鑓の権三重帷子 下之巻

 

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     ニ10-00152
 
参考にした本 ニ10-01619 

 


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 権三おさい道行              下の巻
やりの権三はだてしやでござる あぶらつぼから出す様
な男 しんとんとろりと見とれるおとこ どうでも権三はよい
男 花の枝からこぼれるおとこ しんとんとろりとと見とれるお
とこ いとしひ男 恋したはれし 二ちやうの弓のもとはづのはなさぬ
さきにつるされて ひかれぬかたにひかれ行 ひとりるすね
の とこの内 心もすみてめもさへて しんき/\のそらりんき ついに


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我身のあだしくさ 世のそしりくさ うきくさに あさかの水のもれ
そめてさゝのゝ 露とおきまとひねまとひあやみまとひては
こきやうすわすれぬふたりが涙 わきて出石の山はあれど恋の病は
しるしなき たじまのゆげたかぞふれば 我とそもじは五つと七つ十
二ちがひの月ふけてあね共いはゞ岩枕 かはす枕か思はくも 影はづかし
や野べのくさ そなたは人のおみなへし おれが口から女房とは 身のはぢ
楓いたづらに そめぬうきなの村はぎのみだれ なくこそ哀なり ふり

あげ見れば源の きじんたいぢの大江山みねはあお葉につゝま
れて たにもおのへも しん/\と 山のふりさへあいそなくくすみ
きりたる 松の下かげ やぶのこかげの一ざいしよ あれ/\/\/\
むぎつくかゝらとなりのあねか 三十斗ではぐろふり袖それでも
こひの一ふしや 大工どのよりかちやがにくい ねやのかけかねかぢが
うつシヨカヘ なふかぢがうつ ねやのかけがねかぢがうつシヨカヘ のふかけがね
の せきのとざしのとけそめて まよひそめしはたれゆへぞ わかい


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とのごをわれゆへに くづおれすがた二こしのその一こしは道しば
の露の あたひときへはてゝ 一もとすゝきかり残す こしのまはりは
秋のくれ さびしやかなしいとをしいだきあひては泣斗 国に
親と子 あづまにおつと思ひは千すぢ百すぢの 我は涙のおがせ
くるまをゝくるとや 世のうはさ手でせきかぬる 川水に あらふ
かたびらはりまかた ろくにねぬ夜のめもとぼ/\とほこりまぶ
れのかみかたち しほやく浦のあまにもおとる 山田はたけの

とりおどしさりとはといおどし あはのうづらやさはの田
靍 ひよ/\となくはひよとり小いけにすむは おし鳥
おしとりの しもやもめのつまのるすもり おとこやもめ
のうきすまい 鳥のうへにもなげかれて いとゞなみだ
のたねぞかし あとにゆふだつむら/\雲にさつと
ふきくる風のおと野べの すゝきのそよぎ迄 われを
追くる追手かと つゆのさゝはらヤツトン/\ つれだちはしる


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ふみわけはしる いそのちどりをぼつかけて 石づきつかんで
ずんずとのばしやる/\ サアえいさつさ えいさ/\えいさゝは
のやりのやりさきに はづす小とりも なかりしに今ははかぜ
もおそろしく ふねはのりあひ人めせくかちゞ いそげど
はかゆかず 何をしるべになにはづの名はすみよしも
すみうしと 世のうきふしのふしみにそめぬたもともす
つる身は 心斗をすみぞめの墨に 忍びておくりける(岩木忠太兵衛屋敷

さり共と むかしは末もたのまれき 老はうき身のかきりぞと古歌
の詞も思ひしる 岩木忠太兵衛玄関まへ 浅香市之進方より 小袖
だんすはさみばこつゞら長持 其他嫁入道具一色(いっしき)積かさね 不義人
の諸道具 返納とよばゝりちらして帰りけり 母は持病の血の道におさ
いが事の其日より しやくのつかへに胸いたみいとゞ枕もあからぬに なん
じや道具がもとつた 聟共孫共縁きれたか情なやとよろぼひ
出 のふ聞事も見る事も悲しいことばつかりと つゞらにけつはといだき付


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たへ入斗に見えけるが いか成てんまのしやうげぞや此様な事仕出す さ
もい気はみぢんもなく まぢやう者の孝行者子もじんじやうにそだ
てゝ かゝ様聞て下されわたしは娘もたんと持 よめりの時の諸道具を
一色もちらさず 子供しつける便に 少身(しやうしん)の我夫にあまりくにかけとも
ないと いふ詞がちがふにこそ 廿年に成道具ふるびもせず持なす
此心で そもや悪事をなんのせう 物の見入りむくひかと又くとき立
泣けるが 市の進の身に成ては口おしいはづなれど あまりにこれは

つれない子供にゆづゝてくれもせず 見くるしいかどにつませてわが
子の恥は思ふはずか ヤイ中間共下女共よ余り人の見ぬ中 はやく内へ
はこんでくれと 嘆あせれは忠太兵衛 是々おばゝ 聞ていればぐど
/\と何をごくにもたゝぬと 市之進にはあやまりない男一所にうつて
捨る 女の諸道具市之進がとめてねんにせう 人間はつれの女けがれし
道具武士の我がけがるゝ 中間共かたはしにたゝきわり火をつけてやいて
しまへ 畏たと棒さいづち鋤鍬まさかりひつさげ/\立かゝる 母はたへ


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かね手をひろげ待てくれ/\ なふ祖父様道具おしうはなけれ共今生
でも来世でもおさいが顔はもう見られぬ 手にふれた道具せ
めて一色は老の形見に残したし やしきを欠落する時も唐かうらい
にいるとても さぞ忘れぬは子供がこと常々やりたい/\と とひし
念もふびん也 一色づゝも残して子供にとらせて下されと つゞら引よせ
たんすにすがりもたへ悲しみ泣ければ 是おばゝ 今是が悲しいとは お身
も我もま一どhじゃ大きな悲しみ聞ねはならぬ 其時ふたりはなんと

せう 年寄てはうきことを聞がやくと覚悟して じつと涙をかんにん
めさ 身もかんにん/\と一図にかたき国武士の咽に涙ぞつまりける
何と思案して見ても此道具受取ては はうばい中の思はく他国の
聞へ わかとう中間共煙たかいははゞかり 一色つゝ取分やいて捨いといひ付
られ めいわくながら主命つゞらたんすはさみ箱引ちらし打くだき あ
まの焚火ともえあがり けふりに見えぬ俤に 母は猶も身をもだえ
かはいやおさいがよめりの時 まあ爰で門火をたき 千秋万ぜいと


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祝ひし其道具 門火の跡て灰となす母がからだ諸共に 薪となして
くれぬかと 嘆を見ては下女はした わかとう小者にいたる迄皆々袖
をぞしぼりける 残つたは長持一つ取分てもやせと ひらくふたりの孫娘
兄弟だき合泣いたり 祖父(ぢい)も祖母も夢心地やれ/\あぶなや命めうが
な孫共や もし火を付たらよい物か かたいてゝごのいひ付かなぜに声を
立なんだ きように生れついたよな 花もみぢのやうな子供を 母めは
よふも見捨たと髪かき なでゝ泣けれは おすては何のぐはんぜなく

かゝ様にあひたい かゝさまよふでと泣斗 姉のおきくはおとなしく
とつ様はかゝ様を切に行とおつしやり 祖父様祖母さま頼みます かはりに
わしを殺してかゝ様助てくたされと とつさまに詫言をと膝にもたれ
ふしければ ヲゝよふいふた母はさ程に思ふまい 虎次郎はなぜこされぬ 娘
を母にtけるは離別の作法 こちにへだての心はない 孫三人を朝夕
に見たらはうさもまぎれう物 此子はてゝごの四十二の二つ子にてばゝか
おすてと付たが 今は父母兄弟が世の捨ものに成つかと くごきくりこと


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身もしほれ 枯木(こぼく)の様成祖父の顔涙にわかちなかりけり 泣な/\
だいじない なんぼ母めがすてゝもぢいやばゝがかわいがる 甚平といふおぢが
ある サアこい/\と手を引てなく/\ おくにぞ入にける茶せんがみ いひがいも
なき身なれ共 武道を見がくあられ釜 たぎる心は運次第 あさか市
之進帰国をすぐに門出と 三人の子をかた付て気はひろけれど 先
しばし お国の内ははゞかりの 笠ふか/\と舅の門 今迄とは事かはり
案内なしも無礼也 物もうも角だつ いとまごひ一礼のつてもがな

とげんくはん見入立たる一所に 舅忠太兵衛痩ぼねたかくひからげ 鍋の
つる程そりにそつたる朱ざやぼつこみ 一もんじにかけ出る アゝ申々と袖引
とめ立取て捨けれは ヤア市之進今朝はちく生めが諸道具 孫娘二
人受取申た 旅出立は暇乞と見へた お出過分追付吉左右待申と
いひ捨てかけ出るいや申 御顔色も常ならず気遣千万 こさい承はり
とゞくる迄は慮外ながらはなしませぬ なふ市之進御自分江戸より下着の
せつ 娘さいめが提げ首をおめにかけいで口おしい 世伜甚平は其日より


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尋に出る 年よつても忠太兵衛腰ひざたゝぬ身ではなし 刀の刃に
血も付ず高枕でもくらされぞ ひとり物にも狂はれず 相手がなと
在るに 最初不義のせうこを取て我らにもしらせ 国中にさたをし
た事ふれは川側(かはづら)伴之丞 きやつを切て老後の思ひ出おはなしやれ
とかけ出る アゝ是々 御心外尤ながら御老人の腕さき 万一伴之丞に
討れさつしやれば 此市之進先めがたきをさし置 舅の敵を討ねは
叶はす 気まぜめいわくはせつしや一人ひらに/\御了簡 御厚恩にうけ

まするとさしうつふけはなふ是市之進 か程根性のくさつた女房の
親でも 忠太兵衛か討るれば舅の敵を討気よな 是はきよく
もないお尋 たとへ女は畜類に成たり共 舅はしうとに極つた忠太
兵衛殿 敵があらばうたいては そりやお尋に及ぬこと 市之進アゝ御
心てい身に余り忝いと 大地にどうと老体の跪たる感涙に 市之進
も是はと手をつかね 涙にくれしむこ舅武家の道こそ正しけれ サア/\
ばゝにもあふていとまごひの盃 兄弟の娘ま一度顔も見たからふ わらん


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ぢかけのていわざとおくへとは申さぬ やい/\市之進お出皆こいやいと
よけれは ヤ申ちいさいやつらによく申付たるがなんとほえはいたさぬかな
イヤ/\器用者共そこはきづかひめさるなと 玄関に座しけれは 母は二人
の孫むすめ 左右に具して立出る 中に盃酒さかな盆正月の
節ふるまひ 三人の子の誕生日一家寄あふ悦び日の さしきはざい
きにかはらねど そろはぬ物は人の数 五人顔を見合せて物をはいは
ぬ目礼に 涙たしなむ顔付は泣さけぶより哀にて 酌取下女が

たもと迄こぼさぬ酒にしぼりけり 母は涙のこらへせいつきはてゝわつと泣 かはい
や此子共かてゝごのいひ付おほへてか めに涙は持ながらおとなしいを見るに付
あの業人のちく生の人てなしの腹から 此様な器用な子を何として産出し
た 人なみの根性さげてくれたらば 母も子もそろふたり 忠太兵衛夫婦は子
も孫も産そろへた 手柄者といはせぬか 娘の子は母方づきと二人はかり
送つて 虎を残して下さるは 岩木の名字をうとみこちとは縁を切心か
曲もない市之進娘にごさると声を上つもる 涙を一ことに泣つくすこそ道


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理なれ イヤ御恨は相違へだつる心いさゝかなし 此度我らお暇下され
世のさんじんと成たれ共親より伝へ今日迄たのみと致せしちやのみちは
忘れかたく 虎次郎めを千野休斎弟子ぶんに預申たり お恨はれられ門
出のお盃をといひければ 尤さこそと打とけて へたてずかはす盃に
いふこととてはしゆひ能追付け本望/\ その本望とは子供の母我妻めを
きることを身の悦びになす事は いか成運いか成時いかなる悪世のちぎり
ぞと 思へははつたと胸ふさがり 鉄石のことく成市之進か心かきくれて おぼえす

涙にむせびけり 女房おさいが弟岩木甚平宿なし旅の形もやつれ
一僕具して立帰る忠太兵衛のびあがり ヤイ/\甚平おどつたか しゆびは
どうしや市之進もたゞ今門出 なんと/\とすく/\立 ヤア市之進 留守の
中不慮のこと出来(しゅつらい)お帰りないさき不義者共がさげ首 こなたへ見せ申せ
と親共の心せき 我らはもとよりきゃつらが欠落の暁より すぐにぶつ
立たべ物を腰にひつゝけ 海道筋のはたごや馬次舟場をせんさくし 山
かげ在々迄も近郷残らず尋しが いや/\足よはをつれ気のおくれたる


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迷ひもの ふかくかくるゝ心も付まいとぞんじ 伯耆路へかゝつて詮議致
せ共出合ず つく/\゛存すれば相番を頼し迄にて番頭(がしら)へもことはらず
日数をふるは不調法と存 引返したゞ今帰りがけすぐにことはり相済 ちよ
つと立ながら両親にあはんため此仕合御じぶんも我らも互におそいか
はやいかで おめにかゝらずは残念たるべし 幸の折に参りあふほんまうたつ
せん吉左右 いざ御同道仕らんとぞいさみける 市之進手を打扨々
御くらうおほね折 御親子の御こんい心肝にてつし忝し もはやこれより

御同道には及す 我等一人まいりからは外を頼むこともなし 甚平殿は御休
息頼み入といひければ いやさいはれぬ遠慮 心はやたけに存ても人数な
ければ手の廻らぬ事も有 扨こそ留守の内 よもや何事も有まじ
と落付てもかやうの事の出来 権三も他国に親類ちいんもあるへし
何とかまへ置もしらず 三日路四日路共ふみ出し 時の変にて介太刀ほし
い事も有べし 是非共に御同道 イヤ是御心ていたものしけれど 女房の弟
に介太刀させめがたき討ては本望でも有まいか いやさ介太刀と極


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す共 只ちからに成迄の事とこは高に成けれは市之進色を損じ 扨は茶
入釜のふた取より外 人の首の取様しるまいと思めすな 弓矢八まん身
こそ少身なれ 見事ちぎれ具足の一両も用意して すはといはゞはかね
をならすお歴々にもまけることはおりないさ 甚平から/\と笑ひアゝ腹筋な 然らば
足本のめかたきなせ討ぬ ムゝウ足本のめがたきとは 川側伴之丞がことな それほど
おぼへの有妻敵なぜ討ぬ 市之進はつと驚き尤かれか不義の状
数通女が手箱にて見付 きやつも一からなと思へ共一時には手に及

ず 先是は後日の沙汰といはせもあへずそれ/\/\ 鼻の先に置な
がら二人の敵は手がとゞかず 初日の敵後日のかたきといふわかちはしらず 介
太刀たのまぬといふ市之進のめがたき一人は 岩木甚平が介太刀討たお
見やれと 腰兵糧の器(うつわもの)引ちぎり 押ひらけば伴之丞が首 洗ひたてゝぞ
持たりける 市之進是はと手をうては舅ふうふ大きに悦び こん
りんざいの敵につくしといふはきやつがこと 但御扶持人きたへは何とうつたへ
た いやうつたへに及ずかれめも身の蜂はらひかね お暇申捨かけおち


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致所を 因州さかいにて思ひのまゝに討取ました 手がら/\なふ
市之進 敵討の門出に是程の吉左右有べきか 忠太兵衛がさしづ
甚平をつれられい 尤いふに及ぬこと介太刀して本討手の名に
疵つけな 畏たおいとまと立出んとせし所に 十(とを)斗成旅人の門柱
にかげかくれ おくをのぞいてちらめくを 市の進屹度見やら心得ずと
走出れば 中むすこの虎次郎りゝしげ成旅装束 おのれ此ざま
はどこへ行心入 こしやく者めと小がいな取て引出す イヤとゝ様の供して

行 姉様おすては女子なり わしは男敵討親をひとりやるはぶしで
ないと 先に立て走出るを引とゞめ 扨はおのれをうんだ母をきる
心か かゝさまなんの切物ぞ 嬶様をつれていた権三めを切てくれる
どうでもいくといぢばつたり やいわるい合点 おぢ様もとゝも出て行ば
ぢいさまばゝ様お年より姉やすてはめらうの子 そちを跡に残すは
もし権三めが来た時 きらせうと思ふ用心 ずいぶん休斎(きうさい)に茶の
湯をならひ 時々これへお見廻申おふたりへ孝行兄弟共に気を付


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権三めがきたらば切てすてい但ひとり残るがこはゝばつれてゆかん
となだめたらせば いかにもひとり残りましよ 跡の事気遣せず
必手がら遊ばせと聞わけのよき利発者 舅ふうふはめもくれて
女子男打そろひ すぐつた様子子供の成人 見たい心もなき母めは
いか成畜生ぞや 不便共思はぬ 切成共突成共やがて本望/\
と 涙ながらの暇乞 兄弟三人声々に 権三めは切ころし かゝ様はそく
さいでつれて戻て下されさらば/\とつ様といへ共父はさらば共 いはん

とすればめもくれて胸に 八色の雲とつる故郷 はなれてわかれ行(伏見京橋妻敵討の段
月にたれ ねて見よとてや伏見とは ふねによせたるさとの名の 橋のゆふ
くれ来て見れは すゞしくのもじかたどりて 京を持たる京橋に ひ
とつながれのみそぎ川末吹風も たもとすゞしき権三おさいは 三日共
同じ所に足とめて いるにいられぬあづさゆみ伏見にしばしすみぞめ
の秋のさくらか入相も あうすぉばしらず一日の命/\と聞すてゝ 難波の
かたに思ひ立 人めをしのぶのり合に 空いねふりのふねこげば そばに


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ちやふねをこぎつれてうどんそば切 きりゝ/\と押まはし こうふ
ならちやと茶をうるも 宇治の川水おちそいてむかしを胸に涙ぐむ
母心ぞ哀成 市之進は御幸のみや甚平は三柄(みす)の里 毎日そんじやう
そこ/\と 相図をしめて甚平一人 京橋の夕日影ふね共を見廻し ずんど
はやふ出る船があらば乗たいと のり手にめを付見廻せば はやいかずきなら
此ふね しよやが鳴と出します おふいかふせばそうな せばいことはござらぬ
わかい旦那様とおか様と留のかげにかゞんでじや あのそばがひろひあ

そこに置ませう イヤい所はどう成としていよふが 初夜といふてはもう
おそい あすのひる船にいたそう そんなら勝手 母はこちの 乗身はそつ
ちの しいはせぬといふ中に船中とつくと見廻し 顔は見へねど十(とお)が十
是に極つたと 嬉しさ足も飛あがれど 苫のかげより見つくるかと わざ
とゆる/\橋の上 すゞむ顔して二三べん心いはひの神の鬮(くじ) 市之進が
旅宿へと足をとばせて走ける 苫押のけてハツア大事の物忘れた
コレ船頭殿 こちふたりはあげてもらを 人に頼まれ大事の買物銀まで


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受取 乗いそぎするとてとんと忘れたあげてたもれ してそれは
どこ迄かいにいかしやる ヲゝあれは なんとやらいふ町ぢや ヲゝそれ/\ し
もく町のあちら ふぢの森のさきじや ハアこなたもよつほとのこといふたが
よい 爰からなんぼ有と思はしやる一里半ござる 其中に舟は出て
しまふ あげることは成ませぬと情も なげにとり合ず イヤおそくは
かまはず共出してたもれ 二人分の運ぢんは払ふてあがる ひらにたのむと
北南の見世さき 橋の上にめをはなさず 爰な旦那殿はうろ/\と

つまらぬこといふ人じや のせもせぬ運ぢん取ては一分たゝぬ やはり乗
てござれ それはむごひ船頭殿 今の様に跡から乗てもあればせ
ばふ成 ひらに上て下され頼みますると侘ければ せばいこときづかひし
て下されな あすの朝大坂迄 まんぞくにとゞけりやよい 今宵一夜は
おか様もどう切ふして 旦那殿もこまごまにきざんてかたづけてのせ
まする sこらはかまはずふんぞつて のたれてごされといふことも 心にかゝる
ひとつなり おさい万気にかゝり 船頭殿 物に情といふこと有 人


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をのせず運賃とればせんどうのぶんたゝぬとや 我々とても人に銀を
ことづかり その買物を渡さねばどふも一ぶん立がたひ 是手を合する ぜ
ひ共上て下されと詞をつくせば聞分て そんならはやうあがつた アゝ
過分/\と二人手を引気もせく足本 こなたしゆは怪我しそうな
がんぎにけつまづき おかさまの大疵に又 疵のつかぬ用に用心/\と
常船頭のざれこともけふこそ胸にこたへけれ 床のかげに身をひそめ 甚
平が爰に有からは 市之進も此邊にいらるゝはひつじやう サア/\二人の望

かなふたかくごあれといひければ アゝそれは覚悟のまへ 国を出るその夜よ
りおつとにしんぜた命 おしいとは思はね共 もし弟の甚平が手にかゝらば
口おしい犬死 甚平と見るならばすいぶんとのがるゝが 市之進殿の奉公
わたしやこなたが心ざしこうしてもいられまひ 今夜はどこにとまらふ
ぞ ハテ見すがはなか油かけか ぞろ/\京へ成共のぼらふと 夕べの空もはや
くれて のきば「/\にとぼす火はきりことうろう 色々の花の絵つくし判
字物 見世にすゞみのしらい咄やおとり子の 十二三から八つ九つの娘 やさしや


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くろひはおりの腰まきに やらうぼうしの こむらさき そろふひやうしやなりふりも
よく それ/\それ/\やつとせ ハアイ なにはえのあしのかりねの一夜さへ
ながきちぎりとむすびはすれど ゆるさぬ恋のせきのとや いつそやなべ
と思へ共 一期さる丸とのせいしのあれば 天智天王ばちおそろしく 親
の菅家もそこはかとなく余所の人丸たのまれずして ちきに大江のち
さとをこへてすごきふかやぶ中おしわけて たんだふれ/\な爰できれさおどり
すかたのなつかしや ナフあのおどり子を見るに付 国の子供もあのとしばい 生たか

しんだか煩ふか かはいやことしはおどりまひ はなれ/\に成果(なりはて)て どこでしんでも浅
ましい 子供の水も受まひゆくはんさうれいたがせうぞ 迚なら今しんで 此燈籠を
六道の中有のあかりに迷ひをはれ せめていらいがたすかりたいと あるき/\のくどき
こと 男も心かきくもり空は今年の日照にも 袖には誰が雨乞の身をしる雨ぞ
はてしなき 市之進がたしなむ備前国光 運こそ来れ我妻に 此世の縁は
薄柿の帷子たかくねぢからけ 甚平とは跡先に引わかれたる夕べの雲 時はめいどの
酉の下刻 運こそ北の橋詰にて行合ふたり 笹の権三残る市之進がめがたき 覚えたる


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といふよりはやく打かくる 待受たりと指上る 弓手の小がいな水もたまらず切落
せば 飛しさつて武士の役作法斗と一尺八寸抜合せて刃向ふたり スハあばれ者切
たは/\けんくはよ棒よ 踊子共にけがさすな お吉様アおせん様ア 半兵衛ヨ権介ヨ 人を
呼やら逃るやら隣丁八丁九丁町 十番切のさつきやみ夜討の入たることく也 女は甚
平をちらりと見て望は夫の切先弟に討れ犬死としばし身を引橋の影
権三がふんごみ打切さきらんかんに切こんで くはへとめたる刀を捨 エゝ竹がな一本 一手つ
かふて鑓の権三と名を取印 諸人の形見にのこさん物 足取成共見物せよ

と 刃をくゞり無刀(とう)の働さすが成ける手負ぶり 一生一世と念力に切こん
だり右のかたさき 胸板を筋かいにはらりずんどきられても 猶身を引ぬさいご
の身ぶり 橋はさながら紅葉のまれにあふせの敵と敵ふんこみ/\五刀 きられて
のつけにかへせ共 武士の死がいの見ごとさや逃疵さらになかりけり 市之進女を見
失ひ なむ三宝と北へ走南へもどり どこへうせたと小角(すみ)/\をから猫の
鼠をさがす眼の光 橋にはしがいのたをうつ おりしも七月中旬血ながれて
とう/\と 月こそうかへ伏見川たつたのかはとぞまがふたる 甚平姉を引立れば


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介太刀のそなたに討るゝは口おしい 夫の手にかけくれまいか ヤ市之進程の仁(じん)たが
介太刀を討物ぞと橋の中へつき出せば なふなつかしやと寄所を片手なぐり
に腰のつがひ くはしりずんと切さげられあつと斗に伏たほる 帯ひつつかんで顔(つら)引
上 見れは子供の不憫さとにつくし/\の恨の涙 胸にうかむを打払ひずんど切さげ取
てひつふせ 肝先ふまへぐつとさいたるわが切先 右の踵(きびす)を蹠(あなうら)かけずつはときれ共覚へ
ばこそ すぐに男が胸板ふまへとゞめはいづれも一刀鑓の権三が古身の鑓 疵も古疵咄も
ふかし 歌も昔の古歌なれど谷の 笹原一夜さ咄其鑓の柄も永き世の御評判とぞ成にける

 

(左頁 あと書)
七行大字直也(也じゃないかも) 正本とあざむく類板世に
有といへ共 又うつしなる故 節章の長短 墨蹟(?)
の甲乙 上下あやまり甚だ少なからず 三写烏焉
馬なれば文字にも又遺失多かるべし 全く予が
直也正本ならず 故(かかるゆへ)に今此本は山本九太衛門??
新たに七行大字の板を彫りて 直(ぢき)の正本のしるし
を糺(ただ)せしとの求めにしたがひ予が印判を加ふる所右の ごとし
                        
 

 

 

 

参考にした本 ニ10-01619 より

 

30 右頁 中程

○附言
これは享保二年八月の作にて事実雲州の巷説なり 但馬のゆげた伯
耆路云々の文あり徴(しる)すべしいづれにも伏見にてせし妻敵うちの当
時人口に膾炙せしものと思はる、そは同作(元禄十三年)淀鯉出世瀧徳、

また寛永四年の堀川浪の鼓、その外一二種に槍の権三の名見ゆ、この
二作、一は十七ヶ年のまへ、一は十ヶ年の前なり、久しく世に流布せし
巷説なるを知るべし


(赤字書込)
幸堂得知氏所蔵「女敵高麗茶碗」の序に曰く
難波の芝居に八つの櫓。先をあらそひ盆替りの間もなく。場所のはたらき目を驚かし。
実や好色橋弁慶とは。近松門左が思ひつき。浮世は夢の浮橋と。吾妻三八が趣向の
外題也。是ぞ因果はまはり燈籠の。嵐になびき吹つたへたる女敵討。名高き橋の
咄を其まゝ。取つくろはずたて掛けて。高麗茶碗と此書をいふのみ
時に享保弐つのとし七月廿一日

幸堂氏の此書の書入に曰く
此書に編し高麗橋に在し出雲の某が女敵討は当時専ら世上にいひもて
はやせし事と見え既に此序の中に名ある「好色橋弁慶」「浮世は夢の浮はし」又享保


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三年刊行京板の「乱脛三本橋」の内一二の巻かの右の女敵討を
綴しものなり 此地も程可有与(?あるべく?)三本橋には
密夫 池田軍次 女 放勘 討人 玉の井宗?
と名の異同ありて年齢手疵衣服哥(?)は不違

○此序に見えし「好色橋弁慶」といへるは「鑓権三重帷子」の最初右の如き外題を
号しにはあらざるか 「鑓権三」か外題年鑑によれば享保二年八月廿二日初日也
此序の末には享保二年七月廿一日と記せり 後に奥行(?)せし「重帷子」を序の中に
書入しは不審也
再案けるに此事ありしは享保二年七月十七日夕方なるを近松翁直に「好色
橋弁慶」といへる名題をあで(?)官より沙汰せられて「鑓権三重帷子」と外題を
改 八月廿二日より新上るりを出せるゝはあらざるか


鑓の権三重帷子終り