夏祭浪花鑑 四段目 内本町道具屋

 

読んだ本 

http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/index.html ニ10-01283 

 

41左頁
第四 手代が恋を堀出した 浮牡丹の箱入娘
難波津に 爰も眼の内本町 通筋を竪横に引廻したる角屋敷 道
具屋の孫右衛門迚手広ふあきなふ大商人 表には茶の湯の道具時代蒔
絵の道具類 和漢の器物を店一ぱいに取ひろげ 人もうらやむ居なし也 重
手代の伝八は ほこりたゝきをしやにかまへはいつのこふつ代物に 花をかざるは此家
の娘 嫁入盛のぼつとり者と人も 心をよせ敷の暖簾のかげより?伝八
清七はそこにいやらぬか ハアお中様 清七は今蔵へ道具出しに参りました 何の


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用でこさりますへ ヲゝ夫レならわがみでも大事ない 此五十両の金は屋敷のかは
せ 伏見町の加賀屋へ渡しやと爺様の云付 エゝ其用ならはおれか請取ても
済事を新参の清七斗しなつこらしう物いふて 聞へませぬお中様 幸外に人も
なし 兼々のお返事をちよつと爰でとしなだれかゝれば後ろより伝八/\ 旦那様の
呼つしやる ホウ清七か 何の用じやしらぬ迄と云捨立て入ければ コレお中様
さつきにから伝八とじやらくら/\ 又清七のあられもない疑ひ わしが心をしらぬか
何その様に聞へぬ人しやと寄添ば コリヤ/\清七見付たぞ エゝわれは横着者能

うそをいつたなァ 旦那がわれを呼つしやる きり/\いけと伝八が どつちやう声にびつ
くりし こそ/\と入にける コレ其様に何くはぬ顔さしやつても どふてもきやつと合点
かいかぬと云も果ぬに伝八/\ コリヤ手のわるい嗜め/\ 今こそ旦那か真実呼で
しや イヤ/\うそ おれを取のじや ハテ嘘誠かいて見りやしれる ハア夫レならばいてこまそ
けたいな事しやと走り行 コレ清七 今いふた通り疑ふてたもんなや 死なしやつたかゝ様のいひ
置なれば此中が 気に入た男でなけりやわしや持ぬ 殊にそなたの氏素性なら
器量なら どこに一つ難くせのないも理り 玉嶋礒之丞様/\/\といふ口おさへて


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イゝヘアアわけもない そんな事云ぬ物と 人目を忍びひそ/\/\と つぶやきさゝやく其中へ
とくい廻りの肴やが 御用ござりませぬかと門口から音なへば ちやつと飛退きけん
によもなふ ホウ九郎兵衛精が出ます ソレ魚屋がきて居らるゝと お乳母にそふいは
しやませ 早う/\を塩にして お中は勝手へ走行 どれ/\肴見よふかと此家のかう
かつ乳母 きせる片手に表へ出 けふは旦那様の病気本復の内祝ひ 鱒でもせう
かと思ふが もやすい物が有かいの されば此栗花落哥(つゆか)で さこ場にも物がすく
なふて かこにさらりと見へた通 マア此鯛がぶりばんどう ヲゝおりやそんな事知ませ

ぬおつと しらでは二匁八分 ヲゝそりや高い夫レならえふなが十で八分 さればのふ秋口から
段々に名のかはるがえふなの出世 祝ひ事によからふ イヤ名のかはるついてに團七
殿も 前堺から見へた時と 今は名もかはつたげな がどふした事で替さしやつた
されば/\ 去年えらい難儀にあふて 大坂へ引越し心も入替 名も九郎兵衛と
かへたれど云付た名なれば 今において団七九郎兵衛と云まする イヤもふ次第/\
に豆の数が重なる程 心も独り置く物 爰に居さしやる清七殿も おれが様に立
て手代奉公におこしたが 死ねばならぬ程の事ても 堪忍するが若い者の嗜み


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奉公する身は猶もつて 物事こらへさつしやれ まだ嗜むのが色の道 イヤ色で思ひ
出した 鱠の子には此赤貝がよかろふ のふ乳母 ヲゝとでもないかへ口いはしやる 内祝ひ
なればかるうても事の済む どふなとこなたよい様に 拵て下されと 勝手へ行ば声
をひそめ 申し磯之丞様 なされも付ぬ奉公で嘸難儀 お国へ帰参なさるゝ迄
は 随分辛抱なされませ ヲゝそふじや共 何かに付てそなたのいかひ心つかひ ハテやく
たいもない そんな事ぐづ/\思ふて 煩ふて下さりますな 後に/\と団七は 荷を引
かゝげ入にける かゝる折節表の方へ一僕つれたる田舎侍 道具見物いたさふかと店

さきへ立寄ば 清七庭に飛でおり ようお出なされましたサア/\あれへ しばらくお腰
かけられませと 挨拶すれば伝八も奥より出 ソレおたばこ盆お茶持てこいと ほこり
たゝきで揚り口叩き立るも商旦那へ馳走ぶりとぞ見へにける イヤ苦しうないかまは
れな 何ときのふ見た浮牡丹の香炉 五十両にまけ申さぬか されば私も段々
申て見ましたれど 八十両の口が一歩かけてもならぬと申す 畢竟手前の道具なれ
ば 又御相談の致し様も有と と申て私が かはくな口銭を取てもなし 重ねて御用も
かけたまはりたさにちから一はいのふ伝八 ヲゝそふじや 跡々が大事なれば 買損な


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物お勧申さず 見る所が正真の 浮牡丹にまがひなければ 五十両にはきつい
堀出し 此比も一体の正筆に 坊主に成な魚をくへ 地獄へいて鬼にまけるなとある
かな物を 紙屑買が十九文に買てきて 大分金を儲けたと 大坂中の評判なれば
少々は思ひはづして どふぞお求なされませ 清七も随分とお肝煎申や 成程
拙者も正真と見申た故 五十両に付申た 国元より申て参つた殿の御用なれば ぜひ
求ては成申さぬ 是に預りめされたらば今一度見申さふと 詞の中に箱取出し 袋をひら
き持寄れば 成程是々 浮牡丹に違ひない かういたそ マア五両付けておくりやれ

直がなつたらば明日屋敷から 金子持参致させう 同じならば今日中に なるならぬ
を聞切て帰りたい 夫レならば追付中買も来る筈 見苦しく共しばしが中 あれへござつて御
休足なされませ 夫レは幸い 然らば少しの間 座敷御無心申さふ 御免/\と伝八が 案内に
連て入にける 待間程なく中買弥七 ヲゝよい所へわせられた 幸い香炉を求たがる
お侍もきてなれば けふ埒を明きやらぬか 埒といふてどのくら物じや ハテけさいふた通に負
きやいの イヤ/\けもない事 所々方々の開帳へ借しても 損料は夫レ程取る 八十両
いへ発句から安ければ まけぬ/\ 夫レならおれが取口銭を打込で 最一両で手を打ふ


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さればのふ 急に小判にしたいのなれば 先へ問ずと負もせう さらり/\と手を打て 扨
いはぬ事はわるいが あすでなければ金が渡らぬ 其時香炉と引かへ ヤア夫レではこつちの
工面が違ふ 百両の代物を五十両に売払ふも けふ金子にしたさ故 所詮こりや
埒が明まい 人の大事の道具じや 香炉をこつちへ戻して貰ふ エゝ埒もない事に足
手を引て悔しい コレ弥市 そふもぎどふ(没義道?)にいはれな 向ふもかたい武士なれば あす金
を渡さふといふ義定はちつ共違ふまい ハテひつくどい あすといふてはならぬと云に
同じ事をじば/\と じたいわごりよが埒明ず あかぬも道理 漸此比是の内へ奉

公にきて 道具の道もしらず五十両といふ香炉を 夢に見た事も有まいに肝
煎かきやるが大きな間違ひ ムウあぢな云分 道をしらふがしるまいが 香炉を肝
煎て買はしたら何とする ハゝうまい事いはれな 五十両といづ金 盗みせうばしらぬ事
あたゝかによう出よふぞと 気を持たすれば猶せき上 出て見せうがわりや見るか イヤなる
まいとつのめだつてあらそへば 伝八も出て横つつぱり あゝいはれては清七立まい 朋輩
迄の顔よごしなれば 旦那から請取た屋敷のかはせ五十両 伝八が借してやる 此金渡し
て男を立い 誠にそふじや忝いと 封押切て五十両 香炉の代金サア請け取れ 最(も)


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一度ほうげたたゝかいでなと 小判ぐはらりと投付れば 弥市はにこ/\ひろい上 畢竟今
の様に云たも けふ金が請取たさ 商人はあいみ互 耳にさはつたら了簡さしやれ 仲間どし
はいらね共 素人から出た道具なれば 念の為じや売上書ふ ドレ硯かさつしやれ イヤモウ
そふいやれば云分がしたにもない 夫レなら嬉しい又堀出しが有るならば持てきませふ さら
ば/\もそこ/\に 金受取て立帰る 一間の中より最前の侍 刀引提げ立出 扨お手代しう
先ず以て今日は忝い 座敷を御無心申した上 色々馳走に預り思はず一睡 さらばおいとま
仕らふといふを清七しばしとゞめ 扨お頼みの彼香炉 どふやらかふやら五十両のさか

りと埒は明きながら きのどくはけふ中に金請取申て 私とやつゝかへしつ 詰ひらき
の上で 当分手前の金子お取かへ申たれば 明日中に香炉の代金 お渡しなされて
下さりませと 聞くもあへず イヤコレ若い者 手前其方を頼みて 香炉買た覚えがない
ハゝゝ御座興も事による イヤ座興でない真実じや エゝきのふもけふも香炉を見
て 金五十両に直段をお付なされたを朋輩共も聞て居る 夫までも覚な
いじや迄 ムウこれお侍 いかに口先の契約じや迚 今さらそふはいかれまい 騙りと見た
りや猶以て 首筋おさへて買さにや置かぬ イヤこいつ慮外者 身に覚えのない


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事を云かけるさへ有に 武士をとらへて衒(かたり)とは 素町人めどのほうげたでぬかした サア
今一云いふて見よ真二つにぶち放す イヤ/\云まい おれも後からの町人でなければ
知て居る そふした武士の性根で人が切る物でない ヲゝ切て見せううごくなと
刀の柄に手をかくれば 伝八中へわつて入アゝおまへのが御尤 先ずしばらくと押とゞめ コリヤ
清七 今の金戻して貰ふ イヤサ其金は此侍に請け取て戻さふ 此香炉を夫レ迄の
質物 アゝいふな あす戻すかはせ金に 質物取てよい物か 扨は弥市めとぐるに
成て此伝八を騙たか 親方へのめんぱれじや 覚悟しおろと飛かゝり たぶさ掴んで

投付る強力者 せほねにぐつとのつかゝり大盗人の生衒と 握り拳でめつた打そ
このけ伝八 悪口ぬかした其ほうげた 蹴さいてくれんと踏付/\相ずり共が責せつ
てう かよはき清七手さしもせず無念/\ の声に驚き親方孫右衛門團七も
走出 伝八が首筋つかみ引かづき取て投 踏付れば侍がずはと引抜切かくる 利き腕取てぐ
つと捻上げ顔見れば 我が舅三河屋義平次 ヤアこなたは ナニ御自分ははてな/\ お侍
じや迄 御人体に似合いませぬ嗜れよと突放せば 舅も俄にりきみをやめ
えい所に聟が居てにせ侍の手め上りと 水浅黄の帷子をに汗ひたして尻こ


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みす 親方はかく共しらず 段々御立腹御尤 とかく憎いやつは手前の家来 たとへ
香炉を求めふとおつしやつたにしてから とくとあなたに行ききはめもせず 金お
取かへ申たは清七が無調法 殊に其弥市といふ者中買で聞及ばず 何にもせ
よ有論な事 マア此浮牡丹の香炉から 合点がいかぬと袋をひらき手に取上
ヤアこりやにせ物 ものゝ見るにかたられたと 聞くより清七ずんど立て かけ出すを
こりやどこへ 弥市めをほつかけてかたられた金取返す ハイあまい事いはれな 是程
の事仕出すやつが 此あたりにまひ/\とうろたへて居てよい物か 気づかひせまいもふ

是から此團七が どいつもこいつも詮議して かたられた金取かへす コレお侍 御自分に
は猶以て ぐつと云分の有人なれど 心が有て今は云ぬ 足元の明い中とつとゝ早ふいな
れいと 突飛せどびく共せす 身のあかりさへ立たれば 居よといふても爰には居ぬ
町人めらを相手には猶せぬ 親方もどいつもこいつも 云分はないじや迄と立上ると コレ
お侍マア待た 待てとは身共に用有か ヲゝ九郎兵衛がいふ事有る ヤアこなたはの 見るも
中々腹が立がよふござつた ヲゝ帰るはとしらばけに 家来引連立帰る 孫右衛門眉
をしはめ 何をいふもかをいふも皆こつちのぶ調法 手前の用心よふすれば


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盗人にもあはず 巾着切に取られもせぬ ヤイ清七 儕も是迄奉公も仕付けず
わるうそだゝぬやつと思ひ 不便をかけてつかふたれど 大まいの金を騙られたは引負い同前
金の済む迄請人なれば九郎兵衛に屹度預ける アゝ成程 そりやもふ請に立からは覚悟
の前 騙られた金のいきは 詮議しぬいて御損はかけぬ サア清七殿立た/\ イヤ/\
まだ明い内に其形(なり)でいなしては 此孫右衛門も名が出る 此編笠をと親方の御
恩を戴くめせき笠 いひかいもなき不届者とおにくしみも有べきに お情けふか
き御詞有がたし忝し 私迚も金を騙られ打擲にあひ どふながらへていられふ

ぞ 清七が心の内 御推量なされ下されと 悔み涙に顔をも上ず もふお暇と団
七が預かりおも荷と又有の荷一荷にしやんと打かたげ 表に出 アゝこれ大事な
い/\ 此九郎兵衛が居ますわいの サア/\きな/\思はずと早ふごんせ エゝ残り多い
さつきの時 あいつが脛骨 ぼつきぼきとおつてやりたい 鯛フンや鱧ヲコウ
生イ鱸や より物コウより物 車海老 売々連て出て行も はや世間も店
さし時分 伝八表に気を付けてとつくりと錠おろせ アゝ一日も苦のやむ間がないと
つぶやき/\奥に入立 にもあられず 娘のお中人のない間を窺ひ 表の方へ走


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出 ヤア清七はもふきやつたそふな 互に詞はかはさず共せめて顔を見てなり共
暇乞と思ふたにひよんな事してのけた あの金の済む迄は逢ひ見る事も なる
まひし 清七の今の詞を聞に 生ながらへては居ぬ心 わしも行から追付けて死は一所
とかけ出 表を見れば錠おりたり アゝ悲しやどふせうぞと 立たりいたり狂気のごとく
身をもみ あせり嘆きしが 夫レより一時も 早ふ先立二心なき心心底見せん
と娘心 で 一筋に思ひつめたる手箱より 取出すは数珠剃刀 此世の 縁は うすく
共 未来はひとつ 蓮(はちす)ぞと 涙ながらにくる数珠の いとをしやとゝ様の わしが死だら

悲しかろ 此清七も今頃は どこにどふして居やるぞい 最一度顔が見て死たいと声を
も立ずさめ/\゛と忍び 涙にくれいたる 乳母は娘の形そぶり心を付ていたりしが
後より何気もなふ お中様何してぞと 声をかくれば恟りし ヲゝ乳母とした事が
きよと/\しい声わいの 今宵はかゝ様の逮夜なれば 夫レで数珠をくつていると
けんによもない顔付を 乳母はつれ/\打ながめ エゝこなたは聞へませぬ 生落ち
さしやると 十七年のけふ迄そだて上た此乳母に なぜ物をかくさしやる ヲゝ
あの人の 隠すとは何をかくす あれまだあらがふてじや 其顔鏡て見たが


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よい ソレ目が泣はらして有るわいの 夫レで物を隠さぬのか とうからこなたと清
七と わけ有事しつている アゝよしない事じやと思ふたれど ひとつ子の事なればとふ
で聟御を取ねばならず 気にすいた事ならば アゝどふなりとゆく/\ 旦那の耳
へいれうと思ふていた中に思ひも寄ぬ 清七殿の仕損ひ 金の済む迄請人に
預けたをこなたの気では 万劫末代逢見る事も成まいかと 思ひ詰てさつき
にから死ぬる覚悟で有ふがの 万一其身にもしもの事が有たらば 跡にのこつたてゝごの
身ではなんぼ程悲しからふぞ 殊に此春の大病から あのよはりが目に見へぬか こん

な事聞したら 先へ死でのけさしやろ 云さへ涙がこぼるゝと嘆けば一間の内よりも 親
孫右衛門の声として 乳母よ/\ 用が有早ふこい アゝアそこへ参りますと 鼻打
かみて声をひそめ それのみならずお袋様御臨終の枕元へ 此乳母を呼付け
何にも 心にかゝらねどよみぢの障りは此娘 わがみ母に成かはつてそだてゝくれとの
一言が 耳に残つて忘れねば 乳母はコレ此様に 皺も白髪もいとはず こなたの背
長の延るのを 蝶よ花よと楽しみておのれやがて聟様を取玉の様な子を産まして
乳母が死だ其時に めいどにござるお家様に 土産にせうと思ふているに 病でも


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有る事か 美しい其肌に やいばをあてゝ死ふとは 未来の母御をならくへしづめ アレ此世
のてゝごや コレ此乳母にも 泣死ににしねとの事か あんまりむごいどふよくなと
声をも立ずかきくどけば娘も供に正体なく 乳母誤たこらへてたも やいの/\と
手を合せかつぱとふして泣居たる 乳母よ/\ さつきにから呼に埒の明ぬ お中もきり
/\ねぬかいやい アイ/\もふそこへ参ります コレ乳母 呼でじやにマアいきやいの いや/\
いかれぬ おれがいた跡で こなたか此剃刀で是うせうでじやのヲゝおとろしや コレよふ聞つしや
れ 今はやる心中も 金と不孝に名を流す 清七の誤りも 五十両有ればつくらはるゝ

爰な身体から見てはかるい事 たとへ千両万両でも 我子にかへる宝はない 此
乳母が金迚はなけれ共 気づかひさしやるな どうぞして金とゝのへ清七殿さへ帰
参仕やればそはれまい物でもないと 力を付ける折こそ有れ 乳母よ/\ 用が有にな
ぜ来ぬぞと孫右衛門はいきせき立出 おれもけふのもや/\できつう気がのぼつたや
ら 戸棚の鍵の置き所をとんと忘れた わが鍵を借してくれ ヲゝ夫レはひよんな
事やの わしがのは長持と箪笥と数もない二つの鍵 ハテ二つしや迚合まい物かあは
ねばもと/\ アイ成程どれ/\と 吹ちりそふな巾着より 鍵取出せばヲゝこれ/\と提て行


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お中様あれ見さしやれ 時々はあの様に 金戸棚の吟味が有ては 思ふ様に成に
くい アゝどふしたらよかろふと 思案とり/\゛様々に ふたりは胸をいためける 乳母よ
/\ 今の鍵がよふあふたぞ 金戸棚を明て見たれば中にきよろつと入て置た
アゝ年寄は物忘れ ソレ鍵もどそ 宵から是が気にかゝつて むしやくしやと
ねられなんだに 是でさつはりと夜がねよかろふ お中もねびへせぬ様によふ着
てねよ 若しわしが煩ふたらはおりや何とせうぞいやい 乳母も休めと孫右衛門心を
残して入にける さつてもふしぎしや おへお家様のござつた時 てうど此様に金戸棚の

鍵が見えいで 此鍵を合して見たれど けもない事あはなんだに 今此鍵のあふた
のは合点がいかぬとよく/\見て コレお中様 今迄二つ有た鍵が 三つになつたはこりや
どうじや ほんにの 此鍵はとゝ様が ふ段さげて居さつしやる 金戸棚の鍵じやは
いの エイ夫レなれば此鍵で 戸棚を明けで金取れと 口ではいはれず心の謎々 アゝ忝
なやたうとやな 是皆親のお慈悲じやぞや マアコレちやつと拝まつしやれと いへば
娘も後ろかげ ふし拝み/\嬉涙にくれ居たる 乳母は悦びサアお中様 一時も早ふ/\
と気をいらてば イヤ/\まちや とゝ様はまだねずにてあろ とがめられやらどふ仕やる


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おろかな事いふてじや コレ親の慈悲にはの 目を明いて寝てござる おれ次第にして
サアござれと打連れ納戸に入にける夜も早四つの兼てより 思ひ定めて清七 頬
かぶりに一腰ぼつ込み内の様子を窺はんと門に耳寄せ聞ぞ共 しらずお中は今宵
の首尾 清七にしらさんと 恋にはふときかゝへ帯 引しめ/\表に出 エゝひよんなまだ
錠がおりて有ると つぶやく声を表に聞取 お中様じやないか そふいやるは清七か のふ
なつかしや顔見たやと思へど叶はぬ此錠前と ?(くぐり)にひしと身を寄て声をも 立
ず嘆きしが 扨も/\そなた故 けふ一日の物思ひ イヤわたし迚も金を衒れ 團七に預け

られのめ/\としていられず 拙者が難義の元はといへば おまへの事を妬に持つ伝八
が皆する業 きやつを今夜人しれず ぶち放して仕廻合点と いふをお中は聞取て
イヤ其思案はよしに仕や 夫レに及ばず悦ばす事が有 コレよふ聞や 口でこそおつ
しやらねそなたにやれととゝ様が 金五十両下さつたと 聞より清七手を合せ 主人
のお情け有がたしと 戸に耳を寄せ口を寄せ 咄す折から内よりも お中様/\と呼声に そりや
こそ人よと清七は 四つ辻の番やの戸引明け内に忍びいる エゝお中様 旦那様の読んでじや
に爰に何して居さつしやる 惣体今夜はそは/\と合点のいかぬ身ぶり 夫レまで此伝八が


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戸口に錠をおろしたれど おれがいれば気づかひないと 鍵取出し?戸押明 お中をほう
どひんだかへ 旦那の呼しやる嘘おれがこなたに逢たい故 ちよつとござれと口に手を当 む
たいに表へ引ずり出 コレよふ聞つしやれ 清七めをぼひまくつたはこなたになびいても
らひたさ 所詮親方の内ではしごんじが有ふと思ひ こなんをくつすり入て置 どや
迄しがくして有れば 是非今夜かたげて退く 最返り内へいてへそくり銀(がね)取てくる間
爰に待てといふた迚待てじや有まい イヤ幸いな入れ所と 泣しづむをむりやりに
番屋へ押こみ手もりをくふて伝八が 外からしやんとしめくゝり 扨どふして

かふしてと胸算用のどう中へ 提燈さげて中買弥市 是は/\ よい所で伝八
殿 けふは互に上首尾/\ 昼の儲けの五十両 三河屋の義平次と こなたとおれと三つ割
金渡す請取しやれ ヲゝ成程/\ 早速ながら頼みたいは彼のお娘 今夜連てのく工面
で番屋へ入て置たれど おれが今いごかれぬ 大義ながら彼のどや迄連ていて 伝八がい
く迄いごかすなと云てたも 頼む/\と云捨て内へはいればヲゝ合点生者(なまもの)を預かるからは
油断がならぬと尻引からげ サアお娘出られいと 何心なく番やの戸 くはらりと明けるを灯
影にすかし 弥市めか ヤア清七か こりや叶はぬと逃行くをぼつかけぼつ詰めぬき打


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に かた先より背骨迄 大げさに切はなせば 其儘息は提燈と供にきへたる
きんほの闇 かく共しらず伝八は 弥市/\とくらがりを さぐり廻つてハア爰には
と 清七が手をじつと取 今取て来た此かねと わか口の金と二つゝみ そなたに
渡す 是でよい様子にどやの支覚(しがく)してたも 命金じや落すまいぞ 追
付そこへいく程に早ふ/\ おむすもめろ/\泣くまいと いふ中に伝八/\ 早ふ/\
と呼立れば アゝせはしや是では何をいふ間もないと 一度ならず伝八が 二度の手盛に
うまい/\と舌打して入ければ コレ清七 お中様 サアござれと手を引立行方も知らず 「走行