花橘 何とぞ口説き手に入よ さすれば君も心付き三好が不義は身の不義と 里通
ひを止り給はん スリヤ君の為家の為と勧めた詞に打かはる 其傾城を館へ打入れ呑込ぬきやつが


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心底名にはとも有 あの傾城館に置ねは義輝公の御身は安穏ヲゝそふでござんす共 お前
は君のお為大事 私は此若君と祖母君様か猶大事 兼てお聞有通り私が親もいにしへは小知行
も取た人浪人して国を立退き 津の国の住吉近所に こさると聞を心便りまさかの時はと兼て
の心得 ヲゝ其心底なら安堵せりと 互に忠義の長咄し輝若君は精つかし 乳母早ふ祖母様
の傍へいこ ヲゝお待兼サア御出と 存保諸共打連て皆々奥へ入跡は暮を相図に松永
鬼当太浅倉義景 神爾の御箱を小脇に抱へ 蔵の戸前を内からそつと指足抜
足鼻息斗 鑓をそつと浅倉義景たかひに 無言の仕方と仕方笑みを含んで両人は (足を)はかりに逃帰る 廊下を出

る花橘そよ/\風に誘はれて酔(えい)をさましの千鳥足裾もほら/\松永様とした事が
モウいや/\といふ程 面白がつて盛て置て エゝあた意路の悪い アゝいや/\ 何の烏が意路悪で
ハゝゝゝふか酔を醒してこい おれもそこへ行といふて 跡に何していさんすぞ ヲゝすかん 末の松山浪は越
共 殿様とわたしが中は ホゝゝ 機嫌上戸と見へにける 斯と三好の存保は手燭を照し立出て
互に顔を三好様か アゝ音高し橘殿と云つ傍へにしり寄り アゝいつ見ても美しい器量と
いひ位高いも理り将軍の御台様 三好づれが申た事をアゝいや/\ 御酒機嫌でない時にと
つくりとお礼申そふ イヤ申存保様 譬酔ても酒の酔本性は忘れぬ づつといつやらおつしやつた


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事 わしや誠とは思はぬはいな サア恋は心の外でござる 譬御台にならしやつても 殿の心はあすが
知れぬ おれになびいて下さると連れ立て爰を立退き どの様にも成情の道 見付られたらハテそれ切
サア能返事を聞せてと いふにこはけの身も震はれ コレ申わしは大分望の有身 欠落もいや 死る
事は猶いや/\ ヤア斯有心底打明させ 得心ない迚済まそふか 是非いやならば思案が有とせり
合後ろに松永大膳 御台様は何してござる 我君是へ御出と聞に三好が打驚き 手燭吹消すくら
がりへぬつと指出す松永が隠し持たる手燭の光り 不義者見付た動くなと 声あらゝかに義
輝公追取刀に立出給へば花橘はすがり付き ノウ情ないお疑ひ 大事のお前をそでにして何の

さもしい外心と 嘆き詫るをふりはらひ ヤア存保縛首打やつなれ共 親長慶が忠義にめんじ身が
手にかくる覚悟せよと 聞より存保立寄て コレ殿 親が忠義にめんじるとは有がたき御詞 さほど
忠孝善悪を御弁へ有ながら 色に溺れ酒に長じ禁庭の守護天下の政務 万民の煩ひを
思し召れぬ御放埓 ヤアいはれな存保 其役は此大膳 大内守護も政道も某預り行へば 君の
越度にちつ共ならぬ 脇道へすべらず共 不義働き言訳が立ずば さつぱりと腹を切 見てやるが情
ぞと 嘲る詞にたまり兼 ヲゝ父長慶が横死といひ 非道の工に落入て生害する冥途の門
出 汝を供に召連れんと 勢ひ込で立向ふを 一間の内より声高くヤア/\三好早まるな 麁忽な


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せそと慶寿院しづ/\と立出給ひ コレ存保 殊にはやるは血気の勇とて 武士の嗜むる所 扇合を
催して アノ傾城を口どかす事も色をも香をも知る人ぞ知る科人は外に有 ヤア/\其囚人(めしうど)を是へ引け はつと
はつといらへと今更に打しをれたる 雪姫が姿を夫と見るよりも ノウ妹か情ないとふした訳じや悲しやと とへど
諾(いらへ)も涙なる ヲゝ問す共云聞す 雪姫は自か召使ふ嬪 家の掟を背く不義者 ノウ義輝様
こなたの家来にも法を破た者が有ぞや コレ政道を能召れや ハア成程不義の科人は修理太夫
存保 イヤ/\/\存保ではないわいの エゝ然らば外に誰が不義者 ヲゝこなたの秘蔵の御家老 松永
大膳久秀といふ鎌髭男 コハ仰共覚ぬ 此大膳が不義したとは相手は何者 ホゝ覚ないとはいは

れまい 相手は則あの雪姫 所もかはらぬソレそこで畜生は愚か鶏烏といはれても惚れたが因果
と 其跡もまだいはふか サ覚ないとはいはれまい サア/\どうじやと てつへい押へる八寸釘裏返す言葉も
なくしよげに成こそ心地よき母君重ねて右大将頼朝は天下を治め給ひてより 大将の身持家人
迄其日/\の忠功一々に書き残されしを 先祖尊氏公より自か夫義晴殿迄 其東鑑を以て家の
鑑と取伝へ 諸士の善悪忠孝を委しく記し給ひしぞや 十三代目の義輝は放埓堕弱の大
将と 書記して末世迄笑ひを残すか残さずか大膳以後を急度嗜めよ 一旦の誤りを改むれば
そちが不義の科は是迄 誠雪姫か不義の相手 狩野助是へ参れ ハツトいへど直信が刀のが


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れしはぬけ鳥 不義のかきめと白洲なる姫の後にうつくまる コリヤ両人 赦されぬ科なれ共 先御台の
忌日の追善命を助け暇をやる 兼て望の有事も 此館では叶はぬぞよ 最前やつた絹のかた
/\かた絹の織所も詮議して 夫婦一所に本望遂げい ナ合点かと 情もこもる御詞有がた涙
にくれは鳥 立は比翼の縁の綱花橘はなく/\も 同し館に有ながら物云かはす間もなく契も薄
き兄弟の互に顔の見納か随分無事で暮してたも 狩野助殿御見捨なふ頼といへど直信は
鴛鴦の番ひの水ばなれしほれながらに出て行 跡の仕舞を松永大膳 三好が罪をといふを
打消し ノウ義輝殿 新御台と定る身に 不義の悪名世上の聞へ 花橘が言訳立迄対の

屋に押込置き 大膳に急兎度預る 修理太夫も夫迄は自が預ると 理非を分たる後室の仰に随
ひ存保は御供申入にける 跡にとほんと義輝公 花橘に恋の渕沈入たる不興顔 大膳がし
すまし顔 お袋様は昔質気(かたぎ)当世に合ぬ筈 何を思ひのお顔持 アゝお心がちいさい/\ 足利の大将
がしたい事なされいでは天下はくら闇さ 誰憚る事が有る 御台様の寝所は次の対の屋 此松永が預る
幸コレ申 後に必かふ/\と 囁けは打點き イヤモどふでも松永じや 大膳なければ夜が明けぬ 夜明けぬ
内の其趣向 出来た/\と悦びいさみ帳臺深く入給ふ コレなふ申と花橘 涙ながらにかけ行を大膳引
とめ ヲゝ気が済むまい道理/\ エゝとかく憎いは存保め ありや後室と點き合うこなた一人を科に落し


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殺そふとする下工(しただくみ)エゝ ヲゝ肝が潰れふ腹がたつと そこをぬからぬ此鼻が裏の裏行くよい思案と 傍(あたり)見廻し
小声になり コレこなたが手にかけ三好めを殺して仕舞ば 我君の疑ひもさつぱり 遖手柄の御台様々
惚切ている存保め今宵慥に此庭から 對の屋へ忍ぶは治定 其足音を相図にねらひ打殺す
其用意と 袂より出す種が島 此日縄に火を付けて合点かと手に渡しコレぬかるまいぞや ヲゝ成程/\
毒気を吹込身を忍ぶ
花橘はすゝて引上げたづさへ持たる種ヶ島恋の敵の
存保めとひしらさで置くふかと気は早れ共女わさ振る
ふ足元ふみしめて庭のしげみへ窺ひ行
こなたも窺ふしげみのかけ筒をかまへてねらひ居る

草場分け/\たどらるゝ待もふけたる花橘忍ぶ足音存保と 構へし火ふた引がねに どうど響く
大薬うんと斗に息絶たり サアしすましたと声高く 不義者の三好存保花橘が打留たり
出合給へと呼はる声 すはやと御所中騒立 番人宿直(とのい)が伝手(てんで)に松明馳せちがへば 御母君慶覚
法師存保是にと飛でおり 南無三宝義輝公は害せられ給ひしかと 七転八倒じだんだ踏
で呆れる中 花橘は大将の死骸の刀抜持て 咽(のんど)のくさりを一えぐりかつぱとふすを見向もやらず 扨
こそ/\ 大膳が兼ての工此場に居ぬは逃失せたか 者共追かけ討取れと 下知よりまつかせと皆我
先とおふて行 輝若君を伴ひて乳母の侍従がおろ/\涙 母君御声かきくもり エゝ良薬は口に苦し


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と 大臣の諌めを用ひず松永に迷はされ 其身も亡び花橘も非業に命を捨さす事 皆是
先祖へ不孝の罪罰とはいへどむざんやと 遉武将の御母君 人を罪せぬ御悲しみ余所めに見へて
哀れ也 手負は苦しき手を合せ アゝ冥加なや恐ろしや 数ならぬ流れの身がお肌を汚すさへ有に 新
御台と迄お情の恩を仇なる我罪業 大膳殿の計らひに 存保様のお忍びを討たば君への言訳と 教へ
を誠に思ひの外 大事の/\殿様を勿体なや悲しやと 刀抜取飛石に 摺付/\こぼれ散たる刃は
さゝら 輝若君の傍に寄 ノウ申若君様 お前の為には父御の敵 取ちがへても主殺し 竹鋸は此刃引き
国の掟に一挽つゝ見せしめとして給はるが せめては少しの罪亡ぼし 父の敵を妹と一所に討たは念頼も 何

事も皆水の泡 サア/\早ふ存保様 息有る内に此體挽て/\と抜刀あなたこなたを詠めやり くどき
嘆きて引息も深手に苦しむだんまつま あへなく息は絶にけり わつと涙の母君侍従 不便と見
やる庭先へしつ/\入来る侍共 皆一同に手をついて 我々は小田信長が京留主居 松永が兼て
の悪心 かゝる事もあらんかと主人が申置たる故 御迎ひの為参上せりと相述ぶれば 何々信長より迎
とや 頼置たる詞を違へず ヲゝ志の嬉しさよ ノウこれ存保 家の籏は此母が肌にかけて気づかひ
ない 分けて大事は神爾の御箱 コレ/\慶覚油断召れなや サア輝若と乳母諸共迎に打つれ
出給ふ 三好は後を見送て詰り/\の手配りに心を砕く折も折 八方より取かこむ貝鉦の音鯨波


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すはやと見廻す門前より引返したる乳母の侍従輝若君をかき抱きノウ/\申存保様 信長の迎は偽り
松永が徒党の者 御門の外へ出るやいな 此子も既にあぶない所 切抜ける其間に母君様奪取られ
た まだ其上にアレ/\/\ 四方八方籏指物を押立てて松永が味方と呼はりお館を取巻けと 聞より
慶覚三好も動揺 エゝ主君を害し君を擒(とりこ)類なき人非人 ヲゝ此上は神爾の御箱 守護ずる
が大事ぞと宝蔵へかけ入慶覚 跡に三好がコレ/\侍従 若君を連れまして一先爰を アイアイ アイ/\/\親里
の津国へは程も有 桂の里か嵯峨のしるべに身を隠さん お前も一所に イヤ/\/\ 我は爰を防ぎの堅め
アレ/\多勢の鯨波 見付られてはなんぎの難儀 早ふ/\に詮方も なく/\めとめに名残の涙 若君

連てかい/\゛しくも別れ行 同勢随へ松永鬼当太つつと入 ヤア/\存保のうつそりめ 兄大膳の計略で
慶寿院はしてやつた 残念なは小びつちよめ逃したかはりは儕が首さらへ落してくれんずと 勢ひかゝれば合
点と太刀抜かざしわつて入 相手撰ばぬ手利の早業切立/\追て行 取巻く敵の焼打に蟻のはふ
迄見へすく宝蔵 神爾なければ慶覚はあはてふためき出給ふ戸口に窺ふ忍びの曲者 夫レと見る
より引かけ行方しらず出て行 跡へ入くる松永大膳 士卒引具し身には小袖の鎧を着し 二つ引両
の御籏を奪取て押立させ エゝどいつもこいつもうろたへて 義輝が死骸さへ捨置て逃おつた
年来仕込だ謀 将軍職も家国も次手に首も請とろと勿体なくも乗っかゝり髷掴で


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かき切所へ 立帰つたる三好存保 ヤア願ふ所へ松永大膳 親の敵主君の仇 思ひ知れと切てかゝるを けらいか隔てて
戦ふ中 ヤア死業のきたけ二才め義輝が供ひろげと 切て放す鉄砲は三好があばらにたまりえほずうんとのつけ
に反りながら ヘツエかすり手も負ずして此儘死るか口惜や 父長慶も悪逆にて うぬに一味と末代迄 悪人の名を
取らん事 無念/\と身をもがき大膳めがけ立寄を 腮(あご)叩くなとくはつと引寄せ 首かき切てかしこに投捨心地よし面白し
是より直に大和の志貴に立越んが先夫迄は都の内 金閣に籠らんと傍(あたり)を睨で立たるは項羽が阿房を焼
打し威勢も斯や安禄山叛逆共 朝敵共いはば岩間の松永が 弓矢取身の誉ぞと勇む心や栄華の殿 金殿
銀殿とう/\/\ 踏あらしたる足利の館に押勝押熊(?)王 八十の梟(たける)や武烈王 大悪武道の大膳が威勢に草木を靡(なびか)せり