仮想空間

趣味の変体仮名

忠臣金短冊 第四 道行老の一つ書

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
     浄瑠璃本データベース ニ10-00166

 

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   第四 道行老の一つ書
世のせわに もつけといへど中よきは もづけ也けり 大岸が ふるすにの
こす母千鳥嫁のおやなと諸共に ねぐらはなれてたつか
ゆみ 腰にあづさのはりまがた しかまの浦よりびんせんしなにはの
はまにつきしろのあがるは 八つか七浦の 名所をおしへ姑の手を
ひく嫁がほうこぐさ 我男ぐさいるさきは みやこのそらと詠め
やり したひ 行こそ ものうけれ 松は目あても 一里づか子もり

する子にものとへば 人のさたするさだのみや 筆とる神とおし
ゆれば おひの思ひの一つがき しる人あらばことづけて我子の
身持しづめたや しづまざいかゞ伊賀がさき 和泉式部のことのはに
われはたゞ 風にのみこそ まかせつれ いかゞさき/\゛ 又はゆくらん
此身のうへをよみしかと 思ひなやみて行さきは ひらにとまれの
ひらかたに 袖ひく下女が声そろへ めいばほしくはひらかたどまり
よるはよひからのせてやろ こんこゝりきこゝまか りきしよかの サアサのせてやろと


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口ずさみ うたふは爰ぞ其昔 駒の狩して頼政の このした
かげをえたまひし所とやいふまきの山 いけうきとりし大がきの 名
のみ残りてこのましや 我にも駒を得させなば 母君のせて口
とりてつまのうれしきあふせをと 思ひわたるやあまの川 そら
の恋路に なぞらへて 一とせぶりで自もつもる 思ひをしるほりと
かたりあひたやあひのしゆく たばこしんじよぞお茶まいれ お
腰かけよと小手まねく是も御えんの はしならば 橋本村に橋

かけて 我子やつまの有家まで わたしてくれよ狐川人がまよ
はゞ我はなをつま子にまよふ心から たれを恨のくずはすぎ 男やま
ぞと聞からに ぬさ奉り柏手を うつ心に姑は涙をてらす神
ならば 主のあたをばいさぎよう 我子にうたせ給はれといのるも さ
すが親心 嫁のおやなも手を合せ夫の身の上とりわけて 一子力
弥にのりうつり本望とげさせ給はれと 子を思ふ身の一道は 哀と
神もしろしめす やたけの ふたりづれ女武者共いふしでの 神の


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力を頼にてゆくさきながきよどつゝみ ふねにひく人のわる口は こゝに
かぎらず一筋のながきなはてを嫁そしり人ごと堤と名を付て いひなら
はすもひが事よ いとしかわいひ子にそへば にくうないはづにきとはまがる
心のしゆもく町 こわたのさとをよそに見て車道をばたどりゆく もの
うき思ひ山科の さとはいづくとたづぬれどまだほそとをくあし
よはの あつさをしのぐたよりなく よめがきてんの一すゞみ おひを
やすなふ まつかぜはうらうふしみの ふぢの森しばしとてこそ「やすらひぬ

酒はのみたしさかてはもたず おさか ばやしを見てとをるも世渡りに
うき世をめぐる車押し鳥羽より出てかへるさも 又とばかはと日くれまへ やみ
の夜(よ)三八鼬(いたち)の六とて 大八引きの中間(なかま)でも 名うてにうてしあばれ者 朝野
稲荷の山かげに 車のながへつきとばし ヤイ鼬よ めつたにはやういんだとて
うまひ事も有まいに えいわいやすめ マア一ぷくせい ヲゝよからふと腰付(づけ)の
天満吉久取出し 筒のなべずみまつくろなたばこすば/\ イヤなんとやみの夜
半季にたつた五匁や七匁のちがひでは モウ大八引はあはぬ物じやぞへ 毎日/\


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の積荷物 牛のかはりにぎう/\と 目の出るほど働ひても 眼の明かぬ
親方 やすめ共いはんぞいな それにこちの山の神が 同じやうなにぎりこ
朝もばんもちんからりに よばした斗の麦飯 ぼつ/\とよまひごと 夜も
昼もやかましい事じやないか サアさればいやい あんなやつらがてこねるとな くるま
牛にうまれるげなはい 其時はこちとらが ながへにかけてたゝき廻してやるはい
やいと ちよつと寄てもかげ口は日頃を「思ひやられたり 嬉しやけふぞ 夫(つま)や
子に大岸由良の母女房 我はいそぐと思はねど心が いそがせて はや

ゆくさきも ほど近しといさめどしらぬ道筋を とはま ほしやと あゆみ
ゆく 向ふにやすらふどら者の傍間近くも女房おやな あひそふらしく是
申 おふたりへ物とはふ 我々は遠国者 都の方は不案内 北山科へはかう参るか
もふ何程の道法(みちのり)ぞおしへてたべといふにうなづき アゝ爰から程はごはらぬ 誰が
所へ行のじや こちとらは一年中山科へはいり込でいる者共じや 何成共
とははれと つかふど声も時の便り 老母は立寄是は/\ 然らばついでにお尋
申さん 其山科に浪人の 由良之助といふ人を いづれもお聞なされぬかと


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聞てやみの夜引取て ヲゝ有共/\ 大岸由良之助といふ大だはけ 内には見事
な妾(てかけ)をおき 其うへが ほつきたらいで 夜も昼も嶋原へ ひつたりと酒づけ
ゆくときも戻る時も 足本はひよろ/\ そこら中は由良之助 是より外には
ないでやすと 聞より母親女房が はつと斗にむなづかへしはし あきれて
いたりしが 母はおやなをかたへによび打しほれたる涙声 今の咄しを聞やつ
たか 国元で聞たにちがはずゆくへもしらぬ下郎迄 かく浅ましき物
がたり 御主の御恩をわすれしか 但しは天魔の見入れかと 歎く詞に女房は

つらさはいとゞまされ共老母の心をながめんと あの者共がうはさては さふ
思召筈なれと 見ると聞との世の中 あれ程にも御ざんすまい よし又
身持が悪ふてもおまへのはる/\゛御いけんに おのぼりまされた手まへも有
お心もなをらんと とりなす内も心には 恨をふくむ目に涙 こぼれかゝるぞ
道理なる こなたに二人が身のうへを悔む間にあなたには 何やらひそ/\うなづき
合 ずつと立てふたりが中押へだてたるどら者共 こなた衆は由良之助を
尋るのか あんなばか者まゝにさはれの 役にも立ぬ浪人を尋廻る其


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手間で 身につう相談したがよい ナア鼬よ ソレ/\ 一日あるいてどこもかも草臥ても
いられふし さすつてやらふとじやれかゝれば 心のかたい姑がむすとせり上ひぢはり
かけ 声はしたなくコリヤ慮外者 そこのきおらぬかげすめらと しかり付れば
やみの夜はせゝら笑ひ いか様ほんに 昔からたとへにはづるゝ事はないはい コリヤいたちよ
のでも山でもじやまな物はおばゝ ハテ扨やみの夜 老ぼれ殿には此いたちが
こつとり共いはしやせぬ そちらではやう ほめけ/\と いはれて気の付くやみの
夜三八 いなかの者じやといははんすけど 京恥しいうまひさかり 一口くはずにおか

れぬ顔(めんつ) 我等が名はやみの夜とて くらがりずきなうまれ付 ちよつと小陰(こかげ)へ
いざ/\と 手をとれば女房おやな 下地のもや/\した上にうるさくにくゝ腹も
立 なんの己抔一討に殺してやす/\通らんと 懐刀に手をかけしが 若し姑御にあや
まちあらば孝行の道もかけ 夫にあふていひわけなしと 胸を押へてえ顔を
つくり 是は嬉しいお心ざし わしらが様な女に 業平まさりのおまへたち ほれたと
あるは忝い さりながら今ではならぬ 大事の/\いそぎの用 其用をしまふたら
戻りしなにはおふたりのお家を尋て行ませう お所はどこ元ぞ違ひはないと


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当座の間にあひ 老母は扨は嫁女(よめんぢよ)がかれらをたますそらごとと 心に
がてん見むきもやらず いたちの六が笑ひ声 コリヤやみの夜 だまくはされて
けつまづくな ようなふあたゝかに其手はたべぬ たべる物は外に有 ヤイちやつと
かた付て仕廻おれ ひまが入ならおれかはろか イヤ/\おれがしまふてとろと
えしやくもなくひつかゝへにかげへつれてかけゆくを 叶はぬ所と女房が手は
やはらかにやはらのまつかう うんとのつけにそりかへる シヤちよこざいな女めと 走
かゝるいたちの六母が跡よりひはらのあて身 同じくかつぱとまろびしが 一度に

おきて両方へつかみつかんとせし所を 母もおやなも懐中よりこほりのごとく
とぎ立し よろひ通しをぬきはなし さか手に持てよつたらつくぞと声
かけられ やみの夜いたちねこにおはれしことくにて きよろ/\色はまつさをに
重/\の不調法 こんなきつちお人としつたら何のてんかう申ましよ まつひら
御めんくだされと 始に似ざるがた/\ふるひ おかしくも又こきみよし おやなは猶も
はりつよく 大体な女と思ふか ゆるすやつではなけれ共 こつちもいそぎの用有身
重てをたしなめさりながら ゆるしてやる其かはりに 山科迄とつくりと姑御


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を車にのせ 送つてゆけといはれてびつくり エまだ三四里もいなねはならぬ
どふでそれは御了簡と わびれどおやなもいひがゝり いやならつくが アイ/\と
返事しながらふせう顔 母もすかさず声をかけ コレ/\嫁女 送る事はいやさふ
な わる者の見せしめに 殺してしまやとふり上れば アゝお気のみじかい
おうまれ付 成ほど送て参りまりよと あたまかき/\つほ/\口 申 とて
もの事に嫁御さまも お袋様と御一所に お車へおのりなされて下さりませと
物の当身にからだはうづく 手なみのかはさについしやうたら/\゛ そんならさふと嫁

姑 大義でござるとのいうつれば 二人はながへに手もかけず エゝ三八 わりや聞へ
ぬぞよ わけもない事いひ出して いま/\しいだちんもとれぬしんどさすはい ハレ
やれいたちよもふよいはい にげていんでは車をとらるゝ せふ事ないとへらず口 車
の上より両人がいそげ/\とせり立れば 腹立ながら出ほうだい ひよんなわろらを
車にのせて いそげ/\とゆてせはる てしよさませふよがない せふよがないと山
科の山道さして「急ぎゆく 山城の山科辺(へん)の 山陰(やまかげ)に 山か風呂かと
なまめきしうす紅梅の色ふくむ かよと名付て大岸が 妾じゆんたる


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はで者が 鏡にうつす ゆ上りを 下女の小まんがおぐしをと なでつけ
髪のうすげしやう 油とりしてぐきこみし 顔もつやあり色有りて 見と
れ姿ぞこのもしき そしるも下女がついしやう口 申おかよ様 おまへさまの
やうなうつくしい奥さまを持て 旦那さまの悪性は毎日毎夜 けふも嶋原
の振まひで東山へお出 定て大体のきげんで有まい 同じ事て若
旦那力弥様のかたぎ 今も今とて奥庭で弓のけいこ 御浪人の昔を
わすれぬお心ざし おいとしぼいと思ふから 思はずしらず後ろから だきつかふと

致ました ヲゝおはもじやとよしばめは かよもかたきにえみふくみ 若衆ざ
かりの力弥殿 にくうないも尤 親御由良之助様のお身持 御いけんもした
けれど お国にれつきとした奥様有 目妾のぶんざいで おぬしは各別御
子息力弥殿の手前 たしなむ心のせつなさを すいりやうしやと打とけて
しんく咄しのたそかれはいとゞしんきぞまさりける 我子をしたふ足びきの
山科尋ね嫁姑 あゆみなやみてやう/\と 庵間近くつきければ 母は案内
の先走り ちと此家へ物とはふ 小栗殿の御家来 大岸由良之助殿と


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いふ 浪人衆のやかたは是か くるしうない者かくさず共 名乗給へと有ければ
かよは二人の度姿それとさとりて成程/\ 由良之助は此家 只今は
るすなれ共 見うけし所がお国方 若しお袋さまではおはせずやと とは
れてこなたも胸おちつき ヲゝ目ずいりやうにちがはず母也 又是なは
嫁のおやな シテそもじはたそととひながら 伴ひ給へば是は/\ はる
/\゛ようこそ/\ それ力弥様よびませと 下女がしらせと高ごへが
もれ聞へてや奥よりも 力弥は驚き走り出 コハばゝ様か母様かと 思はずしら

ず取付て嬉し 涙にくれけるが かく御出としるならば迎ひの用意
も有べきに 思ひがけなく御入は いぶかしさよと尋れば さればとよ つれ合由良
之助殿 傾城狂ひに気をうばゝれ 大事をわすれ給ふ由 お袋様のお耳に
入 以の外成御きげん 共/\御いけん申さん為俄にお供申せしと 聞内はつと思へども
いや/\申それは人の雑説 親人にかぎり左様の義は候はずと とりなす詞を
老母は打けし ヤア偽るな 近き都の内でさへ 牛飼きこりの口のはにいひた
てらるゝ不行跡 妾狂ひのさた迄も かくれがないぞあらそふなと 遠慮の


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ないは年寄のするごとき詞聞づらさ 差出るかよは手をつかへ 人は目せばく口
ひろく 針を劔に取なすせかい 親子御のお身持に 悪敷事は侍らはず
と 取なしいふを国の本妻 尻目にかけて ムおかよ殿というふお妾有と聞
及びしはそもじよの りんきしつとでにくい共恨めしい共思はぬが 身に望み
有侍の ほだしと成は聞へぬと 詞のはしに針涙 めいわく身にぞあまりける
力弥もとかふ返答にあぐみ果しが申母様 国元と違ひ爰はかりたく はし
近で高咄善悪共によろしからず 追付父も戻られ蜜々にお咄 先々(まづ/\)

奥へいざばゞ様 お手取上んといたはれば さすが老木のおきやすく 是
嫁女 こなたも草臥まあござれと 孫が手を取うれしさにうらみも
うさも打わすれ 伴ひ「一間に入にけり 跡にはかよが気のどくの
思ひにくれし折からに 主の大岸由良之助 たそかれ時の酔まぎれ
きげんで戻るうたひ声 山寺のはるの夕ぐれ きて見れば入相
のかねに 花ぞちりける ハゝハゝハゝ やすがおしへた狂言まひ覚たぞ/\
ホゝウ 程なう我家は是でござる 是はくらし まだ火をともさぬか 扨(さって)も


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蚊にいきあたるは そこにいるはかよか 蚊にくはれて何してぞ よひからかやも
つられまい 小まんよ 蚊くすべしておませ 蚊にくはそより おれくをと とんともた
れてじやれかゝる かよは居なをり是申 お国からお袋様 奥さまを伴ひお
出 おまへのお身持を聞及び以の外成御きげん マア酔のさめる迄高声を
あそばすなと いひなだむれば由良之助 ハツト思へど苦にもたず 何国元
の母女房 いけんしに来られしとや テモぶすいなわろとれぬ/\ 土けの
はなれぬ遠国(おんごく)うまれ やまひのかみさまはらひしと思ひの外な俄客

よい/\馳走に 此山里の名物 けんぼう小紋の蚊をふるまひ こらし
てやらふと蚊くすべを あふぎ立れば蚊は奥へ 追こむ一間は母お居間
廿四考を引かへて 始終不孝のしはざなり かゝる折節表のかた手を
くゝられし下男 唖か吃かはしらね共 たゞウン/\トこはづくり 差のぞいて
大岸が顔見て内につゝと入 懐おしへウン/\トうめきがじぎやらえしやくやら
かよは見るよりコハ何者 いやしいやつとつき出すを 大岸やがて押とゞめ
こいつ此中 原郷右衛門が方にかゝへし唖 使にきたと覚たり ハテ面白いやつ


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よいなぐさみの ようきた/\サア爰へと まねけば合点しさしよつてまた
懐をつき出す ムウ懐に状が有といふ事か 両手をくゝりしはしさい
有へし マア其状をと懐へ手を入て 引出す物は裸人形 コリヤなんじや 是は
いな物と さすがの由良もあきれはて 小首をなぐるばかり也
かよもあきれてそれはもし 唖殿の持あそびか 外に文はあら
ざるかと 懐袂へ手を入てさがせば大岸 ヤレもふ見るには及ぬ なぞを
かけたる此使 コリヤ面白いさとつて見よふ フウ先頃郷右衛門に 妾(てかけ)の事を

頼置しが 裸でも大事ないかと 裸人形おこしたか 但しは又 裸百貫だせ
といふ事ではないか ハテどふがなと頭(づ)をいたむる一思案 唖は
身をもみくゝられし 手先つき付けせを差付 物はいはれずウン/\で
うむのわかちもなかりけり 老母の仰承り力弥は奥より立出て 父の
まえに手をつかへ お国の御隠居 母様を伴ひはる/\゛御出 奥に待兼
御座候はや御出とせり立る 返答もなく由良之助 何思ひけんづゝと立
て 力弥を立げにハツタトけたえおし 扇の平骨えしやくなく たゝき立ればコハい


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かにと 唖もうろ/\かよは取付き ノウおとましや酒(さゝ)きげんがまださめぬか
お袋様のお出有しが さ程にお腹が立事かと 引のくれば由良之助 子細
あれ共うはとぼけ しどなき体にて ヤア伜め 古くさい母女房待ている
とは それ程己は母が恋しいか 其ぶすいな根性では 傾城町の大よせ まさ
かのときの買論(かいろん)に 目ざす女郎手に入まい 思ふおてきと引ッくんで 心中し
てしぬる気を なぜ持おらぬたはけめと 武道の筋を色によせ ひかりつけ
にらみ付 ヤ郷右方からのお使唖殿 さぞお待遠 はんじ物をはんじ出し お返事

申さんこなたへと まねけば合点し引つれて一間に「こそ入にけれ
妾のかよは気のどくさ其まゝ力弥をだきおとし 道の道たるお心から 父御
の邪打擲の杖うらめしくおぼされん 常はない事酒きげん 我子にすいの
ぶすいのと 傾城狂ひをおしへる親 又とせかいに有物か 若お袋様奥様の
お耳へは入らざるか 其程が気遣ひな自ら御きげんうかゞはん 何事も親孝
行了簡あれといひなだめ 底の心はしらはりのふすま押あけ入にけり 力弥は
あたり見廻して 誠や連判の折から 母の絵姿目にかけて 此世でたいめん


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致さじと 誓しをはやわすれ お出を嬉しくしらせし故こらしめのため
父の打擲 ハツアあやまつたり そふじや/\傾城狂ひに事よせ 敵へ入
こむ軍慮の教 じひしんの有がたさとふしおがみ/\ 奥を見やれば
以前の唖 返事を取てかへるてい 合点のゆかぬ眼(まなこ)ざし 使の様子も子細
ぞあらん うかゞひ見んと勝手口のれんのかげへ立しのび息を つめたる
其内に両手をくゝられ唖聾表間近く出けるが 妾のかよが湯
上りに遣ひなをせし姿見に 我身のかげのうつるに気づき 立留てあたり

を見廻しどつかと座し さいたる脇指足くびで鍔もとぬきかけ くゝりし
両手の縄切ほどき 両肌ぬいですつくと立鏡にうつし背のもじを
読くだせは 何々今宵いづれも傾国へ思ひ立の由 我々親子も忍びたち
ゆき かの地にて御参会申べく候 郷右衛門様御報由良よりと よむもぼつ/\
聞へる文章 力弥は様子をとつくと見とゞけ こいつ下郎に似合ぬしかた さては
敵の犬なるか 目に物見せんとぬき刀 うかゞひ居るとは夢にもしらず
奥を目がけて差足し 切こむ所をつけゆく力弥 思ひがけなく引ッくんでぐつと


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つゝこむめてのよこ腹 無念/\と唖の大声 かくと聞より父の大岸 驚き
奥よりかけ出れば 力弥は手負を下にひつすへ こいつまさしく敵横山か家来
唖聾のにせ者 殊に奥へ切こむきつさう かくはからひ候といひもあへぬに
由良之助 ヲゝでかしたりさりながら そいつ敵の方よりも犬に入たるにせ者
とは 郷右衛門も某も さとつてわざと召抱へ 我々が身持の放埒を かれ
めに内通致させなば 敵の油断は味方の十ぶん 今日使の裸人形 使を裸
にして見よと さとるにたかはず背(せなか)に一筆(ひとふで)今宵いづれも傾国へおもむく

とは連判の面々関東へうつたつとのしらせ 我々も是よりすぐ旅立せん
幸/\門出の血祭 いそいでとゞめと聞より力弥 えぐりし刀ぬかんとすれば
ヤレしばらくと今はの手負 おきなをつて息をつぎ 扨は郷右衛門にも貴方(きほう)にも
傾城狂ひの放埒は敵をはかる拵へ事にて有けるよな 某まつたく敵
の廻し者にあらず 同じ小栗殿の家来 早野七郎太夫が伜 同苗勘
平家次といふ者と 聞て大岸扨は古傍輩の一子か 其身が又何故に
唖聾のにせ者と成 郷右衛門や某をたばかりしはいかに/\ ホヲゝ御ふしんは尤


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某主君のあたを報ぜん為 先達て横山が舘へ入込 命にかけて働きし
か共 討事は扨置女房まで其場にて討れ 我は寺沢七右衛門が情にて
命から/\゛にげのきし 是何故ぞ貴殿達をおそれ 横山ゆだんせざる故 其
おそるゝ程の功も有が 主君の仇を報ずる所存も有るかと 唖聾
と成てうかゞひ見れば 郷右衛門も貴殿も 傾城狂ひに身持放埒 今日
の使は密事と見へ我が背に書き遣はす シヤ是こそ本心顕はす文
通と鏡にうつし見るに やつはりかはらぬ傾城町へ出合の文章 亡君の

恩も思はぬ知行ぬす人 横山よりはかれめらを討てしまふがよき追善
第一敵をうつじやまと思ひ 近寄てだてのにせ頑(がたは) 我はばけたと思へ共
尾先あらはす若狐 人をうたがひ身のうへをわきまへざるも運のつき
情なや浅ましやと こぶしをにぎりきばをかみ男泣にぞなきいたる
始終を聞て由良之助 ホヲゝ驚入たる忠心 左様共存ぜずそこつの至り
残念至極せめてさいごの思ひ出に めいどの主君へ感状の みやげ致さん
それ/\力弥硯箱 はつとこたへて床の間の 硯出せば由良之助 懐中より


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連判状取出し きたいの功臣早野七郎太夫が一子 同名勘平家次と
巻頭に書き印 血判めされと差出せば 今はの眼勘平は よみくだして
押いたゞき アゝ有がたや 我名斗か父が名迄 印給へば横山を討たも同
前 未来の為にはよきみやげ 血判いたし申さんと ながれし血をば染付/\
差出し サア本望は達したり 御親子共におさらばと刀を我と逆手に持
えいうん/\とぬき捨る 心の功はあつけれどうすき運命力なく終に
はかなく成にけり 由良之助声をほそめ サア/\力弥 いづれも今宵の発足

おそ成てはいかゞ 母女房に対面せは 心もおくれ互にひかるゝ後がみ
汝とても其通 まづ此死骸をかくさんと畳引上ねだこぢはなし
死骸押こめ跡つくろひ つたひし血をばふきながす 血汐の雨は母女房
妾のかよも一間にて 子細を聞て立出るを 老母の教訓ぜひなくも
ふすまのこなたに三人はかくれたゝずみよそながら いとまごひにぞ袖
しぼる 力弥は父の気をおそれ母の事をいひ出さず 由良之助は我子
にはぢ 心にかゝれど老母の事 いひかねていたりしが ヤア力弥 武道の


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いさめに親の事 制するも是までぞ いはゞ一生此世のわかれ かほ
見る事こそみれんのたね よそながらのいとま乞某も御老母へ 汝も
母へと指図嬉しく 力弥はやがて奥の間へ さし向ひ涙をうかめ ばゞ
様母様 父上の仰おもき故 お顔も見ずにお別れを是から申侍ふぞや
わけて母様したしみのふかきにまよひ片ときも わすれかねたる未
練さを 父の御いけん身にこたへ 親子のえんを切たるしるし もつたいなくも
絵姿を切し天罰ゆるしてたべ 是ばつかり心にかゝりかなしさは 文にも筆

にもつくされず ばゞ様は武士の道 男まさりのお心 たゞ母さまの
なげきが 思ひやられて侍ふと いふ内もはやせき上て わつと歎けば
こなたにも いきをつめたる三人が 身をふるはしてしやくりなきことはり
とこそ見へにけれ 由良之助も涙にくれ ヲゝ汝がきりし絵すがたは
絵そら事ともゆるし有 某は現在に御老体のはる/\゛と 海山こへて
御入を 対面も申さずあまつさへ 口にまかせて不孝の悪口 ゆるさせ
給へものゝふの家国親子をわするゝは 武門の掟で候と わびするめ


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どは天命と思へどすぐにふすまの内 くらきともしびかげかくす妻や
妾はこたへかね 出んとすれば母親が 門出のじやまと押留る 乱れ心に
みだれ足おし合 せり合しきりのふすま めつきりぐはつたりあん
のうへ ともしびきへてぐはら/\の音に驚き親子共 立しのべはこなた
の三人 走り出事は出され共 有明きへて残る火はかやり火ばかり
ちら/\としん夜のやみにことならず 老母は声上 ノウ見られたか
二人の内義 そなた衆より此ばゞが なごりおしいはいか斗 天是をゆるし

給はず しぜんときへしともしびは あふてみれんをおこさすなと
めし給ふとしらざるか 敵横山討おふせ 腹切たりと聞ならば めい/\
じがいといひ合す さすればしばしのわかれぞや とはいへ一人の孫や
子が討死にゆく門出に 詞もかはさず顔も見ず さらば共いはれぬは
武家の掟かぜひなやとかこち給へば女房も 妾のかよも諸
共に 恩愛いもせはふり切とも せめてわかれに互の顔 見たや見せ
たやなつかしやと くごき歎けばさすが又 由良も力弥も立かねて


87
心の内のいとまごひ 老母がやがてふすぼりし火鉢かゝへて押直し
もはや親子はゆきつらん 討死の身は立日が命日 たが身のうへも鳥
べのゝ けふりと思ひ定めたる此火鉢こそ香盤よ おがくず則ち
沈五種香むじやうのたねと とりくべる けふりにむせぶともなみだ
せめて此火にかげうつる 母の御顔見まほしと由良も力弥もたち
よれば もしやそれかと母女房妾のかよも差寄て けふりを中に
へだての垣こがれ こがるゝ折も折 思ひがけなく蚊くすべの

ぼつともへたつかやり火は 互のわかれ互の顔 はつと見合す俤は
しぬるまつごの一雫 ノウ是しばしといふ内に 又ふく風にうちけして
もとのやみぢの旅立や あふは別れの涙雨あはぬは死のもと死
出の旅 あづまの旅に行(ゆく)親子 跡に母親妻ふたり見おくる内も
そともやみ 心もやみに声くもり なごりの詞耳にふれ 子がとゞ
まれば父(てゝ)親がせいしながらもあゆみかね 嫁や妾がかけ出るを
母がおさへてかせにあんり たてに成身も樋をぬけて とび出る袂ひき


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とむるいとのみだれやむすぼれし 思ひを 見捨両人はあづま路さしていそぎ行