仮想空間

趣味の変体仮名

古今名婦伝 新町の夕霧

 

f:id:tiiibikuro:20200531150932j:plain

「古今名婦伝」

 新町の夕霧
浪花新町扇屋の遊女なり
心優しく書に妙を得たり
惜哉早世す今も寺町
浄国寺に此妓の墓あり
花岳芳春(くわがくほうしゆん)信女といふこの
妓の着たる褂(うちかけ)今猶存せり
夕霧が冬九軒吉田屋にあり
且板行して好事家の玩となれり
かの夕霧が墓にて伊丹の鬼貫

 この塚は柳
   なくても哀なり

    柳亭 梅彦記   「豊国画」

 


浪花新町扇屋の遊女なり。
心優しく、書に妙を得たり。
惜しいかな早世す。今も寺町「浄国寺」にこの妓(ぎ)の墓あり。
「花岳芳春信女(かがくほうしゅんしんにょ)という。
この妓の着たる褂(うちかけ)、今なお存せり。
夕霧が文(ふみ)、九軒(くげん)吉田屋にあり。
且つ版行して好事家(こうずか)のもてあそびとなれり。
かの夕霧が墓にて伊丹の鬼貫(おにつら)

  この塚は 柳なくても 哀れなり

 

 

 

f:id:tiiibikuro:20200531150950j:plain

 

 

 

 

大阪市天王寺区 浄国寺 夕霧太夫の墓

正面に戒名「花岳芳春信女」、右面に再建の由「日人誤破之 一花一水 則病既退 文久三年七月再興之」とあり、左面に「此塚は柳なくてもあはれ也」と鬼貫の句が刻まれ、その下に夕霧墓とあり、裏面には延宝六年亥午年正月六日俗名あふぎや夕ぎりとある(現地案内の石碑より)。また、十四代吉田屋喜左衛門が夕霧太夫二百五十回忌にあたり、大正十六年追善供養をした旨が背後の石板に彫られています。

f:id:tiiibikuro:20200531153910j:plain