仮想空間

趣味の変体仮名

源氏物語(十五)蓬生

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/pid/2567573

 

1

蓬生

 

2

もしほたれつゝわび給しころほひ。都にもさま/\゛

おぼしなげく人おほかりしを。さてもわが御みのよ

り所あるはひとかたの思ひこそくるしげなりしが。二

条のうへなどものどやかにてたびの御すみかをもお

ぼつかなからずきこえかよひ給つゝ。くらいをさり給

へるかりの御よそひをも竹のこのよのうきふしを

とき/\につけてあつかひ聞え給ふに。なぐさめ給

こともありけん。中々そのかずと人にもしられず。た

ちわかれ給ひしほどの御有さまをもよそのことに

思ひたり給ふ人々の。したの心くだき給ふたぐひ

おほかり。ひたちの宮の君は。ちゝみこのうせ給にし名

 

 

3

残に又思ひあつかふ人もなき御身にていみじう心ぼそ

けなりしを。思かけぬ御ことのいできてとふらひ聞え

給ふ事たえざりしを。いかめしき御いきほひにこそこと

にもあらず。はかなきほどの御なさけばあkりとおぼし

たりしかど。まちうけ給ふたもとのせばきには。大

空のほしのひかりをたらひの水にうつしたる心ち

して過し給し程に。かゝる世のさはぎいできて。なべて

の世かくおぼしみだれしまぎれに。わざとふかゝらぬ

かたの心ざしはうち忘れけるやうにてとをくおはし

ましにしのち。ふりはへてしもえ尋聞え給はず

その名残にしばしはなく/\もすぐし給ひしを

 

年月ふるまゝに哀にさびしき御有さまなり。ふるき

女はらなどは。いでやいと口おしき御すくせなりけり。お

ぼえす神仏のあらはれ給へらんやうなりし御心

ばへに。かゝるよすがも人はいでおはするものなりけりと

ありがたくみ奉りしを。おほかたの世のことゝいひなが

らまたたのむかたなき御ありさまこそかなしけれと

つぶやきなげく。さるかたにありつぎたりしあなた

のとしごろは。いふかひなきさびしさにめなれてす

ぐし給ひしを。なか/\すこしよづきてならひに

ける年月に。いとたへがたく思ひなげくべし。すこし

もさて有ぬべき人々はをのづから参りつぎてあり

 

 

4

しを。みなつき/\゛にしたかひていっきちりぬ。女ばらの

命たへぬもありて月日にしたがひてかみしもの

人数すくなくなりゆく。もとよりあれたりし

宮のうち。いとゞきつねのすみかになりてうとましう

けどをきこだちに。ふくろふの声をあさ夕にみゝ

ならしつゝ。人げにこそさやうの物もせかれてかげかく

しけれ。こたまなどけしからぬ物どもところをえて

やう/\かたちをあらはし物はびしき事のみかずし

らぬに。まれ/\残りてさふらふ人は猶いとわりな

し。このす領どもおもしろきいへづくりこのむが。

このみやのこだちを心につけてはなち給はせてん

 

やと。ほとりにつけてあんないし申さするを。さやうに

せさせ給ひていとかう物おそろしからぬ御すまひ

におぼしうつろはなん。たちとまりさふらふ人もい

とたへかたしなど聞ゆれど。あないみじや人の聞お

もはんこともあり。いける世にしか名残なきわざは

いかゞせん。かくおそろしげにあれはてぬれど。おやの

御かげとまりたる心ちする。ふるきすみかと思ふに

なぐさみてこそあれとうちなきつゝおぼしもかけ

ず。御でうど共もいとこだいになれたるが。むかしやう

にてうるはしきをなま物のゆへしらんと思へる人さ

る物えてしてわざとその人かの人にせさせ給へると

 

 

5

たづね聞えてあんないするもをのづからかゝるまづしき

あたりと思あなづりていひくるを。れいの女ばらいかゞ

はせん。そこそはよのつねのことゝてとりまぎらはし

つゝ。めにちかきけふあすの見ぐるしさをつくろはん

とするときもあるを。いみじういさめ給てみよと思ひ

給ひてこそしをかせ給けめ。などてかかろ/\゛しき人

の家のかざりとはなさん。なき人の御ほいたがはんが

あはれなることゝの給ひて。さるわさはせさせ給はず

はかなき事にてもみとふらひ聞ゆる人はなき

御身なり。たゞ御せうとのぜんじの君ばかりぞま

れにも京にいで給ふときはさしのぼき給へど。それ

 

もよになきふるめき人にておなじきほうしと

いふ中にも。たつぎなくこの世をはなれたるひじり

に物し給ひて。しげき草よもぎをだにかきはら

はむ物とも思ひより給はず。かゝるまゝにあさぢは

庭のおもゝみらずしけり。よもぎは軒をあらそひて

おひのぼる。むくらは西東のみかどをとぢこめたる

ぞ憑もしきけれど。くづれがちなるめぐりのかきほを

馬牛などのふみならしたるみちにて。春夏にな

れははなちかふあげまきの心つかへぞめざましき。

八月野分あらかりし年。らう共もたれふし。しも

のやとものはかなきいたぶきなりしなどは。ほねの

 

 

6

みわづかに残りてたちとまる下すだになし。けふ

りたえて哀にいみじき事おほかり。ぬす人など

いふひたふる心ある物も。やりのさびしければにや

このみやをばふようの物にふみすぎてよりこざり

ければ。かくいみじき野分やぶなれども。さすがにしん

とののうちばかりはありし御しつらひかわらず。つやゝか

にかいはきなどする人もなし。ちりはつもれどまぎ

るゝ事なきうるはしき御すまいにてあかしくらし

給ふ。はかなきふるうた物語などやうの御すさひご

とにてこそつれ/\゛をも思ひなぐさむるわざなめれ。

さやうの事にも御心をそくて物し給ふ。わざとこの

 

ましからねどをのづからまたいそぐことなきほどは

おなじこことなるにみかよはしなどもうちしてこそ。す

かき人は木草につけても心をなぐさめ給ふべけれど

おやのもてかしづき給しみ心をきてのまゝに世中

をつゝましき物におぼして。まれにもことかよひた

まふべき御あたりをもさらになれ給はず。ふりにたる

みづしあけて。からもり。はこやのとじ。かくや姫の物

がたりのえにかきたるをぞとき/\のまさぐり物に

し給ふ。ふるうたとておかしきやうにえりいで。だ

いをもよみ。人をもあらはし心えたるこそ。みどころも

有けれ。うつはしきかんやがみ。みちのくふがみなどの

 

 

7

ふくなめるに。ふる事どものめなれたるなどはいとす

さましげなるを。せめてながめ給おり/\はひきひろ

げ給ふ。いまの世の人のすめるきやううちよみおこ

なひなどいふ事はいとはづかしうし給ひて。みたて

まつる人もなけれどすゝなととりよせ給はず。かやう

にうるはしくぞ物し給ける。侍従などいひし御

めのとごのみこそ。としのあくがれはてぬ物にてさふ

らひつれど。かよひ参りし斎院うせ給ひなどして

いとたへがたく心ぼそきに。この姫君のはゝ北方のはら

から。世におちぶれてず両のきたのかたに成給へる有

けり。むすめどもかしづきてよろしきわか人(うど)ともむ

 

げにしらぬ所よりは。おや共もまうでかよひしを

と思ひて。とき/\゛いきかよふ。この姫君はかく人うと

きおくせなれば。むつまじくもいひかよひ給はず

をのれをばおとしめ給ておもてぶせにおぼしたり

しかば。姫君の御ありさまの心ぐるしげなるも

えとふらひ聞えずなど。なまにくげなることばとも

いひきかせつゝ時々聞えけり。もとよりありつき

たるさやうのなみ/\の人は。中々よき人のまねに

こゝろをつくろひ思ひあがるもおほかるを。ヤンコとなき

すぢながらもかうまでおつべきすくせありければに

や。心すこしなを/\しき御おばにぞありける。わ

 

 

8

かくおとりのさまにてあなづらはしくおもはれたり

しを。いかでかゝる世の末にこの君を我むすめどものつ

かひ人にしなしてしかな。心はせなどのふるびた

るかたこそあれ。いとうしろやすきうしろみならん

と思て。時々爰にわたらせ給ひて御ことのねもうけ

給はらまほしける人なん侍ると聞えけり。この侍従

にもつねにいひもよほせど人にいどむ心にはあらで

たゞこちたき御物つゝみなればさもむつび給はぬを

ねたしとなん思ひける。かゝる程にかの家あるじ大

貳になりぬ。むすめどもあるべきさまに見をきて

くだりなんとす。この君を猶もいざなはんの心ふかく

 

てはるかにかくまかりなんとするに。心ぼそき御あり

さまのつねにしもとふらひ聞えねど。ちかきたのみ

侍りつる程こそあれ。いと哀にうしろめたくなん

などことよかるを。さらにうけひき給はねばあなに

くこと/\しや。心ひとつにおぼしあがるとも。さるやふ

はらにとしへ給ふ人を。大将どのもやんごとなくしも思

聞え給はじなどえんじうけびけり。さるほどに。け

に世間にゆるされ給ひて都にかへり給と。あめのした

のよろこびにてたちさはぐ我もいかで人よりさき

にふかき心ざしを御覧ぜられんとのみ思きほふ。お

とこ女につけてたかき我もくだれるをも人の心ばへ

 

 

9

を見給ふに哀とおぼししる事さま/\゛なり。かやう

にあはたゝしきほどにさらに思ひいで給ふけしき

みえて月日へぬ。今はかぎりなりけり。年ごろあらぬ

さまなる御さまをかなしういみじきことを思ひな

がら。もえいづる春にあひ給はなんとねんじわたり

つれど。たびしがはらなどまでよろこび思ふなる御

くらいあらたまりなどするに。よそにのみきくべ

きなりけり。かなしかりしおりのうれはしさはたゞ

わか身ひとつのためになれるとおぼえしかひな

き世かなとこゝろくだけてつらくかなしければ。人

しれずねをのみなき給。大貳の北方さればよまさ

 

にかくたつぎなく人わろき御ありさまをかずまへ

給ふ人はありなんや。仏ひじりもつみかろきをこそ

みちびきよくし給ふなれかゝる御ありさまにてたけ

う世をおぼし。宮うへなどのおはせしときのまゝにな

らひ給へる御心おごりのいとおしきことゝいとゞおこが

ましげに思ひて。猶おもほしたちね世のうき時は

みえぬ山ぢをこそはたづぬなれ。い中などはむつかしき

ものとおぼしやるらめどひたふるに人わろげにはよ

ももてなし聞えじなどいとことよくいへば。むけに

くしにたる女ばらさもなびき給はなん。たけき事

もあるまじき御身をいかにおぼしてかうたてたる

 

 

10

御心なんともどきつぶやく。侍従も彼大貳のをいた

つ人にかたらひつきて。とゞむべくもあらざりければ。

心より外にいでたちつゝ見奉りをかんがいと心ぐる

しきをとてそゝのがし聞ゆれど。なをかくかけは

なれて久しうなり給ひぬる人にたのみをかけ給ふ

御心のうちにさりともありてかおぼしいづるつい

であらじやは。あはれに心ふかき契りをし給ひし

に。わが身はうくてかくわすられたるにこそあれ。風の

つてにても我かくいみじきありさまをきゝつけ給

はゞ。かならずとふらひいでたまひてんと年ごろお

ぼしければ。おほかたの御家いもありしよりけに

 

浅ましけれど。わが心もてはかなき御でうどなども

とりうしなはせ給はず。こゝろづよくおなじさまに

てねんじすごし給ふなりけり。ねなきがちにい

とゞおぼしゝづみたるは。たゞ山人のありきこのみひとつ

をかほにはなたぬとみえ給ふ。御そばめなどはおぼろ

けの人のみたてまつりゆるすべきにもあらずかし。

くはしくは聞えじ。いとおしうものいひさがなきやう

なり。冬になりゆくまゝにいとゞかきつかんかたなく

かなしげにながめすぐし給ふ。かの殿には古院の御

れいの御八講世間ゆすりてし給ふ。ことに僧など

はなべてのはめさず。さえすくれおこなひにしみたう

 

 

11

ときかぎりをえらせ給ひければ。このぜんじの君も

参り給へりけり。かへりさまにたちよりたまひて

しか/\権大納言どのゝ御八講に参りて侍つるなり

いとかしこういける。じやうどのかざりにをとらずいか

めしうおもしろきことゝものかぎりをなんし給

つる。仏ぼさつのへんくえの身にこそものし給めれ。い

つゝのにごりふかき世になどて生れけんといひ

てやがて出給ぬ。ことずくなによの人ににぬ御あそひ

にて。かひなき世の物語をだにえきこえあはせ給

はず。さてもかばかりつたなき身のありさまを哀

におぼつかなくて過し給は。心うの仏ほさつやとる

 

らうおぼゆげにかぎりなめりとやう/\思ひなり

給に。大貳の北方にはかにきたれり。れいはさしもむ

つびぬをさそひたてんの心にて。奉るべき御さうぞく

などてうじて。よき車にのりておももちけしき

ほこりかに物思ひなべなるさましてゆくりもなく

はしりきて。門あけさするより人わろくさびしき事

かぎりなし。ひだりみぎの戸もよろほひたかれに

ければおのこともたすけてとかくあけさはぐ。いづれ

かこのさびしきやどにもかならずわけたるあとあ

なる。みつのみちとたどるわづかに南おもてのかうし

あけたるまによけたれば。いとゞはしたなしとおぼ

 

 

12

したれど。あさましうすゝけたる几丁さしいでゝ侍

後いできたり。かたちなどおとろへにけり。とし頃い

たうついえたれど。なを物きよげによしあるさまし

て。かたじけなくともとりかへつべくみゆ。いでたちなん

ことを思ひながら心ぐるしきおありさまのみすて

奉りがたきを。侍従のむかへになん参りきたる心う

くおぼしへだてゝおみづからこそあからさまにもわた

らせ給はね。この人をだにゆるさせ給へとてなんなど

かう哀げなるさまにはとてうちもなくべきぞかし。

されどゆくみちに心をやりていと心ちよげなり。

故宮おはせしときをのれをばおもてぶせなりと

 

おぼしすてたりしかば。うと/\しきやうやうになり

そめにしかど。年ごろもなにかはやむごとなきさまに

おぼしあがり。大将殿などおはしましかよふおす

くせのほどを。かたじけなく思給へられしかばなん。

むつびきこえさせんもはゞかる事おほくてすぎし

侍つるを。世中のかくさだめなかりければ。ずならぬ

身はなか/\心やすく侍物なりけり。をよびなく

見たてまつりしおありさまのいとかなしう心ぐ

るしきを。ちかきほどはをのづからおこたるおりも

のどかにたのもしうなん侍けるを。かくはるかにま

かりなんとすればうしろめたく哀になんおぼえ

 

 

13

給ふなんとかたらへど。心とけてもいらへ給はず。いと

うれしき事あんれど世にゝぬさまにてなにかはかう

ながらこそくちもうせめとなむ思侍るとのみの給へ

ば。げにしかなんおぼさるべけれど。いけるみをすてゝか

くむくつけきすまいするたぐひは侍らずやあらん。

大将殿のつくりみがきたまはんにこそひきかへ玉のう

てなにもなりかへらめとは。たのもしうは侍れど。たゞ

今は兵部卿の宮のおむすめよりほかに心わけ給

かたもなかりけり。むかしよりすき/\゛しき御心に

て。なをざりにかよひ給ひける所々みなおぼしは

なれにたなり。ましてかく物はかなきさまにてや

 

ふはらにすぐし給へる人をば。心きよく我をたのみ給へ

ありさまとたづねきこえ給ふこといとかたくなん

あるべきなどいひしらするを。げにとおぼすもいと

かなしくてつく/\゛となき給ふ。されどうごくべうもあ

らねば。よろづにいひわらひくらして。さらば侍従をだ

にと日のくるゝまゝにいそけば。心あはたゝしくて

なく/\さらばけふはまづかくせめ給ふをくりばかりに

まうで侍らん。かの聞え給ふもことはりなり。また

おぼしわづらふもさることに侍れば。なかに見給ふる

も心ぐるしくなんと忍びて聞ゆ。このひとさへうちす

てゝむとするをうらめしくもあはれにもおぼせど。

 

 

14

いひとゞむべきかたもなくていとゞねをのみたけき

事にて物し給ふもかたみにそへ給ふべきみなれ。衣も

しほなれたれば。としへぬるしるしみせ給ふべき物な

くて。わがおぐしのおちたりけるをとりあつめて

かづらにし給へるが。九尺余ばかりにていときよらな

るを。おかしげなるはこにいれて。むかしのくのえかう

のいつかうばしきひとつゔぉぐして給ふ

 (末摘花)たゆまじきすぢをたのみし玉かづら思ひのほ

かにかけはなれぬるこのまゝのゝ給ひをきしことも

ありしかば。かひなき身なりとも見はてゝむとこそ

思ひつれ。うちすてらるゝもことはりなれど。たれに

 

見ゆづりてかとうらめしくなんとていみじうなき

給ふ。この人も物も聞えやらず。まゝのゆいごんはさら

にも聞えさせず。とし頃のしのびがたき世のうさ

をすぐし侍りつるに。かくおぼえぬみちにいざなはれ

てはるかにまかりあくがるゝ事とて

 (侍従)たまかづらたえてもやまじ行道のたむけの神

もかけてちかはんいのちこそしり侍らねなどいふに

いづらくらうなりぬとつぶやかれて心もそらにてひ

いづれば。かへりみの見せられkる。とし頃わびつゝも

ゆきはなれざりつる人の。かくわかれぬる事をいと心

ぼそうおぼすに。世にもちいらるまじきおい人さへ

 

 

15

いでやことはっりぞいかでか立とまり給はん。われらも

えこそねんじはつまじけれと。をのがみゝにつけた

るたよりども思ひ出てとまるまじう思へるを。人

わろくきゝおはす。霜月ばかりになれば雪あられ

がちにて。ほかにはきゆるまもあるをあさ日夕ひを

ふせぐよもぎむぐらのかげに。ふかうつもりてこし

のしら山思ひやらるゝ。雪のうちにいでいるしも人

だになくてつれ/\゛とながめ給ふ。はかなきおとを

きこえなぐさめ。なきみわらひみまぎらはしつる

人さへなくて。よるもちりがましき御丁のうちも

かたはらさびしく物がなしくおぼさる。かの殿には

 

めづらし人に。いとゞものさはがしき御ありさまにて

いとやんごとなくおぼされぬ。所々にはわざともえを

とづれ給はず。ましてその人は世にやおはすらんと

ばかりおぼしいづるおりもあれど。たづね給ふべき御

心さしもいそがてありふるにとしかはりぬ。う月

ばかりに花ちる里を思ひし出聞え給て。たいのう

へに御いとまきこえていで給ふ。日ごろふりつる名

残の雨すこしそゝきて。おかしきほどに月さしいで

たり。むかしの御ありきおぼし出られてえんなる

ほどの夕月夜に。みちの程よろづのことおぼしい

でゝおはするに。かたもなくあれたる家の木だちし

 

 

16

げくもりのやうなるをすき給ふ。おほきなる松に

藤のさきかゝりて。月影になびきたる風につきてさ

とにほふが。なつかしくそこはかとなきかほりなり。

たち花にはかはりておかしければ。さしいで給へるに

柳もいたうしだりてついぢもさはらねばみだれふし

たり。みし心ちする木だちかあんとおぼすは。はやうこ

の宮なりけり。いと哀にてをしとゞめさせ給。れい

の惟光はかゝる御忍びありきにをくれねばさふらひ

けり。めしよせてこゝはひたちの宮ぞかしな。しか

侍ると聞ゆ。こゝにありし人はまだやながむらんと

ふらふべきを。わざと物せんも所せし。かゝるついでに

 

いりてせうそこせよ。よくたづねよりてをうちいで

よ。人たがへしてはおこならんとの給。こゝにはいとゞなが

めまさる頃にて。つく/\とおはしけるに。日るねの夢

故宮のみえ給ひければさめていとなごりかなし

うおぼして。もりぬけたるひさしのはしつかた。をし

のごはせてこゝかしこのおましひきつくろはせなど

しつゝ。れいならずよづき給ひて

 (末)なき人をこふるたもとのひまなきにあれたる軒

のしづくさへそふも心ぐるしきほどになん有ける。惟光

入てめぐる/\人をとするかたやあるとみるに。いさゝ

かの人げもせず。さればこどゆきゝのみちも見いるれ

 

 

17

ど。人すみけもなきものをと思ひてかへり参るほとに。

月あかくさしいでたるに見れば。かうしふたまばかり

あげてすだれうごくけしきなり。わづかにみつけ

たる心ちおそろしくさへおぼゆれど。よりてこはつく

れば。いと物ふりたる声にてまづしはぶきをさきに

たてゝかれはとれぞなに人ぞととふ。なのりして侍

従の気味と聞えし人にたいめん給はらんといふ。それ

はほかに南(なん)ものし給ふ。されどおぼしわくまじき

女なん侍るといふこえ。いたうねびすきたれど聞し

老人ときゝしりたり。うちには思ひもよらずかり

ぎぬすがたなる男の忍びやかにもてなし。なごや

 

かなれば。見ならはずなりにけるめにて。もしきつねな

どのへんげにやとおぼゆれど。ちかうよりてたしかに

なんうけ給はらまほしき。かはらぬ御有さまならば

たづね聞えさせ給ふべき御心ざしもたえずなん

おはしますめるかし。こよひもゆきすぎがてにとま

らせ給へるを。いかゞ聞えさせん。うしろやすくをといへ

ば女どもうちわらひてかはらせ給。御有さまならば

かゝる浅ぢか原をうつろひ給はでは侍りなんや。たゞ

をしはかりて聞えさせ給へかし。年へる人の心に

も。たぐひあらじとのみめづらかなる世をこそみたて

まつりすごし侍れど。やゝくつし出ててとはずがた

 

 

18

りもしつべきか。むつかしければよし/\まづかくなん

きこえさせんとて参りぬ。などかいひさしかり

つる。いかにぞむかしの跡もみえぬよもぎのしげさ

かなとの給へば。しか/\なんたどりよりて侍りつる。

侍従がおばの少将といひ侍しおい人なんかはらぬこ

えにて。侍りつるとありさま聞ゆ。いみじうあはれに

かゝるしげき中に。なに心ちして過し給ふらん。今

までとはざりけるよと我御心の情なさもおぼし

しらる。いかゞすべきかゝるしのびありきもかたかるべき

を。かゝるついでならではたちよらじ。かはらぬありさ

ならば。げにさこそはあらめとをしはからるゝ人ざ

 

になんとはの給ひながら。ふと入給はん事猶つ

つましうおぼさる。ゆへある御せうそこもいと聞え

まほしけれど。見給しほどのくちをそさも。まだか

はらずは御つかひのたちわづらはんもいとおしう

おぼしとゞめつ。惟光も更にえわけさせ給ふまじき

よもぎの露けさになん侍る。つゆすこしはらはせて

なにらせ給ふべきと聞ゆれば

 (源)たづねてもわれこそとはめ道もなくふかきよもぎ

のもとの心をとひとりごちて。なをおり給へば御さき

の露を馬のぶちしてはらひつゝいれ奉る。あまそゝ

きも猶秋の時雨めきてうちそゝけば。御かささふ

 

 

19

らふ。げに木のした露は雨にまさりてときこゆ。御

さしぬきのすそはいたうそほちぬめり。むかしだに

あるかなきかなりし中門などまいてかたもなくな

りていり給ふにつけても。いとむとくなるをたちまじ

りみる人なきぞ心やすかりける。姫君はさりともと

待過し給へる心もしるくうれしけれど。いとはづかし

き御ありさまにてたいめんせんもいとつゝましう

おぼしたり。大貳の北方のたてまつりをきし御

ぞどもをも。心ゆかずおぼされしゆかりに。見いれ給

はざりけるを。此人々のかうの御からひつに入たり

けるが。いとなつかしき香したるを奉りければ。い

 

かゞはせんにきかへ給てかのすゝけける御几帳ひきよ

せておはす。いり給てとしごろのへだてにも心ばかり

はかはらずなん思ひやり聞えつるを。さしもおと

ろかい給はぬうらめしさに今まで心み聞えつるを

杉ならぬ木だちのしるさに。えすぎおてなんまけ聞

えにけるとて。かたびらをすこしかきやり給へば。れ

いのいとつゝましげにとみにもいらへ聞え給はず。かく

ばかりわけいり給へるがあさからぬに思おこしてぞほ

のかに聞えいで給ける。かゝる草がくれにすぐし給ひ

けるとし月の哀もをろかならず。またかはらぬ心なら

ひに人の御心のうちもたどりしらずながら。わけ侍

 

 

20

つる露けきなどをいかゞおぼす。としごろのおこたり

はた。なべての世におぼしゆるすらん。いまより後の

こゝろにかなはざらんなん。いひしにたがふつみもおふ

べきなど。さしもおぼされぬことなさけ/\しう聞え

なし給ふ事どもゝあめり。たちとゞまり給はんも

ところのさまよりはじめまばゆき御ありさまな

ればつき/\゛しうの給すぐして出給ひなんとす。

ひきうへしならねど松のこだかくなりにける年月

のほどもあはれに夢のやうなる御身のありさまも

おほしつゞけらる

 (源)藤なみのうちすぎかたくみえつるは松こそ宿の

 

しるしなりけれかぞふればこよなうつもりぬらんかし。

宮こにかはりにけることのおほかりけるもさま/\゛

哀にあん。いまのどかにぞひなのわかれにおとろへし

世の物語も聞えつゝすべき。又年へ給へつらん春秋

のくらしがたさなどもたれにかはうれへ給はんと。う

らもなくおぼゆるも。かつはあやしうなんとて聞え

給へば

 (末)としをへてまつしるしなきわがやどを花のたよ

りにすぎぬばかりかと忍びやかにうちみじろき

給へるけはひも。袖の香もむかしよりはねびまさり

給へるにやとおぼさる。月いりがたになりて西のつま

 

 

21

どのあきたるより。さはるべきわたどのだつやもな

く、軒のつまも残りなければいと花やかにさしいり

たれば。あたり/\みゆるに昔にかはらぬ御しつらひの

さまなど忍草にやつれたるうへのみるめよりはみや

びかに見ゆるを。むかし物語にたうこぼちたる人も

ありけるをおぼしあはするに。おなじさまにて年

づりにけるも哀也ひたふるに物つゝみたるけはひ

のさすがにあてやかなるも心にくゝおぼされて。さるか

たにて忘れしも心ぐるしく思ひしを。としごろ

さま/\゛の物思ひにほれ/\しくて隔つる程す

らしと思はれつらんといとおしくおぼす。かの花ち

 

る里もあざやかに今めかしうなどは花やぎ給はぬ

ところにて。御めうつしこよなからぬにとがおほふかく

れにけり。まつりごけいなどのほど御いそぎどもに

ことつけて。人のたてまつりたる物色々におほかる

を。さるべきかぎりも心くはへ給ぬ。中にもこのみやに

はこまやかにおぼしよりて。むつましき人々に

おほせ事給。しもべどもなどつかはしてよもぎはらは

せ。めぐりの見ぐるしきに。いたがきといふ物うちかた

めつくろはせ給ふ。かうたづねいで給へりと聞つたへん

につけても。わが御ためめんぼくなければわたり給ふ

ことはなし。御文いとこまやかにかき給ひて二条院

 

 

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いとをき所をつくらせ給を。そこになんわたし奉る

べき、よろしきわらはべなどもとめさふらはせ給へ

など。人々のうへまでおぼしやりつゝとふらひきこえ

給へば。かくあやしきよもぎのもとにはをき所なき

まで女ばらも空をあふぎてなんそなたにむきて

よろこび聞えける。なげの御すさひにても。をしなへ

たるよの常の人をば。めとゞめみゝたて給はず。世に

すこしこれはとおもほえ。心ちとまるふしあるあた

りをたづねより給ふものと人のしりたるに。かく

ひきたがへなにごともなのめにだにあらぬ御ありさ

まを。物めかしいで給ふはいかなりける御心にかあり

 

けん。これも昔の契りなめりかし。今はかぎりとあ

なづりはてゝさま/\゛にきほひちり。あがれしうへ

しもの人々われも/\参らんとあらそひいづる人も

あり。心ばへなどはたむもれいたきまでよくおはする

ありさまに心やすくならひて。ことなる事なき

なまずりやうなどやうの家にある人は。ならはず

はしたなき心ちするもありて。うちつけの心みえ

に参りかへる。きみはいにしへにもまさりたる御い

きほひのほどにて。物の思ひやりもましてそひ給

にければ。こまやかにおぼしをきてたるに。匂ひ出て

宮のうちやう/\人めみえ。木草の葉もたゞすこう

 

 

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哀にみえなされしを。やり水かきはらひせんざい

のもとだちもすゞしうしなしなどして。ことなるお

ぼえなきしもげいじのことにつかまつらまほし

きは。かく御心とゞめておぼさるゝ事なりとみと

りて。御けしき給はりつゝついせうしつかうまつる。

ふたとせばかりこのふる宮にながめ給ひて。ひんがし

の院といふ所になん後はわたしたてまつり給ける。

たいめんし給事などはいとかたけれど。ちかきしめの

ほどにておほかたにもわたり給に。さしのぞきな

どし給つゝ。いとあなづらはしげにももてなし聞え

給はず。かの大貳の北方のぼりておどろきおもへる

 

さま。侍従がうれしきものゝいましばしまち聞え

ざりける心あさゝをはづかしう思へるほどなどを。

今すこしとはずかたりもせまほしけれど。いとかし

らいたううるさくものうければ。いま又もついであらん

おりにおもひいでゝなんきこゆべきとぞ