仮想空間

趣味の変体仮名

伊賀越道中双六 第八 岡崎の段

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html 

       浄瑠璃本データベース  ニ10-01451

 

 

68

 第八 岡崎の段

世の中の苦は色かゆる 松風の音も淋しき冬空や霰交りに降積る 軒もまばらの放れ家は岡崎

の宿はづれ 百姓ながら一利屈主は山田幸兵衛と 人も心を奥口の障子隔て女房が績車の夜職

歌 いとし殿御を 三河の沢よ 恋の桟(かけはし)文杜若 更て忍はゝ 夜は八つ橋の 水も洩さぬお手枕鄙も都も

小娘の 誰教へねど恋草を 見初惚初打付に 雪の夜道の気さんじは互に手先折添る傘の志津

馬にもつれ合ふ じやらくら咄しいつの間に 戻るお袖が我家の戸口 ヲゝしんき いつもは遠ふ覚へたに 意地悪ふ今

夜の早さ まだ咄しが残て有 跡へ戻て下さんせぬか 去迚は訳もない 日は暮る草臥足 跡へも前

 

へも雪の段 鉢の木の焼火ゟ 暖(あたゝか)なそもじの肌で暖(ぬく)めて貰ふぃは御馳走早ふお宿を御無心と ぢやれた

詞にどふいふて よいか 悪いか白歯の娘 声聞付て誰じや/\ アイ/\かゝ様わたしじやはいな ヲお袖とした

事が 此寒いのに何して居る 戻りが遅さに待兼た 早ふ這入やと母親の詞を塩に内へ入 とふ帰

らふと思ふたけれど道連のお方が有て それで思はず夜に入ました ムゝ道連のお方とは アイ行

暮した旅のお方それは/\きつい御難義 今宵一夜はこちの内に留て上て下さんせ 申苦しうご

ざりませぬこつちへお這入遊ばせと 呼れて志津馬はおづ/\と 小腰かゞめて御赦されませ独旅の浪

人者 日はくれる足は損ふ詮方尽て此お頼 近頃わりない事ながら 一夜のお宿を御無心と いふも心に

 

 

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荷物の葛籠 お袖見るゟ申かゝ様とゝ様の旅 葛籠あそこに戻つて有からは ヲゝ親仁殿もけっふ暮

前に帰らしやつた旅草臥で寝てじやはいの エゝ遅ふても大事ないに早い事やと其跡は 云ぬ色目を

見て取母 日頃から二親がちよつと出ても 戻りを案じる孝行なそなた どふやら不興な顔持は かたい

爺御の気質故折角お宿を借しませふとお供仕やつた道連様へ 約束が違ふかと案じ過ての事で

有ふ 譬爺御は得心でも 此母が不得心なぜといや 今でこそ茶店の娘 去年迄は鎌倉のお屋

敷方へ嬪奉公 御主人のお差図で 去武家方へ末々は縁に付きふと堅い約束其云号の夫を

嫌ひ 無理隙貰ふて親の内へ戻つて間もなふみだらが有ては 以前のお主斗じやない 顔はしらねど

 

約束仕た聟殿へ どの顔さげて言訳せふ サア斯いふはいふ物のそなたに限り そふした事は有まいけれど

時分の来た若い娘の有内へ若い男一夜は愚か半時でも ひとつ所に寝伏しせば戸は立られぬ人の口

其上連合幸兵衛殿 国主のお目がねにて 新関の下役を勤さつしやる今の身分 常の百姓

とは違ふて 物事を正しうするも役柄故 必悪ふ聞やんなやと いはれて何と返事さへ お袖が異見の

相談に 志津馬も手持投首を見る気の毒さ母親も さのみはいかゞと何気なふ 此様に異

見するも転ばぬ先の杖とやら イヤ申御浪人様 お心にさへられて下さりますな 泊ます事はならず

ともせめてお茶など入花を 一つ上ふと尻軽に勝手へ行間待兼て 娘はおづ/\志津馬が傍 誰

 

 

70

も来ぬ間に云残した 咄しの残りを納戸でと 取手をすげなく振放し 見る影もない旅の者に

関所での情といひ 道すがらもあた嬉しい 詞を誠と思ひの外 云号が有からは 主有花に落花狼

密男(まおとこ)なぞと重ねて置て モウ四つに間も有まい 夜の更ぬ中宿取て 寝て花やろと立上る 袂にすがり

コレ申 有て過たる縁定め 今更とやかうかゝ様の 今の詞がお心にさはつて私へ当て言を無理とはさら/\思はね

ど 恥かしながらけふ迄も 殿御に惚たといふ事は知らぬあどないふつゝかな 在所育ちの此身ても結ぶ

の神の御利生で お顔見るから思ひ初 どふぞ女夫に成たいと胸はしがらむ白川の関は越てもこへかぬる

恋の峠の新枕 かはさぬ中に胴欲な つれない事をいふ手間でつい 可愛と一口に云れぬかいなとすがり

 

寄りしども涙のかこち云 岩木ならねば遉にも 振捨かたき恋の蹄(わな)かゝる折から門口へ いきせき来かゝる

蛇の目の眼八 お袖は目早く一間の内 無理に志津摩を忍ば気ない顔入り口から差覗いて ヤ味いぞ

/\ 毛虫の親仁や母者は居ず お娘一人はない図な首尾と這入やいなや後ろから 帯際ほふと引だかへ 常から

目顔で知らしてもぴんしやん/\弾(?:はね)廻る 馬ゟおれが太鼓のぶち 立て場で騲驛(ぞうやく見付た様に さんばい仕兼て

居るはいの いやおふなしにちよこ/\と蔓んでおくれとしなだるれば エゝ穢ないうるさいいやらしいと 突付られ

ても押強く 誰でも初てはいや/\と口では云が かき汁と色事は味覚へてから止られる物しやないで

それ共いやならおれも意地や 今夜藤川の関所を破つて 忍び道を通たやつ 召捕よふと岡

 

 

70

崎中は上を下へと詮議のどう中  故盞(うさん)なやつとの相合傘 ちらりとつないだ此眼八 灰汁で洗ふた蛇の目か詮

義 ほへ頬かゝしてこまそふとかけ入向ふへ立ふさがる お袖を突退け立切し 障子引明け見て恟り こりや違ふ

たと狼狽眼 かけ出す蛇の目が利腕捻上 立出る主の幸兵衛 百姓なれど新関の下役をも相

勤る 身共が居間へ泥脚(すね)を切込狼藉やつ了簡ならぬ所なれど 所存有故赦してくれる 此以後きつと

嗜おらふと 投付らるゝと思ひの外 突放したる手強さに底気味悪くうぢ/\もぢ/\見るにお袖が

嬉しさと いとしい人の納りを心一つにとやかくと案じ弥(いや)増す思ひなり 弱みを見せぬ悪者根性 おいへにべつ

たり上股(あげま)打ち 役目/\と云はるが 其大切な関所をぬけた 科人を吟味する最中に 爰の娘が連て戻

 

た旅の侍 引込で置ながら 詮議する此眼八 なぜして上て手ごめにしたのじや ムゝ娘が連れ

立帰つたとは 其侍は何(いづく)に居る ヤア慥さつきに爰の内へたまりおらふ お袖にうつほれ最前ゟ法

外の有条 承引せぬ故無法の当て推 よし又其侍とやら此内へ来たにもせよさ 鎌倉通行の東

海道 数限りなき旅人の往来 是ぞと云へき証拠もなく 侍とさへ云は 悉く引とらへ関破りと云

べきか 勿論儕は当所の馬追誰赦しての詮議呼はり 長居ひろがばくゝし上御地頭へ引立ふか

何と/\ときめ付られ アゝ申お気の疑ひ 商売か馬士だけ豆から発(おこっ)たいざこざで 親仁様の

寝所迄 踏馬御免とへらず口 跡をも見ずして逃帰れば跡見送りて落付く娘 忍ぶ志津

 

 

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馬も一間を立出 覚なき身に関破りと 居間の義疑を免れしは 御亭主の御厚志故 忝しと

手をつかへ礼の詞にヤ是は/\痛入 先/\お手を上られいサゝひらに/\ 承れば御浪人とな定て

仕官のお望で上方へござるのかい イヤ/\様子有て世を忍ぶ独旅 則当所岡崎にて山田幸兵衛

殿方へ密に参る浪人者と 聞て不審の眉に皺 其山田幸兵衛とは身共か事 シテ其元は

何方から ムゝスリヤ貴殿が幸兵衛殿とな 拙者は鎌倉の昵近武士 沢井城五郎殿に縁有者

委細は是にと藤川にて 手に入る一通手に渡せば 封押切て老眼につく/\゛読むも口の内

様子知ねば気遣ふお袖 幸兵衛とく/\読終り ムゝ某が性根を見込 和田行家を討て立退

 

沢井股五郎が力と成てくれよと有 お頼の書面の趣 先達て鎌倉の様子承はりし砌ゟ待に待たる此お頼 慥に

承知仕った 遠途(とうど)の所御大義/\ 此使を勤らるゝ其元は 城五郎殿の御家来かと尋る詞は敵の手筋

是幸と気色を正し ハア幸兵衛殿の御懇切 承る上からは何をか隠さん某こそ 刀の遺恨止む事を

得ず和田行家を手にかけし 沢井股五郎と申者さ ア御自分が股五郎殿か いかにも左様 鎌倉出立致

せし折は 沢井殿ゟ附け人も数多有れ共 人目立もいかゞと存じ別れ/\に罷登る 城五郎殿には前もつて御懇意

の幸兵衛殿 何とぞ御助力下さらば 此上もなき拙者が悦び ムゝさすれば貴殿が股五郎殿か 是は/\

存寄ぬ 是迄互に御意行ねは双方共に知ぬ同士 コリヤ/\娘云号の聟殿じやはやい エゝそんなら私が

 

 

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鎌倉御奉公の其中に ヲゝサ城五郎殿のお勧め故 其方を遣はさふと面談には及ばねど 約束致した

花聟殿 よふこそ尋ねて下されたと 喜ぶ声の漏聞へ 母も立出 ヤレ/\/\思ひがけないこな様が

聟殿で有たかいのふ したが気にはさへて下されな 云号は有ながら 股五郎と云名を嫌ふて 今迄

娘が不得心 それ故疎遠に打過ました カ聞たと違ふてヲゝよい男 此様な聟殿でも そなたは

やつはりいやかいのふ ヲゝ勿体ない事云しやんす 云号の殿御じやと 今の今迄しらいでさへ 添たふて

ならぬ物 縁は切てもお主のお差図 とゝ様やかゝ様のお赦しの出た股五郎様 わたしが何の嫌ひま

しよ 二世も三世も替らぬ夫 もふ是からとつちへもやります事じやござんせぬ いつ迄も爰

 

に居て 可愛がつて下さんせと 心に思ふ有たけは云で思ひを押包お袖が 嬉しさ二親も供にほた

/\悦び顔 思ひがけなき云号の 噂に志津馬は成程/\ 上杉に仕官の中 城五郎殿お差図

にて 顔はしらねど云号のお袖殿で有たよな 一方ならぬ股五郎が一世の大事に及ぶ時節 御

かくまひ下さらば 生々世々の御厚恩とわざと其身をへり下り 詞を尽し頼むにぞ イヤ モ

何が扨/\狩人すら 懐に逃入る鳥は助るならひ まして聟殿違背はない 年こそ寄たれ幸

兵衛が 命にかけてかくまふからは 志津馬づれが付ねらふ共何程の事かあらん 去なから爰は

端近幸奥に別家も有ば 心置なく打くつろいで ソレ女房娘希の珍客何はなくと盃

 

 

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の用意を仕やれ アイヤ/\其お心遣ひ返つて迷惑 ハテ聟殿の他人がましい舅入やら聟入やら祝

言もこつちや煎(に)の在所料理 みしり肴の舟盛より外に馳走は 手入ずの娘のお袖が初物一種

て ホゝゝゝゝ ハゝゝゝゝいか様祖母(ばゝ)の云やる通り 敵持の聟殿に七十五日生き延るとは 是も吉左右目出たい

/\ ドレ/\案内致さふとおどけまじりに先に立 親の手前を恥らいて赤らむ顔の色直し

解けて 見せでも下心 赦さぬ志津馬が肌刀 胸にねた刃を 松の間の襖引立入にける

既に其夜もしん/\と遠山寺に告げ渡る 早九つのかねてより 内の案内は

知たる眼八 裏から忍んで納戸口 思はず躓く明きがらの 駄荷の葛籠を幸とあたふた押

明忍び込み 鼻息もせず窺ひ居る 斯とは人も白雪の 道もいとはぬ政右衛門 心も

闇の忍び道遁れて 急ぐ跡ゟも 数多の捕人(とりて)が見へ隠れ したづ足跡気転の

唐木 両腰そつと道端の雪搔集め押隠す隙もあらせずばら/\/\ 腕を

廻せと追取巻 ヤア子細もいはず理不尽に 縄かゝるべき覚はないと 云せも果ず

双方ゟ 捕たとかゝるを引ッはづし 苦もなく首筋一掴み 一振ふつて左右弱腰蹴すへ

て猧投(えのころなげ)隙間を得たりと二番手が腕がらみを振ほどき ほぐれを取て真逆様

頭転胴骨雪道に打付られて叶はじと 入替つたる三番手 打込十ていかいくゞり

 

 

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脾腹をてうど真の当 激しき手練にさしもの組子 さうなくも寄付ず 跡じ

さりする斗也 見兼てかけ寄捕手の小頭 ヤア上意によつて向ひし我々 手む

かいなすは関破りの浪人者に相違はない 腕を廻せと詰かくれば ヤレ麁忽也

お役人急用有て此ごとく夜道を急ぐ旅の者 丸腰の某を 関所を破りし

浪人とは 身に取て覚へぬ難題 外を御詮議なされよとちつ共恐れぬ丈夫の

振舞 始終を見届幸兵衛は戸口をかけ出押隔て 憚りながらお役人へ申上る 関

破りの御詮議半ば深夜に一人歩行の旅人 御疑ひは御尤 併此者は鎌倉飛脚

 

子細有て此幸兵衛よく存じ罷有ば 慮外の段は御用捨有 無難にお通し

下さらば有がたき仕合と かばふ詞に政右衛門 ムゝウさいふこなたは何人と いふを

打消イヤサコリヤ 身に覚へないにもせよ お役人に慮外の手向ひ アゝ不届至極

と叱り付けしづ/\と歩み寄り 倒れ伏たる組子共引起して死活のいけ いづ

れもお心慥にござるか お役目御苦労千万と苦い挨拶気の付捕人 幸兵衛

猶も威儀を正し 承はれば関所を破りし科人は帯刀の浪人者 彼は町人へ此

丸腰 憚りながら人違へ かやうな義に隙取中 彼曲者を取逃さば詮なき

 

 

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事 早/\お手当なされよと 云れて実もと捕人の小頭 ムウ其方が存ぜしと

申詞に相違も有まい 是ゟは山手へかゝり 彼曲者を詮議せん 家来参れと

引連て元来し道へ引返す 影見送つて政右衛門 ハゝア危ふき場所を遁れしも全く

貴公の御厚志故 カお礼は重ねて心もせけば失礼ながらお暇申と立上るを暫し

ととゞめ 昨今だれど折り入てお尋ね申子細もあれば 見苦しけれど拙者が宅

へ暫時ながらと老人の 詞に是非なく政右衛門 然らば御免と打通れば門の戸引立

主の幸兵衛傍近く差寄て 多勢を相人に今の働き 感心の余り役人を欺き

 

帰し 詮議を救ふは身共が寸志 それに付けても不審(いぶかし)きは貴殿の柔術

正しく拙者が流儀に同じき神影の極意 手練せられし旅人はといぶかる色目 こな

たも不審 神影流の極意なりと 見極られし御老人 ハテ心憎しと双方が ためつ

すがめつ見合す顔 ムゝお別れ申て十年余り 相好は替られしが 生国勢州山田

にて 武術の御指南下されし 要様ではござりませぬか ヲゝ其詞で思ひ出した 我勢

州に有し節 幼少より育て上し庄太郎で有ふかな 成程/\然らばあなたが 其方が

是は/\と手を打て 尽ぬ師弟の遠州行燈搔立/\打詠め ヲゝ推顔に見覚

 

 

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有る庄太郎に相違ない ハテ健やかに生い立しな ハア先生にも御堅勝で ヲゝサ/\無事の

対面互に満足 去ながら アゝ思ひ廻せば過行く月日其方は山田の神職荒木田

宮内(くない)が躮なれ共 幼少の砌父母に離れ独(みなしご)となる不便さに 手塩にかけてそだてつる所

推な立ゟ武芸を好むは 末頼もしく思ふゟ 門弟共へ稽古の次手一手二手と教ゆる

中 一を聞て十を知る頓智といひ器用といひ 十五以下にて鎗術剣術鏈鎌体術

柔に至る迄 諸歴々の弟子を追抜き 神影の奥義を極ぬる無双の達人 何卒

大家へ仕官致させ親の氏(うぢ)をも継せんと 心頼みに思う中未熟の師匠と見限りし

 

か家出致して十五年 便りなければ折にふれ 此庄太郎いかゞなりしと 雨につけ風につけ思ひ

出さぬ事もなく 夫婦打寄そちが噂 シテ只今の住所は何国 有付とてもあらざるかと

師匠の慈愛に政右衛門 思はずはつと手をつかへ 親にも勝る大恩の師匠を見限り 家出

せしと御疑ひは去事なれど 常々武術の御講釈に耳に覚ゆる其中に 一流に心を

凝さんより 諸流に渡り修行をなすこそ 此道の心がけと御教訓 心魂にしみ渡り十

五才にて国を出 普く諸国を遍歴し 武術を磨く武者修行 天運に叶ひ然るべ

き主取も致せしかど 生れ付たる好色者 乱酒に主人の機嫌を損じ 只今は元の

 

 

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浪人 たよるべき方もなければ 若し上方に有付もやと 心ざして参る所思ひがけなく先生

に面目もなき対面と うかつにそれと身の上を 云ぬ底意は白髪の母 様子聞てや一

間を立出 ヲゝ庄太郎かテモ成人仕やつたの 連合いの眼鏡に違はぬ武芸の上達

器量を見込で頼たい子細が有と声をひそめ そなたの家出仕た時は 三つ子のアノお

袖 もふ十七に成はいの 縁有て云号の其の聟殿を 親の敵と付ねらふ者が有故 まさかの

時の後ろ楯 力に成て下さらば 餘の人千人万人にも勝つて嬉しう思ひます ヲゝいかにも

/\ 庄太郎と知らぬ先 疑義を見兼救ひしも 其義を頼まん下心と 師匠の詞聞も

 

あへず政右衛門摺寄て ムウ其付ねらふ敵の仮名(けめう)は ヲゝ聟といふは上杉の家来 沢井股五

郎といふ侍 付ねらふは和田志津馬と 聞た斗面体は知ね共高で知れたる若輩者

幸兵衛が片腕にも足らぬ相人 カ爰に一つの疑義といふはきやつが姉聟唐木政

右衛門といふやつ 音に聞へし武術の達人 譬五十人百人加勢有とて 政右衛門には及ばぬ/\

まだしも唐木に立合んは 其方ならで外にはない 何とぞ聟に力を添へ 介太刀

頼む庄太郎と 余儀なき頼に政右衛門 先生に内縁有股五郎殿に力を添れば

少しは師恩を報ずる理り いかにも助太刀仕らふ サゝ此上は沢井殿の隠れ家へ御案

 

 

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内と せき立つ唐木忍びの眼八 蓋押明て差覗く影をちらりと見付る幸兵衛

心付ねば ヤレ/\嬉しや 庄太郎の今の詞聞たからは千人力 ドレ聟殿へと立上るを ハテ扨

いらざる女の差出 股五郎殿の行衛は知らぬナハテ 壁に耳有る世の諺 それと慥知ね共

云聞すには折が有ふが うかつにそれと明されぬ 咄しの蓋は取ぬが秘密ととこやら

一物歩行の小助 門の戸叩いて申/\ 庄屋殿から急な御用 只今お出ととんきよ声 ハア

又関破りの詮議で有ふ いやとはいはれぬ役目の不肖と 云つゝ羽織引かけて たしなむ

大だら差こなす 腰もかゞみし海老錠を葛籠にしつかと コリヤ女房 今も云た咄し

 

の蓋 戻つて来る迄明ぬ様 心におろした此錠前 ナ 合点かと詞の謎 聞く女房も

解けやらぬ 雪道いとはぬ高足駄さす傘の骨組も人に勝れし五調(がんでう)作り あるきを

先に幸兵衛は心を 「残して出て行 戻らしやる迄寝られもせまい 糸績(つむ)ぎながら咄し

ませう ハア今に御上根な事 マア火にお留りまされませ 私も是から下(しも)男同

前に お遣ひなされて下さりませ 何のいの こな様は大事のお客 マア煙草呑てゆ

るりつと 寝転んだがよいわいの イエ/\勿体ない師匠の内 ホンニ此煙草はどこから

参つた ソリヤ親仁殿が旅戻りに 貰てござつた上方煙草 ハアあなたのお口に

 

 

80

合のなら 服部か国分か 此天気に斯して置たら湿りましよ 留主事に刻で

見せませう 幸爰に切臺庖丁 底に劔の葉拵へ敵を聞出す煙草の小口

葉巻手早くきり/\と 大の體を小廻りの 奉公ぶりも哀れなり 外は

音せで降る雪に むざんや肌も郡山の 国に残りし女房の 思ひの種の生れ子を

抱てはる/\海山を たとり/\て岡崎の 宿ゟ先に日は暮て何国を宿と定

なく がはと転(こけ)ればわつと泣く子をすかす手も 冷へ氷る 雪の蒲団に添乳の枕

いんのこ/\/\に友さそふ犬の声/\ 夜廻りの番が見付る小提燈 ヤイ/\軒下に

 

何で寝るのじやきり/\いけと叱られて ハイ/\/\私は秩父坂東廻る巡礼 癪でお中

を痛めまする ちつとの間置かしやつて 巡礼ても幽霊でも在の中に寝さす

事はならぬ/\ 意地ばるは猶胡散者 棒いたゞくなと提燈突付け見るつまはづ

れの尋常さ 白眼んだ眼うつかりと細目に明る戸の隙間 内から覗く夫婦の縁

思ひがけなき女房お谷 ハツと恟り差合せ包む我名の顕れ口 悪い所へ切かけた煙草

の刃金 胸を刻むと人知ず フウ見た所が小盗みする風俗(ふう)共見へぬ 此雪に乳呑

子かゝへて難義じや有ろ 何所ぞ後生気な所を頼んで 泊て貰はしやれ エゝ見れば

 

 

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見る程頃合なえい女房 一人寝さすは残念なれど 此方も寒気にとぢられ

痩畑の鬼灯であつたら物を見遁す事と 謐(つぶや)帰るも頼みなき人の詞も

せめての頼 火影を力戸口に這寄り 幼(ちいさ)い者を連た巡礼でござります お情に

今宵一夜さお庭の端にと斗にて癪に 苦しむ息切の 声に主は涙もろく

いとしや癪持ちそふな 門中に寝てはたまるまい 泊てしんじよと立て行 なむ三宝

と裾引留 アゝ是は又御麁相千万 お触の厳しい中 殊にお役柄の此内 何所

の者やら知れもせぬにめつたに引入跡の難はどふなさるゝ 急度よしになされませ

 

夜中に一人歩行女子 ろくな者じやござりませぬ 戸を明けずとぼい逝(いな)したがよ

ござります いか様のふ 親仁殿の留主の中は用心が肝心 コレ/\旅人 いとしけれど

一人旅を泊るは御法度 御城下の中は軒下にも寝る事はならぬ程に 宿はづれの

森の中へ往で寝やしやれと和らかに 云て引出す糸車 来いと云たとて行

れる道か道の四十五里波の上 ハアどこへ行ても一人旅は泊てくれふ様もなし はる/\゛

の海山も 此子の顔を旦那殿に 見せたいと思ふ精力で 産落すから此巳之助 漸

忌も明くや明かず 国を立てついに一夜さ 家の下で寝た事がなけれや 身は

 

 

82

ならはしと山寺の鐘がなれば寝る事にして 星の光りを燈火と思ふて寝入

ど今夜のくらさ 氷の様な此肌で 寝苦しいは道理じやはいの 殊更癪で乳ははらず

雪に寒(こゞへ)雨につたるゝ つらさは骨にこたゆれ共 旦那殿や弟が敵を尋る辛抱は

まだ/\/\こんな事では有まいに 其艱難にくらべては 雪は愚か劔の上にも 寝るのは

せめて女房の役 気強詰ても此癪の 重るに付けては二人の身に 労れの病

が起りはせぬか 万一悲しい便やなど聞たら 何とせふぞいのふ 頼上るは観音様 弟

夫の武運長久 我子の命息災延命未練な事じやが私も 此子を夫

 

に渡す迄は生きて居たい 死ともないと 傍に夫の有ぞとも 知ぬ不便さ喰

しばる 喉(のんど)に熱湯内外(うちそと)に水火の責苦雪霙 子を濡さじと抱しめ/\天

道哀れ白雪の積り重なる旅労れ 癪と寒気にとぢられて アツと一声気を

失ひ どうど倒れし物音は 肝にこたへて南無阿弥陀 なむあみだ仏も口の内

今のは何ぞと主の母 戸を引明ればばつたりと 身は濡鷺の目はと見たり こりや

眩暈がきたのじやはいの エゝいぢらしやどうせうぞ 夫よ幸此気付と つかは文庫に

用意の薬 アゝ申そりや御無用になされませ なぜにいの こりや親仁殿の

 

 

83

道中で持しやつた結構な気付け サア其結構な気付を非人同前の者に

呑して それでも気の付ぬ時はかゝり合いに成ますぞへ 此儘にしてほり出してお仕

廻なされませ じやといふてどふ見捨に成物 アレ可愛や乳を捜して泣わいの

せめて此子を殺さぬ様に 奥の火燵で暖めて遣ませう 風に当じと寝巻の

襦袢 あかの他人は慈悲深く 比翼とかはす女房をむごふ引出し戸を引立 奥

口見廻しさし足 勝手は見置くは金の前 付木の明り見咎て 人は何とかいひ

柴を そつと隠して門の口 伏したる妻に気を付くる柴の焚火の熥(あたゝま)り 噛しめる

 

歯を押割て 雪に潤す気付けの一滴 耳に口寄せ声かすめ お谷といふも憚りて 心の中で

呼び生(いけ)る夫の誠通じてや うんと一声気が付たかコリヤ女房 ハアゝ ヤア/\ 政右衛門かいのと いふを

押へてコリヤ何にもいふな 敵の有家手かゝりに取付たぞ 此屋の内へ身共が本名 けぶ

らいでも知されぬ大事の所 そちが居ては大望の妨げ 苦しく共こたへて一丁南の辻堂

迄 這ふてなり共行てくれい 吉左右を知らす迄気をしつかりと張詰て必死ぬるな サア早ふ

行け/\と 夫の詞は千人力 観音様のお引合せお前に逢たは人参熊膽(くまのい) エゝ忝い/\ が

ぼんはどこへ気遣ひすな 坊主は奥で寝さして置た ソレ/\向ふへくる提燈 見付られな

 

 

84

早ふ/\とせり立れど 此年月の悲しさと嬉しさこふじて足立たず 杖を力に立兼る

とやせんかたへに脱捨し薦に積りし雪の儘着せて 人目をくらき夜をほか/\戻る達

者親仁 ヲゝお帰りなされましたか ヲゝ庄太郎 寒いに門に何して居る イヤお帰りが遅い

故 お迎ひに出かける所 ナンノ迎ひには及ばぬ こりや門口に柴の燃さし 非人共が業

で有 不用心なと見廻す提燈 イヤ私がと取拍子わざとばつたり コリヤ麁相 だんない/\

きつい風ですでに道で取られふと仕た まだもえい所で火が消たと いふもこたへる疵

持足 天気も大方上つ口 庭から足ふく下駄直す師匠思ひに機嫌顔 イヤ馴

 

染程結構な物はない 是から緩りと夜と共咄そふ 弥最前頼んだ事 異変はないの

是はお師匠共覚へぬくどいお尋 心元なふ思し召すなら なまくらでない魂を 只今金打アゝコレ

何のそれに及ぶ事 及ばぬとおつしやつても お頼なさるゝ本人の 股五郎殿の有家 御

存じないかとおつしやるは お師匠の詞に鞘が有かと存じられ 頼まれるに力がない ナント左

様じやござりませぬかと 探る心の奥ゟ女房 稚子抱走り出 コレ親仁殿最前行倒

れの巡礼が 抱て居た此乳呑子 今肌を明て見れば 守りの中に此書付 和州郡山

唐木政右衛門子 巳之助と書て有わいの ヤアと幸兵衛立寄て 誠に/\ シヤアよい物が

 

 

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手に入ったぞ 敵の躮wp人質に取て置ば 此方に六分の強み 敵に八分の弱み有る 股五郎

殿の運の強さ 其かき随分大事にかけ乳母を取て育るが 計略の奥の手と悦び

勇めば 政右衛門ずつと寄て稚子引寄 喉ぶへ貫く小柄の切先 幸兵衛驚き コリヤ

庄太郎 大事の人質なぜ殺した ハゝゝゝ此躮を留置き敵の鉾先をくじかふと思し召 先

生の御思案お年のかげんかこりやちと撚が戻りました 武士と武士との曠業(はれわざ)に

人質取て勝負する卑怯者と 後々迄人の嘲り笑ひ草 少分ながら股五郎殿の

お力に成る此庄太郎 人質を便りには仕らぬ 目ざす相人政右衛門とやら云やつ 其片われの此

 

小躮 血祭に差殺したが 頼まれた拙者が金打と死骸を庭へ投捨たり 幸兵衛手を打 ハゝア

尤 其丈夫な魂を見届たれは 何をか隠そふ股五郎は奥へ来て居るはいの 祖母聟

殿を起しておじや コレ/\股五郎の片腕に成 頼もしい人が来たと いふて爰へ呼でおじや スリヤ

沢井股五郎殿は此内に居さつしやるか フウシテ外に連の衆でもござるかな イヤ/\供もなし

たつた一人 奥庭なふ咄してたもと 打明語るは思ふつぼ 何条知れたる股五郎 手取にするは

安かりなんと 手ぐすね引て待大胆 志津馬は女房が案内に股五郎が片腕とは

何やつなり共只一討と鯉口くつろげ居合腰 気配り目配り互にきつと ヤアこなたは /\と

 

 

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一度の仰天 幸兵衛むんずと居直り 唐木政右衛門和田志津馬 不思議の対面満足

で有ふなと 先かけられし二人ゟ思ひがけなき女房が心どきまぎ不審顔 ナント老人の目利き

よもや違ひはせまいがの 今宵沢井股五郎と 名乗来る年ばい格好 聞及びしとは

抜群の相違 扨は返つて付ねらふ志津馬か 但し余類の者か 肌赦させて詮議

せんと わざと一はいくふた顔 三寸俎板見ぬいたれど 我弟子の庄太郎が政右衛門と云事を 知

たは漸たつた今 骨柄といひ手練といひ 遖股五郎が片腕にせん物と 頼めば早

速承知仕ながら 股五郎が有家を根を押して 聞たがるは心得ずと 思ひしが 子を一えぐりに

 

差殺し 立派に云放した目の内に 一滴浮む涙の色は隠しても隠されぬ 肉親の恩愛

に始てそれと悟りしぞよ 沢井にさせる恩はなけれと娘お袖を 城五郎方へ奉公に遣

た時 筋目有人の娘 末々は我一家の股五郎と娶合せん ヲゝいかにもお頼申と つい云た一言

が今更引れぬ因果の縁 其後娘が奉公引て帰りしかど 今落目に成た股五郎

見放されぬは侍の義理 かくまふ幸兵衛ねらふは我弟子 悪人に組してくれと頼に

引れず 現在我子を一思ひに殺したは 剣術無双の政右衛門 手ほどきの此師匠へ

の言訳去とては過分なぞや 其志に感じ入 敵の肩持片意地も 最早是切

 

 

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只の百姓 町人も侍も替らぬ物は子の可愛さこなたは男のあきらめも有 最前ちら

りと思ひ合す 巡礼の母親の心が察しやらるゝと 悔めば門にたへ兼てわつと泣声

内ゟも 明か戸直にまろび入 あへ亡骸を抱起し コレ巳之助 物云てたも かゝじいやはいの/\

夕部迄も今朝迄も ういつらい其中にもてうち仕たり芸づくし 爺様によふ似た顔見

せて自慢せふと楽しんだ物 逢と其儘差殺す むこたらしいとゝ様を恨るにも恨ら

れぬ 前(さき)生にこんな罪をして侍の子には生れじぞ こんな事ならさつきの時母が

死だら憂目は見まい 仏のお慈悲の有ならば今一度生返り 乳房を吸てくれよかし

 

と 庭に転びつ這廻り抱きしめたる我が身も雪と 消ゆべき風情なり 志津

馬涙押拭ひ 此上は包まん様なし 迚もの事に真実の敵の有所を 何が扨此方も

隠しはせぬ有様は此幸兵衛 最前庄屋へ呼れた時 股五郎に逢て来た ヤアすりや

敵は庄屋の方に 心得たりとかけ出すを 政右衛門引とゞめ愚/\ 我々爰に有ると聞て暫時

も此地に足を留ふ様がない 早五六里も行き過て もふ爰らに敵は居ぬ 此行く先も用心し

て 海道筋へはよも得まい 道をかへて落たと見へる親仁殿 何と左様でござらふがな したり

黒星其通り 迚も非道の股五郎 天道の御罰にて どうで討るる者なれ共 此岡

 

 

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崎で勝負さすれば 肩持ねばならぬ幸兵衛 薬師堂の山賊に中山道へ落したは

城五郎へ一旦の情股五郎との縁も是迄 思はぬ方便が縁に成り 志津馬殿と云かはした

娘が身の果不便やと 見れば籬(まがき)の小影 思ひ切髪墨染の けさにかはりしぞぎ尼姿 お袖か

ヲゝ出かしやつた 悪人の股五郎に 仮にも女房と名の付いた 其間違がそなたの不

運 可愛や盛りの黒髪を アゝコレ申もう何にも申ませぬ 顔は見ね共云号の

男持のがうるさゝに 座敷を戻つた其時から 尼に成気で袈裟衣 けふ一日に気が替り

染違ふたる鉄漿(かね)付けを元も白歯と墨染に 染直しても脱(はが)しても思ひ切た煩悩の

 

心が兀(はげ)ぬ仏様 赦されてと身を背け 泣かぬ気を泣く親心 股五郎にも志津馬にも縁を

離れたお袖道心 袖振合ふも他生の縁 子に別れた巡礼に菩提の為のよい道連れ 關役

人の我娘 関所も切手いあらず 中山道への案内者勝手に連て行れよと 娘に敵の道引を遉

子故に踏迷ふ未来の契り鉦撞木 涙で渡す父母の 恵も深き観世音 なむあ

みだ仏なむあみだ 我子は冥途の道しるべ 志津馬唐木も恥あふて しぼれぬ

表節の礼 師弟は内証敵同士 此儘帰るは卑怯者 返せと一声切付くる 得たり

と請る半蓋(がい)に馬士(まご)の胴切重ね切 まつ其通りの手柄を持つ まだお手の内は

 

 

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狂ひませぬ ハゝゝゝゝ やがて吉左右/\と笑ふて いわに出立るは侍なりけり 「