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忠義太平記大全 巻之二

 

読んだ本 https://www.nijl.ac.jp/ 忠義太平記大全

 

27(左頁)
忠義太平記大全巻之第二

 目録
三人の浪士賀古川に来る事
 大岸由良之助牢人を城中に入ざる事
 五十二人の侍殉死誓約の事

大野木十郎兵衛父子欠落の事
 三谷甚平四宮泰庵大野木を寄付ざる事
 亀山の百姓共大野木を追払ふ事


28
大坂屋九左衛門大野木が財宝を預る事
 十郎兵衛わが小判をぬすむ事
 大野木父子を筋違(すぢかい)橋にて生捕る事

萩田平介大筒を買事
 中祢沢兵衛金銀を盗み欠落の事
 弓嶋与茂七忠志ふかき事

賀古川城中殉死評定の事
 城中の諸侍十方に離散する事
 尾花右門用心蟄居の事


忠義太平記大全巻之第二
  三人の浪士賀古川にきたる事
塩鉄論にいへることあり。言(こと)をもつて人をあぐるは。毛
をもつて。馬を相するがごとしといへり。義あり忠あり。信
あり勇ありがほに。弁舌にまかせいふときは。忠臣良臣
とはみゆれども。のがれぬ必死の場にいたつてぞ。義士
忠臣はあらあhれつべし。さてこそむかし孔夫子(こうふうし)も。巧言
令色は。すくないかな仁との給ひし。なをそれをつよく決して
程子(ていし)は仁にあらずとのたまへり。此たび西国賀古川の城中。騒
動すこときこえしかば。さぬきに高松。阿波に一宮(いつきう)小笠原。伊
与に河野の一族。備中に成輪(なりわ)。真壁のともがら以下。隣
国の諸大名。もし籠城にもおよぶかと。手あての勢


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を出し。海上にふねをうかめ。国ざかいに士卒を出し。武
備厳重にそなへたり。鎌倉の屋形にありし侍どもに
も。こゝろざしあるもありしか共。家老安彦伊右衛門に制せ
られ。心ならず。国にかへることを得ず。その中にも新参の
士。孫田奥太夫。海辺高兵衛らは。かの制止にもかゝはらず。か
まくらをしのび出。賀古川にはせつきぬ。こゝに徳井進関(しんくわん)
山九郎次。岡路野(おかぢや)太夫といふものあり。これは先年。いさゝ
かのことにより。浪牢の身となりしが。故主丹下どの。不慮
の生害におよびしに。よそながらつたへきゝ。われ/\近
年主君なしの。浪士たりとはいひながら。たねんかうふりし
御厚恩を。今報ぜずんばあるべからず。これ勇士の節
儀なりと。三人こゝをとひとつにして、。世にすてられたる

牢士の身は。家来とてもあらばこそ。おの/\みづから
武具をになひ。手なれし鑓を杖につぎ。賀古川に
はせつきて。旅出立をそのまゝに。追手の城門にきた
り。案内こふて。家老大岸由良之助にたいめんしわれ/\
こと。先年すこしの故ありて。浪人の身となりしより。漂泊
流浪の身となりて。うき年月をおくり候。しかるに
此たび。故主印南野家。御生害におよびしよし。是非
におよばざる次第。紅涙(こうるい)そでをぬらし候。あはれ御免をかう
ふりて。御籠城の人数の中へ。めしくわへ下されば。生前の
大幸。これにすぎ候はゞ。およばずながら心ばせの。はたら
きをも仕り。累年の御厚恩を。報じ申したく候と。よ
ぎもなくぞかたりける。由良之助。しばらく感涙をおさへ。さ


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て/\感じ入りし御心底あつぱれ忠臣といひつべし。
しかれども当城へ。入れ申さんことはなりがたし。籠城にて
も候はゞ。わざともまねきどう朗べけれど。上(かみ)へ対して。毛頭御うら
み候はず。逆心にてなきうへは。おの/\を一人にても。まねきあつ
むへきやうはなし。浪人をあつめたりなんど。世のとり沙汰にお
よばんは。末代までの瑕瑾。悪名をかうふり候べし。かく御出ある
うへは。すでに忠志の程あらはれて。一命を亡君に。さしあげ
られたる同事。御旧恩においては。報ぜられたると申すもの
此道理を納得あり、はや/\御かへり下さるべしと。慇懃にの
べければ三人口をそろへ。御仰尤に御座候へ共。他家の浪人ならば
上のきこへもはゞかり有。我々ほう君の御勘気の身なれ
ばこそ。御断申。其上勘当の諸士戦場にて。御ゆるし有

事古今に其れいおほし。とかく大岸殿ほうくんと奉存候
ゆへは。御なさけ早々城内へ入くたされ候へと。帰るきしよくなか
りける。由良之助かんるいおさへ各々は忠臣とや申さん義臣
とや申さん。然共籠城覚悟これなし。御請取の御方様御下
向ちか/\なり。諸道具目録又所々普請そうぢ等申渡
し。御城上(かみ)へ御渡し申さば主なしの牢人其節御たつね
にあづかるべしたがいに語り相申そう。先々早々御帰りといんき
んにいひければ。徳井そこいにこたへなつとくの上なれば。
両人のものも理に服し。此うへは是非もなしと。由良之助に
礼義をのべ。わかれてぞかへりける。かく勘気をかうふりし。浪
士の身にてだも。旧君のあたを報ぜんのぞみありそれ
に譜代重恩をうけ。厚禄を喰(はみ)ながら。忠と義との二つ


31(挿絵)


32
をわすれ。いのちをおしんでのがれんとするものとも。日ごろ
口をきゝし者も。鍮赤(ちうじやく)いろになつて。にげみちをもと
む。中にも老臣といわれて。諸士をひきまはし勇気をも
はげましむべき。大野木十郎兵衛おや子。臆病ものゝ大将と
なりて。年ごろためをきたる金銀にまよひ。妻子をあい
し身命(しんみやう)をおしみ。そのうへにもなをあきたらず。城中に
たくはへありし。大分の金銀を。おのれが家老がひには。おび
たゝしくかすめとり。いかにもして身をのがれんと。かたづ
き所の思案をして。大岸父子とは。雲泥万里の心中
なり。されば生(しやう)を好んで死をにくむは。人情のつね。義をま
もらざるは末世のならひ。大野木に一味して。はづさんとた
くむものはおほく。大岸に同意して。死をたのしむはまれ

なるべし。城中の諸士三百八十余人のうちより。大岸に
一味同心して殉死えおおもひさだめしものわづか五十二人。誓
紙をかきて血判し。一場必死のちかひをなず。いさぎよくぞ
見えたりける

 大野木十郎兵衛父子欠落の事
あはれやげにいにしへは。驕慢もつともはなはだしく。諸侍を見
くだして。家老職をはなにかけ。賄賂(まいない)これしきをつかむこと。
鷲のごとくまたかのごとし。利欲のみにこゝろをかけ。下を
あなどりたみをせたげ。われならではといはぬかほつき。威勢を
ふるひまはりしが。今此期にのぞんでは。鳥屋(とや)にはなれしはぬ
けどり。立にもたゝれず居るにも居られず。天にせくゞまり。
大地にぬき足して。大岸をはじめ同意のものどのはいふに


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およばず。そのうちの馬とり。小ものまでも。いまは何とやた
おそろしく。かゝるうるさきところに。片時(へんし)も長居は無益(やく)
なりと。しのびに。財宝雑具(ざうぐ)をはこばせのけ。わが身
夫婦。その子吟左衛門。家来のものども引つれその夜も八つの
とけいすぎて。此ところをしのびのきけるが。折ふし孫息女(まごむすめ)が。乳(めの)
母(と)のふところにいだかれ。部屋に寝ていたりしを。さすがは恩
愛のしるし。吟左衛門。此子をつれてのかんといひしを。十郎兵衛大
に制し。此子をすつるは不便(ふびん)なれども。乳母めは日ごろ何と
もならぬ。わやくものゝ無法もの。もしわるふ心得て。われ/\に
同心せず。此こと諸家中にもらしなば。いかなる難儀か出来らん
大事のまへの小事。いのちこそ物だねよ。そのうへあれは水子
こと。すてころすとても是非もなし。小(せう)のむしをころして。大の

むしをたすくるとは。古人のいひし金言なり。かならずあの子
はおもひきれ。未練な心をもつまいぞ。乳母(うば)もよく寝入り
なり。おとばしすなとさゝやk、いて。現在の孫をすて。足にまか
せてにげゆきけり。やうやく城下をおおちのびて。むねのおどり
をしづめ。さいわいひ播州網干(あぼし)村に。母からのいとこ。三谷甚平と
いふ浪人。これが方をこゝろざして。三谷がかたへたづね行しに。
甚平中々同心せず。われ此十ヶ年以来。浪人の身となり。尾羽
はうちからせしとて。見かぎつて門ばたをもふませず。一門のちなみ
をきりし人の主人のために。殉死をもとげず。狭間(さま)くゞりし
てにげ来られたる。恩しらずの浪人は。又それがしがやどなんど
へは。門ばたもふませがたし。とう/\かへり給へとて。空うそぶ
きしかほつき。とてもいふてかなふまじと。再三ことをつくす


34
におよばず。すご/\と立出さて/\義理をしらぬ奴めと。
わが不義理は打わすれ。そしり/\さまよひゆく。言(ことば)さかつて
出る者は。又さかつて入るといふを。わが身にしらざる愚人なり。こ
でよりいづくへゆくべきぞと。つく/\゛思案をめぐらして。年
ごろ恩をほそこしをきし。一家知院(ちいん)おほければ。いづかたへ。立
しのばんもやすけれ共。まづは大坂川尻橋に。四宮泰庵(しのいやたいあん)といふ
医師。一門のよしみあればと。これが方をこゝろざし。舩にとり
のりこかれゆく。塩路のたびのうきふしに。波なれごろもうら
めしきは。甚平めが不理屈さと。これをはなしのたねとして。
夜をあかし日をかさね。大坂につきて。川尻橋に至りしに。
泰庵面色つねならず。承れば丹下どの。御生害ありしに
つき。家中籠城の用意なんどゝ。とり沙汰世間にかまびすし


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御自分は家家老職。諸侍をも引廻はし棟梁し給ふべき身の
いまだ城わたしもあらざるに。立退これへ来り給ふは。腰がぬけ
しと見うけたり。」おもふても御覧ぜよ。此泰庵をたのんで。お
出なされんいわれなし。先年太夫の道中を。人形にきざませ。時
計がらくりにとの御たのみ。書状にて仰こされしゆへ。人形屋
を吟味いたし。拙者大ぶんの世話をもつて。のぞみの通り
にこしらへさせ。さし下し申せしに、わづか銀三匁の。かねがんの
せんさく。それよりして不通切。ちなみを御たちなされたではないか
今身のをき所なきまゝに。泰庵をたのみにとは。よくも御出
なされたり、いかな/\。一夜の宿もかなひがたし。はやく御かへ
り候へと。的面に恥をあたへられ。さても/\。世は末世にお
よびたり。義理知たる人間は。今の世のきれものかと。ぶつ

/\つぶやきながら。又ふねにとりのりて。もとの波路にこ
ぎかへり。海上にたゞよふこと。又廿日(はつか)あまりを経て。亀山の
芳得寺(ほうとくじ)は。代々の菩提所なれば。今はこれへとこゝろざし。彼寺
へゆきたりしに。在所中の百姓共。此ことをつたへきゝ。丹下殿
の家老の身として。主人の怨(あだ)を報ずるまでこそなからめ
いまだ城わたしもすまざるに。はづすほどの不義なる男。いか
にお寺なればとて。それをかくまはれんは。かへつて仁の御心にも。
よもやかなひはいたすまじ。義をたて道をまもるをば。出家さふ
らひとは申さずや。かゝる不義理の男めを。かくまい給ふ心ならば。
出家も不義の出家ならん。たゞおひはらへといふほどこそあれ
一村がむらがり来り。理も非もいわせずおつたてしかば。又たの
む木のもとに。両のたまらぬこゝ地して。妻子もろともさまよ


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ひ出る。ゆくえさだめぬうたかたの。あはれなりける身のはて也

 大坂屋九左衛門大野木が財宝をあつかる事
こゝに賀古川城下の町に。大坂屋九左衛門といふものあり。これ
がもとに大野木十郎兵衛が。しのびに退けたる財宝。七十余色あ
づけをきしが。太刀刀。茶器墨跡なんど。無類の重宝かず
をしらず。又材木屋宗兵衛といふものがもとにも。財宝九十
余色まで。吟左衛門あづけをけり。今かく無主の世となりて
も多年の制法たゞしかりし。その威徳のこり居て。町
人までも上をあふぎ。右の次第。ひそかに城中へうつたふ
る。由良之助大によろこび。大野木ことは。諸侍の見ごらしに
も。おこなひたき男なれども。とりにがし無念なるに。これこ
そ天のあたへなれ。それほど大分の財宝を。あづけをきし

うへからは。それを取にきたるべし。そのときにつげ知らせよ
とて。こと/\゛く封をつけ。印判をおしてみだりにわたすべか
らずとて。かたくこれをいひつけけり。かゝることとはゆめにもし
らず。大野木親子のものどもは。仲の秋下旬のころ。賀古
川にかへり来り。しのびやかに進藤田八。田辺喜三郎をあひかた
らひ。大坂屋九左衛門が家にゆき。あみ笠着ながら奥へとをり。
笠をとつて。何と九左。其のちは遠々しや。大分諸具を
あづけをき。ちかごろ世話にいたしたであらん。過分/\。たゞ
今請とり申さんといへば。九左衛門きいて。まづは御堅固に御座
なされ。珎重の御ことに候。それにつき。御かづけなされしもの
共御城中へもれきこへ。由良之助どのより。検使をもつて
一々封をおつけなされ。みだりにわたすべからずとの。仰付に


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て候へば。わたくし自分のはからひには。いたしがたく候といふ。
十郎兵衛色をちがへ。それは何共まいわく、主はそれがしにきは
まりたり。由良之助がはからひにて。いかに封をつけたればと
て。つけさせてをくべきか。それがしがあづけたからは。それが
しにわたせよと。気色をかへていひしか共。亭主すこしも
おどろかず。いかにもあづかり申したれ共。地頭よりの仰な
ればいかで違背申さんといふ。大野木いよ/\いかつて。
地頭とはたか事ぞ。主君丹下どのはお果なされぬ。かれ
も家老われも家老。由良之助を地頭といはゞ。それが
しも地頭なり。うろたへたるかとはつたとにらむを。
九左衛門せゝらわらひ。御自分もいにしへは。お家の御家老
たゝ今は。こしぬけ中間の御大将。由良之助どのはかたし


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けなくも。主君のあとをとりしづめて。まづ当地のあづ
かり主。しかれば地頭どのならずや。鴈も鳩も一口に。の
みこみすぎたいひぶん。鵜のまねをからすとかや。よしれぬ
ことを申されなと。数刻問答するうちに。はや日も暮
てたそかれ時。よし/\こよひはとめをきて。明朝早天うつ
たふべしと。心のうちに思案して。兎角あらそひ申し
ても。これはたがひに水かけあひ。ことのいひぬせんさくなり。
今宵はこれにとまらせ給へ。明日の詮議にいたすべし
とて。自分の用事をとゝのへんため。おもてへぞ出ゆき
ける。十郎兵衛そのひまを。よきさいわひとおもひ。封をきり
箱をひらき。内に入れをきたる。金子三百両とり出し。
ふところにをしこみて。進藤。田辺に目くはせし。一同にに

げて。ゆく家内のものどもこはいかにと。そのあとへじゃしり
ゆき。見れは箱の封をきり。ふたもかしこにすてをきたり。
扨は内なる金銀を。ぬすみ出せしと。おほえたりと。いそぎ九左
衛門をよびにやり。此よしをいへば。九左衛門大におどろき。かしら
をかき身をもだえ。出しぬかれしといかるうちに。町中の
ものどもかけつけて。やれ大野木のこしぬけ武士。うてふ
めたゝけとらへよと。提燈をともしたて。われも/\とおつか
くる。九五郎町を東へ。すぢかへ橋をみやりたれば。はや駕籠二
てう。いかさまこれはこゝろへずと。みな/\そばへはしりより。
ことはりなしに。駕籠のすだれをさつとあげ。提燈にてこれ
をみて。やれ大野木親子のものぞと。手とり足とり引いだ
す。十郎兵衛。吟左衛門。刀のきつ刃(は)をまはして。こは狼藉もの


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ちかよるまいと。義勢して見するを狼藉とはたが事ぞ。
をのれこそおあづけの。道具の封ををしきり。盗みした
る狼藉ものよと。大ぜい十方よりたかりかゝり。親子が大
小をもぎとつて。何をぬすみしもしらず。はだかになし
てせんさくせよと。二人ともに。丸はだかにし。さてこそ小
判三百両。これが狼藉であるまじきや。異議におよばゞ
うちころせと。散々に打擲し。猿しばりにからめて。そ
れより宿所に引かへり。翌日白昼。諸人のみせしめ。恥の
かきあきをさせよとて。紙ののぼりをおはせ。町中を。五六へ
ん引わたし人面獣心いぬざふらひと。はやしたてゝお
ひはなつ。さても死なれぬいのち。あさましき心底かなと
みなつまはじきして笑ひぬ

 萩田平助大筒をうる事
大野木が。腰ぬけ中間に入て。そのくみ下となるものおほし。
鎌倉家老の安彦(あひこ)伊右衛門。藤又伊三郎。伊五藤左衛門。岡木
林助。小村甚右衛門。玉松八郎右衛門。竹田伊六。進藤庄右衛門。八十(やそ)
嶋長左衛門。藤彦伊四郎。田守十右衛門。茎岡喜右衛門以下。そのかず
かぞへがたし。中にも萩田平助。同じく舎弟理左衛門は一家
中にてもかくれなき大よくの大福人。資材調度にいたる
まで。何にことかくものなく。かれが家には。大筒までたく
わへもてり。されども所持せざるものは。忠義の二つ。名をす
てはぢにかへて。にげ道をこしらへ。みやこにのぼつて。さらり
武士をとりをき。楽人となつて。金のひかりで世をわたらん
と勝手よく思案しけるが。此たび城うけとりのため。むか


40
い給ふお方へ。これぞいらざるものとて。大筒二挺うけわた
しぬ。これを武士の本意とやいはん。城うけとりのお大名
は。必竟敵と同事なり。たとひ武士の心をすてゝ。武具
大筒を沽却(こきゃく)すとも。あひ手にこそよるべけれ。城へうちかく
べきための大筒を。城うけとりのお方へうりわたしぬる
心の中。人間とやいはん三間とやいはん。一間や二間のちがひでは。
かゝる不義はせらるまじと。上下さみしにくみあへり。鎌倉に
ありし。丹下どのゝ家来共は。此ことをすたへきゝ。扨畜類
にもをとりし奴。亡君の百ヶ日には。司馬が谷(やつ)の国分寺
廟参のため下向すべし。もしも当地にきたりなば。かの
兄弟が衣装をはぎとり赤はだかになして。司馬がや
つにひこづりゆき。君の墳墓をおがません。もし又異


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儀におよびなば。刃ものはきやつにおそれもあり。杖にてた
たきころしてのけんと。手ぐすね引てぞいかりける。清田
中兵衛。扇与市左衛門。遠松吟六等も。大野木に同心して。こゝ
ぬけの講中となりぬ。中弥沢兵衛は。日ごろ私欲ふかきもの
今騒動のときなれば。忠義ふかきものどもは。金銀に目を
かけず。必死の密談にとりこみ居る。これそさいわひに。時
を得たりとよろこび。おもふまゝに。金銀をつかみとり。ゆくすえ
の身がまへして。行衛もしらずうせぬ。数代主君の厚恩
をわすれ。今の時節におよんで。不義不忠のふるまひ。人畜
といひつべし。尤あさましき心底なり。こゝに又。弓嶋正介
が子小。弓嶋与茂七とて。ことし三五の花のかほ。ひたひの
月の色ふかき。国中一の美男容貌世にすぐれしは。

さんぬるはるよりめし出され。御そばはなれずめしつかはれ。御
愛憐ふかゝりけるが。由良之助おもひけるは。与茂七ことは。いま
だいくばくの奉公を。つとめたる身にもあらず。つぼめる花のわがも
のを。あえなくちらさんも不便なりとおもひ。与茂七にむか
ひ。その方ことは。いまだ若年の身といひ。ことに公勤仕のあいだ
とても。いくほどもなき事なれば。此せつ立のき申さるゝとて
も。不義とも不忠とも。いふものはあるべからず。ゆくすえながき
壮年の身。やみ/\と死地につかれんことは。無益の次第な
るべければ。片時もはやく。立のかれよといふ。与茂七興さめ
がほにて。しばしは物をもいはざりしが。扨々口をしき御あいさ
つを。うけたまはり候物かな。それがしもとより若輩もの。こ
とをなすまじとの御推量にて。左様に仰候か。又は不義理


42
の心やある。引みんとおぼしめすか。さほどに見たてられ申しては
いきていき甲斐候はず。いそぎ冥途におもむきて。君にお
ひつきまいらせんと。やがてそのまゝをしはだぬぎ。自害せんと
したりしを。大岸あはてをしとゞめ。さて健気なり/\。歴々のも
の共も。およばさるところの節儀。さりとは感じ入りしぞや。此
うへそれがしと共に。死生をともにせられよと。一味の盟書
をとり出せば。与茂七なみだを一目にうかべ。若輩ものゝそれ
がしを。人なみにおぼしめされ。連判にくわへ給はる段。生前の
面目。亡君への奉公。なにごとかこれにすぎ候はんと。やがて姓名
をかきしるし。血判をぞをしたりける。かゝる若年のものだに
も。忠義に死せん心あり。家老職ともいはれつる。大野木が
未練さは。言語に絶し事どもなり。茎岡伝六左衛門。荒

貝十九郎両人は。丹下どの。毎年の恩顧地にことにはなは
だ昵近したりけるが、忠義の心もつはらにして。義心鉄石のもの
なりし故。一味同志のものどもの。籠城といふにもかゝはらず。
とかく尾花右門どのこそ、亡君のかたきなれ。右門どのいまだ存生
し給ふうへは。右門どのゝくびとつて。主君のあたを報ぜんと。両
人ともない。賀古川をうつたつて。鎌倉へとはせてゆく。勇ああり
義あり忠ありと、諸人これをかんじけり

 賀古川城中殉死評定の事
義は金石よりもおもく。命は鴻毛よりもかるしとは。忠臣の
心なり。されば大岸由良之助は。城中の諸侍の。一和せざるやうを
みて。籠城をせんことは。かなひがたしと推量し。広間によ
びよせかさねて諸士にむかひ。さても当城。うけとりの諸


43
大名。近日当おもて。着陣のよしここえたり。やみ/\と当
城を。引わたし申さんことは。心外のいたり。口をしくは存ずれど。
上意を違背申さんは。おそれおほき事共なり。左ありとて当
城を。無下にわたさんも心うし。まづそれがしが宅へ。みな/\来
舎し給ふべし。こゝろざしを一致にして。殉死をとげ候はんと
いへば。同志のものども。由良之助方へよりあつまり。いよ/\今日
一同に。追腹を仕り。殉死をとげ候はん。まづせい紙をしたゝめ。ふ
たゝび血判をもつて。心底をさだむべしと。さま/\゛とり/\゛評
定す。由良之助かさねて。おの/\一味同心の段。ちかごろ祝
着いたしたり。ついてはそれがし。つく/\゛案じ候に。今一所
に死したりとて。亡君の御ために。何の益か候べき、主君のかた
きにこそ。右門どの安穏にて。鎌倉に居給ふうへは。主君の


44
あだは此人なり。一まづ異議なく城をわたし。そののちて
たてをめぐらし。亡君のあたを報じて。その時一所に死す
べきなり。此儀いかにといへば。みな/\これに同じ。城をあけ
わたすべきにさだまりぬ。かくて城地うけとりの。お大名御
目付。近日来着あるのよし、さきだつてきこえしかば。賀古
川領内は。山坂険阻の道をつくらせ。河々に舩をあつめ橋
々を修理せさせ。村々里々海邊まで。口論日の用心
をいましめ。かたく制法をいだし。城下の町々。図子(つし)小路は。
通り道をきよめさせ。城中家中の屋敷/\は。破損の所を修
補せさせ。上使の来臨をまち居たり。上使すでに下着あ
れば。由良之助。追手の城戸ををしひらかせ、一家中の諸士を
相具して。罷出で礼義をのべ。城中の諸具諸色。目録に

しるし献上し。丹下こと。此たび無調法により。式法のとを
りに仰付られ生害仕り候段。家中の者共すえ/\゛に至る
まで。かしこまりたてまつり候。さるによつて当城を。さし上申
候うへは。家中のもの共。安心いたし候やうに。ひとへにたのみあげ
奉り候と。委細にこれをのべければ。城地請取の両将きこしめ
され。いかにもねがひのとをり。きゝとゞけぬる上は。鎌倉にかへ
りなば。よろしく言上すべきなり。此たび城中城下まで
も。掃除等念を入れ。申しつし段。そのうへ万事の仕かた。帳
面諸色の目録以下。油断なくいたせしこと。かんじ入りしと
ころなり。右の段々。今晩飛脚をもつて。鎌倉に注進す
べし。家中のものとも退散するにおいては。住所はのぞみ次
第。証文を出すべしとあれば。有難き次第に御座候と。両将


45
御目付衆へ式代し。城を引わたして。みな/\退散するあ
りさま。秋の木の葉のちり/\゛に。おのがさま/\゛わかれゆく
あはれなりし事共なり。こゝに尾花右門は。ひたいの手疵
も平癒し。今は堅固なりけるが。賀古川家中のものども。
城地をあひわたして。十方に離散せしときゝ。みなわれ
ゆへよりのことなれば。丹下家来のもの共。われをかたきと
おもはんは治定。離散せしが気味わろし。もし鎌倉に
しのび下り。われをつつて。主の怨をも報じ。宿意をはら
さんとやおもふべきとて。屋形のうちにひきこもり。用心
きびしく号令し。塀をにはかにつきあげ。ほりをふかく
し。重々に門をかまへ。昼夜寝ずの番士ををきて。門
んの出入り。家内のかよひ。僧俗男女によらず。一々に

あひあたり。一通の状とても。門にてすなはち封を
きり。書中をあらためてのち。とりつぎのものを
もつて。それ/\にとゞけ。他の人は一人も入れず。数代
お出入りの呉服屋よりほかは。他のあきんどを通さず
ましてふりうりの売人などは。禁足にて居たまへ
ば。お気づまりにも候はんとて。医師の植村作
元。おとぎの高田順水。そのほかは。御内御近習のも
のども。さま/\゛となぐざめ申し。鞠揚弓。囃なん
ど。いろ/\と手をかゆれども。同じことも。毎日は
めづらしからず。当世のかる口ばなし。又は百物かたり
福引じかけの俳諧の勝負。手づま火まはしは


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やり小歌。あるとあらゆるなぐさみも。他のもの入れ
ずしてはおかしからず。東奥(とうをく)の一家しゆは。右門どのゝ
御とぎまたは。用心のためとあつて。大勢をさしこさ
れ。昼夜警固をぞさせられける

忠義太平記大全巻之二終