仮想空間

趣味の変体仮名

奥州安達原 第一

 

読んだ本 http://archive.waseda.jp/archive/index.html
      ニ10-00558 


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  奥州安達原(第一)  作者 竹田和泉
時は康平五つの年 後朱雀院の朝に
当つて東夷猥りに逆威を奮ひ 王命
に背き奉るといへ共 源氏の武功に切靡(なび)け
再び治まる時津風 八幡太郎義家公 武
威磨ぎ立つる如月半ばの空 都より勅使下向有ければ早


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門出の日も近付き 取伝へたる梓弓 箭(や)叫びの音勢子
の声さも厳重に見へにける 宮居間近く仮屋を
構へ八幡太郎義家朝臣(あそん) 執権鎌倉の権の頭景
成 瓜割四郎糺(たゞす)異義を守つて控ゆれば 上座には勅使大
江の大将惟時 冠の紐の長き日も 早西山にかたむきぬ
惟時義家に打向ひ 此度某罷り下る 勅使の趣き余の
義にあらず 中宮御産の御祈 此度の大赦に付き奥州の流

人 桂の中納言則国召しかへすべしとの勅諚 奥州は源氏の任
国 義家宜しく沙汰すべしとの御事也と述べらるゝ 義家ハツト領
掌有 中納言則国事は聊かの科によつて 父頼義が任国の砌
奥州松が浦へ流され今に存命 此度赦免の下し書(ぶみ)義家
計ひ奉らんと 勅答有ればコレサ義家 流人の事は下状を以て事は足る
御邊は是より直ぐに上洛 十握の剱も今において行方知れず か
ほどの大事を余所になし優々と在国し 鹿(しゝ)狩山狩に日を送


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るは君への不忠 但し所存有ての事かと 何がな横に蟹公家の爪を
隠せし奸佞邪智 コハ惟時の仰共覚へず 雲上に月花の御玩(もてあそび)
武士の狩漁(かりすなどり)は軍のかけ引 軍慮忘れぬ武士共が 未熟の手
ずさみ意に入て祝着と 一句の答に返答も何がなとへらず口 いか
様音に聞へし貞任宗任 鬼神も欺く曲者 敵に取てはこは者/\
随分と稽古して 敵の首よりこつちの首の 用心が肝要ならんと
権威をかさに嘲弄す こらへ兼て権頭憚りもなく進み出 勅使と

敬ひ差控へ罷り有れば余り敷御一言 先年栗坂の其一戦 小勢を以て大
敵の逆徒の張本 頼時を討取たる其日の軍 勝に乗て追打せざるは
軍の法 彼の六韜(りくとう)の誡めの存知有ての御批判か サア御返答承はらんと 語りか
くれば瓜割四郎 ヤア権頭 高官に対して無礼の過言 控へ召されと惟時に諂ふ
奸曲 義家それと左右を制し 惟時公の御批判も 武勇を励ます御計らひ
武の憤りに其身を忘るゝ景成が過言 何条賢慮にかけらるべきと 事
を治むる明智の詞かゝる所へ小林の郷民共 折に籠めたる靍十番ひ 御前に差


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置き中にも庄官とおぼしき男 仮屋間近く頭(かしら)を下げ 此靍日毎に小林の宮居近く
おり候故 所の者は追い候へ共少しも恐れず 飼鳥と存ずれ共下々の勝手に悪い大鳥 夫レ
故村中が寄合付け 相談の上殿様へ御献上 宜しくお上のお取次 頼上るといひ捨御
前を立帰る 義家甚だ御悦喜有 誠に靍は仙家の霊鳥 我先祖六孫王
東夷征伐の其折から 此所にて雌雄の靍を得給ひ 源氏の武威千歳(せんざい)の後迄
輝くべき印也と此小林の岡に放し 所を直ぐに靍が岡と名付け給ふ 時といひ所と云
旁めで度き家の吉瑞 六孫王の古例に任せ 八幡太郎義家是を放つと 金(こがね)の

札を付け此所に放し置き 八幡宮の神鳥と普く天下に觸れ流し 神慮を仰ぎ奉らんと
恵も深き御上意に皆々 あつとかんじ入る 景成遥かの梢を見渡し アレ心得ず 帰鴈
行(つら・列)を乱る時は伏兵有との兵書の禁(いましめ) シヤ曲者ござんなれと 立上れば御大将ホゝウよく
咎めし権の頭 鎌倉の留守を預ける汝 其心がけを見よふ為の我計らひ 伏せ勢ならずと
廟をひらき 招かせ給へば茂みより 顕はれ出るは此度の 御供に従ふ勇士のめん/\ 皆坂東に
誉の弓取秩父十郎伴の助兼縣(あがた)の次郎 其外譜代恩顧の武士早御立と
白幡に靡き従ふ源氏の威勢 朽ちせぬ黄金の 靍が岡都をさしてぞ 「行雲の


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何事も春は吉田の神社 百(もゝ)さいづりの宮雀 八百や万の鳥の音も 賑ふ神の誓ひや
参り下向も多き中人目に夫レと裲は 九条の里の恋絹迚 廓に名有金盛の松
の位の太夫職 二世と兼たる恋中の 生駒之助に添ひたやと 歩を運ぶぞ殊勝也 禿
の市弥不審顔 申太夫さんへ けふは生駒之助様に逢に行とおしやんして 来て見たりや
吉田で有た コリヤ狐がつまみはせんかと いへばにつと打笑ひ サイノ 久しう便りも遠ざかり
案じもあらたな神の利生 大さうな願参り近いと思へど余程の道 定めてそなたもしん
どかろといふ向ふより先払ひ 遠目にそれと遉は太夫アレ市弥 そなたが常住拝みたがる

生き雛様 傍では無礼と花のかげ 舎人がきしらす御(み)車は 当今の御弟君環(たまき)の宮 まだ
振袖の莟から役目も重き匣あ(くしげ)の内侍 附き/\賑ふ花の本(もと)争ふ女中の袖袂 御機
嫌 斜めならざりし 馬場先の方よりも歩み来る若侍 武将八幡太郎義家の近習志
賀崎生駒之助英(はなぶさ) 夫レと見るより遥かに飛去り頭を下げ 御忍びの行幸とは申ながら 大切成
君の御物詣で 主人義家某に申付 余所ながら御車の御供と 言上すれば匣の内侍
ヲウ遉は天下の武将と呼るゝ程有て 道を守る義家の心遣ひ 宮様にも嘸叡感
殊更長閑な春の気色お気慰みのけふのお供 物堅き直方殿是非御供と有


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たれど どふやらこふらや御所のお留主を いかにも/\ 大切成御所と申 四角四面な直
方殿御遊興の御供には 花も紅葉もくすぼりかへる アゝ何がな宮様のお慰みをと見やる
木影に鷺の首 覗て見たり引こんだり招くおばなの鼻の先 冷汗かく共しらざる女中 匣
はそれと見て取て コリヤ供の者共 宮様にも異(こと)ない御機嫌 今暫くお隙がいろ お迎ひは入 
相の花ちる頃 早ふ/\に雑式仕丁残らず打連れ立帰る 生駒は此場をくろめんと 真顔
に成てアレ/\/\女中様御らふじませ 御所方には珎らしい 遊君と申す者 御らふじた事ござりま
すまいといふ内侍が何遊君ときゃ 江口の君のうかれめと古今集では見たれ共 直に見るは

今が始め サア/\早ふに生駒之助 してやつたりと一人笑 彼の太夫めが揚屋入の道中を 今
爰へ取寄てお目の正月させません それ/\そこへ もふ爰へと?(めまぜ)仕形を恋絹が かい取小
づま八文字 よるべ定めぬ流の身にも すいた男の有ばこそすかいで是が勤まろか
アゝくだ斗と生駒が傍 寄らんとするを目と仕形 寄なとそらせどヲゝしんき けふお
前と連れ立て 此吉田で呑明かすとさつきにからと 膝に取付きあまへ泣 こたへ兼たる
辛抱袋破れかぶれと 生駒かやくたい 二人がそぶりを女中達 コレ生駒殿 あの傾城は
そなたの相方とやらいふ物かと いはれて恟り心付 ハテ扨めつそふな仰 物堅き八幡が


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家来廓遊びは夢にも存ぜぬ ムゝそんなら今のは ハテ客を捕まへて此様にするが
傾城の仕打 そこで客めがたわいに成て 可愛色を引寄せてコレ 此様にと抱しむれば
コレ志賀さん らつちもない事隙入ずと サアござんせと手と手を取れば ソレ/\どふでもそなた
の馴染じやと 手め上られて生駒之助 エゝ近付きでもないくせにいろ/\の事ぬかす故
あなた方への云訳なし イヤお前がわしにと又取付き 両手をじつと引しめて かふした所が廓
の口舌 先ずあら方はこんな物と 口から出次第云訳次第取付き引付く向ふより 歩み来る瓜割
四郎朱鞘の大小いかつげに それと見るより強腹ながら ヤア生駒殿 主人義家大

切成急用有 早ふ/\の声に恟り飛退て 急御用とは覚束なし 貴殿様子を聞ず
やと 立寄る生駒を突飛し 大切成役目を受け 夫レに何ぞや女を捕へ見苦しき振舞
何かは御用も我等はしらぬ 早おいきやれとねめ廻す 恋絹生駒は目を見合せ 道
理に詮方投げ首し 心残して立帰る 続いて立つ恋絹を 四郎が留めてコレ恋主(す) エゝわれは
/\ 首だけ惚れている四郎 ふつて/\ふり付け 生駒にばつかりきつい乗りやう胴欲じやぞ
よ エゝ爰な命取めとしがみ付 ふり放して逃行くをどつこいならぬと又取付く アゝこれ申し
そふぞいなして拝みます イヤ/\/\拝むはこつちからと詮方なんぎの最中へ 鳥をさいた見さい


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なさい鳥さいた見さいな 何にも得とらず えさし竿 物見だけい女中達ソレ/\宮のお慰み
四郎とやら其鳥指し爰へよびや 四郎/\にハアゝゝ 鳥差お召じやうせおれと いふ間を
はつして恋絹が 逃げ行くになむ三宝 大事の鳥を飛してのけた 鳥差しめ覚えておれ
とつぶやき跡を慕ひ行 鳥差は立寄て餌竿(えざお)をおろししやに構へ 一つひよ鳥ひえ
の山の 二つ梟二子の山に 三つ菟(みみづく)都鳥そこよ かしこと立まふふりにて匣の袖へ
投げ文を ひら/\ひらの 桧木の枝とそらさぬ風情 文取上て匣の内侍 ハテいぶかしき
賤の振舞 御前に叶はぬあつちへやりやと 文投捨れば女中達 下々の身分で

内侍様に付け文とは 大それた慮外者 早立て行け/\と せり立られてもひく共せず 下
々で有ふが何で有ふが 恋に上下の隔てはない 但又鳥差が上(うえ)つかたに 惚る事はならぬ
といふお触れでも有たか 何でも思ひ込だ此男 返事聞ねばいつかな/\と人目遠慮
もあらくれ男 アレ狼藉者誰そ参れと 呼どおりあふ人もなく隔つる女中をはり退けぶち
退け 傍若無人の狼藉に 内侍は宮様かい/\゛敷 のふ/\こちやと局達神前さして
逃行くを 儕女め一掴みと 大手ひろげ逸参に跡を慕ふて追て行 内侍は宮をい
ざなひてつまづき転び出給ふ 跡からいつさんかけくる鳥差 内侍様 まんまと首


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尾よふ参りました 様子は今の文の通り早ふ/\とせき立れば匣は宮を伴ひて 何いふ
隙も嵐に連れ何国(いづく)に共なく落て行 かくとはしらぬ女中達 おろ/\目にて走り出 コリヤ/\
鳥差 宮様どつちへ連れいたとすがり付を踏飛し ヤア宮が見へねば身かしらふか そこ
退け通せイヤ/\/\ そなたが連れいた宮様をこつちへ戻しや イヤしらぬ そなたかと争ふ
半ば傔丈直方御帰館遅しとけ来る松かげ 様子を斯くとかけ寄て鳥差が左の脇
つぼ 一ど入たる霞の当て身 コレ/\/\宮様はいづくにおはする 匣殿は内侍はと 問もいら立
こなたもうろ/\ あの鳥差が狼藉故 宮様伴ひ匣様はあの道へと いふ間もわくせく

かけ行女中 扨こそ曲者はかして聞んと又一当て むつくと起る間稲妻の懐剣咽
につき立たり なむ三宝詮議の種 ヘツエしなしたりと気は夕陽(せきやう) 車輪のごとくかけ廻り
さも有れいかにと死骸の懐中 手を差入れて引出すを一通 さつと披(ひらい)て読み下し 何々環(たまき)の
宮を盗出し給はるべしと 匣の内侍へ頼の状 何者共名を記さぬは 朝廷にはびこる
佞人 大江の惟時なんどがしはざか 何にもせよ 逆臣に出しぬかれしか エゝ口惜しや去な
がら 是こそは詮議の手がゝり 究竟一通懐に しつかと納る忠臣の心の闇の道筋
をいつさんにこそ 「帰りけれ 西洞院左女牛の殿造り 八幡太郎義家朝臣 再び


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鎮守府将軍に御拝任の御悦び迚 在京の大小名思ひ/\の御献上 錺口上使
者袴 奏者の女中が受け答へ花をちらして持運ぶ 忙い中ちらほらと一つこかげに寄りつ
どひ 葉桜様何と御家中も多い中 よい男といふは生駒之助様 かはいらしい殿御じやないか
と いへはみはしがサイノウ したが顔に似合ぬ物堅さ 其顔に似合ぬで思ひ出した 茶の
間の楓かあの顔で 生駒様を付つ廻しつ 何と身の程しらずじやないかいのと 譏る後ろへ
によつと出た頬はすもゝの花楓 櫛笥鏡台携へて ヲゝ皆様聞ておくれ わしが此様
に思ふのに 生駒様の聞入のないはどふした事と思ふたりや あのお方は傾城ずきで

こちらが様な大むくは嫌ひ 夫レでわしも今からはでいに身を持て 生駒様に思はれう
と コレおぐし上げの礒野を頼 結ふて貰ふた此釣舟 似合たか見ておくれといふ目付のした
たるさ こらへ兼て吹出す口の間より 後家人瓜割四郎糺 袴の角菱いかんた頬付(つらつき)
ヤア何ざは/\とめらう共 ヤうぬは楓めエゝ悪くさいやつこりやお玄関近く 女の手道具
見苦しい ばか者めと蹴飛ばかされてさんらんこはい 皆々次へ逃て入る ヤア面倒な此手道具
持てうせぬか 誰そ取て捨よと呼はり/\奥へ入 御門の方さはがしく出おらふ/\と下部が
声 様子は何か白洲先かいどり小づま八文字 ヤア女め待て 御家中に見馴れぬ風俗胡(う)


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乱(ろん)やつ サア名をぬかせ聞かねばいつかな ホゝゝゝ 合点が行ぬの聞ねはならぬのと 無理な客
様(さん)の色事をせかんす様に ヤア扨は儕ばいたよな 爰をどこだと思ふ 忝くも八幡様の御
屋敷 サア出おらふと引立るヲゝぶすい 人の心もしらずに 其様に叱らんす物じやない
其八幡様の御家来 生駒之助様に逢ねばならぬ訳有て コレよいお人じや 誰やらお
もてへ逢に来ていると ちよつとあの様を爰へ呼出して下さんせ ホンニ又此生駒様も
何して居さんす事じややら 早ふ奥逢たい出て下んせぬ事かいの エゝしんきやと式台に 身
を投け嶋田 すいせんの流はでに顕はれり ヤアしやうのこはい下主女 いちばらは巻ざつ上

とひしめく声 何事やらんと立出る志賀崎生駒之助 一間をずつと顔見て恟り や
にはに庭へ飛石の 堅い顔付気色をかへ ヤア下郎共 御座の間近く尾籠の高声
ハイヤ此女め胡乱者故引捕へて ヤア生ぬるい わいらで行ぬ身が詮議する 早く下
れ何馬鹿やつと 叱りちらして追立やり 邊を見廻しつつと寄る コレ恋絹嗜めコリヤマア
何事 物堅きお館の格知て居ながら はでな姿で昼日中 お上へ聞へたら生駒
之助は痛い腹 サア人の見ぬ内に早く/\といふ間も若しやと胸どき/\ せく男よりせき
入る恋絹 コレ生駒様 ひよんな事が出来てきて 夫レでお前に逢たさに ヤア/\なんしや


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ひよんな事とは気がゝり 其訳をサア早く サアイナ 其訳といふは 客は誰かしらね共 わしに
合点もさせず身請の相談 親方がいに手附迄受取るたと 聞こはつたりコレ此つかへ
どふかこふかと案じる折から 欠落してこいとお前のしらせ ヤア/\/\そりや誰が 四郎様が ヤア
何あの瓜割四郎がそづいづたを 誠と思ふてスリヤそちは廓を アイ欠落してきたはいな
ホイ はつと斗に生駒が当惑 ハテ合点の行かぬといふている間もそなたの此形(なり) 人が
知ては一大事どふぞ隠して置く所を エゝどふせうぞこふ障子明ける物音出る楓 見付けら 
れしと恋絹を こかげへ押やりそらさぬ顔 楓は其儘すがり付き エゝ気の悪い生駒

さん 今のしだらはどふぞいな あの子斗が真実で 惚れぬいている此わしは うそにいとしと思ふ
かと見捨られたもあの子故 アノ傾城と訳有る事今の様子も書置きて わしやいつ
そ死覚悟と 用意の剃刀生駒は驚き マア待た 死ぬるとは短気千万 そしてアノ傾
城と身共が訳を 書置きにしてよい物かと 留る両手をしつとしめ そふいわんすは 叶へ
て給はる心かへ デモ夫レは そんなら死ぬるイヤ放したとこは高に こまつて詮方なんぎの手詰 そんなら
応じや エゝ嬉しやと抱付かれ 顔を背ける生駒が思ひ 生ぐさ坊主か精進の 馳走
に礼いふ心地なり 折もこそ有れお客のお入とのゝめく声 何がな幸い コレ/\/\ お客のお出と


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引ぱつして逃行く生駒 コレ志賀さん 夫婦のかためはわしが部屋 必ず待て居るぞへと 尻
ふりちらして 走り行 程もなくのつさ/\入来る権威の鼻 大江大将惟時打紐した
る白木の箱 雑掌笠原軍記に持せ傍(あたり)見廻し声をひそめ 汝も兼て知る如く
年来の我大望 青公家原は大半味方になすといへ共 只手ごはきは 八幡太郎
義家平の傔丈直方 きやつらは禁庭にへちまへば 何かと手述び無念至極
何卒罪に落さんと肺肝を廻らし なんなく直方は術(てだて)の網に打込み けふ中に仕廻ふ合
点 此上は義家一人 彼が家来瓜割四郎我味方に付けたれば 十が九つ大望成就 只

儘ならぬは恋といふ曲者 義家が女房敷妙 いろ/\と心を尽せど今に色よき返事も
せぬ 何でもけふは此艶書(えんじよ)を合点かと 渡せば取て懐中し 今日中に御手に入ん必ぬかるな
合点と 欲と色との間の襖 出向ふ瓜割四郎惟時が傍近 お頼の通り生駒之助しくじ
らす術上首尾 きゃつがなじみの傾城を此館へ引入 夫レを越度(おちど)に打殺せば風の神で
恋の敵 恋絹を我女房にといふもぞく/\でかした/\ さい先よし 艶書の事を軍記合点か
瓜割必ず仕損ずなと 二人を立する間もなく さと打かほる 絹の香は 義家の奥方敷
妙御前 裲姿もしとやかに 惟時公には御苦労の御出 夫義家早速お目にかゝる


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筈なれ共 今日は非常の大赦何かと取込罷り有る 無礼の段は真平お赦し 御用の品も有ら
ば私にと 聞て惟時異義繕ひ ヤ義家の内証此頃は打たへ申た 其元の親父直方
には御預の環の宮行方なく 老人の心づかひ そこにも親の事なれば嘸案じ召されう 夫レは
格別 某けふ罷越す事別義ならず 義家には近々東国へ進発 門出を祝はん為
惟時が寸志の音物(いんもつ) 改めて受納有と件(くだん)の 太刀箱さし置けば 是は/\何から何
迄深切の御詞 殊に夫が門出を御祝ひとは 義家にも嘸悦びと 蓋押明くれば
こはいかに切柄したる荒身の刀 恟りさすがは武将の妻 さあらぬ体に取上て武士(ものゝふ)の

門出に打物とは 御心の付きし御音物(いんもつ)去ながら 是は正しく科人をためす不詳の刀と いふをお 
さへてコレサ敷妙 心を籠めし我音物 婦人が聞て何を判断 義家に見すれば胸に覚へ
の有事さ とつくりと思案をして 其刀の返答を相待つと 某が申すといはれよ奥方と
割て云ざる切柄は いか様子細新身(あらみ)の刀 鞘にしつくり納ても 心のときつき納らぬ 気を取
直し 姫ごぜのちえに及ばぬ事 義家に右の品 お出の様子も申聞ん 役目済む迄暫しの内は
ヲゝサ 其刀の返答聞切迄は帰らぬ惟時 案内召されと権柄 横柄敷妙に打つれ
「一間へ入にける 口の間より奏者の女中生駒様/\ と呼つぐ声 生駒之助是に有り何用成る


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ぞと立出れば 申あなたにお目にかゝらふと 九条の里のくつわとやらいふ者が ヤアくつわが
来たか コリヤたまらぬ 我等が逢ては事六つかし こなた衆頼む コレかう/\と耳に口 こかげに有
あふくしげ鏡台抱(だかへ)て奥へはづし行 程なく白洲へ小腰をかゞめ ハイ私は九条のけい
せい屋文字屋の友三 是なは請人の惣助でござります 私抱への奉公人恋絹と
申す女 去る方へ身請極り手附迄請取ました 所に夜前廓を欠落ち 何が方々と尋
ますれ共とんと行方が知れませぬ さつする所恋絹がふかまといふは是の御家中生駒之助
様 見請を嫌ふて廓を出たからは 外へは参らぬ此お屋敷に アゝコレ/\爰は殿様のお白洲

先 麁相なる事など申上たら アゝ申おつしやるな お前方は素人 慮外ながら文字の友三といふて
ずんど黒い男 ソレ/\此惣助も身晴 何じや有ふと生駒様に逢てのおりのり 又逢しや
れぬがさいご 奥へ踏込み直々にと 口を揃へるくつわがゆすり 一間の内に大音上 ヤア/\八幡
太郎是に有り 己等下々の分として上を恐れぬ推参者 引くゝつて牢へ打込む 覚悟しお
れとかさ高に襖ぐはつたり立えぼし 大紋くはつと目の中の きよろ/\するも思ひなし威に
恐れてとんぼう返り お赦し御免と跡しさり よはい所へ付け込んで ヤア一寸もうごきおるまい
返答が悪いと首が飛ぶも忘れぬぞ 思へば/\につくいやつ 傾城も同じ女 かはいそふにいやな


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男に見請とは己等が身がつね すいた男に添はしてやるか ハアハアそんなら赦してこます あの
ごくどうめがと強ふ見せたる足拍子 はづみにすつぽり立てえぼし 結びめ解けて櫛払ひの
頬髭落れば傍邊り ハツト生駒が取のぼす顔のえのぐも汗たら/\ 所斑(まだら)の八幡大
名 俄かにしよげたる顔を見てヤアこなやは 生駒之助といはれてなむ三しくじつたと天窓(あたま)
抱へて逃入れば ヤア大衒(かたり)の生駒之助金の代りに連れていんで廓の法の桶伏せと かけ入んと
する一間より 両人控へよ先ず待てと 立出給ふは義家の妹君名も八重幡の九重に 花
もおさるゝ品形 コレそこなくつわとやら 其様に詞をあらし 若しも此事兄義家様のお聞

に立ばそち達が身の上 生駒之助迚も同じ事 そこを思ふて留めに出たは自が情 なんと
其恋絹とやらが身の代を弁へなば そち達に云分は有まいがの 何が扨 お金さへ受取ます
れば そんならば其傾城 自が見受した 夫レ持て早帰れと 寝耳へ水の山吹より花
も実も有取捌き コハ忝なし有がたしと戴きいさみくつわやは九条をさして立帰る 生駒
はめんぼく中敷居出るも出られぬ此場の品 恋絹は一間より姫の情の有かたさ出るもお
もて 伏し沈む 八重幡はしとやかに 姫ごぜは相身互い 何の礼に及ぶ事 かふした世話を
する身にも心に任せぬ憂き思ひ 物馴れしそもじを便り 力に成てと斗にて思ひ入たる御


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風情 アノお姫様の改つた 大恩受た此身の上 お心に叶はぬ事あらば何なりと サアおつしやれ
どふぞいなと いはれていとゞ恥しさ思ひ初めたる恋人に 千束(ちつか)の数は重なれど モウおつしやるな
よめました 恋の手管は勤めの道 私がかう申すからはお心づよう思召せ シテ其惚れてござんす
殿様といふは お公家様かお大名か イヤ大名でなし公家でなし そもじの馴染の生駒之助
と 聞て恟り指しあたる恩と 情にからめられ今更何と思案さへ 壁に生駒が 聞くぞ共
思ひ 極めて傍に寄り 二人が訳を御存じの上私へのお頼は よく/\せつないあなたの恋路 切るに切ら
れぬ中なれど いつそとんと思ひ切て 私がお世話致しませふといふをこちらに立聞ておれ

を思ひ切たとは うそか誠かとやかくと気はもめくさの袴に汗 姫はいそ/\嬉し顔 わりな
い無心此上は 只よい様にと袖口に 紅葉かざして入給ふ かげ見るや見ずつか/\/\ 胸ぐら取てコリヤ
恋絹 エゝ儕はなア イヤモ見さげ果てた根性 そふいふ心とはしらずつもられたが残念なと引つ
廻しつ打たゝく手に取付いて ヲゝよういふて下んした 女房じやと思はしやんすりやこそ 打もさしやん
す擲きもさんす お前の様な真実な殿御が又と世界にあろかいな 見請して貰ふた義家
理にせまり今の様に姫君様にいふたれど 顔を見たれば退きとむないやつぱり元の女夫じや
と 男の膝にすがり泣 わりなき有様立聞八重幡悋気の中にも二人が心 思ひやる方


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あら気の生駒 エゝいやらしいのいてくれ 心底のくさつた女ゴ顔を見るもけ
がらはしい 大方おれがやつた誓紙も身仕廻い部屋のすき祇 油くさい狐わなよい加減
につまんで貰をと ついと立を待たしやんせ又かんしやくの悪ごうか そも突出しの其日
よりいひかはした互のせいし 肌身離さず此守りにコレ見さんせと取出せば イヤ/\まだ
其守りの中に何やら有 エゝ疑ひの深いお方 是はわしがとゝ様の筐 大事にかけねばなら
ぬ物 マア其大事がるが合点が行ぬと引たくつて 隠し男様のせいしの文言ドレ拝まふが
何じや 奥州六郡の主安倍太夫頼時 法名大了院殿㐂山大居士と 読みもお

はらずコレ恋絹 スリヤ此頼時といふは アイわたしがとゝ様でござんすと聞て恟り一間に立聞く
義家公猶も窺ひおはします 生駒之助つつと立ち 縁は是迄恋絹と 思ひがけな
き夫の詞すがり付くをふり放し添はれぬ訳は其書いた物 頼時か娘と有は朝敵貞
任宗任が兄弟 しらぬ昔は是非もなし 源氏に仕ふる生駒之助 朝敵の血筋につ
ながつては主君へ不忠武門の穢れと いはれていあらへも涙くみ けふ迄包みし我身の系図
とゝ様はくり坂の合戦に流矢にてあへなき御最期 兄様達も皆ちり/\゛行方定ぬ
うき勤め ふと馴初めし二人が中 起請誓紙を忠義にかへ縁を切とのお詞を 無理とは


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さら/\思はねど お前に別れてそもやそも此身は何と成ぞいなエゝ死しやんしたとゝ様
も聞へぬ 兄様達も兄様達 よいかげんに朝敵もやめにしたがよい お前の様な男と
敵味方に成る様などんな軍が有物か 私か縁の邪魔に成る兄様達 こつちから縁切る程
にコレかんにんして下さんせ エゝなあ申とくどき嘆くぞいぢらしき 始終をとつくと義
家公一間をさつと押明る 音に二人は消へ入る雪 とけぬ此場を逃て入大将端近く出させ
給ひ ヤア/\誰か有 召しかへせし流人共残らず是への詞の内 ばら/\出る帰洛の流人籠を出
たるいさみ足 瓜割四郎御前に向ひ 常盤嶋はだか嶋竹の浦松が浦 いつれも奥

洲一国の流人都合廿七人相揃ひ候 ヤア/\汝等謹んで承はれ 此度非常の大赦行はれ
国々の流人赦免有る 去によつて奥州一国の流人は我君へ仰下り召し返したる儕等 有かた
く存じ奉り何国へ成り共立退くべしと 上意にはつと流人共悦ぶ声はけうくはんの 地獄
で仏に逢たるごとく拝みつ転びつ出て行 跡へしほ/\ 立出る 是も流人としらすのさき
なりも形もしよげ鳥の 身すぼらしげに うづくまる 義家遥かに見やり給ひ 奥州の
流人則氏とは御身よな 早速の入洛此上なしと 仰に流人謹んで 親にて候則国勅
勘を蒙り奉り 流人と成し其頃は我いまだ若冠 成長するに随ひ父諸共昔


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をこふる憂き年月 海士(あま)の苫屋の煙と供に 父は空しく相果てて 生きたるかいも荒磯の
嶋守りにて朽ちなん身の 召し返さるゝは大君の御恵偏に武将のお情と 低頭平身なし
ければ 何父の卿には空しく成給ひしとや 是非もなし去ながら 今日帰洛の此上は 父則国の
本官を直ぐに 桂中納言教氏卿 いざ先ず是へ 誰そ御装束参らせよ ハツト女中が取々
に 木綿の嶋守り引かへて 冠装束花やかに 忽ち雲の上人の 威も備はつて見へ給ふ
其装束を召さるれば 貴公は高官武官の某 憚り有と上座に 進め給ふぞ コハ痛み入る
御礼儀 今迄は天下の流人 今よりは朝家の近臣 百官百司に列なる上は所存を包むは

君への不忠 天下の武将義家に桂中納言教氏が 三ヶ原の不審有 先ず第一には 三
種の神器の其一つ十握の御釼 先年より紛失し御行方知れさせ給はば 禁門の外は武将の
守る所 天照神より伝はりし御宝 草を分け地をうがつてもなぜ詮議しめされぬ 第二には
環の宮 御行方ましまさず 是なんどは朝庭の御大事 察する所都間近く叛逆謀叛の
族(やから)が所為(しわざ)と 鏡にかけて顕れたる さすれば奪はれし直方に其鎧なきにしもあらず 直方は御
邊が舅と聞及ぶ 縁に引れてゆるかせに指し置くなんど世の人口はふさがれまじ 此三つの返答聞か
まほしと有ければ ハツア遉は文道に名を得給ひし桂中納言教氏卿 御心の御不審一々


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承知仕る 併し此御返答は 義家存る旨有ば参内の折を以て いかにも 然らば再会/\おさら
ばと 見送る式臺別れの礼儀 袂も匂ふ初(うい)冠 大内さして帰らるゝ 大将惟時一間を立
出 最前敷妙に渡し置く刀の返答 いはずと胸に覚が有ふ 舅直方が誤り一家迚用捨
は成まい 首討て渡されよ イヤそふは罷りならぬ 環の宮を奪れしは一応の越度(おちど)斗ではない 大切
の詮議有直方 はる/\゛敷く首討たば 宮の詮議は何を以て仕らん ちと御麁相に存ずると やり
込められて負けぬ顔 左程抜け目なき義家が 家来の不義はなぜ詮議せぬ ソレ軍記 承
はると笠原が 引立出る恋絹生駒 何と見られしか 主の屋敷へ傾城を引入れる放埓侍

我家の事さへ得しらぬ御邊 天下の武将心元ない 是でも見事大切の 詮議をするか義
家と 何がな悪口嘲弄も理の当然にさしもの大将 抜き差しならぬ此場の時宜二人をは
つたと蹴落し給へば 身の誤りに詞なく 白洲に頭を埋み居る ヤア/\敷妙 最前の切柄
の刀持参せよ早く/\と詞の下 夫の心は白鞘の此刀は何の御用 ヲゝ不義者めを成敗
する エゝ不便ながら武将の役目 ソゝそふなふては済むまいと 嘲る軍記が真向なし割り二つに
成てのたれふす ヤア笠原には何科有て サレバこやつ大不義者 御覧なされ有ふ事か
女房敷妙にかやうの艶書 傾城狂ひは時の興強ち不義共申されず 主有る女に不義


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しかけるは 畜生と申そふか 成敗したが誤りか 科の吟味立てすると どこへとばしりがかゝ
らふやら それ共に御不審あらば 承はらんと和らかに 肝のたばねを指し通され ムゝ尤 扨々軍
記めは存じの外なる不届き者 逆さ磔にもかくべきやつ手討とはまだ御了簡 シテ両人が成敗
は ヲゝ傾城狂ひの放埓者 勘当致してあほう払ひ ムゝ是も尤 某も長居は恐れ 尤
なる趣き宜しく奏聞致さんと 二つ胴を遁れた心地 足早にこそ帰りけれ 言訳涙生駒之
助刀逆手に取直す ヤア犬死せんとはうろたへ者 追放の身にいらざる武士立て 最前一間
より立聞けば 其女は貞任がナ 定めて遠い国の者 馴なじみしこそ幸い 夫婦と成て随分添ひ

とげ 彼の本国へ立のかば究竟の手がゝり 心得たる 環の宮の行方がしれねば 舅直
方は大罪人 時宜によつては敷妙が 縁の切れ目とならふもしれぬ 添とげるも義理 添は
れぬも 浮世の義理と諦めよと 八重幡姫の事迄も思ひやる戸に忍び泣 縁の
切れ目と嫂(あによめ)の 情の裲顔と顔余所に 見なして入給ふ かゝる所へ笠原が弟同名軍六
兄の敵遁さじと大勢引具し追取まく それと生駒がコリヤ/\恋絹 是でふせげと一腰
を しやんと柳の腰車 石げた肩げさまくり切 逃るをやらじと女夫は白刃奥庭
ふかく追て行 すでに時刻も 宵闇に外面を窺ふ笠原軍六 生駒が手並


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にもてあまし一(ひと)抜けぬけたる抜けがけは 敷妙を奪取て我高名にと一人笑 あの
亭(ちん)こそと裏門の 塀に身をよせ耳を寄せ 窺ふ内には恋絹が気勢を
切ぬけそこかしこ 是を足場にあの塀と 差したる刀抜きはなしつつこむ切先
軍六が 胴腹思はず芋さしに のた打廻る鰻武士 内にはそれ共白かべに
柄の足しろ 塀の上 ひらりと飛たる折こそあれ 多勢をなき立 生駒之助
女房出かした惟時が 家来軍六を手にかけしは 忠義の門出手始めよしサア
恋絹とつつ立つ所へかけ来る瓜割大音上 ヤア扶持離れの生駒之助殿色事仕

かと思ひの外手にほうばつたる儕が働き ソレ家来共討てとれ 承はるとちか寄る
やつばら はら竹なしわり瓜割主従叶はぬ赦せと逃失せたり 返す敵も並木
の馬場 さはいへ名残と見返る生駒我も 廓をけふ限り 其うきふしもよき武
士の つま引上て引しめて 是より直ぐに打立たん 其行き先は不破の関清見 しら
川衣が関しのぶの 関は有し身の 口舌の柵手管の関鳥の鳴くさへにく
かりし 今の此身は鳥の音に 函谷関(かんこくかん)を越へたる例し頓て目出たき世
にあふ坂の 関所/\をやす/\と吾妻の そらへといそき行