仮想空間

趣味の変体仮名

傾城阿波の鳴門 第三


読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
     ニ10-01136


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 第三
下総と渡せる橋は 両国の国境をば名に呼し 橋のあいろも見へわかず 猶降しきる夕立のしのを乱せる
雨の足 夜目にも夫(それ)と蛇の目傘 えならぬ工の二人迚 両国橋にさしかゝる コレサ佐渡平 郡兵衛殿の頼
に寄りしめし合せし今宵の手番(つがひ) 主膳が帰るは此筋 有無を云さずたつた一討 アゝ定九郎様声が高い
モ私も腹からの町人でもなく 刀さす訳も知ておりましたが 二親に見放されせふ事なしの牽頭持
郡兵衛様の目に入て 一大事を頼れ おのれやれ此役目仕負てくれんずと 思ふにたがふ葭原のしだら 殿
ではなふて伊左衛門なむ三宝しくちりしてのけたと 思ひの外咎もなく佐渡七を其儘に佐渡平と


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いふ不仲間 ガ是といふも郡兵衛様のおかげ お礼には主膳めをすつはりいはしてしまふたら ヲゝ云にや及ぶ
上分別 某桜井が組下といへど 国元に有し時郡兵衛殿に心を寄せ 兼て主膳が預り居る殿の
重宝国次の刀 人知ず盗取渡し置たる今日迄も 盗まれしといふ評議もなく彼是もつて心へがたし
きやつが心底とふに及はず殺すが近道合点か 気づかひ有なと両人が 點頭(うなづき)囁く其内に雨も
おやめば傘かたむけ 今や遅しと待いたる かくとや様子しらね共 虫が知すか十郎兵衛主人の帰り待ち
わびて 勘気の願ひせん物と心当てどは橋の元 待つ共知らぬくら紛れ 傘はたと行当りハツア御免
と云て行過る うろたへ奴がたん平物主膳やらぬと切付るを 落る傘でぱつしと受け そづいづ声は仲間佐

渡平 主君の名を呼切付たは 思ひ違ひの袖行させ此十郎兵衛を殺す工か何にもせよ心へ
ぬ 胸に有事まき出せと 抜身刎られ佐渡平が星をさゝれて返答も やぶれかぶれと性根を
すへ 様子知ねば迚もの事ぶちまいて云て聞さふ 高は主膳を待受て殺してしまふこつちの思案
思ふ図へ来たうぬが不運主も家来も生けては置かぬ 観念ひろげと又切る刀 てんがふすなと
引つかみ身うごきさせぬ後ろより 只一討と定九郎がだまし寄て切かくるを 持たる刀で丁と受け 一人
ならず二人迄誰ぞと思へば山口定九郎殿 ガこなたも主人を殺しに来たか ヲゝ推量の通り 佐渡
平としめし合せ待ていた此道筋 われから先へしまふてやる叶はぬ腕立取置けと佐渡平諸共詰


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寄れば あら気は返つて主君へ不忠一旦詫るにしくはなしと思案を極め 手を突きムゝ理にもせよ非
にもせよ意趣遺恨はまゝ有習ひ 是迚もまつ其ごとく主人に恨み有に寄付んとねらふ今宵
のじぎ モ無理はさら/\思ひませぬ去ながら 我迚も勘当の身分 何卒主人に詫言たて 最一
度家来と云れんと思ふが故の頼より モ外には何と露程も惜からん此命 サコレ主人のかはりに今
爰でモ一分様に刻で成共 お二人の御存分 サゝゝ手向ひ致さぬサコレ/\十郎兵衛が心の内を思ひ
やり せめては武士の忠義をばコレ立させて下されと 投出す命主の為塵共思はぬ両人が
手引袖引き様をつき 忠義の胸の真実心思ひやる程殊勝なれ ヤイ十郎兵衛主膳が

かはりにわれを殺したらそつちの勝手はよからふが 夫ではこつちの工面が悪い われが主に忠義を尽せ
ばおれも又主の云付 手向ひせずと尋常に台座からマアほうり出せやい ヲゝそふじや
/\主膳が替りに死たがるわれからマア仕まふてやろかい 其段は尤なれ共始から云通り
手前が命を捨る替り ナコレモどふぞ主膳様のお命をヤアならぬはいサアならぬ所を聞入るが
武士の情じや 申定九郎様 是佐渡平殿十郎兵衛が手を合して モ一生に一度の頼 是
拝ます 頼ます申/\是申頼ます/\/\エゝやかましいわい 頼ます/\とくらかりでかごかく
やうに 何ぼおとがいたゝいてもそんな事聞耳持ぬ 埒の明ぬ事いはふよりとつとゝ早ふくたばれと


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蹴上る足首しつかと取り ムゝスリヤどの様に云ても御主人を ヲゝくどいムゝモそふいやこつちも百年め
じや 主人の仇と成儕等 コリヤもふこつちから生けてはおかれぬわい コリヤ面白い そふぬかしや身か有て
相人仕より 忠義立に死たくば望に任せ殺してやる定九郎が刀のいんだう受て冥途へつつ
走れと 切込刀いかくゞり 鍔元むづと佐渡平が 同じ抜身の稲妻や又も降くる雨につれ
空もひらめく稲妻の光りも幸十郎兵衛が 二人を相手に根限り目さましかりける 「働きに
定九郎佐渡平逃支度何国を当ど正体も 転けつまろびつころ/\/\ 起上る定九郎が脇腹
ぐつと氷の刃 ほう/\逃出す佐渡平が肩先丁ど切さげられ うんと斗に倒れ伏す肝先ぐつと

とゞめの刀 空晴渡る 橋の上 見付る主膳に見合顔 ヤアお旦那には只今お帰り ヲゝ何者かと思へば十郎兵衛
見れば人をあやめし体 口論なるかいかに/\ ハツアなる程御推量の通り 郡兵衛の頼に寄り定九郎佐渡
平と申合せ 此所に待伏てお前様を殺さん工 モ 悪(にく)いやつと存ずるから両人共にまつ此通り只今
とゞめ致せしと 聞より主膳大きに驚き ムゝ其両人こそ某が詮議の種と成べきやつ 去によつて我屋
敷で追帰せしを其儘に 捨置たるは深き所存 伊左衛門が云しごとく吉原での狼藉を思ひ廻せば小野
田郡兵衛 重々かさなる科人の詮議の元はナソレ其佐渡平 引とらへて白状させんと思ふた思案も皆はづれ
やつぱり我身にかゝる難儀 エゝしなしたり残念やと 悔みを聞て十郎兵衛居たる所をどつとざし エゝ下主の智


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恵は跡の悔み お前様のお命が助けたい斗で さやうの所へ気も付かず殺せしは我誤り 是も何故御主人
に勘気の詫の種にもと 極めし的も又それて此身に当る主君の罰(ばち)真平御免下されと落たる抜身
拾ひ取りつゝ込んとせし所 桜井暫しと押とゞめ 此儘死るは犬死同然 今の命を存命(ながらへ)て一つの功さへ立るならば
勘当赦してナ元の主従 そこへ心は付ざるか狼狽(うろたへ)者めともぎ取る刀 スリヤ私が一命を かばい下さる御主人のお
心は ホゝゝ主従となる事も深き因縁 武士の義理にて捨たる其方 功の立様よつく聞け 殿の重宝
国次の刀代々預る我家筋 過つる霜月廿六夜 例の月待と一家中招き寄せたる其夜より紛失して有
所知れず 慥に夫と推量はしつれ共 是といふべき証拠もなく忍びやかに詮議せんと思ふ折から小

野田郡兵衛佐渡平に申付け殿を害せんとせし極悪人 今打明ぬも国次の刀の有所を聞た上と 手延にせしは
主膳が越度(おちど) 今更云て返らぬ事 刀と成は十郎兵衛旧恩を思ひなば 命にかへて刀の詮議 夫もな
がふ延されず 三月三日は殿の誕生 かざる吉事にはづれては桜井が家の大事 と有て我手
では吟味もならず 主持たぬ身の気さんじは誰憚らず詮議せよ 此役目さへ仕課(おゝせ)なば以前にかはらぬ
主従の約束返ぜぬ証拠ぞと 一腰ぬいて指出せば 其儘取て押戴き 尽ぬ主君の御一言 こたへ/\し四十四
の骨々は砕くる共 奪ひ取たる刀の有所 詮議の手始御覧有れと のたれふしたる定九郎が懐中さがせば紙
入に たしなむ金子は十郎兵衛が肌にしつかと用意の路金 ヤレ待て十郎兵衛 金子はおろかちり一本取


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かすめては忠義にならぬが ハア御意ではござれ共 主君の為の切取は武士の習ひ 盗賊衒(かたり)と
身をやつじ 盗みの手本は五右衛門の銀重郎と名も改め貴人高位の内迄も 只人知ず刀の
吟味 拙者が胸に覚えの手の内そつ共気づかひ遊ばすなと主命重く身に受し 阿波の海賊重郎
兵衛が盗賊衒の始りは斯とぞ思ひ知られたり 主膳傍(あたり)に心を付 二人の死骸此儘に打果せし
と云ふらさば 咎めも有らし去ながら 人の見ぬ内影かくせ はつと斗に立上り 何れ吉左右致す迄
必々御短慮ばし ヲゝ何が扨我迚も 随分堅固で便りを待ぞ おさらば/\と双方へ 立別れんとする折
節 郡兵衛が下部と見へ主を迎ひの箱提燈打消す主膳十郎兵衛は行方 しらず