読んだ本
『四谷雑談』(大高洋司所蔵)
出典: 国書データベース,https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100301339/1?ln=ja
120
四谷雑談 第七
121
四谷雑談巻之七 「痩松園文庫」
伊東㐂兵衛気田平八切られる事
付 㐂兵衛死骸寺へ送る事
斯て御詮議極りければ五月廿五日㐂兵衛牢屋にて切られ
けり気田平八も同日主人方にて切られけり㐂兵衛が
養子新右衛門は引篭り居たりけるが養父の事なれば
とて㐂兵衛死骸を貰受て寺へ送りけるそ哀也
寺にて沐浴させ首を継ける時首は㐂兵衛が首
122
なれ共體は誰人のむくろやらん左の腕に南無
阿弥陀仏と太字に入れたる入墨あれば㐂兵衛の體には
あらずされ共今受すべき様もなければ気の付かぬ
ふりして葬りけり昔より首と胴と中違ひと
云伝へし事かゝる事をやいふやらんと皆人笑ひ
あへり其日は牢屋にて切られし者二十人程有ける
ゆへ首は見知りけれ共胴は何れをそれと見わけ難し
取違ひ来りけるこそかなしけれ
伊東㐂兵衛か由緒尋る事
竜昌寺の入相は諸行無常と響け共笹寺の鐘
は寂滅為楽と聞ゆる也されは㐂兵衛は常に云けるは
善と云れても一生悪と云われても一生善悪七
十五日にて其日迎れば思ひ出す人もなし人間五十
年の間なれは随分楽るゝ程は楽みたるがよし
唯何事も諸行無常也と常々云けり実や大僧
正祐天は諸行無常を悟り死後に至て亨保四年
123
の頃祐天寺を建立して篤を四海に顕し㐂兵衛
も又諸行無常を悟りて死罪に行れて悪名を
四方に残様と云所は一つにて悟る所所は黒白の違ひ
有べし此㐂兵衛と云男はいかなる者の筋にやと云
ふに御?官の三男にて幼少の時ゟ出家を望み
増上寺に数年所化を勤て才智も人に越けれ共
勝れて好色坊主にて品川宿に通ひ馴昼夜
彼里に徘徊すと云ふ事一山に隠れなく次第に
首尾悪敷なり立居ならさる体なるゆへ是非なく山を
逃け下谷三枚橋の邊に隠れ居けるか何としてか身
のとゝまらん事をと昼夜工夫しけるが急度案し
出し俄に宗旨をかへ日蓮宗に成て日宗と改名し
僧俗男女の嫌ひなく交り随分??を尽すと
いへ共秀でる程の事もなく其上いまた五十にも足らぬ
荒坊主の唯独り庵室に篭り居て若き女を遊んに
怪しみ思ふ人はあれど殊勝に見る人もなく是にて
124
は済ぬ事と重く天窓をわらし工夫しけるか爰に
誓信と云比丘尼有り若き古へは新吉原の遊女
にて位格子に迄経上りけれ共盛過る迄客の縁
執さず漸年四十を越ける故とひ来る人も稀
なり淋しさの余り自然と無常を観し己が罪を悔て
尼に成り芝高輪に住居鉢の子の底あらはなるを
南無阿弥陀仏に紛らかし人を仍らんと思ふ心尽し
なきを一つの思ひ出にして居たりけるを日宗此頃
比丘尼を密に招き密々に相談極め抜て宗旨を
かへ妙智と改させ内証にては雨中の徒然夜永の
楽みにして表向は己か継母也と披露して夫より
一入庵室寄麗に住なし容㒵柔和忍辱に持込
衣装を結構にして薫物ふん/\として遊楽のの風を
含ませ口紅爪紅を絶さず近所の若後家を招
すゝめ込けり元来弁舌は水を流すことく也先女人
成仏疑ひなしと云所からすゝめ込次に煩悩即菩提
125
と示し心の中を探り心底少にても隙有後家へは
えもいへぬ事迄すゝめなどし富貴成者に近寄には
先女房よりすゝめ込奥深く高位なる所の己が
事の届かぬ所へは妙智を遣し近めさせける此比丘
尼年十四五ゟ五十迄も川竹の流の水に身を浸し
しやれにしやれたる古狐の腹に毛のなき妙智なれば
人を化す事は得物也仏の道に引掛て弁舌を尽
すになどかはすゝめもらすべき金銀米を願ずして
待逢ひ日に増富貴に成りける後には縁を求め屋敷
方の女中迄招かざるに来り剰へ宿下りの女中の
中谷都なとしかく(ゝ?)する事三四年斗也此時迄取り
集めたる金子三百両有りすはや時分よしとおもひ
けれは一寺を建立すると披露し所々は観化を廻し
けるゆへ日宗智妙贔屓の女中取持にて集りたる
金子凡百五十両余有り扨こそ首尾十分也とて
夫より病気と沙汰し引込居て髪の延る事を
126
待けり漸一ヶ年程も過て最早男に成ても能からん
と思ひけれは妙智か留守の隙を伺ひそろ/\仏具共
代なし金子に拵へ荒道具斗り残し置雨風烈しき
時に小者に挟箱を持せ夜に紛て情なくも妙智
を再ひ置去にして三枚橋を立退き百日斗田舎
に隠れ居て弥髪も述けれは即還俗して法衣
忽黒羽二重の小袖にぬき替浅黄の襟巻を菊
縮緬の羽織に替なし色めきたる水晶の数珠を
江戸むらさきの下緒に取替立派の長大小十文字に横たへ
池田伝左衛門と名を付江戸へ出て誰憚る所もなく
身上かせきける折節に先年組与力養子を望ける
ゆへ幸ひ也とて土快か養子にになり伊東㐂兵衛と名
乗けるされは㐂兵衛かく迄悪事に器用にてよく
人をそこなひける事を得て仏を商ひ物として
金銀を掠め取たる仏の罰なとかは遁るべきまた
か様なる売僧にだまされたる人金銀を掠取られしも
127
何ぞの報ひならん其身の一底宜しからぬ故同輩を求
人も多きに悪逆無道の土快と縁を結ひ見も聞も
せぬお言わか恨のとばしり掛りて好の道ゟ破れ
終に死罪に成けるこそおそろしけれ
伊東新右衛門追放に成り永代寺へ退く事
去程に㐂兵衛死罪に成けるに依て養子新右衛門も
其罪遁れ難く追放に極りけれは其事兼て知り
けるにや召仕の若党に云含めて差替の大小衣
類迄若党自分と抱て千住通りへ行待居たり
されは新右衛門十三ヶ国の御構にて追放に成りけるゆへ
千住大橋迄人数六七人の中に囲まれ送られけり
既に日暮六つ半時の頃大橋に着ぬ橋のあなた迄
送りて皆々帰りける新右衛門は麻上下を着し無腰
にて橋の隙に唯独り捨られ偏に沖にたゝよふ船の
ことく何国を指て引ともなくぼうぜんと彳み居たる
所へ契約のことく若党来りけれは嬉しさ限りなく
128
何方を指て行べし共覚ね共先つ浅草の方へと
涙と共にたとり行ける所に頻りに雨降来て如何
すべきと思ひければ傍らなる茶屋へ立寄りけれは此
程久敷引籠り居ける故月代も長く髭もそらねば
何方にても人是を見咎て追放人と知りけるにや
気色能からず羽織にて頭を包髭を隠して漸
駒形にたどり付茶屋に腰掛て闇き方を向
支度して出けれ共是ゟ西へや行べき東へ行べきと
川端に立て二人相談しけるに深川永代寺の和尚は
母方の叔父なれは是へ行頼べし乍去兼て此事
を知らせもせず夜更て行事如何なれ共是ゟ外
何共すべき様もなし若し首尾悪敷は其時は又思
案も有べしと相談極め爰に行かしこに立寄り雨
宿して漸夜半斗に永代寺に着けれ共門〆り入べき
よふもなけれは門を荒らかにたゝきけれ共流石大寺
なれは内院迄は程遠く其上降来る雨の音に紛て
129
聞へさりけりとやかくして漸内へ通しけれろも夜中の
事なれは若しや盗賊にてや有らん新右衛門は勤の身
なれは夜中に来るべき様はなしとて地中區/\
ゆへ中々門を明ず半時斗り雨にたゝかれしか漸して
内へはいりける即おヂョうに逢始終の物語をしかれは和
尚涙を流し夫ゟ七日経暮して㐂兵衛か跡を懇に
弔れけりかく有てこそ伊東苗字新右衛門迄
にて終にけり報ひの程こそおそろしけれ
田宮伊右衛門女房病死付迷云之事
扨も田宮伊右衛門は打続不仕合の上惣領権八も失ひ
けれはあきれ果歎くに置所なくこはいか成報ひにやと
身を恨るゟ外余儀もなし女房は当春ゟ煩居けるに
此不仕合に逢て枕も得上ず次第に気色重りければ
了簡すべき様もなくて大願を發し雑司ヶ谷鬼子
母神へ一日に十二度つゝ三日の内に三十六度参詣して祈共
少も其情なし誠に苦敷時の神頼み也と云伝へしかく
130
髪を祈り薬を求んより常々の斯の気を嗜むには
しかしとて人々笑ひけり伊東㐂兵衛か御仕置に成り
新右衛門は追放に成り其家絶けるを聞て弥力を
落し気色の障りにやならんと随分隠しけれ共如何
して伝へ聞かん大きに驚き力落して夫ゟ気色重り
醫師を数十人替て療治尽すといへ共情もなく
次第に日々に衰へ心体夜々に疲れて既に事切れん
としたりか気付なと用ひて少快体也にし附添たる
人を遠避伊右衛門独を枕元へ呼寄云けるは我浮世の
縁迄とて今宵の内死すべしと思ひ侍る誠に此年月
そひ参らせし内の事今更得て申に及ず忝(?)なし
奉(?)れ我死して少も心に残る事もなし乍去お染縁
付の事彼是心を尽しけれ共縁の程熟せず遅りぬる
事気の毒と思ひけるに権八もなくなりけれは又(今)はお染に
聟を取ゟ外の事なし近年打続不仕合成事は誠に
御身の心より出たり其故は我ゟ先の御方お岩殿と
131
やらんを土快殿長右衛門殿寄相談の上おそろしき企を
して此言えを追出し候由承りぬ我身其節左様の義
を少も知りたらは土快殿いか程御申候共此元へは参ら
ね共其事ゆめ/\存ぜず来るこそ口惜けれかく云事
今更命惜くて申はなしお岩様嘸々わらはを恨み
給ん事こそ恥しけれ女は何れも替る事なし我身に
引請ば嘸や口惜からん我死なばお岩様の行衛を
御尋いまた世にましまさば早々御呼返しわらはと思召
御念頃候へかし是ゟ外死後の望もなしお岩様我身
か様に願望し事を聞給はゞよもやお染に悪敷(?)あたり
給ふまじ我等は唯ならぬ身なり此儘死なは血の池の
苦しみ遁れはあらしなれ共此事叶ひなば死後の
御弔ひなく共成仏疑ひ有べからず若も此願を御果し
なくは生々世々うかふ事有へからずといふ声も次第に
弱く六月七日未の刻斗に其年四十二にて終に
事切れにけり
132
田宮伊右衛門前妻の生死を尋る事
付伊右衛門幽㚑と問答の事
爰に近藤六郎兵衛田宮伊右衛門か養父又左衛門已来
念頃にて殊に女房お岩か鉄漿親也けるに依て伊
右衛門度々の不仕合を気の毒に思ひ或夕暮に趣
来りて四方八方の咄の席に六郎兵衛云けるは我は先
又左衛門已来今以て心安く何事も贔屓に思ふ所に
御身打続不仕合の事なげかわしく人々の評判を
聞しも気の毒也御身の不仕合偏にお岩の恨ゟ發ると
思ふ也其心は付ざるやと云ける伊右衛門聞てされは我抔も
其事とくゟ心附たるゆへ誰にも咄はせね共お岩何方
に居るやと其行衛を聞合けれ共先年乱気して
奉公先を出たると斗り知れて今此世にある共死たり
ともすきと知れず其儘捨置尋ざる所に女房其事
気の毒がり遺言して死ける故又々色々に尋れ共今に
於てとかく行衛知れずと云けり六郎兵衛聞て
133
最早二十年斗にもなりぬれは此世に有共知れまし
若又死ぬならば猶知れまし所詮山伏に仰て祈(?)出し
生死のさかいを聞届け末代世にあらば我抔其所へ
尋行て能なだめすかし若又死なば是非なき事
苗字の㚑なれは何床所へ行ても遁れは有らじ能弔
遣し給し御(候?)はゝ恨晴て此後祟る事有まし如何
斗ひ給はんやと云ける伊右衛門云けるは成程其通にて
事済ならはなとは云わし御身に任する也宜敷斗ひ
給へと云けりさらは用意せよと申て赤坂ゟ不動院
明王院と云山伏を始め人数八人檀を委く飾り供
物を備へ不動明王を逆様に立十歳になる小女に幣
はくをかつかせ真中に居置錫杖を逆様に振て巳の
刻ゟ亥の刻迄汗水に成り情を出して祈ける既に亥の
下刻過る頃小女へいはくを胸に当目を見出し居すく
みに成りけれは先首尾好とて八人の山伏共休図(?)して
汗を入支度様(?)して手水を遣ひ又一祈りしけれは其時
134
少女云けるは我出る者にあらね共神々の仰に依て是非
なく出たり我に何の用やあるいか成事を尋るやと云
けり山伏云けるは其方は来世に有や又世を去りしや
此世を去りたらば望のことく弔得さすべしと云けり
悲㚑聞てこは愚なる云事哉我は田宮又左衛門が娘
なり此家は父又左衛門か建置たる故我ゟ外に子なき
ゆへ伊右衛門を父か死後に婿養子にして名跡を立たり
然ば我ならでは此家の主は有べからず然るに伊右衛門邪を
構へ我を出して栄花を極め己か家の様に思ふこそ
寄(?)怪なれ伊右衛門此家へ来て一ヶ年程の内はさも
なかりしに母も此世を去り給ひ誰構ふ人もなきと
思ひ我を有ルが無シにして剰へ伊東土快か妾に心
を通しけれ共自ら(我)至るに依て其望叶難きに
より我を此家ゟ出さんとしけれ共出る事あらさる故
毒をあたへて殺さんとする事度々也され共自ら
それを悟りて少も油断せざる故其事仕負せず
135
然所に土快か妾懐胎成ゆへ土快それを気の毒に
思ひ何方へ成り共縁付度思ひける折節なれは
幸ひ伊右衛門自らを嫌ふ事を聞付能幸ひ也と
思ひ土快と秋山長右衛門伊右衛門三人相談にて邪を
企て我を此家ゟ出したり自らが身に成る親類も
なけれは誰有て取持人もなくおめ/\と此家を出され
たり見よ三人の者共形は死す共念は死すして生を
かへ/\七代迄恨を重ね家を絶さんで置べきか
定て其覚へ度々有べし伊東の家は最早(?)絶したり
伊右衛門は我か物のよふに思ひ居たれ共寵愛の子より
先達て取殺し今残る所伊右衛門と娘のお染斗也
お染は伊右衛門子にて伊右衛門とは血脈違ひたり其上
兼て工みたる悪事をも知らねは恨も又すくなし
乍去永くは有まし油断すべからず伊右衛門事は此
家の主になれば田宮の家も是迄也其身の心ゟ
出たる事なれば自らをゆめ/\恨まし長右衛門もとく
136
絶すべかれ共我に当る事すくなき故恨も又すくなし
され共花が媒と成て我を出したる事なれは是とても
是とても永くは有まし先ツ稚きゟ取殺したり立て
覚へ有べし依ていふに及ばす此七年已前七月十八日伊
右衛門父子六人共此座敷へ出人もなげに酒盛して
我ゟ外に子宝持たる者なきなどゝ廣言云ける事
余り目さま敷見るに穢らはしさに自らまぼろしに来り
驚す所に伊右衛門鉄砲にて拂んとしたりけれとも
却て其身に当り娘其音に驚き煩付て死失ぬ
定て覚へ有べし又伊右衛門婚礼の夜も我魂忠類と
成て恨をなさんと来りけれ共今井仁右衛門と云丈夫
にさへられ思ひをとけず其度々の事は云にも及ず
と広言放て云けり伊右衛門是を聞流石恥敷や
思ひけん障子のあなたにて聞居たりしか幽㚑の云
事一つとして違なけれは何と答へんよふもなく成程
云所其かたしろは覚へ有り乍去其方と我は
137
既に夫婦のかたらいしける程に訳あれは語て恨を
云へき共思はず最早年久敷事なれは恨をはれ
此世にあらは其所を明し又此世を去りたらは其様子
を委敷語るべし若望あらは叶さすべしと云けり
幽㚑聞て今更我に恨を持す事なけれと
宣ふこそ愚なれ其身の悪気天へ通し自らが
恨よりは天ゟ許し給わずいかなれば邪をかまへ給ふ
ゆへ也乍去我身一つの望あり此屋鋪弐百七十
六坪有り此廻りに塀を立一寺を建立して二六時中
題目の声を聞かは望叶たり思ひかへて恨を散
すべし是ゟ外に望なし又此世に有やなしやと問給へ
とも此世に有とも知れず又なし共知れず有と思へは
ありなしと思へばなし自ら此家の主なれは何国へか
行べき愚に心得給ふ物哉此外に云べき事もなし
早く帰し給へとて其後は何を問掛りても返答も
せず是非なく祈り戻しけれは小女はうつふしに倒れ
138
生体なし先守備よしとて檀を伝り山伏共は帰りけり
田宮伊右衛門前妻の跡弔ふ事
斯て伊右衛門は前妻の生死を尋けれ共其事分明
ならざる故六郎兵衛を呼て相談しけり六郎兵衛云ける
はお岩此世に有とも何の様子にては来る事有
へからず又幽㚑の望あればとて此拝領屋鋪を
寺に取立る事成まし所詮此世になき者と極て
弔わんにしかしとて菩提寺にて二夜三日の法事
執行し亡跡を弔けり其上大般若読誦して
悪気を拂ひ然るべしとて十二月十一日大般若六百
巻を転読したりける既に読誦なかばと思ひける
時俄に家鳴りする事一時斗りにて止みぬ夫のみ
ならず其夜巳の刻頃と覚しき時伊右衛門家
内より白く手鞠のことくなる光物出て西の空
へと飛去りけるよしを所の人々云あへり扨はお岩か
魂此家に止りけれと大般若の功徳に依て飛
139
去りぬらん最早此後祟りなす事有ましとて
たのもしくこそ覚へける
四ツ谷雑談巻之七終