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四谷雑談 巻八
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四谷雑談巻の八
田宮伊右衛門、源五右衛門を養子にする事
かくて伊右衛門こと五十才を越しけるゆえ、身の跡、或いは相
続すべき男子も無きゆえ、御条目を背くなれば、養
子の心掛け然るべく也。組頭が内意ありければども、伊右衛門は何れ
とも相談せず、その上女房の死後、近頃は土快とも心良か
らず、既に出入りも絶えなんとしたりける。伊右衛門は土快の
妹婿分なり。殊に娘のお染は土快が子に紛るる
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ところ無し。「ヶ程由緒ある仲なるに、今更志よからぬは如何なる
ゆえ有るにや」と尋ぬるに、土快の時は喜兵衛騙より五十俵ずつ
の合力米を送り、殊更与力の隠居なれば、人々重りて
思いける所に、今既に喜兵衛お仕置きになり、土快を見継ぎ
手も無く、日増しに勝手(勝手向き=暮らし向き)衰え、その上親類共、すきと(すっかり)義
絶して、頼るべき方も無ければ、始終伊右衛門が厄介にや
ならん、と末を思うによってなるべし。これに依って聟養子
をして、伊右衛門の跡目に為さば、土快はいよいよ心安がりて、伊
右衛門が身代の弱みにもなり、お染もまた「実の父なり」という
事を知りたれば、心底いかがならん、と心元無く思うによって、伊
右衛門方より遠々しく仕掛けける。親しき者共は何かと取り持ち、何
れも「婿養子然るべき」と言いけれども、伊右衛門はこれを得心せず、
「とかく娘は他へ縁付き、新たに養子せん」と言いけり。「如何なれば
伊右衛門はかく言うぞ」と聞くに、「婿養子となって普請料
三十両ならでは持参の聟も無し。その上、土快が事もあり、
また新たに養子するには五十両持参の養子組あるゆえ、
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欲に迷いて養子せんとも思い、また、子とてはお染一人なれば、
他へ使わさんも不憫なり。その上、世を去りし女房が草葉の陰にて
恨まんも、もだしがたく、とやせん、かくやあらん、と昼夜寝も
やらず、案じわずらいけるゆえ、いつとなく心気疲れ、食も進まず、
心鬱々と見えて顔色衰えけり。かかりし程に、田宮の
家には障碍ありて、子供残らず取り殺され、今は伊右衛門
と娘一人ばかりなり。最早この者共取り殺さるる時分なるに、
遅き事かな、伊右衛門もこの頃顔色が殊のほか衰えて見
ゆる。大方この年の内には取り殺さるるにてぞあらん。この程も
夜半頃に女の生首が二、三十、火焔を吹きながら伊右衛門が家
より出でたり。昨夜も女の幽霊が二、三人出でたり等、取沙汰
よろしからず。稀に来る人までもが伊右衛門が顔ばかりうち眺めて
早く養子の相談しかるべき、など言うにぞ。伊右衛門は一入
細く、とやせん、かくやと案じける所に、何某の次男、源五右衛門
という若者が、お染が容顔を垣間見て、普請料六十
両を持参して聟にならん、と言いけるによって、伊右衛門
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大きに喜び、早速婿養子の願いを上げ、その事叶いぬれば、
吉日を選び養子引き取り契約しける。さるによって、所々
繕い普請などしたりける。未だ隠居の事は無けれども、
その下心あるゆえ、隠居家の心掛けもしたりけり。頃は五月
二十八日、雨陰(ういん)雷夥しく、東の方の庇が吹き捲くりけるゆえ、
伊右衛門は屋根へ上り、繕いけるが、如何したりけん、踏み外し
落ちけるに、腰を強く打ち、没入したりける折節、誰も
無かりしゆえ、暫く過ぎて、自ずから心付き、漸く座敷へ上り、打ち
身の薬を用いて、その当座は左程痛みも無かりしが、翌日
より次第に痛み強く、立居ならざる体ゆえ勤め難く、引き
籠り居ける。幸い養子の願い叶いぬれば、少しも早く引き取り
しかるべき、とて六月二十一日が吉日とて、源五右衛門を引き取りけり。
お染の事は如何ならん大名高家の御例にも放(はふ)るか、
さもなくば御旗本の宝にも取り組まんと、伊右衛門夫婦、
古快もその心掛けして、この六、七年聞き合いけれども、相応の
所も無き内に不幸重なりければ、思うに次も親の跡式
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相続なり。「良き事にやあらん、悪しき事にやならん」と、皆
人噂しけり。
田宮伊右衛門病気 付けたり 座頭の式部物語の事
さるほどに、伊右衛門は思わずも庇より落ちて腰を強く打ち
痛め、打ち臥し居たりけるが、上手なる医師の療治によって、
次第に快く大きに祝い、「この体にては隠居を急ぐ
べきにも非ず。先ず二、三年も勤めて養子源五右衛門に
跡式構えるべし」と思いける所に、庇より落ちける時、左の耳の
隙きを打ち損じたり。少しの傷なれば、そのまま捨て置きけるに、この
傷、日に増し痛み、膿水おびただしく出て、頭痛強く、難儀に
及びける所に、その匂いにや付いたりけん、鼠が折々来て、傷より
出る膿を舐り、はじめは一、二匹夜な夜な来たりけるが、次第に
数多くなって、後には寝たる打は昼も来て膿を
舐め、傷をも喰いけり。鼠は左程喰えども、さして痛みも
無く、結句快く覚えけるゆえ、喰い破る事を知らざり
けれども、安からぬ事に思いて、鼠罠を以て日数十日
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ばかりが内に、四、五匹程捕らぬ日は無けれども、尽きざるに依って、
夜は看病人十人ばかりが代わる代わる蚊帳の内へ込み入り、前後
左右に取り巻き守りけれども、毎夜の事なれば看病人も
疲れ、眠りを誘うと思えば、何方より来るとも知れず
大鼠と小鼠が打ち混じり、いくらと言う数を知らず来たりける。ここに
色部という座頭、針を打ちけるゆえ、この間昼夜付き添いたる。
この座頭の言いけるは、「先年さる御大名に勤められし女中が髪を梳き
けるが、櫛の歯が頭へ少し障りて血が出でけり。髪の中なれば
少々障る様なれども、毎日の事なれば日数を経るほど痛み
強く、神を結う事ならず、引き籠もり居たりける所に、その匂いにや
付きたりけん、或る夜小鼠一匹来たり、腫れ物を喰いけり。この腫れ物
痒みありけるゆえ、そのまま捨て置きたる程に、次第に鼠喰いけり。
後には昼夜の分かちも無く、鼠は引きも切らず来たりける。
傍輩女中が色々として打ち殺し、猫にも獲らせけれども、
いや増しに多く来たりける。奥向きの事なれば、女中の取り扱い
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にも及び難く、如何はせんと相談する内に、日増しに鼠多く、
頭の十分の一程喰いける。医師も色々療治を尽くせども、
とかく治し難き患いの由なれば、「同じ死ぬならば生国にて
こそ死たき」と願うに依って、在所の近江国佐保山へ登り、
けるが、道中泊まり泊まりにても、江戸の如くく鼠来たり。昼も
乗物の内にて油断すれば鼠来たりける。かかりし程に
江戸を発って十五日と申すに、在所へ着かぬ。その夜より江戸
の如く鼠は幾らという数を知らず、群れ来たり、頭半分
喰いければ、終には鼠の為に喰い殺されぬ。後々聞けば、
この女中は若き時に一度縁にも付かれぬれども、生まれつき
我儘、短慮にて、二人の舅に悪しく当たり、先腹の娘
一人ありけるが。この継子を至極憎み、その上召し使いの差し引き
悪しく、剰さえ夫の介抱もよろしからず、極めて欲深かりしに
依って、夫も疎ましき事に思い、ついには離別して
その後奉公の身と成り、この家に久しく勤めけるゆえ、
そのまま差し置き難く、老女中並になりけり。されば年寄を
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従え、増々欲深くなり、誰に譲り与うるとも
無きに、金銀を貯え、衣類を山の如く重ね置き、召し使い
など憐れむ心は露程も無く、気質直ならざるゆえ、傍
輩の女中にも憎まれけるが、終には人々の恨みを
身に受けるにや、六十余りにて鼠の為に命を取られ
けり。これを思えば伊右衛門殿の痛所(いたみしょ)療治叶うべしとは
思わず」と物語りしける故、いとど心細く覚えける。されば
伊右衛門、度々の不幸せに心弱り、己が誤りを悔み、
近年、寺々を我家の如くにして、寺建立、仏像
建立とだに聞けば、人に先立ちて取り持ち、人目に信心者
と見ゆれども、内心は闇で仏信心の誠を知らず。
手前の仏は不信心にて、直なる道に立入る。さるに依って
報いの罪は逃さず、跡には身中より鼠という患い出でて、
己が身を損なわず、実(げに)や、栗の虫は栗より出で栗を
喰い、桃の虫は桃より出でて桃を喰う、獅子身中の虫
疑う事無し。因果は車の話の廻るが如し。悪鬼外に
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無し、何国(いずく)を地獄とし、何れを極楽と定める也。伊右衛門が病
気は身の患いにあらねば、療治の手立てすべき様無く、
源五右衛門夫婦の者、心の内思いやるこそ悲しけれ。
お岩が幽霊、鼠と成り伊右衛門を食い殺す事
付けたり 幽霊出る事
かくて伊右衛門は腫物の痛み甚だ強いゆえ、医師を引き換え引き換え龍爾
の術を尽くせども、その験無く、次第次第に差し重り、鼠は日増しに
多くなり、なんとも詮方無く、「所詮腫物療治より、先ず
鼠を払う了簡しかるべし」とて、猫を十四、五匹、伊右衛門が寝たる
前後に繋ぎ置きて、鼠を獲らぜるべき支度をしけれ
ども、この家に住み居馴れぬ新参の猫なれば、人が大勢在るを
見て、人に恐れて静かならず、守りにも成らず、鼠は甘草
を嫌うもの也とて、この薬を紙に塗り、腫物の上を覆い
けれども、薬の行き渡らざる所を喰い、その上この薬は痛みの
為には宜しからねば、これも叶い難く、昆布を鼠は好むものなり
とて、大なる昆布を頭巾に(のように)被らせけり。これにてこそ
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鼠来たれども喰う事ならざりけり。しかれども、これにては頭が
甚だ火照ってきて、暑気の時分は耐え難ければ、ひさしく被り
居る事ならず。かくする内に、腫物は段々大きく破れ、
匂い強ければ、看病人は次第に少なく、鼠は多くなりて、
源五右衛門夫婦ともに当惑して、なんとしてか鼠を払わんと
相談とりどりしけり。伊右衛門は日に増し草臥れ、前後も分かず
ありけるが、夫婦の者の相談を聞て、「我、長持へ入って
居らば、鼠が来る事はあるまじ」と言いけるゆえ、即長持の内へ入り、
蓋をして置きけり。これにては鼠が入る気遣い無し、とて暫く
過ぎて蓋を開けて見れば、残暑の時分なれば長持の内は
蒸れて、伊右衛門は大汗を流し、腫物の匂い甚だしく耐え難き
体を成しが、何方より入りたるとも無く、大鼠、小鼠、四、五匹飛び
出でけり。「長持の内に入るべき所も無きに鼠が出るは、定めて
衣類の間に紛れ入りたるものならん」とて、長持の内外を
よく吟味して、また蓋をして置き、一時程過ぎて蓋を開き
たれば、先の如く鼠四、五匹出でたり。とかく蓋を
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する時か、または小袖の間に紛れ入りたるに疑い成し。「殊のほか
息が詰まり苦しき時は、内より案内(合図)すべし。それまでは必ず開ける
べからず」とかえすがえす吟味して、最前の如く又
蓋をさせ、看病人は長持の周りを取り巻き居たり。頃は
七月十一日、残る暑さに耐えかね、何れも端へ出でて涼み、長持
の際には源五右衛門夫婦ただ二人が付き添い居ける。既に黄
昏時に及びける時、年の頃五、六十ばかりの女、色青々としたる
が、日帷子を着し、座敷へ縁より上がり、伊右衛門が入りたる
長持の側につい居て、長持を恨めしそうに眺め居たる。
暫くありて、東の方の窓へ飛び上がり、障子の破れたる所より
外へ居出て失せにけり。「初めはこの女も看病のため近所より
来たりたる者にてこそ有らめ」と思いたる所に、道も無き
窓より外へ出るに依って、一座の者共これに心付き、身柱(ちりけ)
元(もと)ぞっとして、いつしか眠りは打ち覚め、互いに目と目を見
合い、年若き者はそろそろと人の膝の元へ捻じり寄りける。
お染はこの程の夜伽に草臥れ眠りをしていれば、これを
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見ず、源五右衛門は見けれども気の付かぬ振りをして居たり
けるが、長持の内が心許無く、箱の蓋を叩きて「あまり
久しく時も移り申す也。蓋を開き申さんや?」と音信(おとづれ?)けれども
何の沙汰も無かりける。女房言いけるは、「中より案内(あない:合図)無き内は
蓋を開くまじき也。なれども余り心許無し、開け申さん」とて
蓋を開きけれども鼠出でざるゆえ「先ず首尾良し」とて、内を
見れば、伊右衛門は俯になりて正体無し。「すわや、申さぬ事か」
とて急ぎ出して面(おもて)に水を注ぎ、口を緩め、気付け
薬を用いけれども、いつしか事切れんへ(事切れ、宜)固まりければ、その甲斐
無し。源五右衛門夫婦の者共は「付き添いながら未だ後に言葉
をも交わさぬ事こそ悲しけれ」とて涙も流れず、お染
は「親兄弟共残らず先立ち、ただ一人後に残り、何の顔ばせ
有って人に面を向くべき。最早思い誤りたり」等と言って
泣き叫べども、今更なんともすべき了簡も無く、傍輩ども
大勢集まり、終には石一つの主と為しけるこそ疎ましけれ。
田宮源五右衛門、同女房病気の事
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金馬刹那に飛行し、嫦娥(じょうが)暫しも止まらざる。光陰、田宮
源五右衛門は五十日の忌も明けぬれば、養父の家督相続も
無く、御番入りしけり。女房お染は近年打ち続く不幸せに
依って思いがけなく父の跡式に成り、富貴ならず、貧し
からず、心に掛かる曇、不満も無きに過ぎし頃より、何やらん
心係の事多く、夫婦ともに心うきうきともせず(憂き憂きとして)、煩わし
かりけり。それのみならず、秋山長右衛門の女房も同じく気分
優れざるに依って、源五右衛門は長右衛門と医師に相談の上、
療治を考えさせけれども、何れの医師も「気の方の病」とて、
薬を色々加減すれども、さして変わる事も無し。年若き
者共の「如何なれば、かく患うぞ」と、その起こりを尋ぬるに、過ぎにし十月
二十日、亡父伊右衛門が百か日なりしゆえ、傍輩共が大勢来たりて
「南無妙法蓮華経」を夜更けるまで弔いける。夫婦は涙に
曇りて、する業も見えねども、香華を手向け、今夜来たりし
者共を様々に饗しける。源五右衛門が言いけるは、「何れも父
伊右衛門とはお馴染みの甲斐ありて、今夜おのおの御出で、御弔い為し下さり
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亡父存生の内も、度々の不幸せの度毎に、いつもいつも御揃い、
御弔い被りし事、御礼申し尽くし難し。草の陰にても嘸伊右衛門
喜び申さん」と一礼述べければ、皆々相応の挨拶したりける。
源五右衛門が重ねて言いけるは、「伊右衛門こと、近年不幸せの相談
候は、いかなる故にて候やらん。数年のお馴染みの伊右衛門こと
候えば、各方もさぞ気の毒に思し召さん。さりながら、ものごと改まり申す
様なれば、かく事何卒相続御奉公相勤め、何れ義の
御世話にも成りたし」と余儀も無く申しけり。度々同組
和田権右衛門は、生れ付き少し心延びたる男にて、酒だに向かえば
遠慮言う訳も無く口を出す男なるが、今夜は如何
思いけん、話もせず居眠り居たりけるに、源五右衛門が物を言い
掛けしゆえ、人の後ろより首を差し伸ばして言いけるは、「源五右衛門殿の御申す
の如く、この権右衛門などは若い時分の馴染みにて、心安く話し
申したるに、度々の不幸せを聞くも気の毒に存ず也。伊右衛門の
不幸せは偏に前妻の恨みより起きて、子供を始め、夫婦
ともに取り殺され給う事なり、と世間の評判も違い
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無し。源五右衛門殿はご存知かもしらねども、この家は他事や又左衛門
という人が建て置き、御扶持米、切米の主なれども、男子無きゆえ
亡父の死後に伊右衛門殿を婿養子にして、一人娘お岩に
添わせたり。かく有れば、ここは常はお岩の物なれども、生まれつき
至極の悪女ゆえ、伊右衛門は気に入らずして、伊東土快と
伊右衛門と長右衛門の右三人で、密かに相談し、色々手立てを
巡らし、お岩を離別して、お染殿のお袋を迎え給うに
依って、お岩がこの事を伝え聞き、大いに怒って、生まれながらの
鬼となって恨みを為す事、誰知らぬ者も無し。一昨年
八月にお岩を祈り出だして、その様子を尋ねられしに、「三人共に
七代迄祟って家を潰さん」と口走りけるとなり。若者は
血気に任せ、斯様なる事をなんとも思わぬものなり。源五右衛門殿
も物伝わりかもしらねども、何事も年寄りの言うことを誠に
して油断無くお岩の跡を弔い、重ねて祟りを為さ
ぬ様に取り致し候えかし。最前、伊右衛門殿死去の日、この座敷へ
出でたる幽霊もお岩に極まりたり。元苗字(もとみょうじ)の霊なれば、
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折を以て御願い名字をも御替え候て、心安く落ち着いて御勤め
候ように存ずる」と酒機嫌に任せ、大声上げて言いけるゆえ、
座中はひっそりとして、何れも手に汗を握り、この上にも
また如何なる事をか言い出さん、と側より膝を突きて
止めさせける。源吾兵衛は兼ねてこの様子を伝え聞きけれども、さほど
の事とも思わぬ所に、今、源右衛門が物語を聞て、はっと
思いける。流石に色にも出さず、「成程、権右殿のお話
の様子は予々承り候えども、我事伊右衛門とは訳も違い
候えば、さしてお岩の恨みを受け申さんとも存ぜず。さりながら、お染
が継母なれば、他のようにも存じ申さず、何様(なにさま)弔い申すべし」
と言いけるゆえ、その後は権右衛門は音も無く、他の話となって
皆々帰りける。源五右衛門はこの事を聞いて大きに驚き
恐れて、女房に委細尋ねける。それまでは、あからさまにも
言いたりしが、権右衛門が物語にて顕れければ、忍ぶに及ばず、
父伊右衛門が仕方の始終残らず言い聞かせけり。権右衛門は
これを気に掛けて、昼夜案じ煩いけるゆえ、いつと無く夫婦
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共に心気(しんき)を疲らかし、秋山長右衛門が女房も権右衛門が
物語を聞いて胸を冷やし、身の毛がよだって、それより
朝夕この事のみ忘れ難く、怖ろしく思いけるゆえ、後に
覚え何時(いつ)となく、ふらふら患いける。「天、もの言わず、人を以て
言わせよ」と諺に言うとて、隠す事は漏れ安き倣い。これ
も偏にお岩が一念のする所なれば、源五右衛門夫婦とも
逃れは非じ、逃さじ、と、この訳を知りたる人は言い合えり。