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趣味の変体仮名

忠義太平記大全 巻之九

 

読んだ本 https://www.nijl.ac.jp/ 忠義太平記大全


185(左頁)
忠義太平記大全巻之第九

 目録

盟約の者共尾花殿の屋形を引とる事
 右門とのゝ首を白小袖につゝむ事
 所々の辻番共あひとがめし事

祝い小路酒屋九郎助が仕合(しあはせ)の事
 早鷹富林発句をせし事
 九郎助酒代(さかて)におどろく事


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同志のもの共国分寺に着く事
 丹下どのゝ墓へ首を手向る事
 寺沢市左衛門近習になる事

国分寺の和尚同志の者共を饗応(もてなす)事
 諸坊主等寺門(じもん)をかため守る事
 大岸神木等詠歌の事

斉藤八右木練(こねり)等が臆病の事
 からかさや三九郎が智謀の事
 生田大右衛門三人を悪口する事

忠義太平記大全巻之第九

 盟約のものども尾花どのゝ屋形を引とる事
交遊のあたにだに。国をおなじふせずといへり。ましてや
いはん主君のかたきうたでは忠臣義士にあらず。されば大
岸由良之助以下。四十余人のものどもは。日ごろの宿意一朝
にひらけ。尾花右門どのゝくびをとり。すなはち着用し
給ひし。白小袖にをしつゝむ。これは勇士の法にて。戦場に
のぞむとき。母衣(ほろ)武者をうちぬれば。かけたるほろの二番
目のきぬをとつてくびをつゝむ。これ古来よりの軍例なり
これも大将のくびなるゆへ。由良之助がはからひにてその
白むくにつゝみたり。かくまで思慮をめぐらして。その礼法
をまもりたる。心の中こそつねならね。されどもそのくび


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は。はやさきだつて芝がやつへつかはしぬれば。あらぬくびを尾花どの
のくびとなつけ。あさぎのふくさにつゝみ。うへを白きゆたんにてこれ
をつゝみてもたせたり。さてひきとるそなへのやうは。先後三組に
そなげをわけ。十五六人づゝ一組にして。前後には若手のものをす
ぐりたて。中ぞなへは。由良之助をはじめ。海辺以下の老人なり。さ
きへはまづ鑓二すぢ。白き紙にてさやをかけてもたせたり。その
まゝぬき身にてもたさんは。おそれなきにあらずとこれも由良
か支配なり。中ぞなへにはいあのくびをもたせけるが。鑓二本を。両方
よりうちちがへ。二人してになひたり。手をひはみな/\駕篭に
のせ。まづ尾花どのゝ屋かたおもて門のむかひなる。和光院といふ
寺に入て。しばらく休息すべしとて。寺門も前にいたりしに。
寺僧ら大におそれ。門主(もんす)に下知してかたく門をとちさせたり。

四十七人のものども。再三門をたゝき。さま/\゛とことわりしかど
も。いよ/\おそれて。門をばひらかず。ぜひにおよばず。しからばこゝに
て休息せんと。寺の門外に座して。をの/\しばらくいきをつぎ
それより政所。すぢかひ橋の川ぎしより。山の内にさしかゝり。さゝ
めがやつ。丹下どのゝふるやかたのまへにて。みな/\なみだをながし。北
条どのゝ。屋かたのまへにいたりしに。辻番人これをとがめ。そつじに
御とをりあるべからずと。やがて一人を屋かたのうちへつかはせば。う
らつれの上下着たる侍一人。いそぎ出あひ子細をとふ。百馬
次郎兵衛立むかひ。御とがめ御尤に候。われ/\は。故印南野丹下家
来のものどもにて候が。主人のかたきたるにより。尾花どのゝ
御やかたへ。こよひ夜うちにしのびよせ。只今御くびをたまはり
て。年来の宿意を達し候。さるによつて主人のぼだい所。芝が


188(挿絵)


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やつの国分寺にまいり。上意のおもむきをあひまち
切腹いたし候はんため。はやさきだつて。つかひをさし上候なり。
御とをし下さるべしといへば。かのものきいて。かやうの辻番所の儀は。上(かみ)
よりの御さだめにて。たれ人にても候へ。異相なるともがらをば。抑留
いたし候ひて。とをし申さず候ゆへ。番のものどもの。とがめ申たる
にて候。御ことわりのむね。うけたまわりとゞけ候うへは。いさゝか子
細候はず。御とをり候べしといへば。由良之助大によろこび。早速御仰
きゝとゞけ給ひて。御とをし下さるゝ段。大慶仕候。しからばとてもの
ことに。水一つ申したまはり候はんといふ。かのさふらひきいて。それ/\
とて水をあたへかたしけないと式代してぞとほりける。それにより仁
科の十郎どのゝ。屋かたのまへにさしかゝれば。こゝにても辻番人
こと/\しくとがめしかども。以前のごとくにことはりて。別儀なくをし

とをりて。国分寺へいそぎける

 岩井小路酒屋九郎助が仕合の事
かくて四十七人のものどもは。仁科どのゝ。やかたのまへをもうち
すぎ。芝がやつへといそぐほどに。遠寺のかねのひゞきと共に。夜も
しら/\とあけわたれり。そのみち岩井小路といふところに。酒屋
の九郎助といふものあり。すでに夜もあけしかば。見世の戸をあ
くべしと。目をする/\おき出しに。なにとはしらず四五十人ばかり。た
だ今ことにあひしと見へみな/\血にまみれたるが。さるにてもて
きぜい。おつかけ来らんは必定なり。しからばわれ/\が。いのちのあらん
かぎりさいごの死にいくさして。同じまくらにうち死せんに。何条
ことのあるべきこと。こえ/\゛にいひしゆへ。九郎助大におどろき。なに
事ともしらねども。まづ戸をたてんとするところにはや四五


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人ばかり。内へつとをしこみ。なんぢは此屋の亭主か。無心ながら
湯を一つ。此手負にふるまへといふ。九郎助わぢ/\づるひながら
いとやすき事に候へども。湯はいまだ候はずといへば。片山源七兵衛。よ
し/\是非におよばず。しからばあまりつかれたり。酒一つたべん
といふ。九郎助きいて。酒屋にては候へども。居ながら売申すこ
とは。かたき御法度にて候といへば。片山から/\とうちわらひ。天下第
一の御法度をだに。そむきて本意をとげしわれ/\。これしき
の儀をかまはんやといふ。早鷹源六。時刻こそうつれ。これ/\酒
代をわたすべしとて。はながみ袋をなげ出し。見世の四斗樽を
とり出せば。みな/\たちより。鑓の石づきをもつて。樽のかゞみを
つきわるやいな。手々(てんで)にちやわんをもつてかゝり。われも/\とのみ
けるほどに。おの/\酔に和(くわ)し。おもしろし/\と。勇気いよ/\

十倍せり。早鷹かさねて。亭主に硯筆をこひ。料紙をとり
出して
 磐裂(いはたけ)のちからもおちて松のゆき
此人いた手をおひしゆへ。かくはかきつらねたり。そのとき介抱し
て居たりし。富林祐右衛門。それがしも一句すべしとて。
 世や人や酒にてきなし雪の朝
さあ/\酒はのみつ。此いきほひをもつて。追手のせいとたゝかはん
に。いかなる鬼神みのせよ。とりひしがでをくべきか。はやく御首に
おひつけやとて。われも/\とはしりゆく。九郎助は。さてをそろ
しきこと共かなと。くびすぢをなでまはし。まづはいのちをたすか
りたりと。あとをはるかにながめてのち。うちに入てみれば。かのはな
がみ袋のうりに。小判三両。すぎはらにてつゝみ封じ。そのうへに


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印南野丹下家来。早鷹源六。今月今日うち死とかきつけ
たり。九郎助は此小判をみて。ふたゝび気をうしなふばかり。一の
うらは云とやらん。最前のをそろしさと。今のうれしさ。とかく
世の中はしれぬもの。果報はねてまてとはいつわり。朝をき
せし徳分なりと。まづえびすだなにそなへ。御酒をさゝげてよ
ろこびけり。過福善悪みなこれゆめ。なにをもつてかよろこ
び。なにをもつてかかなしまん

 同志のものども国分寺に着く事
かくて同志のものどもは。辰のこくばがりに。芝がやつにはせつ
きたるが。手ごとに鑓長刀をもち。手をひをかたにかけて。国分
寺にをし入らんとす。おもひよらざる事なるゆへ寺中の騒動な
なめならず。やれ盗賊よをしこみよ。門とはや/\さしかため


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よと。うへを下へと悶着す。由良之助門前にたち。これは印南
野丹下。家来どもにて候が。今朝主人のかたき。尾花右門殿
をうちとり。これまでたちのき申して候。たゞ今当寺へまいる段
此おてらへかけこみ。申しわけいたさんとにも候はず。又一命をたす
からんとて。かげをかくさんためにおてらへにげこむにても候はず。
しかるうへは。寺中へ御入れ候とて。いさゝかも狼藉など。仕るべき
にては候はず。主人丹下墓どころへ。尾花どのゝ御くびを。そなへ
申たく候ゆへ。これまで参じ候なり。われ/\焼香相すむまで
は。御門をさしかためられ。余人のお入を。御とゞめ下さるべしとて。
是非なく寺中にをし入りて。すぐに墓どことへをしとをり。
香炉焼香等を。御かしあつてたまはるべしとて。方丈より
かりよすれば。定田奥右衛門。松川三平はしりゆき。墓のかた

わらなる。水をけにみづをくみ。両人ひつさげ来り。尾花どのゝ
御くびをあらひ。丹下どのゝ石塔の臺石の二段目に。供饗(くぎやう)に
すえてそなへたり。此供饗は。たゞ今道にて買とゝのへ。おのあた
ひとして。金子壱歩をあたへ。かの細工人に。こゝまでもたせ来り
しなり。さて石塔の四方をかこみをの/\座をつらねて。かうべを地
につけ両手をつき。面々の仮名実名(けみやうじつみやう)を。次第/\になのり申す。
そのゝち大岸由良之助。紙筆をこひて文をしたゝめ。さて懐中
より。九寸五分の。小わきざしをとり出し。石塔の上段に。柄をむけ
てさしをき。かの文ををしひらき。たからかによみあげたり。其文に曰く
 たゞ今面々なのり申候通。大岸由良之助をはじめ。御足がる寺
 沢市左衛門にいたるまで。都合四十四人。死をともにちかふの
 臣ら。つゝしんで亡君の尊霊につげたてまつる。去年尊君尾


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 花右門どのを刃傷われ/\その子細をも存せさる中に。君
 はたちまち。御生害におよび。尾花どのは御存命。臣ら
 これを見るにしのびず。かくのごときのくはだて。君の御心
 にあらずして。かへつて御いかりにおよばんことを。おそれ入候へ
 ども。われ/\多年君の禄をはみ。共に天をいたゞかざるの儀
 同地をふまざるの文いかでかわすれ候べき。多ねん恩禄をうけ
 候われ/\。下さるべき主君なく。昼夜かなしみにたへず紅涙(こうるい)
 にしづみ候。たとひ恥をいだき。むなしくあひはて候共。泉下
 において。申上べき詞これなく候によつて。御意趣をつぎたて
 まつるべしと。存たてまつり候よりこのかた。今日をあひまち
 申候事。一日三秋のおもひをなし。夙(つと)に夜(よ)はに肺肝をくだ
 き。あめにぬれ雪にたゝずみ。やうやく一日二日に。一食を

 仕り候。さるによつて老若のものども。又は痛身のものど
 もは。死をすゝめ候へども。蟷螂降車にむかつて。肘をた
 のむのわらひをまねき。いよ/\君の恥辱をのこし。汚名を
 後世にとるべきかと。延引いたし候へ共。天の時いたるをまちてお
 の/\申し合せ。昨日夜半のころ。尾花どの宅へ推参仕り。す
 なはち右門どのを御供申し。これまで参上仕候。此小わきざしは。
 君むかし御秘蔵にて。それがしに下しをかれ候へども。只今返上
 仕り候。君の御尊霊。御墓の下にいますにおいては。ふたゝび御手
 をおろされ。御欝憤を御とげ候べし。右のおもむき。四十余人
 のもの共。一同に申上候
と。たからかによみあぐれば。みな一同に平伏し。数行のなみだに
ぞむせびける。そのゝち由良之助。足がるの寺沢市左衛門をよび出し


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これは御足がるにまかりあり候。寺沢市右衛門にて御座候。此もの
は。心ざし甲斐/\゛しく。数代大禄をたまはり。御厚恩をかう
ふりしものどもさへ。大野木。生野をはじめ。みな/\一味の盟約
にもれ。死をおそれはぢをすてゝ。にげはづし候ところに。此寺沢
一人。足軽のうちよりぬきんでゝ。誓盟の連判に入り。血を
すゝり約をかたふし。始終心を変ぜずして。大望をとげ候ひき
あつはれ比類なきものに候へば。此御恩賞として召上られ。少
知をも下しをかれ。御近習にめしくわへられて。しかるべく存じ奉り
候と。一々はたらきを申しあげ。しばらく平伏して。仰をうけた
まはるていにもてなし。これ寺沢どの此たびの御褒美として。
御近習にめしくわへらるゝの間。ありがたきむね御礼を。申しあ
げられよといへば。そのとき市左衛門。御墓(みはか)にむかひ平伏して。御礼


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を申しあぐる。これによつて列座のともがらも。寺沢にむかつ
て。みな/\ことばをなをしけり。かさねて由良之助申しけるは。亡
君御在世のときは。いづれも役儀のしな。俸禄の高下。さま/\
わかちあるにより。常に座列も。次第をまもり候へ共。今此
身になりての上には。下の差別(しやべつ)あるべからず。しかれ共只今。尊
霊の焼香においては。真十三郎どの一番たるべく候。そのゆへいか
んとなれば。此素意何ごとぞや。尾花どのをうちとり。くびを尊
君へたむけ奉らんため。きのふまでもをの/\われら。みな/\
肺肝をくだき候。しかるに十三郎どの。尾花どのにむかひ。一番
に鑓をつけ申され候へば。此たびの勲功は。十三郎どの。その第一たる
うへは。たれか論じ候べき。いそぎ焼香し給へといふ。十三郎きい
て。これはおもひもよらず候。それがしこときの若輩ものより。

いかでか焼香をはじむべき。たゞ/\由良之助どのより。御はじ
め候へといふを。いや/\さのみは辞し給ふべからずと。大岸達てす
すめしゆへ。しからば兎も角もとて。列座の衆中に一礼をのべ
十三郎立むかひ。自身の名をなのり。焼香礼拝してのち。かの御
墓にそなへたる。小わきざしをとつて。右門どのゝくびのうへゝ。三度
をしあてしりぞけば。それより由良之助をはじめ。段々に座を立
て。焼香以下の次第。十三郎をなじ。かくて焼香おはりしかば。
尾花どのゝ御くびを。本堂に持まいり。もはや此くび。入用になく候
さりながら。主君には大てきにて候へども。われ/\意趣はなく
候。高家歴々の御くびをおろそかに汚し申さん事。法外の
いたりに候。御出家の御ことにて候へば。此うへはともかくも。よろしき
やうに御はからひ。なされ下さるべしといへば。和尚うけとりて。仏前


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にぞさしをかれける。一念の矢さきには。岩ほもとをすむかし
のたとへ。今さら実もとしられたり

 国分寺の和尚同志のもの共をもてなさるゝ事
そのゝち由良之助。和尚にむかひ。今ははやわれ/\も。此世の礼儀
これまてにて候。尾花どのゝ家来中は。たゞ今までわれ/\が。いき
どほり存ぜしごとく。さぞや無念にぞんじ。此意趣をはらさんた
め。さだめて追っかけ参るべし。此うへはわれ/\も。当寺の御門外に
出。こと/\゛く討死して。くびを進上仕るべし。はや/\御門をひ
らかせてたまはるべし。ゆめ/\狼藉なるふるまひは。仕るまじ
く候あひかまへて御心やすくおぼしめし下さるべしと。のこるか
たなき由良之助が仕方。神妙(しんべう)のいたり。まことに大勇のふるま
ひたり。やがて仙覚和尚。四十余人のともがらを。内に請じ入れ

給へば。おの/\わらんづをはきながら。御めんなされ下さるべし
とて。客殿にぞあがりける。此ともがら面々にあたらしき
わらんづを持たりしが。最前寺に参着せしとき。かのわらんづに
はきかへて。それより始終。わらんづかけにて居たりしとかや。和尚
人々を方丈に請じ入れ。みな/\すぎし夜よりいのちかぎ
りにはたらき給ひ。暁天およんで。寒風にふかれ。遠路をし
のぎ給ひ。殊のほかこゞえ給ふらんとて。いそぎ寺より粥をたか
せてもてなし。寺院の儀にてむかしより。寺中へ酒を入れ申す
こと。かたくいましめ候へども。今日はおの/\のために。禁制
をやぶり候はん。さぞつかれこゞへさせ給ふべし。いかに出家の身
ともいへ。義を見てせざるは勇みなし。何かくるしく候はんとて。酒
をおびたゝしくとりよせて。ふるまわれけるほどに。みな/\大酒に


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およんで。やうやく寒気をわすれけり。そのゝり飯台を出し。膳
をすゝめられしかば。みな/\食事こゝろよくして。われ/\は土中
の死骨。存じもよらざるところの和尚の御とふらひに。あひた
てまつり候と。みな/\尾花どのの御はたらきのやうは。いかゞ候ひしと
たづねしに。由良之助きいて。尾花右門どのずいぶん見事なる
御はたらき。家来のめん/\も。恥かしからぬはたらきにて。お
どろき入り候とばかりにて。兎角のこともいはざりしが。のちに
尾花どのゝていたらく。あさましきふるまひ共。あきらかにしれ
しにぞ。いよ/\由良之助は。まことに仁義の勇士やと。みな/\感
称したりけり。かくて此おもむきは。上へさつそく国分寺より。うつ
たへ申すべきなれども。寺をあけをかん事を。気づかひにおもひ


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延引しけるところに。末寺(じ)の出家ども。浪人少々あひ
かたらひ。五十余人にてかけるけ。あとの儀は愚僧らが。うけ
とり申し候はん。早々御こし候べし。かたきのかたより追手のせい
をむけられなば。ずいぶん寺門をかため。相ふせぎ候はん。はやとく/\
といさめしかば。和尚大によろこび。弟子の法師原を引つれて
やがて寺を立出らる。かゝるところへおひ/\に。同宗懇意の寺
々より。われも/\とはせあつまる。およそ六百よ人の法師ども
大はちまきに玉だすき。門前の町屋より。棒ちふぃり木。く
ま手。とび口をかりよせて。寺内をかためまもりけるは。いかめしく
ぞ見えたりける。かゝりけるところに。午の下刻におよべる
ころ。すはかたきよするぞとて。衆徒等四方にはしりまは
り。寺門の騒動なゝめならず。由良之助これをきゝ。さあ

らんとこそおもひつれとて。休息して居けるものどもを
一々おこしまはりけるに。一子力弥これをきゝ。てきがたよりの
追手ならば。今朝の内にこそ。くびをとりかへしにはきたるべけれ
大臆病のこしぬけどもが。只今になりて。何にしによせては来るべ
きと。こともなげにて居たりしを。親の由良之助。いや/\てきを
あなどるべからず。うつててきをかろんずるは。良将のせざるところ
なり。かならず油断すべからずと。再三に制しかば。みな/\その
ときをきあがり。さらばてきをあひまつべしとて。寺僧にかみ
そり砥(ど)をうちよせ。手/\゛にねたばを合せける。力弥も合せ砥を
こひける故。小僧もち来りしかば。力弥小僧がかほをながめ。つねに
ゆいがはまへんの芝居にて仕る。きりあひ人形のまねを。只今
いたしてみせ申さんと。につことうちわらひながら。大小のねた


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ばを合せ居たりけり。尤大勇のふるまひ。金鉄の士といひつ
べし。されどもなにの沙汰もなく。よせくるてきもなかりしかば。
人の虚説にてありけるぞや。とて。をの/\それよりうちく
つろぎ。うたよみ詩つくりなんど。ゆる/\としてぞ居たりける。
あつはれ大勇のふるまひ。みる人これを感称せり

 斉藤八右田木練(こねり)等が臆病の事
勇にふたつあり。仁義の勇。血気の勇これなり。義を金石
に比しておもく。死を鴻毛になずらへて。節に死し忠に
亡す。これを仁義の勇といふ。所謂盟約の士。四十余人のも
のこれなり。つねには広言をはいて。その野において。われ変化
のものを討し。そこの山にて。山賊をうらめしなんど。あとかた
なきそらことをいひまはり。異国のはんくわい。吾朝(わがてう)の朝夷(あさい)

名(な)ともいへ。一太刀もあげさすまじなんど口にまかせていひち
らし。四方をにらみまはし。ひぢをはつて。すこしのとがにも。家人
どもを手うちにし。人をころしてそれをわが身のなぐさみと
なし。鬼神もあざむくべきありさまは。いかさま大勇とみゆ
れども。事にのぞみ。必死の場におよんでは。色をへんじ動転
し。。はぢをわすれてにげまはる。これを血気の勇といへり。その
ものは尾花どのゝ家人。長井の斉藤八。右田兵衛太郎。木練柿
之助。此三人のものどもなり。尾花どの。事にあひ給ひし夜
も。よひよりの酒もりに。ことの外沈酔し。三人一所にふし
居しが。夜半すぐるころ。やれ火事よとよばゝりしゆへ。こよ
ひはあらしもはげしきに。火もとこそ気づかひなれ。ちかきにや遠
きにやと。目をすりながらよろぼひ出しに。何ものとはしらず


200
さはやかなる出立にて。うは羽織にかぶと頭巾。やりなぎな
たの穂さきをそろへ。小屋一軒に四五人づゝ。立ならび居たり
しが。無二無三につきかけしかば。やがて内へにげこみ。ゆめにな
れ/\と。ふしたをれてふるひ居しが。いかゞはしけん。うらのかたよ
りしのびぬけ。壁をきりぬきてのがれ出。むかひ町のからかさや
三九郎といふものゝもとへ。ふるひ/\ひげこみ。われ/\が一命をた
すけ。かぜをかしてくれよ。一簾(かど・廉)礼をいたすべしと。手を合せてな
げきしかば。此三九郎は。三人のものとはかはり。町人とはいひながら。甲
斐/\しきものにて。なにがさておさむらひの。手をあはさせ給ふう
へは。町人とはいひながら。命は芥子とも存ぜぬ男。一命をすてゝ。そ
れがしかくまい申さんといへば。三人大によろこび。さりとては過分な
り。さすがは町人ほどありけるよ。此御恩はわするまじ。ひとへにたの

むといへば。こなたへ来り給へやと。おのれが家のまへなる。自身
番の床の中へ。しのびやかにかくしけり。三人のものどもは。番床
にうづくまりて。いきたるこゝちもせず。ふるひ/\観音経を。口
の中にてとなへ。此たびの死をのがれさせて。たび給へとぞいのり
ける。かくてその夜のあけぼのゝころ。よせてもみな引とりてのち
三九郎はしりゆき。もはやことはすみ候。はや/\御出候へとよべば
三人のものども。わなゝきながら。番床よりにじり出。おそろしそふ
に四方を見まはし。かたきはもはや引とりしにや。もしもにもどりは
せまじきか。帰命頭礼(きみやうとうらい)。さてきみわるき事ながら。夜もあけば
人もやしらんいざゝらば。屋かたの内へ入るべしと。最前にぬけ出し
塀のあなよりはひ入り。こゝかしこ見まはせば。あるひはうたれ。ある
ひは手をこひ。こゝかしこにふしてあり。南無三宝いかにせん。さて


201
は主君もうたれ給ひ。宗徒(むねと)の人々も。みな死せしにてぞあ
るらん。やかたの中をこと/\゛く。見めぐりたくはおもへども。それも
又おそろしく。そのうへ手をひし傍輩どもの。おもはんとこ
ろもはづかし。なにとおもふぞかた/\゛。われ/\三人のもの共は。発
明なる智計をもつて。不思議に害をもがれたり。いにしへ源
の頼朝の。ふじ木の中にかくれ。大塔の宮の。大はんにや経の。か
らひつにかくれ給ひし。その智謀にもおとるまじ。しかれども
こゝにめいわくなる事こそあれ。われ/\三人ばかり。かく無疵
なるていにては。武士の一分立がたし。にげかくれたりなんど。世上
の批判も口をししといへば。げにも/\われ/\は。あまり無事す
ぎてめいわくなり。いかゞはせんと案ぜしが。よし/\此うへは。ちかご
ろ難儀のいたりなれ共。みな/\手きずをこしらへ。てきにあふ


202
てのはたらきは。分別次第につくるべしといへば。尤々と同じ
て。三人ともにおもて疵を。かみそりにてつけあひし。こゝろ
内こそあさましけれ。こゝに生田大右衛門とて。日ころ尾花
どのゝやかたへ。出入りせし浪人あり。夜あけてのち。此ことを
つたへきゝ。こはいかにとおどろき。とるものもとりあえず。尾花殿
のやかたへ。とぶがごとくにはせきたるに。門戸も打やぶれ。塀
にはのぼりはしごをかけ。やねの上には。鎌のつけたるほそ引き二
すぢ三すぢすてゝあり。そのほかてこ。かけや。つきをりたる鑓も
あり。山鳥の羽にてはぎたるかぶら矢。とがり矢等もあり。又は
やりざや。とび口など。すてをきたること。足のふみどもなか
りき。生田大右衛門大におどろき。おくに入て見るに手負死人
こゝかしこにふして。算をみだせるがごとし。なをおくふかく入り

見れば。あさましき小屋の中に。尾花どのよとおぼしくて
白小袖きたる人の。むくろありてくびはなし。南無三宝と手
をうち。しばらくなみだにむせびしが。今はかへらぬ事なれば。念
仏数へんとなへ。頓証菩提と回向して。それよりこゝかしおと
見めぐるに。長井の斉藤八。右田兵衛太郎。木練柿之助。三人のも
の共。おもてにわづかの疵をつけ。生田を見かけて事々しげに。
刀をぬいてつrにつき。比怯なりよせ手のもおども。尋常にとゞ
めをさせよ。かへせ/\とよろほひ出る。生田はしりよつて。かた/\゛
は何を申さるゝぞ。てきのよせしは昨夜ならずや。何ぞ今までう
ろたへ居ん。血まよひたるかかた/\゛といへば。三人きいて。御尤/\。あ
まり無念はれやらで。貴殿をてきにやとおもひ。よろほひ出て候
といふ。さてはおの/\も手をおわれたるな。昨夜の次第はいかにといへ


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ば。斉藤八きゝもあえず。さればとよてきみだれ入りしゆへ。ま
づ御前へはしりまいり。御きづかひ候な。それがしふせぎ候はんと
て。やがて玄関へかけ出しに。六尺ばかりの大男。大太刀をうちふり。
玄関をさして切りこむを。斉藤八これにありと。はしりかゝつて
きりむすび。すでにうちとめんと仕りしに。うしろより三人。むかふ
より二人。以上六人きりかゝり。まん中にとりこめしほどに。今はあやふく
候ひしか共。なんなく五人に手を負せて候。さるによつて五
人は十方ににげちりぬ。今一人もかなはじと。玄関よりにげ
出しを。うちとめんとおつかけしか共。それがしも深手をおひ。
まなこに血入てはたらかれず。此ところにて打たをれ。てき
をうちもらして候といふ。そのとき木練柿之助。それがし儀は。泉
水のまへにて。かたき八九人引うけ。やりをもつてたゝかひしが

やりの柄も切りとられぬ。刀をぬいてたゝかひ。ちかづくてきを三
人。泉水へとつてなげ。なをもちかづくやつを。胴ぎりにうちは
なし。のこり四五人とたゝかひ。眉間にふか手をかうふつたれ共。
少しもひるまず。又二人うちとめ。一人をかいつかみ。五六間なげ候へ
ば。とび石にあたつて。かしらをくだかれ死して候。此ふか手さへ負候
はずば。十人も二十人も。くびをならべ候はんに。無念千万の仕合と
いふ。生田手をうち。さて/\きゝ事なる御はたらき。かんじ入て候也。
右田どのはいかにといへば。それがしは御存じのごとく。戸田流び剣術。お
そらく妙を得て候。さるによつて。御庭の小しばがきを小だてに
とり。かけ出/\たゝかふて候。最初に切入りしものは。平子(たいらこ)の平助
となのりて。参りさふと切りかゝるを。おしつけのはづれより。かひ
かねかけて切つけしかばよろり/\とにげて候。その次に。愛甲(あいがう)三


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郎兵衛と名のつて出しを。それがしすかさずとびかゝり。弓手
のかいなを切りおとし候。その次に。御所の九郎助と名のつて。切
てかゝり候を。大げさに切て候。そのほか十人あまり。手を負(をふ)せて
候が。刀のははさゝらのごとく。気力もすでにつかれぬ。此ところま
てはたらき来り。こゝにてふか手をかうふり。かくもごとくにて候と
いふ。生田もあまりのことに。しばしあきれ居たりしが。くつ/\と
ふき出し。さても/\かた/\゛は。大なるそらごと。あとかたなき事
をの給ふぞや。その同切にせられ。とび石にかしらをわられ。大げさ
に切たてられしものの。死骸はいづくに候ぞといへば。いや/\まさしく
ころせしが。もしもいきてにげかへりしか。それは知らず候といふ。生田
から/\とわらひさて臆病なる人々かな。かげもなき高名ば
なし。きゝたくも候はず。右田どのゝはたらきは。曽我十番切に。よ

くも似て候ぞや。をの/\の疵を見るに。ふか手とはの給へ共。あ
さ手もあさ手。これはしかも刀きずとは存ぜず。かみそり疵と
こそ見え候へ。さりとては比興なり。こしぬけかな/\。かく申すを無
念ならば。それがし相手になり申さんと。にらみつけていひしか共。三
人ともにおもてをあかめ。はてわれ/\がはたらきを。いつわりとおぼし
めせば。それは是非も候はずと。うろ/\として居たりしかば。生田なを
/\はらをたえ。さん/\゛に悪口(あくこう)し。やがて屋かたを立出けり。此三人
のもの共が。臆病なるふるまひ。世のわらひ草となりて。今千
歳のすえまでも。悪名をながくつたへけり

忠義太平記巻之九終