仮想空間

趣味の変体仮名

信州川中島合戦 第三

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
     浄瑠璃本データベース ニ10-02296

 

40(左頁)
   第三
葉(しやう)公龍を好で畫(えかき)刻め共 真の天龍を見て魂を失ふ
是龍をこのむにあらず 龍に似て龍にあらざる物をこのむ
といはん 将の賢士をこのむ賢に似て賢にあらず 少哉(すくないかな)才
賢の臣 されは長尾輝虎 信玄と初度の合戦に勝利をうし
なひ本城にせいを引入 しつけん直江山城の守実綱 甘粕柿
ざき宇佐美など 士大将召あつめ 今度のいくさ味方三万の人数


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を以 武田が壱万二千にかけ崩され 無念の敗北こつずいにてつす
日頃危き勝を好ぬ信玄 朝霧のまきれに大河を渡し 切所の
細道より我籏本の後へ押廻り 無二無三にかけ破りしふりやくの鋭さ
信玄が胸中より出べからず いか成軍師か敵に組しかゝる奇計をなしける
ぞ 汝ら聞ずかしらずやと眉毛さか立眼に角 以の外の不機嫌也
甘糟柿崎詞をそろへ 我々も其心付間者を入て窺聞候へは 山本
勘介春幸と申浪人を召抱 そなへ陣取士卒のかけ引 一向勘介か

下知と承はると申もあへぬに ムウ音に聞勘介則直江か女房の兄なら
ずや ヤイ山城 近江縁者の身にてなぜ我には進めず 何と油断して敵には
とられし 信玄が千石くれば二千石 三千石やらば六千石 五千石ならば我
壱万石もくれんず物 我家を身かぎりしか 但此てるとら勘介が主に不
足成か 所存あらばいへ聞んと顔色 せいて見えにける 直江少もおとろかず
御意なく共申上んと存る所 尤おれが妹を相具し候へ共 勘介にはいまだ対面
いたさず 在郷に引こみすきくは取て自たがやし 秋の田面の月にうそぶき


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たきゞを荷ふて山路の花を友とし 世をへつらはず禄をむさぼらず
天命をたのしみに義をかたくまもる士 越後半国給はる迚伝縁引を力に
知行を望勘介ならず 憚ながら君御たんりよかうまんにて 人に詞をさげ謙(へりくだる)
事御きらひ 世の中八分に見くだし 思ふ様に知行さへやらば はんくはい長良でも抱
て見せんとの思召とは大きに相違 今度武田方に成たるは 必諚信玄が
上手を尽して招きたるに疑なし 其も余りに残念枕をわりし一術 たん気を
しづめ無念をおさゆる御合点ならば みつ/\に申上べしと恐るゝかたなく申ければ

さしものてるとら理にふくしほく/\うなづき 座敷をkつと見渡せば 甘糟
始物大将残らず御前を立にけり てるとら色をやはらげ給ひ 是実綱 智有
軍師を親しせう共たつとふは古の法 勘介我に奉公せば 弓矢八まん脚(すね)をもたせ
てもかんにんする おことが思案は何と/\ さん候勘介幼少にて父にはなれ 七十
に余る老母に孝心ふかく 廿四孝の追加とさたに乗かう/\者 先母をな
びけんため 女共方よりむかひを立させ候と申所に 直江か妻のから衣やり戸
口に指うかゞひ なふ山城殿 母様先程お着 兄勘介殿のかもじ様も同道


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さしづの通すぎに御城へ乗物入させ お次のだいすの間にやすませ置しと
聞よりてるとら出来た/\ つぶさに聞たし是へ/\ 御免有近ふまいれと
呼出し シテ母は年よられしか きげんは能かと問けれは 永浪人のしんくにや
腰は二重つふりは雪 十(とお)もふけて見へなから行儀作法は昔にかはらず 勘
介殿の御かもじ お勝様にも始てあひしがじんじやうなけ高い嫂(あによめ)御 一つの疵は
口が吃で物いふ事を恥しがり 請返答は皆筆さき 其うへ琴の上手筆に
もかゝれぬ急な時は いふ事にふしを付琴にのせうたへは いかさまのはやい事も

どもらずにいはるゝと母様の物語 其手の見事さ墨付筆せい御家中の
祐筆しゆにもすくない程の器用人どもりがなをしてしんぜたいと かたれば
直江一だん/\ ずいぶん母のきけんを取 いつまてもとうりう有やう
にもてなせ さぞらうたいのくたびれ 是へ請し此御座所になをして馳
走/\ 殿と我は障子のかげにて事の様をはからひ しゆびを見合たいめん
せんと主従ともなひ入にけり おりしも床の やまと琴 すゞりれうし座敷
にならべ から衣らうかのらんかんに手をかけ 山本勘介殿のかもじ様 母御前


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つれまし是へお通り 山本殿勘介殿のかもじさま母様と しやうだいの声
聞ゆれば 音たかし/\ 塒を出し 老の靏 子にあふ迄ぞ世の人の とふ共我は
名なし鳥 名をもらさんはおこかましなふから衣 此越後は勘介が主君 信玄公
のてきの国 そもじの夫はてきの御家老 其所へ此はゝが来る義理はなけ
れ共 此世の名残に母の顔見たしとのふみの面 我も娘恋しさむかひと打
つれ ごんぜつ廻らぬ嫁を力に下女もつれぬ此有様 山本殿勘介
どのゝ 母よ内儀よと声高にいはぬ事 ヤアえいと座せんとするを

手を取て すぐに是へと請ぜられ嫁のお勝がたつさへし持かたな
ひざに引よせおめずばうてぬ白じよいん 繍(ぬひもの)したるしとねの
うへ威もそなはつて見えにける から衣近くさしよつて お礼申はお勝様 私が
かう/\とおひとりにふりかけ としよりのおきふし朝夕の御かいはう この
たびの道中雨につけ風につけ 山よ川よさぞお気づくし 詞には
申つくされずと いひかける程?(くちごもり:やまいだれに音) たゞあい/\とえかほ斗をあひそ
にて すゞり引よせあからむ顔の櫨(はぢ)もみぢ 木の葉の時雨さら/\


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/\ 世尊寺(せそんじ)やうのはしりかきよみ手のくせによめやすき から衣取上
アゝ/\是は忝い お筆の通あねと成共妹と成共 兄弟とおほし召
お心へたてず頼ます 扨此御しゆせきわいの 存ぜぬながら見事/\
此半ふんどうぞかきたい事やと くる/\まいて袖におさむるうし
ろより 直江しやうぞくあらため狂文(きやうもん)のあやのごふく一重 かたにかけて立出
しきたいにふかく 拙者直江山城の守実綱 お国本へ罷越 親子の礼儀
申上ふべき所 女共より迎(むかひ)を参らせ 遠路の御光駕(くはうか)祝着(しうちやく)是に過ず 山本

氏の御内室にもよくぞ/\御同道お心やすく御とうりう有
やうに わざと御馳走は申さず したがつて此小袖は 将ぐんよしてる公の
お召 二つ引りやうの御紋付主人てるとらはいりやういたされ 一両度ちやく
せられし斗 当国はかんこくうたゝねのすそに置給はゞ てるとらも
満足たるべしと指出せば おきなおり莞尓と笑ひ ヤレ/\数ならぬ此ばゝが
来た事てるとら公のお耳に入しよの 扨は爰はむこ殿のやかたかと思へば 御
主人の本丸か シテ此小袖をばゝに着よとかホウ御念の入た事やの 扨々/\


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けつかうな狂文のあやといふ物か さすが将ぐんのお召れう 去ながら てる
とら殿が一両度も着給ふと有からはてるとらの古着 此ばゝは此年迄
人の古着もらふて着た事がない なふいやゝいま/\しいと 詞にあやも
つやもなく ごふくも色をうしなへり いや申 母ごにめせとは御あいさつ もと
是は男もやう 勘介殿のみやげになされよとの心ざし いや/\/\ 武
田信玄といふ主持て何くらからぬ勘介 みやげには越後のめいぶつさ
けのしほ引 帰るさの道には木曽川あゆのしらぼし しなの梅の梅ぼし

しはのよつた此顔のぶじを見せるがみやげじや ヲゝやかましやむこ殿御
めんと足ふみのばしひぢ枕 直江も立に立はなく勝手にむかひ手を
たゝき たそ参れたそ参れ 御時分がよしりやうり/\何としておそなはる
りやうり人めさつと申付んと りやうりを其座のしほにして母のき
げんのあんばいかげんうかゝひ「/\立にけり 程なく御勝手よしとほのめ
き 本ぜんのかけばんに色々の魚鳥 珎物(ちんぶつ)のやさい美味をとゝのへ
はいぜんの侍ひたゝれつくろひさほうたゞしきたゝみざはり 御ぜん召


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上るゝべしとえぼし八ふんに指上てこそひかへけれ から衣見れば主くん
てるとら公 はつとおどろき是はおそれめうがないと いはんとせしがしさいこ
そ有らめと なふ母様 御ぜん/\といふ声におきなをり座をくめば 官
領(れい)ふうのすり足にてぜんのすえぶりうやまひふかく かよひの座に手
をつき 辺国の義御馳走も心斗 召上られ下さるべしとぞ仰
ける 老母えしやくし ホウきやく心がましいきやうおう 殊にぎやうさんな
神前に御くうそなゆる様に えぼしひたゝれのはいぜんは きんじゆ衆

かとざましゆか つね/\女ご共にきうじさする此ばゝ 歯はぬける口
もかはく いんぎんなきうじではきうくつでたべにくい 勝手へたつて
きうそくめされ から衣かはれやと有ければ いやじきはかへつてめいわく
子息山本勘介殿 ゆうといひ智といひ くすの木正しげがさい
らい共いつゝべき弓取 おしいかな武田信玄に奉公とは国をとろ
になげ打 きりんをつないで犬とするごとし かゝる英雄の御老母
直江山城内縁を以 ふしぎの御出一国にうどんげのさいたるよろ


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こひ 今日より我も母と頼み子と成しるしの さかづきてうだいの望
かう申は長尾だん正の少弼(しやうしつ)てるとら かう/\娘のきうじはいぜんと
えいほしをたゝみに付給へは 嫁も娘もはつと斗覚えずかしらをさげに
ける 老母ひざを立なをしけら/\と高笑ひ ハアゝ長いきすればめづらしい
事を見聞よな かまくらの海にはしゝの角で鰹つり せちがのふち
には麦飯(むきいゝ)でこいを釣と聞しが 越後の国には老さらぼひし此ばゝを
餌にして 山本勘介をつりよせんとは事おかしや/\ をよそ大将は


天よりうけたる明命をかへり見 正直しぜんの矩規をはつさねは
天の時地の理にかなひ 諸卒是に和しついには誠の勝利を
得る 惣じて物にはさうおう有 此ばゝかきうじにはこしもとめのわらはが
てうどさうおう 鶏をさくになんぞ牛の刀を用んとはせいじんのい
ましめ 人をたらす偽表裏けふのうるまひに顕れ 本心まがつた
釣ばりに 釣らるゝ勘介ではおじやらしませぬわいの 此ぜんぶに手をも
かけては恩に成 てるとら殿とてきたいの勘介が母 敵の恩を請ては


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我子のほこさきにたるみが付く 義もなくゆうもなき此ぜん何に
せんとずんど立て かけばんぐはらりとけかへせば ぜんぶみだれてひつたひ
たゝれ ひざに味噌しるふちをなし 魚よりおどろく嫁娘ハア/\ハアと
きもをひやしてあきれいる たんりよのてるとらくはつとせき上 につくい
しにぞこなひ 小袖をくるればふるぎなどゝさみし あまつさへ天子
将ぐんにもきうじいたさぬてるとらがすへたるぜんを すねにかけて
ふみちらすそんさい 狂人同然と思へ共かんにんならす しは首はねんと

重代の小豆長光二尺五寸に手をかけ給ふを 直江山城とんで出御手に
すがれば から衣母に気付おわび/\と心をもむ 何の詫言 むこの主人
手むかひもせず詫もせぬ サア手にかゝらん/\と刀かい込立たるきせい
ヲゝ其喉とめんはなせ直江 是々々 すねをもたせてもかんにんするとの
御せいごんは何と 礼儀は是とせいしても 身をふるはして無念の涙 中に
うろ/\あによめが 心せく程口まはらず おがんて廻りつ立ついつ せんかた
なく/\涙片手に琴引よせ 柱を律にしらべかへ ゆるし給へ老の身の


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力に たらぬごもりの かたわ者を頼に預けしは我妻 預るはしうとめ
かひなく爰に捨草の 露よりもろき 命をや むなしくかれしはゝ木々
を むじやうのけふりとなし果 ひとりすご/\帰るさは ひろひしこつの 供を
して妻には 何とかたらん かはりには我命母をたすけたび給へ おじひぞや
お情とわつとさけび 引捨の琴に 身をなげふししつむ 鬼をあざ
むくてるとらも哀に心のたゆむを見て 直江追取アゝ御免有ぞ女共
母をいさなひ我たちへ/\ ハアゝ有がたしと一礼に お勝が嬉しさ物いひ

たけにつをふる斗足もつかすおどりふし情けの花のヤレ御所桜枝はえ
えつちりな えゝえつちりな えつちり越後の御はんじやうといはひ
いさみて「日をおくる 北くにの 爰にもおのが時しりて 是より北
の古さとを したひてこそは帰る雁(かり) まして老の身のけふ帰るあ
す帰ると こらへせいなき老母の心 ずいぶんなくさめとゞめよと殿の仰
御家老のしうとめごぜ家中おもんじ 毎日の進物四季草木の
つくり花 屏風かけ物kしよ物語あるひはさへづる籠のとり/\ 奥


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玄関の取次に所せき迄つみかさね 高田のつぼねがひらうにて
女房達の取さはぎ 表使の進物帳筆をさしおく隙はなし 時に
しなのさかひの番所よりはや使とうらいし 今朝みめい右の目は?(かんだ)
左の足?跛(ちんば)の侍御せき所を通り候ゆへ 何方よりいづかたへゆく
人と名を尋候へは 甲州山本勘介といふ者 御家老直江山城殿
の御ないせうへ行と申 供の人馬をお国ざかひに残し通られしゆへ脇
道よりさへぎつて先おしらせと申置てぞ帰りける つほね手を打

是はめでたい 山本勘介様とはおきやく人さまの御惣領則奥さまの
兄御様 申上たらさぞお悦び其間に嬪しゆ お座敷きれいにさう
ぢしやと いひ付奥に入ければ 手々にざうきん鳥の羽はゝきしゆ
ろはゝき はいつのごふつ立さはぎ なふお大しつてか 勘介様はおくにござる
お勝様のおつれあひ かくれもないぐんほうしやこうの武士なれど
片目かんだにちんばじやげな こちらは吃なんと思やる お寝間のむつ
ごとが不自由には有まいか アゝなんのいの ともりで物がいはれいでも かん


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じんの時はツイふん/\てすむ事 男はきてんでかんだはおろか 両
方見えぬしんのやみにも 夜いくさのはやわざは手ばしかい 一番のり
にぬけめはないとぞ笑ひける 上だい所につほねが声おくさまお城へ
おあがり 板の間へお乗物まはしや お供のしゆとざゝめき裏門ひら
く音して 高田のつぼね立出 是いつれも 旦那様けさよりお城
におつめなさるゝ 御さうだんの事にて奥様も今御登城 御ふう
ふ御城よりおさがりなき中 勘介様お出なさるゝ共 かならず/\母ご様

お勝さまへは先さたなし此所でおちや上御くあhしなどて 御馳走いたせ
との仰也 といふ所に 山本勘介様御出と 小取次の撫子が案内に
て 旅しやうぞくの立付にひざはねぢれてちんがちが 左ちんばに右
かんだ 雪おれ松にほし一つ 葉こしに見ゆる男ふり座敷になをれば
女房達ふつと吹出すおかしさを エヘン/\にまきらしてお次へ笑ひに立
も有 御ちや小姓がくつ/\/\手をふるはしてちやはんのだい こぼれた
ゆたふ斗也 細謹をかへり見ぬ大丈夫 笑ふもそしるも何共なく


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そちはつぼねか 山城殿の御内室から衣に 身が来た通とり次
頼むと有ければ ハア公用に付夫婦共に登城 いまた城よりさがられず
先此所て御きうそくそれ御たはこぼん おくはし/\とあいしらふ ムゝ公
用ならは帰りの程もしれまじ 山州か夫婦に用はおりない 老母の気
色以の外との便におとろき 夜を日についで罷越 はやく母の
顔見たし案内頼む 罷通るとたゝんとすいや申 お袋様は一だんと
御きげんよく 爰元へ御越なされてよりくしやめ一つあそはさず 御家中

のもてはやし毎日花の鳥のと 数々のおなぐさみといふ程きづかひ
しからば女房かつにあひ申そ いやお勝様も御きけんよふお袋様の
おそばに 追付御夫婦おさがりに間も有まし それおふろいそがしや
少おやすみなさるゝためお枕上ましや ハほんに気がつかなんだ おなぐさみに
御酒上ましよと残らず 立て入けれは 座敷にはきやく人独とぼんとして
手持わるく ハテ心得ぬやしきのてい 母の大病十死一しやう只今
の命もしれずこと 女共がじひつのふみ見るよりぜんごわきまへ


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ずかけ付しに 病人有てい共見えす母は一だんきけんよし迚 女共
にもあはせず 殊に公用に付山城が夫婦つれにて城へあかる
とは てるとら程の大将が女まじりに国のしおき 軍評定する
でも有まし 是ぞふしんの第一 ムウムウ/\今気がついた 母をお鳥
にかけて此勘介を 味方に招きとる談合かゞみにかけたるごとし 血を
わけし妹なれ共夫を持ては夫のため 主の為を思ふから衣めは尤
しごく 大たはけは女房のどもりめ てるとらのちりやくにて母を

馳走し一家中そんきやうするに心うばゝれ山城にたらしこまれ
そく才成母をばんじかきりとのふみを以 我をつりよせまんまと敵
国(くに)の袋へ入れしよな エゝこうくはい千万一おうもさいおうも念入るはつ
の事 母の生(いき)顔ま一度見たしおかみたしと思ふより外他念をうし
なひ ふか/\とふみ出せし勘介か一生のそこつ後代の笑ひ草 いや/\
片時もとゞまる所でなし 母をばひ取立のいてはなあかせんと
立あがり 見やれば奥に間数もおほく案内しらす 門を出て後


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の塀をや乗へき サア一代の難所我ためのてつかいか嵩(たけ)ひよ鳥
こへ 心の山坂ちんは馬行つ 戻つ思案最中ながしらせてや
女房お勝走出 コゝツこうと斗に取付所を 物をもいはず後さま
にはたとつきのけかけ出る 又引とめてナアナゝゝゝアなゝんなんとウゝウロ/\/\ウゝ
うろたへてござつた口こそ叶はね コゝツこなたのニヨウによん女ぼ 勝か預
かつて来たからは気遣ちやゝつちやるな やんがてぱぱぱゝッはあ
ちやまつれてぬげて帰る ぬけて戻ると心はいへど詞には

ぬ/\ぬんと斗にて涙は声にさきたてる したも廻らぬ
おとがひから何とうろたへ来たとは 三がいにたつた一人の母今を
かきりといふ文に うろたゆるが不思議か 夫のうろたゆるふみかきしは
何ものに頼れた サア誰に頼れたといへ共更に覚えなければうらめし
げに 夫の顔にゆびざしし ウゝウうそはいのと泣しづむ ヲゝうそか誠か
其ふみ爰にくはい中せり おのれかしゆせき是見よとなげだせば
さつと披(ひらき)見れば我しゆせき カカカゝゝゝかなしやコツ此手がくさろ かツ


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かいはせね共筆/\フウ筆はわたしが筆と くり返し/\よく/\
見て ソゝそでない/\ニイニゝ似せた似せくさつた 似せおつたやつ
せんさくして いけておかぬと走入をこりやまてうつけ者 せん
さくとは誰をせんさく くはんらい似せらるゝがおのでがあやまり 物を
似せるに手本かなくて似せらるゝか 惣じて敵の国へ入時は挙動(たちふるまひ)
にも気を付 一言半句の詞をもつゝしみ 油断せぬこそ
男も女も武士の心がけ もろこししよくの単冨(たんふ)か古事なと

つね/\聞ながらうつ/\とかきちらすゆへに似せられ跡でせん
さく恨いふ程恥の恥 エゝ無念や一生敵のけいりやくにのせられ
ぬはるよし 母といふじに心くらみ敵国へふみ込しは おのれが筆さき
ふかくをとらせし それでも山本勘介が女房とばし思ふかと がはとけ
つけはつたとにらむ片目の光 月日とほしの三光の一度にさ
すと身にきへわつとさけび入けるが アゝアゝ浅ましきはかたわの身
クウゝゝ国をはなれてけふの日迄 ユゝ夢にもコツ心やすめすゆだん


57
とてはナアなけれ共さすかヲン女ごどしせゝせンせんじ茶の夕暮雨の夜
のツゝゝゝつれ/\度々に琴もヒイひかれず筆さきの物語 ホウ
ほうぐを誰かひろひあつめて手本とはナゝゝなしけるぞや シゝ七
年さきのクハツくはいにん五月(いつゝき)めに小(せう)さんし チゝ血のさはぎに舌ちゞまり
ムウゝ生れもつかぬともりと成フウ筆を舌にて物いひし ヲウヲゝ
思へは身の敵是がなをる物ならば クゝゝゝ口わきをキツ切さき シイした
のねをヒツ引出してもせめてしにさまに みだの六字の名がう

をマゝゝマン/\まんろくにトゝゝとなへてしにたいとかきくどき
身をくやみ まはらぬ舌にせきかけ/\くりかけてともらぬ 物は
涙也 かたわをくやむ身につまされ 天まをあざむく勘介もふ
びんやまじ涙ぐみ 先手の小さんよりどもりとてそれそ大命
誰をかうらみん 我もいのしゝの難より五たいふぐに成たれど
ちく生に恨なく玉しいはもとの勘介 おこともどもりに心をおくせず
始の性根をしつかとすえ誠はるよしが妻ならは 勝手はしつたり


58
奥に入母にしらせぬすみ出せ 我は裏のへいを乗やす
/\とのくべきがおことは何と ソウソゝツそれではこなたの ニヨニヨン
女ぼうか おんでもない事七生迄も女房/\ ハアゝ/\カゝゝゝゝゝウ忝い
カゝゝゝゝツかしこまつたとかけ入今のかゝ/\は せかいのかゝの手本也 サア
心やすしかしこふぞあらためぬ旅出立と いさみて出るすいがき
のかけ大声して 勘介かへすなむたいに帰るあば討とめよと 十もんじの
やりさきてる日にかゝやきひしめいたり ヤはちにさゝれえきない

事と 庭にひらりとおりしも露路のほくりかたし みじかき左にしつかと
はき ちんばにつきして両足揃の高低(ひく)なし 一つの目玉に八方見廻し
立たる所に 後を取切る片かま鑓むかふよりは十もんじ 前後一度に
つき出せばまかせとひらく四寸の身 鑓とやりとがかつしと当ッてむ
すんだり あらふ間もなくたぐり引又突かくる上下のほさき 下段に
くるをほくりの葉にてはつしとふみとめ 上段につくしほ首もと
めてをのべてしかととれば とられし物とこらゆるを両手をかけてヤア


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くつとひつたくり 石づきを追取のべ二人か頭ぱた/\/\ したゝかにたゝき
付けあれ鑓を捨て走込む 組でとめんと無力の男 大手をひろげ飛かゝり
脇の下をかいくゞり太股(ふともゝ)つかんでどうと打付 腰ほねふまへて小ひざを
つけば 間もすきもなく七八人左右より組かゝる 左手にかづいてめてに投こし
めてにかづいてゆん手へなげこしひつかつぎ/\ もんとりうたする手さゝのはやわさ
しかれし男もかた息にて一度にどつとぞ逃ちつたる エゝ無用の隙ついやし
信玄公の籏下にて 討死する迄二人の主を取 外の縁はくらはぬ勘介

馳走しつ手こめにしつ扨々そろはぬ人の心のてりふりやと ぼくりかたし
で追かけ行 実綱城よりかけ戻り なむ三宝早帰りしか曲もなし勘介
当国に足をとめてもらひ度主人のこんばう 甲斐の国斗に月日の
光有でもなし 片意地もよいかげん 是非に帰らは此実綱が首腰に
付ておかへりやれと くま/\尋呼かけしたひ出にけり 奥にはためく
太刀音嫂(あによめ)小じうと 互にしら刃ひつそばめ うらめしいお勝殿 そなた
の似せ文して兄様を呼よせんため  かき捨のほうぐをあつめ 女ご共にも


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かくし忍び手ならひし いくせの心つくしは夫に手がらさせたい斗(ばっかり) 兄様こそ
武士のがつよく共 そばからやはらぎ入 縁者一門むつまじうするが妻なる
者の道 せつかく呼よせた母様迄ばふて帰らふとや 兄様斗かから衣
が為にも母 此首はやつても母様はやるまいが 見事つれて帰るが
エゝキウ聞ぬカツから衣トゝゝゝどもりの女アナ/\/\あなつゝてよふ似せふみ
シイしたな ナゝ涙がこぼれてクウ/\口おしい悲しい あづきやつて来た
バゝばつちやま ノゝゝのめ/\とスツ/\スツ/\捨ては帰らぬ ナゝなごりほし

く首に成てお供せいと はたと切を請ながしうてばはづしひらけば
切る 互に命をちり共はい共どもらぬ太刀筋くmのらぬ刃 つば音
ひゞく物見のちん しやうじをさつと明て出たる老母のかんはせ 母様
とめて下さるなと声をかくれば ヲゝとめぬ出かす/\ 切むすんだ
其太刀両方引なうごくなと いふよりはやくまつさかさま我身を二つ
の刃のうへ 両のあばらをつらぬかれ せほねへ二本の切先は朱にそ
みてぞ顕るゝ ハアゝ是はと斗嫁娘とはうにくれて泣さけび 家


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中のさうどう勘介直江も取てかへし てるとらも聞かけはたせ馬にて
かけ付給ひ しさい有敵国の大事のきやく人殊に老女 我国にて
の落命他国の聞え なんぎしごくと大きにさはぎ見え給へば 勘介
涙にくれながら 武田信玄の家臣山本勘介といふ子を持 何か
しゆつくはい御不足但人に御恨ばし候か エゝいひかいなき御さいごと手負
に力を付ければ 顔ふり上て我子共覚えぬ事をいふよな 人に恨有
なれば其人と指ちがへしぬる迄 しゆつくはいを相手にして命をはたす

ばゝではない とつくに自はてるとら公のお手討にあふ身のながらへしは命
の外 一国の大将の手をつきうやまひ御はいぜん 足にかけてけちらせし
其時の怒(いかり)の顔思へは能もかんにんはし給ひし 食は人の天なれ下人
下女のすゆるにも せんにむかへば礼儀有法に背く慮外ばゝ 車ざきうし
ざきにもとさぞ無念御腹立 いつの世にわすれ給ふへき お心にしたがはず
ふり切帰る勘介 追手をかけてからめとられ 母めがにくしみ此時と さか
はりつけにも行れなぶり殺しと聞ならば 此度母がしなぬくやみは


62
いか斗 坊主にくさにけさ迄にくき世のたとへ から衣迄いか成うきめにあふべき
と 思へば胸をさくことく思ひ歎て此しにざま 何に似たぞよく見よや はり
つけのざいくは人嫁娘のさび刀は てるとら公のおしおきの大身の鑓 つら
ぬかれしするからはにくしみは是迄 勘介をつゝかなく本国へ返し給はれと
取なし 頼む直江殿 扨も/\いかに不定(ふぢやう)せかい迚かくも定なき物よ 母
か生れはおはりの国するがの国にてひとゝ成 三かはの国へよめりしてしな
のゝ国に浪人住い 今かひの国に主取し 爰ぞ我露の身の置所

往生所と定しに思ひもよらぬ越後の国の土と成かく定なき人がいは みだ
の浄土もおぼつかなやと清き眼にはら/\涙 たへかねて嫁娘わつと
嘆ふしければ 勘介心もめもくらみ しゝ王のごときてるとらも つゝむにあまる
らくるいにめをしばたゝいておはせしが たまりかねて大声上 アゝあえなやぜ
ひもなや 我も人も武士(ものゝふ)の身は打見斗びゝ敷 はかなき物のうへはなし
あのばゝが一めいを義理に捨しも 武家の名をおしむ不便さよ 雎(みさご)といひ
て魚を取鳥迄 野鷹是にtがひ雎腹の子は成長の後


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必母の業を次 ふちにおどる鯉をとる 侍も其ことくたね腹揃ふは
すくなきに 天晴勘介が母也しおしやひごうのしにをさせ かた/\゛か哀を
見る事もてるとらゆへと斗にて さしもがづよき大将のそゝろに袖をぞ
しほらるゝ ヤア何をかなついぜんと 指ぞへぬいてたの手にもとゞりつかみ
もとひきはよりふつゝと切 家の弓矢は捨す共すがたはほつ心 名をもけふ
よりあらためてるとら入道謙信 切たる髪は仏にもさゝげず 出家の手
にも渡すまじ勘介にとらするけんしんか首取たる心 是ぞ母のかうでん

今はの爰と悦ばせよ 武士の武辺はめづらしからず汝が孝行をかんじ入
ての余りぞやと涙に くれてたびければ ハアゝ有がたき御情とひろ縁
にひれふして 涙肌骨(さこつ)をそほりしが 御心にしたがはぬ恨を捨重々の
御こんせい申上ん詞もなし かたちと心は信玄につかへ御ぢんにむかひ さび矢は
いかけ申共せめての御恩ほうじ あたま斗は御ほつたいの御供と同指そへする
りとぬきもとゞりつかんでずつかと切 サア今日より山本勘介入道鬼
道はみちといふ字にて母を道引ぼだいの道 鬼はおにとよむ字にて鬼


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神もひしぐ道鬼入道 親のめいどの餞(はなむけ)と二つのたぶさを手に持せ 血に
まみれしひざのうへ ひたひを付て忍ひ泣 母はくるしき めをひらき 生れ
落てこの年迄六ヶ国をへめぐり ついに住所さだまらずてうと七十二
年めに 西方あんらく国とながき住所定 此二ふさの切髪はようらく
けまんはた天がい すみかをかさるたのしやな 大将においとまとは恐れ有
嫁よ娘よむこよ子よさらば/\なむあみだと 両の手に二腰の刀をぬ
けばしでの旅 橇にのらねど道急ぐ越路の雪ときへにけり 人々はつと

斗にてなく/\しかいに打かくるから衣おかつはかきくれてたへ入きへ入みたるれとみた
れぬ武士の殯(かりもがり) なげきはつきす詞はつきて互に目礼そうれいは 直江夫
婦が涙のたえ勘介ふうふが別れて帰る 姿に謙信哀をまし ヤレまて
暫し母がついぜん 信玄への家つとせん 聞ばしなのゝ村上がかひ一国の塩どめし
て 人民士卒をなやまし塩せめにすると聞 さもししひきやう也 けんしんが軍は
ほこさき塩せめなンどの勝負はせず 我越後には海有かひの一国の塩にことかゝせず
馬車にてつゞくべし ぐん兵のせい力かたくして 我と合戦せられよと信玄につたへよ


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ハツアかさね/\なさけ有詞のしほに身のなげき 涙みちくるばかりにて
おいとま申ものゝふの なさけは情あたはあた胸を二つにおしへだて よこ
おりふせる甲斐かねのよはみを見せしとつゝめ共 かれてかひなき柞原(はゝそはら)
かけをはなれて別れ路は跡にひかるゝ足よは車 かたわ車や廻らぬした
のドゝゝゝどもりかつきせぬなごり 筆にかゝれずうたはれす泣つ さけん
つ足もどり身もどもる あゆみかぬれば力を付 ひつ立ひかれ
てコゝコゝゝゝツ心をのこしてカゝカゝカゝン かへりけり