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イ14-00002-111
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第三 (六波羅館の段)
都なる女あり車を同じうす 顔(かんばせ)蕣(あさがほ)の花のごとしとうたふ 鄭衛の二風(じふう)道を
蕩(とらか)し国を賊(そこな)ふの淫声といへ共 善くよみ善用いる時は 却て両国を治るの誡め
なりと注せり 常盤駿河守範貞は斉藤太郎左衛門利行が忠烈にて 大内
の御謀反あらはれ官軍の多勢に討勝ち 大塔宮御行がたなく落人となり給ひ
後醍醐の天皇を隠岐の国へながし遷(うつ)し奉り 八歳の宮并母君三位の
お局諸共に擒とし 長井右馬頭宣明に預け厳しく守らせ 其外宮々公卿大臣
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に至る迄 武家に背きし輩(ともがら)を死罪るざいに苦しめ 気焔鷹のごとく揚り いせい
雷(らい)のごとくひゞき渡れる六十余州 かしらをあぐる人もなし はや初秋の風の色白書
院のしきいごし 斉藤太郎左衛門利行 召しによつて参上と手をつけば 駿(すん)州見給ひヤ
太郎左 早速の出仕大義/\ サア/\直ぐに是へ/\と招け共 ハツ/\と色代(しきだい)す ハテいらぬ
じぎ手を取に立申さふか 是は/\御意を背くはけつく慮外と おくづめ御ふだい
おそば衆歴々をのしこへて 大将と膝組に諂ひなくぞ座しにける なふ太郎左 此間も
云通りこんど一せんに切かつこと 此範貞が武略にもあらず 諸軍勢の働きにもあらず
御邊独りの娘婿を見殺し 逆寄せにせし忠きん一人の高名 即鎌倉へ言上追付
恩賞大国の主 いづれも列座の面々 士たる身は太郎左を手本 あやかれ/\と
ほめられてにつこ共せず 忠を磨き義を鉄石に比するは勇者の守る所 御加増を
貪らす誉められ度も是なしと 人のそやしにふは/\と のらずのらせぬ人喰ひ馬あひ口
挨拶もぎどを也 ヲゝ其繕ひなき真っ直ぐを見込 頼むこと有て召寄たり かたり
出すも恥しながら 範貞は此頃恋と云大病を請 お見やる通り顔もやせ身も
やつるゝ 此病の発(おこり)は 永井右馬頭に預し若宮の母君三位のお局 おもひなをし
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年をかへても心の療治匕(さじ)廻らず 玉章(たまづさ)にてくどかんも俗筆のかな文 手風いやし
文章ふつゝかなど 内理上臈なま上逹部(かんだちめ)に嘲弄せられては 常盤駿河守
共よばれ鎌倉の御名代 関西(くはんせい)卅三ヶ国大将たる身の無念大恥 いかゞと思ふに
なふ思案も有物 幸い若宮 じぶんから町々の躍(おどり)をすき給ふと聞 盆の間は京わらん
べの踊子共 右馬の頭がやしきへ入宮の御心を慰め 煩せ参らすなと云付けし詞の
情 子に迷ふ母お局の心を先やはらげ 其上に我恋の思ひをかた取 燈籠の作り
物にうつし 媒は右馬頭女中ながらさすが雲の上人 文のかはり燈籠に物をいは
せし趣向にほたされ なびくと云返事を又燈籠にて送られし 嬉しい心底
見せ申さん 扈従(こせう)共君が方より返事の燈籠是へ/\ あいとこたへておくごせう
是も他生のふり合せ たが袖なりや色深く 染て千種の花車 祭るみらいの
なき魂(たま)より いきて此世の恋路のやみ てらす斗の風流也 是お見やれ さい初に
此方より根笹の燈籠に水晶の玉をかざり 上には鳶か羽をのし鯉を
掴む作り物 恋に心はとび立斗ねざゝに霰 さはらば落よの心をさとり 袖をかた
敷きふたりねんとの返事のたが袖 又此方より松に紅葉の燈籠 こがれ待つとの
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心を受 色にひかれてめぐりよるとの此花車 辱い 太郎左/\ 聞てか/\と いへ共更に
見向もせず 聾ではござらぬ 頼たきこと有とのお召 取あへず参りしにどれ何を
頼むこと 当分軍しづまれ共 大塔宮行方しれず 禁国の武士過半心
は天皇方 みかたの鎧兜ゆるりと脱がれぬ此時節 まだ/\と恋咄 弦を関
鏃(やのね)を磨くに隙ござらぬ 燈籠より兵糧の用意罷帰ると立んとす ヲゝ
おやぢ気みじかな 始をいはねば末聞へず かく恋は叶ひながら迎の車
乗物にて 幾夜まて共今にこず 女の迎に若き侍も気遣 老足の大儀な
からこよひ彼の君を迎に おやぢ 頼むと云顔をしろりと見て 罷りならぬ 斉藤
太郎左衛門利行 一生に出合女の取持致さず 始より媒の右馬頭に仰付られい
夜に入辻に立つ夜發(やほつ)の遊女の支配する ぎうとやらもうとやらのわざ 侍のせぬ
こと もし三位の局 首引ぬいて参れなどゝの御用は 何時にても仰付られと 重ね
て取付詞なし お次の間より 薫(たきもの)のさつとかほりて御取次 永井右馬頭宣明が
女房花園 三位のお局よりお使として参上と 聞もあへずヤア其便り待がね
山の時鳥 はやふ聞たい/\と 招くにおめぬ士のおく方の威は生れ付 三十(みそじ)余りに
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老くれながら畳ざはり詞つき 色か残りてうづ高く 夫右馬頭お預りのお局
様へお名代の燈籠 やさしい御趣向かんじ入せられ あなたも燈籠のお返事
其上に此お浴衣もやうはおぬしのお好み 磯うつ波にほかけ舟 殿様の恋風
をひらきに情 思ふ湊へこがれよらんとのお物ずき 残暑のお汗取にとの御口状と
かたにかけしを取まおそしとしがみ付 やれ/\ 夢か現か嘘か誠か 我恋風を 帆
にうけるは あつちからもほのじじやの おれにほのじのほが見ゆる 是忝い天(あま)の
羽衣と額にあて顔にあて ムウ/\ウ伽羅/\ 君がうつりがだきよせしめ付ね
ぶり付 大将の甘いかほ斉藤がしぶい顔 しぶいに甘い柿の本 ほの/\゛ほのじ あ
ほうのほのじつもるとしらぬおろかさよ 漸心おとし付けヤイ花園 是程のお
情に 迎をやれ共雨がふる風が吹とて 終に枕をならべぬはそこいがとけぬか気が
いれる 心がもめるどふじや/\と有ければ アゝお気のせくはお道理 又あなたにも
尤 私ふうふが達て申せば 涙をこぼしてなふ花園 てい女両夫にまみへず
忠臣二君につかへず 武士と女の義理はひとつ 天皇様のおめを掠めては末代迄
女の悪名 六波羅殿へ申し 天皇様兼間お願の通り 隠岐の国より還幸
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なしまし 鳥羽のわら屋の古御所に置き参らせて下されば 若宮様を手渡した
此身はお暇申請 いづくに障りつかへもなふ六はら殿とそひたい さもなふては下々
の女のまおとこ同然とのお噺 いやといはれぬ尤な御心底 とかく天皇様さへ
還幸なればおまへの恋はずる/\/\ 一天の君のお願かなひ アゝ嬉しやと思召
さば 皆殿様の冥加お身の為国土の為 女の及ぬちえながら 天下太平の瑞相と
存ますとぞ申ける ムゝウ尤々 天皇のめをぬすみては女の道たゝず 我も男
の義が立ぬ 願の通り天皇をよびかへしても何ごとかあらん 膝共談合太郎左衛門
分別なんと/\と云を打消すとがり声 よつ程につくさつしやれ 膝共談合とは
似たり/\のこと 此度てきみかた手負討死何千人 京鎌倉の騒動は 天皇を
流すか六はら殿の切腹か 二つ一つの堺を漸討勝半年立ず たち刀の血(のり)もひ
ぬ内 天皇を還幸なし 打もらされの宮がた隠れ住真中 王城より一里に
たらぬ鳥羽の御所に天皇を置とは 燧(ひうち)箱に煙硝入てひるねするより
危ういこと かく申す太郎左衛門 聟娘は忠戦の刃に死し我は六十に手がとゞく
命をちり共灰共せねば追従いへず 歯にきぬきせぬ談合はお気に入るまい
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寿命長久子孫繁昌後の栄華を楽む 永井右馬頭に御相談と にべも
しやくりもなかりけり 花園くはつと色をあかめ 膝に膝をつゝかけ 是 斉藤
太郎左衛門殿 口状が過る聞にくい 又しては忠戦に死せし娘とは 娘の討死がさ
程自慢か ヲウそなたの気では珎しかろ たとへ女でも其家に生れては 人を
切るも討死もこちや珎しうないはいの したがそなたの娘の様に夫にむだ腹きらせ
犬死さする様なことは是花園はえせまい 是斗はならぬはいの イヤお手柄じや
じまんが道理 なんじやの 命をちり共思はぬとはいやるがくだ 侍たる身の本心 寿
命長久後の栄華を楽む右馬の頭とは何故のたは言 いひかゝつては云ひじらけに
すまさぬ女 サア聞ふと 夫をかばふ男まさり たち刀持せなば 切かねまじき
気色也 ハレヤレ女中は根(こん)づよい 申たりしやべつたり 是其せうこは 殿になびかぬおつ
ぼねの心燈籠ゆかたに見へたるを 却て恋のかなふ返事と当分御意にいらん為
上(うは)ずんべりの軽薄一寸遁れの身用心 命おしむせうこ/\と畳たゝけば
アゝ置てもらをほこりが立 是 忝もこちの男は 腰おれ歌の一首もつらね
連歌俳諧の文字数も覚た人 何が恋やら無常やら田夫(でんぶ)ふつゝかなそなたが
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あんまり口が過るがの 三人よれば公界(くがい) 年寄のいひそこないは見ぐるしい サア聞
たい ヲゝ聞せふ はやふいや ヲゝいはいでは あのたが袖のもやうは立波 なみはうらに立
と見るが心の付所 子共も覚た百人一首 うらみわびほさぬ 袖だに有物を
恋にくちなん名こそおしけれとの歌の心 天皇をながし 若宮を生捕りくるしむる
根の涙 かはかぬ人になびきては 恋にくちなん名こそおしけれ 口おしけれとはんじ
たが叶はぬ恋の第一 色にひかるゝ車とて 櫨紅葉(紅葉したはじ)もさゝず薄苅萱荻桔
梗 草花しげきは是深草 彼少将が百夜(もゝよ)の車をのゝ小町にたらされ 九十九
夜めにこがれ死す 叶ぬ恋の是二つ ゆかたは波にほかけ舟 思ふ湊へこがれ入るには揚げ
たる帆をも下ろすならひ 此浦舟に帆を上て沖のかたへ走り舟 海の沖をかた
取お局の魂は 隠岐の国へ通ふとの下心 文盲ふつゝかな太郎左衛門見立 非言あらば
打て見よなんと /\とせめかけられ ハアゝそふで有た物 名歌名句も聞人の気々
によつてかはるゝと云 そつとの所へ心つかず 殿の御前諸人の中でいひこめられ 夫も
ふ勘のそしりを得 エゝ口おしい無念なと忍び嘆けば伺公の人々 見かけによら
ぬ斉藤がふうが 蟇(ひきがへる)に歌よみも有ふことゝぞ囁きける 大将範貞面色かはり
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乾逹婆(けんだつば)め王の怒れる声 なびかずはなびかぬ迄 範貞程の者をむけ/\と
誑かす狸女 よし/\此返報せんそれ/\聖霊(しやうれう)燈籠持てこいと 外様にとぼす
うら盆の 切木(きりこ)燈籠取よせ是見たり 局に恋を思ひ切るなごりの音物 右馬
頭が名代は花園 斉藤太郎左衛門両人立合くふうし 此心をさとりし者直ぐに使
口状は此燈籠に有 サアよつてはんじて見よ 畏つたと花園額をかたふけしば
らくしあん ハツアゝ聞へた 惣じて此切木には四方四つの角有(かど)物 帝のお願ひ叶ず
年に一度の聖霊と成て還幸なれとの御口上と 提(ひつさげ)て立んとすヤイ/\まて/\
其様にどんげな廻り遠いことでなし 太郎左衛門ちえに及ぬか ハゝアなんの是式しれ
たこと 切木とは子を切る お局の子は若宮 恋の叶ぬにくしみ若宮を切子のお使
斉藤太郎左衛門承る ヲゝ頓智発明くろぼし/\ こよひ子の刻ちしご迄に若
宮の首切て見せよと 座を立給へば花園かけより裾にすがり 若宮の御首を
余人にうたせては 預りの規模もなし太刀取を右馬頭ヤア皆迄云なならぬ
/\ 然らば検使を仰付られい 猶らぬ 検使太刀取共に斉藤太郎左衛門はや
急げ こゝはなせ女めとけちらしおくに入給へば 左右の諸士もばら/\と皆々座
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をぞ立にけり 斉藤も切木提 つゞいて立を走りけり長袴の裾ひかとふみ
とめ 太郎左衛門殿無心が有 大事の預りの生捕かんじん要の落着に 太刀取も
余人云渡しの使も余人 検使も余人にとられ うつかりと見物する右馬頭
何を面目 年寄に役過た一色(いろ)渡せ さもない中は動かせぬと膝ふしかためふみ
とむる こざかしいめらうめ すねぼねのおれぬさきのかいでな イヤ立ずくみに
成ても返答聞ひば動ぬ ヲゝ返答はまつかうと 引く力ふむ力袴の裾は
ふつゝときれ おどり出るを飛かゝり えぼしの頭をづかとつかんで引く程に えぼしは
ぬげて頦(おとがい)に?(かけお・糸に若?)かゝつて結びめとけず 錣をとられしみおのやはえいやと云て
前へ引く 首はのつけにしい共やつ共腮(のどぶえ)しまつてぎちかは斗 せぼねをうたせて
あおのけに どうど引すへ燈籠もぎ取 きりこのお使永井右馬頭宣明と
よばゝればおきあがり 気の永井ぬるまの頭 武士のまねしそんずなと にらむ
眼は樟脳玉 とぼさぬさきに燈籠の かげをてらして