仮想空間

趣味の変体仮名

牟芸古雅志 下の巻

 

読んだ本 https://www.nijl.ac.jp/  


51(目録略)


52(左頁)
牟芸古雅志下之巻  狂言堂如皐
金銀万能丸(きん/\゛まんのふぐはん) 巻の上  一
  目録
一慈悲の心の花
  露の世をしる萩原中将
一ゆがまぬ道づれ
  都に尊(たつと)き一如上人性子(しやうし)


53
一寝耳に入逢の鐘
   道無は世間気をわらふ
一同行四人の菅笠
   伊勢道の長物語
一旅硯あけわたる湖
   詩歌の当座の慰み
一仏も金程の光り
  萬(よろづ)に付けて是がなふては

金銀万能丸  巻の下
  目録
一生れながらの智者はなし
  子は親のしたひ物になる
一世間寺は商ひ口
  包み銀(かね)は石火の夕(ゆふべ)


54
一悪女もあまらぬもの
  たらぬものは算用
一筋目も時節の侍
  人にとらるゝ家の風
一人の命も買物
  有徳なればちとせの山
一同じ夢見の神山
  おろかに思ふまじきは伊勢暦

寛永九年申十二月 重開板 江戸絵図跋云
一此絵図大からしるすといえ共是はわづかの事なり右の外(ほか)
 東西南北え諸侍の御屋舗(やしき)町小路尺(せき)寸をあらそひ
 むねかど立ならびし事中々計り難し
一東はせんじゆ口少しうしとらえふりて浅草のそとまで
 日本橋より廿四五里立つゞく奥州海道是なり
一南は芝品川口これも二十里の外立続く東海道これ也
一西えの町つゞきは小路町口武蔵野の原五つ塚まで
 日本ばしより関東道(みち)三十七八里立続く是は北国道也
一北は神田板橋口王子まで三十四五里立つゞく也
 右の道筋方角相違数多可有御座候偏に後覧を
 はゞかる而巳


55
△印青 川すじ
○印黄 町すじ

さはくれ橋と
あるは
わざくれはし
にや
はんしやう丁は
いまの小あみ丁
なるべし

ほり あはぢ
やき
たけ ぐら

六十間がし まき丁 能大 ねぎ丁 おはり丁 けん蔵主丁 すみ丁 しん丁
永井 しなの やしき
高力楼
くらやしき
酒井 さぬき くらやしき
土井 大 しき
伊とう やしき
向井 下やしき 丁や
カキガラ丁
はん ぢやう丁
さはくればし
三つまた
かやば丁「マチヤ」
大そうじ じげんじ
向井 ?
? 右衛門
まみや
江戸ばし

大はしは今の
ときはばし
御門なり
後藤ばしは
いまの
ごふく橋御門

同四丁め
大傳馬
ごふく丁
十けんだな
ふきや丁
むろ町
後藤 茶や
両がへ丁 するが丁 せと物丁 いせ丁
さや丁 きたがし あをもの丁 なべ丁 しほ丁 むろ町 大ふな丁
江戸ばし 日本橋 日本ばし一丁目 くしもと 元ごふく丁
後藤ばし ぜにがめばし 大橋 やしき 大手口


56
明暦三
江戸
絵図の内
吉原の図
ねぎ町
堺町あり

爰にふきや
丁とあるは
今の金吹丁
なるべし

西本願寺
今の薬研堀
のへんなり

東本願寺
昌平ばしの
外なり
浅くさ
せい願寺は


小柳丁の
邊なるべし
深川雲光
院馬くろ
丁にあり
(略)


57
(右頁略)
(左頁)
延宝九辛酉年 堺町 葺屋町 之図

ひかしよこ町むかし 是より元よし原と申候
八百屋 大屋 おぶみや げたや はなを ふくろたな
おはりや九右衛門
高崎や猪兵へ かわや孫兵へ 市川や三左
中村勘三郎 しばい
さかい町
両がへ次兵衛
青ものや
宗寿
右京
伝吉 左源太
小まひ又三郎
家主七郎兵衛
さみせんや彦六
いせや清左衛門
きんちやくや平三郎
するがや伊六
かぎや長五郎
見せもの
いせや仁兵衛
大屋六左衛門
たちはなや (など以下略)


58
土佐掾 虎之助 上るり芝居
見せもの
見せ物 伝内 大屋利兵衛 花井才三郎
天満八太夫 しばい
見せもの 中村善五郎
いばらきやとく兵衛
市村若太夫 九郎右衛門
見せもの

えちぜんや長三
たばこや
されん 善四郎 峯の介
権左衛門
かづま
理兵衛
千の助
門之丞
万の丞

かごぬけ
さかや庄兵衛 もんど 伝六 市之丞 大屋太郎兵衛
太夫 せつきやう しばい
たばこや善六
えびや市六
本や八郎右衛門
和泉太夫 しばい
太田や忠兵衛
いたや市右衛門
さつま小太夫 しばい
かしはや勘六
たばこや吉六
さかや吉兵衛
六郎兵衛
名主 五郎左衛門

ちや屋七左衛門 次郎三郎 かほる
所三郎 四左衛門
半弥 伊兵衛 市郎兵衛 七郎右衛門 市郎左衛門
市郎兵衛
御はん はんじ
近江屋 惣兵衛
かうやく屋 伝兵衛

たばこや九右衛門
善兵衛 金五郎 門之助
太郎兵衛 さよの助 なるせ むめの助

ふきや町

市村竹之丞 しはい
竹之丞 あづま しのふ 宇源次
和泉屋勘十郎 庄左衛門 久右衛門 虎之助 浅之丞
茶屋庄左衛門 しつま 村之助
いづみや清左衛門 茂兵衛 そめの丞 長三郎 竹松


59
村之丞 皆之丞
いやひ かしん やはら
あふみや伝内

ものゝ本や 都伝内 ものゝ本や あふらや 同 はな紙ふくろや かめや
大屋 政の助 かんの助 八郎兵衛 とよの介 えもん 清右衛門
けんとん けんとんや

新ざいもく町へゆくかし

見せもの 小平次 市村竹之丞 ?し 庄左衛門

たばこや くわしや きんちやくや 同

吉十郎 そめの助 市十郎 はつの介 袖の介 源右衛門 ?三郎 平右衛門

さるわか山三郎 けん 両がへや えびすや いづみや大屋

よし町へ行かし

明暦四年万治の改元より延宝九年まで二十四年
延宝九年酉九月天和に(?)改元より文政十亥年まで
及九百四十七年


天下一土佐少掾立花正勝
たんせん  十兵衛
新そう   二郎兵衛
よ太郎   新右衛門
ふく太郎  善右衛門
若女    彦三郎
弥蔵    太郎右衛門
はうた   勘兵衛
さみせん  庄左衛門

天下一薩摩外記藤原直勝
おやま   庄左衛門
与五郎   勘兵衛
太郎ま   仁兵衛
助惣    彦兵衛
てつま方  三郎兵衛
けんさい  左兵衛
小歌    千之助
さみせん  三郎左衛門

天下一丹波少掾平正信
けんさい  左
とろ平   六左衛門
やつこ   村山金右衛門
弥蔵    伝左衛門
おやま   三左衛門
小うた   六郎兵衛
さいせん  七郎右衛門
金平    八左衛門

天下一石見守藤原重信
能人形   庄太夫
とんらう  与三兵衛
とん七   七右衛門
ちや平   五郎兵衛
おやま   五郎左衛門
小うた   庄左衛門
はうた   半右?
さみせん  四郎?


60(59と重複)


61
万能丸一図 そうえん 天下一播磨守坐
万のう丸   靍右衛門
同      五郎兵衛
はつくま   三之丞
ふじ井    丹三郎
かるわさ   つね右衛門
ひやうし舞  小源
中むら    善五郎
そめ川    勘四郎
はしもと   市三郎
花蔦     弁之助
市川     さもん
小たんせん  三之助
ながうた   図之丞
上うたふし  小伝次
永かんふし  小右衛門
さみせん   勘右衛門
はやしふえ  又次郎
くわしやかた 吉兵衛
はやし    八三郎
 
(下)
根本 年九つ 茶慮市之進 龍虎連之助
 籠ぬけ師しやう
日本開山龍王連之丞
始より 鷲琴之助 鷲尾龍之助

後 龍専妻之助
日本開山飛龍勝之丞
下り ちやるれんまん

  同頃さかい町さるわか勘三郎座役者附 
 新子供
女形  松平左源太
同   上村粂之丞
同   みなと左もん
同   富松沙之丞
同   浅田そめ之介
若衆方 出来嶋左京
京   たまもとかづま
同   前川ないき
中むらあかし
さるわかかん三郎
三條勘太郎
    きく田主水
    梅津左もん
    きく川おりべ
    ぬまづ今之丞
    松尾百三郎
女形 三條勘太郎
中   長嶋三之丞
    山本二郎三郎

(二段目)
 新立役者
  大坂伝吉 木村喜左衛門 市川団十郎 松村源五 西むら弥平治 あら井兵右衛門
  虎嶋浅右衛門 岡むら勘兵衛 きくもとかんじ 前川左平太 坊主吉六 
どうけ 大坂弥八
同   せんだい
  長山権左衛門 たきい七郎右衛門 きし本久右衛門 あづま八郎左衛門
はやし   林田七郎兵衛
さみせん  文三
くわしや方 沢井菊之丞
      同若松

(三段目)
  立役者
   からす長左衛門 あまつ七郎左衛門 長嶋才三郎 玉井権八 松田六左衛門
   花井岡右衛門 吉住平右衛門 村上五左衛門 岩松兵右衛門 若松嘉兵衛 梅沢藤十郎
どうけ 三国彦作 せんだい又五郎
さみせん きねや  かん五郎 かん十郎
     ぬれぼり 半左衛門

(四段目)
 若衆方
  上村門之丞 山本辰之介 きく川右京 山沢作平 上村かんの助 村上半之丞
  川嶋市十郎 出来嶋小ざらし 藤田皆之介 中村七三郎
女形  杉伝十郎 かめ平八 瀧川政之丞
はやし いからし 弥平太 かぞう
    なりひら 清左衛門 権兵衛
小歌 市右衛門 三左衛門 九郎兵衛
   七右衛門 四郎?? 茂兵衛? 五郎兵衛


62
   ふきや町市村竹之丞座役者附
新子供
上村長太郎 まつ出かほる 上むら三之丞 あかし井之助 
出来嶋たきや 玉川金吾 まつ本主殿 まつもともんと
市村若太夫 上むらかもん
市むら竹之丞
出来嶋吉十郎 市むら宇左衛門
立役者
かまくら太夫 矢口十左衛門 ふじ藤九郎 そめ川清右衛門 竹内五郎三郎
とうけ 片山仁兵衛
小うた 作右衛門

(二段目)
子供次第
野田作之丞 出来嶋吉十郎 小ざゝあづま 玉嶋幸之助 杉山染之助 のさは八十郎
嶋川?之助 藤岡染之助 そめ川右衛門 ふじい万太夫 花松さくや 小ぐら初之丞
ふじいかづま たき川吉の丞 小くら市十郎 今むら虎の介 花笠梅之助 
今むらいま之助 同さんや 山さき与吉 片山勘太郎
市むら若太夫

(三段目)
役者次第
市村宇左衛門 小舞庄右衛門 つた八郎兵衛 安田市郎左衛門 村山四郎三郎
中むら山三郎 長崎五郎次 吉田ごん八 高嶋九郎三郎 つたげん八 小嶋小左衛門
松原伝十郎 浜嶋新六 とろ若七郎兵衛 田川五郎兵衛 田むら小三郎 だるま所三郎
米沢勝三郎 せんだい文次郎 同文十郎 なんぼく善四郎

(四段目)
くわしやかた 今村久左衛門 まんさく又三郎 おかだ三弥
小歌 若山五郎兵衛 小川九郎兵衛 てれん五郎兵衛 たかて弥兵衛
さみせん 勘四郎 三郎兵衛 権九郎
はやし 二郎三郎 伝次郎 冨兵衛 源五兵衛 喜三郎 
つゞみ 庄左衛門
同  宇右衛門 
ふえ 権左衛門
 市村
たいこ 義兵衛
ふえ  八右衛門

七種繁曽我(なゝくさにぎわいそが)第一番目 市村座 
(下)「よこ山丁壱丁め新道 いづみやごん四郎 はんもとおろし」
(紋)あさひやの小ばやし 太夫竹之丞 五郎時宗 市川団十郎
馬上の段
浄瑠璃市村若太夫 ワキ薩摩喜内 三みせん江戸半四郎


63(図絵)
(欄外上註)
近松門左衛門
越前の彦にて
肥前唐津
近松寺に遊学し
後に京都に住す
岡本一抱子の
  兄也云々

曽根崎心中 付り観音廻り 作者近松門左衛門 おやま人形辰松八郎兵衛
「しやみせんひき」「太夫竹本ちくごの掾」「竹本たのもつれかたる」
「おはつみちゆき」「辰松八郎兵衛人形つかふ所」「口上人かきつけ請取」
(下)見物の 中より かきつけ わたす

曽根崎心中 作者近松門左衛門 人ぎやう辰松八郎兵衛
▲辰松八郎兵へ口上
此度仕りますそねさきのしん中の義は京近松門左衛門あとつきふつと御当地へくだり
あはせましてかやうのことこさりましたを承り何とぞおなぐさみにもなりまする様にと存じまして
則浄るりに取くみおめにかけまするやうにござりますはう/\゛のかぶきにも仕りまして
さのみかはりました義もござりませね共浄るりに仕りますははじめにてござりまする
序に卅三所のくはんをんめぐりの道行がござります人形の義はめつらしからね共御目
通りにて私がつかひまする様にござりますとかくひいきのちくごのぜう義で
ござりまする間何事もよしなに御けんぶつ下されませふ是より心中のはじ
まりきやうにおこゝろへなされませい

http://tiiibikuro.hatenablog.com/entry/2017/02/02/%E6%9B%BD%E6%A0%B9%E5%B4%8E%E5%BF%83%E4%B8%AD%E5%88%9D%E6%BC%94%E7%95%AA%E4%BB%98_%E5%8F%A3%E4%B8%8A


64
    宮古路 豊太夫
(紋)宮古路豊後
    宮古路 文字太夫
(下)とをり塩町 ?? はんもと
睦月の玉椿
(紋)かなむらやおさん 村上常五郎
名古屋心中 下之巻 はりましはいにて仕候


江戸町壱丁目中の丁より左かわ
格子(太夫九十匁 かうし六十匁)たまや山三郎
太夫 小むらさき かせん 小きん
太夫 花むらさき たのも みどり
かうし いほさき はなの きよみ
同 をのえ とみの介 とみ五郎
同 みちのく しのぶ そめき

かうし たち花 けんち
同 此いと もみぢ
同 いやこぢ しげみ
同 かほる にほひ
同 まさつね もゝよ
同 とみおか ちどり
同 こわた たより

同 きよ花 きよさ
同 かりう はるの
同 わかたけ こりん
同 ちとせ まくの
同 ちさと
同 たつた
同 おふしう

同 はつせ
同 かめつる
同 ていか にしき たつた

まんじや与兵衛
はしとみ こげん
はなざと つぼみ
花月 きんや
をのえ ふじの
しらぎく うらち

うたさと うたき 
小たゆふ こてふ
しけのい さんち
みむろ りんか
きてう
さゝんくわ
うたはし
かせん

花まつ
山の井
ふぢ葉 かしく
きよ花
とみよ
花おぎ
しらふぢ

 やりて はる

京町壱丁目中の丁より左かわ
「ぜにや」ぜに屋甚左衛門
えちかわ ちとり
そのまき とみの介

かつらき ちんの介
かつうら かめ五郎
ひとえ まつや

みやこ せい太郎
花まき にしき
つかわ
はつうら
まつい

かわち
はつね
せんよ
まきゝぬ
まつかせ
やりて はつ

「俵」たはら屋四郎兵衛
京 太夫 女郎 よび出し 六十匁

引ふね つかわ
いさゝめ かふろたきさ
中いさよ

「同女郎三十匁」
なると もとめ
きくかわ 大きち
みくも きちや
こゝのえ

「同見せ」
わこく すけ次
よしの ちとり
かつらき きくの
むさしの さけん
うらさと すけさ

ふちうら きん次
わかくさ
まつおか
まつかせ
やへおき 
花さき わかまつ わかいと

たむら しら梅 よしすみ つねよ
 やりて たつ


65
(上段)
毎月改吟味仕候外より見合御求可被下候
板元 大伝馬町三丁目 山本九右衛門
今戸はし「山しろや 伝右衛門「ひのや 半三郎
「てん満屋 源兵衛 「まつばや 助右衛門 「つたや 儀兵衛
「よろづや 七兵衛 「おはりや 四郎兵衛 「大さかや 沢兵衛
「おかたや 忠三郎 「たち花や 勘兵衛 「きりや 助三郎
「ひやうごや 七三郎 「くさきや 平兵衛 「あづまや 佐次兵衛
「木づや 善兵衛 「あしや喜兵衛 「よしだや 七兵衛
「よしのや 伊兵衛 「のりたや 伊兵衛 「えちごや 沢兵衛
「長さきや 市兵衛 「しなのや 八郎兵衛 「ふぢや 三郎兵衛
「かしわや 伝兵衛 「柳や 庄太夫 「わかまつや 佐兵衛

(下段)
「かめや 権三郎 「ほていや 仁兵衛 「平のや九左衛門
「ふぢもとや 八右衛門  「さのや 権三郎  「三かわや 伝七
「みなとや 半兵衛  「江戸や 庄右衛門  「山かたや 源三郎
「いづくら 権右衛門  「二見や 六兵衛  「はせ川や 喜兵衛
「大のや しま  「よしかはや 半兵衛  「わかまつや 佐右衛門
「きくや 権兵衛  「まつさかや 二郎兵衛  「ふくしまや 善右衛門
「大のや 六兵衛  「中村 喜右衛門  「いつや 藤二郎
「みしまや 源兵衛  「みしまや 藤助  「かなふや 伝兵衛
「ますや 喜兵衛  「さかや 正七  「山しろや 八兵衛
「かなさはや 三四郎  「大こくや 権左衛門  「まつや 惣七
「さかもとや 庄右衛門  「ふく田や 善兵衛  「わかさや 七兵衛
「たかしまや 源六  「すみよしや 権三郎  「むかでや 甚三郎
「まきや 彦兵衛  「かつさや 長四郎  「すゝきや 吉兵衛 

(上の図)
えもん坂 五拾間道

 右かわのちや屋付
なかむらや 庄右衛門
わかさや  半四郎
みかわや  藤介
ぬひはくや 吉右衛門
ゆふきや  新六
ぜにや   伊兵衛
わかまつや 幸介
いせや   半兵衛
もつかうや いんきよ三左衛門
大しまや  次兵衛
はん所(ところ) 清五郎

 左かわのちや屋部
かづさや  金十郎
同いせや  清左衛門
同いけ田や 半兵衛
同あづまや 吉右衛門
げたや てうや 次郎兵衛
はしもとや 伊介
かみや いせや 半兵衛
さかや あふみや 市兵衛
ふじや   清吉
山もとや  茂兵衛
かめや   茂右衛門
えびや   吉兵衛

(下の図)
大門口 中の町 
「新吉原」
「左かわ」
ともくや 仁兵衛
いづゝや 源兵衛
あふみや 権兵衛
ますや  後家
あつばや 久兵衛
まつや  庄兵衛
つたや  甚四郎
 江戸町
おはりや 権兵衛
中むらや 庄右衛門
すみよしや庄兵衛
きりや  又兵衛
かはちや 甚介
かしはや 又兵衛
おはりや 七兵衛
てうや  長兵衛
いせや  半三郎
大つや  三四郎
おふみや 弥平治
ひしや  三九郎
えどや  半兵衛

(上右から左へ)
会所 四郎兵衛
手代 弥兵衛
かぶろめつけ 五町の男女 女郎かぶろ 人別 四郎兵衛方に 有?

 此うらに
てうしや嘉兵衛
あふみや又兵衛
あはりや五兵衛
きのくにや ごけ
えびや平八
しなのや ごけ
かみや佐兵衛

(下)
「左かわ」
大しまや 八兵衛
えちぜんや二郎兵衛
ひらのや 弥右衛門
 ふしみ丁
たちはなや弥八
いづみや 後家
いせや  久兵衛
てうじや 佐右衛門
かしはや 太兵衛
くわしや 伊兵衛
 弐丁目
あき人
ひしや
あづまや 長三郎
中かわや 久右衛門
まつや  伊右衛門
ねもとや 喜左衛門
かづみや 喜右衛門
まつもとや ごけ
のまや  吉兵衛
一もんじや庄右衛門
まつもとや五兵衛


66
(上の図)
あげ屋町
(上段)
「中の丁より右かわ」
あき店
つたや 平右衛門
とうふや清五郎
なかや 源介
いしや
書やく 忠二郎
ふみつかい やりこや

あげや いづみや清六

とうふ やまや市郎右衛門
同   まつばや喜兵衛
いづみや右兵衛
とばや正佐
こま物や彦市
太夫 二中

細見
山本板 改売所
げんきんや 八蔵

三うら やりて おきく
    みかさや 勘兵衛
    菱しや  又四郎
うらに 豊竹しま太夫
あき人 おはりや庄介
同   かづさや
同   大こくや
    きりや 善八
    えびや 権兵衛
    まつばや 源兵衛
    おはりや 七郎兵衛
    いせや  茂兵衛
    まつばや 半兵衛
    ともへや 源兵衛

(下の図)
(上段)
うらちや屋
つたや嘉兵衛
えの嶋や平七
ひやうこや伊介
まつや ごけ
あかさきや小平二
中まつや善兵衛
いえだや藤兵衛

いせや安兵衛
まつばや七介
いせや長右衛門

うらちや屋
おはりや吉兵衛
つたや六郎兵衛
ともへや善介
かきや十兵衛
ひしや市郎兵衛
かつらや長兵衛
せにや藤兵衛
えいらくや伊兵衛
ともへや伝介
たまや金兵衛
うつみや源兵衛
うろこや二郎左衛門
よしたや平八
かなや市郎兵衛
まつや平右衛門

(中段)
 あき人
たまや金十郎
つたや助四郎

いせや甚兵衛
すさきや久兵衛
えひやおとち

ますや十兵衛
あふみや嘉兵衛
ともへや半兵衛

 あげや丁

たはらや仁兵衛
えちぜんや半七
きくや久次郎
さるや久兵衛

かめや五兵衛
いつみや長兵衛

いせやはう右衛門
うつしや勘介
すゝきや彦七
うつしや半右衛門
ひたちや九兵衛
きつかうや長右衛門
みかはや長四郎

 京丁

あき店二間
いわもとや宇右衛門
あふみや半四郎
のまや清兵衛

此所まち合のつぢといふ 水戸尻

(下段)
まんじや与右衛門
たけや庄七
あふみや八兵衛
たはらや佐右衛門
みなとや佐兵衛
きくや文右衛門
まつさかや清右衛門
まんじや 後家
まつや仁兵衛

 すみ丁

ひやうぐや甚介
するがや源兵衛
ともへや嘉兵衛
山くちや善兵衛
いつくや又市
わかまつや権兵衛
山もとや忠兵衛
かしわや庄兵衛
一文しや伊兵衛
ともへや清八

うつらや大小(?)兵衛
あふみや長兵衛
わかさや伊右衛門
きりや五郎兵衛
まんじや仁兵衛
ともへや宇左衛門
つたや
(この段の下)
うらちや屋
山や平三郎
豊竹妻(?)太夫 油や源八

きのし善八 したてや喜八
竹や権兵衛 うらちや新三
三味せん定右衛門

 しん丁

みなとや喜右衛門
えびや 八五郎
ふじや 仁右衛門
うましや宇兵衛

「どうけ百人一首元本」
てんぢ天わう うたに
あきの田のかりほすまでに
ひよりよく
わがこともらを
らくに
すごさん

ヲゝまゝ ふをうは
あつあ
ありがたや
とう とや

八ないやい
あにゝが
とこへ
そべれ やい

(下)
ちとうてん王 うたに
春過てなつきてみれば
 しろかたびら
子どもほしがる
あまが
かゝ さま

 おゝのだ

かゝさま よいべゝ だの

まつ よせ おれに くだ さる

近藤助五郎清春


67
 ごとばのいん
くふもうしくはぬもつらきあつきかゆ
ぎりおもふゆへに物おもふ身は

ようできた くはしやれ
せめて一ぜん まいれ
なんのじき いたしませふ

(下)
 しゆんとくいん
もゝしりやふるきのしめのきやるにも
なをやはりさくおしめなりけり

たさんせぬふて やりませふ
みぐる しい
だいじ ござらぬ おとこは これでもよい

百人一首どうけ歌 作者近藤助五郎」


「元禄十四年
 五月五日 初ての かほみせ 
 つわもの 兵根元曽我」

中村座
市川九蔵 市川だん十郎 中村てん九郎

「元禄十一年 寅九月九日
  源平雷(なるかみ)伝記

{同」
なるかみ上人 だん十郎
外記 上るり きんとき 山中平九郎
くにつな九蔵

(下)
 諸芸 評判 金之揮(きんのざい)
役者評判の随一はいつとてもお江戸名物方
古今の名人聖人の教には八歳にして小学に入
此人八歳して諸芸に入て三拾年の余(よ)
元禄十丑年初て堺町中村かん三郎座の
勤め親父(しんぷ)団十郎京都村山平右衛門座より
下られ丑の正月初狂言大福帳参会名古屋
二番目より出られ則(すなはち)不わ伴左衛門の役するにて
大福帳の文字のせりふ相手は山中平九郎は
さたいせうにて後に絵馬にことよせ熊坂の謡にて
たゝかい切にせうきのはたらき扨三月より一張(てう)のゆみm
勢い三かんたいぢ百合若大臣五月節句より狂言
兵(つはもの)根元曽我名代かへ名あらまし爰に斗印也


68
「霜月 朔日より 吉野静碁盤忠信」
子 たゞ わか 九蔵
さとう たゞ のぶ だん 十郎
よしの山 かく はん 大 たに ひろ え もん

「羽の元禄十二 三月三日より 信田和合玉」
小まつひめ 九蔵
弟くに わか 弟千弥


黒小袖 浅黄帷子 兵根元曽我 役人付之次第
第一かぶとに似たる 馬上のあさひな
第二かぶとに似たる 竹ぬき五郎
第三かぶとに似たる いし山源太
第四兜に似たる   くさずり引
一大いそのとら  袖岡政之助
一けわい坂せう/\藤本門之介
一わたのよしもり あふ郎かん六
一そがのばく   今村久右衛門
一五四の五郎丸  中村清五郎
一あさ日のまへ  桐山政之介
一源のよりとも  むらやま源二郎
一きせ川のかめ女 袖岡半之丞
一そがの十郎   むら山四郎次
一同  五郎   市川だん十郎
一つうりきほう  市川九蔵
(下)
一えまの小四郎  生嶋大吉
一ほうでう    大熊宇右衛門
一本田の二郎   たきい源右衛門 
一ちゝぶの重安  袖さき田村
はこねのべつとう西之(?)兵介
一いほう     おかた九郎左衛門
一くどう介つね  山中平九郎
一おにわか    太夫かん三郎
一どう三郎    市川だんのぜう
中嶋一流二かいかさ此人の家名也
女方にて今村くめの介といふ
若衆かた花さき七十郎
京都へのぼり中むらせん弥
いまのなんぼく孫二郎どの也
一かぢはら平蔵  田むら平八
一同   源太  中嶋勘左衛門
一二のみや    おぎの沢の丞
一あさひなの三郎 中村伝九郎

其外中つめは印におよばず二番目の切に五郎
あら行のところへつうりきぼう山伏にての出は
しよさ事有て市川団之丞引合の口上

 長うた  松嶋庄五郎
 三味せん 杵屋喜三郎

初暦商曽我(はつこよみあきないそが)第二はん目
 うしろめん 佐渡嶋長五郎 「さかい丁 中島屋 はんもと」


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楪根元曽我(ゆつりはこんげんそが)第二番目 中村座 
    「さかい町 中嶋屋 はんもと」
子路 負米 (しろ ふべい)
そかの五郎 せりふ 市川団十郎

 子路 負米 曽我五郎せりふ
遠からんものは摂しう大坂久太郎町のつき米や丸屋の
手代の五兵衛にきけちかくはついそれはなのさき本所
むえんじえこういんのぶつしやうばうずと手をひきやつて
かいちやうしろこともおろかやせんだいしら河の院の
べうえいかまくらがしの権五郎かげまさがたなうけ
たはら藤太ひでさとがかうなかま後藤びやうへさねもとゝは
鰯を煮たなべ源九郎ごめはうぐわんどのゝみうちなる
かめ井かたおかいせ丁にとゝうがあればかゝあの在所は
水たに丁そだつた所はこれやこのうぶすな神田のめう


70
じんした地(ぢ)まつり米のたきぼしわかしゆそのなはつる
かけ枡之助はかるといふてははやいことめぶる間に八九せう
一こくばゝの橋づめで二百十日にたんぜうし二こくがこわ
めし三ごくがもち四こくやぼ太郎えぼしご五こくほ瓢は
荘子がくう言(げん)十こく十(と)ざいしよのあまされもの百こく以
上のだんなしゆへせをつてまがるせちごめは七八百こく九百
こく千石彦介とはのかぬあいさつたれでもわるくいゝかゝると夫(それ)
こそ猫に鼠わせひねじやござらぬしんまへがみほれたら
ござれなびくべいおにも十八しんこ米とうぼしこめの
あかつつらとほゝうやまつて申す

(絵図)
天下安全武運長久
仏法繁栄衆人快楽
武江地蔵尊


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地蔵菩薩御身并蓮華座何れも唐銅(からかね)也
    此唐銅壱貫目に付 代金弐朱宛(づゝ)也
地蔵菩薩御身は金箔三返だえなり
    此箔百枚に付  代金壱歩宛也
一三重の石垣此大石壱つに付
    石壱つ/\の面てに御施主様方の御俗名
    成りとも御戒名にても御望次第にほりつけ申候
一石燈籠       一石水鉢
一常夜燈 金拾両づゝ 一昼夜常燈 金廿両つゝ也
一鳥目(ぜに)百文以上(のうへ)御寄進の御施主の御俗名戒名は金銅仏(かなぶつ)の
御衣の上へほり付申候又壱銭貮銭の御こゝろざしは御俗名戒名
何れも御はらごもりにいたしおき候なり

風落ふ其身は
いかに
団扇うり
「元祖瀬川菊之丞
  路考


72
(絵図)月村画

浄瑠璃十二段 目録
 初段
 花ぞろへ     二だんめ
 外のくはんげん  三だんめ
 ふえのだん    四だんめ
 玉藻のだん    五だんめ
 ぬひものゝだん  六だんめ
 内のくわんげん  七だんめ
 しのびのだん   八だんめ
 四季のちやう   九だんめ


73
 姿見のだん    十だんめ
 しやうぞくの段  十一だんめ
 まくら問答    十二だんめ
 やまと言葉    十三だんめ
 しやうじもんどう(精進問答)十四だんめ
 御座うつり    十五だんめ
  以上

  附考
金銀万能丸目録は前にも云如く此書の元世鏡抄(せきやうしやう)とて文亀年中
萩原中将の述作なるべし本文(ほんもん)の趣意は序跋にも見へたる如く道夢入
道と云へる者世の教へになるべき事をどうけ交りに述たるもの也貞享
四年開板の時何者か目録を添へ八文字屋本に類して世に残れり
寛永九年江戸図会に見えたる吉原町江戸町は今の新和泉町
京町は今住吉町同二丁目をそのころも新町と記して今の難波(なには)町
なるべし江戸町に並びてけん蔵主(ぞうす)町としるせし処今の高砂町にて
其頃は四方に堀有り大門通の口に橋を懸たり此堀今は西北の方埋(うづみ)て
東のみ舩入の堀通塩町迄続けり南の方は竃(へつい)河岸と末広稲荷の間に
すこし斗り残れり古老の里談(りだん)に此堀を禿が渕と云よしまた高砂町
南新道(しんみち)を今も駕籠屋新道と云へるは吉原の駕籠や町なるべし


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一同じ図に禰宜町としるせし処今の長谷川町に当れり中村勘三郎
 居中橋より禰宜町にうつるといふ此処なるべし
一明暦板江戸絵図に堺町はありてふき屋町は未だ見へず然れ共市村座
 寛永十一戌年 御免なれば明暦の頃は共に堺町の内なりしや且又
 両板共に葺屋町の号両替町の近きにあるは今の金吹町歟(か)とおもはる
 二町まちの事は延宝四年の図にくわしく挙げたり
宮古路豊後掾稽古本の外題名古屋心中ははりま芝居にてと
 あれば前に出せし操座の内天下一播磨とある芝居なりしや
 豊後譲文字太夫共に元禄より寛保頃の者也此頃は歌舞妓
 役者も操座勤めしや村上常五郎と云者若し人形遣ひにや不知(しらず)
一七種(なゝくさ)繁昌曽我馬上の段けいこ本は市村座役者附けにも見へたる
 太夫元竹之丞也市川団十郎は元祖団十郎なるべし浄瑠利

 市村若太夫とあるは同じ役者附に見へ櫓下にも載せたれば女形にて
 浄るりも語りしと見へたり遥かに後寛保の頃にや世に聞えし
 長歌の名人冨士田楓紅(ふうこう)未だ女形にて佐野川千蔵といひし事
 出語せし豊後ぶし上るりも有なり
一元禄十四年吉原細見不老門に京町壱丁目たわらや内
 いさゝめとあるは其頃京下りにて引舟中居付きの太夫繁昌せし
 もの也はるかに後豊竹肥前掾浄るり新板塁物語といふに
 此いさゝめを作り入たり江戸町壱丁目玉屋内小紫とあるは年
 号も此頃にて比翼塚の小紫にや未だ詳らかならず
曽根崎心中観音廻りは辰松八郎兵衛口上の如く近松門左衛門
 京都より大坂に下り世話浄瑠利の初めなり是より以前は時代
 物斗り也爰に図するもの其時出板のけいこ本の口絵なり


75
一役者金の揮(ざい)は上の巻に出(いだ)せし序のある本希なり二代目
 団十郎後に海老蔵拍筵初舞台より一代の狂言
 深川地蔵坊観化帳は世に云ふ天和の頃八百屋お七なるものに
 因誓(ちなみ)たる吉三郎など云へ共大きに非なり遥に後宝永の頃
 にて深川に住し活逹(くわつだつ)の僧なる事上の巻の序に見へたり
一元祖菊之丞正筆の発句は弟瀬川菊次郎仙魚兄の路考三
 回忌に綴りしその菊と云へる集物の内より抜き出す月村(がつそん)其頃は
 江戸に住せり
一小野のお通十二段の目録は上の巻あふむが杣の序に竹本
 筑後掾の定る十二段の目録にて初段は上の巻に出せり
 都合十五段いづれも古雅なる本文(ほんもん)あれども事ながければ
 重ねて後編に出だすべし

  跋
諺に云格思(わざくれ)も三年古き物皆霊あり古椀を
産湯の下に焚ば漆瘡(うるしまけ)せぬ厭勝(まじない)となり古傘(ふるほね)の
油(めくり)の行李(ひきやくに)の小附(こづけ)と猪鹿肉(もゝんじい)の包紙となる牛溲馬(こさうば)
浡壤鼓(ぼつかいこ)の皮とやらんつゞみのやぶれ薬種に用ゆ古狸の
茶釜に化したるは茂林寺の汁物(じうもつ)にして祖父(ぢい)は山
祖母(ばゞ)は河へ二月の餅の黴臭き落し咄しも添乳(そへぢ)の
伽にならざらんや清少納言のかれのころ翠簾(みす)の


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葵こぞのかわほりあはれなりし人のふしみ
雨なんどのふりてつれ/\なる日捜し出たる過にし
かた恋しき物の類ひを晒本(さらしみせ)の中に集め紙屑買いの
籠に拾ひて今よりは百有余年の昔めくもの
永き日を欠(あく)びのとぎに備ふ仍(よつ)て其名も牟芸(むぎ)
古雅志(こがし)亦(また)写騰入禁解(しやとういりきんとき)とも云ふべく而巳(のみ)
  文政丙戌孟春日   
             狂言堂誌