仮想空間

趣味の変体仮名

声曲類纂 巻之四

 

読んだ本 http://codh.rois.ac.jp/pmjt/book/200017224/
 

 
136
声曲類纂巻之四

  目録

貫文古画堺町葺屋町芝居図(源?斎正信筆)

貞享年中同芝居図(野郎三座詫といへる草紙に載る所なり)

江戸浄瑠璃本摸六部(豊芥所蔵)
 和泉太夫正本 長門掾正本 土佐掾正本 半太夫正本 石見掾正本

同操芝居絵本摸(外題不詳 豊芥所蔵)
 土佐掾 天満八太夫 石見掾 和泉太夫 伊勢大掾 半太夫 江戸孫四郎

楽屋の図 此末に軽業 籠ぬけ 盲人の十二人芸など何れどもこゝに漏せり

  以上


137(絵図)
寛文古画
堺町葺屋
町芝居の

東海道名所記云
さかひ町のかたへ
人あまたゆくほど
にあとに付て
行てみればこゝは
なをおびたゞし
大さつま小さつ
まなどゝてねず
み戸をならべ

て太鼓をうち
また勘三郎
かや聞へしだう
けものが女がた
とやらんこと/\
しきしばいさん
じきをかまへて
歌舞妓がまし
きことをいたせ
り鼠戸に
立よりてみれ
はねこぜなかに
なりてはひ入
ものもあり


138(絵図)
うはひげをまつ
むしのこえにひね
りあへて面のかゝ
りかまぎりのごと
くやせたるおとこ
なげづきんを
銭おとがひまで
引かぶりてけん
くわを買に
来れるやつこも
あり老たるわか
きおとこをんな
伊勢あみがさ
あふみすげがさ

を着たるも
ありかづき
わたぼうしおく
じまのはをり
さま/\なる
人々あつま
りたてりて
と有は此絵巻
の時代にあへ り

(挿絵の中の文字)
三月十八日大ま
市之丞
虎之助
?之丞
浅草観音の本地
金りう山
姥・・

少掾
(藤)原重信
(石)見掾

おぐ
世物ぐるひ

市 きや
りの人(?)

清十郎

きやうげんつくし
市むら竹之丞
きやうげんつくし
き 竹
のかけ
今川花見?


139
貞享二年印行野郎三座侘といへる役者評判記に載る図
(右上)
さるわかかん三郎しばい 「かん三郎 太夫もと」
「ちや屋」二郎左衛門
とらや源太夫上るりしばい
「ちや屋」源太夫宿
 とをり
きやらの油や
両がへや
「才兵衛 いをり」
いせや吉兵衛 中村吉五郎 高松京之助 高松かん太郎
伝兵衛
井内記 
 とをり
市川や ちや屋 ちや屋
松尾間三郎
加川かもん
中山ながと
吉住平左衛門
加川三喜之助
とをり
さかや きんちゃくや・・・・
さかい町東よこ町海道

東 さかい町海道

(右下)
さかい町東よこ町海道
両かへた きんちやくや 〃 しやみせんや きんちやくや 〃
玉沢半四郎 玉沢市之介 玉沢吉三郎
喜左衛門
女かた 伝十郎

さかや するがや ちや屋 しやみせんや
今村虎之介 小かた作右衛門 平四郎 平左衛門
村山源太郎 重左衛門 梅津藤十郎 中川母次郎

せにや たはこや さかや たはこや たはこや
庄右衛門 梅之丞 花井才三郎 
善四郎 梅津たもん うへ村八重之丞 
松村理兵衛 松村源之介 松村千之介 中村七三郎 さもん

まんじうや 両かへや 松尾小さらし 権右衛門 松尾間三郎
松原三保之介 上村勘之介


(左上)
とをり
見せもの しばい
与平次 中山小源次 同さくや 作左衛門 「孫四郎宿」

「ちや屋」
江戸孫四郎せつきやう しばい
「さるや」

出来山げいづくし

「八太夫宿」
天満八太夫せつきやうしばい
 とをり
中村善五郎しばい
 とをり

(左下)
「たはこや」
江戸次郎右衛門上るり しばい
「さかや たはこや」

「えびや まつもとや」
丹波和泉上るり しばい
「太田や」

「さるや」
さつま太夫
土佐掾  上るりしばい

かしわや
たはこや さつま三郎兵衛

せにや れんかくや
大工 仁左衛門
龍之丞
上村 長太夫
藤井 伝之介
 とをり 


140
其二 葺屋町図
(右上)
さじきへゆくとをり
市むら竹之丞 しばい 「ゆや」
 とをり
両がへや さかや
小藤庄左衛門
市兵衛
今むら太右衛門 今むら浅之丞 今むら初太夫 今むら
太郎兵衛 中山さよの介 中山小さくら
 とをり
笠(?)きやらの油や 上村万之丞 上村政之介 上村門之丞

(右下)
ちや屋 あき地 宇左衛門 
葉山岡之助 市村宇左衛門 小川宇源次
 とをり
たはこや うつしや 見せ物しばい やをや
又左衛門 中山さよの介
玉川 千之丞
喜田 市郎左衛門
袖岡 千之丞
坂田 七三郎
松がへことかん(?)
杉山ゆきえ
宮川松之丞
木むら 若太夫
 とをり
ちや屋 ちや屋 わたや
伊藤小太夫 同庄太夫 高松源五 藤田所三郎
玉川 山三郎
瀧井 皆之丞

うどんや いづみや
梅川三弥
から崎六弥
松かへ さくや
市むら 茂兵衛

鈴木 三四郎
鈴木 千代之介

(左上)
「辻番」西 ふきや町海道
ふきや町かし海道
かめんや きやらのあふらや きんちやくや 〃 〃 ほんや 〃
都伝内しばい
こんや けんどん とをり けんどんや まきや さかや うどんや
きく屋宗徳内
出来島くらの介
出来島市之丞
 とをり

(左下)
とをり きんちやくや 〃 〃 ちや屋 のべや きんちやくや・・・・
玉川かづま 同山三郎 小倉市之丞 片山佐兵衛 片山かん太郎

丹波掾 和泉太夫宿
出来島吉十郎

にうりや 〃 けんどんや 小うリや とをり せにや とをり えびすや けんどんや

ふきや町かし海道


141
近世梓行の牟芸古雅志といへる随筆に延宝九年堺町葺屋町芝居の図を載
たり前の図と異同あり坊間に行るゝもの故こゝには載ず但し右の図に
竹之丞が芝居南側にあり

以下の十一丁半は中古江戸浄瑠璃の画本なり初の半丁と指画壱丁末の半丁
とを模して其時代の体裁を知らしむ

 丹波少掾平政信正本也(紋
「さても其後つら/\おもん見るに天うん道にかなひせいとうたゝしき其時は
くわんいをながくしそんにつたへのどかにめくる春の日のおさまる国こそめてたけれ其
頃源のよりよし公と申はたゞのまん中に四代の御かういんおうぢを出てとをからすこらん
ぶそうのめい将たり御家につたはるかうけんにはむさしの守渡部のたけつな兵庫の守
坂田金平とを/\みの守うすいのさたかねするがの守うらべのすへ宗はりまの守平
井の一人むしや是を二代の四天王とかうすぶゆうのほまれ天下にあまねくゆゝしき御
門の御まもりとしてたみのかまどもしづか也是は扨置こゝに又らくやうほり川に権大
なごんひろ長とてすが原のながれをくみしくぎやう有くはんらい生れ付ふゆうにして人の
いせひをそばめにかけよこしまにくはんいをむさぶらんとするもういふとうのあく人也した
かう所の郎等にはむとうの伝内とものり同源次ともみつとてちうやに身をゆた
ね大刀のゆふし也并に竹原いのくま入道らいけんとて其たけでうにあまりほねあばれす
ぢふとく偏にやしやうじん共いつつへししやく年の頃よりも兵法にのぞみふかくまえん
の法をつたえんため十八才の年よりわしう吉の山にとぢこもり山中をすみかとしぢや
まんかまんの天狗共に相なれ兵法のをくきくもりなく過つる春の頃又にんちうへけんら


142(挿絵)
「ひてなかにくる」

「きん平てから」「大さとのせうし」「太郎もとひて」「山田の源内」


143
さへもんかけきたりげんらいとをしならべてくみけるをいのくまこはもの/\しやとひつさけひとふりふつてはるかのた
にへすてにけるより吉御らんし金平をからめてへつかはせし事げんしのうんのつききはまりけるなむ三方/\とかう
くわいせんばん有所へ兵庫の守いなづまのもくはせ来り何とやらんむなさはきしきりに候間みちより
とつてかへし候と申せはより吉御えつきかきりなくよくこそ参かへりたれか様/\の次第にて三人共にてをおふ
たり金平半こはくちをしき次第かなしやつめはいづくに候とはしりかゝつてむすとくむ互になをえし大
力をしつくればをしかへしえいや/\とさけふこえ山もたにもくづるゝ斗におひたゝし志金平つけんとするを
いのくまよはこしをしめ力にまかせおす程にさしもの金平右のこぼくにをしかけられすてにかうよと
見へしがすきをみてまへゝひらりととびけれはらいけんとんてはしりかゝるをすかして上をこさせすかさ
ずおさへくびふつつと打をとし仕て候とさし上るより吉御悦ひはかぎりなしひろ長今はかなはじと
こまひつかへしおちんとするを金平すかさすおつつめ馬の上より打をとし大将の御けんざんに入残ぐんせい
こと/\く打ほろぼしそのち都へせうらく有ちよくめんかうむり二たび天下のぶ将となり給ふめでたさよ
とも中々中斗はなかりけり
    作者 岡清兵衛
 五月吉日  山形屋

きんひらけしやうもんどう
「金平化粧問答」
あら馬せめ 和泉太夫直正本


144(挿絵)
「金平みほのうら川かり」

「しやちほこ」「十八間のたこ」「百八十間のくしら」「わに」


145
和泉太夫か金平ぶしの浄るりは強きを好みてかたらしかは三才の児童も
しりて世に弄ひ手遊ひ人形ふもつくりてもてはやしける其頃より強き
ものをはすべてきんひらと名付たり元禄の松の葉に載る春駒のうたに
「こちのてうのよねたちはいきもはりもつよひはいのきんひらだんべいさかたさく
ら木さつてもめいよの太夫しゆ云々といへるもこれなり今も公平粘(きんぴらのり)
公平牛蒡などとて其名残れり和泉太夫が事くはしくは三の
巻にのせたり

  ふきあけ 初段
扨もそのゝち御さうしは吉次はしやうがたちをもちあつまを
さしてくだされ給ふが御ざうしおほしめすは吉次が太刀をもつ事
はひとへにむねんのしだいなりよしそれとても力なし吉次がたちにてあ
らばこそめいどにましますよしとも殿のたちをかづぐと思ひなし
くだらばやと思召くにのやはたをふしおがみみかわかきりのさかひ川なみ
だと共に打わたりいそがせ給ふと申せ共あかぬわかれの中なればすそはつゆ
そではなみたにうちしほれめいしよにてはうたをよみきうせきはしをつくり
ゆかせ給ふと申せ共そのけしきもましまさす吉次吉内吉六はみねをこ
えてはたにゝまちたにをこへてはみねにまち打つれまちつれくたらせ給ふかをとに
きこへししはみとうけは是かとよたれかそでをもひくまのしゆくにもつき
給ふうきもつらきもとを/\みはまなのはらのゆふしほにさらねとのぼるあま
をぶねわがことくこがれてものや思ふらんあすの命はしらぬ共けふはいけだのしゆ
くとかやげんしの御よとみつけのごうにもつかせ給ふふくろいなはてをうち過て
いそがせ給へばほともなく人になさけをかけ川やにつさかすすくれはさよのな


146(挿絵)
「うしわか見おくり給ふ」

「上るり御せん」
「めのとのれいせい」


147
まいりけり御さうしは御らんしておん身たちは一人のひめを是よりもやはき
のしゆくにおくりとゞけて給はれやうけ給はると申て大てんぐは上るりひめを
ゆんでのはかいにのせ奉りせつなが間にやはきのしゆくにてをくりける
其後上るり御ぜんのふみうけとりて御さうしにたてまつる御ざうし
ななのめならすにおほしめしはだのまおりとおさめつゝそえよりも
かんばらしゆくをばなみだと共にいでさせ給ひそれよりもくさ
ふかきあつまのをくへくたらせ給ふ御さうしの心中あはれなり共
なか/\中斗はなかりけり

右之本者江戸    長門
正本 而令板行者也

  一心二河白道 初段
扨も其後それれんほあいしうの思ひは六たうりんえの道行となりかまんはうい
つの心はみつめいあんのなかたちと也なとへは水火二がひやくたうすなはちしやうどいん
たうのはしとなる是みな一生かいのうちに有さて生かいの内においてことさら女性の
身に子をうむわさなんしにまさる大なんなり生るゝときのくるしみはかりかたしはらは大
山をのむかことくむねはりけんにさかるゝかことく也一たひたかぬれは百年の命時のま
におはるしかるを有かがくも地そうほさつは是をあはれみ子やすへいさんのくわんを
おこし給ひかりに人間と生れたんはの国をいの坂に子やすの地そうとおかまれさせ給ふ
ゆらひをくはしくたふぬるに中頃の事かやよだんはの国おいの坂にさいきのくんし秋守と
て弓衆一人おはします代々ふつきのいえとしてえいくわにさかへ給ひけりひめ君一人もち給ふ
都清水の申子にてさくらひめと申十八才に成給ふ父うかんたくひなくしいかくはんけんくら
からねはおよふも及はさりけるもしたはぬ者こそなかりけれさて又家のしつけんにさゝ
太夫しけとも同源太みつはるかれら兄弟と申は上をうやまひ下をなてうちもの
とつては長郎かんしんをもあさむくほとのつはものなり有時あきたるみたい所をちか
付てつね/\申せしことくよつきのなんしあらされはならひのこほりくはたのせうしの二なんをやう


148(挿絵)
「せいけんかもうねん」「よしなかたちでをかけ給ふ」

「ひめ君まち給ふところ」


149
給ふはまことにありかたけるしたいなり今の世にいたる迄なんさんにむかふもの道々
一しんに子やす地そうへしゆくくはんをかけぬれはへいさんする事うたかひなし一しんにうたかひ
あれはしよくわんしやうしゆしかたしとかやしやうこも今もしつたいもかゝるためしは
すくなきとてきせん上下おしなへてみなかんせぬものこそなかりけれ

右此本者土佐少掾橘正勝
秘伝也以正本令板行書や(?)
 村田屋開刊

  夜目遠目笠のうち 初段
扨も其後されはいもせのかたらいはわなあふせ鳥のならへしよりしづか山がの木こりをもしほくむ
はまのおふな迄いろしらざるはなかりかりこゝに人王七十五世しゆとくいんの御時きんもんしゆご
のぶ将をはくらはしえもんの守定としとてちじんにとめるめいくん有姫君一人おわします御名をは
若なの前と申ていとやん事なき御かたちかつらのまゆすみみどりにてひすいのかんざしたをや
かにやうりうのはるのかせにな引かせし誠に恵めるかんばせはせいしか花のおもかけもあわさは
つゆはちぢつらんわきてたしめるわかの道そとなり姫の跡をしたひ今小町かと人そ云まだふみ
も見ぬ恋ちをもあく迄すいのしなしぶりしたはぬ者こそなかりけれ扨又家の郎等にはす
み山かずへ景光大小はもんどたね正梅原もとめの介吉とよとてもろこしのかんしんこうめいをも
さみする程の忠臣にて日々の出仕おこたらねはのきばのこまのたへまなくときはの松とさかえ
けり時にひめ君の給ふ様いかに父上様廿たびたいけんもんいんの白川にゆき有わらはも御供と
有し時源のためよし殿を頼つゝおとこ山へのぐわんほときを申上候へは御供ゆるさせ給ひし也幸
明日ひがらもよくやわたへ参かね/\のくわんほどき致申へし御いとま下されかし父上様との給へばちゝ上は
聞召げにや誠に其方は女ながらも我子とてけんじゆつ成就のくわんほときこしそへはしたに
至迄花やかに出さらせいかにももふて申されよやあもんどもとめの介けんくわかうろんなきやう
に下々へ申付供を致申へしいかに/\と有けれは畏て候とておの/\よほひしたりけり是は扨置其


150(挿絵)
「こしもとつかひ」「大和之助しのひ」「こしもと」

「大和之助あきうぢ」「わかなのまへ」


151
はしつたりとはてを取大和の介事共せす急ぎ取ておつふせ汝女のぶんとしてこれへ来るはふしき也いさ
いに申せとの給へは若なの前あら口おしや何とそ鬼神をしたかへて秋氏の御るざいをゆるされんと思
ひしに扨もむねんの次第やと泪なからにの給へは秋氏はおとろきて扨は左様に有けるか我こそ秋
氏也との給へは我つまかと奉にひしといたき付悦泪せきあへすかゝる所へひくちあへたつ主のなんきを
すへわんと是もたぐいぢに来りしか此由を見るよりも急き立よりたいめんし悦事はかぎりなし秋氏も扨々ふしき
の次第かなとてもの事に鬼神をは打取そうもん申へしこなたへ来れめん/\と又かたかけに待給ふ是をは
しらて鬼共はしう/\四人つれ立てらせう門に帰つゝ扨々こよいの仕合は近頃ふでき千万也とかく物はいわい
から一はいのまん尤とてさしうけ引うけのみにけるくゝは是を聞くもっまにすかしみてあれは鬼神に少もうたが
いなしいざ打取んと声をかけ一同にぬきつれ切てかゝれは鬼共は叶はしと思ひつゝ後をも見すしてにけ行し
をいつく迄と云まにもみにもふてそおいかくるやう/\とおつ付ていち/\にからめ取引こそしてみてあれば
鬼にてはあらすじてみな/\めんをそきたりけるひ口あくたつあきれはてさてはにせ鬼にて有けるよとめんおつ
取てみてあれはにくしと思ふ丸山うたの進其外したがふ朗等あゝら是はめでたし珍重やないざ引つれてそふもんし
きさんを御しやめん蒙る也と悦いさんでかへるゝ誠に千秋万ぜいと上下に至迄悦はざるはなかりけり

右竹本は江戸半太夫丞之正本ふ
足をうつし今板行者也 うろこかたや 新板


(欄外上)
「元禄 の頃 正本 石見 記」

天下一石見様藤原重信正本 初段
それ一さいしゆじやうむけくわうによらいの御なをきゝえてしやうししゆつ
りのかうえんふかくなる事ひとへに念仏わうしやうの一たうに有爰にみがはり
めうがうのこんげんぜんちしきのほまれまします蓮花上人のゆらいをくわしく
たつね奉るに仁王百一代後小松のいん明徳年中の事なるにきしうふぢしろ
の住人しもかうべたんじやう左衛門国光とてまう悪ぶたうのゆうし有しやう国は
あふみの国高嶋の郡にて杉山兵衛のぜうといいし者也しが同国しがの郡を知行
せし梅かきけんもつとよしけといふ侍をよしなき事にうちしゆへ梅がきしんるい
おほく高嶋にたまれずきしうふぢ城に下り母方のおぢをたのんでふかくしのび
右のけみやうをあらためだんじやう左門国光となをかへ年月かさなりすでに
はや十七年の春秋をそおくりける男子一人まうく即きやうぶのすえ国長と
そなのらせける本よりだんじやう大酒をこのみ色にふけり人のなけきもかへり
みぬあくぎやくふかきおごりものえいぐわにほこる身のはてはなにゝたとへ
んかたもなし是はさてをき爰に又わかのうらに梅かき権太郎ともはる
といふ若さふらひのらう人有くわんらいあふみの国しかの郡を知行せし梅垣


152(挿絵)
「れんけほう身かはり」

「御でしたちなげく」


153(挿絵)
(枠外上)
「以下十丁 は書名 知れす 江戸歌 舞伎并 操芝 居もの まね抔
 を画き たる貞 享元禄 の頃の 絵本 なり」

「式部太夫」「庄太夫」「源太夫」「半太夫」「和泉太夫」「土佐太夫

「長太夫」「あふみ太夫」「上るり惣太夫」「ひぜん太夫」「えいかん太夫


154(挿絵)
(枠外上)
「土佐 少掾 とあ るは 少掾 の誤 なり」


155
「かいて四郎三郎」「のろま次兵衛」

「此時代の人形
 すべて足を つけず壱人 遣ひなり 京大坂も是 におなし」
「お山次三郎」
「のろま次兵衛」


156
(左頁看板)
「大操 武蔵権太夫 天満八太夫 天満重太夫 正月吉日」


157(挿絵)


158(挿絵)
「いつみ里兵衛」「若女彦三郎」
「和泉 太夫 が芝 居楽 屋の 図也」

「中啓の扇 を持たるは 金ひらの 人形なるべし」
「地人形金兵衛」


160(挿絵)
「瀧口 横笛 の狂 言成 べし」


161(挿絵)
「江戸 半太 夫が 芝居 なり 丹波 与作 の狂 言成 べし」


162
「江戸 操四郎 芝居 なりこゝ にのみ 三人遣 ひの人 形あり 可考」


163
以上十六葉古板本 月岑自模(?)

声曲類纂巻之四畢