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忠義太平記大全 巻之十二

 

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244(左頁)
忠義太平記大全巻之第十二

 目録

鑓屋孫六異様(ことやう)の鑓をこしらゆる事
 天王寺屋度(たく)兵衛難義にあふ事
 度兵衛隠遁して地斎と改る事

赤間関之進かまくらに下向の事
 国分寺に詣(もふで)て墓所(はかしよ)をめぐる事
 箱根山二人翁(おきな)忠勇問答


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四十七人姓名の事
 屋浦夜討そなへ図の事
 泉成寺図の事

忠義太平記大全巻之第十二

 鑓屋孫六異様の鑓を請取こしらゆる事
ちからをもつて。人を服するものは。こゝろにふくするにあらず。
徳をもつて人を服するものは。中心よろこんでまことに服す
とは。孟子の謂(いゝ)なり。こゝにそのころ。松本地斎といふものあり。武
士にあらずといへども。義をまもつて信をたがへず。大丈夫のふる
まひをなし。その名を世上にあらはすことあり。そのゆへをたづね
るに。先年越州添(そふ)の上郡(かみこほり)。堺の津といふところに。鑓屋孫六
といふものあり。あるとき庄屋久作かたにゆき。さんぬること。め
づらしき鑓数十本あつらへ申せし人候ひて。このみのとをりにつ
かまつり。相わたして候なり。尤われらが渡世。家業のことにて
候へば。いあきゃうの鑓にても。あつらへ手さへ候へば。仕つてわたし候


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さりながら。あまりめつらしきこのみ。つねならぬものにて候へば。
ことわり申し候といふ。庄屋久作きいて。げに/\孫六どのは。つね
/\゛に律義にて。念の入りたる気分ゆへ。よくもことわり給ひ
たり。そのあつらへたるものは。いかなる人にて候ぞ。御大名がたよりか
町人がたの衆中か。たれ人なるぞといへば。さん候゛当地の町すぢ。
へそ町の天王寺屋度(たく)兵衛にて候といふ。久作きいて。さては度
兵衛があつらへしか。しからば詮議をたゞすべしと。やがて孫六
かへし。度兵衛をまねき。かの鑓の様子をのべ。人にたのまれ給ひ
しか。又は自分のこのみなるか。察するにかの鑓を。数十本あつらへ
られしは。持やうにては候はじ。たれ人にたのまれて。か様のもの
はあつらへられし。明白にいはれよといへば。度兵衛きいて。御たづ
ね御尤に候。これはさるものに相たのまれ。それがしあつらへ候所

相違なく候。さりながら此鑓につき。さわりになり申す事は。す
こしも御座なく候なり。委細つぶさに申すべく候へ共。此儀にお
いては人にふかく相たのまれ口外に出すこと。ふつとかなひ候はず
得こそ申しまじけれといふ。久作きいてこれは和どののためなるぞと。
さま/\゛すかしとふといへども。かつて以ていはざれば。里中の沙汰と
なり。種々手をかへてたづねしか共。度兵衛一心をさだめとかふ
の一言をものべざれば。此うへはちからなし。かのものをとりにがして
はかなふまじと。里中のもの共。一間なるところをしつらひ度兵衛
を押こめて。かたくこれを番しけり。度兵衛は。おかせるとがもな
き身ながら。一間どころにをしこめられ。うき年月をおくりけるに。
盟約のともがら。かまくらにあいて。本意を達しそのゝち
みな/\生害し。事落居せしよしを。度兵衛つたへきゝ。庄屋久


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作どのに。御目にかゝり候ひて。申したき事候といふ。里人共此
よしを久作にいひしかば。久作来つて対面す。度兵衛いひけるは。
それがし事永々里中の人々。張り番をなさるゝこと。御尤にて
候。今は申し候ひても。くるしからずなり候ほどに。子細をかたり申すべ
し。内々由良に相たのまれ。人かずならぬそれがしは。町民にて候へ
ども。一言相約せしところは。金よりもかたく石よりもをもく。たがへ
じと存じさだめ。妻子をすて身命をもかへりみず。かのやりを
あつらへて候。その鑓の用意と申すは。木刀にしこみ。あるいははしご
になし。又はくらかけにもなし。自由自在につかはれ申すやうに。こ
しらへたるものにて候。しかるに由良以下本意を達し。そのことす
でに落着せしよし。世上に風聞候ゆへ今はありのまゝに。かたり
申し候といふ。久作をはじめ。里中のものども。大にこれをかんじ。さて


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さて神妙なる心底かな。むかしの田光先生にも。をとるまじ
き人なるぞ。いかなる勇士ともいへ和どのには及ぶまじと。大にこれ
を美談し。一間どころより出し。さて/\此年月うき難儀に
あひ給ひたりかならず/\われ/\を。うらみ給ふことなかれと。今ま
でとは引かへて。さま/\゛にもてなしけり。度兵衛は。諸人のうたがひを
はらし。ほまれを国中にあらはしけるがいかなる所存にかありけん。
それより此ところのすみかをすてゝ。かみがたにのぼり洛外のみ
なみ長岡辺にすみどころをもとめ。うき世をすてゝ髪をそり。天
王寺屋度兵衛を。松本地斎(ぢさい)とあらため山川の佳景をあいし。郊
野の諸鳥をともとして。花にうそふき。月にねふり。世をしづ
かにくらしける。げにも松本地斎が。義に信に。その心をもちひし
こと。まことにいたれりつくせい。又由良が工夫にて。奇妙の

鑓をたくみ出す。その智はかりがたしといへども。数十本を一所
にてあつらへとゝのへしこと。一失なりとやいはん。しかれども。其
製よのつねのやりにあらず。ことやうなるものなれば。いづれ
人にたのむとも。同心せざるものにおいては。かずの多少にかぎ
るべからず。いかにいはんや数十人のこゝろがつて得てしるべからず。世
人はともいへかくもいへ。由良は当世の大丈夫。その智はかりしる
べからず。燕雀なんぞ。鴻鵠(こうこう)のこゝろざしをしらん。おそらく
は。かへつてその義を害すべし。地斎は町民たりといへ共その
義を見て。その勇あるものなり。たれか又その右に出ん。由良も
亦。よくその人をしれり。いひつべし虎うそぶいて風はげし
く。龍おこつてくもをいたすのたぐひにや。そも/\四海太
平にして。ゆみはふくろに。つるぎは箱におさめ。武はふしかくれ


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てすだれたるがごとし。しかれども神武の霊徳。なを今日に
かゝやきて。そのほまれを末代にのこす。たれ人かこれを称じ
たれ人かこれを感ぜざらん

 赤間関之進鎌倉より帰国箱根山二人翁問答の事
こゝに赤間関之進とて。西国がたの浪人あり。数年丹下殿
のかたへも。へだてなく出入し。懇意をうけしものなるが。丹下
どのは生害におよび。由良以下のともがらは。主人のあだを
報じ。切腹せしよしをきく。大にその忠義をかんじ。われもまた
それまでこそなからめ。せめては丹下どのゝ墳墓ににもふで。
盟約の士のはか所へも。水をも手向ばやとおもひ。かまくら
下り。芝がやつの国分寺にもふで。丹下どのゝ廟所にいたり。
これを見るに。山のこしをきりひらきて。丹下どのゝ墳墓。魏然(ぎぜん)

として夕日にかゝやき。なをもその威徳をしめす。その外盟
約の士の墓所を。こと/\゛くめぐりて。赤間関之進悲嘆のな
みだにたえず。丹下どのゝ御墓所にて。しきみをたて水を手向
心しづかに回向せしに。丹下どのゝ乳母(めのと)。もしほの局とてあり
けるが。主君のあとをしたひ。自害せしと見えて。此つぼねの墓
もありしかば。さすがは武士の。むすめほどありて。女ながらも御あと
をしたひ。一命をすてし心ざし。おのこにもまさりたりと。しきりになみだにむせび。水手向えかうなんどして。それより由良を
はじめ。盟約のともがらの。墓所にて回向をなし。なみだながら
旅屋にかへりける。かくて赤間関之進は。半年ばかりかまくら
ありて。こゝかしこを見めぐり。由比。小壷。江の嶋。えがら。靍が岡
なんど。所々の風景をも。今はながめつくせしかば。本国にかへ


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らんとおもひ。かまくらの旅宿を出て。三嶋。箱根の軒険路
をこへ。由井。かん原をも打すぎ。夜をかさね日を経て。長たび
のつかれも所々の佳景にわすれ。折にふれたる口ずさみなど
心をなぐさむたねとなして。たどる/\ゆきけるにいづくとはしら
ず。峨々たる山のふもと。一木の松の老たるが。枝も地をはふばかり
なるに。その下にしをり戸をかまへて。一つの草庵あり。いかなる
隠逸の人の。世をすてゝか程給ふらんと。心ゆかしくおもひしに。
折しも足もたゆく。のんどもかはきしかば。かのいほりに立より。申し
かね候へども。茶を一つ給はらんとて。内にさし入りしに。七旬ば
かりの老翁。二人さしむかひ。茶をのみ物がたりして。居たりしが。
いとやすき事にこそ茶をものみ。ゆるりと休息し給へといへば。関之
進よろこび。竹えんににじりあがり。茶うちのみて。二人の翁

が物がたりをきけば。由良以下のともがら盟約の士のうは
さなり。こはおもしろき物がたりなりとおもひ。みゝをすましてきゝ
居しに。あるじのをきないひけるは。げにも由良之助は古今にも
たぐひなき。智勇の良臣にてありしぞや。かれが智は神(しん)の
ごとし。内うごきて六根にあらはれ。四時天地動静(とうじやう)して。陰
陽万物にあらはる。そのあらはれざるを見る。これをなづけて明と
いふ。そのきゝしらざるをしる。これをなづけて聡といふ一をもつて
百(もゝ)をしる。人を見るの法。古賢ののぶるところおほし。兵法には。八
徴をあげ。大白隠経第三十一章に人狼を監(み)るの篇を
出す。武候心書第三章には。知人の篇をもふけたり。視観
察の三河をもつてせば。人いづくんもかくさんやと。大聖の孔子
もの給へり。よく人を見。人を知て。約をかたくむすびしにより


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血をすゝり天地にちかひて。連署のかずに入りしもの。一人も
心を変ぜず。大望をとげしこと。おもふに由良一人が。肺肝
より出たり。大丈夫にあらずやといへば。客のおきなきいて。の給ふ
ところおもしろし。さりながら由良之助。尾花どのをねらふといへども。
急々にはうたずして。年月をすぐせしはいかに。人間の老生不
定。かつてはかりしるべからず。それに事をのばせしは。いまだたらざ
るところあり。さるによつて。君父のあたには。ともに天をいたゞか
ずといへり。なんぞうか/\として。日をおくらんやといへば。あるじ打わら
ひ。それは御辺の。おもんばかりたらず。さしも大勇の伍子胥(ごししよ)す
ら。父兄をころされて。そのいきどほりをしのび。他国ににげわ
しつてのち。ついに本意を達し。楚(そ)の平王の死尸(しかばね)にむちうて
り。これ臆して。他邦にわしるにあらず。その及ぶべからざるを

しつて。時いたるをまつものなり。由良も亦左のごとく。盟
約のともがらこと/\゛く。十方に散在し。あるいは農人とな
り。あるいは商人となり。又は医師。あんまとり。さま/\゛とすがたを
かへしは。時いたらざるを知てなり。そのうへ虚をもつて実とし。実を
もつて虚とす。これは世上の口ずさみ、種々に謳歌してやま
ざるうちは。かたきのかたにも心をつけて。用心をするものなり
黒いぬにくらわれしものは。あくのたれかすにだにおづるといふ
世の諺はこれなり。かくのごとく。てきに油断なきときは。てき
もとより実なり。ことにかれらは小をもつて。大にてきすること
なれば。よく世間のあたゝまりをさまし。人も此うへさをうち口す
れて。いひ出さゞるの時をまてり。これ天のほどこしをまつもの
なり。見ずやかれらが主君。時いたらず。天ほどこさゞるが故


252(挿絵)


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に。身をころし家をうしなひしことを。かれらは身をころし。
家をうしなふ事はいとはざれども。存念の達しがたき事を。
はかれり。世の人口にかくるは。わづかに一月二月。しいて三か月はい
わざるものなり。さるによつて。年をかさねて本意を達す。これ
てきの虚をよく察せしならずや。よく時節をしりしことは。竹
節(せつ)のごとくなりと。うちしわぶきていへば。客かさねて。由良が敵
をふかくおそれて。夜うちの手だてを。段々ふかくたくみしこと。
左ほどにはあらずとも、本意は達すべきものを。かくまでてき
をおそれしは。いかなる事にて候ぞといふ。あるじのおきなうち
わらひ。武将の本心さにはあらず。軍門のならひにて。そのよ
わきに。てきのつよきをかたらずそのつよきに。そのよわきを
かたらずといへり。かくのごときの武鉄。まことに項羽。禁

?(くわい)。張飛(ちやうひ)が勇にもこえたり。本然忠誠の武に。何のうたがは
しき事あらんや。この盟約のともがらは。こと/\゛く万死の兵(つはもの)。敵
はこれ万生の兵。その虚実を権比せよ。そのかつ事は。万死に
あらずんばあるべからず。されば古語にて。万死を出て一生にあふ
機にのぞんで死するに栄あり。生するに恥ありといへり。是
まことの万死なり。そのうへ由良が心中と。よく察し見られよ。
これ鉄石のうちにありとも。かつ鬼神造化のかたちをなすとも
うちとるべきとの所存。ゆるがせに見らるべからず。孫子がいわく。かれ
を知ておのれをしるものは。百戦あやふからず。かれを知らずしてをの
れを知るものは。一たびうち一たびまく。かれをしらず。おのれをしらざる
ものは。たゝかふことに。敗(はい)をもつてすといへり。此由良は。かれをしり
おのれを知れり。これ大丈夫にあらずやといへば。客の翁げにも


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の給ふところ。一々理にあたつて。感心仕り候といふ。関之進かた
はらに居て。つく/\゛と此ことをきゝ。こはおもしろき評論かなと。
日のくるゝをもうちわすれ。両手をくんでひざにあてかしらをたれ
てきゝ居いたり。関之進あまりのおもしろさに。さしよつていひける
は。さて/\ふと立より申し。おもしろき評論を。うけたまはり候ものかな
それがしも西国がたの浪士にて。由良以下のもの共とも。みな/\
入魂(じゆこん)仕り。へだてなくかたりて候へば。今さらあはれをおよほし候。
いづれ由良ごときの忠臣は前代はしらず末代には。あるべくも
候はずといへば。あるじの翁うちうなづき。いかでか末代にはあるべき
ぞ。忠臣のみにかぎらず。義あり孝あり。智あり勇sり。たぐひな
き良臣なり。聖賢五刑のかず。三千のつみ。不孝より大なるはなし
といへり。由良がごとく。忠功をつくして名を後代にあぐる。これ孝の

第一なり。君につかへて忠あらざると。戦陳勇なきは。ともに
孝にあらずといへり。これらの道理をもつて。忠孝のだうり
まつたき事をしり給へといふ。関之進きいて。さて/\おどろき入た
る高論。いかなる人にておはしますぞ。御名をうけたまはらんといふ。老
翁きいて。いや/\われ/\は。世にすみわびたる老人名のるべき名
も候はずと。かたく辞退したりしかども。関之進ゆるさねば。此うへは是
非もなし。しからば名のりきかすべし。愚老はむかしの。九郎判官義
経公の御内にあつて。かくれなかりし常陸房海存(ひたちぼうかいぞん)。長生の術を得て。
今に此世にながらへ。住み所をもさだめず。こゝに一年(ひとゝせ)かしこに二年(ふたとせ)
心にまかせてすみ候といふ。関之進よこ手をうつて最前よりの
高論。仙(せん)にて候かや。仏境に入り給ひしとは。うけたまはり及しか共今かく


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対面申すこと。盲亀(もうき)の浮木(ふぼく)にあふよりも。なをまれなる事候。昔
の事ども御物語候へといへば。今はうき世のちりを出。風雲をとも
とし。天地のあいだに逍遥して。そのいにしへの事共は。おもひ出す
も物うきなり。われ仏境に入りてのち。奥州会津といふところ
の。実相寺に住じ。開山より二十二世の住職となりて。桃林契語
禅師と号し。又は残夢酔月和尚ともいへり。此寺に数十年
住みし也。これなる老翁は。その名を福山仙人といひて。いにしへは義経
公の。はたさしにてありしなり。此ものも仙術を得。会津に来つて。
かゞみをとぎ世を渡りしが。あるときふとめぐりあひ。げには昔のしの
ばしく。ゆかりなきにもあらざれば。それよりもへだてなく。あけくれ
ともなひ候なり。実相寺を辞しさつてのちは。一向の隠逸となり。
別称を呼白(こはく)と号し。又は秋風道人(しうふうどうにん)とも称じ。ところさだめず

住はんべりといふ。関之進きいて。さてめづらしき古人達に。対談い
たし候こと。是も希代の事共なり。旅中にて候はずば。元暦。文
治のむかしの事共。うけ給はりたく候へ共。心のいそぎ候へば。御い
とま申し候とて。二人の仙人にいとまをつげ。半町ばかり立
出しが。日ははや西の山の端(は)に入りぬ。これより人里まで
は。道のほどもあるべければ。かの残夢仙のもとに。こよひは一夜
一宿して。物がたりをもきかんとおもひ。もとのところに
立かへりしに。かの二人の仙人は。いづ地へかゆきけん。松ふく
かぜのをとのみこきえ。山川(せん)おのづから寂寥たり。関之進あやしみ
ながら。げにも昔より。仙境の術は。みなかゝる事にこそと。いよ/\奇異
の思ひをなし。それより道をいそぎしとぞ。勇士あり忠臣あり。義士あれ
ば仙人もあり。これ泰平の代のしるし。目出たかりし事共なり


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尾花殿屋形之図(以下略)


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尾花殿 隣館之図(以下略)

泉成寺図 墓所(以下略)


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必死一連衆

大岸由良之助 良惟(よしたゞ)家老知行千五百石智仁勇 行年四十五歳
市田仲左衛門 兼亮 譜代衆郡代軍学才有 知行弐百石行年六十三歳
宗野原右衛門 元辰 足軽大将能書学才有 知行三百石行年五十六才
片山源七兵衛 高房 出頭小姓上り単学知行三百五十石 行年三十七歳
間瀬垣休之丞 正明 譜代大目付学才有 知行弐百石行年六十二歳
尾寺千内   秀和 譜代京都留守居能書学才有 百五十国行年六十一歳歌人

真(まこと)儀兵衛 玄延捨人馬廻り吟味役能才有 百五十石六十八歳
荒貝十九郎  正久 新参物頭知行百五十石 行年廿五歳
海辺(うんへ)高(こう)兵衛 金丸 古参元留守遣鑓名人 知行三百石行年七十七歳
遠松文六   行重 古参馬廻軍学才有 知行弐百石行年廿四才
留林(とばやし)祐(すけ)右衛門 正因(より)古参馬廻り才知有知行三百石 行年三十六歳
又田塩之丞  高教 国絵図役由良之助いとこ 知行弐百石年廿五歳
藤水早左衛門 満尭 新参十人馬廻り学才有 知行弐百石行年四十才


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白垣延藤   高賢 譜代十人馬廻り弓上手 知行弐百石行年廿五歳
孫田奥太夫  重森 新参十人馬廻り武具役 知行弐百石行年五十二才
弓田六郎左衛門 助武 小三十人馬廻り武学有 知行百五十石行年廿八才
大岸渕左衛門 信清 譜代馬廻り由良之助弟 知行百石行年廿六歳
大岸力弥   良金 由良之助惣領無役弓勢 行年十六歳
溝部弓(きう)兵衛 武庸 無役太功之者知行二百石 行年三十四歳
岩波村助   正辰 祐筆頭此度口上書付詞 行年四十五歳

南沢朝右衛門 正種 馬廻り以前浪人なれ共此度 加る行年三十四才
片谷(かたや)市之助 正利 馬廻り鑓の達人知行四百石 行年四十四歳
百馬(ば)次郎兵衛 光忠 古参馬廻り能才有知行百五十石 行年五十一歳
松木岳(をか)平 貞雪 譜代馬廻り能書学才有 知行三百石行年四十六才
野金岡右衛門 包秀 譜代馬廻り知行三百石 行年廿四歳
鯛賀(たいか)八左衛門 友信 蔵奉行古参人知行百石 行年五十四歳
早鷹源六   忠雄 譜代中小姓はいかい師と成る 知行百五十石行年廿二才


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八十村嶋右衛門 常種 勘定頭長刀名人知行百五十石 行年三十八才
吉沢細(さい)右衛門 兼貞 無役能才有 行年廿九歳
武森由七    尭  近習乳母子 行年三十二才
橋伝(はしつて)倉助 武幸 近習行年 三十四歳
松川喜平    秀直 広間役剃髪医師に成 行年六十二才
普川香十郎   光貫 近習小姓たち能書学有 行年廿八歳
諸山平五右衛門 勝清 行年廿八歳 無役

後原休助    宗房 金奉行きれうりと成る 行年廿五歳
真 古六    光風 先年浪人仕今度加る 行年廿四歳
真 十三郎   光興 無役行年廿六歳 大功のもの
定田奥右衛門  行高 無役奥太夫子 行年廿四歳
弓嶋与茂七   教兼 無役行年 十八歳
松川三平    高尚 無役喜平子 行年廿七歳
間瀬垣里弥   正辰 無役林之助子 行年廿三才


261
和野(やわらの)茅(ち)助 常成 目付役花名人 行年三十七歳
立川勘六    宗利 奉行役行年 三十七歳
神木与八郎   則休 横目役行年 三十八歳
村次三郎次   包常 台所役由良之助取立 行年三十七歳
福森留之助   貞国 近習知行百石 行年二十七歳
関井徳之進   光忠 近習行年廿六歳

 以上四拾七人記也


 (以下略)おしまい