いろは歌義臣鍪
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浄瑠璃本データベース ニ10-01547
92(左頁)
九冊目 道行旅緒環(みちゆきたびのをたまき)
常陸帯 縁を結し其国の 小栗の家も今は早 雪の花かやちり/\゛に鳴子にさはぐむら
雀 おのが羽風の烈しさも 横山おろしおそはれて 古郷(こきやう)を立か弓取の 名は大岸による波も
世のしがらみや土(ひじ)川の 娘小浪が嫁の糸結ぶ力弥を頼にて母諸共に伊豆の郷 先
は山又山科に 有と斗を聞伝へとしや心も急がれて 日取もよしや旅立もよしや由有武
士(ふ)の 契はよもやかはらじと 夫を便に思ひ立つ心つかひぞやるせなき されば浮世の諺に 縁
は異な物あぢな物 間ぢかき時は添やらで遠ふ成程の逢たさをそふといはねど粋
93(裏)
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な世は 押て嫁入の門出ぞと心で祝ふ三国の 富士の高根に立煙是も門火と見
返れば 雪の振袖鹿の子の下着 とけてあふ夜を楽しみに 我は秋鹿妻こひ
兼て閨をへだてゝほろゝ打 イヨほろゝ打 夫は雉子(きゞす)の春ののべ 今は冬のゝ淋しさも 末
は夫に顔見せつ見もし見られん力草 旅は物うや浮嶋のはらから持ぬ独り子が 願ひ
も叶へ三保の浦 千本の松の幾泊(とまり)おじやれ/\が呼声に田舎なれ共岡部は
名所 都まさりの女郎ござる/\ 月を待かの殿を待かの招く袂に文や玉章(たまづさ)
アゝおかしへ 里は嶋田か笄に夕部の宿で櫛入て 今朝は見付のおくれ髪 姫ごぜ同士(どし)の
用意迚 常も嗜むのべ鏡 互に髩(つと)をかきなでゝ作る 所体をしんきな風が 裾も 小づま
もほら/\と 峯のこがらし濱名の橋 世渡る業も三度がさ 飛脚の足も空を行さつさ時(し)
雨(ぐれ)の一曇り濡れしとかざす神笠ひぢ笠かさのはに 降て通れば野も山も雲もちりふの
冬げしき 都も近くなるみ潟宮のわたしに柁取てアノかゝ様の跡や先ほんに桑名の気扱ひ
ソレヨそなたも此母も旅の 始めの其上に嫁入盛を引連て花をかざろと思ふから心に年も
四日市 戯れながら関越えて坂の下道行人の噂も相の土山と皆口々の辻占に頓て
大津や三井の鐘 黄昏告ぐる嬉しさに心も足もせき登る山科にこそ「着にけれ
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十冊目
風雅でもなく しやれでなく しやうことなしの山科に由良之助が詫住居 祇園の茶屋にき
のづから雪の夜明し朝戻り 牽頭中居に送られて酒がほたる雪こかし雪はこけいで雪
こかされ 仁体捨し遊びなり 旦那申旦那 お座敷の景ようござります お庭の藪に雪持てなつ
た所 とんと絵に書た通けうといじやないかのふお亀 サア此景を見て外へはどつちへもいきたふご
ざりますまいがな ヘツ朝夕に見ればこそ有住吉の 岸の向ひの淡路嶋山といふ事しらぬか 自
慢の庭でも内の酒は呑ぬ/\ エゝ通らぬやつ/\ サア/\奥へ/\奥はどこにぞお客が有と 先に立
て飛石の詞もしどろ足取もしどろに見ゆる酒機嫌 お戻りそふなと女房のお石が軽ふ汲で
出る茶屋の茶よりも気の端香(はなが) おさむからふと悋気せぬ詞の塩茶酔醒し 一口呑で跡
打明 エ奥不粋なぞや/\ 折角面白ふ酔た酒醒せとは アゝアゝふつたる雪かな いかによその
わろ達が嘸悋気とや見給ふらん 夫雪は打綿に似て飛で中入となり 奥はかゝ様といへば
とつと世帯じむといへり 加賀の二布(ふたの)へお見舞の 遅いは御容捨 伊勢海老と盃 穴の
稲荷の玉垣は 朱うなければ信がさめるといふ様な物かい ヲイこれ/\/\こぶら返りじや足の大指折
た/\ おつとよし/\序にかうじやと足先で アゝこれほたへさしやんすな嗜しやんせ 酒が過ると
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たはひがない ほんに世話でござらふのと物やはらかにあいしらふ 力弥心得奥より立出 申/\母人
親父様御寝なさつたか 是上られいと指出す親子が所作を塗り分けても 下地は同じ桐枕 ヲゝヲゝ
応は夢現 イヤもふ皆いにやれ ハイ/\/\そんならば旦那へ宜しう 若旦那ちと御出を目遣でいに
際悪う帰りける 声聞へぬ迄行過させ 由良之助枕を上 ヤア力弥 遊興に事寄せ丸めた此
雪 所存有ての事じやが何と心得たぞ ハツ雪と申物は 降る時には少しの風にもちり 軽い身
でござりませう共 あのごとく一致して丸まつた時は 拳の雪吹(ふゞき)に岩をも砕く大石同然 重
いは忠義 其重い忠義を思ひ丸めた雪も 余り日数を述べ過してはと思召ての イヤ由良
之助親子 原郷右衛門抔四十七人の人数はナ 皆主なしの日かげ者 日影にさへ置けば解ぬ雪 せく
事はないといふ事 爰は日あたり奥の小庭へ入て置く 蛍を集め雪を積むも学者の心長き
例(ためし) 女共 切戸内から明いてやりや 堺への状認めん 飛脚が来たらばしらせいよ アイ/\ 間の切戸の内
雪こかし込戸を立つる襖引立て入にける 人の心の奥深き山科の隠れ家を 尋て爰にくる人は 土(ひじ)
川言(ごん)蔵行国が女房となせ 道の案内の乗物を傍(かたへ)に待たせ只一人 刀脇差さすがげに行義
乱さず庵の戸口 頼ませう/\と云声に 襷はづして飛で出る昔の奏者 今のりんどうれと
いふもつかうど成る ハツ大岸由良之助様お宅は是かな左様ならば土川言蔵か女房となせでござ
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ります 誠に其後は打絶えました ちとお目にかゝりたい様子に付き遥々参りましたと 伝へられて
下されと いひ入させて表の方 乗物是へと舁寄せさせ娘爰へと呼出せば 谷の戸明けて
鶯の梅見付たるほゝ笑顔まぶかに着たる帽子の内 アノ力弥様のおやしきはモウ爰かへ わしや
恥しいと媚(なまめ)かし 取ちらす物片付て先お通なされませと下女が伝へる口上に 駕の者皆帰れ 御
案内頼ますと いふもいそ/\娘の小浪母に付添座に直れば お石しとやかに出向ひ 是は/\
お二方共ようぞやお出 とくよりお目にもかゝる筈 お聞及びの今の身の上 お尋に預りお恥かしい
アノ改まつたお詞 お目にかゝるは今日初めなれど 先達て御子息力弥殿に 娘小浪を云号
致したからは お前也わたし也 婭同士(あいやけどし)御遠慮に及ばぬ事 是は/\悼(いたみ)入御挨拶殊に御用しげい
言蔵様の奥方 寒空といひ思ひがけない上京 となせ様はとも有れ小浪御寮嘸都め
づらしからふ 祇園清水智恩院 大仏様御らうじたか 金閣寺拝見あらばコレよい伝が有ぞへと
心置なき挨拶に只あい/\も口の内帽子まばゆき風情なり となせは行儀改めて 今日参る
事余の義にあらず 是成娘小浪云号致して後 御主人小栗殿不慮の義に付 由良之助
様力弥殿 御在所もさだかならず 移りかはる世のならひかはらぬは親心とやかくと聞合せ 此山科
にござる由承りました故 此方にも時分の娘早ふお渡し申たさ 近頃押付がましいが 夫(おっと)も参る
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筈なれど出仕に隙のない身の上 此二腰は夫が魂 是をさせば則夫言蔵が名代と私が役
の二人前 由良之助様にも御意得まし 祝言させて落付たい 幸けふは日がらもよし 御用意なされ
下さりませと相述ぶる 是は思ひも寄ぬ仰 折悪う夫由良之助は他行 去ながら若し宿におり
ましてお目にかゝり申さふならば 御深切の段千万忝う存まする 云号致した時は故殿様の御恩
に預り 御知行頂戴致し罷有故 言蔵様の娘御を貰ひませう 然らばくれふと云約束は
申たれ共 只今は浪人 人づかひ迚もござらぬ内へいかに約束なれば迚 大身な土川殿の御息女
世話に申提燈に釣鐘 釣合ぬは不縁の元 ハテ結納(たのみ)を遣はしたと申ではなし どれへ成と外々
へ 御遠慮なふつかうはされませと申さるゝでござりませうと 聞てはつとは思ひながら アノまあお石様のおつ
しやる琴いかに卑下なされふ迚言蔵と由良之助様 身上が釣合ぬとな そんならば申ませふ
手前の主人は小身故 家老を勤むる言蔵は五百石 小栗殿は大名 御家老の由良之助様は
千五百石 スリヤ言蔵が知行とは 千石違ふを合点で云号はなされぬか 只今は御浪人 言蔵が
知行とは皆違ふてから五百石 イヤ其お詞違ひまする 五百石は扨置一万石違ふても 心
と心が釣合は 大身の娘でも嫁に取まい物でもない ムゝこりや聞所お石様 心と心が釣合ぬと
おつしやるは どの心じやサア聞ふ 主人小栗判官様の御障害 御短慮とは云ながら 正直を元と
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するお心より発りし事 夫に引かへ横山に 金銀を以て媚諂ふ追従武士の禄を取る言蔵殿と
二君に仕へぬ由良之助が 大事の子に 釣合ぬ女房は持されぬと 聞もあへず膝立直し 諂ひ武
士とは誰が事 様子によつては聞捨ぬそこを赦すか娘のかはいさ 夫に負るあ女房の常 祝言
有ふが有まいが 云号有からは天下晴ての力弥が女房 ムゝ面白い 女房ならば夫が去る 力弥にかはつ
て此母がさつた/\と云放し 心隔ての唐紙をはたと 引立入にける 娘はわつと泣出し 折角思ひ思は
れて云号した力弥様に 逢せてやろとのお詞を便に思ふてきた物を 姑御の胴欲に さら
れる覚はわたしやない 母様どふぞ詫言して 祝言させて下さりませと縋り 歎けば母親は 娘
の顔をつく/\゛と 打ながめ/\ 親の欲目かしらね共 ほんにそなたの器量なら 十人並にも勝つた娘 能
聟をがなと詮議して云号した力弥殿 尋てきたかいもなう聟にしらさず去たとは 義理にも
いはれぬお石殿 姑去は心得ぬ ムゝ/\扨は浪人の身のよるべならう筋目を云立て有徳な町人の聟に成て 義
理も法も忘れたな ナフ小浪 今いふ通の男の性根 去たといふを面当ほしがる所は山々 外へ嫁入する
気はないか コレ大事の所泣ず共しつかりと返事仕や コレどふじや /\と尋る親の気は張弓 アノ母様の胴
欲な事おつしやります 国を出る折とゝ様のおつしやつたは 浪人しても大岸力弥 行儀と云器量と
云 仕合な聟を取た 貞女両夫にま見へず 譬夫に別れても又の夫を設けなよ 主有る女の不義同
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前 必々寝覚にも殿御大事をわすれるゝな 由良之助夫婦の衆へ 孝行尽し夫婦中 睦まじい迚あじやらに
も悋気ばしして去るゝな 案ぜふか迚隠さずと懐(みもち)に成たら早速に しらせてくれとおつしやつたを 私
しやよう覚て居る 去れていんでとゝ様に苦に苦をかけてとふてどふ云訳が有ふ共 力弥様より外
に余の殿御 わしたいや/\と一筋に恋を立てぬく心根を聞に絶ヘ兼母親の 涙一途に突詰し 覚悟
の刀抜放せば 母様是は何事と 押留られて顔を上 何事とは曲がない 今もそなたがいふ通一時も早う
祝言させ 初孫の顔見たいと 娘に甘いは爺のならひ 悦んでござる中へまだ祝言もせぬ先に 去れて戻
ました迚どふ連ていなれふぞ といふて先に合点せにや 仕様もやうもないわいの 殊にそなたは先妻の
子 わしとはなさぬ中じや故およそふしたかと思はれては どふも生きては居られぬ義理 此通を死だ跡でてゝこ
へ云訳してたもや アノ勿体ない事おつしやります 殿御に嫌はれ私こそ死べき筈 生きてお世話に成上に
苦を見せまする不孝者 母様の手にかけて私を殺して下さりませ 去れても殿御の内爰で死れば
本望じや 早ふ殺して下さりませ ヲツヲよういやつたでかしやつた そなた斗殺しはせぬ 此母も三途の
供 そなたをおれが手にかけて母も追付跡から行覚悟はよいかと立派にも涙とゝめて立かゝり コレ小浪
アレあれを聞きや 表に虚無僧の尺八 靏の巣籠 鳥類でさへ子を思ふに科もない子を手に
かけるは因果と因果の寄合と 思へは足も立兼て 震ふ拳を漸にふり上る母の下 尋常に座
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をしめ手を合せ なむあみだ仏と唱ふる中より御無用と 声かけられて思はずも たるみし拳尺八も 供に
ひつそとしづまりしが ヲゝそふじや 今御無用と留たは 虚無僧の尺八よな 助けたいが山々で 無用といふ
に気おくれし 未練なと笑はれな 娘覚悟はよいかやと 又ふり上る又吹出す とたんの拍子に又御無用
ムゝ又御無用と止(とゞめ)たは 修行者の手の内か ふり上た此手の内か イヤお刀の手の内御無用 倅力弥に祝
言させふ エゝそふいふ声はお石様 そりや真実か誠かと 尋る襖の内よりも あひに相生の松こそめで
たかりけれと 祝儀の小謡白木の小四方目八分に携へ出 義理有中の一人娘 殺さふと迄思ひ詰
たとなせ様の心底 小浪殿の貞女 志がいとをしささせにくい祝言さす 其かはり 世の常 ならぬ嫁の盃
請取ばコレ此三方御用意あらばと指置ば 少は心休まつて抜たる刀鞘に納め 世の常ならぬ盃とは
引出物の御所望ならん 此二腰は夫が重代 刀は正宗 指添は浪の平行安 家にも身にもかへぬ重
宝 是を引出と皆迄いはさずヤア浪人と侮て 値の高い二腰 まさかの時売払へといはぬ斗の
聟引出 御所望申は是ではない ムゝそんなら何が御所望ぞ コレ此三方へは土川言蔵殿の お首を乗て貰
たい エゝそりや又なぜな 御主人小栗判官様 横山郡司にお恨有て鎌倉殿で一刀に切かけ給ふ 其時
こなたの夫土川言蔵 其座に有て抱留 殿を支た斗に御本望も遂られず 敵は漸薄手斗
殿はやみ/\御切腹 口へこそ出し給はね 其時の御無念は 言蔵殿に憎しみが かゝるまいか有まいか 家来
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の身として其土川が娘 あんかんの女房に持つ様な力弥じやと 思ふての祝言ならば此三方へ言蔵殿
の白髪首 いやと有ばどなたでも 首を並ぶる尉(ぜう)とうば 夫見た上で盃させふ サゝサア いやか 応かの
返答をと 尖き詞の理屈詰 親子ははつと指俯き途方にくれし折からに 土川言蔵が首進
上申 お受取なされよと 表に控へし虚無僧の 笠抜捨てしづ/\と内へはいるか ヤアお前はとゝ様 言
蔵様爰へはどふして此形(なり)は 合点がいかぬこりやどふじやと咎る女房 ヤアざは/\と見ぐるしい 始終の様子
皆聞た そち達にしらさず爰へ来た様子は追て 先だまれ 其元が由良之助殿御内証お石殿よ
な 今日の辞儀斯あらんと思ひ 妻子にもしらせず 様子を窺ふ土川言蔵 案に違はず拙者が
首 聟引出にほしいとな ハゝゝ いやはやそりや侍のいふ事さ 主人の怨(あだ)を報はんといふ所存もなく 遊興
にふけり大酒に性根を乱し 放埒成身持 日本一のあほうの鏡 蛙の子は蛙に成がの 親に劣ぬアノ
力弥めが大だはけ うろたへ武士のなまくら刃がね 此言蔵が首は切れぬ 馬鹿尽すなと踏砕く 彼
三方のふち放れ こつちから聟に取ぬちよこ才な女めといはせも果ず ヤア過言なぞ言蔵殿 浪人
の錆刀切れるか切れぬか塩梅見せふ 不詳ながら由良之助が女房 望相手じやサア勝負 /\/\と裾
引上 長押(なげし)にかけたる鑓追取 突かゝらんず其気色 是は短気なマア待てと とゞめ隔る女房娘
邪魔ひろぐなとあらけなく 右と左へ引退くる 間(あい)もあらせず突かくる 鑓のしほ首引掴 もぢつて払へ
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ば身を背け 諸足ぬはんとひらめかす 刃背(はむね)をけつて蹴上れば 拳放れて取落す 鑓奪はれし
と走り寄腰際帯染引掴 どふど打付け動かせず 膝に引敷強気(がうき)の言蔵 敷れてお石が
無念の歯がみ 親子はハア/\あやぶむ中へかけ出る大岸力弥 捨たる鑓を取る手も見せず言蔵が
馬手のあばら弓手へ通れと突通す うんと斗にかつぱと伏す コハ情なやと母娘取付歎くに目もかけ
ず とゞめさゝんと取直す ヤア待て力弥早まるなと 鑓引留て由良之助手負に向ひ 一別以来め
づらしい言蔵殿 御計略の年願届に 聟力弥が手にかゝつて嘸本望でござらふのと 星をさいたる
大岸が詞に言蔵目を見開き 主人の鬱憤を晴さんと此程の心遣ひ 遊所の出合に気を
ゆるませ 徒党の人数は揃ひつらん 思へば貴殿の身の上は此言蔵が身に有べき筈 去年(こぞ)の春伊豆の
牧狩の折から 主人結城六郎 横山郡司に恥しめられ 以ての外憤り 其を密かに召れ まつかう/\の
物語 明日御殿にて出くはせ 一刀に討留むると 思ひ詰たる御顔色 留ても留らぬ若気の短慮 小身
故に横山に賄賂(まいない)薄きを恨に持て 恥しめたると知たる故 主人に知らせず不相応の金銀衣服臺の
物 横山へ持参して心に染ぬ諂ひも コレ主人を大事と存るから 賄賂負せあつちから誤つて出た故に
切るに切られぬ拍子抜 主人が恨もさらりと晴 相手かはつて小栗殿の難儀と成たは則其日 相手
死ずば切腹にも及ぶまじと 抱留たは思ひ過した言蔵が 一生の誤りは娘が難儀と白髪の此首
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婿殿に進ぜたさ 女房娘を先へ登し媚諂ひを身の科にお暇(いとま)を願ふてな 道をかへてそち達より二
日前に京着 若いおりの遊芸が役にたつた四日の内 こなたの所存を見抜た言蔵 手にかゝれば
恨を晴約束の通此娘 力弥に添せて下さらば未来永劫御恩忘れぬ コレ手を合して頼入忠義に
ならでは捨ぬ命 子故に捨る親心 推量有れ由良殿といふも涙にむせ返れば 妻や娘は有るにもあら
れず ほんにかうとは露しらず死おくれたばつかりに お命捨るはあんまりな冥加の程が恐ろしい 赦して
下され父上とかつばとふして泣さけぶ 親子が心思ひやり 大岸親子三人も供にしほれて居たりしが ヤア/\
言蔵殿 君子は其罪を憎んで其人を悪(にく)まずといへば 縁は縁 恨は恨と 格別の沙汰も有べきにと
嘸恨に思はれんか 所詮此世を去る人 底意を明して見せ申さんと 未前を察して奥庭の障子
さらりと引明れば 雪をつかねて石塔の五輪の形を二つ迄 造り立てしは大岸が成行果を顕はせり 戸
無瀬はさかしく ムゝ御主人の怨を討て後 二君に仕へず消ゆるといふお心のあの雪 力弥殿も其心で娘
を去たのどうよくな 御不便余つてお石様 恨だがわしや悲しい エゝとなせ様のおつしやる事はいの 玉椿の
八千代迄共祝はれず 後家に成嫁取た 此様なめでたい悲しい事はない かふいふ事がいやさに むごうつらふ
いふたのが 嘸憎かつたでござんしよなふ イゝエイナわたしこそ腹立まゝ 町人の聟に成て 義理も法も
忘れたかといfたのが 恥しいやら悲しいやら とふも顔が上られぬお石様 となせ様 氏も器量も勝れた子 何
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として此様に 果報拙い生れやと声も 涙にせき上る 言蔵あつき涙をおさへ ハツアゝ嬉しや本望や
呉王を諌めて誅せられ辱めを笑ひし呉子胥(ごししよ)が忠義は取に足らず 忠臣の鑑とは唐土(もろこし)の
豫譲(よじやう) 日本の大岸 昔より今に至る迄 唐と日本にたつた二人 其一人を親に持 力弥が妻に成たる
は 女御更衣に備はるより 百倍勝つてそちが身は武士の娘の手柄者 手がらな娘が聟殿へお引
の目録進上と懐中より取出す 力弥取て押戴き披き見ればコハいかに 目録ならぬ横山が屋敷
の案内一々に 玄関長屋侍部屋 水門物置柴部屋迄絵図に委しく書付たり 由良之
助はつと押戴 ヘエ有難し/\ 徒党の人数は揃へ共 敵地の案内知れざる故 発足も延引せり
此絵図こそは孫呉が秘書 我為の六韜三略 兼て夜討と定めたれば 継梯子にて塀を越し
忍び入には縁側の 雨戸はづせば直ぐに居間 コレ/\爰を仕切てかう責てと親子が悦び 手負ながらも
ぬからぬ言蔵イヤ/\夫は僻云(ひがごと)ならん 用心厳しき横山郡司 障子襖は皆尻ざし 雨戸に合栓合(あい)
枢(くろゝ) こぢてははづれずかけ矢にて こぼたば音して用意せんか ソレいかゞ ヲゝ夫にこそ術有 凝ては思案にあ
たはずと遊所よりの帰るさ 思ひ寄たる前載(ぜんざい)の雪枝持つ竹 雨戸をはつす我工夫仕様を爰にて見せ申
さんと庭に折しも雪ふかく さしもに強き大竹も雪の重さにひいはりとしはりし竹を引廻して鴨
居にはめ 雪にたはむは弓同然 此ごとく弓を拵へ弦(つる)を張り 鴨居と敷居にはめ置きて 一度に
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切て放つ時は 真此様にと積りたる 枝打払へば雪ちつて のびるは直ぐ成竹の力 鴨居にたはんでみぞはづれ 障
子残らずばた/\/\ 言蔵苦しさ打忘れハゝアしたり/\ 計略と云義心と云 かほどの家来を持ながら了
簡も有べきにあさきたくみの小栗殿 口おしき振廻(ふるまい)やと 悔みを聞に御主人の御短慮成御仕業 今の忠義
を戦場の御馬先に尽さばと 思へば無念に閉じ塞る 胸は七重の門の戸を洩るは涙斗也 力弥はしづ/\
おり立て父が前に手をつかへ 言蔵殿の寸志により 敵地の案内知れたる上は 泉州堺の天川屋義平方
へも通達(つうだつ)し 荷物の工面仕らんと聞もあへず何さ/\ 山科に有事隠れなき由良之助 人数集めは人目有
一先ず堺へ下つて後 あれから直ぐに発足せん 其方は母嫁となせ殿諸共に 跡の片付諸事万事何も
かも 心残りのなき様に ナ ナ コリヤ あすの夜舟に下るべし 我は幸言蔵殿の忍び姿を我姿と けさ打かけて
編笠に 恩を戴く報謝返し未来の迷ひ晴さん為 今宵一夜は嫁御寮へ 舅か情のれんぼ流し
歌口しめて立出れば 兼て覚悟のお石が歎き 御本望をと斗にて 名残おしさの山々をいはぬ心の
いぢらしさ 手負は今を致死期時 とゝ様申とゝ様とよへと答へぬたんまつま 親子の縁も
玉の緒も切れて一世の うき別れわつと泣母泣娘 供に死骸に向ひ地の 回向念仏
は恋無道 出行く足も立留り 六字の御名を笛の音に なむあみだ仏なむあみだ 是や
尺八ほんのふの 枕ならぶる追善供養 閨の契は一よきり心残して 「出てゆく
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十一冊目
横山郡司信久か谷(やつ)の館には 廻りに高塀かけならへ夜廻りの越え柝の すき間もあらぬ要害に くせの
奢りの歓楽は 運の末とぞ聞へける 既に其夜も 子の刻過 小栗判官兼氏の家臣大木市由良之助
親子か忠誠是を守りて一味の勇士四十余人 義を金鉄より堅くして命はせんかの君に投打 死を一戦に
思ひ立たる出立は 兜頭巾に眉深々 面々背中に金(こがね)の短冊姓名を書き印 得物の道具を横たゆれば 中
にも堀江弥五郎は由良之助か智勇に依て 八尺斗の大竹に弦をかけたる大弓を 四五挺斗振かたけ勇
にいさみ横山が門外近く押寄たり 同じ出立に向ふよりすゝみし来るは郷右衛門 すかし見るより由良之介 ヤア郷右殿 今昼(こんひる)
寺沢かしらせによつて 今宵茶の湯根廻の跡へ討申さんと斯迄は攻寄しか時こそよけれ アレ御らんせ 人静
まつて情気はしつみ たつき上に覆へり 破軍も巽に向ひし故 小野寺惣内を頭(かしら)として若殿原を相添 搦
手へ廻したり 此手は其親子を始各(おの/\)共に討入合点 夜討の大事はきせいのへん 敵を明りにおびき出し味方はくらみ
をこたてに取 女童に手な負せそ 鎌倉を恐るゝ敵討 火の用心に心を付て繋馬を放さすな 折々に相図
の笛 吹合せ/\敵の中を割らるゝな 天川氏にて釣せしことく相詞を常として味方討すな同士討すな 相詞も三
度にかはり 乗込時は山か鐘 軍に成ては花か海 退く時は川か月 向ふ表は討て捨 逃る敵を追かけて罪作に隙
取な 取へき首は只一つ進にも退くにも 味方の印を本にせよ 用意か能は攻寄よと 手組を拵へしと/\/\ しと
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/\/\と詰寄て時分はよしと大鷲伝五 郷右衛門か肩先ふまへ塀の上に刎上り雪の明りにとつくと見済し 表門も
閂にも内より錠を堅たり かけ矢/\と呼立れば まつかせと味方の若者 かけ矢を提(ひつさげ)立向ふ折こそ有 まだ用心の
内ならば山形兵衛寄る廻り役 柝の音かち/\打て通れば 是幸と大鷲伝五ひらりと 内へ飛込むはつみ 兵衛
が真額(まつかう)真二つ切捨/\ 直に柝追取てかhしけに 問より打ては外よりも音に合してとう/\/\ 閂中よりほつきと折扉微
塵に打砕かれ大門さつとそ 開けける 由良之介一番に踊入 竊松明指上て内の様子を見廻し/\ 山と一声
かけけれは 鐘と答て一同に我も/\と込入しが 詰り/\は戸をしめたり 擲割は目を覚し 敵に先(せん)を取れんと 兼て
期したる謀 大鷲伝五郷右衛門 大竹の弓四五挺戸口/\の敷鴨居 しつかとはませ手を揃へ弓弦を一度に切放
せば 鴨居を四五寸持上られ やり戸妻戸はばら/\と将棋倒と成にけり 大岸親子透間もなく 縁の上
へかけ上り勢込ふで大声上 小栗判官兼氏が家臣大岸由良之介利雄 同苗力弥利金 此外忠義の武士
四十余人亡君の怨を報ぜん為押寄 横山殿の御首給はらんと呼はつて 数多の勢を引従へ一文字に切入ば すはや夜
討と混乱し宵の茶湯の茶釜(せん)髪 ねとぼけ顔に素肌武者太刀yほ鎌よとひしめいたり 小勢なれ共寄せ手
は今宵必死の勇者 秘術を尽せば由良之介 外の者に目なかけそ只横山を討取れと八方に下知をなし揉み立/\
戦ふたり 北隣は佐々木時綱 南隣は石堂右馬之丞 両屋敷より何事かと屋根の棟に武士を上提燈星の
ごとくにて 御やしき騒しく候は 狼藉者か盗賊か 但非道のさたに候か 子細いかにと尋れば 大鷲伝五郷右衛門左右に別れて
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詞を揃へ 是は小栗判官兼氏が家来 主君の怨を報ぜん為切入て候 鎌倉へ対する狼藉にても候はず 元より
御両家へ対し何の遺恨も候はねば 卒爾致さん様もなし 火の用心堅く申付候へば 只穏便に捨置れ候へ 夫共是非御
加勢と候へば 力なく一(ひと)矢仕らんと高声に申にぞ 両家の人々是を聞 御神妙/\ 弓矢取身より相互 我人主人持たる
身は尤斯こそ有へけれ 御用があらば承らんと 鳴(なり)をしづめて入にけり こなたの館より大勢が一時余りの戦ひし 手負はわ
づかニ三人由良之介相図の笛吹立/\味方の勢 一所に集めていかに旁 横山が寝所を見届しに夜着蒲団
を引ちらし此寒夜に冷もせず 蒲団の上の暖かさ 抜出しに間も有まじ アノ水門の箱樋こそ心にくし 内より水を
流しかけ外へ廻つて窺ひ見よ 心得たりと八藤与茂七大岸力弥 郷右衛門諸共に外へと廻つて待かくる 大鷲伝五内
よりも用水をどう/\と 汲入/\流せ共水口別れてしたゞりの 跡へ余つて落口は岩にせかるゝごとく也 人有るに極つたり 鑓
を入てさがせやと伝手に突かけ狩立れば たまり兼てぬつと出る 真黒黒塚黒右衛門 泊り合せて此仕合 ノフお助と這込
る 大岸力弥走り寄 先頃ぎをん町の騒ぎの折から 源四郎と心を合せて注進したる大侍 横山が先かけせいと首討落
せば紅の血汐の樋とぞ流ける 由良之介ははがみをなし 是程迄に仕果せて 横山を討洩せしはよつtく運命に尽果しと
拳を握り無念の涙 有合人々軻果余りの事に詞なく鎮り 返つて居たりける 夜しん/\と更渡る通の木立も雪
折雪風寒く身も凍へ 壁と/\の其間(あい)に 隠れ忍びし横山か次第/\に冷へ凍へほつと一息聞ゆれば 利雄はふつと辺
を見廻し 今の吐息は郷右衛門が 力弥か イヤ伝五が平右か 慥此辺りにて いかにも 此由良之介かすはりし辺り アゝラふしぎや 慥に
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此壁の内呼吸の通ふは 何にもせよ誰そ鑓を入よと 詞の中力弥伝五両方よりぐつと突込鑓先に 手
ごたへしたぞまつかせと 伝手にこぼつ壁の内七転八倒横山が 突通されし鑓玉に 人々いさみの
声を上 小栗の近臣四十余人主君の怨日頃の本望 盲亀の浮木優曇華の花も無
念も開けしと 九寸五分にて首かき落し 由良之助扇をひらき舞諷ふ 悦びの声鬨の
声 和歌に和らぐ竹の葉の 其ふし/\゛は幾八千代納まる 御代こそ目出度けれ
明和元 甲申 年閏臘月十五日 作者 黒蔵主 中邑阿契