仮想空間

趣味の変体仮名

四谷雑談 巻之七

読んだ本

『四谷雑談』(大高洋司所蔵)

出典: 国書データベース,https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100301339/1?ln=ja

 

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四谷雑談 第七

 

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四谷雑談巻之七 「痩松園文庫」

  伊東㐂兵衛気田平八切られる事

  付 㐂兵衛死骸寺へ送る事

斯て御詮議極りければ五月廿五日㐂兵衛牢屋にて切られ

けり気田平八も同日主人方にて切られけり㐂兵衛が

養子新右衛門は引篭り居たりけるが養父の事なれば

とて㐂兵衛死骸を貰受て寺へ送りけるそ哀也

寺にて沐浴させ首を継ける時首は㐂兵衛が首

 

 

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なれ共體は誰人のむくろやらん左の腕に南無

阿弥陀仏と太字に入れたる入墨あれば㐂兵衛の體には

あらずされ共今受すべき様もなければ気の付かぬ

ふりして葬りけり昔より首と胴と中違ひと

云伝へし事かゝる事をやいふやらんと皆人笑ひ

あへり其日は牢屋にて切られし者二十人程有ける

ゆへ首は見知りけれ共胴は何れをそれと見わけ難し

取違ひ来りけるこそかなしけれ

 

  伊東㐂兵衛か由緒尋る事

竜昌寺の入相は諸行無常と響け共笹寺の鐘

は寂滅為楽と聞ゆる也されは㐂兵衛は常に云けるは

善と云れても一生悪と云われても一生善悪七

十五日にて其日迎れば思ひ出す人もなし人間五十

年の間なれは随分楽るゝ程は楽みたるがよし

唯何事も諸行無常也と常々云けり実や大僧

正祐天は諸行無常を悟り死後に至て亨保四年

 

 

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の頃祐天寺を建立して篤を四海に顕し㐂兵衛

も又諸行無常を悟りて死罪に行れて悪名を

四方に残様と云所は一つにて悟る所所は黒白の違ひ

有べし此㐂兵衛と云男はいかなる者の筋にやと云

ふに御?官の三男にて幼少の時ゟ出家を望み

増上寺に数年所化を勤て才智も人に越けれ共

勝れて好色坊主にて品川宿に通ひ馴昼夜

彼里に徘徊すと云ふ事一山に隠れなく次第に

 

首尾悪敷なり立居ならさる体なるゆへ是非なく山を

逃け下谷三枚橋の邊に隠れ居けるか何としてか身

のとゝまらん事をと昼夜工夫しけるが急度案し

出し俄に宗旨をかへ日蓮宗に成て日宗と改名し

僧俗男女の嫌ひなく交り随分??を尽すと

いへ共秀でる程の事もなく其上いまた五十にも足らぬ

荒坊主の唯独り庵室に篭り居て若き女を遊んに

怪しみ思ふ人はあれど殊勝に見る人もなく是にて

 

 

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は済ぬ事と重く天窓をわらし工夫しけるか爰に

誓信と云比丘尼有り若き古へは新吉原の遊女

にて位格子に迄経上りけれ共盛過る迄客の縁

執さず漸年四十を越ける故とひ来る人も稀

なり淋しさの余り自然と無常を観し己が罪を悔て

尼に成り芝高輪に住居鉢の子の底あらはなるを

南無阿弥陀仏に紛らかし人を仍らんと思ふ心尽し

なきを一つの思ひ出にして居たりけるを日宗此頃

 

比丘尼を密に招き密々に相談極め抜て宗旨を

かへ妙智と改させ内証にては雨中の徒然夜永の

楽みにして表向は己か継母也と披露して夫より

一入庵室寄麗に住なし容㒵柔和忍辱に持込

衣装を結構にして薫物ふん/\として遊楽のの風を

含ませ口紅爪紅を絶さず近所の若後家を招

すゝめ込けり元来弁舌は水を流すことく也先女人

成仏疑ひなしと云所からすゝめ込次に煩悩即菩提

 

 

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と示し心の中を探り心底少にても隙有後家へは

えもいへぬ事迄すゝめなどし富貴成者に近寄には

先女房よりすゝめ込奥深く高位なる所の己が

事の届かぬ所へは妙智を遣し近めさせける此比丘

尼年十四五ゟ五十迄も川竹の流の水に身を浸し

しやれにしやれたる古狐の腹に毛のなき妙智なれば

人を化す事は得物也仏の道に引掛て弁舌を尽

すになどかはすゝめもらすべき金銀米を願ずして

 

待逢ひ日に増富貴に成りける後には縁を求め屋敷

方の女中迄招かざるに来り剰へ宿下りの女中の

中谷都なとしかく(ゝ?)する事三四年斗也此時迄取り

集めたる金子三百両有りすはや時分よしとおもひ

けれは一寺を建立すると披露し所々は観化を廻し

けるゆへ日宗智妙贔屓の女中取持にて集りたる

金子凡百五十両余有り扨こそ首尾十分也とて

夫より病気と沙汰し引込居て髪の延る事を

 

 

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待けり漸一ヶ年程も過て最早男に成ても能からん

と思ひけれは妙智か留守の隙を伺ひそろ/\仏具共

代なし金子に拵へ荒道具斗り残し置雨風烈しき

時に小者に挟箱を持せ夜に紛て情なくも妙智

を再ひ置去にして三枚橋を立退き百日斗田舎

に隠れ居て弥髪も述けれは即還俗して法衣

忽黒羽二重の小袖にぬき替浅黄の襟巻を菊

縮緬の羽織に替なし色めきたる水晶の数珠を

 

江戸むらさきの下緒に取替立派の長大小十文字に横たへ

池田伝左衛門と名を付江戸へ出て誰憚る所もなく

身上かせきける折節に先年組与力養子を望ける

ゆへ幸ひ也とて土快か養子にになり伊東㐂兵衛と名

乗けるされは㐂兵衛かく迄悪事に器用にてよく

人をそこなひける事を得て仏を商ひ物として

金銀を掠め取たる仏の罰なとかは遁るべきまた

か様なる売僧にだまされたる人金銀を掠取られしも

 

 

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何ぞの報ひならん其身の一底宜しからぬ故同輩を求

人も多きに悪逆無道の土快と縁を結ひ見も聞も

せぬお言わか恨のとばしり掛りて好の道ゟ破れ

終に死罪に成けるこそおそろしけれ

  伊東新右衛門追放に成り永代寺へ退く事

去程に㐂兵衛死罪に成けるに依て養子新右衛門も

其罪遁れ難く追放に極りけれは其事兼て知り

けるにや召仕の若党に云含めて差替の大小衣

 

類迄若党自分と抱て千住通りへ行待居たり

されは新右衛門十三ヶ国の御構にて追放に成りけるゆへ

千住大橋迄人数六七人の中に囲まれ送られけり

既に日暮六つ半時の頃大橋に着ぬ橋のあなた迄

送りて皆々帰りける新右衛門は麻上下を着し無腰

にて橋の隙に唯独り捨られ偏に沖にたゝよふ船の

ことく何国を指て引ともなくぼうぜんと彳み居たる

所へ契約のことく若党来りけれは嬉しさ限りなく

 

 

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何方を指て行べし共覚ね共先つ浅草の方へと

涙と共にたとり行ける所に頻りに雨降来て如何

すべきと思ひければ傍らなる茶屋へ立寄りけれは此

程久敷引籠り居ける故月代も長く髭もそらねば

何方にても人是を見咎て追放人と知りけるにや

気色能からず羽織にて頭を包髭を隠して漸

駒形にたどり付茶屋に腰掛て闇き方を向

支度して出けれ共是ゟ西へや行べき東へ行べきと

 

川端に立て二人相談しけるに深川永代寺の和尚は

母方の叔父なれは是へ行頼べし乍去兼て此事

を知らせもせず夜更て行事如何なれ共是ゟ外

何共すべき様もなし若し首尾悪敷は其時は又思

案も有べしと相談極め爰に行かしこに立寄り雨

宿して漸夜半斗に永代寺に着けれ共門〆り入べき

よふもなけれは門を荒らかにたゝきけれ共流石大寺

なれは内院迄は程遠く其上降来る雨の音に紛て

 

 

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聞へさりけりとやかくして漸内へ通しけれろも夜中の

事なれは若しや盗賊にてや有らん新右衛門は勤の身

なれは夜中に来るべき様はなしとて地中區/

ゆへ中々門を明ず半時斗り雨にたゝかれしか漸して

内へはいりける即おヂョうに逢始終の物語をしかれは和

尚涙を流し夫ゟ七日経暮して㐂兵衛か跡を懇に

弔れけりかく有てこそ伊東苗字新右衛門迄

にて終にけり報ひの程こそおそろしけれ

 

  田宮伊右衛門女房病死付迷云之事

扨も田宮伊右衛門は打続不仕合の上惣領権八も失ひ

けれはあきれ果歎くに置所なくこはいか成報ひにやと

身を恨るゟ外余儀もなし女房は当春ゟ煩居けるに

此不仕合に逢て枕も得上ず次第に気色重りければ

了簡すべき様もなくて大願を發し雑司ヶ谷鬼子

母神へ一日に十二度つゝ三日の内に三十六度参詣して祈共

少も其情なし誠に苦敷時の神頼み也と云伝へしかく

 

 

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髪を祈り薬を求んより常々の斯の気を嗜むには

しかしとて人々笑ひけり伊東㐂兵衛か御仕置に成り

新右衛門は追放に成り其家絶けるを聞て弥力を

落し気色の障りにやならんと随分隠しけれ共如何

して伝へ聞かん大きに驚き力落して夫ゟ気色重り

醫師を数十人替て療治尽すといへ共情もなく

次第に日々に衰へ心体夜々に疲れて既に事切れん

としたりか気付なと用ひて少快体也にし附添たる

 

人を遠避伊右衛門独を枕元へ呼寄云けるは我浮世の

縁迄とて今宵の内死すべしと思ひ侍る誠に此年月

そひ参らせし内の事今更得て申に及ず忝(?)なし

奉(?)れ我死して少も心に残る事もなし乍去お染縁

付の事彼是心を尽しけれ共縁の程熟せず遅りぬる

事気の毒と思ひけるに権八もなくなりけれは又(今)はお染に

聟を取ゟ外の事なし近年打続不仕合成事は誠に

御身の心より出たり其故は我ゟ先の御方お岩殿と

 

 

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やらんを土快殿長右衛門殿寄相談の上おそろしき企を

して此言えを追出し候由承りぬ我身其節左様の義

を少も知りたらは土快殿いか程御申候共此元へは参ら

ね共其事ゆめ/\存ぜず来るこそ口惜けれかく云事

今更命惜くて申はなしお岩様嘸々わらはを恨み

給ん事こそ恥しけれ女は何れも替る事なし我身に

引請ば嘸や口惜からん我死なばお岩様の行衛を

御尋いまた世にましまさば早々御呼返しわらはと思召

 

御念頃候へかし是ゟ外死後の望もなしお岩様我身

か様に願望し事を聞給はゞよもやお染に悪敷(?)あたり

給ふまじ我等は唯ならぬ身なり此儘死なは血の池の

苦しみ遁れはあらしなれ共此事叶ひなば死後の

御弔ひなく共成仏疑ひ有べからず若も此願を御果し

なくは生々世々うかふ事有へからずといふ声も次第に

弱く六月七日未の刻斗に其年四十二にて終に

事切れにけり

 

 

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  田宮伊右衛門前妻の生死を尋る事

   付伊右衛門幽㚑と問答の事

爰に近藤六郎兵衛田宮伊右衛門か養父又左衛門已来

念頃にて殊に女房お岩か鉄漿親也けるに依て伊

右衛門度々の不仕合を気の毒に思ひ或夕暮に趣

来りて四方八方の咄の席に六郎兵衛云けるは我は先

又左衛門已来今以て心安く何事も贔屓に思ふ所に

御身打続不仕合の事なげかわしく人々の評判を

 

聞しも気の毒也御身の不仕合偏にお岩の恨ゟ發ると

思ふ也其心は付ざるやと云ける伊右衛門聞てされは我抔も

其事とくゟ心附たるゆへ誰にも咄はせね共お岩何方

に居るやと其行衛を聞合けれ共先年乱気して

奉公先を出たると斗り知れて今此世にある共死たり

ともすきと知れず其儘捨置尋ざる所に女房其事

気の毒がり遺言して死ける故又々色々に尋れ共今に

於てとかく行衛知れずと云けり六郎兵衛聞て

 

 

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最早二十年斗にもなりぬれは此世に有共知れまし

若又死ぬならば猶知れまし所詮山伏に仰て祈(?)出し

生死のさかいを聞届け末代世にあらば我抔其所へ

尋行て能なだめすかし若又死なば是非なき事

苗字の㚑なれは何床所へ行ても遁れは有らじ能弔

遣し給し御(候?)はゝ恨晴て此後祟る事有まし如何

斗ひ給はんやと云ける伊右衛門云けるは成程其通にて

事済ならはなとは云わし御身に任する也宜敷斗ひ

 

給へと云けりさらは用意せよと申て赤坂ゟ不動院

明王院と云山伏を始め人数八人檀を委く飾り供

物を備へ不動明王を逆様に立十歳になる小女に幣

はくをかつかせ真中に居置錫杖を逆様に振て巳の

刻ゟ亥の刻迄汗水に成り情を出して祈ける既に亥の

下刻過る頃小女へいはくを胸に当目を見出し居すく

みに成りけれは先首尾好とて八人の山伏共休図(?)して

汗を入支度様(?)して手水を遣ひ又一祈りしけれは其時

 

 

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少女云けるは我出る者にあらね共神々の仰に依て是非

なく出たり我に何の用やあるいか成事を尋るやと云

けり山伏云けるは其方は来世に有や又世を去りしや

此世を去りたらば望のことく弔得さすべしと云けり

悲㚑聞てこは愚なる云事哉我は田宮又左衛門が娘

なり此家は父又左衛門か建置たる故我ゟ外に子なき

ゆへ伊右衛門を父か死後に婿養子にして名跡を立たり

然ば我ならでは此家の主は有べからず然るに伊右衛門邪を

 

構へ我を出して栄花を極め己か家の様に思ふこそ

寄(?)怪なれ伊右衛門此家へ来て一ヶ年程の内はさも

なかりしに母も此世を去り給ひ誰構ふ人もなきと

思ひ我を有ルが無シにして剰へ伊東土快か妾に心

を通しけれ共自ら(我)至るに依て其望叶難きに

より我を此家ゟ出さんとしけれ共出る事あらさる故

毒をあたへて殺さんとする事度々也され共自ら

それを悟りて少も油断せざる故其事仕負せず

 

 

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然所に土快か妾懐胎成ゆへ土快それを気の毒に

思ひ何方へ成り共縁付度思ひける折節なれは

幸ひ伊右衛門自らを嫌ふ事を聞付能幸ひ也と

思ひ土快と秋山長右衛門伊右衛門三人相談にて邪を

企て我を此家ゟ出したり自らが身に成る親類も

なけれは誰有て取持人もなくおめ/\と此家を出され

たり見よ三人の者共形は死す共念は死すして生を

かへ/\七代迄恨を重ね家を絶さんで置べきか

 

定て其覚へ度々有べし伊東の家は最早(?)絶したり

伊右衛門は我か物のよふに思ひ居たれ共寵愛の子より

先達て取殺し今残る所伊右衛門と娘のお染斗也

お染は伊右衛門子にて伊右衛門とは血脈違ひたり其上

兼て工みたる悪事をも知らねは恨も又すくなし

乍去永くは有まし油断すべからず伊右衛門事は此

家の主になれば田宮の家も是迄也其身の心ゟ

出たる事なれば自らをゆめ/\恨まし長右衛門もとく

 

 

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絶すべかれ共我に当る事すくなき故恨も又すくなし

され共花が媒と成て我を出したる事なれは是とても

是とても永くは有まし先ツ稚きゟ取殺したり立て

覚へ有べし依ていふに及ばす此七年已前七月十八日伊

右衛門父子六人共此座敷へ出人もなげに酒盛して

我ゟ外に子宝持たる者なきなどゝ廣言云ける事

余り目さま敷見るに穢らはしさに自らまぼろしに来り

驚す所に伊右衛門鉄砲にて拂んとしたりけれとも

 

却て其身に当り娘其音に驚き煩付て死失ぬ

定て覚へ有べし又伊右衛門婚礼の夜も我魂忠類と

成て恨をなさんと来りけれ共今井仁右衛門と云丈夫

にさへられ思ひをとけず其度々の事は云にも及ず

と広言放て云けり伊右衛門是を聞流石恥敷や

思ひけん障子のあなたにて聞居たりしか幽㚑の云

事一つとして違なけれは何と答へんよふもなく成程

云所其かたしろは覚へ有り乍去其方と我は

 

 

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既に夫婦のかたらいしける程に訳あれは語て恨を

云へき共思はず最早年久敷事なれは恨をはれ

此世にあらは其所を明し又此世を去りたらは其様子

を委敷語るべし若望あらは叶さすべしと云けり

幽㚑聞て今更我に恨を持す事なけれと

宣ふこそ愚なれ其身の悪気天へ通し自らが

恨よりは天ゟ許し給わずいかなれば邪をかまへ給ふ

ゆへ也乍去我身一つの望あり此屋鋪弐百七十

 

六坪有り此廻りに塀を立一寺を建立して二六時中

題目の声を聞かは望叶たり思ひかへて恨を散

すべし是ゟ外に望なし又此世に有やなしやと問給へ

とも此世に有とも知れず又なし共知れず有と思へは

ありなしと思へばなし自ら此家の主なれは何国へか

行べき愚に心得給ふ物哉此外に云べき事もなし

早く帰し給へとて其後は何を問掛りても返答も

せず是非なく祈り戻しけれは小女はうつふしに倒れ

 

 

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生体なし先守備よしとて檀を伝り山伏共は帰りけり

  田宮伊右衛門前妻の跡弔ふ事

斯て伊右衛門は前妻の生死を尋けれ共其事分明

ならざる故六郎兵衛を呼て相談しけり六郎兵衛云ける

はお岩此世に有とも何の様子にては来る事有

へからず又幽㚑の望あればとて此拝領屋鋪を

寺に取立る事成まし所詮此世になき者と極て

弔わんにしかしとて菩提寺にて二夜三日の法事

 

執行し亡跡を弔けり其上大般若読誦して

悪気を拂ひ然るべしとて十二月十一日大般若六百

巻を転読したりける既に読誦なかばと思ひける

時俄に家鳴りする事一時斗りにて止みぬ夫のみ

ならず其夜巳の刻頃と覚しき時伊右衛門家

内より白く手鞠のことくなる光物出て西の空

へと飛去りけるよしを所の人々云あへり扨はお岩か

魂此家に止りけれと大般若の功徳に依て飛

 

 

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去りぬらん最早此後祟りなす事有ましとて

たのもしくこそ覚へける

 

四ツ谷雑談巻之七終