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四谷雑談 巻の三
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巻の三
一 田宮伊右衛門邪険の事
附けたり 女房を別離の事
一 伊藤喜兵衛、田宮伊右衛門を妹婿に据える事
附けたり 秋山長右衛門を仲人に頼む事
巻の四
一 田宮伊右衛門婚礼の事
附けたり 前妻執心蛇(じゃ)に成り来たる事
34(重複)
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一 今井仁右衛門の前妻、鬼女と成る事
附けたり 煙草屋茂助が事
一 伊藤喜兵衛、隠居ならびに西面(にしおもて)天神にて花見の事
附けたり 頬借組(ほうかりくみ)の者共喧嘩の事
一 山田常右衛門、切れし事
附けたり 山田浅右衛門、自害の事
巻の五
一 田宮伊右衛門、屋敷へ幽霊出る事
附けたり 伊右衛門娘、おきく死去の事
一 田宮伊右衛門が女房、叫びの事
附けたり 秋山長右衛門が娘、お常、狂い死にの事
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一 田宮伊右衛門が屋敷、不思議の事
附けたり 四男鉄之介、死ぬる事
巻の六
一 今村伊兵衛、秋山長右衛門へ異見の事
附けたり 二宮勘六郎、湊村新左衛門が事
一 田宮伊右衛門が女房、病死の事
附けたり 惣領権八郎病死の事
巻の七
一 伊藤喜兵衛隠居ならびに新左衛門を養子にする事
附けたり 喜兵衛、新吉原へ行く事
一 多田三十郎、新吉原へ行く事
附けたり 遊女八重菊が事
一 伊藤喜兵衛、気田平八を召捕る事
附けたり 喜兵衛死骸を寺へ送る事
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巻の八
一 伊藤喜兵衛が由緒尋ねる事
一 伊藤新左衛門追放に成り、深川永代寺までの事
一 田宮伊右衛門女房死ぬる事
附けたり 遺言の事
一 田宮伊右衛門の先妻生死を尋ねる事
附けたり 伊右衛門、怨霊と問答の事
一 田宮伊右衛門先妻の後弔い(あととむらい)の事
附けたり 光るもの出る事
巻の九
一 田宮伊右衛門 源五右衛門を婿養子にする事
一 田宮伊右衛門病気の事
附けたり 座頭色都(いろみやこ)物語りの事
一 お岩怨念、鼠と成り、伊右衛門を食い殺す事
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附けたり 幽霊出る(いずる)事
一 田宮伊右衛門が由緒尋ねる事
巻の十
一 田宮伊右衛門ならびに女房病死の事
附けたり 和田権右衛門物語りの事
一 秋山長右衛門女房病死の事
一 源五右衛門夫婦病気に依って新宅に移る事
一 田宮伊右衛門乱心、初めて御扶持召し放たさるる事
一 秋山庄兵衛、源五右衛門が後へ召し出さるる事
附けたり 秋山長右衛門、小三郎を養子にする事
一 秋山長右衛門、庄兵衛、病死の事
巻の十一
一 秋山小三郎が家へ化け物出る事
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一 秋山小三郎病死の事
一 伊藤長慶(ちょうけい)最期の事
附けたり 僕角助が事
四谷雑談集目録の終り
四谷雑談 巻の一
江戸繁栄日記ならびに四谷開発の事
家康公御下向以来、日に増し江戸繁栄にして大名
小名一寸の間無く軒を並べ、何れは流石名に負うぶさし
の突きも尾花の末に入り方を失う、我が国の月名所のその一
自ずから欠けて名のみ残る。然れども、寛永の頃まで外曲
輪(そとくるわ)は所々に空き地多く、就中、御城より西の方、麹町の
末に至っては、萩、薄、生い茂り、野鴨、蛍のみ多く
集まりて、人目稀なる塵の中に、人家四つならでは無
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かりしに依って、その名を「四屋(よつや)」と言いける。その後、次第に家多く
なるに従い、自然と四谷と書く。来たる麹町続き十三
町なりしが、四谷御門設いの節(せつ)、三丁は御門の外に残り、
今、四谷の内坂口という所を麹町十三町目というはこれ故にや。
それより西は街の間を四谷と言うは、これ、甲州への道筋なり。大木戸
より東へ三町程行き、右の方、辻右馬(つじうま)(御書院に普請にて七百六十石)という人
死去以後、惣領重郎左衛門、家督?ぬ。されば父右馬は、
勝れての武道人なりけるに、息(そく:息子)重郎左衛門は父に似ず柔和
にて、仁、志、深き人なりしゆえ、時の人、「仏の十郎左衛門」と呼びけり。
然れども、家督の間もなく短命にて死去なり。二才
の男子、譲りを受けるが、祖父の積悪(しゃくあく)孫に報いを受け
けるにや、早世なりけるに依って終にはその家絶え、悪名朽ち
ず残りて今「右馬殿横丁」と言う。これより東の方は広き茅
野なりしを、寛永の頃、御手先(おんてさき)諏訪組(与力六騎)高二百俵ずつ
(同心五十人、三十俵二人扶持)の者共、拝領して住居す。初めは坪五万坪
余りありしが、度々御用に依って今残る所、一万七
千坪なり。諏訪左衛門、初めてここを開くによって、
「左衛門殿横丁」言うなるべし。
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田宮伊右衛門病死の事 附けたり 小股潜り
又市が事
新田左中将義貞の曰く、「それ大将なるべし嗜み
思う事三つ有り。一、天命を知る事。第二、
人を知る事。第三、報いを知る事。これ三つなり。
天命を知らずんば幸い無し。人を知らざれば大
勢使う事なるまじ。又、報いを知らずんば
その家名(かみょう)絶えべしとなり。人としてこの三つを信
ぜずんば有るべからず。ここに左門殿御先手組
与力に伊藤喜兵衛、同組同心田宮伊右衛門、秋山
長右衛門、この三人の者共、人の恨み、報いに依っ
て、その家永く絶えぬる。その根本を思うに、
田宮又左衛門という同心あり。然るに又左衛門、
人柄、実体(じってい)なる男ゆえ、頭・三宅庄左衛門、良く
思うけれども、目悪しく勤め難きに依って、幸いに
「お岩」とて成人の娘あり。この四、五年も
聟を尋ね求めけれども、この娘、勝れて
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生まれ付きよろしからず難有って「娶
らん」と言う者一人も無かりける。自ずから
縁遠き娘とこそは成りにける。然る所に
二十一才の春、疱瘡を患い、至極大切なる
病体にて医術を様々尽しける。父又左衛門も
流石一人の娘ゆえ、諸寺諸山の加持祈祷を
受け、ひたと氏神へ参詣して祈りしゆえにや、
漸う(ようよう)本復(ほんぶく)して辛(から)き命を助かりしが、面体
引きつり張りて、渋紙の如く得成らぬ風情、
髪は年にも似ず白髪混じりにて、根付けの薄き如く
声訛り響きて、狼の友呼声(友訪ぬる声)に等しく、腰は
歪みひずみて松の枯れ木の如くなり。剰さえ片目潰れて
絶えず涙を流し、その見苦しき事例えん物
無く、女の数に入れ難き風情なれども、その身に成りては
悪しきとも思わざるにや。道行く人のけしからぬ女の粧い
を得て立ち止まりけんや、我に心有りての事かと思っ
ては、得成らぬ顔ばやをするぞ、大きなるに間違い
なるべし。されば父又左衛門は、ふと患い付き、その年は
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五十の夏、異状の身となりぬ。然れば跡を相続
すべき男子(なんし)無ければ、兎角婿養子然るべし、と
同じ組の者共寄り合い、色々取り持つと言えども、この娘の気色
を見たる人は言うに及ばず、聞き及びたる人までも、聟に
ならんと言う者無し。得成らぬ相続に何れも
難義、当惑して、所詮今父が無常心の覚えぬ内に
旦那寺の和尚に勧めさせて尼にするか、さもなくば
奉公人にしてこの言えを出して後(のち)、いかなる娘なりとも見
立てて、又左衛門跡式(相続)を遣わせ、母を養い遣わするより他の
了簡無し。さりながら、この事良くお岩に合点させ
ずんば成り難し、とて心安き者二三人言い合わせ、お
岩にその事言い聞かせけるに、相談未だ言い果てざる
に、お岩大きに怒り、「我、女なれども、この言えの惣領なり。
男子なれば女房呼び迎える筈なれども、女なれば男を
迎え、父の跡を遣わせ名跡を立てる筈なるを、なんぞや
実子を外へ出し、他人に父の跡を譲るとの法は有る
まじ。我、縁遠き、と曰えども、父死して未だ一白ヶ月(通夜のあった月?)も
絶たず。傍輩は相身互いなれば、我が縁熟するまでは
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いずれも馴染みだけに御番せられてこそ頼母しきとも
言わめ。昔より縁遠き女は六十、七十才までも孀(やもめ)にて
暮らす。浅しからず偏にこれは我を女と思い侮
って、何れも相談極め給うにぞ。理もあらば、
我お頭様へ罷り出で、この事を訴え、何事も御裁評を
受くべし。もし、この事言い仰せざるに於ては、我、この家
出る事なるまじ。また、留まりもせまじ。それはその時に
深き了簡有りとて、血眼になりて怒りけるゆえ、
色々に宥め賺してみれども、有無の挨拶も無く、
ただ泣き居けるゆえ、何れも言うべき言葉無く皆々帰り、
重ねて打ち寄り相談して、この事日延べなるとも兎角
婿養子をして名跡を立てるより他は無し。さり
ながら、中々尋常の事にては叶うまじ、とて、ここ
に小股潜り(こまたくぐり)の又市とて、下谷の金杉に住んで
妙を得し、大の嘘付きの手練あり。この男を呼び
寄せ、具(つぶさ)に言い聞かせければ、又市委細に呑み込み、「これは
難しき仲人なれば、我にきっと給わんに、相手は
礼物の事、何かさて肝煎り申さん」と言うによって
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何れも喜び、「礼物はその方が望み次第、身の上相応
遣わさん。随分精出したび給え」と頼みければ打ち頷
き、「然らば日数十日ばかりの内には必ず浪人
尋ね出し、婚礼調え申さん」と事も無げに
請け負い、急ぎ宿へ帰りける。
田宮右衛門婿養子になる事
附けたり 婚礼の事
五体不具にして仏に成り難しとは、因果の理を
悦び給うにぞ。人は姿めでたからんにぞ願わしかるべ
し。容顔麗しき女見ては福徳の相と言い、整
わざるを見ては貧賤の相とは目前の卦(うらない)なり。唐
の西施(せいし)といえる女は羅山の麓に住みし眷者が娘なり。
勾践に召出され籠愛に預かる。我浅にては左馬(さまの)
頭(かみ)義朝の妻、常磐といえる女は義朝死去の
以後、平大将清盛に尋ねい出され最愛して三人の
子を助くというのみならず、終には源氏の世と成し
けるは、これ皆、美極まるゆえなりし。さても小股潜りの又市は
婿養子の仲人を頼まれ、江戸中を昼夜に穿鑿
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して漸う伊右衛門という浪人を尋ね出し、この男を
婿養子にすべきと相談究めければ、伊右衛門は「先ず
家を見、女に近付きになるべき」とて参りけれども、お岩
今朝より気分勝れずとて見せざるゆえに、伊右衛門は
これを怪しみ、仲人にお岩が様子を尋ねければ、又市
言いけるは「気遣わしいき事も無し、生まれ付きは十人並みには少し
劣り、右の方の目の内に星あれども、結句目の様
しおらしく、その上物縫う事、書く事は並び無
し。人柄は至極柔和なり」等とこしらえければ、「よし
女房持ちは子孫のため、家内取り納めせんためなり。妻の遊び
者にあらざれば、さして女の顔を吟味すべきにはあら
ず」とて、その後は何事も尋ねず取り組みけり。この伊右衛門、
在所は摂津国にて、年ばえ三十市に成る。平む吹く風に
荒す花車男なり。第一、大工の術を得るの事を申し
立てにして跡目を望み、八月十四日吉日なれば
婿入りを究め、指を折りて一日二日と待って、程な
くその日になれば、取り持ち大勢が来たり。賑々しく、お岩は
父に遅れ難きは惚れていたりけるが、今
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日こそ御礼なれば、悦びの色を顕し、なにかと
心づくしども多かりき。取り持ち大勢集って
騒がしく、かれの、これのと物言う内に、耳に掛かる事多く
なんとやらん胸塞がり、朝の中より小部屋へ
入りて、渋紙の如き顔へ白粉をしたたか塗りて、
衣類へ得成らぬ匂いを焚き込み、婿殿互いと
待つ所に、予て契約なれば伊右衛門夕方に及び
引き移りけるに、近藤六郎兵衛が女房、お岩へ御介
抱して座敷へ出て伊右衛門に見(まみ)えさせけり。黄
昏時なれば、なお明るき方を後ろにして、少し
暗き方を向いて打ち傾きて居たりける。伊
右衛門怪しく覗きて、一目見るより驚愕し、「こはいか
がせん」と思えども、今更にすべき様の無ければ
「よしよし、御扶持頂戴の身に成るこそ及び無
ければ良き事二つ無きもの」と分別極め、気色良け
れば、母の満足、お岩が悦び、器量と言い骨
柄と言い、日の出には有るまじ三国一の聟を取り
済ました。変わらぬ色にしけれ。松と千秋楽
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を謡い納めて、所帯慎まやかに取り染め叶い、又の
年も暮れにけり。
伊藤喜兵衛、庭前の花見の会の事
喜兵衛が妾を伊右衛門思い染める事
善人には良く思われて交りを近くし、悪人には
遠ざかるべし。仮にも不善に不可交という事、
誠なるかな。麻の中の蓬これ自然と直し、
蓬の中の麻は自ずから曲がるなり。ここに三宅
弥治兵衛組与力伊藤喜兵衛は、生れ付き、放埒無非
にして、仁の道とは交合の事も怪しめり。礼法
とは神社の開帳の節、蛮物とのみ格別相違の
了簡から、他人を偽り、一向人を痛める事を好み、
己が気に入りたる同心は頭へ執り成し、少しの
事にも褒美を取らせ、又己に合わぬ者あれば
さもなき事を大きく浚え、思いがけなき扶持
石(こく)放さるる者多かりき。女房迚は無く、昼夜
妾を愛し酒宴に長じ、その身富貴なる
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に任せ家作を好み、田宮伊右衛門大工の術を
得たれば常々呼び寄せ働かせける。伊右衛門を与
力頼む事なれば心ならずも昼夜出入りしける
ゆえ、宛ら召し使いの如くなり。されば喜兵衛、妾
二人あり。お梅とて十八に成り。一人はお花とて
二十市なりける。いずれをそれと別れ難き九重の花
に龍田の紅葉を折り兼ねたる粧い、喜兵衛寵
愛斜めならず。仮初めにもよその人に見せ
ず我一人眺めける。庭の桜は咲くも残らず散るも、初
朝も麗らかなる今日の日はこの春未だ稀なるを
無に暮らさんも、さすが花の思う所とだしがた
し、とて、隔て無き友二、三人招きて酒宴を催
し、二人の者の爪音に惹かれて春の日は何ならず、
漸う庭に入りけり。伊右衛門早朝より来たり。終日の
遊びに千歳を述べる心地、折から弥生十九日の宵
闇なれば、庭の花を過ごし、座敷へ惑い、吉野、
初瀬を我が物(庭)へ移させ、上下隔てぬ酒盛り
なれば、又、この上の花のあらざれば「瓜田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず」と
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いう事、いにしえの教えなり。宜なる哉、伊右衛門初めは
さも無かりしが、この家へ昼夜来たり、心安くなる
に従い心身緩み、及びならぬ色に迷い、いつと
いえども限りなく果てしと思う。武蔵鐙(むさしあぶみ)さすがに
人目包まじく成りければ、袖には落ちず幾度が心迄
来る涙の色、お花もそれと知りながら、辛くも
あらぬ濁り江の、流れに似たる川船の、網手苦し
む身にしあれば、及ばぬ山の初巖に、萌えるのみに
木枯れて、終には煙と上り果てんとも、人の聞く迄
色には出さじものをと打ち過ぎる。今宵は酒盛りに
喜兵衛大きに酔うて正体無し。伊右衛門は勝れての
上戸なれども年若ければ少しも乱れず、お花
言う様は「もはや寄るも更けはべる。お宿までは余程に
隔たりぬれば、道のほども心許なく、今宵はここに御帰り
そうらえ」と言うにぞ。伊右衛門も「良き妾なり。喜兵衛は
潰れ、前後も知らねば、さりとは今宵こそ酔いの
紛れに心を果たさん」と思いけるあ、急に思案を変え
「いやいや、喜兵衛家を常々心安くする事、
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偏に律儀者と言えるゆえなり。然るをはしたなき
事に迷い、本心を失い、もしこの色を悟られて
は喜兵衛に見限らるるほどならば、頭の前如何様
にか悪しきさえ三十俵に二人扶持まで取り放され
なば口惜しかるべし。この事をその上果たしたりとも
我は女房あれば何事も心に任せ難し。斯様なる
所に長居して、いらざるものと分別して、お花に
向かい申しけるは、「今宵ここもとに泊まりたく候えども、宿もとに
去り難き用事候えば、宿早おいとま申さん」とて
立ちける。お花「予て御宿に御用の事とは他の事
には有るまじ。知れたる事なり。それと知りながら是
非に御泊まりとは申し難し。明日分け候へ」と戯れ
ながら手燭を持って縁側まで送りける。伊右衛門も
岩木ならねば「傍らに人は無し。良き幸いなり。心の事を
露程も知らさばや」と思いけれども、差し掛かり胸轟き
いつしか言うべき言の葉も打ち忘れ、縁側に立ち
安らいて申しかえうは、「我等事、この組へ参り未だ間も
無きに、喜兵衛殿の御馴染みも坐しまさぬに
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御心隔て無く御尽く頭に御申すこそ忝く奉り存じ、
その上いつもいつも長々しく遊びにて、御身様など嘸、かし
ましく思し召し候らわん。御席の節よろしく御礼
御申したび候らえかし。このほど御目に掛けし時申さんと
思い候えども、人目多く紛らわしくて打ち過ぎ侍る。我など
事独身ならば」と言いさして帰りける。ここの喜
兵衛は隙間数えの似非もの、この程伊右衛門とお
花が体、なんとやらん用有りげなるを得咎めて居
ければ、今夜試してと思い、宵より空寝入り
して、伊右衛門が様子を考え居るに、お花、伊右衛門を
送り良久(ややひさし・く)帰らず。楽しき事を怪しみ、密かに
起き、抜き足して伊右衛門とお花が縁の上に並び
立って物語りするを、唐紙屏風の脇に立って
立ち聞きしぬ。されども変わりたる話もせざり
けるが、伊右衛門話のうちに「我一人の身ならば」と
言い捨て、あとを言わざるぞ不思議なれば、如何様、伊右衛門
事お花に想い有れども、女房の身なれば何
とも計らい難きと、舌を返さぬばかりなり。「もし
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さにあらば、憎き事なり」と思い居ければ、それより
毎日伊右衛門を呼び寄せ、二人の妾と一座させ、様子を
伺い見るに、もとより伊右衛門事心の中に有る綾
もあれ、白地に言わぬは疑い有りという事、お花
知らず。お花も又、伊右衛門を想い染めぬれども、言い出
さん頼り無ければ埋火の下焦がるるばかりなれば、伊
右衛門それを知らざるに依って、上辺には何も見えず、「さては
この程聞きし事は、我等聞き誤りにてあらん」と、喜兵衛一人
分別して止めける。