玉藻前曦袂 四段目 神泉苑の段

 

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     ニ10-01240

 


51 左頁最終
第四 神泉苑の段   「わかれゆく 


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安城大内裏築地の内に散繁る 木々の紅葉の紅ひを 一つ所にかき寄る
箒さらへの跡迄も 是ぞ都の錦なる 衛符(えふ)の仕丁が寄たかり 何と平作 此神
泉苑といふ所は物すごい小気味のわるい所じやの ヲゝそりや知れた事いの 此地に
は龍神が居るはいやい ヤア何といやる 龍神が居る 其龍神といふ仁はどんな仁じやぞいの
アゝ甚太平我も嗜め 龍神といふ物は蛇体じやはやい 暮あの地で小野の小町が
雨乞に ことはりや日の本なれば照りもせめ去迚は又天が下とは といふ哥を詠みしやつたら
三日三夜さが間しだらでん 奇瑞の有る池じやはいやいとしかつべらしき講釈を 聞て

こなたは呆れ顔 そんなら小町といふわろが ことはりやと歌を詠んで雨をふらすとはテモマ
えらい幻妻(げんさい)じやな こちの嬶めは雨乞ではない 借銭乞にいつでもことはりやと
やりかけるけれど 雨はふらいで火が降るはどふした物じやな 夫レはどふでも陽気の高ぶる
丙午でかな有ふぞい アゝ恐ろしやの丙午 イヤ夫レはそふと此間は帝様の御悩(のう)じや
といふて 御前の内はひそ/\とかんこ鳥 御悩といふは上様か病でも廻つしやるのか
いの そりやお能じやはい 御悩といふは御病気の事じやはいやい 此頃玉藻様といふ
お后がお入なされて 間もなふ悪いは何病じやぞいの サア其御病気は大和錦


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じや 何じや大和錦 テモマ色々の病が有るの ハテ二畳臺の畳のへりじやと
いふ事しや ハアこいつはよふやりをつた したが玉藻は精分の薬じやないかい
何をそりや玉子じや どふでも御寝所でとぢ付いてふは/\さしやつた物で
あろと ちらも晩には山の神 茶碗蒸のむしかへし あたゝまらふと夕間暮箒
さらへを打かたげ 玉敷く庭のそこ爰と木の間/\を清め居る 折からさつと一陣の深(み)
山おろしにさそはれて 次来る魔風砂(いさご)を飛ばし 黒雲空に立覆ひ目ざす
もしらぬ暗夜の内に 顕れ出し老狐の形ち眼こは日月電光のひかりに

わつと仕丁共かしこへどうど倒れ伏 神通自在の件んの妖怪木々の葉隠れ逸
散に 神泉苑のみぎわの方底はかとなくかけり行 九重の南面に御溝の
水につゞきたる 神泉苑の池水に 浮む玉藻の前(まえ)後うつす姿はさながら
月の面かげ 雪のはだ 花の粧ひたをやかに 此世の人とは見へざりき アゝ嬉しや
化粧(けはい)負せし我姿 是より直ぐに夜の御殿へ入込で 帝の御悩もいつもの時刻
そふじや/\と身つくろひ 御殿の方へあゆみ行 後ろの方に声有て 玉藻
の前暫し/\と呼とゞめ 立出給ふ薄雲の皇子 姫は後を返り見て 誰と


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思へは皇子様 わらはをとゞめ給ひしは いかなる仰の有やらん イヤコレ玉藻 いか成仰と
は曲がない そなたをふつと思ひ初め度々毎にてくどけ共 否応の返事もあせぬ
は余りつれない 爰であふたが是幸ひ 是非に/\と有ければ イヤ申し皇子様
自らを誰と思召す 当今鳥羽の院の后と定まる玉藻の前 くどき給ふは
不義邪(よこしま) ヲゝ其邪合点 そなたの姉の桂姫兼て心をかけし所 承引なきゆへ
金藤次に申付け首討せたり 又そなたは杜右近鳥羽の院が招き入て宮女とな
す 朕(まろ)が始めて見た所姉に増さりし其器量 忽ち恋慕の思ひにしづむ 丸(まろ)は

兼々弟宮に位を奪はれ 無念骨髄に徹したれば 鳥羽の院を遠島させ
王位に昇るらん我望み そなたへ心に従はゞ 直ぐに皇后女御様 従ひ給へと寄
添て くどく姿は鬼あざみ 玉藻の前は顔打守り 今おつしやつたお詞か 私が
為には百千の誓紙に増る 御言の葉に 必ず違がへ給ふなと 膝に寄り添その
姿 露を含みし姫百合の 風にもつるゝ風情なり うつたわいもなき皇子 ハゝゝゝ
ハテ知れた事 弟天皇を追退け丸は天子そもじは皇妃 綸言は汗のごとし 再びかへ
らぬ我叛逆 ちつ共違ひはないわいの 本心明かす皇子の詞 とつくと聞て玉


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藻の前 袖打はらひ気色を糺し 其本心を聞く上はわらはが望みもお聞かせ申さん
元自らは人間ならず 天地開闢の始めより 億万歳を経し狐 三千世界を魔
道になさんと 天竺にて班足王の后花陽夫人と化(へん)し 唐土にては殷の紂(ちう)王の
妲己となり 又今此日本にて玉藻の前と変じたり 君御謀叛の心有らば我神
通の魔法をもつてお力と成奉らん 其かはりには自らが一つの願ひも叶へてたべと
頼む詞に薄雲皇子 驚きながら動ぜぬ魂 スリヤ其方は人間ならず 丸が
力にならんとはイヤモ頼もし/\と 其願ひとはいか成訳 包まず語れと有ければ コハ

有かたき御仰 願ひといふは外ならず 事成就せば此日本 神道仏道破却して 魔
道を立て給はるべし 願ひといふは是一つと 逐一聞て打うなづき云にや及ぶ 夫レこそは我
兼て望む所 天皇をぼつ下さば御裳川の宗廟を打こぼち 仏もたゝらに焼き亡し
神社仏閣破却なさん ちつ共気遣ひ致すなと 受がふ詞嬉しげに 只神国を滅
せんには神の正体八咫の鏡 是を穢さば魔界とならん 我三国の邊歴して
神通自在は得たれ共 只恐るゝは獅子王といふ名釼 支那国普明に妨げられ
本意を達する事あたはず 今日の本に伝来して 又もや害をなさんかと 心


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かゝりは是一つと 聞くより皇子は何の/\ 兼て王位を望みし故 とくより奪ひかくし置く
百虫の血汐をもつて鏡を穢さば世は常闇 又獅子王の名剣も我手に有ら
は心の儘 ハアゝ有難や 其釼こそ神道の徳を失ふ魔道の仇 爰に有
ては行ひがたし 何卒五機内の地を遠ざけて 辺土の土地にサ捨給へ ホゝ然ら
は其義は兎も角も何かの咄しは奥殿にて こなたへ来たれと先に立ち 日本の天
魔異国の邪神 神の御末は紫の 底ふみしたく緋の袴 引つれ御殿へ
伴ひ行 木影に窺ふ美福門院 あまたの后立出給ひ ノウいづれも今の

をお聞遊ばしたか アイ皇子様の御謀叛 シイコレ何事も密かに/\ 聞捨ならぬ
一大事と 互にさゝやき点頭(うなつき)合 跡をしたひて后達 神泉苑の木隠れに
 廊下の段                   窺ひ/\ 「追て行