仮想空間

趣味の変体仮名

傾城阿波の鳴門 第十


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     ニ10-01136


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  第十
ヤア暫く待れよいづれも 刀の虚実改めもなく 持参したは某が誤りとは云ながら 代々
預る殿の重宝 何望有て此刀隠し置ふ様もなし 察する所此盗賊は慥外にといはせも果
ず ヤア其言訳くらい/\ 殿の誕生は三月三日 吉例の通りお屋敷にて錺(かざつ)役目は貴殿と拙者
さるによつて今日内見の義仰付られ 立合の今と成 代々預かる其元が 盗まれたと斗では申訳
立ますまい 此通りを言上して殿の仰を聞迄は 身動きさせぬ貴殿の身の上 只今より郡兵衛が預か
る 先ず大小を渡し召れ 違変ござらば某が踏付て縄かけふか 何と/\ときめ付る己が盗し刀の詮


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義非道ながらも差当る 言訳何と詮方も無念をこらへ大小投出し みぢんいさゝか二心なき証拠
は則ち家来十郎兵衛 召捕渡せし我なれ共疑ひかゝりし此主膳 武士を捨たる我魂お預け申す上からは 郡
兵衛殿のお心任せ ヲゝよい覚悟 ソレ侍中主膳を奥へ引立と 下知に随ひばら/\と取まくけらいの先
に立つ さやけき空の月かげも暫しはくもる胸の闇是非もなく/\立て行 跡見送りて郡兵衛が明くるこ
なたの一間には 高雄を仮の座敷牢恋とはしるき絹の香の姿は花も及びなき コレサ君なぜ浮
々とし給はぬ 我等そもじに執心から土手助に申付 漸此頃連帰り押こめ置は人目を遠慮 能い
返事さへし給はゞ誰憚ず直に奥様 望を叶へ抱れてねるか イヤとの様におつしやつても 何の益な

き此身の上 尼共なして給はゞ生々世々の御慈悲と 手を合すればソリヤならぬ 恋なればこそ此様に人の目
顔忍びの一間 打明れば其通り さつていやといふがいなや憂目を見するがサ夫(それ)でもいやか 譬憂目にあふ
迚も是斗は赦してたべ こふいふが憎いと思さば いつそ手にかけ一思ひ イヤ夫もならぬ 惚た程又憎さも百倍
返事さす思案を見せう ヤア/\どて助科人の銀十郎 早々是へ引出せの声に随ひ縄取に引立ら
れて十郎兵衛 刀の詮議爰かしこと尋る充も白浪の 科を身にしる憂縄目見合す十郎兵衛
高雄が胸が恟り ヤアお前は兄様 十郎兵衛様 爰へはどふして其縄目と かけ寄裾をしつかとおさへ ムゝ面白い
兄弟なれば猶以て いやでも応でも抱てねる よい橋渡しが出来てきた 結ぶの神の引合せとしづ/\


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立て庭におり ヤイ十郎兵衛 けさ程も尋る何科有て身が家来佐渡平は手にかけた 其上
山口定九郎迄殺したるも儕がわざ 其訳ぬかせ何と/\ 是は又しつこいお尋 主膳様を待伏して殺
さんとせし佐渡平両人 ぶち放したは主君の為 ハテ結構な御主人に 忠義を尽す家来も主も大
盗人 イヤ申郡兵衛様 拙者は主人に勘当受け粮に尽たる盗人衒 我名はよごせど御主人には 何
を以て盗賊呼はり ヲゝ桜井主膳は刀の盗賊 先達て此家に押籠め うぬも大方同類ならん
白状ひろげと刀の鐺(こじり)縄目に指込サア何と 何と/\の問状に かゝりつながる高雄が思ひ サアくるしくば
白状せい コレサ高雄 此責が目に見へぬか サア儕も苦痛が助りたくば 尋る事を早くまき出せ コレ君

うつふいて斗居ず共 兄がざまをよく見給へ 恋の返事と白状を 聞ぬ内はいつ迄も 責道具の品を
かへ 水責火責鎹責 じゆつなか早く返答せいと 怨(あだ)と情を一筋の縄もくひ入身の苦しみ 見る
に絶兼声を上 お前も武士の身じやないか 情といふ字を書てなら少しは哀も知るぞかし あんまり
難面どうよくと泣こがるれば つれないとはそもじの事 おれが心に随へば現在の小舅 責は扨置科
も見遁す 何と憎ふは有まいが サイナ 夫程にわたしが事 思ふて下さるお志無下にするではなけれ
共 わしが身で儘ならぬ もふ此上は兄様次第 ハテどふ成とゝ跡云さしわき見する程猶ぞつと ムゝよい/\
そふいやこつちも思案をかへ 得心づくで抱て寝る 仕様はかうじやと十郎兵衛がいましめほどき


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コリヤ高雄 うそか誠かしらね共 今の詞に取付てしばしはゆるめる兄が成敗 嬉しいと思やるなら
十郎兵衛に返事仕や ヤイ十郎兵衛 げんざいそちは科人なれど 恋は曲者惚ぬいた高雄が兄
主膳が難儀を身に引受け そちが替りに成たきば高雄をくどいて抱して寝させ 此役目仕
課せる迄わが體はわれに預ける 縄のとけしを幸に逃隠れても逃しはせぬ 千里ののべも
獄屋の内 高雄も兄が助けたくば暮限りに返事せい 両人共に郡兵衛が暫しの用捨は惚
たが因果 とつくちろ思案して色よい返事を待て居る 聞入ぬ其時は兄も妹もなぶり殺し 生
死二つは一つの返事 奥で待ぞと郡兵衛は色故にふる雨夜の空 見分け兼たる胸の内心残して

入にけう とつくと見すまし小声に成 申高雄様 刀詮議の為じや迚げんざいお主の御息女
様 御家来の郡兵衛に様付けなさるゝのみならず 中間ふぜいいの妹とけがに申も勿体ない 御ゆる
されて下さりませ ヲゝあのいやる事わいの けふそなたの入込を待て居たも今のしだら そんな事
気にかけずととかく大事は刀の有所 どふぞして今宵の内に サア拙者も左様存ずるから 何卒
少しの手がゝりをと思ふに幸い郡兵衛が あなたに惚たがよい手がゝり 心得がたきはきやつが大小
恋を叶へるお顔にて油断のすき間に御らんなされvこしらへは違ふ共もし国次に極らば 中心(なかこ)は則ち
乱れ焼き 鎺(はゞき)は金にて唐草に飛かふ蝶の彫物有 実正夫に極らは隙を窺ひ手筈を


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遊ばせ 私は其間奴部屋に身を隠し善悪二つを待ております ヲゝ成程/\ 肌はふれねど
郡兵衛に仮に恋路も刀の役目 取かへさば主膳も安堵 そなたにしらす心のえんぎ 花は桜
木人は武士と中に勝れし何寄せて しらす相図も奥庭に 今をさかりの桜花此水筋へ
流すべし 其時必合点か ハア心得ましたと立上り 水筋清き我身をも暫しは隠れ陸奥
忍びてこそは別れ行 早約束の兼てより こがるゝ君がよしあしの返事はいかゞと 郡兵衛が出る
もしらずこなたには たゞとつ置つの思案より外は 何にも夢うつゝ ても味い後ろ付き 見れば
見る程たまられぬ 返事はどふじやといふ声に 思はず恟り立のく所 おつとにがしは仕らぬ 最

前いふた約束の かねは聞たが返事は聞ぬ 一人爰に居るからは十郎兵衛が得心させ 大
方抱れて寝る気じやあろ エゝ忝い サアおじや寝よふと我一人 せり立らる身の
つゝき 何とこたへん方もなき色に心の一大事 さがして見んとしたひ寄る 高雄を膝に
いだき上かふした所は正真の天女を抱たも同じ事 どふもならぬと抱付て うつゝに成たる
郡兵衛が刀をそつとコリヤ何する エゝ イヤサ刀をとらへて何とする 何とゝは軍兵衛様 わたし
が事はふつそりと思ひ切て下さりませ 其かはりには今爰で尼法師とさまをかへ 一生
殿御に肌ふれぬがおまへの詞を立る道理 夫でわたしは此刀と又取かゝるを引はなし そふ


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ぬかしやふつつり思ひ切其替り 十郎兵衛は云に及ばず 儕も共に目に物見せん ヤア/\
土手助 此女を裏の樹木に猿つなぎに 又此二腰は主膳が大小 詮議済む迄汝
に預くる 高雄を早く引立い 畏たとあらけなく小腕取て奥へ行 かゝる折節海蔵
院切戸間近く入来り 彼お頼の一大事 殿を調伏の御祈祷も七日に満ずる
今宵なれば お頼申した祈祷料只今どふぞと 皆迄云さずヤレ音高し人や聞く
何角の礼は跡より通達 折あしければ先ず帰りやれ 然らばお暇必お礼をてつとり早ふ
ヲゝサ合点も眼でしらし點頭囁く衣の袖 人を助る体もなく工は百八煩悩の

珠数の数々くり返し別れてこそは「帰りける 奥庭は咲乱れたう 桜花詠めに
明かぬ泉水の水はすめ共にごり口の 高雄はむざんや桜木にしめからまれし縛り縄
今ぞ生死の境かと 涙の顔をふり上て こふいふ事とは露しらず 嘸十郎兵衛が待て
居やらふ どふぞ此事ついちよつとしらせん事も情なや 此身は桜に搦られ刀の有家も
得しらず 元より主膳の擒(とらは)れを助くる事も心に任せぬ それも何故此縄目 エゝ誰ぞ解
てくれぬかい エゝどふぞ切ぬけとけぬかと 身をもみあせり気はそゞろ 心も空にちり/\゛と残
の雪も身につもり思ひ 重ねる託ち泣 エゝ軍兵衛の人でなし みす/\刀を盗ながら 科なき


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者を罪に沈め 其身斗が立つ物か 物の報ひはたつた今 思ひしらさで置ふかと恨み
の涙はら/\/\ 花はちり/\゛泉水の 流れにやつと心付 ヲゝそふじや 相図に流す桜花
己と独流るゝは神仏のお力と 悦びいさむ折からに 花を相図に十郎兵衛首尾はいかにと前
栽の しげみをそつと差覗き 見て恟りの縛り縄 十郎兵衛か 高雄様 此縄目は何故と ほ
どけどとけぬ涙声 何故とは軍兵衛が恋を叶へぬ見せしめと しめからまれて身は叶はず
今迄泣て居たはいの ヲゝ御尤/\ 譬どの様に思し召ても女義のお手ではいかな/\ 此上は
私がお前様を取持顔でだますに手なしし損ぜぬ私次第になされませと伴ひ入らんと

する後ろ どつこいやらぬと奴の土手助 お旦那をだまさん迚 妹でもないやつを兄弟と
は心得ぬ 此胸主人に申上る待ておれよとかけ出すを 何の苦もなく引掴み そば成井戸へ
まつさか様 サア是で気づかひ内証の 入訳しらねばサアお出と 開く障子の内には郡
兵衛 ヤイ十郎兵衛 縛り置た其女誰が赦してわりやといた ハいや深い様子は存じま
せぬ 私がといあたはあなたのお望 此妹を上ませうと思ふて それでといたのでござります
ムゝそりや其方が特進させたか 成程/\得心の上にのし付て 只いつ迄もお前様の女房
此十郎兵衛は兄じややら仲人やら 御用も有ば沢山にお遣ひなされてくださりませ


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ムゝすりや身共が女房とな 夫は重畳 望み叶ひし上からは高雄が兄の十郎兵衛
我為にいはゞ小舅 親しき一家と成からは 小舅殿へ頼の印 まつかに砕けとだまし打 心得おあ
つしと水手桶 コリヤお前何なされます 一家中はお心安ふ かやうにお気をはらしやます
と 我等いかふ迷惑千万 ひらに納めて置れいと 払へば付込郡兵衛が尖さ手の内屈せ
ぬ十郎兵衛 ひらりとかはす身のひねり猶も付入る間もなく 庭の飛石かづき上受る白
刃の転業稲妻 目早く高雄が取上る刀は正しく国次と 云せも果ず郡兵衛が夫
見付たら生けては置かぬと 又切る刀かいくゞつてしつかと取 殿の重宝見出さふ為捕へられ

た十郎兵衛 高雄様と云合せ兄弟といふも嘘 誠は先殿監物様の御胤と 聞
て驚く斗也 一間の内より桜井主膳 土手助刀 はつと答へて奥庭より 出る
奴も詮議の種 遖出かした十郎兵衛 一つの功の立たる上は 以前に替らぬ主従ぞと 詞
にはっと飛しさり 悦び敬ふ斗也 サア郡兵衛殿 最早遁れぬ貴殿の工み 包ずも
明されよと 工みの裏道堀返され 叶はぬ所と性根をすへ ムゝ扨は土手助めも 主
膳が家来で有たよな 顕はれし上からは隠すに及ばぬ 出頭の其方を科に取て
落さん為 いかにも国次の刀は盗置た 戻して仕まへば事は済む 是より外云聞する事はない 刀


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を持て早帰れ イゝヤ刀の事より大それた貴殿の工 大禄を戴きながら何恨有て殿を調
伏 だまれ主膳 其方にこそ遺恨有 殿に恨は毛頭なし さいふ汝が証拠ばし ホゝ其証
人は是に有と 海蔵院に縄をかけ 引立出る伊左衛門 もふ百年めと郡兵衛が切込む刀 身をかはし
て腕首つかみ 重々の極悪人それ縄うてと桜井が 引かついでずでんどう 起上る間も十郎兵衛
が 押へてかくる縛(いましめ)には 心地よくこそ見へにける ヲゝ出来た/\ 盗まれし国次の刀諸共 二人の囚人(めしうど)成敗は
殿のお差図 伊左衛門義は此度殿の御婚礼 おめでたの祝儀として 町人ながらも御扶持
頂戴 それを規模に以前のごとく 藤屋の家を取立つる 家の女房は綷やお辻 夕霧は妾

分 相続怠る事なかれと 詞にはつと勇み立ち 昔に帰る伊左衛門 紙子姿も引かへて
古郷へ錺る錦の袂 かはらぬ国の末繁昌 治まる道も恋の花 情の月は武蔵野や
名に高雄が傾城姿 今国入のお姫様 道中賑ふ竹本の尽せぬ 御代こそ目出度けれ

明和五年 
 戊子 六月朔日

作者連名 近松半二 八民平七 寺田兵蔵 竹田文吉 竹本三郎兵衛


100
浄瑠璃太夫連名 竹本鐘太夫 政 咲 筆 木々 戸根 の 彦 組 住 染
        竹本嶋太夫 君 倉 梶 尾上 八津 村 菊 綱

(以下略)