仮想空間

趣味の変体仮名

にきはひ草 下

 

読んだ本 https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/he10/he10_06834/index.html

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1

にきはひ草 下

 

 

2(左頁)

一 大虚庵光悦といへる者能書たりし事は

普(あまねく)世にしるしといへ共生れ得たる心の趣かつ

覚たらんもうせてなく侍聞かんも又/\

なし又世に有へき人間とは覚侍らす今の

世の有さまを見るに聖人賢人の道を学(まなふ)

とするも世をわたるためをもとゝするに似

たり光悦はよをわたるすへ一生さらにしらす

若かりし時より物の数を合するものゝた

くひおもしかるしとしるものゝたくひ一生

我家(わかいへ)の内になし金銀手にのせたる事昔

加州の大納言直に判金を給(たまはり)けれは手にとり

ていたゝきたると覚たり其外一度も手に

 

 

3

持たる事なし我身をかろくもてなして

一類眷属(けんそく)のおこりをしりそけん事を思ひ

住宅麁相にちいさきを好みて一所に年

経て住(すめ)る事もなく茶湯にふかくすきた

りけれは二畳三畳敷いつれの宅にもかこ

ひてみつから茶をたて生涯のなくなみ

とす人ののそみ好む道具なともしはらく

は持たる事有けれともおとすなうしな

はぬやうになといふ事いとむつかしとてみな

それ/\にとらせて後人のほしゝと思ふへき物な

かりしされと新しくいてくる物にてもなりふり

すくれ見事なるを見しりけるは利休在世に

 

ちかゝりけれはにやなりを好み作りてやかせたる

茶碗抔(とう)今代(いまよ)にかつ残りたるも一ふりある物と

そいふめる都のいぬいにあたりてたかゝみねと云

山あり其ふもとを光悦に給りてけり我住所と

して一宇を立茶立所なとしつらひ都にはまた

しらさる初雪の朝たは心おもしろけれは寒さを忘

れみつから水くみかましかけ程なくに也音づるゝ

もいとゝさひしくjみやこの方打なかめ問くる人

もかなと松の梢の雪は朝(あした)の風にふきはらひて

木の下かけにしはしのこるをおしむひかしは賀

茂の山松か崎なとはいとちかく松と竹とのけち

めみゆるほとにてひえの山はこなたの山より上に

 

 

4

ふもとまてみえていとゝ高く一条寺の里白川ま

てもふもとゝ見ゆ雪の頃ならねと有明の月は

いたゝきの山のはにのこりて明かた近きほとに

をちかたは霧ふかくふもとの山はみなかくれてひえ

の山は水海(みつうみ)のあなたにやと打なかめらるゝよこ

雲たな引いてたか別路(わかれぢ)のなかめならんと老の

心をなくさむ京のかたはたつみにあたりていとめ

てたく朝夕のけふりにきはゝし都のそら打こし

てをとは山いなり山ふかくさ山ふしみの里の空は

るはると遠かたに高山ありかすか山みかさ

山にやとをしはかりなかめやる山々四方(よも)にかきり

なくそ見えわたるかゝるすまひの軒ばの松に

 

なれてとしひさしかりし世の中のわさとては一こと

しらす心にもなし我はさこそすべけれとこしら

へたるには更になくて生れ得たる心のいさきよ

きにてそ有けるその世には同氏類は人なみ/\

に茶湯に心をよせさるはなかりけるかいとあさ

ましく心ふつゝかにすたりて茶たて所昔あり

けるもこほちとりて跡もなしさきに書付ける

持徳斎(ちとくさい)は八十二歳の春まていけるに前の年の

秋より煩(わつらひ)ける内にも座敷を改めなとしを

きたり又光悦孫に法眼空中(くうちう)斎とてあり

茶湯にふかくすきて年久かりし我家の所作

は類にすくれて世にもてはやすと見えし

 

 

5

茶の事の道には物ことに目あり心あるさま成けれ

ともさありとも人みしらさりけるにや有けん

近きほとには此ふたりならてはなし又あるへきとも

見えす今のこれるひとりも八十にあまれり我も

七十にあまりぬもと此氏の内に縁ふかきゆへに此

類本となく茶の事なとの道跡かたもなく成行

なんこといと口おしくそ覚侍る我いとけなき時

より光悦そは近くなれて老人の物語きくことお

もしろく覚けれはいくそたひまかりてけり少物覚

けるほとに成ぬれはちやのみちの友にも成て私宅

にもあまたたひたつね来られし老人のくせに

ておなし物語も度々きゝける中に悦わかき時

 

きうじんといひし人ありし世の中の人の心のけた

かく風流なる事はなし出るすなにはいくたひ/\いひ

出かたりきかせけれとも其ほとはまたこゝろもい

はけなき程の時成けれは同し物語度々也なと

はかり打思ひてきゝとゝむへき心はさらいなかりし

程にきうじんといふ文字も覚侍らさりけれ友

宗祇の子孫なりし事はたしかにしるきことゝも

覚て侍る也其頃八十にも及ぶ程の老人と聞え

しいと心けたかくやさしき人にて世のならはし人の

心さしをにくみて人に出ましはる事もなく住(すま)

居(い)けるとなんある時光悦にかたられけるは宗祇東(とう)

の常縁より古今伝授の時其日/\書写(かきうつし)聞書(きゝがき)し

 

 

6

て置ける物数々箱の内におさめ置(をき)て封し置たる

物あり是和国の第一秘伝の物也我此年に及迄

あまたの人の上を見聞て伝へまいらすへき人もかな

と思ひめくらせともこれへこそと思ひよする方

もなくて過ぬわぬしの心さしを年月経て見るに

歌の道を学はんとはせされとも其心ふかく通じ

てゆるしあたふとも神慮を背くにはあらしと

思ふ器也伝授を得たきとはおもはさるかといはれ

しになみたせきあへすかたしけなくてかしらを

さけて物たにいひかねたるさまなりけれは又いへるは

其器にあらさるものこれを拝見して忽に癩(らい)

人と成或は頓死する事必定せりよく/\わき

 

まへられよと其例ともを引出てかたられけり先

以て身に過心に及ぶかきり口に出していはんはかり

なく忝有かたく覚侍事にて候され友忽に二つ

神罰蒙り候はん事よく思ひわきまへて御返事

は申へきにこそとて罷立て帰り来てつく/\思ひ

めくらして其夜を明しかねて早朝にまいりぬいかに

してかくつとめては来られけるそと有ける程にさて

もきのふはいと口おしき御返事を申すてまかり帰り

ける事夜一よ明しかねてとく参りて侍る也此国に

生るゝ者数しらす侍る中に和国の第一たる秘伝

を受しかたしけなさの価(あたい)にいかなる罰をも蒙り

たらん何おくるしき事か侍るへきと申けれはほゝ

 

 

7

えみていとよし/\かゝる心さしをもきかはやと思ひ

てこそは申つれとてさらは其箱開き拝見すへき

時位かくのことく/\せよとて其作法をしへしらせら

れて身を清め精進をなして書写せしむ宗祇

の自筆に書をかれしに一字をたかへす紙数紙の体

迄も同しことくして写しとゝめて又箱の内封

しおさめて八十歳まて人にみすることもなくて

有し其時からす丸光廣(みつひろ)卿は光悦に物書を

ならひ物し給ける故に常に思ひ一ふかく行来

のこともしけかりけれは悦光廣卿にまいりて

きうじん事物語申て宗祇自筆これあり大老

人なれはいつかたへかまいらすへきと明くれの思ひと

 

なれる折節也深く御望のよしを申聞せたらは

進し申さるゝにて有らんと申けれは先光悦を拝

し給て夢現とも覚侍す扨も有かたき忝事

を承事かな我身に応ずるかきりはいかはかりの物

成共参らせられて其箱はやく我に得させて

たへとて光悦袖に取付給て外に物申事聞

入もし給すしきりに頼給さほとに思召入今そ

とてやかてきうしんに語けれは何のこともな

く悦(よろこひ)て参らせられてけり此箱の内

叡覧に入られしと也宗祇より西三條殿へ伝り

て西三條殿より 天子も御伝授也と承し

常縁よりは宗祇伝授有て玄旨な候へも伝り

 

 

8

し其はしめの自筆は烏丸殿に有て但其

時自筆をは 天子へ上られけることにもや是を

しらす我若かりし時光廣卿へ参りける事年

を経ぬ江府に月日を重ねておはします/\頃

もまいりて度々当座なともよみならはし給

しある時御物語の次なに光悦所に大事の書物入

たる箱あるへし今いかなるものゝ家にかあるもし/\

むさとひらきいつる事もやと思ひ出ては幾度心を

くるしむる事也との給ひけるその箱のこてゃうけ

たまはり及たる事に候へ共光悦よく/\子孫に

申ふくめ置けるにや虫干なともいかゝ仕ける共

承はらすしめかさりして納め置けるとはかり聞

 

伝へ候と申けれはそれは何者にやと御尋sり我

ために伯母にて候者か方にこれあるにて候らん

と申けれはそれこそ幸なれさらはいかにもして

其箱わぬしもらむてこゝに持来れ我封しをく

へし今そこらなとの年にて見る物にはかへす/\

なき事也年の程時分はからひて其封を切て

参らすへし其時か古今伝授にて有也と仰き

かされける先有かたく忝き仰にて候へ共はるく

借(かし)をくへしとも覚侍らすしかれ共仰を承候へは

猶心をかけのそみをなし時を得る事もやと申て

時過ぬ其後程なく光廣卿かくれさせ給伯母も

とくうせて後おろそかにはせさりしとなれ共

 

 

9

聞をよはれて一かた二かたもみそかに拝むの事

有しなといつはりにやはるかに後聞伝へけるか皆

忽のけがなと有しさたなしの事よとてやみぬ

神をあかめ奉り置けるやうにて土蔵の内にのみ

有ける光廣卿封じ給はらんとの時より年を

かぞふるに三十念余にして我年六十念にあま

りたり飛鳥井雅章(あすかいまさあきら)卿へ申けるは内々にきこし

めされけることく光廣卿我年のほとをも御はか

らひ封を切て給はらんとの仰ことなりし今六

十年にあまりて年の程待時にあらす覚候拝

見遂(とけ)度(たく)候と申けれは申かことく六十にあまりて

年の程を待へきにはあらす拝見致度と申は

 

至極ことはり也しかれ共我ゆるしを得て拝見し

けるとは世上のさたしはらくあるへからす大事に

おほしめさるゝ事なれは太上法皇へうかゝひ奉

らすしてはと仰ける程にさらは先拝見の仕様

を伝授あそはされ給り候へとて其品々承りて

彼箱有ける方へなけき申けれはかしつかはすに

及はす其方ならてはつかはすへきかたなし則我に

くるゝなりとて箱とり出て渡してけり鏡に拝し

頂戴して家に帰りをしへ給しにたかへす内外

清浄精進にて常ならぬ庵にこもりて遂(とげ)拝

見侍けるそ忝貫その後いつかたにとゝまりていつ

かたよりいつかたへ/\と近き代迄次第/\具に

 

 

10

書付られたるも同此箱の内に有ける抑(そも/\)此国

に生をうけるものあをひとくさの末々にいた

る迄物いふこと皆和歌にあらすといふ事なし

花になく鶯水にすむかはつの声をきけは

としるせる也しかはあれと三十一文字に結て和

歌を詠せんともとむるは万(まん)の内の一にもたら

さるへしたま/\これを求めんと心さしあり

とはすれと足かろけに道引すへき師おほ

からす者の歌仙は更にもいはす中頃よえいも

此かたの世にほまれある人/\のよめる歌の心たに

も得かたき事おほかるへしましてよみ得ん事

心の及ばぬ事のみなるへしされはとて此国に最(さい)

 

い第一と伝(つたへ)をくへき道なれはたえさらしめん

とにやおほくの中を撰(えらひ)出給て三人(みたり)四人(よたり)御伝授

の事一とし有し也そも又今は大かたうせ給て

侍り今はそこ/\と聞えさせ給御方たに老ほ

れぬれはしらす耳なれれはきかすそ侍る此道に

心入給御かた/\これを得まほしく深く望みお

ほし入かたもなきにはあらさるへけれ共大かたは

得給ふ事かたくむなしくやみ給ぬるを我其家に

もあらす望みはふかくおもひ入にしかとも其

器にあらされは其すへしらてやみぬ何により

てかかゝる物の我方には渡り給けるそと和歌の

明神を拝し奉りて有難こそと雅章卿にも

 

 

12

此事幾度申て侍しに定て神慮にこそ侍らめ

みょうがある事也といとよろこはしくそのたまひ

ける此事上つかたにもきこしめす事侍りて

雅章卿へ御物語の次てにや仰有ける事有しと

少きゝまかはせ給てにやはなはたしく御とかめの

事ありしされはこそわさわひ出こん事にやと

いとくるしく思ひけるにきこしめしわくる筋有て

事なくて止(やみ)ういともかしこき事なからわれらこ

ときのもの是を拝し奉らはさためて神罰

り侍らん事疑ひなかるへしとおもひ侍しを時(とき)

代(よ)にしたかひぬる故や侍りけん神もゆるし給ける

にやと猶有かたく忝そ覚侍ける

 

一 寛永の頃にや八條殿智忠親王とてやんことな

き宮いまそかりけり御かたちをはしめ御心はへ

やさしくさすかに人間のたねならすと見えさせ給

ける御身わかくまし/\し時より御病(びやう)だにてやせ

おとろへさせ給ひて御心はれ/\敷事もなく

ておはしましけるにいつのほとにや御鞠なとそと

あそはされ御らんしあらんやとすゝめ奉りし

にいかにしてか御かゝりにも立せ給へきそとあり

けるさらはまつ御内まりなり共とて是非に

そゝのかし奉りて御座敷しつらひて遊しそめけれは

日々に御心もはれ/\しくならせ給てやかて御

かゝりへ出さへ給飛鳥井雅章卿をはしめ堂上の

 

 

12

御方々能暮ことにまねかせ給其後御身弥(いよ/\)御

心かる/\とならせ給けれは都のにしに桂(かつら)とて

しろしめす所有先(さき)の身やの御時よりかりの庵

たてをかれし其所しつらひ物せよとて御みつ

からもいくそたひわたりまし/\てたくみつかさ

めして様々の亭かく山を築石をたゝみならへ桂

川を分て水せき入らる花の色鳥の声山の木

たち中嶋のわたりめつらしうみゆからめいたる

舟つくらせおろしはしめ給ふみつらゆひたるわら

はへうちとりさほさすらうをめくる藤の色も池水

にかけうつし山ふき岸よりこぼれていみしき

さかり也と源氏物語にかきたるを見したにいと

 

めつらしく面白きを其面影をたかへしとうつし

なし給ぬれは昔をこめたるさかりの御代かな又世

にあらしと人々めをおとろかし仰き奉りぬ其

頃茶湯かた世にのゝしりもてはやしぬる人をも

めして御かこひの内にめし入て御ちやもてなし給

しにかしこまりおとろきてこれ皆御作意ならん

かし世に又有へきとも覚えす我若かりし時みや

しまにまかりて廻廊(くわいらう)よりとううざい南の三方海の面

打なかめし時かゝる景気もある事にこそと

思ひし今此遠近(をちこち)の山のけしき見渡したる是

二つそ生(いけ)る内の見物には侍哉と其頃人毎に

物語にせられし

 

 

13

一 公共殿上御方々も折々に参り給て二日三日御

あそひ事とも御鞠度々也ある年の八月十日あ

まりの頃飛鳥井雅章卿同雅直正親町(おおぎまち)殿廣

橋殿其外誰々参給月の頃なれはとて飛鳥井

殿出題ありて皆寄月(つきによすが)の題十首短冊書の付

られ御当座あり其度わたくし給ける題は寿

月度にてそ有ける其頃智忠親王御詠歌

は幾度々も 仙洞御添削候い成けれは此頃誰/\

桂へまいられて歌よまれ候しと御物語被仰

上 月の歌共仰をうかゝはれ侍ける時地下は

参らすやと勅諚有佐野氏はいやまい

て候と仰上られけれはそれか歌かたりたまへ

 

と仰あり〽武蔵野や草はみなから置(をく)露に月を

分行(わけゆく)秋の旅人 かくと仰上られしに 御気色

能きこしめし入て此をく露にををく露のと

かへよと仰られよと勅諚也其次よろしく

て此頃かつらの亭にて一時三十首よませられし

と御物語仰上られけれはよくこそあそはされ

しよき稽古にてそまします独吟にやと

仰有しに其節(ふし)も佐野氏罷有て同よみましと

のたまひし事共なと智忠親王御帰宅有て

めしに給右の次第具に被仰聞けるそ冥加至

極有難き其後月前時鳥を〽明やすき空も

残(のこり)てほとゝきす声のあと行夏の夜の月これ又

 

 

14

叡覧にいれらるかたしけなし有かたし其頃堂

上御方の中に我にふかく念頃まします御方

の給ひけるは諸家(しよけ)歌よめる公卿殿上かた/\数多

有といへとも御会の時も其うた共こまやかに

御覧し入させ給事なしそこらがよみし歌を

御吟詠有て一字にても御添削蒙る事

未聞(みもん)のふしぎ也おろそかに思はな可蒙天罰お

それ有へしち示(しめし)給そ忝きしかのみならす我

すてに耳不通と成てけれはをのつから堂上

御方へも参らさる事寛文の頃程御前何の

御次てにや有けん被仰出ける御方有けれは

いかにしてさいは成ける不便(ひん)に思召るゝ事かな

 

堂上方へも不参は歌をもよますや何事を

なしていつかたに有けるそと御尋ね有ける時

其頃聖護院宮御殿近きあたりに常につま

ひしけれは折々是非とめされてまいりぬれは

今なすわさも具(つふさ)にしろしめして歌の事よま

さるにもあらさるへけれともその事何とも申

いてす朝夕茶湯をすきてあり候と御物語有

けれはさらはかけ物をあそはされてくたさるへし

との勅諚有けれは其時御忝に有し御方/\

も聞ちかへたる事にやとしはし何とも御さいさつ

申上らるゝ御方もなかりしに又今は細字なる物

はあそはしかたし大文字にても茶湯のかけ物に

 

 

15

は成物にやと仰を各きこしめて驚(おとろき)入給て

扨も有難き事哉と有て御退出有て即時に

聖護院宮よりめされける程に伺公申けれは如斯(かくのごとく)

/\ありがたく思ひ奉るへしと被仰聞ける其夜は

八月朔日成ける同しはすの五日に又めされて内々

勅諚有し宸翰(しんかん)御出来有拝戴(はいたい)仕れとて

下給ける御文字は直透(ぢきたう)て大二字也かしら上へく

も不覚(おほえす)感涙身にあまりてとゝめかたし我御恩

を請(うく)へきおほえ更になし其筋めなるといふへき

我にもなし一事得たる徳もなしいかなる事にかゝ

る忝き事ともにあひ奉る御代には生れ出

けんと天を仰き地を拝し其年より今に至

 

る迄元日より一日もおこたらす御長久を祈り

奉る外に御恩謝すへきすべをしらす急(いそき)表(ひやう)

具請出(うけいた)して上下とし雲龍の御紋をり付させ

なと軸等に至る迄分に極て心を付侍しけん

上つかた堂上へ御拝見あらしめ侍地下(ちげ)茶湯に

すきたるもの共都鄙(とひ)拝し奉らしむ我亡父

は佐野紹由とて舟はしちかきあたりに住居

て世をわたるいとなみことゝもせすふかく連歌

心を染て紹由法橋門弟にて年久しく功をな

しけれは堂上の御方々に交り其頃の連歌

懐紙にはもれさりし亡父親今年五月(さつき)の頃五

 

 

16

十年の忌(き)なりとて千句成就せしめんと春の頃より

もよほして〽おとろけは五十年も夢かほとゝきす

とかきつけれとそのねかひみてすして其頃又

亡父もうせてけりそも又五十年にあまりぬ昔お

もひ出てそゝろに涙もよほしけれは歌ひとつか

きつけまほしくて筆さしぬらして〽百とせも

五十年も同し夢なりとおとろかれぬるほとゝきす

哉其年頃は我幼少にて其道まなふへき程に

もあらさりけれは一句をつらぬるすへしらさり

けれ共歌書共なとの残り打ちりたるをわら

はへのもて遊びとしける故にや有けんあはれ歌

よむといふ事しらまほしきと思ひける心さし

 

出(いて)きてこなたかなた聞めくりけれ共生得()しやうとく)にもの

覚えける事を不得しかも忘るゝ事は世にすくれ

たりけれはいかはかり年をふる共歌学ふ者なと

いはるへきうつはものにはあらさりけるを返/\も

ふしきの冥加ありてそれと名をたにきこしめさ

れんこと有難し共申はかりなし我もし萬條(まんじやうの)

関(くわん)をまぬかれ青霄裡(せいしゃうのり)にも住(すま)らすとも此忝(かたしけな)さ

の着心(ぢやくしん)はのこりなんとおもふはかり有難くそ覚侍る

此聖護院宮常にましましける御殿の三輪にな

み木の桜有いと面白く盛(さかり)成けれはとて三月十

五日御幸有けり其頃 大樹公より 法皇

御所へ玉簾(たますだれ)と云御葉茶つほを御進上有けれは

 

 

17

後水尾法皇

明正院上皇

後西院上皇

 (以下略)

 

 

18

其御壷口を切らせける節なり其日は此御

茶を挽(ひか)れ上られよとて一袋をまいらせられける

又上つかたきこしめされ御茶は拝領有入へき御

茶入有ま敷とて御宝より御門前に焼(やき)出(いた)す

上手有けれは御茶入あまた奉給ふ其内をえり

出させ給てふた袋箱等迄もたゝならぬ御このみ

とも有けるを其日の御茶入られよとて遣ら

れし即此由被仰上 太上法皇御手にとられ

叡覧有し其御茶入に少御茶のこり有けり聖

護院の宮御そはを片時もはなれ奉らすいと

若年よりなれ奉りし佐野某人とてあり其人

より書状に ゐ御門主御意申入候此御茶入

 

仁和寺御門跡 新院御所江御上被成候御茶は

大樹公より 法皇御所江上り候玉簾の茎の御

茶にて候右両 御所より当門江被遣候御茶

少残候間右之被入御茶入貴老へ被下候御拝味

可有候期後音之時候謹?之

  三月十八日          実益判

如此書状は来りて御茶入は伺公し有難しとかふの事

は申上かたし但ヶ程御茶たへさせ可申人間更に

存よりも侍らす置所(をきところ)たにも候はしと以集人

を申上けれは御茶と申ふた袋 御製(ごせい)なれは

もしのちの御とかめの事もやとおほしめされて

 

19

仁和寺御池」慶安三年十月十九日

丹波焼清右衛門 御宝に来る

仁和寺は家光寛永十一年上洛再建を

命じ正保三年落成

 

 

20

太上法皇仰をうけられけれはそちに下され御

尤との御事にて仰有ける也御茶も下へさけら

れける御心得有て下されける也人まてもなしそこ

一人してたへよと御直の仰也忝に行(ゆき)あたりてと

かふ申上へきわきまへも更になしとにかくに私

ひとりたまはるへき御茶には候はねはこれはこれより

直(すく)に飛鳥井雅章卿へ持参申あれにてひらき

可申のよし申上御前罷出則雅章卿へ此よし申

上けれは尤先冥加至極のものかなとて返々めて

させ給さてこれへはよくこそ思ひよりて持参申

たれ是我ひとりやはとて御一類の方々俄に

まねかせ給て我等も御残りを頂戴し侍ぬ如此事

 

抔つく/\思ひめくらし侍に今世に覚なし過去

の殿や有けん我若年より七十歳にあまる迄法

華経五種の経行の内解脱は俗身なれは成難し

四種は数十年一日もおこたらす此功徳を以て現

世には先報恩謝徳の事和歌の道に冥加あらせ

給へと申ける我いさゝか智なく徳なく功もなし

信あれは徳有とは此事にやと覚侍也

一 八條宮常の御殿は内裏の北の御門のかと也け

れは北の築地の外は今出(いまで)川通(とをり)にてそれより北は

相国寺有けれは此一筋ならては人のかよふ道な

き様に常に行通者(ゆきかよふもの)おほくしけし此八條殿北

のついち二町はかりも有けんはしめは馬(むま)ふせき

 

 

21

と云垣ありしみな月の末つかたにもや智忠親王

の給けるはかゝる暑き頃輿(こし)なとにものらぬもの

如何して道をは行にやと下さまの事しろしめ

されねは仰有ける程によき次てと思ひ出て

申けるは御前にはしろしめされすしてふかき

御慈悲をたれ給事有今出川の方の築地の

軒ふかき故にかゝる極暑の時は御築地のかけを悦(よろこひ)

通ひて二町はかりの程くるしみをのかれ又俄の夕

立時雨の時もしはしのやとりともなりおほく人

是をよろこひ候也しかれ共老人をんな又人かま

しく僕(ぼく)なとおほくつれたる者は馬ふせきを

あらわにのりこしゝ事仕得ずしていら山しけに

 

見入通も有けり願は馬ふせきの東にし一間つゝ

横木を切らせられ給はまことの御慈悲にてと有

難くこそ見侍へけれと申上けれはしろしめされさる

事のよき事かなと返/\悦ましましていそきか

よひやすきやうにきらせよと仰有けるにいかなる

もののしわさにや有けん馬ふせきを悉(こと/\く)皆払(はらひ)取

てついちのもとにみそをほりいつかたよりか求め

けんわれ石とものかとたかきを集てなぞへに

立ならへたれは先みるめもいふせくきたなしいつ

方にも築地は下に切石なとすへならへけたかく

見事ならしめんとこそするわさなるを見くるし

きにも心いれすきたなきもいとはすたゝと

 

 

22

をるをにくしと立ならへたる石也けり程なく御

殿やけて頓て親王もかくれさせ給けれはついち

の石なととかくいふものもなし其御子とならせ

給ひし穏仁(やすひと)親王と申いまそかりけり天Ⅰのあ

まくたりましますにやありけん人間のたねな

らぬそやんことなきと書るもけにと思ひしら

るはかりの御かたち成けるかほとなく又かくれさせ

給てけり其後又八條殿となし奉し宮まし

/\めるも又かくれさせ給ぬその内に御殿も

又やけにけり彼石ならへし後築地は二度(たひ)つきな

をしけるにがうりきの堅固なる故や有けん彼

見くるしく立たる石は其まゝ残りて今も人毎

 

まゆをひそめぬはなしいにしへより行李(あんり)の労(らう)は我

和(くわ)せんとし給ふ事菩薩の行(ぎやう)にあらすや其石こ

のみしともがらもとくうせにけるにや今も有

けるにやおそるへし/\もしさんけのえしんとも

成なんと粗(ほぼ)かきつけ侍る也Ⅰをにくしとしたるに

はあらさるへしたゝとをりやすくしをきたるなら

は多く人かよひてやかて築地の土もすれ落

疵跡もつきぬへしとうちむき思ひたるはかり

にてふかく罪得へき事と迄は思ひよらさるなる

へし悪にはひかれやすき世のならひなれは又似たる

事をもしいてたらんいとゝ罪もふかく成へし

はやく見くるしきをかへられよかしと萬人口を

 

 

23

いこかして行来せさるはなし

一 京町の中何氏とやらんのなにかしこ有家富貴に

して眷属(けんそく)多く大人の前に打出ても恥すさす

かに都の者と見ゆる人あひ成しいかなる故にや

有けんいとわかゝりし時より大虚庵(たいきよあん)光悦に孝

をなし六十にあまれる迄やかひにいと念頃しあへ

る事子孫にもこえていひかよひける事年かへし

かりしいつの年の暮にや有けんしはすの晦日

たに其かりに立寄内に入らんとしけれは門より

家の場(には)其あたりあまた人立込(たちこみ)て足を入へくも

あらす年久く念頃の方なりけれは悦大きに

驚き色をかへてうらの座敷につと通(とをり)て何とも

 

物いふ事もなく居たりけれは其まゝ亭主出て

いつかたへ今日(けふ)は物し給けるぞ扨も能こそ御立

す候とてもてなしいひつけいとさむく候へは先

まつろへ御寄あれなといひけれ共胸ををさへ

て物もいはて有ける折節其家に常に出

入来るなに禅門(せんもん)とかや集合て悦もてなさんと

そはに立よりけるを悦ひそかに問けるは此家

にいかなる事出来(いてきた)るかゝる事あるへきとも

年頃おもひつけさる事や大事なる事にやと

尋ねけれはたゝ打笑へるけしきして禅門云様

人数多立込居候事御おとろきにや候此家風

にて毎年/\如此にて候と云悦直ふしきに

 

 

24

思ひてそれはいかなる事にやと問(とふ)これは年中物

売らるもの共集めをき夜半にも近き程に

なりてすましつかはし候ヶ程にいたし候子細中/\

それさまなとの御存ある事にあらす候大にとく

分有事にて候と語りけり悦聞て一言もいは

すふと立て帰りけり亭主出ていと寒く候へは

あたゝかなる物まいらせ候はんとて内に入て候せひ

しはしとてとゝめけれ共一言もいはす帰りにけり

春に成て彼亭主来りてもあはす冬としは御

きけんあしくて御帰こゝろもとなしといひおうせ

ても返事もなし又と其許(がり)邊に行事(ゆくこと)もなし

ある時けんぞくとも集り茶のみける時悦其事

 

語出てなみたくみいひけるは彼者(かのもの)いと念頃し

いひかよひける事四十年あまりにや有らん

かゝる心ある者と少も見知らざる我まなこの

おろかなる事いと口おし抑(そも/\)人は正月の用意に

とてよろつ物をとゝのへたれも/\年の初のこ

とふきせんとおもはさるはなきを晦日の夜半迄

またせてあたひをわたしけんいかはかり数人腹

立のゝしりなん今世にまさしく報(むくひ)を得地獄の業(ごう)

因(いん)と成へしさてもあさましくかなしき事かな

と打しほたれて語りて皆/\よく心得へしかゝ

る類の者寄逢(よりあふ)事なかれおそるへし/\と

申たりし其詞たかはすや都にかくれなく

 

 

25

富貴さかんの様に見えたりし家は焼て跡に

立る体もなく子孫もたしかにきかすそ成に

ける此事かへす/\有ましき事也いましむへし

おそるへし

一 昔養寿院の御方とておはしましける御心おたやか

にして普(あまねく)慈悲のふかき事六度の行をなし

給しことならすと見えさせ給ぬ 東照大権現

天下萬代泰平(あめがしたはんたいたいへい)ならしめ給はんと此界に出現

まし/\し時世にならづかたなくもちいられさ

せ給て御子孫御方おほく皆大国のあるしにて

いとめてたく法華経にふかく御信心ありて常に

学者をまねかせ給て法華経講談のみきこしめ

 

し関東に十方より所化(しよけ)数百人つゝ集りて学(がく)

する大の檀所(だんしょ)三ヶ所其外(ほか)も有(あり)也其能化(のうけ)と

なり或は大所の上人と成ほとの人々所化の中に

も是そ学者と成ぬへきときこゆるにはいつ

れも/\力を合られ寒からしめしと着物抔

数/\をほとこし給法華経の学者京都の寺々

住持(ぢうぢ)抔に至迄普御恩を蒙らぬはなし中にも

其頃日遠(にちをん)上人とて大学匠(かくしやう)あり台家にても

昔より義理あきらめかたくて暗夜のことく

にて数百年有ける事共三大都の内数々有

けるをも日遠悉(こと/\く)あきらかになし末代の証文

となし随文記抔其外板に刻みて代にのこりぬる

 

 

26

物数々也今の世に学問はけみ学者といはつゝ

方々皆日遠上人の孫ひこ弟子其なかれ也さる

によりて養珠院御方此日遠をふかく信じ給(たまひ)

ける故に御存生の時より紀抄(きしう)亜相公(あしやうかう)へ仰置れ

て日遠上人おはしまして山は身延山(しんえんさん)のふもと

一里はかりも南の方にやと覚侍りぬ其所を

大野といふ其所に御墓(みはか)を立られよとの御ゆい

言ありけれはかくれさせ給てほとなく此事を其方(そのかた)

のつかさ共めして万代も損をさらしめんとて御

墓堂をはしめ其あたり敷石外垣まて石をよ

りぬき石にてぬきをとをし悉皆石也御墓の

戸なとにも絵をほり付(つけ)又世になくいとたうと

 

く見事なりし此石垣の内は無残(のこりなく)石を敷(しき)廣さ

四方四間五間はかりもやと覚侍りぬ此石数夥し

き事也海道より重々山をこえたるおく成けれは

外より石をはこひ入へき様なしとて則(すなはち)身延大山なれ

は其内に切石成へき石もや有とたつねみよとの

事にても邊(ほとり)山共求(もとめ)見けれは切石に可成こそ候

へとて則其時の上人へこひ給てけれは参らせ度

は候へ共開山より此かた此山の石切出したる事な

きを我代にこそ切はしめけれといはれん事いと

くるしき事に侍ると申されけるさらは其邊よ

り川に随(したかひ)て上のかたに有ぬる所もやとて尋ねの

ほりけれは同甲斐国の山に草木もなく芝

 

 

27

山に大なる石一つ山より生出(おいいて)たるやうに見えける

最上能(よき)石也唯一つのみ有て外にはなし其ま

はりをほりて見ればふかく入て多いし也国主へ被仰入(おほせいれられ)

けれはいとやすき事とて則其所にこやを作り

しつらひ心得ある奉行抔うけたまはり数百の

者あつまりて切わりこしらへみけれはいとふしき

成事にて侍かな石きりくつの外は一つも不残

一つ不足もなく大石一つにて満出来(まんしゅつらい)し侍けり

一 爰に末世の奇妙あり末代万人の信心共ならし

めんかために此事しるし侍也此大石ひたと切割(きりわり)

/\して真中にもや有けん鳥のかいこのことくに

てむくの葉みかきしたるやうにうつくしき石の玉

 

ころび出にけり扨もこれは珎敷(めつらしき)事とて皆立より我

もわれもと手に取渡し是を見て一人いひけるは

昔よりかゝる大石を刻は中に生(いき)たる物類(るい)ありし

なとも聞及たる事也此玉の中にも何そ生(いけ)る

物やあらんと云(いふ)さらは打刻(うちわり)てみよと云(いふ)又かたへの

者無用と云色々にいひけるか奉行する者も刻(わり)

て中を見はやと心付けれはさらは刻てみんとて

けんのりにて打けるに切たることく真二つにわれに

けり其中をみれは養珠院の御紋上手の筆し

て書たることくおもだかのもんあきらか也末世に

かゝるふしきのこともありけるかなと今もそゝろに

涙もよほし侍也此事いそき紀州へつけしらし

 

 

28

め奉る亜相きこしめされて御落涙とゝまらすいと

有かたく忝しとて御母義の御かたちとやおほし

けん世にすくれたる御老行の御心はへなりけれは

ふかくあかめたりとませ給ていつかたへいてさせ給

へとも片時をはなさせ給はすとそうけたまは

り侍ぬ

一 養珠寺と云寺は紀州に建立あり玉津嶋の

明神の御社(やしろ)近くいもせ山との中ほと也日遠を開

基の祖とし給ふ此寺にはしめて住持せられし

日演(えん)上人といひしはもと都の人にて我住けるや

とり近くてあげまきの頃よりなれむつひたる

がかみをおろして後も集(あつめ)にしほたると共に窓の

 

ほとりたちさる事なつ草の露たかはしとおもひ合

たる人成けれは一としはるの頃まかりて侍けるに折から

道ゆたかなるも忝く住吉の明神の鳥井たか

く見えさせ給におりてしはらくやすらひ御社

拝みめくりぬ後成卿

〽いたつらにふりぬる身をも住吉の松はさりともあは

れしるらん とよめるも思ひ出てけれは

〽あはれしる身にしあらねといたつらにふりぬとつくる

住吉の松 と口すさひて善行空にめくみもし

けき松原のさま夕しほさして見渡され月さへももり

てけり〽みつ垣に分る木のまの月見えて松風うつ

す住よしの浦 又の日も心しつかに立出て岸

 

 

29

の和田と云所をとをりて行過けるに蟻通(ありとをし)の明神は

これにてこそ侍れとをしへける貫之かのりたる

駒のふしたりしと侍へいひけるもいとたうとく

木立しけく物ふりて昔をきくにたかはさるは今も

宮守(みやもり)ひとりも見えすいとさひしくかう/\しき宮

い也そのわたりのものにとへはこゝもきしのわたしな

人のもてなにて侍とかたる其時きしのわたしる人

は岡部氏(うち)のなにかしとて飛鳥井の家の御門弟にて

父子共蹴鞠(しうきく)のこのみふかゝりけれは雅章(まさあきら)卿のもと

にて詰(つめ)のかすに入にしも幾度成し其日ゆたかなる

能(よき)くれ也さそまりやもよほし有らんとおもひし

かとも名のり立よらんもむつかしくて神前にて

 

玉垣ものとかにみえてまり声のありとほしとも

おもふくれかな tごすしてそとをり侍りぬ紀伊国

いたりてわかの松原見わたされ吹上のはまの濱風

のとか也玉津嶋にまういてゝ 「万代の言葉のたね

とひろひをくかひも有なん玉つしま姫

〽玉津嶋光をそへよ和歌の浦にいにしへ今の道を

照して人しれぬ心の願を口すさみて立かへるを

彼め彼なとそらこといひふりたるかたを波といふは

此所とをしへけるもおかしいもせ山は唯一の君と

みえて物ふりたる松のさま岩に生出たる故にや

あらん大なるは一木もなし塩風に吹もまれて

のひらかに立たる枝もなくからの馬(ば)えんなとか松山

 

 

30

をうつしたるにことならす養珠寺はやかて山に

つゝきたれはいもせ山の東の方岩を切入させ給て

石檀石垣あり東照権現御社養珠院御廟

ましますよし其前に拝殿あり御経すへたる

机左右にならひ有けたかく殊勝なり其拝殿の

まへに又大なる拝殿有東面也をと羽の瀧を見

おろしぬる清水の舞台を見るかことく前は堀の

さし入所にてはる/\とさしのそかれておやうけ也

むかひにとをく紀三井寺みゆ其間はみな堀のひ

かたと見ゆ南は入海也拝殿のたつみのかたにあた

りて藤代の松もほとちかくみゆ舟にのりて

紀三井寺見んと漕出しぬるに立帰りいもせの山

 

宮寺塔なと木の間に見えたり唐(もろこし)の海にわたり

来たるにやと打なかめらるもろこしの名高き

絵師といふ共筆にかきりあれは写しとゝめかた

くぞ侍らん養珠寺にまかりてしはしとゝめられ

て日を重(かさね)て有しに其節(そのふし)国主御母(ほ)義の御名(みめい)

日とて御参詣の事ありて御供の人/\ゆすりみ

ちてのゝしりいとさはかし住持もなにくれとせは

き衣の袖をやふるはかり引ひろけんともてあつ

らひぬるも見すてかたくて立かへらん事を得ず

してその日はつふねやつこのたくひと成てかけ舞ふ

其度我書写しける白紙金泥の御経全部八巻

を持(もち)来て仏前に備へんとす住持をはしめいひあ

 

 

31

へるは此度いもせ山の御廟に儒(しゆ)のともからに皆詩(し)

を作(つくら)せ書(かゝ)せて入させ給しにわかの浦のかひもなく

てうたはなし幸(わいはひ)に此御絵のうらに歌を書て備へ

られかしと其ふしまいれる人/\すゝめかゝるもいなみ

かたくて養珠寺常住と云文字をかしらにをき

て五首の歌をよみて書付をき侍しことはかきも

いとなか/\し山鳥のおのかうたあまた書つくるも

いとゝみくるしけれは其度所々の口すさひは猶かゝ

すしてけりされと五首の中に住の字は其おりふし

住持のこのみいへる事有此いもせ山の御廟には御

二方をいはひおさめさせ給今世にも未来世にも

同蓮臺(はちすのうてな)にましますとこそあらまほしけれといは

 

れけれは〽住る世もなき世もおなしうてなにて

いもせの山の中そへたてぬ とよみて書つけ

侍に此歌にはをのつから三諦の法文をいひ

のへたるにやときこゆ住る世なき世に

空偽(くうげ)の二有(ふたつあり)いもせの山中に則中有三諦一諦

非(ひ)三非一の尺(しやく)もたち入たるに似たり国主仏

前に参詣ましまして客殿に入せ給て仰せ

けるは仏前一箱有何にてやと御尋有し侍

従かしこまりて申されけるは我昔若年より

学室にいたるまてとり立ねんごろしとも

なひけるみやこのもの八軸を書うつし備(そなへ)

て候年久(としひさしく)和歌にこゝろさしふかくて上つかた

 

 

32

にもしろしめしたるものに候へは此御寺は

わかの浦也うたをよみてうらに書つけ

よかしと望て書付させて候と申されけれ

はやかて御覧有へきとて住持御前に

持書けれは近習の人をめして御手水(てうつ)有

て御経なれはにや謹ていたゝかせ給て

御披見の後うた詞書よりはしめて悉く

たからかに遊されて後此ものは今これに来り

て有よしきこしめしていそき御前に

とてめされけるに其さまとりなをすへき間(ま)

なしほとなしとてやつこのはたらき成

しまゝのさまにて御前にまいりぬ三浦

 

長門(なかと)とかやいひし人名をいひつき申されし

余寒もはな/\しき頃よくこそ来りたれと

の給けるもいとかたしけなくてしりそき

けれは今しはしとてめして御経もちて

参りし事歌よみて書付たる事なと

返/\の給て御褒美の御こと葉又かた

しけなくて御前を立にけれは又しはし

とてめしいてけりその上大樹公御上

るの時二條御城にてまり御見物の事有

し其時の人数にくはへられしと今この

ひしりのかたれる御見物に御出座有し

いかなる色の装束着したる其設の次第か

 

 

33

たり候へと仰こと有し枝につきたる御

まりそれかし持(もち)いて候なとつふさに申上

けれはみなおほしめし合されしとて御け

しきよく久しく成ぬる事也そち抔(ら)

がとしもいと/\わかき時なるへしむかしの

事共おほしめしいてたりとてほゝえま

せ給ひぬ

一 寛永十一年七月十一日家光公御上洛有て

閏七月廿二tあまりに二條の御城において

御まり御見物御座の次第左のことし

蹴鞠(しうきく)の御人数堂上不詳(つまびらかならす)其記録焼失御家

 

(略)

 

 

34(略)

 

 

35

(右頁略)

 

予か年十二三はかりのほとにもや有けん飛鳥

井家蹴鞠の御門弟と成てことし七十念に

あまるまておこたらすまいりけれは堂上地下

都鄙のまり見及侍りけるに雅庸(まさつね)卿あそは

されしは今少おくれて見侍らす雅章卿そま

ことの御家のまりといふならんかしと覚侍る先(まつ)

座に着(つき)給はんとてあゆみ出(いて)給ひし其様外

に似たるものなしむかしの事はしらす十分の

沓下といふは雅章卿にてましますらんとそ覚

え侍る也そのかみ飛鳥井家の老安田氏にいに

しへよりの鞠の事ともこまやかに能覚え語り

けるありけり昔の御代の沓なととりて置(をき)て

 

 

36

此沓のあたり品を見て大かた沓下の心得有へ

き物也とかたりし其時は雅章卿いと若年に

もましますらんあのあそはされ候こそ十分御

家の沓下と覚え侍れといひし御門弟の内に

も見来りしもの今も数々有へけれ共当世

のまりに沓下沓音なといふ事おもひもよ

よらぬ事に侍れは心を付る者もなし今は

よくあたるまりなといふも有とはいへとも

其さまあらはにいやしくふつゝかなるをかつ

しらす心にもなき事なれは見事なる

を見しるへきやうもなしある時今都にては

これらそよくけぬるといふともから打よりて

 

けたりける頃いにしへは御門弟にて侍りけるか久敷

江府(えふ)に侍りてのほりける二人三人いさなひて

今のまり見物して扨も物ことにおとろへ行(ゆく)とは

いへ共まりはかりおとろへたる物はあらし諸けい

の中にかほとふつゝかはなしとそかたりける

今はよくけ覚あたりたにすれは上手よなと

そいふなる流罪せられし外郎なといひし者よくけ

覚え自由なる事は今の地下なと百分の一にも

府及事也又松下主殿(とのも)といひし者予か若年

の時幾度/\見物し侍り住吉のそり橋け渡らん

けいこにとて屋ねをのほりくたりけたり妙

顕寺にては二王門より蹴行て諸堂に蹴あかり

 

 

37

縁をけめくりてついにまりはおとさす持しかゝ

る自由さま/\のきよくなともけたりけれとも

これらはまことのまりといふものにては侍らさりし

其ふりけさままり色くつ音各別の物也内まり

の時には猶あらはに見えきこゆれ共きゝしるも

稀也今晴の御まりなと有へき時地下いたすへ

き者更になし昔は幾度/\御家の口伝とて

御伝を受(うけ)叶はさるまても御家の風にとたし

なみはけみてけりはれの時は地下の所作を色

いろある事也中にもいく度/\これある事は

枝のまり持いて枝うけとる事第一めに立所作也

予かわかゝりし時いつ方にてもはれの御鞠と

 

ありし時は予か外に仰つけられたる事なかりし

御まりはしまる時先(まつ)第一の見物なにてめにたつ

る事成けれは色々様々にこゝろをつくしけいこ

し其頃の名高き能(のう)太夫わき者(しや)の上手とほま

れあるにも装束のあひしらひなと度々見

せて直しをうけたり今はよしあしとも見に

くしともおもふ心もつかす唯(たゝ)かゝりの真中へ鞠持

たるやうなれとも見知たる人はさにてはなしと

見る笑止成はかりみくるしき事共に侍れとも

こゝろよりふつゝかに成かゆへに何の所作もた

しなみ不足ゆへかゝる事ありともしらす

 

 

38

もきかて過行ほとにたま/\覚え知たるも皆

世になくなりて跡かたもなくたえぬる事おほ

かるへし

一初鞠(しよきく)よりはしめ祝言のまり数々有へし枝のまり

のふしのまりわりご勝負扇子くじ其外其作法多

し身にそふまりうつほなかし述(のへ)あしかさね述足つ

きのへ足雲入なと様々也又名のみきゝてついに

見ぬあしありこれら皆昔より書付伝へ来れる

事なれは委はしるし侍らす

一 おふとこふこえは初心の時は斟酌有声なりとあり

今はきゝたるものもなし予か覚えて後なくな

りしこと数々あり地のけるまりの内に自分の

 

まりと見て声をかけてけること常のことなり我

ける内にかくる声品々あり雅章経の外に近き予

にかくる人なし昔は地下も皆しりてかけたる声な

れともかゝることたにたゝてなく成ぬる事いとのこ

えい多きことにこそ侍れ猶しらぬ道のことなれ

とも舞台にて能の仕舞する時太夫ひとり立て

さらばまいらふするにて候とて行く時増えの心得な

ければ太夫もあゆみ行かたく舞台の興をさま

すことあんりときゝ侍し猿楽道のならひにもかゝ

る事おほかるへし鞠の場に一くれの内其興を

もよほす事数々心得有へきことおほかるへし

一 いつのとしにや有けん禁中の御会に新抄(しゆ)の題

 

 

39

各あそはされし時ある御方の御歌御物かたり

ありしに新抄の樹の字すみてよませられける

ほとにいかにすみてはあそはされけると申て侍

りけれは御前にてよみあけられける時もすみ

てしゆうとひきてよむ事にて侍と仰有け

りうとひきてあそはされ候ことはさもあるへく

覚え侍なりこれは殊に上をはねたか下にても

候へへすむへきことふしきにこそおほえ候へと申侍

けれは古今集後撰集上をはねてもすみ侍

る也と仰ありし古今後撰は集の字すみ侍る事

はさあるへき事にて候撰集と申時にとり申こと

にて候と申侍しがとにかくに御前にてよみあ

 

けられ候時幾度/\もすみてよみ来られけるとソル王

へはとかふは申されぬことにて候と申ては侍れとも

猶ふしきに覚え侍りて飛鳥井殿にいにしへ

よりありける題林抄に点こまやかに付たる本

ありしと覚えけれは一見申度事と申侍り

けれは其本うせて家になしのこりおほく思ひ

給ふ物なりとのたまひしそのかみさる大かたよ

り飛鳥井家の題林写をかれ度とてふかくの

そませ給ひてうつされたる事ありし時予いと

わかき時其一冊を校合させられしかは点付たる

所々はかり書抜(かきぬき)留置(とめをき)たるとおもひ出てたつ

ね出しけれは幸なるかな春夏の部にて新抄

 

 

40

あり点たしかに付たり新樹にこりて下にウ

の字付たりまかふへくも侍さる也但樹陰の蝉な

とはすみてよむと見えたりかやうのことのまき

れにや又外にすむならひもや侍る

一 水郷はすいがうとよみてよしと幽斎申されしと

たしかに覚えて侍と申て候へ共水かうとはきゝた

ることなし水きやうなりと方/\仰有けれは

水きやうなりかゝるたくひのこと数々有へし

すへてよろつのことおほえしるしめされしは

年々になくならせ給ふ書とゝめたるも月々

日々に損じうしなひ行事かなしむへし/\

いつの頃にか有けん月日はさたかに覚え侍らす

 

ある夕くれのほと飛鳥井殿にまいりて侍りけれ

は外にまいりし人もなくてたゝひとり常なる

所にまし/\て日もくれぬ雨もそほふるにいかに

思ひ寄てか来りけん此頃思ひかけさる方(かた)より此

書は用ひるへき物に侍やとて箱ひとつ来れり

ひらきて見侍りけれは極秘伝の物也驚(おとろき)おもひ

て上つかたへも此よしを申上きのふより清浄

精進し今少さきに書切をとけ鎮守へも詣で

ゆするなとありて今みきもやも迄ほさんと

おもふ節なりよくこそ来りたりけれとの給ひ

しその時我ふところの内より一紙に歌二首か

きたるを取出て見せ参らせける其二首は

 

 

41

住吉玉津島の御神詠也飛鳥井家の先祖の

御筆にて万葉にあそはして年号日付名乗

の下に上文字ありこれはいかなる時にかくはあそ

はされけるにやとうかゝひ申けれは見たまひて

打おとろき給ふけしきにて何共のたまはす

ふとおくさまへ立一入給ふいふかしく思ひけれはやかて

かりにとちたる一冊を持出たまひてのたまふ

やうさてもふしきなることこそ侍れきのふけふ

かきうつしける大事の書と語りけるは此一冊也

人に見せ侍る物にはあらされ共今宵しもこれ

を持来れる其身もたゝならぬふしきのことなり

けれはなとかは見せさるへき此秘伝の書をかき

 

あらはして最下のおくに此神詠二首あり勧請(くわんしよう)

の歌なりかゝる秘伝の物来てうつしとめ侍るこ

と冥加なるとよろこひ思ひ侍りぬるにことに

先祖の筆にて此勧請の神詠かゝれけるを此

折節に持来れることいふかきりもなき奇

妙の事なりとよろこひたまふ我もよろこ

はしきにむねふたかりて申へきことのはも出

やらす感涙とゝめかたし今宵しも何を申入

へき事もなく日もくれ雨もそほふりける

にゆくりなくまいりけること神慮ならては

かゝることあるへしとも覚え侍らす此一紙は

御家へまいらせよとの事にこそと思ひ

 

 

42

侍れは則たてまつる也と申けれはこれは家

にとゝめをかれて末の代まてもかゝる事

ありしと書しるしをかるへき也そのかたへは

此神詠を此ことくにうつしてこよひのふし

きをもかきくはへられて給はるへしと

のことにてそ侍りけるむかしより浅から

さる御心さしの程ふかく御家の明神の御心

にもかなひけるにやと有かたくそ覚え

侍る

一 洛陽本満寺日重上人の和語抄と云物見侍りし

中に目出度おほゆることもおほし世人のならひ

とも成へき事を書をけること又集に入たる歌共

 

のせられたる此類大かたは今こゝに書のせ侍らせ

唯ふるき物語なと古歌にても人ことのおもしろく

もや思ふらんとおもふはかりを書抜たる也此日重

上人は一宗の大学者也日乾(けん)日遠(をん)日暹(せん)とて世にほ

まれある学道みな本海寺より続(つゝひ)て三代身延山

に住持せり日重またいとわかき時に台教(たいけう)三大

部講し禅家の諸禄諸家に交り清原の枝賢

にしたかひて論語孝経及神代巻職原(しよくげん)等の家

訓を受(うく) 枝賢は雲庵と云環翠軒の孫也

大老に及て幽斎紹巴(せうは)の輩に交り歌学このみて

歌なとも数々侍りし此和語抄は六十七歳書

くとあり

 

 

43

同日乾日遠三師の事茶山集に審に元政しるし

をけり仍て略し侍るしかれとも日乾説法を極

聞せし者今世に稀なるへし幾度/\聴聞

侍りも世の人の物いひも多べ侍し諸宗の読経

構法かす/\聞侍しに今に至て又なきこと

なり其義をあきらかに解て萬人耳に

をち弁説上手なるも侍りけれ共乾師の

ことく一ことはにも連声(れんしやう)開合少もたかはしと

たしなみふかくうつたかき所作ふり等諸けいの

中にも又有ましくそ覚侍る先高座にあか

り座して定りせきはらひこはつくりせり其

声にほやかにて梁の塵をおとろかしたり烏丸

 

光廣卿へは月次に斎赴つとめの経謹て聴聞

有し事後々幾度被仰出られけり読経の口はや

きうちに連声開合つまひらかによみなせる

事さても聞ことなることにて有しそれを聞

なれて後外の誦経きゝくるしと仰られし

す日遠上人は先の二師にも越て大学道なり

しと云事其世より今に至て一宗の学者と

よはるゝは皆遠師の流弟にあらさるはなし三

大部の紀隋門等数十巻音義句逗(くとう)和訓の事

の餘の抄書具に紀にいとまあらす紀陽佳師

に帰する事厚し艸山に具なれは止

 

 

44(略)

 

 

45

す日環上人と世に又あるへきとも覚侍らす

世にもてあそふ事見ることきくことにおも

しろきといふ事をしらす只老の後まても

学の外に心なし枕を取帯をときて寝ぬる

事一生についになしたま/\人の許に請し

なくさめのためにとて能かなともよほし

ぬるに其まゝねふり出ていつはてぬるもしら

すそはめ笑止なるはかり侍し至て稀有の

道者なり是皆本満寺と云淡陽の小寺より出て

身延(しんえん)山の貫首(くわんしゆ)となりて法燈の大学者也此本

満寺には祖師の名霊像あり隣(となりの)寺立本寺には

十羅刹宗旨において第一の霊像あり春に立

 

願し祈誓あるにむなしき事あらす不思議奇妙

のことあり普(あまねく)世にしれり具にしるさす

一 和語雑々抄 慶長九卯二月廿九日

不堪(ふかん)といひ老耄(らうもう)といひ病中といひ昔見し事

聞し事そこはかとなく書付る故に歌の手(て)

尓葉(には)歌の作者集の名なとちかひたる事お

ほかるへしことにおもひ出るをまゝに筆に

まかせて書付る四季の内にても次第なと曾(かつて)

以定(もってさだめ)あるへからす小僧の智恵にもなれかしと

書置(かきをく)はかり也謎立(なぞたて)のやうなる事さへも理屈

のすみたるは智恵を磨(みがく)たよりとなるといふ也

一 紹巴(せうは)物語云或者(あるもの)一条禅閤(ぜんこう)へ参天神への法楽

 

 

46

にとて発句を所望す松梅の発句をあそは

されて渡し給へはとりて帰る不審におほして

いかさま異人(いにん)也とて人を付て見送せ給へは北野

の社壇へ入しと也それより天神は連歌を好給ふ

とて法楽にそなへ会所抔を建立あり云云発

句失念遺恨也

一 金葉(きんよう)範国(のりくに)朝臣くして伊豫國(いよのくに)にまかり

たりける小正月より三月迄雨のふらさりけれは

苗代(なはしろ)もえせすして萬(よろつ)に祈(のり)けれともかなはてた

へかたかりけれは守能因(しゆのういん)に歌をよみて一宮(いちのみや)に

まいらせていのれと申けれはまいりてよめり

     能因法師

 

〽銀(あまの)河なはしろ水にせきくたで天くたります

神ならは神 とよめりけれは心よく雨ふり出

て民のわつらひなからしめけりとなん

一 嶋かくれ行舟をしそおもふ 萬しあれは旅

しそおもふ 此等は心なきしの字を入て字をあ

ます面白き事なりつまあれは旅をそおもふ

にては字数も合て可然事なるに何(いか)なる故(ゆへ)

ぞ其境(さかい)に入ねは不知(しらさる)事也

一 いふならくならくの底に入ぬれはせちりも

すたもかはらさりけり

聞道口(イフナラク) 言説(同) 刹利(セチリ) 次陀(スダ:首陀) 天竺(てんちく)の四性の中

に刹利が一貴(たつと)く次陀が一賤(いやしき)なり日蔵(にちさう)頓死して

 

 

47

冥途(めいと)にて延喜帝(えんきのみかと)に奉任(あいたてまつり)敬(うやまひ)たれは帝の云冥

途に無貴賤(きせんなし)只罪なきを貴しとそ我を敬ふ

事なかれとの給へり今の歌に似たり

一 貫之か万葉の歌にこれらそまことの歌とていへ

るに「さかかめにわか身を入てくたさはやひ

しほ色にはほねはなるとも 「日くれなん今帰

なん子なくらんその子の母もわれを待らん

はしめの歌をおもふにさかかめにわか身を入て

くたして所詮何事にか侍らんゆへある事

に侍るにや後の歌は今の世にこそ相応

せすしも実はさる事にて侍るにや

一 左京太夫顕輔(あきすけ)卿の家の歌合に亭主の歌に

 

〽よもすから冨士の高根に雲きえてきよみ

かせきにすめる月かけ とよまれしを判者

基俊難云雲は須臾(しゆ:しゅゆ)に消(きへ)須臾に生する物也

よもすから雲消て不可云云云其時作者証拠

出て云 蔓(せん)草露深シ人定(シツマツテ)後(ノチ)終宵(シウサウ:ヨモスガラ)雲ノ盡キヌ

月ノ明ナル前ヘ 野相公と云り如何判者閉口云云

此詩顕ハ廟詣ノ秋夜

一 松樹専念終是朽木の心を 後京極

〽十かへりの花さく松も朽にけりあさかほのみやはか

なかるへき

何事も品こそかはれ世中の心やすくてすむ人はなし

いつ方へ行とも月の見えぬ哉たな引雲のたえてなけれは

 

 

48

秋ノ水漲(ミナギリ)来テ舩ノ去フ速(スミヤカニ)夜ノ雲収(ヲサマリ)尽(ツキテ)月ノ行フ遅シ

〽後のよときけは遠きに似たれともしらす

けづもその日なるらん けづとは元日也

恵心僧都此歌を姉の安養(あんやう)の尼の方へ送り

て無常をすゝめたまへは初(はしめ)は無興(ふけう)をられしか折節

隣家の者身まかりけれは今の歌思ひ合て発露

啼泣(ていきう)せしとなり

一 花山法皇御出家の後梅花をいたく見たまひ

けれはそれほとならは御出家被成ていらさること

也何とて花をめて給といひたれは

「色香をはおもひもいれす梅花常んらぬ世に

よそへてそ見る

 

一 幻世(ケンセイ)春ノ夢浮世水ノ口泡(ホトリノアハ) 白

〽とにかくにうき世は春の夢そとも水のあわれ

におもひしる哉  慈鎮

一 人ノ命ノ不停(トゝマラル)速(スミヤカナリ)於山水ヨリモ今日雖(イヘドモ)存ヌト明日難シ保(タモチ)を題にて

〽山川のみなきる水のをときけはせむる命そ

おもひしらるゝ    慈鎮

一〽とゝめ置て誰を哀とおもふらん子はまさるらし

子はまさりけり 桐火桶に有きゝにくき歌也

小式部か死せし時母の和泉式部かよめる歌也

小式部にむすめあり歌の心は母とむすめとを

跡にのこして二人の内にいつれに名残おしき

哀かふしきぞと上の句にいひてむすめに哀か

 

 

49

ふかかるへしわれもおやにはなれたる時よりも

今子にはなるゝか哀かましたるほとにと云下

の句なり

一(古)あさ露のおくての山田かりそめにうき世の中

をおもひぬる哉    貫之

一 世の中はたゝ影やとすます鏡見るをありと

もおもふへきかは    定家

たゝは全体そのことくなとの心也たゝ山川たゝう

たらねなと云也

一 さゝかにの空にすかくも同しことまたき

宿にもいくよかは経ん

またき宿 玄旨云全宿也

 

一 はかなしや雪の深山の鳥たにも世にふる

ことはおもはぬものを

寒苦責ム我ヲ 夜明ナノ造ラン栖(スミカヲ) これは雌の鳴声也

今日不ス知死ケンヲ 明日不ス知死センヲ 何ンカ故ソ造作メ栖ヲ

安穏(ナラシメン)無常身ヲ 雄の鳴声也世にふる事をおもは

ぬよし也

一 世は(を)すてつ(て)身はなきものとおもへとも雪(の)ふり

くれは(ふる夜は)寒くこそあれ

一 きえはてん露の我身のをき所いつれの野辺の

草葉なるらん

宋人句曰 何処(イツレノ)漢山ノ松竹ノ下(モト)文添一筒ノ土饅頭(ドマンチヤヲ)

土饅頭ハ墓也前の歌に似たり

 

 

50

一 たらちねはかゝれとてしもうは玉の我黒髪

をなてすやありなん

遍昭落髪の時よめりろてしもが肝心とそ

一 俊成卿亡妻の廟へ参て

〽まれにとふ(クル)夜半もかなしき松風をたえすや

苔の下にきくらむ  東福寺の内にあり

聖一より前にある寺にて東福寺の内へ後

にこむると見えたり亡妻は定家卿の母也

一〽なからへてたとひ六十を送(をくる)とも中半は過ぬ

あちきなの身や

後鳥羽院隠岐(をき)にて百首の御製の内

限(かきり)あれは萱(かや)か軒端の井も見つしらぬは人の

 

行末のそらあはれなる御歌とそ

一 和泉式部小式部内侍にをくれておもひ入たり

けるに上東門院より給り付たる衣物をたま

はりけるに小式部内侍と云れを見て

〽もろともに苔の下には朽すしてうつもれぬ

名を見るそかなしき

一 昔(むかし)良(りやう)少将 深草天皇隠(かくれ)させ給て世をのかれ

実(まこと)の道に入なから哀傷(あいしゃう)の心ふかしはての仏事

の後人々衣かへける中へいひやりける

〽皆人は花の衣に成ぬなり苔の袂にかはきたに

せよ 良少将出家して遍昭といふ遁世の僧正

になる事名誉と也素性(そせい)は良少将子也花頂(くはちやう)

 

 

51

山(さん)へ見舞にゆかれけれは出家せしめ素性と

名付と也

一 一条院の御時皇太后かくれさせ給ひけるに江(えの)

侍従とて殊にちかく召仕はれて御名残かな

しかりける御はての日参らすして次の日御

墓に詣(まいり)けれは時日は参給はでと人云けれはう

ちなきて返事に 〽我身には悲しきこと

のつきせねはきのふをはてとおもはさりけり

一 老ぬれは同し事こそいはれけれ君は千よま

せきみはちよませ        源順(みなもとのしたごう)

一 昔かなり将監と云者都の道をとめて亡晩に

討死したりけれは

 

〽朝(あした)には道をとゝめてゆふへには討死するとも

かなり 将監

一 宗祇雲龍寺(うんりうじ)へ花見に行て

 見れは見ぬ花さへおしき山桜

宗祇在京の時分京都に桜井永仙(さくらいえいせん)とて連歌師

あり祇と中あしく有けれは此発句をきゝて

嘲弄せしと也宗祇新津玖波を撰せしに桜井

連歌不入これによりて落書(らくしよ)を立しと

遥ニ見ニ筑波ヲ残フレハ便テ入ル不鑰上手ト興下手

〽足なくてのほりかねぬるつくはやま和歌道(わかのみち)には

達者なれとも

一 山寺の春の夕暮きて見れは入相のかねに花そちりける

 

 

52

本集には山里のとあると也 能因の住居

の所こそべといふて金竜寺のふもとにある

此ところにてよみける

一 うなひ子か氷の上をはしらする石なつぶて

のころ/\の里 ころ/\の里名所也 字不知

つふて礫の字也飛礫とも書 石な 童語の

やうにおもひし就之(これにつき)物語あり昔三吉(よし)左京太夫

とて五畿内を領する人ありき五六歳の時い

しなといはれたれは後見の男いしと斗(はかり)いふ

物なりと云て呵(しかり)たれは右の歌をひきしかは後見

も顔をあかめて閉口し聞(きく)人皆舌をまき称(しやう)

嘆(たん)せしと也三吉の修理(しゆり)太夫とて歌道者の子な

 

れはさすか也と沙汰せしと也

一 春雨のふるを五月のはれま哉 ふるといへは春

の発句になる也紹巴(せうは)の亭(てい)にて予(よ)此発句をふる

はと吟じたれは巴(は)ふるをにて侍といはれしにこ

と葉の下に扨は夏の発句かといひたれははやく

合点したりとて称嘆せられし

一 桐の葉は一葉も月の光哉 宋養(そうやう)

遂ノ夜ヲ光多シ呉花ノ月 落葉の侍也

一 かきなかす跡は浮草の花もなし 紹巴

小町か絵像久しく本願寺にありしを紹巴所持

ありてひらきに興行有し発句也老後の

衰()おとろへ)たる乞食の体にて哀(あはれ)也

 

 

53

〽まかなくに何を種とて浮草の波のうね/\

生(おひ)しけるらん 〽わひぬれは身を浮草のね

をたえてさそふ水あらはいなんとそおもふ

一 宗祇宗匠(そうしやう)になられし初(はしめ)の発句

   あらぬ名をかるやあま彦(ひこ)時鳥

不吉なるやうなりといへは此発句にてなくは

宗匠に成ましといはれし卑下の心也宗祇の

後は兼載(けんさい)宗祇になられし宗匠に成ては白

袴にぬり輿にて往還せり紹巴は此やうなる

事を六借(むつかし)かりて成へき人なれ共なられす

一 村雨は雑にしてしかも次節か定る也四月と八月

とにふる雨也時分か定式たれ共二季にふる故に

 

雑(さう)に成也  熊野(ゆや)もうたひに村雨のふり来て

花をちらし候とうたふはあやまり也花は三月也

一 七草の歌

芹(せり)薺(なつな)ごきやう たびらこ 仏の座 すゝな すゝ

しろ これや七草仏の座は蓮華菜の事なるへし

一 その上は五のをしへあらぬ世に

いはひそへたる春日のゝ宮

これは紹巴の独吟也仁義の五章を春日の五社に

取なせり春日も初は四社也後に弘法若宮を

勧請せられて五社に成也 五社は 釈迦

薬師 地蔵 観音 文殊垂迹(すいしゃく)也

一 我をしれ釈迦牟尼ほとけ世に出て

 

 

54

さやけき月の代をてらすとは春日第一の

御殿の御詠也第十二第十三の御殿なとゝ云 賀茂明神御詠に

慈悲のめににくしとおもふことそなきとか有ものは猶哀也

一 賀茂のみあれ 御生(みあれ)と書也 御子祇の事也

中賀茂の事也今中賀茂は退転か可尋下鴨

は本地摩那夫人(まなふにん)也 上賀茂は釈迦也 賀茂

明神はをし出して経王(きやうわう)大明神と云也 恵心(えしん)

僧都(そうつ)参籠の時の託宣(たくせん)に

諸仏成道在(じやうだうはあり)妙法菩薩ノ六度ハ在蓮華二

乗作仏在此経云云 勅筆にて中尊に経

王大明神と有両の脇に右の託宣を被遊(あそばされ)た

るを賀茂の社家(しやけ)の許(もと)にて拝せし也

 

一 長明は下鴨の社家也

一 東の常縁宗祇の師也古今も常縁より

伝授なり宗祇より夢庵(むあん)逍遥(せうよう)院殿伝授

有逍遥院より王人御侍事ありしかれは主

上も宗祇には孫弟子也

一 物語云 恵心僧都はしめは歌道をきらひたまへ

り月花にめて語(ことは)をいろへ隙をとり罪にもなり

学道観念の障(さはり)にもなるへしとて児(ちこ)に歌を

すけるありけれは奇怪におほしめして餘(よ)の児の

見習(ならふ)事もあるへしとて里へ明日送らむに决

定(じやう)せり児は此事をしらす其夜の暁かたに思ひ

入て 〽手にもすふ水にやとれる月かけのあるか

 

 

55

なきかの世にもすむかな といふつらゆきか歌と

〽世中をなにゝたとへん朝ほらけこき行舟の

あとのしら波 と云海誓か歌とを吟せり是

僧都聞たまひてさては歌といふ物は無常と

観し物の哀をしり心のすみぬる事も歌なる

へしとて児をもとゝめそれより僧都も歌を

すきて集にも入り人にも歌をよむ事

許給へる也はつねの僧正永縁(ユウエン)も歌をすける

を同学の人学問観念の障(さはり)愛着執心の基(もと)と

もなるへしといひしかは歌の仏道の便(たより)に成事共

いひしらせられし弥(いよ/\)心すみ侍らめ慈母哀傷

の風情をも詠(えいし)ては身(?)我心に帰すれは唯識の悟(さとり)

 

こゝにひらかれぬ心?ほかに法なしなにと学

問の妨(さはり)とはの給はするぞいとゝ無下に侍るとい

はれてなみたを落してのきにけりとなん

哀なり鳥辺の山の夕けふりをくる人とてとま

るへきかは 日重したしきものををくりて帰るさ

に 〽けふ迄はをくりてかへる鳥辺山いつ身の

上にならんとすらん と口すさめり我歌書付は

かた腹いたし

樒(しきみ)の歌  〽雪つもる嶺のやま寺道たえて軒端(のきはの)

樒もとつはもなし 〽あか水にたゝく氷は

われやらて樒を雪にすゝきつるかな

〽さなからや仏の花にをらせまし樒か枝につ

 

 

56

つもるしらゆき これは後鳥羽院隠致して百首の

御歌有その内なり語云 木樒は仏を作るに

よき木と云さためて大木あるなるへし此方

のしきみとは別也

一 根月の弟子正印 本圀寺立蔵の御前也

〽鷲のやまそらかくれしていつの海に七日日に

むかふ有明の月

一 思の海をさまりかたきしるしにや空の

うへまてのほる白波  招月

内裏へ盗人の入たる時よめり此歌にて左遷せ

らる 〽中/\になき身なりせは古郷に

かへらんものを今?の夕くれ

 

流罪の内に盂蘭盆によめり 叡聞(えいもん)ありて

哀におほしめして召帰さると也

一 千本のあたりに七野有 内野 北野 平野

柏野 蓮台野 しめの 紫野也 柏野は閻魔

堂のあたりなり

〽珎られすや妻やこふらんしめ野行紫野行

鹿の鳴らん

(万葉)あかねさす紫野行しめ野ゆき野守(のもり)はみすや

君か袖ふる 七野社といふあり七野の惣社共いふ

又奈良の社にて春日を勧請とも云㚑説也

いかさま鹿か常に集と云也

(私)此七社と云は此原野へ行みちに安居院(あごい)と云

 

 

57

あたりの家つゝきの西の方(かた)の出はなれにちいさ

き社あり森林もなし西来たは田なり東南は

町家なりしかるに奈良より鹿こそ来り

けれといひし事を着年の頃まて度々きゝし

事也しか来るへき所にあらす其故あるにこ

そはかりかたき事也近年には其さたなし

西行長谷寺にて尼のすゞする侍る哀さに

かく 〽おもひ入てする念珠(ずず)をとの声すみて

おほえすたまる我なみたかな 西行のいにしの

妻也これも発心して逢て恨る気色(けしき)もなく

善知誠なりとて喜けるとそ

或人より合て物かたりの次に

 

深草の野辺の桜し心あらは此春はかりす

みそめにさけ と云歌のさくらしのしの字を

評論せり一人云枝と云字にて桜の枝と云

事也一人云さにはあらす花の字也女郎花(をみなめし)の

時花と云字をしとよむ程にといへり惣して

此やうに義理を取を悪(えせ)義せんさくの義と云

歌にかきらす内典等迄もいかにも浅くさ

らりとゆく所を色々(いち/\)に義理を取をせんさく

の機(き)と云てきらふ也摩訶止観(まかしかん)に他師の義

又似タリト戻羊(ヤウニ)と破せり常にはせんさくト清(すむ)仏法

には濁法華経にてはせんじやくとよむ呉謹な

るへし 穿さくに付て莊子(さうじ)に面白事有往見(わうけん)

 

 

58

一 南都に不退寺とて律宗の寺あり業平の死

せられし所也五日廿七日が正月にて会式(えしき)あり

諸人参詣す業平の絵像有て毎年此日かゝる

なり冠(かふり)束帯(そくたい)にて紙を文をかくやうにそとへ

巻て詠草(えいさう)かく様にして左の手に持右の手

に筆を持両の手ともに膝に置(をき)て顔をふ

りあけて月をみる体也硯を箱に入てそは

にあり式紙二枚ありて勅撰也右の色紙に

〽大方は月をもめてし の歌あり左の色紙に業

平は阿保親王の男蕤賓(すいひん)二十七日なと委(くはしく)有

久事なれは失念す大方此分なりし冠常(つね)

に異様なるかこれをすきびたいと云と寺僧

 

の物語也き又阿保親王(あぼうしんのう)の木像四五才の人の大き

にて仏壇の左に有これは常に出て有

人身難(かたき)受(うけ)事

〽うけかたき人の姿に生れ出てこりすや誰も

又しつむへき

菩薩(ほさつ)処胎経(しよたいきやう)云

 一梁投海中求む之尚可得

 一失人身命難得過於是

敷嶋の道遠くして日はくれぬこしかたほと

の行末もかな

近代の歌とそ 〽行末をこしかた程にたもつ

ともほとやなからん程はなかりき

 

 

59

一 今川の了後国主へ教訓の歌おほく有其内

〽真薦草(まこもくさ)つのくみわたる沢辺(さはへ)にはつなかぬ駒も

はなれさりけり

〽ふる雨のまなし龍王やめてたへとくしやか御法(みのり)人にきかせん

和泉式部 摩那斯(まなし)を雨の隙なしに取なし徳叉(とくしや)

迦(か)を説釈迦(とくしやか)にとりなせり  面白

一 たな川ものもそのゝまき川いさ子とも

そともの小田にくはひひろはん

日本紀云 以粟稈麦豆為陸田種子

       以稲為水田種子

一 菩提寺の講堂の柱に虫のくひたりける歌

〽しるへある時にたにゆけ極楽の道にまよへる

 

世の中のひと しるへあるとは講堂の柱なれは

聴聞の事なるへし

一 作礼而去(さらいじこ) 〽ちり/\に鷲の高根をおりそゆく

御法のはなを家つとにして

是にて日重上人の和語抄の内書抜たる也

一 (西行云)昔の五戒十善の種を行末なくなしはてぬる

事をくひてもかひなし実(じつ)にはくひさめり

衆罪(しゆざい)は霜露(さうそ)のことくにして恵日(えにち)は是をきや

すことはやし恵日といへる便外(すなはちほか)に求むへからす

我心是也恵日の心しな/\なる事にあらすたゝ

道念(たうねん)の一門なりされは道心を発(をこ)せは無始(むし)より

つみ集置(あつめをき)かゝる罪のさなから皆消て本有常住(ほんうしやうちう)

 

 

60

の月を胸の中にすまさん事更にとをきに

あらす本覚(ほんかく)の月すむならは立波(たつなみ)吹風(ふくかせ)皆妙(たへ)なる

御法(みのり)にて侍るなるへし

一 待賢門院(たいけんもんいん)に中納言の局と云女房おはしましき

女院(によういん)におくれまいらせて後さまをかへ小倉山のふ

もとにをこなひすなしておはし侍き長月のは

しめつかた西行法し彼御宝にまかりて対面

申たりしにうき世を出し始めつかたは女院

御事の常に心にかゝりて哀いかなる処にか

いまそかるらんと悲(かなし)くおほえ誰々の人も恋し

く覚え侍しかとも今はふつと思ひわすれて

露はかりなけく心の侍らぬなりさすかをこ

 

なふかひ侍れはにや憂喜(ゆうき)の心に忘られぬる

なるへしおろかなる女の心たにしかなり年

久しく世を背きまことの道におもひ立て

月日をかさね給(たまふ)そこの御心の中いかにすみて

侍らんとその給はせしありかたかりける心はせ

かな我はつたなしといへとも世をそむく事も

彼(かの)局(つほね)よりは遥(はるか)のさきなり又都(すべ)て名利をおもは

すひとへに仏の道にこそ侍れともはや彼

局の心はせにもおとり侍りぬるはつかしさ

よと思ひて帰る道すから又案するやうははつか

しと思ふこそ憂喜の忘れぬなれととおもひ

よりぬ云云

 

 

61

(私)誠に憂喜心にわすれぬるは便是(すなはちこれ)禅なりとむ

かしの智者の詞なりと是も西行のかゝれし

けに忘れかたくわすれましき也わすれか

たしとたに常にこれをわすれす思ひ出は

かつはわするゝかたに心よりぬるにもや侍らん

無上至極の道に入(いる)といふもこれよりならんと

思ひ入てわすれすわすれん事をつねに心に

かゝへし究竟(くきやう)するところ万の中にひとり

憂喜わすれはてぬるもあるへきやと仏教の鏡

にうかへてこれを見るに時すてに濁悪世(じよくあくせ)也

わすれはてぬるはありかたかるへしもしわす

れはてうるもあらはめてたかるへしわすれかた

 

きをわすれんとせすうき時はうしと思ひよろこ

ふ時は喜ひ心をすまさんとせすさとりを得んとも

おもはす時代(ときよ)に随ひ我おろかなるをしりて観意

観法心にかゝへからすさとりの道はる/\とをき所

也いたらさるをいたれりとするは正直の道にあら

すおろかなるをおろかなるとしるは正直の道也万

城の関にもさはり有へからす以信代恵といへる

をたうとしと思ふへし濁悪世の観法なるへし

一 右の一つ書は上にいふかことくいにしへの人の書しるし

をきけることとも也されはとて何の草子こそ

のこりなく見侍るなれといふにもあらす手の

下にさはりぬるを取あけて我みしかき心の

 

 

62

たけのおもひよる一ふし/\跡さきともなく書

抜たる也人ことに見なれきゝなれしりたる

事ともなれはめつらしからすとてもてあそひ

物にもならしとにもあらし囲碁将棋のたくひ

たかひにしりたるか打よりてあかしくらしな

くさみとす見る人ことにそしらぬもなく手を

たゝきてわらはんも又にきはひくさなるへし

つれ/\草にいへるかことくほむる人そしる人とも

に世にとゝまらす伝へ聞(きか)んも又々すみやかにさる

へしといへり猶これを思ふへし今日(こんにち)ほむる人そ

しる人ならすて常にをのつから寂滅(しやくめつ)の相(さう)なる

事を

 

(略)