仮想空間

趣味の変体仮名

嬢景清八嶋日記 第一

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
       イ14-00002-781  幷 イ14-00002-782


2(左頁)
  嬢景清八嶋日記  座本豊竹越前少掾 (第一
峯続く 須磨の山風吹落て 源平互に矢先を
揃へ舩を浮かへ駒をならべて打入れ/\足なみに くつばみを
ひたしせめ戦ふ 平家の大将多き中 新中納言知盛
は武略の名のみ高波や はげしき武将の指折も二つと
さがらぬ一の谷 須磨の内裏の人々は残らず八嶋へ出船
の 跡をかためし殿(しんがり)に追来る敵を松の影 つかれをしばし


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仮寝の夢ふてきにも又勇備なり 沖にむれ立水鳥の羽
音に御目をさまし給ひ ハツ面白の春の景色や 源平互に凌ぎ
をけづり刃をあらぞふ其中に 谷峯わかれ紅白に咲き乱れしは
源平躑躅 詠むる共なく暫し浮世の憂事を眠りに忘るゝ
程もなく千鳥が夢をさめせしな 実に源の兼昌が通ふ鳥の
鳴く声にいく夜ねざめとつらねしも 理かなと夕づく日 早暮かゝ
る海の面知盛沖を遥に見やり ハツア主上を供奉し一門は讃岐

をさして落行しに 沖より追々水鳥の列(つら)を乱して飛来るは 早四国へも敵渡り
軍有としられたり 勝負はいかゞ成けるぞ心元なや気遣はしと 案じに付けても
我一子 武蔵守朝章(ともあきら)きのふ濱手の合戦にて 多勢が我を取巻しに親
討せじとかけ入て 無理に進めて我を落し児玉党と戦ひしが 討死せし共遁れし
共 今に生死(しやうじ)のしれざるは討死に紛ひなし ハツア思へば我ながら 子は親の為身を
捨るに我はのめ/\落延びて子を見捨て殺せし無得心 やけのゝ雉子夜の靍
子を悲しまぬはなき物を命はおしき物かなと 我子のさげしみ一門の思はんも恥かし


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と 涙にくれておはせしが ハツア迷ふたり/\主上を始め門院二位殿 一門の人々迄落
さん為の我殿(しんがり)家を忘れ身を忘るゝは今此時 エツエよしなき悔み未練也と 義
に引返す弓取のやたけ心ぞたくましき 上総五郎兵衛忠光壇ノ浦より忍び
の使 夫と見るよりかけくれば ヤアいぶかしや五郎兵衛 君を守護して下りし海 何故
爰へ来りしと 尋に忠光謹て 御諚の通り八嶋にて只今軍真最中 舟
と陸(くが)との戦ひ故勝負は未分かね共 門脇の教経殿義経を討もらし
安芸太郎次郎と申す大力の兄弟を両の小脇に引挟(ひっぱさみ)海へざんぶと沈み給ふ

跡に武略の大将なく船中力を落す故 宗盛公の御諚を請 重衡卿の家臣五
斗(とう)兵衛盛長所存有て身を潜め隠れ住む有所を聞出し 密に迎ひ来れ
とのお使 又弟の景清は初度の軍に立ちし後 所存有と云残し軍中を立さりし
は 必定今度頼朝は 南都大仏供養の為登るとの風聞故 是をねらふ心底な
らん 御一門の人々も最早大方出船なれば君も爰を御引払ひ早く八嶋へ御
渡り然るべからんと申上れば ホゝさも有らば此所に残りとゞまる益もなし 直ぐに八嶋へ
打渡り君の御舟を守護せんず 汝も早く五斗兵衛伴ひ帰れと夕間暮 心


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せかれて知盛卿帷幕の内へ入給へば 忠光の礼儀をのべ別れてこそは急ぎ行
命だに 心に叶ふ物ならば 何か別れも悲しかるらん 政子御前の御妹玉衣姫は兼
てより 京に育ちて春秋の北山狩の折からに 知盛の御公達知章の?(?やさ)姿
互に見初恋初てからなく文は通へ共まだ解き初ぬ夫思ひ 都をひらき給ふより生きる
共死る共 我も一所と胸をすへ御めのとの監物太郎女房ゆり梅夫婦の者跡に
引添三人連れ 色故こがれ寄る浪の須磨の浦辺をあちこちと尋さまよひ
給ひしが玉衣ほつと息をつぎ 一の谷で軍と聞 知盛様の陣家は恋人の 知章 

様も御一所にお出であろ 若しも死に遊ばさば供に命を捨る気で 遙々と来た自ら
は身にかゝつた思ひの余り そなた二人も諸共にめいど迄も供せんとは 頼もしいぞや嬉し
いぞや 此上ながら恋人の御陣所を尋あたり どふぞ早ふ逢はしてたも頼むぞやいのと
の給へば 監物太郎小腰をかゞめ 是は/\勿体ない 元私とやり梅はほうばいの忍び逢
度重なつて不義顕はれ二人は覚悟でおりましたに お前のお情お取なしで罪を
赦され 夫婦に迄なし下されし其御恩 夫レを思へば一命もと いふ尾に付いてやり梅
も ヲゝそれ/\ 其時の有難さかうした時節の御供するは せめて二人が冥加の為


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こちの人 今日は軍も間日かして軍兵も寝ているやら 鐘太鼓の音も
せぬ 知盛様の陣家を尋 若殿様とお姫様と初軍がさせましたいと 急ぐに姫
も嬉し顔 ヲゝほんに立札でも有ばよいにとせかるゝ詞に監物太郎 邊り見廻し ヲゝ
あれ/\ あそこにふせん蝶の陣幕 慥に知盛の御陣家 併し軍場へ女は法
度 めつたにはいかれぬ/\ コレやり梅 お姫様を伴ふて 此木影に隠れて居よ 我は
内の首尾を窺ひ知章様呼出して逢せます仕様が有ると 覗けば幕に人もなし
是は幸いノウお姫様よい時分にしらせませう ヲゝよい様に頼むぞやと 互に點き悦

びて夫(つま)故うしや物かげに暫し待つ間も遠寺の鐘 早時過て既に其夜も更け
渡り星さへくもるおぼろかげ 空も邊も輝く斗 花やか成ける鎧武者 士卒も
連れず只一騎月毛の駒に打跨りしと/\/\と歩ますも陣所に敵や籠りしか 若
も跡より追来るかと爰に乗すへかしこに佇み前後に気を付け控へしを 監物太郎は
心付 弓矢手挟み忍び出 ヤア敵方の運つき武士抜がけと覚えたり 源家に縁有
お姫様一つの功に首取てよい御土産ござんなれと 弓と矢つがひ金物の光を目
宛に引しぼり切て放せばあやまたず 肩口のぶかにはつしと射る うんと斗に馬上


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より屏風返しにかつぱと落ち 無念/\とふぃう声に サアしてやつたお姫様 ヤレ女房と呼立
れば何でも手がら出来ました イデ首とらんと三人がかけ寄中に手負は起き立 ヤア
卑怯未練の愚人原 なのりかけてはなぜ射留ぬ 斯く云がいなき雑人に命を落す
も運のつき 我を誰とか思ふ 平相国清盛の三男新中納言知盛が一子 武
蔵守知章と 聞より姫ははつと斗 ヤア我夫とや情ない悲しやなふと走り寄り すかり
給へば監物太郎やり梅もかけ寄て泣くもなかれずうろうろ/\立たり居たり詞なし 知章
は姫をふり切 ヤア我夫かと取付くは政子の妹玉衣よな 云かはしたる縁を忘れ 姉

聟の頼朝が固を思ひ下郎に云付け射させたなと怒りの顔ばせ 姫は悲しさ身
にこたへ 御尤とは云ながら余り難面(つれない)御仰 いかに源氏に縁有迚姉様を大事にし
て 二世もと思ふ我夫と見かへる者があろかいなァ 知盛様は帝を守護し須磨を
かためなさるゝ由 お前も一所と思ひし故一夜成共添たさに遙々と慕ふて下りしが 敵に縁
有る自ら故 源氏の武者を射留たら夫レを土産に父御へ願ひ夫婦に成たい念願に 思
ふた事も情ないこんな麁相が有物か コレ監物 まどふて返しやさもなくば我をも供
に射殺せと 口説き嘆かせ給ふにぞ やり梅は身も世もあられず夫の麁忽と


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斗にて供に涙にくれいたる 思ひ定めて監物太郎指寄て手をつかへ お姫様と若殿を
御夫婦になし申さんと 一途にはやる心より申分けもなき仕合 せめての事のお腹いせ頭から
爪先迄刻んで成り共下さりませと しやくり上たる後悔に知章も涙にむせび そふとは
しらで暫くも恨みし事の恥しや 父の生死も覚束なく尋来りしかいもなく思はぬいた手を
受たるは よつく武運に尽きたる某 此儘にて雑兵にやみ/\と討たれんより潔く腹切
て冥途への先かけと 座を組給へば玉衣姫 我迚もお前に離れ何楽しみにながらへん
先へ殺して給はれとくふぉき給へば人々も 供にお供と衿くつろげ既にかうよと見へし所 ヤレ待て

々と声かけて幕押かゝげ父の知盛しづ/\と立で給ひ 委細の様子あれにて聞た
姫の心の貞節かんじても余り有 又知章は身を捨てて父を助けし孝行武勇 夫レをきぼ
に父が媒(なかだち)遠慮はない夫婦の固めイデ祝言の盃と 腰に指したる陣扇さつとひらいて
姫にあたへ作法の通り玉衣より一つ呑で知章へ それ/\監物酌せよと外に用意の扇
を出し渡し給へばはつと斗 いき/\いさんで監物太郎長柄の銚子と開きし扇 現の光りは 
七光り金にて打たる月の紋 つぐ盃は日の丸に陰陽揃ひし夫婦の固めさいつさゝれ
つ 扇の盃嬉しくも又哀れ也 知盛盃取納め 誰か有る馬引けと仰にはつと引出す其


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名も高き井の上栗毛 風に嘶(いばへ)ていさましき ヤア知章 嶋の軍難儀の告げ 我は是
より四国へ下る 汝も一所と思へ共其痛手にて戦場は思ひも寄らず 随分人にしられぬ
様何方へも立忍べ サア/\夜明も程近し急げ/\と云捨に 馬引寄てゆらりとめせばやり
梅はかい/\゛敷 私が親は嵯峨の里 其親里にていつ迄も御養生は心の儘 いざ御立
と進むれば 力及ばず知章痛手にお供の叶はぬ不孝 御免と斗涙にくれ名残おし
げの暇乞監物太郎は指心得 乗捨の駒引直せば玉衣やり梅介抱していたはり駒に
かきのする 知盛涙を包め共 是今生の別れぞと思へばせきくる胸の内 頼ぞよ監

物太郎玉衣もやり梅も 馬上の傍を離れなと心を付る親心思ひ乱るゝ駒の足 姫
も家来も泣しほれ詞も出ず心にも目にも別れの俄雨 ふり返り見る親と子の中
を隔つる春霞別れてこそは「行末の 普門品(ふもんぼん)廿五日はおのづから 清水寺の参詣
道願も叶ふと菊水の邊を窺ひ出くるは 近江国の住人三保谷四郎国時 悪七兵衛景
清が有家を捜す上意を受け下河原に差かゝり家来を招き声をひそめ 此度鎌倉
殿 南都東大寺再興の御願によつて近々上洛有に付け 平家の残党隠れ住み我君に
怨(あだ)せんも計りがたし 中にも行衛しれぬ景清が顔を見しつた某 此邊りを徘徊するも清水


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の観音を信仰せし景清 へちまふまい物でもない随分と目を配れ きやつを捕へば千
石の加増はぶら/\手分けして捜すべし油断するなと引別れ 己が様々急ぎ行 恩愛も隔
てゝ住むは山鳥の 尾張国より遙々と爰に清水下河原 笠きて見ても照る日には熱田
神職宮司が一人娘の白ゆふ迚 悪七兵衛景清が子迄なしたる中/\に夫は都と菊
水の邊もしらずたどりしが 尽きせぬ縁の深編笠浪人らしく大小も遉に夫レと近付く顔
女房共白ゆふか 景清様かなつかしやと 縋り付より詞さへ涙先立斗也 こなたも恟笠取
捨 思ひがけなや何として大宮司殿にもかはらずか嘸や叱て居られつろ 便りせうと思へ共世を忍

ぶ身のやるせなく一日/\と怠つたり シタガ白ゆふ昔の様に子でも有たら心安ふ出られもせまい
何ぞ様でも有ての事かと尋ればさればいな 偶々産だ糸瀧 女の子は役に立ぬと育てた乳
母へ不通にやつたは二つの暮 夫レから逢も見もせねどかぞへれば十三年嘸成人したでござん
いしょ 殊にお前の信心有し一寸八分の観音様を守りに入れてやつたれば 大事にかけて居るであろ
夫はそふと此程は打続いて夢見も悪く望有るお身の上便りのないは日頃の気質 其筈と
諦めても女の身のくよ/\と案じ余りて母様へ断り申して京登り 清水へも参りかけ思ひかけなふ今
爰で 逢も偏に観音のお引合せか有がたやと 仏を拝み夫の顔 見る目もくもる溜め涙嬉し


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涙も取交ぜて三筋の滝を流しける 景清も身にせまる思ひは胸に余れ共涙隠してアゝ
ぐちな事/\ 神職の家に生れて夢身が悪いの何のとは景清が女房に似合ぬ/\ 夢は逆
夢迚必悪い夢見ると吉事有る物 吉事とは外でもない 今度南都東大寺大仏殿
を再興に付き鎌倉より頼朝が上楽 近々に来るとの風説 年来の欝憤散ずる此時節
我も南都へ行く用意 今夜は五条坂のしるべの方へ伴はん 御身は跡よりアレ向ふの道を下れば五条
坂 万事はあれで物語らん先ず清水へと笠引かぶり別れてこそは急ぎ行 跡見送つて白ゆふ
が必早ふお帰りと いへ共見へぬ景清が行衛を付る三保谷四郎 うろ/\眼に行当り ヤアわりや

宮司が娘の白ゆふよな ハテよい所へ来たなァ 景清が有家を捜す此三條タニ 夫が行
衛もしりつらんサア真直に白状せよ何と/\ときめ付けられ はつと思へどさあらぬ体 サレバイナ
私も夫の跡したひ方々と尋しに今に行衛が知れませぬ ヤアしら/\しい偽り たつた今遠目に
見たは慥に景清 どつちへ落ちしたサアぬかせ サア何ぼそふおつしやつてもわしやしらぬ 夫レでゆるり
と御詮議と云紛らして立て行 ヤアどこへ/\ しらぬといふて其分で置べっか いかぬと己うい
めを見するがサア何と ホゝ扨もしつこいお侍 お前より私が先へ逢たいと思ふ景清殿 尋てさきて
上ましよと 又行先に立ふさがり エゝ憎い女め云せ様はコリヤこふと用意の捕り縄後ろ手


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に 刀の鐺の閂責め手を捻上てさいなむ所へ追々かけくる家来共 割竹転手に申々 たつ
た今此道筋編笠かぶつた大男 浪人出立は慥に景清 御しらせの為帰りしと 聞より點
きもふよい/\ 此女めよい人質責さいなんで白状させんと 見やる一木の松が枝に是幸い
と白ゆふを引立/\くゝり付け コリヤヤイ女め 景清が有家有様に白状せよ ぬかさずばまだ
此上に矢がら責木馬責いたいめせぬ内早ぬかせと下部も口々せめけ共 しらぬ/\と指俯き
泣より外の事ぞなき 此上はぜひもなし天秤責に釣上よと下知を下部が用捨なく引けば
引かれて足は空憂目の程ぞ哀也 むざん成かな白ゆふは息も早たへ/\゛に 心も乱れ

めくるめき今を限りと見へけるが 苦しき息の下よりも アゝしばし待てたべ 物申さんと有け
ればスハ白状かいへ聞んと耳を澄ませば いかに旁聞給へ 我夫(つま)の景清殿 常に清水の観
世音を信仰し我にも勧め給ひし故今此際と一入に心に御名を唱れば 苦しみも身に
覚ず偏に此呑む息は極楽の八功徳 観音の甘露法雨かや未来成仏疑ひなし
千日千夜も責給へ夫の行衛はしらぬぞよと 南無大慈大悲の観世おんじやうたへ
/\゛に包み隠せど苦しさのよはりは声に聞へける 三保谷大きに不興し エゝ見かけに寄らぬ
女め 根性のしぶとさ言語道断其分では落まじ/\是からは枯木責身骨に


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痛みのこたへる様ぶてよ擲けと下知をなす 其身につらき此松の幾代へてかは白ゆふに憂
目見よ迚茂るらん 左へなびきし大枝に引縄を打跨げえいや/\引上る さながら地獄の絵
に見たる八悪五逆の罪人を鬼の呵責も斯やらん目も当られずいぢらしし 次第/\に身
のおもり腰よ腕よ抜ける程猶苦しみは弥増しに人間有為のしやば世界だんまつまの四
苦八苦 今こそ来れと観念しさいごの一句と顔ふり上 拷問の木の上より日本国を見廻せ共
夫の行衛はしれぬ也 見ゆる物は旁に頓て報はん罪科(つみとが)と 父母の俤が目にちら/\とする
斗いかに嘆かせ給ふらん 是が悲しい/\と嘆に連てくるふ血の大盤石を身におふごとく思はず

又体を伸つ反つ足のあがきのあをち風 ゆぐもしとろに紅の間(ひま)漏出る雪の肌 脛より
股の媚有て油つきたる其塩梅憎し/\と見る三保谷俄に肝心高ぶつて鼻いき
あらくさほずくみめつた無上にかはゆふなり イデ助ふか イヤ/\/\家来ながらも見るめも有と 咽
を乾かしこらへしか溜り兼てつか/\と立寄ほうど抱しめ ムウきやら/\何とかふ拘た心合点か
につこりの笑顔か見たいヤレ者共縄とけ/\ アイヤ/\仰を背くも事による 大事を拘有まい事
罷ならず ハテ悪い呑込かふして欺して問ひ落すと 聞より実にもとゆるむる縄 おつと三保谷
抱へた気遣ひない/\肌へひつたり身を寄せさいと大事にかけてときほどく 縄よりつらき撫で

 
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さすり我身の痛みに払ひもやらず涙淵なす斗也 取て返す景清が斯と見るより飛かゝり
下部を踏み退け三保谷が首筋掴で狗(えのころ)投 是はと斗女房を引立/\介抱に消へ入目に
も夫の顔 見るを力に性根も付 エゝコレ/\/\うか/\とくる所か 様々の憂苦しみを身に受しもお命が
助けたさ 恨めしの夫の心やといふに国時起上り ソレ景清油断すな 取逃すなと声かくれば お尋
者生捕て高名せよと家来共 我打留んと取巻いたり ハゝゝゝ弥申し三保谷 音にも聞かん景
清には命三つ有 第一は閻浮檀金(えんぶたごん)にて鋳奉りし一寸八分の観世音 是は娘にあたへて音
信不通 二つには此佩(はい)たる太刀 始の名は朝日影今は贋(あだ)丸 此太刀と観世音と二つの命の影

清 先年八嶋で?を引き命を助けた三保谷四郎 勝負がしたくばサアこいと妻を傍(かたへ)に忍ばせ置き 太刀
ひねくつてつつ立たり 三保谷臆せず立向ひヲゝサ/\此国時平家の残党詮議の役目観念ひろ
げと打かゝれば身をかはし 太刀抜く間も嵐の木のはまくり立られ叶はじと右往左往に逃ちる中
詞には似ぬ三保谷が身を遁んと逸足逃足 其行方は白ゆふが心はいかにコリヤ/\女房 心はいかゞぞと
立寄かいも身も労(つかれ)早息ざしも南無三宝 エゝ是に付ても三保谷め生けては置じとかけ出しが
イヤ/\主君の敵平家の仇 めざす敵は頼朝一人はむしやに心残さじと心は乱さぬ義心の勇者いさむ
心も恩愛の妻に引るゝ後がみ 苦しむ姿をかき抱 しるべの方へと「道広き仏日西は衰へ 違輝(いやう)


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東に普(あまねし)とは此時かや 大政入道清盛の悪風によつて治承の闇と立消し法の燈明らかに 金の臺(うてな)とな
らの京東大寺 金剛十六丈の盧舎那仏 俊乗坊重源上人の志願力既に伽藍成就し再興
供養の吉月良辰(しん)梵音雲に悠揚して 朝勤の大会事終れば参詣下向の老若男女 とひ遠
境の貴賤踵をつき 王舎城の往昔(そのむかし)五百の車に珎宝(ちんぼう)を積で仏に捧げ八万四千の宝塔を造立(ざうりう)
せし 阿育王の善根も是には過じと賞美の声々御裳に谺のいびたらし御休足の為右大将頼朝公
勅使冷泉大納言隆房卿を誘ひ御仮屋に入給へば秩父の重忠勅使の饗(もてなし)ちばの常種御ふせの役
梶原平三景時は時の侍所にて走り下部雑色を扈従(こせう)し けいご鉄とうの囲みをなし座並を乱さず拝列

せり 隆房仰出さるゝは伝へ聞く梁の武帝達磨に対し朕寺を建て仏
像を作る事一千七百余体 僧尼を供養する事十万八千余人に及ぶ
功徳有やと問給ひしに達磨無功徳と答られし 是くどくなきにあらず
叡慮の驕慢を破て無作(むさ)の大善に帰せしむることはり いか成万善万
行も頼心誠ならざる時は災害並び起つて法会全たからずといへり 然るに
今日の仏事供養 天晴地朗らかに万民随喜の法雨にうつほひ 聖
主万歳武門の繁昌偏に右幕下(うばつか)の武威目出度候也とのべ


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給へば 頼朝謹んで王道の安危は仏法の盛衰に有と申せば
猶百王の末迄四海の太平掌(たなごゝろ)を見るがごとし 不祥の頼朝平家のけう
あくをしづめ民を太山(たいさん)の安きに置き 且は今日供養の会下(えか)につらなり
一生の造悪忽にきへうせ 二世の本懐を達する事偏に君の御聖徳天に 
叶はせ給ふ所 上古に聞ばねは末代に又有べし共思はれずと 挨拶取々成所に
かりやの御門はた/\としむ音 辻堅めのけいごさはぎ立 興福寺の衆徒
と申頼朝公に直(ぢき)見参と申?押とゞめ候へば無二無三に追ちらし

御かりや近くのらうぜき御座あやうく候と言上す とはいかにと 各々驚き見へけれ共
頼朝ちつ共さはぎ給はず きやつ酔狂人か気違か 斑足(はんぞく)王の?をなす共 一人の仏師何
程の事あらん召とつてしづめよ 勅使はめなれ給はず御心安かるまじ奥のかりやに休め申
さん 仏事作善の庭必々あやまつてもちをあへすな能せよと勅使を いざない入給へ
秩父千葉を物として私役を守り余所に聞なし座をうごかず梶原せき上 是は上
聞(ぶん)に達することか いろは組の?手何の為 いの組の手に余らばろのてにゆづり はにほ
へとからえひもせず四十七組心を合なぜとらへぬ 但しは景時手をおろそふか エゝまだ


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るし/\と気をいらつ所にあれにあれたる衆徒の体五条げさにかしらをつゝみ衣の下に
着込み腹巻大太刀横たへ さへぎる組手を事共せず よればけちらしすがればふみのけ 御座
をめがけてかけ入る有様 阿波の鳴戸に風あれて雲に?(うづまく)其勢ひ 秩父の重忠急度(きつと)見付
しや門衆徒にあらず 悪七兵衛景清と見るは僻めか 取にがしては国家の騒動よつ
てくめやれ組め/\と 下知し給へ梶原殿と千葉介にめくばせ威儀十分 御かりやを
守てつつ立たり 梶原が郎等番場の忠太 景清やらぬと取付所すぐに蹴あぐる
景清が足くび 殖栗にさはつてひり/\/\ちゞみあがつてのた打たり 近寄ては

叶わじと四十七組一手になり?(つく)棒寄棒捻挟(さす)股まいてとらんとむらがりかゝる さし物
景清長道具にあぐみ呆 頼朝が首取迄はとこらへてぬかぬ太刀なれ共 サア
よつて見よなで切と ぬけば玉ちる痣丸の釼は名作持手はてきゝ石くろがね
も朽木のごとくはらり/\と「切立る 組手の大勢たまりえずすがりの花に
山下風(やまおろし)むら/\ばつと逃ちるたり 御座危しと秩父の執権本田の次郎近経 着込に鎖鉢
巻しめかけ出る 重忠はたとにらんで 梶原殿の御手にあまり頼とあらばさも有
なん いわれぬ己かさし出者と しかり付給へば梶原景時 此方への御遠慮御無用 頼


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入本田てがら有れと聞もあへず かへせ/\と打廻し後抱きにしつかと組 くまれて払ふ刀
のきつ先太腿を猪の口程切れながらちつ共ひるまず 裾にさがつて景清が足くび
抓て請様 こりや/\/\と引立る かた足力に雀の小おどり ふりはなさんと身をもが
き 捻むく足にひねりをくれ野人の友原ぶみちらしひいつひかれつよるかたわか
ぬ?小船さし引しほにもまるゝごとく 景清は片足わぎ あしらいかねて見へたる所へ
大勢どつとをりかさなり百(もゝ)筋千筋高手小手押さへて縄をかゝるべき 身の運命
ぞ力なき かくと上聞に達せしかは景清ならば対面せん引出せと 頼朝御座に

移らせ給へば本田はかりやに疵保養 数多の組子縄取て終に御前に引すゆる
梶原能出御座に迎ひ 某面は見しらね共きやつ悪七兵衛景清と 重忠
申さるゝ上はきよごんなるまじ 罪科と人のおぢ恐れし景清 かぢはらか生捕て候
急度糾明然るべしと申上れば 景清縄取宙に引立 ヤア梶原が生捕しとは ま
が/\しいひやうり者 尋もせぬ口上立だまつてすつこめ 頼朝にいふべき事有と間
近くねめ付け 頼朝は己か 音に聞て逢は初運のつよい大将じやな 主君の仇一太刀
と忍び入しかひもなく重忠に見顕はされ 本意を達せぬのみならず己を討つ迄


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はと命をしき景清に 死身の本田がてばしかき働き縄かけての対面は よつく武
運につきはてしかむねん/\と身をもみ上 嘆く涙ははすのはに 水をそゝぐがごとく
にて玉をあざむく風情なり 頼朝公あざわらはせ給ひ 頼朝を主の敵とはそこ
つなり景清 往昔(そのかみ)平治の戦ひに打まけ父義朝野間の内海長田が手に
落命し給ひ 頼朝伊豆の伊藤に流され源氏の根葉をたゝれし さす敵は
入道清盛なれ共 義朝信頼に組せし朝敵の咎あれば恨んもなく空しく
はいしよに廿四歳の年月を送りし 改めていふに及ばずよく知つらん 然るに清盛身

の栄華に朝恩を忘れ やゝもすれば天子を悩ませし積悪 仏神にも見離され
後白河法皇ひそかに院宣を請はり平家を亡せとの勅諚 辞するに所なく
範頼義経を以てけう悪を切しづめし 是頼朝が私に父義朝の仇を報ずる刃
あらず 平家の敵は其身の?(おこり)我身が直に我身の敵よ 天下の千は漁捕(すなどり)網の
ことく天子は網の縄頼朝は網のめい似たり 四海にうつて森羅万像大
小名 町人百姓の身の上迄 我政道の網にはなれずといへ共勅命の手縄うご
かざれば 一つに引しめ賞罰を糺する事あたはず 此理を聞わけ恨をはれ頼


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朝に奉公せよ 所領をあたへ召つかはんいかに/\との給へ共 聞ぬ顔にて空うそ
ぶきあざ笑ふたる斗也 秩父の重忠はしちかく立よりヤア景清 忝くも武将
の御身 よく/\忠誠の景清と思しめせばこそ たとへを引詞をつくし奉公せ
よと有がたき御諚 お請申されよと有ければから/\と猶打笑ひ 頼朝
が今ぬかせし詞 有がたがるは己らが事 此景清へちま共思はぬ 己が父の庄司
重能 御一門都落の時共に御供と申せしを 宗盛公各別の御情を以て東
国へ帰さるゝ折ふし 秩父が子孫三代の間 平家に弓引くまじき一通の起請

文人しらす共神々と己はしる筈 平治に義朝討れてより寿永にうつる
廿四歳が其間 妻子を扶持せし所領?がくれし 頃日清盛の御恩を忘れ
今頼朝が大老役のさばつたりな 景清が見るまへ其顔(つら)取おけ 己さへ
それなれば千葉梶原はなをのこと今頼朝に仕やる大名 平家の恩をうけざる
者誰か有 衣類をかたにかくれは衣桁も同前 飯をくらへば食(めしひ)川 酒をの
めば酒橋 人でも杭でもないおのれらと此景清 一口にはめうがしらず
あごたほざくな なふ頼朝殿 心も武勇もまけね共 うんの勝劣力


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なし 生有は主君の恨有 とく/\首をおとりやれと詞すゞしくのべけれ共 ひる
まぬ面色重忠一人 千葉梶原を物として赤めぬ顔はなかりけり 寛仁大度
の頼朝公 がを立る程御味方にほししおししにかきくれ給ひ黙然としておわします
重忠ちつ共おめる色なく御前に向ひ 凡そ弓矢にたずさはる者 御家来
ならぬはなけれ共 景清がごときは日本無双似寄つたる武士も候はず 重
忠に恥つらあたへし彼が申所皆道理 重忠ちつ共いこんに存ぜず何とぞ
なだめ召つかはるゝ御思案こそ あらまほしゝと申上れば ほく/\と打ち

うなづかせ給ひ 召れたる御上の衣押脱ぎ引ぬぎ 勿体なくも御大将 御座
を立て景清がまへ手づから投やり ヤア景清 義によつて捨る命は塵(じん)
芥(がい)よりも軽(かろ)し 頼朝が命汝にあたへ本意をとげさせたくをしからね共 勅
に応ずる我命我物にて我物ならず 征夷将軍の官も名も我身
にそへたる其上の衣 切なり共つき成共心の儘 主人の敵源の頼朝を
討たりと 大音声に名乗亡君に手向け 其後我に奉公せよそれ景清
が縄とけ 太刀得させよとの給へば畏てとく縄に つれて心もほどけけん


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はつとかうべを土にすり付 忝しと申が道か いわぬが道か とかく恨をはれて
の後と廰(あさ)丸の太刀引ぬき 御一もん亡び給ひて六年の年月 くだきし
心にくらべては敵にあふも安かりけり ヤア右大将頼朝 悪七兵衛かげ清が主
君の仇を報ずる釼請取やつと着(志?)力はるゝうら柴の袍さし通し/\すん/\に
切さきかつぱとなげ捨 今こそ本望達したり ハゝゝゝ アゝ嬉しやと大声あげ
笑ふつ泣つの其有様 聞こそ渡れもろこしに主君の仇を報じたる 晋の豫
譲が手うへの衣 三千余里をへだてゝも忠臣の義は一日にあつとかん

ぜぬ人もなし 頼朝御悦喜浅からず ヤア諸奉の人々 浮世に武士もないがましく
景清を懇望 茶人は有てなしものなどゝよしなきひがみに景清をねたみ
頼朝をばし恨るな 敵に有て益なき武士は味方に取て詮もなく 敵にもせ 
よ忠有武士を賞ずるは末代弓矢を尊ぶかゞみ此うへや有べき 先々今日の
大仏供養 仏も人もやはらぎて頼朝は悦びかた/\゛もさぞあらんと 一言に人の
和をとり給ひさぞ勅使の御待かね 景清頓て対面せんと御座を立て入給へば
皆々しいとかうべをかたむけ恐れ敬ふ其有様 こらへかねて悪七兵衛 頼朝かへせと


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名のりかけあざ丸の太刀ぬくても見せずま一もんじに飛かゝれば 各是はとかけ
へだつる さなせそ/\用こそあらめと頼朝公 二たび御座に帰らせ給ふ 威有
て猛き勇武のかたち 景清どうど土に座を組みハア はつと斗に詞なく 血ば
しつたるめにこぼるゝ涙とゞめかねて見へけるが 君に申は恐れ有重忠聞てたべ
物数ならぬ景清が主君の敵とねらへばこそ今日本の武将の身の主君の
敵頼朝を討たりと名のり 其後奉公せよと筋もたち道も立 情有る御
詞勿体なや 御上の衣すん/\に切さき仇は是迄年来の本望達したりと 一旦

恨はとけたれ共なふ口をしや凡夫心 人々恐れ敬ふ有様見るよりぐつと胸にこみ上
あはれ平家の世なりせば此敬ひは誰やらん宗盛公こそうけ給はんと 昔にかへる
恨の一念 目前の御恩にふつつと忘れびらうのふる舞めんぼくなや 道しらず共
恩しらず共 人でなし共さぞ見給はん 恥かしや生れ付たる情強者 引かへさぬ
気しつの我なれば像(かたち)は君にゆだぬる共君を見る度々におこるべきこの
悪念 とにかく君を見ぬ分別 御前の取なし頼入秩父殿と いひもあへず太
刀おつ取 きつ先つかんで眼にぐつとつきこんだり 頼朝公を物として人々おどろき


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こはいかに あれとゞめよと詞の内 えぐつてめ玉をかつぱと捨て 捨ててはえぐる両がんより
ながるゝちしほはくれないの糸をたぐるがごとく也 頼朝大きに御かん有 誰が有る薬をあたへ
血をとゞめかいはうせよ ふびんや汝眼をくつて頼朝が恩をほうぜしな それこそ武士
よものゝふよ 平家の恩を忘れぬごとく又頼朝が恩をも忘れず 我身を捨しけなげ
さよと御落涙ぞ有がたき 景清かうべを大地にすり付け 今生は縁うすく かゝる名
将に御宮仕へ申さゞる我不運 人に魂魄有ならば生れかはつて此御恩必ほうじ奉らん お
暇申と太刀を杖?のいはとはひらけても見るめはくらきとこやみにあゆみかねて

見へけれは大将あはれをいやまし給ひ ヤアまて景清 とても頼朝があたふ
る所領ははむまじ 民のおさむる米こくも我蔵につめさる内は頼朝が
物にあらず 民にたよつて身命を助かるぶんは必々頼朝が恩にあらず
普天の下そつとの内 皆是天子の国なればいづくにすむとても是
また頼朝が恩にあらず 心得たるかとの給へば ハゝゝアゝ有がたしかたじけなしと いは
ば詞の恩ならんと是も聞捨恩にきぬ 顔をたもとにつゝめ共こぼ
るゝ涙あめが下 道せばからぬわうしやの道 敵を助くるじんしやの


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道 二君(じくん)につかへぬ義者の道 あゆむも道の道ながらまことの道
の世々にひくゆみやの道をしるべにて行衛 定めずいでゝゆく