仮想空間

趣味の変体仮名

善光寺如来略縁起

 

読んだ本 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819511


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大聖釈尊
天竺毘舎
離国大
琳精
舎(しん)に
以(おい)て
月蓋(かつかい)長者
のために消伏(せうふく)
毒害陀羅尼
経を説き給ふ図


月蓋
長者
の娘
五種
の温(うん)
病(ひやう)を
煩ら
ふ図

  善光寺如来略縁起
信州善光寺本尊生身の阿弥陀如来三国伝来
の来由をたづぬるに往昔(そのかみ)東天竺毘舎離城の住
人福祐自在の月蓋長者といふものあり 一子如
是姫の愛におほれ慳貪にして更に大聖釈尊
御教化にもしたがはず不善の行ひ限りなし 爰
に諸々の疫神議していはく 月蓋長者昼夜不善を
行じて三宝をおそれざるは女子寵愛のゆへ也
此女子に五種の温病(五種の温病 本縁記に出す)をうつして悩乱
せしめよ まづ/\彼が女子をなやまさんことしか
るべしと 彼の長者が館(たち)に入ければ 一子の如是
なやみくるしむこと何にたとへん方もなし 長者


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月蓋
長者
眷属
の諌め
にざん
げする

名医の耆者(ぎしや)を請じて医療を受くるといへ共 更にそ
の効験なし又諸々の験者の行法をうくるといへ
ども聊かそのしるしなし また父母一心に天神地
祇を敬礼しかんたんをくだき祈りしかども 更
に験(しるし)なし 月蓋長者はもとより五百人の眷属を
もてり昼夜評議をなし 其中(うち)に歓喜長者耆誉(ぎよ)長
者万歳長者留志長者など各々申しけるは 此病耆婆
の良薬もしるしなければ中々薬力の及ぶところ
に非ず この上は大林精舎にまします大聖釈迦
牟尼世尊こそ衆生の苦患をすくい給ふよしう
けいはりぬ 今は世尊の仏力より外なかるべし
急ぎ香閣にまうで罪障をざん悔しなけき申さ

釈迦の方
便に依て長
者娘全快
せし図

せいへかしとぞいさめける 長者人々のいさめ
にしたがひて泣々大林精舎にまふで涙(なんだ)と共に
釈尊に歎きける 大聖世尊の玉はゝ汝が女子の
命を助けんこと外に方便なし たゞ一つの法なり 汝が
為にとくべし 西方の阿弥陀及び観音勢至の二
菩薩を念じ罪障を懺悔し彼の菩薩を請じ奉る
べしと長者仰せをうけ やがて宅に帰り一心清浄
に心をかたぶけて西方に向ひ三尊に帰命(きみやう)礼拝
し四行の迦陀(如陀本縁 記に出す)をそとなへける 時に西方の
阿弥陀如来長者が心中を知見し給ひて六十万
那由他恒河沙(ぐうかしや)由旬(ゆじゆん)の相好を略して一尺五寸
の御形をしめし長者が西の楼門に現じ給ひ大


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閻浮檀(えんぶたん)
金(ごん)を
目(もく)
蓮尊(れんそん)
者龍宮
に至りて求
める図

光明をはなちて毘舎離城をてらし給ひしかば
大魔鬼神疫神いかでかかくるゝ所あらん通(つう)を
うしなひ みなちり/\゛にうせにけり しかふして
生身の阿弥陀仏大光明の中より神呪(神呪本縁 記に出す)を
となへ給へり 観音勢至の二菩薩も共に本師の
化身に応じ広大の御身をつゞめて一尺のかた
ちに現じ定得(ちやうえ)の掌(たなこゝろ)の中に真珠の薬廉をさゝげ
如来の左右に立て彼持給へる薬を楊柳(すうりう)の枝
にひたしてしばらくそゝぎ給へば不思議なる
かなその露霧の如く雨のことくに降り下りて国中
の病者にかゝりければ皆平ふくす かくて如是
姫はすでに息絶たりしかども阿弥陀仏の光明

釈尊と弥陀如来の両光明にて えん
ふだごんの一光三尊の阿弥陀如来が出
来玉ふ図

にて蘇生(いきかへり)また二菩薩良薬をあたへさせ給ひけ
れば しん/\゛安楽にして猶むかしに引かへて い
とゞかゞやく姿とぞなりにける 長者をはじめ
五百人の長者一同に随喜の涙をながし信仰の
思ひ肝に銘ず かくて長者三尊の如来を請し奉
るに則ち毘舎離城の門の上に住立(ちうりう)し給へり 長
者信仰のあまり感涙をもよほして釈尊の御許
にいたりて申やう今此三尊の御形をうつし奉
りて甚至(しんぢう)の芳恩(かうおん)を報じ奉らん 願(ねがはく)は我志願を讃
じ給ひ神つう第一の目連に仰付られ龍宮城の
閻浮檀金(えんぶたんごん)をとりよせ給ひ影向(えうごう)の三尊の光明と
釈尊の光明とをもつて閻浮檀金をてらし給ひ


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人皇卅代欽
明帝十三年
壬申十月十三
日 百済国(ひゃくさいこく)よ
如来
朝へ渡り玉
へし

ければ不思議なるかな 此金三尊の仏体となり
給ふぞ有がたし 則ち善光寺の本尊これなり か
くて五百年を経て如来百済国に渡り給ふ その
時の聖明(しやうめい)王と申はすなはち月蓋長者が後身な
り 聖明如来を尊敬し宮中に安置し奉る 燈明お
こたりなし かくて百済国にて御化導受ること一
千百十二年帝王九代とぞ聞えし こゝに第九代
の帝推明王にこれより大日本国に衆生を利益
せんとの給ひければ 帝をはじめ后妃百官御別れ
を惜しむといへども力およばず勅使并に二人の
僧をさし添て吾朝におくり奉れり 御舩は摂州
難波津につきたまふ 時は人皇三十代欽明天皇

守屋大臣
如来
たゝらに
て ふ
き潰
さんと
七日が間
ふき
たれ
ど少し
も損じ
玉わず
鉄の槌
にて打砕
かんとすれ
ば槌は砕け
ても如来
そんじ
玉わぬ

の御宇(ぎよう)十三年壬申十月十三日未の刻なり 大和
山辺郡(こほり)斯皈島(しきしま)の金刺の内裏へぞつき玉ふ 推
明王の書翰(かん)を捧げ かくと奏問に(推明王書翰 本縁記に出す)天皇
臣下に納不を評議せしめ給ふに多くは御納受
あるべからずと申せし処に蘇我の大臣稲目の
宿禰等さへぎりて尊教ましますべきよし奏問
しければ詔をくだし小墾田(をはるだ)の御殿をあらため
如来をうつし奉り その後また蘇我の大臣の
宅にうつし奉る しかるに庚寅の年になたりて
国々に熱病はやりければ郡臣評議の中に物部(ものゝべの)
遠汻志(をこし)大連(おほむらじ)奏問申けるは異国より渡らせし仏像
を尊教のゆへ吾国の神祇いかりなし給ふなる


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干時(ときに)八月十
六日太子
守屋と
阿部野が
原において
合戦有け
るに 太子
既にあ
やう
くみ
玉ふ
依て
楠き


を救ひ
玉の図

べしと奏しければ御門(みかど)実にしかなりと聞し召し
て遠汻志の大臣下知なし 河内摂津の鋳物師をめ
して勿体なくも仏像を火中になげ入れ七日七
夜吹立けれども仏像はいさゝかもそこね玉は
ず光明をはなち玉ひける 大臣も今は興さめ難
波の堀江にぞすて奉る 程なく黒雲一むら天
にかゝり刹那の間に禁裏の殿上四方に覆ひけ
れば さながら闇夜のことくなり 中より青色(せいしき)の鬼
あらはれ大なる声をあげていふやう三界の最
尊有情の本師にましまず如来をうしなひし事
そのとが何ぞ軽かるべき そのむくひいかでか
遠からんとて大いにのゝしり口より猛火を吹き

太子守屋を
ほろぼし玉ふ

ければたちまちに玉殿にかゝりて九重の殿舎
百官の舘たちまち灰塵となれり 明けぬれば辛卯
の春も過て卯月のなかばに欽明天皇崩御つゞ
いて遠汻大臣も温病(うんびやう)をうけて七日七夜もだへ
無間地獄におちしとぞ 扨次の天子敏逹天皇
年にあたりて御不予なり 上下善民なげかずと
いふことなし 博士をめして占し給ふに 先帝の御
代うつしたまへる仏像をうしなひし御たゝり
なりと申す 御門をはじめ諸卿大いにおどろき
やがて勅使を難波の堀江につかはし給ふて懺
悔をなし御迎へありて やがて内裏に請じ奉り
香華燈明供養をなし玉ひければ 御門御悩も平


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如来難波の
池より上り
本田とし
光に因
縁を
説て
信濃
国に
来り
玉ふ

癒まし/\百官賀を奏しける 爰に遠汻志の大臣
の子に弓削(ゆげ)の大連守屋の大臣とて悪逆の臣あ
り 再び計つて和泉紀伊の鋳物師をあつめ 唐様
大和様の錧(たゝら)をならべ七日七夜吹きけれども い
さゝかも損じ給はず これによりて大勢の鍛冶
をあつめて如来を鉄盤にのせ奉り七日の間た
ゝかしむれとも盤はくだけ槌はをれてもいさ
ゝか損じ給はず 貴賤のともがらたゞ茫然とし
ければ守屋今は力つき またもとの堀江にしづ
めけるこそあさましけれ 程なく敏逹天皇崩御
守屋もついに聖徳太子のために討れけり(太子守屋 合戦の事
本縁記 に出す)その後太子堀江にいたらせ給ひて如来

善光寺
如来を善
光臼の上に
安置して
供養
する

礼(らい)し王宮(りきう)にかへらせ給ふよし仰せけれど も
つべき者ありとて水底にしづませ給ふ 爰に信
濃国伊那郡麻読(ちみ)の里に一人の民(たみ)本多善光(よしみつ)とい
ふものあり 国守椀番の夫役(ぶやく)をつとめ すでに帰
国のをりから難波の堀江を過ぎける折ふし 水
底より光明かくやくとして善光におほひけれ
ば善光大ひにおどろき こは水神の所為なるやと
うちはらはんとせし処に たへなる御声にて汝
は天竺にては月蓋長者百済(はくさい)しては聖明王 今は
善光とて爰に生れり 如来ふるき因縁のあること
と告給ふ(霊告の本文 縁記に出す)これによりて善光如来を負ふて
はる/\国にぞ帰りける しかれども もとより家


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内に請所なければ臼のうへにぞ安置しけり そ
の後草庵をしつらひうつし奉るに三度までか
へらせ給ふ また我家にて一間しつらひうつ
し奉れども尚また三度までもとの西の庇の間
にうつり給ふ 善光に告て申さ?金銀珠玉をか
ざり堂を建立するとも我名をとなゆる声なけ
れば更に住するに益なし また西の庇にすむ事
は汝らがこゝろを西にかたぶかせんが為なり
と善光かんるいをながし その所にぞ安置し奉
る 皇極天皇の御代壬寅のとしにあたりて如来
のおん告げによりて当国水内郡(みづちこほり)芋井にうつし奉
る 善光も居をうつしおん給仕申けり 同御宇(どうきよう)壬

卯の歳 善光か嫡子善助いさゝかもいたわりも
なくねふるがごとく息たへ終りぬ 父母なげきの
あまり如来にむかひ非理の御うらみ申ければ
如来過去の業因を告給ひ 彼が追善をいとなむ
べきよしを示現まし/\善助は地獄に堕しけれ
ば助けつかはすべしと仰せこれあり信濃の国
母の家にぞよみがへれり これによりて速やかに信
濃国に勅使下り善光善助いそぎ参内仕れば 善
光がねがひ且つ御門が御願望によつて御造営仰
付られ 則ち父が諱(いみな)を以て善光寺とぞ賜はり永々
如来を安置しまし/\き 猶くわしくは本縁起に
しるせり