浪花百景之内
章魚松(たこのまつ)は久留米候の御蔵邸の浜にありて則ち中之嶋田簑橋の西なり老鬱(おううつ)たる古松(こしよう)にして実木(みき)に連縄を結ひ鉄を以て枝をためそのかたち八方に繁茂なすゆへ是に依て号(なづけ)しなるべし此辺り都(すべ)て諸侯の…
難波邑御蔵(なんばむらおんくら)は大坂御城米御囲(ごじょうまいおんかこい)所(しよ)にして回(めぐ)り十五六丁あり御船入は新川より続き水門厳重にして此辺(ほと)り樹木老茂りその気色寂莫(じやくまく)として閑静なり此川添に木津難波にかよふ橋…
此社頭は住吉堺紀州大峯高野の街道にて行人絶る間(ひま)なく中(ちう)秋(しう)の頃は此辺萩の葉おほく且虫の名處にして雅俗の遊客こゝにつどふも多かりき
浪花百景之内瑞龍寺俗に鉄眼寺と云 瑞竜禅寺は鐵限和尚の開基たるゆへ俗に鉄眼寺といふ難波邑北の入り口にありて黄檗派(おうばくは)の檀林なり寺中に老樹森々(しん/\)として堂舎客殿いらかを並べその幽静いはんかたなく且近ごろ門前の両側二三丁桜楓(…
本社の北にとなりて旧号を新羅寺と云天台宗にして東叡山に属す本尊薬師如来は高麗仏にて昔より秘して開扉(かいそ)をゆるさずと云その外五大力菩薩をはじめ二層の塔東西三昧堂いづれも毅然としていらかをならへ又庭中の松樹(しやうじゆ)は枝葉四方にさか…
安居天神社(やすいてんじんのやしろ)は荒陵山の地にして四天王寺伽藍の西五十丁にあり南は一心寺に向ひ北は新清水(しんきよみづ)に隣(とな)る?境内一隊の丘山にして西ははるかに蒼海を見わたし須磨明石の?々淡路嶋山の遠望近くはなんば今宮の村里ま…
浪花百景之内 露の天神 曽根崎邑(そねさきむら)露の天神(つゆのてんじん)は菅公(かんこう)筑紫へ左遷なし玉ふのとき此處に船どまりし玉ひて 露とちる泪に 袖はくちにけり みやこの事をおもひ いづれば かくなん詠じ玉ひけるより爰に社を建て露の天神と…
三津八幡宮(みつはちまんぐう)は嶋の内佐野屋(さのや)ばし筋にありて即ち社頭の町を八まん筋と云 此所に鎮座し玉ふこといと古きよし摂津志および諸書に見へたり 境内に一株の老樹ありて詣人たへず賑はしく此辺?べて古手屋道具店多く常に繁昌なすことみ…
妙徳禅寺(みやうとくぜんじ)は上福嶋にありて世に五百羅漢と云寺中に五百羅漢を安置し此仏像何れも古作にして近世堂舎の修復なりて荘厳もつとも美々たり門前の両側は遊所ありて是を羅かん前といふ 此辺浪花(ろうか)北西の端にて田園の景色よし
東本願寺は南久太郎町の西にありて難波御堂と云また東西の本願寺大坂にては南北にあるゆへ俗に南の御堂と云 此寺内本堂の北は一面の築山にして花紅葉を植まぜ山吹さつきの頃はことさらに麗はしく此所の西手に座摩宮へ抜る石門あり 夏日(かじつ)涼風を通し…
神明宮(しんめいぐう)は天満西寺町の南に在(あり)て世俗入日(いりひ)の神明宮といふ 本社は西向にして近世北の方(かた)に築山をきづき末社のかづ/\爰に鎮めて其風景いはんかたなく且鳥居前は新屋敷の青楼(せいろう)つらなりて妓婦(ぎふ)?妙音…
当社境内の勝地絶景なるは往古(むかし)より歌の名どころにして世人のよく知る所なれば今さら腐(ふ)毫(がう)にいふべしもあらじ就中反橋(そりはし)はその工み稀代にして他(た)の社頭にある比(たぐ)ひにあらず大花(とり)表(い)前は和泉紀州路…
合羽嶋は堂嶋の末にして大川蜆川の合流のところなり此辺すべて川巾広く風景絶妙にして 南は嶋の末諸侯の屋舗(やしき)立つらね 北は福嶋の末より野田村の入口にいたる 東を詠脉(のぞ)めばはるかに玉江橋を見わたし其絶景さらにいはんかたなく是また浪花(…
自安寺は道頓堀の南にありて此寺中の妙見宮はその霊験著明(いちじる)く江南の繁花につれて昼夜詣人絶ず就中尻愛を願わんとて俳優(やくしや)および娼妓の輩(ともがら)信仰なすこと朝まだきより夜は更ける迄柾(まさ)下駄の音絶ゆる閑なく線香のけふり…
長町毘沙門堂は難波御蔵前よりひがし二丁にありて境内は長町へ通り抜けなり 此尊像霊験著明(いちじる)して詣人絶ゆるときなく読誦(どくじゆ)仰(かつ)合(がう)の声宝前に喧(かまびす)し且鳥居前は廣田今宮及び住吉街道なれば常に賑わしく此所より多…
住吉の浦高灯籠は本社の真西に在りて夜毎入船の目印となす 此所を長映浦(なかおのうら)といふなり 都て此辺絶景にして東は社当の松林茂くさかへ 西は蒼海漫々として詣人(けいじん)の眼をおどろかし蛤茶屋には団扇の音たゆるときなく弥生の汐干(しほひ)…
浪花百景之内浦江の聖天 浦江邑観喜天尊は五百羅漢の西北在りて浪花天尊の第一たり霊験著明(いちじろく)して病気平癒および祈るに福徳円満を降(くだ)し玉ふがゆへに米穀売り買いの人は殊に信心をこらし昼夜仰合(かつがう:渇仰?)の声絶る間(ひま)な…
天満天神の御旅所なり 則ち戎嶋にあり 社頭曠々として境内に梅花多く 如月のころは遠近にかをちらして御愛樹のい徳をしめし 前は木津川の流れをうけて住吉詣で 尻無川の紅葉見なと都(すべ)て此所を過る家形舟にはかぎの妙音 酒客の酔勢(?すいせい)ゆく…
船場東北の端にありて淀川の下流大川と東堀に分るゝの鼻に築(つき)いだせしゆへ築地と云 又蟹嶋とも云此川添に拍戸(りやうりや)旅舎(はたごや)軒をならべ何れも三がいだてにてざしきの好みざうさくばんたんひれいをかざり風流を尽し且料理向頗るびにし…
なには百景の中雲水邦福寺 邦福禅寺は荒陵山の西茶臼山のみなみにありて一隊の丘山なり 寺中庭前より見渡せば須磨 明石 淡路嶋山をのぞみ漂々たる蒼海はるかにして 北は茶臼山の溜池をひかへて 水鶏の名所たり 此ゆへに文人墨客こゝに来り 詩を賦し歌を詠ず…
この門前は河内大和の通路なれど おほくは南門に来(きた)るを便利となにゆへ常に閑静にして風色物さび松風颯々(さつ/\)として仏地の微妙(みみやう)をしめし 実に殊勝の景地なり 且例月廿一日は浪花大師巡りの順ろなれば くん集(じゆ)なすことおび…
此里は蜆川に添ふて東西七八丁が間 両側裏町 青楼建ちつらねて 壱丁目 二丁目三丁目と分かち 南は大川堂嶋に隣り北は曽根崎北野の佳景を望む 殊に二丁目は妓娼(こども)の品格賤しからず 諸候の御蔵屋敷 貴客(きかく)富客(ふうかく)遊宴して四時(しじ…
土佐堀川 堂嶋川 蜆川の三流合し此所に分流して一は西へ あぢ川に落一は南へ木津川に落つる 此図は木津川の分れ口にて船御番所ぎゝとして ちうや出船入船を改めたまふ此ほとり都(すべ)て景色(けいしよく)絶妙にして雨中雪中はいふも更なり ことに月夜は…
靍満寺(くわくまんじ)は淀川の西岸長柄(ながら)村に有りて 天台宗の一宇なり 寺中に糸桜数株(すちう)ありて しかも老樹たり 満開の頃は雅俗の遊人こゝにつどひて花を賞じ瓢の腹を空しくして田楽に腹をふくらし帰るを忘るゝも又多かり 鐘楼の古鐘は世に…
心斎橋通りは浪花第一の繁華にして昼夜往来の絶る時なく順慶町より南戎ばし迄は殊に賑しく商家ならざるはなし 正月二日は初うりにて未明より軒ことに提灯を出し初荷年玉配りの声衢に満ちて実に大都会のさまなりかし
生玉のひがし桃畑のうちにありて梅林一園の柏戸(りやうりや)なり盛りの頃は数株(すちう)の梅香薫々として四方に散じ雑人(ざうにん)墨客こゝにつどひて風雅に遊び花に諷ふありさま実に春興此に尽すといふべし殊更近年あらたに造作なして美楼宴席風流を…
玉造稲荷の社は金城の南にありて往古は御城の中(うち)に在(いませ)しと云 此地浪花(ろうか)東の端にて社殿のうしろに舞台あり 是より眺望すれば葛城生駒の高嶺巋然(きぜん)として初夏に雪をいたゞき弥生のころは眼下より山際迄菜花ならざる所もなく …
なには国景の内四つばし 東西は長堀川にて南北は西横ほり川の二流十文字の中に渡せる橋四つあり 各々名はあれど只そのはしの数によりて四ツばしの名高し名物煙管屋は西南詰に軒をならべ 家毎(やごと)に客を招かんことを争ふ 此辺新町堀江及び道とん堀にほ…
高麗橋は船場より上町にわたして浪花(ろうか)天橋の第一なり西づめ矢倉屋敷は其かみ御城の旧跡を残し恵美須屋岩木三ツ井の呉ふく店(だな)よりとらやの菓子店にいたるまで皆この通りに名をとゞろかし昼夜の往来(ゆきゝ)たゆるときなく実に繁昌(はんく…
浪花百景之図桜の宮 春景 桜宮の春景は前の小淀川の流れをひかへ 屋形家根舩数をつどへて諷ふあり舞ありて歌妓の妙音川風につたへ実に浪花の一佳景といひつべし当此川向ひ川崎には近年金吹場をしつらひ 煙出しの高きこと天をつらぬき其形粧衆人の目をおどろ…