仮想空間

趣味の変体仮名

置土産今織上布 下の巻

 

読んだ本 https://www.waseda.jp/enpaku/db/
      ニ10-00243 

 


41(左頁)
   下の巻
ヨホンホホウン エヘンヘエ 龍田川には紅葉を流す 我は君故浮名を流す ヨイヤ/\よいやな こいで/\と待つ夜
はこいで 待たぬ夜明にヤレ門に立つ ヨイヤ/\よいやな 七夕を 五日も早ふ取越て 天の河忠の大騒ぎ 西
国方の侍客 帰国見立ての立振舞 座敷はたいこ三味線の とちてん/\と 舞勝手余所の撰ぎ
も目に付かぬ 小春は傍(かたへ)の小座敷に次兵衛がよすが思ひ寝を 咲弥は覗いて ヲゝ寝てかいな さつき
に次様にちよつと逢たら お前の御心を委しいお咄し どふぞ小春に逢たさに 河忠迄往て見ても 忠四郎
也太兵衛め迄 差合だらけで寄付れぬ 首尾してくれといひじやよつて 智恵の袋をふるふた此蚊屋


42
釣らして置たも人目垣切戸の?もはづして置く 仕限(しきり)の襖もさして置かふ 見へたら爰でしつぽりと
座敷はわしがすなさせんどふなと首尾して置はいな ヘエ嬉しい咲弥様 何から何迄お前のお世話 死でも忘れ
は ヲゝ何じやいな 可愛い人に逢のが 其様に悲しいかへ お前のしめ/\さすので どふならわしも胸つぼらしい 本にどふ
した縁じややら我身の様に思はれて 只お二人がいとしぼい ならふ事なら同じ日に 死だら嘸や嬉しかろと 思は
ず知らず死神の 誘ふと見へて哀なり 踊り出立のお山鬘 来たはいな /\ コリヤやつの太兵衛が来た
わいな ナント京之助が軻りよがな 是程美しい拙を嫌ふて 二人ながらぴんしやん/\ こりや又疱瘡見舞か
軻れるはい ヤイ咲弥め 儕マアいつやら山さきで 余りむげつしよに えらひどいめによふ合しおつたな ヲゝ覚へ

ておれ ヲゝ覚へておれ/\ おりやもふ何にも 覚へられぬて候ところりと転たる高鼾 おりしも
裏の切戸口 来かゝる次兵衛は夜の花 咲弥は夫レと聞付けて 切戸をそつとしめ明けに ゆらぐ玉
の緒手を引て爰に子の日の小春様 次様送りますぞへと 忍ばす蚊屋の内からは 物を
も云ず抱きしめ泣より外の事ぞなき 咲弥様/\ どこへはいつてじやいな 咲弥様/\ ヲイ/\
そこへと立戻り 襖立て切りとつかはと 座敷へこそは走り行 早盃も取り汐にお寝間/\と
亭主方 逝で仕廻ふもしら浪や沖の小嶋に有らね共 我のみ独り俊寛かと 秀句交りに
宅右衛門河忠も引添い出 ホゝウ太兵衛様の厳しいづだい坊 いか様なァ お山鬘に前垂がけ 見るから


43
意地の悪さふに おぬしが女房といふてもよかろか ヤこりや術ない したが歴々料理やもご
ざりますに 手の平程な河忠で あなた様の出立振廻(ふるまひ)付けらるゝも皆お影 来年のお
登りをもふ只今から待兼ます 御亭主方は皆お帰り わつさりと跡酒は 蚊屋に宵寝の小春
様 無理に起してお相人(あいて)と 一間の口に差かゝるを 咲弥はかけ出立ふさがり アゝ是ならぬぞ/\ 女中独り
の寝所へ 茶屋の亭主がほつかりと 足踏ん込むとはきつい無躾 イヤ又小春も小春様
宅様の翌(あした)立んす今夜じやないか いつは兎も有れ尻軽に 暇乞もさんす筈 気随じや
ぞへ/\ 気随じや/\/\といふに心もつくも髪 解けぬ心を梳き返す 唐紙明けて立出れば そりや

こそ生れた小春様 見さんせきつい灸(やいと)かと 咲弥も供に座に直り サア/\酒じやと立騒ぐ
亭主を押へ宅右衛門 アゝいつ見ても浮かぬ顔 いつぞやもいふ通り 女房子の有紙屋次兵衛
恋慕ふても済まぬ入訳 咲弥も口どめしたれ共 明日出立故打明聞かす 当正月四日の朝
爰に寝ておる太兵衛めが そなたの持た次兵衛の紙入 盗み取て悪工み かけ構はぬ事
なれど 人の難義に成事故 取かへしてやつたは此宅右衛門 エゝ あの其時の ヲゝ亭主嘸憎からふ
其時見初た小春 呼出しても/\ 次兵衛に打込み心中立 イヤサぶ心中と見せかけても 互に死ぬる
約束は 守袋の女文 ナ殺しては恋も仇事 心よからぬ此内で 態と揚詰にして置も 拙者に


44(裏面)


45
身請をたした上と 太兵衛も指ざししをるまい 次兵衛もおのづと中隔たり 逢ぬがハテ
遠ざかる元 さすればこつちの手に入る小春 余り憎い仕やうじや有まい 恩も有り情も知る 必元へ
の土産と思ふて 二度とは云まいたつた一夜さ コレ武士が手を下げるゝ 是じや /\と下から出たる上手
には 否共応共返答は胸に打込む八寸釘 蚊屋にも聞耳発明な胸を咲弥が こまる挨拶
小春はふつと思案の道 付き汐もなふ宅様に今更こんなお返事を するもどふやら ヲゝ恥かし
高は斯じやと引寄せて コレナ斯々斯 フウフ呑込だ 必来年登つた節 心も帯も打解て 其詞
の違はぬ様 お侍様に何の嘘 よし/\ 忠四郎駕籠を云付きやれ 夫迄勝手で今一献 サア/\来や

れに忠四郎 そりや燗つけいお肴とわらりちらして打連れ行 跡を見送り次兵衛も蚊屋から
ヤレ/\ひあいな事で有たを 咲弥のかげでマア遁れた イエ/\それより難義な事は
来年の登りに 必逢てくれるナと 宅様のいはんしたは 私が心を立さそふと 人聞繕ふ表
向き 実な所は切戸から 忍んでお出る約束じやわいな ガ迚もの事に咲弥様 皆迄いひ
な呑込だ わたしが替りになつて居て 初手の間はお前の物真似 寝所へ入てから
宅様粋のやうにもない あれ程心中立てぬく人に 身を穢さすはきつい殺生 お心に
は入るまいけれど わたしを小春様じやと思ふて 夫レでたんなふなさんせと いふたらまんざら


46
武士気質(かたぎ)そんならそふともいやせまい お前方は人の見ぬ中 二階へちやつと寝
なをらんせ 早ふ/\とせかされてがたつく引出し檀梯子漸二人を忍ばせて
アゝどふやら斯やら首尾よふ往た ガ是からが袈裟以前 迷惑ながら寝ごしらへ
燈火ふつと吹消て 蚊屋の内へぞ入にけり 既に其夜もふけ行けば 仲居小
めろが煙草盆きせるの掃除早過て 家内ひつそと寝しづまる 丑満
過ぎを考へて道引かへし宅右衛門 路次から忍び河忠の 裏の切戸をきり/\/\ 明けて
小庭へ踏込しが 目ざすも知らぬ真くらがり 探りあたりし一間の蚊屋 釣手を切

てひらりとはね 小春 /\ 小春寝てか あいと返事も寝声の夢 細首
はつしと探り討ちわつと一声此世の別れ 音に目覚す身すがら太兵衛 仲居にめ
ろが聞付けて差出すぼんぼりヤア宅様 ばつさり伐こむ刀の刃音 燭台の音 寒
山寺 鐘は 無常の使にて 因果天罰忠四郎太兵衛 さんを乱せし五つの體
のた打廻り うめく声 二階の二人も死に行覚悟ながらも気はそゞろ 格子のむし子
めつき/\ フウ家内の人数は最是切 二階の人音赦されぬと 早上りくる檀梯子
二人は急に出もならず 心覚へと押入の 中(うち)へぴつかり刀の電光 はいりもやらず長持


47
の後ろに息を詰居たる 星の光りに透し見て 刀逆手に突立れど 手ごたへも
せず こりやどふじや サテハ表のむしこをはづし 逃失おつたかハテ残念 邊りに気を付けはし子
のおどり場気もおどり場 おりるを待兼這出る おだれは地獄の一足飛 幸芝居の
幟棹急な時には浮雲(あぶな)さも こはさも忘れ番鳥 羽打かはしする/\/\ 大地におり立サアおじやと
小春を背に大淀筋足に任せて走り行 心静に衣改繕ひ 何気ない顔宅右衛門 歩み出たる門
の口 芝居の櫓打出す太鼓 フウ最前鳴たは寒山寺 最早明け前 大嶋式部が戒太鼓
打てば不思議や其声の 心耳(しんに)をすます声出て 謡の調子も 乱れぬ丈夫悠々として「出て行

  道行天の網嶋
アゝ嬉しや 爰迄来たりやもふ追かけて来もせまい そなたは
癪がのぼりはせぬか サイナ 死ると覚悟極めた身でも 恐
ろしい切つはつつ ヲゝそれ/\ どふで死る命なれど 人に
切れては親一門歎きの上の猶歎き ガ可愛や咲弥は ひよん
なそなたと入かはつて 殺されさんしたもわたしゆへかんにん
して下さんせ 其いひわけは未来へ往て いつしよに詫言しやん


48
せふと 手を取「かはし川筋を 急ぐは死出の足堅め 難波
小橋は夜をこめて 月の脚さへ舩入橋は 跡になるてふ難
波橋 行末長ふ逢たいと 願ひをかけし天神橋を南へ 渡る
雁金ならで空に 飛かふ鵲の 橋を頼みの アノ星様の
年に一度の逢瀬の夜さへ 待で消行露の身を
何ぞと 人の咎めやせんと 火かけまばゆき 八けん屋
舩待顔に立ならふ 宿屋女の声々に 涙のぶ首尾は

儘にして 今の隙間にごんすがよいに 来たくば早ふ
来たがよい ヲゝヲゝヲゝ夫レがよい あすの命もしらぬ世に 何
の人目をしのぶはまだな 逢たか逢に往たがよい
ヲゝヲゝヲゝ夫がよい 宵の睦言 今は早 念仏にかはり
京橋も供に 冥途の 力草 ほんに縁とは云ながら
お内儀様や お子達の有もしりつゝ逢かゝり 深ふなつ
たも惚たから 此世斗かあの世迄つがひ放れぬ友千鳥


49
さぞおさん様母御様 憎い女郎とお恨みを 受けるが黄泉路
のさはりぞやと縋り歎けば供涙 つれない夫を大切に 心を
尽した女房や母や弟の恩を仇 歎きをかける身の罪を
救ひ給へと一心に 念ずる弥陀は西の方 東へ行けば大長寺 死の
縁無量と云ながら刃にかゝる我々が後世を助けて極楽の
道にいざなへ涅槃の門 明けなば人目暁を 此世の
名残御手の綱 引けや/\と網嶋の堤に こそは「たどり寄る

取々の世間の噂口の端に 云も よし悪難波津に咲弥が母は我身世に 長雨せし間に
桜橋 うつりにけりな憂歎き 夫義兵衛は町内の会所寄合留主い頼 過越方も取
交て思ひ出るは涙なり 町中御評判の網嶋の心中 今日よりの新板 走り書き謡の本は
近衛流 野良帽子は若紫 通らしやれ 人の心も知らいで面白さふに 余所の事でも
有る事か知合た中の事 ほんにマアこちの嘆きに取紛れて 堂嶋の隠居様や 五左衛門
様へ見舞も上げぬが 嘸お歎きで有ふおいとしぼい あすは世上のことぐさに 紙屋次兵衛が
心中と エゝ情ないアノ文句誰ぞ居やらぬかちやつと逝してたも 身につまされて


50(裏面)


51
とせき上て涙 果しも泣ばかり 同じ思ひに 暮近く秋の日脚の短きも 長い別れと
老の身に思ひつく/\゛杖とぼ/\ 門口這入五左衛門 互に顔は見合せど 何と云出す
詞も涙 お巻嘸悲しからふの そふおつしやるお前様も ヲイノ 義理を思ふてした事が 却て愁
の元に成たも よい聟取た身の因果 義理といふ字は誰書て 此悲しみをかけるぞとどふど
尻居に転ふ庭 お巻は周章抱起し何所も痛みは致しませぬか マア/\爰へと手を取て
労はり上る座敷の畳に涙渕なせり お取込でござりませふに 娘が美歎私が事 
お心にかゝればこそ イゝヤイノ 内でじろ/\見て居る程 娘が心根孫共が行末を思ひ

やると コゝ此胸が張裂く様な イヤ/\おれがめろ/\しては一倍傍がたまらぬと 噬(くひしば)つて見
てもこたへられぬよつて 定めてわがみも泣て居よふ 泣きついでに腹存分 泣かしてもらを
と思ふて来た ヲゝお道理でござります 杖柱共力になされた 次兵衛様のはかない
死やう そなたも一人の娘を殺され 同じ歎きを同じ日に 所は替れどかはらぬ思ひ 子
故に泣は常なれど あんまりむごい泣しやう 神や仏が聞へませぬ ヲゝ信心する気も
止むはいのと 手を取組でかこち泣 子故に泣ぬ親もなし 漸涙押拭ひ 死骸は
まだ戻らぬげなが 御あかしは上つて有ろ 同心者のかはりして 枕念仏でも申てやりましよ


52
サア巻おじやと打連て しほれ行こそ 哀なれ 奥の仏間は一つ鉦 未来を頼む
弥陀佛 銭程光る真鍮鍔 四文にあらぬ一文奴 柳骨(こほり)抱へて 誰そ頼むべい こりや誰
もおらなうかと わめくを聞付けお巻は出向ひ 是は/\娘が事をお聞なされ お寺様からお
使かマア/\是へ 何馬鹿つら 身は去お屋敷の使たぞ 是の芸子咲弥とやらを 不便
がられた矢沢氏 弥今日出立召され 一品を置土産 慥に請取候と手早に書て
くれ召せと 訛りちらかす顔付を とつくと見れば ヤアこな様は 以前の連れ合勝五郎殿 女
房無事に有たかと いへどつきほもない中へ しほ/\戻る主の義兵衛 様子有げな

内の体 思案の中戸に立聞共 しらぬお巻は声顰め 思ひがけなふ此間顔見た時は
お待ち物云ふ間もなふ別れたが けふは引かへ賤しい姿 ヲゝ仲間姿は其方が 命助けるよしみの情 ならば不義者
の女房 生けて置ては武士が立たぬと いはせも娘が不便から 成人のお作が顔一目逢たい呼出せと 云れて
はつと当惑の 涙も交る声震はし エゝ潔白さふに不義呼はり 人の不義は目にかゝる お前の不義は思はず
か ちいさい時から奉公して 仕付て迄下された五左衛門様の江戸為替 よふも取逃さつしやつた わしや置去に合ふた
身で 乳呑子抱へうろ/\と 貯へなければ路頭に立を お慈悲深い親方様 取逃しおつたやつこそ憎けれ わいら
親子に科はない 若い女ゴの子を抱へ此儘居ても所詮詰らぬ 嫁入せいと深切なお詞は背かれず お世話に成て


53
二度の縁 爰へ嫁入した晩に 真斯/\した入訳で 行衛は知れねど手の切れぬ 男の有る身じや了簡して 表は
夫婦内証は 親子連の奉公人 置たと思ふて下さんせと 頼むに引かぬ義兵衛殿 男気な性質(まれつき) 気づかひする
な 人の難義を見捨はせぬ 行衛の知れぬ連れ合も 時節が来たら又逢れふ 妻帯さへよふしてたもれば 女房の家守する
ぶんと 其晩から寝所も奥へと口とへ別々に けふ迄終に相筵帯紐解て寝もせねど 娘咲弥を可愛がり
あいたてなふ育て上げ いかな芸子にも出しはせぬ 今でもほんの爺ごぜが 戻られた時詞がないと 義理を立て抜く
片意地も ヘエゝ忝いとは思へ共 親子二人が掛り人(ど)同然 冥加の為じやと無理やりに 芸子に出す様な事じや物
不義徒が有かいの 親方様の目を掠め 妻子を捨る胴欲なむごい夫と思へ共 娘が成人するに付け どこにどふ

してござるぞい 非道な金は身に付くまい さもしい事じやがひもじいめ 寒いめしてござらぬかと 案じぬ日
迚はなけれ共 五左衛門様や義兵衛殿の手前が有れば恋しい共なつかしい共 口へ出されぬ心の苦しさ 寝覚めに
泣くを楽しみに 成人さした娘の顔逢たらお前にひからかし 置去りにしられても見ん事こんなよい娘に
育てましたと自慢せふ 積る恨みの数々も云て/\と思ふたが 恨み所か其娘が夕部伐れて死ました
是斗は云訳がないわいのふと伏転び声も 惜まず泣居たる 供に涙のくもり声 道理/\其方が
いふ通り 子供の時からお世話になつた お主を掠めた天の罰 外の者でも有る事か 娘を手にかけ殺したは
おれじやはいやい エゝそんならお前の今の名は 西国の家中矢沢宅右衛門 ヤア/\/\ そりやどふした様子で切たの


54
じや 訳が有ふ/\ サア/\サゝゝゝ訳を/\とせき切てたくしかける震ひ声 ヲゝ尤じや/\ 様子は旧冬御用に付き 十五年
めに登つた大坂 古主の安否そなたの事 子細委しふ聞たれ共 便りもならぬ昔の越度 おちいさいから
抱あるいたおん様 紙屋治兵衛といふ方へ縁付なされ お子迄二人有る中の病ひとなるは 紀伊国屋
の小春じやといふ噂を聞き 是こそ古主へかげながら 御恩を送る端くれには 小春次兵衛が手を切て
五左衛門様おさん様に安堵さするが奉公と 当所へ入込み小春を揚詰 深切づくにたらして聞けば治兵衛殿と
死ぬる約束なむ三宝 弥以て捨置かれぬと 思ふ折から国元へ下らで叶はぬ過急の御用 身請をしては
国元の掟が済まず 手は切たし 所詮小春を殺して仕廻へば 古主の病の根は抜けると 忍び寄だ

蚊屋の内 入かはつて居る共知らず 不便や娘をたつた一討 ハアかはいや/\ テモマア軻れる程夜ざとい子が
夕部に限つて目を明かなんだかいな サレバイやい 小春/\と声かけたりや アイと返事もあつちは寝声
こちは気をせく暗紛れ 取違へたは親子が不運 小春次兵衛は網嶋にて心中といふ噂を聞き
始めて知た人違ひ 若しや死骸が戻つたかと火焔の中の爰へ来たも 此言訳がしたいばつかり イヤ/\/\
お主の為を思ひ過し 暗がり紛れの麁相なれば わしにも何にも言訳は さればいやい 木枕くちに討落した 娘が
首に言訳を アゝもふ/\/\/\云て下さんすな 死るはいのと身をもだへ 訳も中戸に立聞く義兵衛 こたへ兼たる
もらひ泣き お巻戻つたぞやと 門から音なふ夫の声 二人はあはて立つ居つ どふせふ格子の間衣桁の


55
影 忍ばす内に這入る義兵衛 奉公人は皆どこへ往た サイナ 約束の子供も有り 咲弥が様子聞ふと
思ふて 朝からめつたに呼には来るし 内へは取込でも商売の事 大徳へ頼みました ヲゝそんな事もよ
かろ/\ アゝ身にかゝつた事では有ど けさから会所で今迄割膝 ほつと草臥た 扨色々評判の
有る中に 娘を始めあれ是切たは 夫訳宅右衛門といふ侍じやといふはいの アゝ是申めつそふな 知れもせぬ
に大事の噂 そんな事云ぬ物じや イヤ/\ おれがいはひでも人がいふ 天知る地しる ノ 夫レが定なら エゝ
憎い事じや ガひよtぐと殺した侍が そなたの先の連れ合ハゝゝゝゝ いやこりやてんがうじやが 咲弥が為に
真実の爺親などゝいふ様な事なら 恩愛に引かされてたよるまい物でもない エこいでなァ うせい

でなァ 引くらつて娘が敵取てやらふと 網張て待て居よふも知れぬのに うから/\と アよもや来も
せまい 長居したらば天の網嶋の心中聞きやつたで有る 是もやつぱり身にかゝる涙の雨 空もくもる
雷の鳴らぬ中 衣桁の物も早ふ片付けたらよからふと 逃よ落せの心づかひ 衣桁のかけには宅右衛門
義兵衛が深切忝涙 思ひ余つてかけ出るを アゝ是出ては悪い/\出まい/\ アゝコゝゝゝ是お巻 出まいとは何の事
じや ハテ人をたんと切た者が こんな所へは出まい/\ 出てこまいといふ事いな そふ共/\ 大切な殿の御用で
本国へ逝ぬる身が 僅の義理にからまれて サア縄かけて引しやれと 古いせりふいふ様なたは
け者でも有まい 立派な武士じやと云れふとすると 主人のお名にも疵を付けどこぞのわろにも


56
歎きをかけ かゝりや繋がる義兵衛に迄 泣かして何の手柄になる 四十九日が間はの 死だ娘が
魂も家の棟に迷ふて居れば 此入訳を聞ても居やふ 主の為也人違へ そふなふてからが親の事
何の恨みて居よぞいの そんな気な者じやなかつたに 埒もない覚悟して 迷はしてやつて下さんな 親よ
子よと云ずに死だりや 若しも逆ふて居よふかと 夫レが可愛ひいぢらしい アゝ是でまい/\/\
サゝゝゝ出てはこまいと思ふて居れど 万一狼狽出て来たら ノ 女房共 ソレ まいらを明けて廊下伝ひ
蔵の日間は裏町へぬけ道 鐉は内から斗 用心が悪いがしめて有かや さはつても
つい明くに アおいらなら抜けていかふ ナ コリヤ衣桁 アゝいかふ血迷ふて居るそふなと 畳たゝいて

うてひゞけ埃かづけど男気な 詞に花実を籠らせり 聞く女房の忝なさ 衣桁の影
には身を震はし 手を合したる男泣 真身の涙ばら/\/\ 衣裳落て顕はす隠れ家 エゝ
是はしたりじだらくなと 又打かくる衣裳も寸志 折から門へ葬乗物 同宿引連れ五左衛門
先に立て入来るを 夫レと見るより宅右衛門かけ出んにも古主へ恐れ 兎やせん角や衣桁の影
腰折かゞめ畳にひれ伏し 拙者が出世もあなたの御恩 影ながら恩報じと思ふた事も水の
泡 アゝ是々何を云も因果づく 義兵衛女夫の心づかひ そなたの心底千倍して 裏道から旦那寺大鏡寺様
お頼み申し 切られた娘のマア売(から)荼毘 安治川の舩場迄人の咎めぬ葬礼じや ハア忝いとお巻が礼 上ながら


57
女が事 お頼み申す義兵衛殿 改めて暇の証(しるし)と以前のこふり差出せば ヤア此中はな白上布 娘咲弥が兼
ての望み 夫レを仕立てて経かたびら 是ぞ誠に此世を去り状 もふお暇と立上れば コレなふ暫しと取縋る 始めの女夫今
の仇 結ぼれ合し中々を引分け隔つる情の夫 どなたも御苦労 ソレ門火 アイ道中随分墓行きのする様に 道を急いで
下さんせ わつと泣く声蚊遣(かやり)火の煙の 末は知らぬ火の 心つくしの数々を 書き集めたる もしほ草噂の 種と成けらし

 安永六丁酉歳
  五月十九日  作者 菅専助 豊春暁 若竹笛躬