仮想空間

趣味の変体仮名

嬢景清八嶋日記 第貮

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
       イ14-00002-781  幷 イ14-00002-782


25(右頁三行目)
  第貮
はるけきそらや 野も山も 草もあを/\こまがへり下嵯峨の
里はづれ 鎌倉より御上使のけふお下向と庄屋年寄 未明より
お迎ひに出て松かげのはきそうぢ 箒のさきも槌で庭俄事と
て立さはぐ 嵯峨の兵衛と所では小口もきいて頭ぶん 是も上使

のお迎ひとてひとりとぼ/\あゆみくる おなじ道すじいそがしげ
に むかふへ見へしがつそうは やぶにもこうか此道とすりちがひにかほ
見あはせ イヤ道滴老(だうてきらう)かおひさしや 是は扨兵衛殿よい所でまはり
あふた 先もつて御そくさい互に重畳/\と互法の挨拶そこ
/\に道滴はなをおもてをやはらげ 先頃それがしが療治くは
へし手おひのきやくじん いまだ貴宅に滞留かとたづねれ
ば なるほど/\まことに其せつは御苦労 それよりは手前を


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ほんといそがしさにお礼にもまいらず おかげによつて疵も平癒
それはそふと今日はいづかたへの御出ぞ サレバ/\ 上使のお下りなさ
るゝあいだ御迎ひに出るやうにと名主方よりふれに付き只今伺公
仕る ヤアそこもとにもおもかひか手まへとても同前 思ひ合た
りいざ同道 しからば一しよといふところへ 庄屋としよりかけ来り
ハレやれ/\御両人何をして居らるゝぞ 御上使はそれそこへ
したに居た/\かしらが高いとはげあたま土にすりつけうや

まへば 嵯峨の兵衛も道滴も共に頭をさげいたり 並木の間にちら/\と
朝日にかゝやく鑓印 上使といへるは誰ならんと見る間程なく優美の相 千
葉助常種児玉党前司頼国 にがみはしりし顔付は黒白違ふて見へ
ながら相役義とて相ならび挟箱に腰打かけ左右にわかつて控へたる 槍もち
奴が釣鬢も威有てたけく見へにけり 常種声もおだやかに ヤア/\庄屋
嵯峨兵衛とはあの老人な是へよべと有ければ ソレ出れよと庄屋がさ
いばい アツト嵯峨兵衛何事の御用ぞと疵有る足のおもたくも おづ/\


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御前へはひ出れば 近う/\と間近くよびよせ 聞もおよびつらん平家都
をひらきて八嶋へ落行し公達の内 新中納言平の知盛のちやくし
近国に忍ぶ由方々と詮議せしに 武蔵守平の知章おなじく妻女玉
衣姫 汝が方にかくまふ由注進有て慥にきく 行向つて両人が首とつてき
たれと 頼朝公の仰によつて我々両人むかつたり 急ぎ住家へ案内せよと
聞より兵衛は胸に刃さしつまつていたりしが 心をしづめつゝと出 コレハ思ひも
よらぬ事 近付きでもない知盛 其子息の智章とやら 何のゆかりで私が

かくまひ置ふいはれなし 正しくそれは人たがひ 但しは人の讒訴(ざんそ)ならん ハレ此年まで
遺趣遺恨めつたに請る覚はないが何者のかげ言と 取てもつかぬ返答してそら
うそ吹ていたりけり 児玉党前司頼国は相役の詞を待かね ヤア横道な親
仁め 新中納言知盛の家来監物太郎 玉衣姫諸共に己が方へ任せし事くは
しく言上せし者有 此方より押かけて討取る事はやすけれ共 最期の覚悟もいたさ
せ名残も互におします為と途中へよび付いひ聞せうを有がたしとは
思はず あらそへばよい事としら/\しいつら付 しやつ頬(つら)めいでくれんずと にらめどお


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どせどびく共せず いか程においかり有ても此方には覚なし 訴人有とは何者
と いふをこらへず道滴は コレ兵衛殿おくされな 訴人といふは某 知章が面体を
見しつている因縁をいふてきかそふ もと某は三位の道盛の家臣 伊賀の
平内といつし者 須磨の内裏軍の砌軍勢さいそくを幸に都を立のき
此所へ下るとはや そうごうをかへ外科道滴 御辺の方にて療治せし 肩口に
疵有し其手おひこそ知章よ かれは我を見しらねど某はよく見覚たり
かう顕た上なればかくしてもかくされぬ 白状せい嵯峨兵衛と争ふ詞を

二人の上使耳をすまして聞取る顔色 嵯峨兵衛はを喰しめ 扨は己が訴人
かと にぎりつめたる脇指の柄もひしげる斗也 道滴は上使に向ひ かく訴へし
御褒美にはさきだつて願ひしごとく拙者が罪を御めん有命をたすけ
下さるべし 早おいとまと立上るをこらへかねて嵯峨兵衛 まて/\道滴用有と
一声かけてぬきはなす シヤ小ざかしい老ぼれめ 持あいたら白髪首 さらへお
としてくれふずと飛しさつてぬき合す中間若党年寄の庄屋 コハ何事
ぞしづまれと 驚きさはげば常種頼国詞を揃へ ヤアこと/\敷雑人原


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かれらが口論批判する役義にあらず 知章や玉衣が首取るよりほか
役目はなきぞ かまふな/\ ハテ長途のつかれによき慰みと心づよくも
まもり居る こなたの二人はしゆらのちまた さがの兵衛は老の一途 道滴が老
人と見あなどりたる太刀さきを つけ込/\たゝかひしはあやうかりける
「次第也 一心念力てつしてやたゝみかけて切込む刀 道滴は請はづしあばらの
はづれに切こまれ うんとのつけにかへりしをすかさずよつて馬のり
に どふどまたがりふるひ声 己が命たすからふとて よう訴人しおつたなァ

思ひしれときもさきへぐつとつゝこむ一えぐり 脇差の身はほそけれど 
心はふとき老の腕 思ふさまにさし通し につことわらひ立たるは嬉しさ思ひ
やられたり され共のがれぬ所ぞと覚悟を極てどつかと座し脇指逆手に
取なをせば常種声かけ ヤアうろたへしか嵯峨兵衛 何故の切腹と 尋ればかうべを
さげ 御覧のごとく人を害し其科いかでのがるべき 見ぐるしくは候へ共老
のしはばら仕り 候といはせも果ず ヤレうろたへしとは其事よ 道滴は平家の
大将知盛の家来 くさをわけて尋る所汝只今討留しは源氏へ対し忠


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節/\ あつぱれの高名といはれて兵衛ハツト斗 にがみいがみの頼国 て
こねず共智章や玉衣姫が有家へみちびけ サア案内とぼつ立れば
命のばゝる嬉しさも公達や姫君の首を討手の道しるべ 此かなしさにくら
ぶれば目にはみちくる涙のしほ引かねたりし老の足 しどろもどろの胸の
そこ ふたりの上使におつ立られぜひなく力なく/\も我家にこそは 爰も都
の 下嵯峨や 所の名をも己が身の 嵯峨の兵衛と名は広く住家はせばく身体
は つゞくり兼たかやぶきの軒にかけたる釣かんばん よめぬ世渡り真草行(しんさうぎやう)哥書かな書き

の写し物 次にかけたる看板は上下衣裳仕立物御望次第と墨黒に二つはづ
さぬ交かせぎ 筆の先やら針の先身の浮しづみ定なき 水の流れやすみにご
る 知盛卿の御公達武蔵守知あきらは源氏の為にせばめられ やり梅が
古郷(ふるさと)をしはしが程のおくれ里 御夫婦共に時をまつ 御つれ/\゛に一間にこもり
平家の一門後生ぼだいぢい清盛の追善に一百本の大卒塔婆 手づからきざ
ませ給ひしは殊勝にも又いたはしし 夫や父のるすを守り遣(やり)梅は玉衣姫の
お傍はなれぬみやづかへ いざなひ奥よりあゆみ出一間のこなたに手をつかへ


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姫君はしとやかに 永の日を御退屈ちとお休みあそばせとの給へば遣梅も
日がな一日お気をつめ御病気でも出ればいかゞ それはそふじやが玉衣様
またしても/\申出すはくどけれど御元服なされてよりお顔のかゝりひたい付
知盛様にいきうつし 親子御とてあれ程に揃ひも揃ふて似る物かと ちよつと
寄てもひめごぜは男の顔に目を付る 知章も一間を立出 先程より主の
景清監物太郎が見へざるは いづかたへ行けるぞと仰にやり梅 サレバ父兵衛殿 此
村の庄屋殿より都から上使のおくだり 村ざかいまでお迎ひに出ませいとの

ふれ状 頭分(かしらぶん)はのがれぬ役とつぶやき/\出られました 又夫太郎頼方は受取の
うつし物 いそぎの物とて出来やいなやさきへ渡しにゆかれし故 玉衣様もお淋し
がり とゝ様のお帰迄かたい咄をとりおいて サアわつさりと色はなし玉衣様も殿様
のお傍にじつとすひ付て とも/\お咄しなされませと せなかをそつと押やれば
岩木にあらぬ知章もほゝえみながら寄そひて見かはす顔の妹背のなか
わりなくこそは見へにけれ かゝる所嵯峨兵衛顔もきよろ/\足も空 あはたゝ
敷立帰れば やり梅驚き取付て けたゝましや何事ぞ 只ならぬお顔の色


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様子をきかねば気遣なと 問れて兵衛はどつかと座し畳をたゝき ヘツエ御
運もすへになつたよな お姿人にしらせじと御元服迄させ置しに 経盛
の執権伊賀兵内宗成須磨の軍場より此所へにけくだり道滴と名を
改しが 御顔をよく見覚いて都へ訴人いたせし故 君これにまします事頼
朝が耳に達し御夫婦の討手として千葉助常種児玉党前司頼国 両人
罷下りしと 語るを聞てやり梅も玉衣姫もハツト斗あきれて詞もなかりしが
知章は色もへんぜず今更驚く事ならず 一の谷の軍場にて討死と極めし

一命 父知盛の教訓もだしがたく おしからずもながらふ命 只今死するも
いとはね共平家に一たびさく花のさかへを見ぬが残念なと つゝみ給へと
せきあへぬ涙はあめをあらそへり 兵衛はしばし思案して コリヤやり梅 泣て
いてすまぬ事 討手の来るに間も有まい 常種は情の勇士ゆう
めんも有べきが相役の頼国見るからがえぐいつら付 用捨せふとは
思はね共一寸のびれば尋のびる何とぞして隙を入 其間に聟が
もどつたらどふぞしやうも有べきぞ 先君には御願の卒塔婆 きざ


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む間をまたすも分別 玉衣姫も小座敷へしのんでおはしませ
早う/\と気をせけば知章は一間の内 姫はおくの小座敷へうち
しほれてぞ入給ふ 兵衛親子は思案の瀬戸ふぃは胸をいたはるおり
こそあれ程なく来る二人の上使 家来を遠見に残しおき常種
表に立とまり コレサ頼国 貴殿は玉衣姫を討つ役目 某は知章が
討手 おなし役義といひながら討人ちがへばよし悪しのひはん無用
めん/\の心まかせといへば前司ヲゝいふにやおよぶ互に役目は各別

必さし出めさんなと 内へはいるも押柄(おふへい)に上使の威光を鼻にかけ
上座へ通つて立はたかり 床几/\と呼はつて二人共に腰打かけ中にも前司にく
さげに ヤア/\兵衛智章も玉衣もくたばる用意はよいか はやく此世のいとまを
くれんとにらみまはせるつらたましい 只ハア/\とさしうつむき物をもいはず見まはれば
知章は見むきもせず一心ふらんに卒塔婆の細工 常種は心を付け いかに知章医師
道滴が訴人にて此家に有る事頼朝の耳に達し某討手に向ふたり 玉衣姫も
同罪との仰 則是成児玉の前司が討役 二人とものがれぬ所さいごを清くとげ


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られよ しかし死罪の科人も命の外は何成共望事 一つはかなゆる源氏の
掟 遠慮なく申されよと心有げに見へければ 知章ちつ共わるびれず かねて
なき身と存れば望とても候はねど 一の谷の戦ひには忠度を初め 三位道
もり其外平家の一類うち死とげ 又八嶋の合戦も討れし者数をしらず
一つはおぢ重盛のぼだいの為 一百本の卒塔婆をきざみかけしに 九十九本できたれ
共今一本成就せず きざみかけし此卒塔婆出来の其間しばしの了簡あ
れかしと 兵衛諸共手をつかへ思ひこふでぞ願ひける 常種はやゝもくねんと ヲゝ

殊勝成望事 きざみかけたる卒塔婆とあれば後生の道を妨るもいかゞ 成
就にまも有まじ 出来の間奥へ参つて休息いたさん 殊に是成前司は
後生ねがひ定る了簡有べしと のぼし立てものぼらぬにが口 智恵ない子
に智恵付て死ぎはの願ひ事 某迄にまたすのか あためんどうなとつぶやき/\
つゝ立て智章のおhします一間の内へのつさ/\入やいなや卒塔婆を二枚引つかみ
ムゝ此一枚は小松の内府重盛な今一枚は火の病でくたばつたる清盛氏二人のやつ
ばらに源氏の公達爰かしこへうろたへさせた??五りん五たいのそなはる卒塔婆


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其時の恨思ひしれと引かさね力にまかせてはつし/\とふみ折へしおりかつはと
捨 ハレ心地よや気味よやとあたりをにらんで立たるは傍若ぶじんといひつべし
知章は面色かはり忍びの柄に手をかけ給へば兵衛親子もむねんの顔色 千
葉は声かけコレ/\/\ 百本成就の内はいつ迄も待約束 ふそくする程命の延ばはり
次手に残らずおつた/\ ハレ小気味よい折ようと そやせば前司顔ゆがめ エゝ
ひよんな事してもけた 何のかのと又隙入 ヤア兵衛 休息の間はいづかたぞ 案
内せよとふくれ顔千葉助はわらひ顔 亭主は得たりしたり顔 跡の心は顔に

出ぬ 思案もふかき奥の間へ伴ふてこそ入にけれ やり梅始終詞なく胸をいためて
いたりしが サア是から分別所 マア知章様には姫君と御一所に奥の間へお出あれ その
内には夫が戻りどふぞ思案もくふうも有ふ 早う/\といふにしたがひ知章も命
おしいと思はね共そなた夫婦兵衛の心を無にするもいかゞ也 差図にまかすとうち
しほれなみだを「かくして入給ふ 跡見おくつてやり梅はおいたはしや平家を守りの
御神も 見捨給ふか浅ましやと涙かた手にくやみしが ヤ泣ている所でない我夫はなぜ
おそいぞ ゆくさき大かた心あてよびにゆかふとかい/\゛敷 すそひつはせて出る所へ


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戻りかゝりし監物太郎様子しらねばコリヤ女房 とば/\とどこへゆく 命取めと腰たゝ
けば エゝ爰な人なんぞいの何としておそかつた マア内へはいらんせと手をとつて
引入れば 是はしたり又りんきか わるい所へよつてはいぬ 誂へ物の受取で隙が入たと
わびるにぞ 女房は気をせいて ソンナきげんしやこちやござらぬ 知章様や玉
衣様の爰に忍んでまします事 外科医者の道滴めがかまくら
訴人しておふたりの討手に千葉助常種児玉前司頼国とて小意地の
わるい侍 奥へ来て待ている 一本残つた卒塔婆が出来ると 御夫婦共に

命がないと 聞てびつくり監物太郎 ナニ千葉助と児玉党前司頼国とや
シテ兵衛殿は何となされたさればいの おまへがおもどり有たなら お仕させて
おはしますと ひまどらす思案で二人の上使を奥で馳走 出来た/\
さりながら此家を一たん立のく共やはかとをくはおとすまじ なまなか二たび生けどら
れては恥辱のうはぬり ハテどふなと一工夫 ムゝまつかせと有あふ衣服引下げ物をもいはず
かけ出す 女房驚き是どこへと取付をつきとばし まだ/\様子いふ間がない おふ
たりをたすくる思案 なんであらふと今もどる 必其時物いふなと とゞむる


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女房くぉふりhなし一さんにこそかけ出しけれ 跡をながめてやり梅は隙が入ては詮
がない ぬかり給ふな早お帰りと夫の詞のたのもしく心にいさみも付内に
はや刻限も二時過 奥より出る前司頼国千葉之助も用意のもゝ
立ぎやう/\敷兵衛を引つれゆるぎ出 前司はどうづき声 望にまかせし不
足の卒塔婆もはや定る出来つらん夫婦共是へよび出せ 但しこちから
ふんごんでかき首にして得させふかと 一言いへどかはゆげなく そばできくさへ
常種が討にくしとおぼせ共 ひいきのさたといはれんかと物をもいはずおはせしが

兵衛は年寄気はいらたで むつとせき上是前司殿 千葉殿のお情にて
おゆるし有し一つの卒塔婆 まだ其うへにこなたがへし折 一百本の都合せず
とてもの事に二三日待てもらをと胴すゆれば やり梅もさし出てエゝむご
いぞや頼国殿玉衣様は誰あらふ政子様のいもうと君そなたの主の頼朝とも
まざ/\しい御一つ スリヤこなたにも主筋 其様にむごたらしい詞づかひはせぬ物
此世はわづか地獄といふこはい所が有ぞや ちつとはじひをしりやいのと たゝみ
たゝいて泣わめけど 耳にもさらに聞いれずべん/\といつ迄待物 じひも情も


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事による 源氏へ敵たふ知盛が伜かくまひ置たおのれら一家 跡のなんぎを
覚悟ひろげと にがみのうへにからみ付 咽かきやぶる思ひ也 かゝる所へ監物太郎
上下衣裳さはやかに知章の馬に手綱をかけ 文杖(ぶんづえ)に書翰(書簡)をはさみいかつ
がましく門口より ヤア/\此内に児玉党前氏頼国千葉助常種やおはする 頼
朝公より二度の上使 対面せんとよばゝつて馬乗りはなせば人々驚き まつは床几を
押なをし座を改て待所へ 底きみわるきをじつとこたへ のつし/\と入ふぜい
嵯峨兵衛も女房も コハ聟殿か我夫(つま)かといはんとするをはつたとねめつけ

下郎の出向ひ存外千万 罷しされとしかり付 床几にかゝれば兵衛親子
興さめながら差ひかへ いきをつめてぞいたりける 監物太郎は勿体ら敷 ヤア
御両人 頼朝公の御上意謹んで聞れよ 知盛がせがれ武蔵守知章ならびに
玉衣姫 両人共に討べしと討手を申付たれ共 玉衣姫は政子御前の妹君
然れば頼朝公と知あきらとはあひ聟 達て命乞にしたがひ助くるとの
上意直筆の赦免状拝見あれと差出す 常種取て押ひろげ高
らかに読上る 政子御前がたつてねがひにまかせ知盛がせがれ武蔵守知


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あきらたすくべき者也 年号月日 ハツト押いたゞき 是見られよ前司 頼朝公
の御自筆と差出せば イヤ見るに及ぬ貴殿は知章を代役たすけふが
ころそふが互に役義はかまはぬ約束 身は又姫をたすけよとの文言なければ
討て帰る 其方は勝手に召れといふに 常種監物太郎書簡をひろげ
姫君もかきのせて有べしと 見れ共/\智章斗 なむ三いそぎの早がきに
そさうせしかと心の驚き そこにはないか爰にはと兵衛親子も差のぞき
口の文言おくのとめ裏をかへせど玉衣共印たるなのあらばこそ 十が九つし

おほせど大事の二字を取いそぎかきおとしたは何事と 監物太郎はてんどうの
胸もはりさく斗也 され共常種さはぐ色なく コリヤ/\兵衛何をうろつく たま
衣姫の義は某かまはぬ はやく知章追っ払へと目さき手さきでしらすれば
ハツト心得立上り一間の内よりまねき出し お命は乞うけたり裏道より津の
国へ はやおのきとすゝむれば 玉衣姫はいかにそとためらひ給ふ御色目 常
種さとく眼にかど立 女に心ひかされて猶予するかみれん者と いふ一
言が身にこたへ兵衛さらばと裏道を足はやにこそ落給ふ 太郎頼


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方は御跡見おくり何とぞも一度出なをして玉衣姫も助んと それとは
なしに立上り まづ拙者は旅宿へ参る 御両人は跡よりと いひ捨出るを常
種は監物太郎をひんだかへぐつとつゝこむゆん手のわきばら はつとおどろく前司
頼国さが兵衛もやり梅も狂気のごとく コハ何故とかけよるをちばはこへかけ
ヤアよるまい/\こいつまさしく似せ者 最前よりゆるしの書簡くりかへし能気を
付見れば頼朝公の手跡にあらず似せ筆に極つたり はやまつて知
章をゆるしたる我越度 申訳に首取てみやこへ帰るくはんねんせよと 刀

ぬかんとする所を ヤレまてたべしばらくと くるしきからだを監物太郎 おき直て
息をつぎ 成程お見立の通り某似せ者 書簡も似せ筆 命捨ても
知章をたすけもらひし有がたさよ とてもの事に今しばらくさいごを持て
給はれと 押なをつて前司に向ひ ノフめづらしや親人 伜太郎頼方にて候といふ
に人々興さめて 血まよひしかうろたへしか但し前司覚有やと とはれて頼国
差うつむき返答もなき有様にしさいあらんと人々は差hかへてぞいたりける
手負は目にもつ涙ながら 御ふしんは御尤 某十年以前聊かの事有て


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勘当うけ方々とさまよひ 新中納言知盛卿のお情にてお手まはりの
御奉公 され共親の外聞を始児玉党前司頼国が伜とはけふ迄是成
女房舅にもかたらず あつぱれ立身の色を上 勘当の願ひをとおもふ
間に此仕合 ノウ親仁様 最前より夫レととがめの色もなく見ぬふりなされくだ
されしはお情か但し又御見わすれも有しかや おさなき時より古筆名筆
うつしならひし徳有て一たん難儀はすくへ共多くの人の目をくらまし世渡
にせしむくいにや かくなりはつるゝ其上に親の勘当うけし身は未来も

やみにまよふときく にくしと思召とてもいはゞ一生親わかれ 何とぞ勘当
ゆるすと有 お詞あらばそれをめいどのいんどう共えかう共うけ申さん 是申
申といふても承引ないか 女房共とも/\゛お侘申てくれとどうとふしたる
哀れさは見る目まばゆく袖しぼる 始て聞てやり梅もなく/\前司が
傍により 舅御共存ぜず さがなく申て今の後悔御覧のごとく夫の
さいご 未来の願ひに只一言勘当御免のお詞をと 袖にすがればふり
はなし おもひもよらぬ謡(うたひ)声 おやこはさんがいのくびかせと きけば


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誠に老心 申其謡のお声のついでゆるすと有お詞をと いへ共猶も
耳つぶし 子は子なりけりうぐひすの あふ時もなくねこそうれしき
涙と 謡にまぎらす心のかなしみ 手負は声上 ヤレ女房もふよいは 心を
こめられし今の謡 己がつみおのれをせめ未来はむけんの底に入とも
心はあんよう極楽ぞや こひねがはくば玉衣姫共におたすけ有ならば
此上の御ほうしくれ/\゛ねがひ奉る 申おくは是斗 サア/\はやくしやばの
わかれ舅殿 おいとま申すと座をしむれば兵衛親子はなきしほれ

千葉も涙ながら刀ぬきもち そこらに用有人はないか 今がさいごと
ふり上ても前司頼国見た斗 心のくめんじうめんに力を入てまもりいる
ぜひなく常種首討おとせば女房兵衛はわつと斗さすがの頼国目をふ
さぎ くはんねんしたる有様をよそに見なして常種はすおふの袖にくびをのせ
かた手にさゝげて声を上 頼朝公の書簡を似せ大事の囚人(めしうど)助けさせたる
監物太郎が此首は則知章同然 いひぶんあらばいざこいと 頼国をしり目に
かけ勢ひ立は前司はそらうそ 親でなければ子でもなし うらみいふもの


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外にある筈 夫のかたきナフそれと 気を付られてやり梅はなげきあま
りて気もみだれ夫(つま)の刀をぬくよりはやく夫のかたき常種やらぬと切
かくる 後よりとびかゝつて前司頼国ぬき討にやり梅がほそくび丁ど
討おとせば コハそもいかにとおどろくにぞ 前司頼国ちつ共さはがず ナニ
ちばの介 御自分が手にかけられし武蔵守ともあきらならずや それを是
なる女めが夫のかたきやらぬといふは玉衣姫に極つたり たがひの役
目は相すみしと 聞くて兵衛もさてはと仰天千葉も始てびつくり

貴殿の心もその通り しかれば則此首は知章のくびよのふ
ヲゝ此くびは玉衣姫 おもはずしらす身がはりと三人顔を見あはせて
ためいきついだる斗なり 常種も打とけて左程の心をさいぜんより
なぜあらけなくいひのゝしり勘当ゆるさぬしんていはと とはれて頼
国おろかのとひごと源氏のろくをくらふ身が平家の考へ情を
うけ主人へのいひわけたつべきか とはいへなさけもしらぬにあらず
伜がために恩ある玉衣様 時刻のびたらのがれる筋たすける筋も


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できやふかと わざとそとはもへし折たり さいごに勘当ゆるさぬも
此場では敵味方 道にちがふとはをかみてうたひでしらす親子
の名乗 おもひやつてくれめされと大の目に白たまのまぶたを
こしてとび出るはあれにも又道理なり 嵯峨兵衛は娘の別れ
様子を聞ては恨もなく千葉助も頼国が心をさつしともなみだ かく
てははてじいざさらばと ともなふ上使はふたり共ふたつのくびをかき
いだき涙をかくすものゝふのなさけはなさけあだはあだ 跡にのこ

せるなきがらは嵯峨の兵衛がおもひのたね おやこのわかれ
いま一度見するもかなしきしにがほは 地水火風のくも
はなれ くうにふたつのじはひをさとる心もひかさ
れてあなた こなたとなきしほれしばし/\と立よる
を 中にへだゝるゆうしやと義しや よはみを見せじとつゝ
め共きれて はかなきたまのをは見るに なみだの たきのいと
おもひかはらぬたびだちやみやこぢ さして いてゝゆく