仮想空間

趣味の変体仮名

浪花文章夕霧塚 第十一冊目

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html

     浄瑠璃本データベース  イ14-00002-603

 

87(左頁5行目)

  

  第十一冊目   「浮世なれ

疑ひをとく決断所此世あの世の国境 卿代官の広書院近習取次諸役人 庭には捕手が立並び 双

方だまれだまりおろと わめきちらす其声は 科なき者も身にこたへ肝にこたへる斗也 公事(ぐじ)人両方立別れ

 

 

88

一刀(方?)は左近が女房お雪 娘おとせを助んと藤屋了哲諸共に 早朝ゟ相詰れば こなたは万八と軍兵衛が 一家の者 げし

人取て下されと金にする?の物工(だくみ) 掃除の庭へ塵溜る箒目高き浅沢帯刀 双方の願ひ書両手に持て座に

直り 藤や了哲が願ひ書に 医者が参って娘の異病誠しやかに申せし故 変改致したと有が何と其医者の名苗字(めうじ)

所を知ているか イヤ夫はいづくの者やら名も何も存ませぬ フムわれ其実否(じつtぷ)も糺さず変改せし故 かゝる騒動もでき

るといふ物 なぜとつくと聞合さぬ 扨々不届千万と叱り付け 又左近が女房お雪が訴状は 娘が命乞な 人を殺した者助け

る法はない 是もうろたへた願ひさ イヤ申うろたへた様なれ共 助る法はない共申されませぬ 連合い左近も元は武士 其娘

のおとせ 身に覚ない無実を云かけられ どふだまつて居られませう 仮初の慮外者でも打放すは 武士の習ひで

 

ござりまする ヤアいふな 左近は浪人町家に住ば町人も同前 殺された軍兵衛は武士 慮外者の討捨と一口に

いはれふかと 𠮟り付られ了哲お雪 返答何と顔見合せ 指うつむいて居たりける 帯刀重ねて万八に打向ひ 軍

兵衛はわが客に伯父とな 一家引連れげし人の願尤々 成程望を叶へてくれう ヤア/\女を引出せ 早く/\と詞の下

はつと答て引立る 花の盛を後ろ手に かゝる縄目のいぢらしく けふを限りの命かと涙ながらに座に直る 母は見

るよりすがり付 逢たかつたと斗にて先立物は涙也 供にしほるゝ顔を上 嬶様久しうござんする 爺様もお

かはりないか 短気な事を仕出したと 嘸お叱りでござんせう 武士の娘が縄目の恥 せめてさいごに手を合せ 念珠を

くつて死たい 此手をしばし赦してと 願へば万八ヤアそりやならぬ 縛り首がお上の仕置 赦す事ならぬ/\ イヤ/\そふ斗

 

 

89

でない 死罪の者には一色づゝ願をかなうへる 高が女の事ソレ縄といてえさせよと 仰に下部がほどく縄母は嬉しくなふおと

せ 軍兵衛を殺しやつたを短気とは思はぬ 道理とは思へ共 そなたの難儀に成たが悲しい 覚悟極めてたもやいの

とすがり歎けば了哲も 手代任せの店まれば 万八めが詞に付 変改したがおれが誤り 今思へば彼医者と

あの万八めが軍兵衛に頼れ ちや入たに違はない 儕追付報いがあろと ねめ付ればコレ親方 頼れたはこなた

の息子の伊左衛門 夕霧と添ねばならぬ 縁切してくれといはれた故 何をするも主命と 官宅といふ医者を頼んで

ろくろ首といはした 頼人はこなたの息子と さはる所へ科きせて 云廻すればムウして其伊左衛門めはいづくにおる サア物の報

は針の先 添ふと思ふた夕霧は死でしまふ 其葬つた下寺町夕霧塚迚塚をつき 其辺におりますと 聞より

 

帯刀ソレ召捕て来れよ 早く/\とせんぎも若やぎ 身の科よりも其人の なんぎに成かと娘は悲しく 母も取分け了

哲も ひよんな事をいひ出し 躮に憂き目かけるかと 案じ余りし其ふぜい 万八はえつぼに入 覚もない伯父軍兵衛 殺れ

て嘸残念 私も以前ならば現在の伯父の敵 其ばで直ぐに討ふ物 町人故に今の塩梅 早くげし人御成敗なされて下さ

りませ エゝ其方も以前は武士とな 成程私めも参州で五人ふちに請刀もさいた故 お上の仕置張存じておりまする

ムゝいか様伯父軍兵衛が武士なれば 其方もぶしの筈 何と身に奉公せぬか けらいにしたしと仰の図に乗 夫は早望む所

いか様共と詞の中 主従の約束と 刀渡してコリヤ/\女 万八は今日ゟ身がけらい 侍に成たれば 現在のおぢの敵討ずには置ま

い そちもぶしの娘いさぎよく勝負せよと 一腰渡せばハゝはつと押いたゞき/\ いでや勝負と詰かくる 万八はきよつとして イヤ

 

 

90

申私敵討の望かつてござりませぬ どふぞそこへよい様に 解死人(げしにん)取て下されと うろ/\眼をはつたとねめ付 儕さい

前以前の通り武士なれは 現在の伯父の敵 赦さぬとゆつたじやないか たゞし以前の武士は偽りか 偽りなれば

仕やうが有なんと/\と きめ付られてイヤ武士に相違はこさりませぬ 相違なくは勝負せよ 異議に及ぶ

と偽りの科 儕を先へ成故と 風がかはつて身中は冷あせ 一家共は口々に 高のしれた女を相手 口程にもないわろと てん手に帯しめ尻からげ 無理にたすきの身ごしらへ おとせも幸意趣ばらしと 上着ぬぎかけ鉢巻

しめ裾引上て腰帯も 母がしめたる力ぐさ 了哲もとも/\゛に コレ/\どふぞ手際にあんなやつ梨割に

頼ますと 弓も引方母は取分 常々てゝごの嗜と教置れた太刀さはぎ忘れはせぬか覚へて居るかと 刃

 

物の目釘吹しめし 白洲の石迄気を付けてひらい捨るぞ物なれし 万八は迷惑ながらいつそたまして一討と つよい

顔してゆらり/\ こなたもしと/\あゆみ寄 互に声をかけ合てと 約束ちがへて万八かだまし切にはつしと切

てうど受とめ比怯(ひけう)すな 未練者めと刎飛し 切先するどにてう/\/\ 母は傍よりそれ/\そこを/\/\気をあ

せる 万八はふくれ顔 助言いふまい娘もまて どふやらそら手がおこつたと 右の腕(かいな)をふり廻し透間にはつしと

切を受とめ 其手はくはぬとはね飛す 勢ひかゝつて万八が打込太刀は皆すまた あやうく成と コリヤ待た

待てとは比怯か 比怯じやない 気がのぼつて聾に成た 暫く休もと一油断 そこを切込むそこ受る だませど

くはず逃ても逃さず あげくに刀打落され 待た/\と跡すさり 両手を上てヤレ暫く 扨申代官様 刀

 

 

91

戻しまして侍をやめまする のふうたての侍 すつての事にあぶない事 解死人取て下されよと 一家

一門口そろへ願ひの内に網乗物 藤屋伊左衛門召捕て参りしと 廣庭に舁据れば おとせは悲しく

お雪も供に 了哲諸共かけ寄るをヤア近寄るまいと𠮟り付け ゆふ/\と庭におり いよ/\万八伊左衛門が頼んで 轆

轤首といはしたに違ひはないな イヤモそれに相違はござりませぬ ヲゝそればつかりはそふで有ふ 何にも

せよ科の張本 目通りで首はねると 網乗物を押明けて 引出す囚人(めしうど)医者の官宅 ヤア 是

はと人々興さめ顔 万八は身をふるはし わりやマア爰へどふしてきた サア高ぶけりに高あみかゝり 何にも

かも皆ぶちまいて仕廻ふた ヤアそれはと恟りし 逃んとするをコリヤまて/\ 軍兵衛が一門共解死人

 

を望むゆへ只今渡すと 官宅を引立 川原で巫(みこ)を殺したも儕とな 重々の罪遁れぬと 首

をはつしと討落せば 一家共は一同に我々は雇はれ人(ど) 命お助け/\と足早にこそ逃て行 万八は

色青ざめふるひ/\立上るをどふど蹴倒し 高手小手にぐつとしめ上 牢屋へ引けとひつ立させ ヤア/\

伊左衛門 おとせがさいごの暇乞 それ/\と有ければ やがてかけ出ノウお雪様 娘御の災難も皆我から

おこりし事 さいごに一目の約束故 逢に来たおとせ殿と 傍へ寄る手に取すがり よふ来て

下さんした 口でいはねど逢たかつた 未来は必々と すがり付たる女(おなご)気を思ひやりたるとも涙

たるみを見せぬ役目の代官 伊左衛門も同罪と首筋つかんで二人を引立て 網乗物へ打込

 

 

92

/\ コリヤ了哲 其方が内よりおこりし科人 其過怠として汝が館を仮の牢屋

両人共に打込置け 牢下しぞと情の詞 ハゝハツと了哲お雪 有がた涙も白砂にこ

かねの山の御恩ぞとふしおがみ/\ 乗物立てて立帰る なき夕霧があとまでも 書き

残したる浪花文章 つたなき筆も君が代の治まる 国のしるしなり

 

寛延四辛未天 作者 浪岡橘平

 四月廿五日 作者 浅田一鳥 安田蛙桂

 

 

 

 

f:id:tiiibikuro:20210320003754j:plain

 夕霧太夫墓誌
夕霧太夫西鶴好色一代男近松の曲輪文章など浄瑠璃・歌舞伎にも見える名妓であるが延宝六年(1678)正月に二十七歳の若さで歿した。
墓碑正面には「花岳芳春信女」と刻み右面に再建の由が誌されている。
左面には「此塚は柳なくてもあはれ也」と鬼貫の句が刻まれ、その下に夕霧墓とあり裏面には延宝六年亥午年正月六俗名あふぎや夕ぎりとある
    平成十七年正月六日  無衰山浄国寺 第二十七世厚誉代