仮想空間

趣味の変体仮名

玉藻前曦袂 五段目 祈りの段

 

読んだ本 http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/index.html

 

     ニ10-01240


79左頁  
 祈の段
程なく跡へ入来る陰陽の頭安瀬の泰成 えぼし狩衣かいつくろい階の 元に


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平伏す こなたの御簾かゝげさせ 玉藻の前はたをやかに粧ひかざり立出
て 殿上に座し給へば 亀菊は会釈して 安瀬の泰成殿 玉藻の前に尋たい
様子との願ひ 何事かはしらね共 決断して正せよとの王子様の仰 サア泰成
殿 お前のふしんの趣きを 直にお尋申さんせと 差図に泰成頭を下げ コハ
有がたき御仰 ふしんと申は余の義にあらず 此程帝は御悩にて大殿ごもりなし給ふ
是全く宮中に妖魔の有てなす業なり 早く是を退け有れと 奏問
すれ共玉藻の前 さへぎつて是をこばむ 其心底はいかゞぞと 尋ねに玉藻は

笑みをふくみ 人は病の器成妖魔の業とは事おかし 其妖魔とは何をさし
て ヲゝ其妖魔こそ外ならずさいふ汝玉藻の前 何此玉藻の前
を妖魔とや 自らは化生にあらず 右大臣道春が娘 素性正しき帝の宮女 それで
も化生といふべきや ヲゝすべて化生といふものは 人間の陰気につれ 皮肉の
間へ分け入って 障碍をなす 汝は正しく三国伝来 金毛九尾の狐其証拠は過ぎし
頃 清涼殿にて御遊の時 御殿のともしび一度にきへ 物のあやめもわからじに
門院始め官女達 前後よりねらひ寄 其時汝が全身より光りを放ち 殿


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中は昼のごとくに輝きしが 是ぞ慥な証拠なり サ返答有りやと詰よれば
あのまあ仰山な泰成の詞 身より光を放ちしを化生の者といふなら 昔允
恭(いんぎやう)天皇のお后は 御身玉の如く光り輝き 衣の上迄通りし故 衣通(そとをり)姫と名
づけ給ふ 又聖武帝のお后は 光明輝き給ふ故 光明皇后と申奉る 光りを放つ
が化生なら 光明皇后衣通姫も化生の者といふべきか 左程の事を弁へず陰
陽司は心元ない 返答仕や さしもの泰成一句もなく口を つぐんで居たりける
亀菊始終とつくと聞 遉粋な玉藻の前様 今のせりふで承知しました 気の毒

ながら泰成様の負け公事(くじ)/\ サア立しやんせ お次へいて茶でも呑て逝しやん
せと 立んとすれば先ず々暫く 恐れながら今一応 臣が願ひを御聞届けと
とゞむる詞に立留り まだせりぐが残つたかへ アゝもふよしにさんせいで 笑止なお
方では有はいのふ イヤ捨置がたき帝の御悩 平癒の為に泰山符君 御殿におい
て修行致さん 玉藻の前を幣取の役に命じ給はらば 有がたからんと願ふにぞ
イヤそりや悪からふはいな 玉藻の前は前々も帝様のお后 外の女中にさしやん
せと いへは泰成 イヤ/\占の秘法にて相尅の女にては印なし 玉藻の前は相


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生なればひらにお願ひ申たいと 詞に是非なく申し玉藻前どふしませふへ 帝
のお為と立からは いなみ申すも恐れ有 自ら役を相勤めん それはきついお慮外じや
が頼まれた私も立つ そんなら用意さしやんせと 勅命下れば泰成は悦びいさみ
退出す 玉藻の前はしづ/\と御簾 深くぞ入給ふ 跡には一人亀菊が 何か思ひ
の有るぞ共 いさ白砂の 木隠れに 忍び出たる釆女之助 それと見るより声をひそ
め 兄泰成の差図によつて とく/\より是に窺ふ某 御宝の首尾はなんと さればい
な 疑ひもなき王子様の御謀叛 門院様のお頼ゆへ 色に事寄せたばかつて 奪ひかへ

した八咫の御鏡 龍のあぎとの玉は得る共 又も得がたき此神鏡 片時も
早ふと取出し 渡せば取て押いたゞき 御謀叛露顕の上なれ共 当今の兄
宮なれば あら立ては事の破れと 種々に心をつくせし所 取かへされしは亀菊殿
遖のお働き 君にもさぞや御悦び 万事は後刻と懐中し 立別れんとする
所に いつの間にかは薄雲の王子 につくきやつ原遁さじと 切付け有れば 亀菊は
王子の御手に縋り付 コレ/\/\釆女様 爰構はずと御鏡を 早ふ/\ 泰清は逸
足出してかけり行 跡に王子は歯ぎしみ歯切 思へば無念と亀菊が 髻掴


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でくつとねぢ付 万客に肌をふれ 恥を恥共思はぬ売女 我寵愛の恩を
忘れ 仇でかへす人畜生 思ひ知れやと亀菊が あばらをぐつと縁板へ ぬい付給ふ
怒りの刃先 えぐりくるしい息の下 のふ御尤でござります 御尤でござります
はいのふ 元わらはゝ御家来の 那須の八郎宗重が娘 生れ落ると父母に別れ
江口の里に人と成 けふよ翌(あす)よと過せし内 父宗重が末期の一句 何卒君
を善心にと 門院様も御頼 君をたばかり御宝を 奪取たるおにくしみ お腹いせ
には此體 一分だけぢか竹鋸 いか成る苦痛もいとふまじ 御心をひるがへし善心に成

てたべ 頼みまするといふ声もせぐり苦しき息づかひ心ぞ思ひやられたり ヤア
聞きたくもないよまい言 うぬら如きが千万人 異見諌めを聞くべきや 望に任せ成
敗は まつ此通りと肩先背中 情用捨も荒気の王子 非道の刃に
はかなくも 此世の息はたへにけり 折しも奥は檀上に不浄を 払ふ 鈴の音 互
にたぐへて喧(かまびす)く 人や見んかと亀菊が 死骸をかしこへ蹴飛す不敵奥殿 深く
ぞ 「入にける 陰陽の頭安瀬の泰成 願ひによつて禁中に檀を構へ秘法の燈
燭供物を備へ 檀上には玉藻の前 大幣(ぬた)取て 立給へば 泰成是に打向ひ


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泰山府君を 行ひける 庭上には皇子を始 月卿雲客居ならびて霊験 今や
と守り居たる 檀上より玉藻の前いかに泰成 汝帝の御悩平癒の祈りと偽り 誠は
自らを化生となさんとはかる事よく知ったり 行法の力有らば 我正体を顕はし見よ
と欺(あざけ)る詞に安瀬の泰成 ヲゝいふにや及ぶ 立所に名剣の威徳を以て 妖魔の
姿を顕さんと 腰に帯せし獅子王の 釼を抜けば忽ちに あたり明動稲光り 檀
上なる玉藻の前 憤怒の姿を顕して エゝ無念な 推量の通り我こそは 三国
伝来の狐なり 右大臣道春が娘 玉藻の前を取殺し 姿をかりて内裏へ

入込 王子の謀叛に合体し 此日の本を魔界になさんと思ひしに 神国の威に
押れ又は 釼の徳によつて 我が魔道をくじかれしか エゝ口惜やなァたとへ都を去迚も
再び那須野の原に赴きて 人民を悩まさんと 人声あつと叫ぶと見へしが 金毛
九尾の狐と変じ虚空をさして飛去れば 泰成持たる大幣を はたとなぐれば舞
上り都をしたふて 追て行 王子見るより飛で出 我反逆の片腕と思ひしに
玉藻の前 内裏を立さる此上は 一味の公卿をかたらひて 花々敷き軍せん 者共
用意と有ければ 忽ちひゞく金鼓の音乱調に打立/\ 三浦之助義明上総之


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助広常 官軍を引連れ庭上に大音上 王子の御謀叛露顕の上は 我々討手に
向ふたり覚悟/\と呼はれば ホゝゝゝ小しやくなる燕雀共 此上は天皇始め公卿の奴原
一々引さき捨んずと あれに荒たる勢ひにて殿中深く入給へば 両将つゞひてかけ入るんとする
所に 釆女之助御鏡携へ入来り 亀菊が貞節にて御宝再び手に入る上は 王子
の一命を助け 四国の地へ遠流なせよとの勅命 又三浦之助上総之助は 片時
も早く那須野に赴き野干退治をなすべしと 御釼神鏡さし出せば 両人はつと
領掌(れうじやう)し コハ有がたき君の勅諚 直ぐに此儘発足し 不日に野干を退治せんと官軍引連

那須野の原の段     勇立那須野が原へと 「たつか弓