玉造稲荷の社は
金城の南にありて往古は
御城の中(うち)に在(いませ)しと云 此地
浪花(ろうか)東の端にて社殿の
うしろに舞台
あり 是より
眺望すれば葛城
生駒の高嶺巋然(きぜん)として
初夏に雪をいたゞき弥生の
ころは眼下より山際迄
菜花ならざる所もなく 彼の
なの花に河内一国くもりけりと
いへる秀句も此所の吟なるべしと
おもひやらるゝの勝地なりかし
○近世此所に八尾楽山上人地蔵
堂建立ありしより常に詣人(けいじん)群
をなして頗る利益を蒙る者多し
玉造稲荷の社は
金城の南にありて往古は
御城の中(うち)に在(いませ)しと云 此地
浪花(ろうか)東の端にて社殿の
うしろに舞台
あり 是より
眺望すれば葛城
生駒の高嶺巋然(きぜん)として
初夏に雪をいたゞき弥生の
ころは眼下より山際迄
菜花ならざる所もなく 彼の
なの花に河内一国くもりけりと
いへる秀句も此所の吟なるべしと
おもひやらるゝの勝地なりかし
○近世此所に八尾楽山上人地蔵
堂建立ありしより常に詣人(けいじん)群
をなして頗る利益を蒙る者多し