仮想空間

趣味の変体仮名

四谷雑談 巻の四(読み下し)

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四谷雑談 巻の四
  田宮伊右衛門婚礼の事  附けたり 先妻の
  執心、蛇になり来る事
ここに同組、今井仁左衛門、水谷庄左衛門、志津目
久米右衛門、三人の若者相談してけるは、今度
伊藤喜兵衛の妾と妹分にして、伊右衛門へ取り組み、
既に今晩、婚礼整え申されども、表向きの婚礼に
無ければ誰も行かざる由なれども、我等三人は
心折れやすい出会いなれば、いざや押しかけ酒宴、とて

 

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申し合わせ、伊右衛門方へ行き、庄右衛門言いけるは「今晩いよいよ
客を得給うと聞き、予て密とは承りそうらえども、我等
三人は他の者とは違い、兄弟同然に思う所に
その沙汰無きこそ遺恨なれ。表向きの嫁入りならば
祝う様も有れども、沙汰無しの婚礼なれば、わざ
と迎えざるが、良き肴有らん給わんが為に来たり。
振る舞い給わんや」と言いければ伊右衛門大きに喜び、「日頃
のよしみを違えず良くこそ訪(おとな)い給うものかな。
座敷には誰も無し、秋山長右衛門夫婦、近藤


六郎兵衛ばかり也」とて急ぎ座敷へ通し、
酒肴を新たに出して次第に酒に長じける。
然る所に伊右衛門大盃を出して「この盃は養父
より伝えし也。五合入りぬる」と伝えけれども、三合程
ならでは入らず。養父の又右衛門は若き時はこの盃
四つ五つは続き呑みせしと也。伊右衛門は膳のみ二つ
ならずいずれも内には誰々とはいえども、仁右衛門
殿には心惜しけれ。さりながら初めての盃なれば慮
外ながら女房に始めさせん」とて、お花め初めて

 

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仁右衛門に差しける。仁右衛門は聞えたる上戸なれば、
弥(いよいよ)しく「御盃、否とは申さじ」とて、続いて三献
干し、お花へ戻し、それより久右衛門へ差し、一つ
漸(ようよう、ようやく)呑んで、お花へ戻す。その盃庄左衛門へ
差しける。庄左衛門は不覚ならず、半ば
呑んで戻しける。段々酒募り半夜ばかりに成り、
一座の者共酔い伏すもあり。その頃流行りける
「碁盤忠信」「下り八嶋節」「近江節」
こそ良けれ、など、謡い舞う折節、行燈の


脇より一尺ばかり有らんと思う赤色の小蛇一つ
出でたり。お花を初め酌に出たる小女驚き騒ぎ
ければ、伊右衛門火箸にて挟み、庭へはね落と
し、暫く過ぎて又今の蛇行燈の上へ
這い上がりたり。伊右衛門見て「今庭へ
捨たりと思いしが、火箸ゆえ遁れたると
見へたり。蛇は酒を呑むものなれば、その匂いに
付いて、酒盛の数に入らんと来るにぞ」とて、又
火箸にて裏の藪へ投げやり、既に

 

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八声(やごえ)の鳥も聞え、寝入りを誘う頃になれば、
「夜も如何う更けしかば、いざ/\帰らん」と言う者
も在り。いやいや今は帰らじ。夜明けまで遊ん
で今宵は珍客の妨げせん」と言う。「さりながら、
又々明日、坂根を結構にして振る舞い給わば、早く
帰らん」と戯れながら皆々立たんとするに、
何やらん、天井より落つる音して、煙草
盆の中を見れば、先に捨てしありとぞ。如何に
と来る所に仁右衛門、むず、と掴んで前栽へ持ち


行き、蛇に向かって言いけるは、「おのれ、卑怯也。
何とて執心を残すや。若し重ねて来たらば頭を
打ち拉ぐべし。生れながら虫類と成りたる事、
おのれが懸かりなる故也。最早くること有るべからず」
と言うて捨てけり。最早夜(よる)明けなんとすれば
「明日御礼申さん」とて、皆々立ちけり。伊右衛門夫婦
送り出て、一礼を述べ、又それより夫婦盃事
終りて、いずれも閨に入りにけり。

 

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  今井仁右衛門物語りの事 附けたり 高野
  ?八が沙汰の事
明くれば七月十九日、昨夜、伊右衛門が婚礼に押して
行きし三人の者ども、打ち寄りて前夜の噂する
中(うち)に、庄左衛門言いけるは、「伊右衛門は果報者かな。
お花は予て聞きつるにまさりて、器量といい才
覚といい、いずれにも粧いすべき所無し。?兵衛
方にて妻奉公しけるも、親方由々しき侍の


果と聞きつれば、末とても頼もしき良き女房儲け
たるあやかり者」と言いけり。仁右衛門つくづくと
聞いていたりしが、からからと打ち笑い、「いずれもあまり
羨ましく思ひ給うな。昨夜、酒宴の場所へ
出たる小蛇を見給わずや、あれは疑いも無き
伊右が先妻の一念なり。我、心付いたれば三度目は裏
の前栽へ持ち行き、恥ずかしめて捨てたり。ここに
一つの話あり。いずれも聞き給え。先年、我
京都に在りし時、一条戻り橋の辺りに浪人

 

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二人在り。一人は三山三左衛門という。今一人は
高野?八といいけり。三山は老人なり。?八は
その頃三十ばかりなり。二人ともに生国は丹波国
なりしが、京極家落居以後、京都に住まいぬ。二人ともに
女房あり。三山は二才の子を持ち、高野は子供も
無かりしが、殊に近所に住みければ昼夜心安く
出入りける程に、三山が女房の方へ高野通う事、二
年余りなり。然れども三山は一人なれば程なく


無常の身となりぬ。女房子供は近所の由縁
の方に居たりけるに、?八、これを良い事に思い、
誰憚る方も無く昼夜通いけるほどに、女房
これを聞きて大きに怒り、罵ること度々なれば、
?八、いとど煩く思い、いかがせんと思いけるが、
この女房の親里、丹後国宮津なれば、「女房不
縁なり」と親の方へ言い残し離別しけり。
女房腹立てけれども夫婦の縁離るる事珍
しからねば、是非無く「在所へ行く」とて出でける。

 

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時に女房、?八に向かい言いけるは、「我、三山が後家が
為に見帰られて故郷へ帰るなり。見よ見よ、汝一人
も安穏には置くまじ。七代まで祟るべし。我が
かく言うを誠か偽りか、近所の衆、良く聞き給え」とて
歯噛みを為し、血の涙を流し言いけり。高野
思いのままに女房を追い出し未だ日柄も立た
ぬに、三山が後家を子供と共に迎え取りけり。
さればこの後家、その家へ参りし夜、座敷の
内へ二度まで小蛇出でたり。「十月中旬なり


けるに、小蛇出る事は不害なり。時分といい、今出
まじき時に出たり」など、皆々言いければ、「これは穴惑い
とて、今時分有る事なり。外は冷えしき故、内へ入りたるならん」
など沙汰して止めぬ。然るにその年懐胎して
翌年十三月目に小さき赤蛇を七つ産めり。
「これは、あやかりもの、とて世間に多き事なり」と言うて
残らず加茂川へ捨てなり。その後は何事も無
かりしが、三年目に養子の八之助が口へ赤き蛇
入る、と夫婦の者夢に見て、その夜より八之助

 

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患い付き、ものに狂い、己れと井戸の中へ飛込み死にけり。
一人の子にてありければ、夫婦の嘆き、言うばかりなり。
それより度々怪しき事ども有り。これは只事な
らず、とて、陰陽師を呼び、祓いなどをさせければ、
占(うら)を考えて曰く「これは先妻の執心が残り、恨みを為す
なり。とかく言うに如(し)くは無し」と言いけるゆえ、高
野は飛脚を立てて、つぶさに言い遣わしければ、親
も驚き「これは良からぬ事なり」とて、娘に斯く如く
言い、「何とて恨みを残すや」と叱りければ、「その当


分は腹も立ちけれども、今は久しき事なれば一ヶ年に一
度も思い出す事無し。況して恨みの心は少し
も無し」と言うて何の気も無ければ、その事を京都へ
言い遣わしかり。されども京都にては折節怪しき
事ども多かりき。とかく此所には住まい難し、と
何卒伊勢へ下りて松坂に知辺(しるべ)有れば、此
所に暫く住みけるに、その年の夏頃より、女房
癪瘡の病に侵され、人前には既に掛けられぬによって、
いかなる体(てい)に成り、人に見られる事こそ恥ずかしけれ、とて

 

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食物を没(も)っし日数三十日と申すに儚くなり
けり(食べなくなって30日目に死んだ)。高野はただ一人残り、如何はせん、と思いしに、
その頃、その村へ盗賊が入りて騒がしかりしに、その夜
近所へ行きしが、向こうよりやにわに「盗賊よ、盗賊よ」と大勢
の声にて追いかけ来たる。暗さは暗し、高野は傍らの原に
佇み居たりし所に、追っ手の者が盗賊人と心得、人違い
にて竹槍を以て脾腹を突きて、死にもやらず、
生きもやらず居たりしが、その相手が誰という事も
知らざれば、人違いなれども、こと難しくなる故に(面倒なので)、


「この浪人も盗人の数なり(刺された者も盗賊の一味)」と沙汰をした。不過(中国語で「でも」?)なれども
死人に口無し。その上、懐に木綿一反ありければ、いよいよ
疑い無き盗人だろうと、その夜死体を晒され、長く恥辱
を顕し、ついにその家は絶えぬ。これを思えば伊右衛門が由無き
企てをして、その家を絶やすべし、いずれも夢々羨ま
しいと思い給うな。さりとは伊右衛門夫婦は不憫なること
なり、と物語りしければ、二人とも舌を震わせ、「沙汰無し、
沙汰無し」と言うて帰りけり。

 

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  田宮伊右衛門の先妻、鬼女となる事
  附けたり 煙草屋茂助が事
ここに煙草屋茂助という者在り。四谷と
番町とその間近ければ、刻み煙草を商う道筋
なれば、この屋鋪へ風与(ふと)来たり。お岩を見付け、「こは如何に。
この辺りに御座候とは承り候らえども、その後はお目にかかり
申さず、いかが致したる事にて左門殿町を御出
になり候や。私は御父又左衛門様よりして御出入り致し


他の様にも存ぜず候。是非も無き事なる」と細々(こまごま)と
言いけり。お岩言いけるは、「伊右衛門という道楽者
に従いぬれば、朝夕の苦労は例えん方無し。そ
れ故わらわが方より縁を切り、奉公人となりたり。悲
しき所帯を持つより、今は遥かにマシなり。伊右衛門殿、
今だに道楽が止み給わずや、この比丘尼を請け出し
匿い給いぬと聞きしが、最早家(うち)へ引き取り給う
らん。さすがの比丘尼も伊右衛門殿の道楽には
困るにて有らめ。」と言わせも果てず、「さては未だ

 

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御存知無きや。伊右衛門様の道楽は皆偽り事
なり。その故は伊右衛門殿、?兵衛殿の妻、お花を
恋い慕うて女房にせんとの悪巧み。お前は家に付いたる
御身なれば、この方より離別と言う事ならず。飽
きられ、御身様方より縁切りするように仕掛けん為。
?兵衛様、長左衛門様、伊右衛門様の三人の相談にて、
伊右衛門殿が道楽の真似をして、ついにはその通り
に成る。お愛しや(可哀想に)、御身様には左様の巧みとも御存知
無きこそ気の毒なれ。最早七月十八日、お花


殿を迎え取り、昨日も参り見せしに、見る程
美しき女中(女性のこと)にて、見る人羨まぬ者は無し」と言いければ、
お岩聞くと等しく「こは如何に。腹立ちや、恨めしや、
我、左様の巧みとは夢にも知らず、斯くなりけるこそ口惜し
けれ。巧むも巧んだれ、喜兵衛、伊右衛門、長右衛門、三人ともに
安穏にては置かじ」と面色変わり、目は逆釣りながら
夜舟の如くなり。茂助も由無き事を話したり
と思えば、身の毛もよだち恐ろしく差し足してこそ
遁れけり。お岩は腹に据えかねて、髪は逆様に

 

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生(お)い上がり、目の光凄まじく。宛ら狂乱の
如くなり。雲を突き抜け声を上げ、「やれ伊右衛門、?兵衛、
長右衛門、来たりし女はじめ一人もそのまま置かぬなり」と立ち
つ居つ、身を悶え大声上げて泣き喚く。傍
輩女は寄り合い、「まずまず部屋へ入り候え」と色々宥め
透かしても、少しも聞き入れず、気色変わり、次第次第に募
り、「この分にては置き難し。捕らえ置き、請け人を呼び寄せ、渡すべし」と
て、伝六という若侍、つっと寄ってお岩が細腰へ取り
付くれば、お岩は大きに猛って「我、絡め取らるべき


覚え無し。己も伊右衛門が勝とうとするや」と掻い
掴み、七、八間投げ打ちける。これを見て恐れて近付
く者無ければ、台所に有りける諸道具ども、手桶、俎
板、手水桶、火鉢、椀箱の類の荒道具、手に当たるを
幸いに、がらりがらりと投げ打てば、怖ろしかりける気
色なり。主人立ち出で、「中間共は無きか、捕らえ」とありければ、挟み箱
持ち、厩の者左右より取り付けるを、女大きに猛っ
て挟み箱持つを掴んで大庭へ投げ付け、二番に然る
厩の者左右より取り付けるを声を掛けて投げ

 

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払えば、のっけに踏み倒され、全て没死し
たりける。只事に非ずと見る所に、次第に
狂い増して、門外指して出でにける。門番も無け
れば咎める者も非ばこそ、虚空無量に駆け
出だす。喧嘩過ぎての棒乳切木(ぼうちきりき)、手んでに棒
乳切木を掻い込んで、大勢追っ掛け出でけれども、何
処(いずく)を尽して求めん方無く、辻々に居る番人に
問えば、「何かは知らずども、五、六の女、髪取り乱したるが
四谷御門の外へ走り出でたる」と言うにぞ。皆々追っ掛け


て見れども、その行方知れず。請け人の又兵衛を
呼び寄せ、「駆け落ち女を早々に尋ね出すべし」と言い渡され、
江戸中残る所無く尋ね求めけれども、行方
更に無かりける。果てには請け人一人の難義に
なり給い、金二両二分、主人方へ済まし、ようよう
事済みぬ。それより請け人色々として尋ねけれども
元禄年中まで三十年の間、終に見ざりけり。

  伊藤喜兵衛、隠居ならびに面向天神花見の事
  付けたり 頬借組(かおかりぐみ)の者ども喧嘩の事

 

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奢る者久しからずとかや。伊藤喜兵衛、奢り目に従い
増長して、諸事依怙贔屓強く、常々
人の非を言うて歴にし、朋輩に対して
過言法外を言う事度々なれば、馬鹿者に構う
べからずとて、人々遠ざかり付き合い無かりければ、
自然と頭の前も首尾悪しくならめ。喜兵衛は
晴れて強気なる男なれども、大勢には叶わず、
「面倒なるかな、我、勤めにこそ諂い思われ隠居せばや」
と病気と偽り、百日ばかり引っ込み、伝左衛門という男を


養子に取り組み、普請金三百両、その上隠居
一生のうち、一ヶ年に五十俵ずつ剛力米を受け取る
筈に約束を極めけり。斯くて一年程も過ぎければ、
隠居の頬を上げ、早、伝左衛門を伊藤喜兵衛と
改めさせ、その身は乱髪になり、「長快」と改名し、
喜兵衛が屋敷の裏の方に家作して住まいけり。
されば長快、隠居の節、家財諸道具を残らず
喜兵衛へ譲る約束なれども、過半の数を隠居家へ
運ばせ、その内にて伊右衛門が娘の方へ夜な夜な残し

 

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ける。これは伊右衛門が娘は長快が子なるゆえ、他人なら
ねば理(ことわり)とこそ聞きし。かくて長快隠居の身と
なりては、いとど来る人も無く、疎くなりけり。
伊右衛門とは訳もあれども、これさえ朋輩どもの前、
遠慮して昼は茂々も行かず、日に増して淋しく
なりければ、徒然の余り思い者を三人まで
召し置き、同じ気の悪性を招き寄せ、昼夜楽しみ暮らし
ける。我、隠居の身なればとて、心の花は未だ残れり。
春の行方を知らぬも油断に似たり。花


の盛りの程は騒がしき心に遠慮たく(遠慮がちで)、歴に少し
盛りの末ならんこそ良けれ、と弥生の二十日余り、
良桜の移ろえる時分を孝(考・教?)え、自性院の
花は葉ばかりになりて、あまり愛無し。大久保
七面の桜こそ良からめ、と、内人数七人、伊右衛門が
家内四人、未明より騒ぎて七面へ行って見れども、
花盛りにて惑うべき木陰が中々無ければ、後ろ
の天満宮の花が少し散り染め頃なり。これこそ面
白けれ、とて、幕を引き回し巳の刻よりの酒盛り、

 

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お花が琴に、お政が三味線、豊都唐草
芋、この頃は古く女浄瑠璃には半太夫節こそ
柔らかにて良けれと、梅枝になる声は良けれと
三味線鳴らす。踊りは三味線上手なれども
声良からず、思う様なる事こそ無けれ、気
の毒なり、と長快も酒期限に浮かれ、扇追っ取り
「鳴るは瀧の水、日は照るとも絶えず、とうたりとうたり、
松の葉の金玉(きんぎょく)に、花吹くに青葉経て、迦陵
頻伽も舌を巻き、菩薩もここに向かうかと、


怪しかりし程に、一山の狂人、皆、長快が幕
の外に挙り寄りて、既に晩景に及べり。
ここに山田常右衛門、玉田浅右衛門、大内藤吉とて
山の手に名を得たるあぶれ者、いつも
花の頃には、ここかしこと徘徊し、幕の内に
推参し、酒肴を荒し、花見女を驚かし、
歴にしける。皆人これを「頬借組(かおかしぐみ)」と名付け、
長快が幕の内を見て、「この春未だ見ぬ花
どもなり。いざや幕の内へ推参して酒を

 

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呑まん」と既に入らんとしたりけるを、藤
吉は押して「武士方の幕と見えたり。殊に向
こうの客僧は左門殿町の長快とて、隠れ
無き難しき奴なれば、方々入らざる者」と
言いけれども、残り二人の者は承引せず、「その難しきが望み
なれば」とて、幕を引き開け内へつっと入りける。「こは如何に」
と座中は立ち騒ぎ立ち騒ぎ、伊右衛門心得て長快と訖(きっ)と目
配せして、三人に向かい言いけるは、「おのおの方の御面体
は見知りたれども、御名は覚え申さず。良き折なれば、


御酒一つを申したれども、御覧の如く女中
大勢の座敷、殊に晩景に及びければ、最早
幕仕舞い申し候。殊に酒も残り少なく候えば、重ねて
御目に掛かり候時分、緩く御酒上げ申さん」とて
茶碗出し、慇懃に述べけり。浅右衛門申す様、
「御存知も有るべき頬借組の者どもなり。如何様御覚えめ
無き事は候らまじ。少々にても御振る舞い候らえ」と
言いければ、伊右衛門が脇より申すは「酒も無し、
その上知人にても無きおのおの衆なれば、女中も

 

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気遣いがりて、今日の暦に成らず。近い内に
男ばかり参り候節に御出有るべし」と言いければ、
藤吉言いけるは「御段の上は重ねて御目に掛り
し時、必ず御振る舞い有るべし」と座敷を立って
見回せど、残る二人は中々合点せず、藤吉
「帰れよ、我等ついに虚しく帰りし例無し。
頬借組の名折れなり」とて、次第に荒々
しくなりけり。長快はもとより堪えぬ男な
れば、遊山の庭なれば最前より手を擦って


この言葉を聞くより物をも言わず飛び掛かり、常右衛門を
幕より外へ投げ出だす。残る二人も理不尽なる
事をし給うや、広々へ出て庭先(?)にての勝負に
せん」と幕より飛び出でけり。長快も伊右衛門も「心
得たり」と、刀追っ取り立たんとす。掛かりし所に、この
三人者は常々暴れ寄り行くによって、所の者
どもは言い合わせ、最前より幕の外に詰め掛け、待ち
居たりし折なれば、「すわや、事こそ出来たり」
と、五十人ばかり群れ来たり。我打ち殺さんと近々め、

 

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流石の三人も大勢に勝つ事ならず、散々に成り
行きけり。それより伊右衛門は心静かに花を打ち眺め
ける。千金に代え難き春の一時、外山のさざめき、
永福寺の入相に花を見返りめ。

  山田常右衛門、切れし事 附けたり
  山田浅右衛門自害の事

かくて頬借組の者どもは面向(おもむき)天神にて喧嘩
を仕様し、既に打ち殺さるべきをようやく逃れ帰


り、三人一所に打ち寄り、「この意趣を返さん」と相談を
極め、この時節を待って居たりしが、藤吉は病
に倒れて終に死にけり。その後、常右衛門は四谷自
性院という寺の門前にて口論し、その事に付き
召し捕られ、色々責を問われ、日頃の悪事顕れて、品川
鈴ヶ森刑場にて獄門に行われけり。然るにこの三人
の者は日頃から伝蛮を生業とし、何れも花の頃は
ここかしこを徘徊して、花見の庭へ推参し、
酒肴を荒し、少しも酔うて見ゆる者あれば、金

 

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銀を借りて返さず、長き刀を差し、暴れ好き(過ぎ?)、
その上人知らず人を害しけるに、悪行顕れ、
終に獄門に行われ、因果の極みを見せける。浅
右衛門も常右衛門と同類の事、次第に露顕し
けるゆえ、その罪を逃れ難くや思いけん、腹掻き
切って死にけり。さればこの浅右衛門は日頃、 据物を斬る
事を好み、常右衛門をも弟子にして、いつも試
し者の節は罷り出で、ただの人を斬りけるによって、
悪行積り、六十歳を越えて我が皺腹を切って


報いの程を顕しけるこそ恐ろしけれ。伊右衛門は花
見に出でし時も、その気色弱く見られば難
しくなるべきに、さも強勢なる長快に
強か当てられ、終にその意趣を返さず、己と
滅しける。誠に天の責なるべし

四谷雑談 巻の四 終わり