仮想空間

趣味の変体仮名

傾城阿波の鳴門 第八


読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
     ニ10-01136


72(左頁)
  第八
よしあしを 何と浪花の町はづれ 玉造に身を隠す阿波の十郎兵衛本名隠し
銀十郎と表は浪人内証は 人は夫共白浪の 夜のかせぎの道ならぬ 身の行末ぞぜひも
なき 人の名を 神と呼る其神は 京の吉田の神帳に入た神かや入ぬのか やほ共見へぬ悪
ずいほう とつぱかふの武太六が のみ取眼にのれん押上 銀十郎内にか用が有て
逢に来たと いふ声聞て女房立出 ヲゝ武太六様かよふお出 久しう逢ぬがまあ御無
事で イヤコレお内儀 逢ぬの無事なのと地を打たせりふじやない ならず者の伊左衛門に


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借した金 爰の銀十郎が受合てけふ中に済ます筈 夫で其金受取にきたの
じや きり/\逢して下されと 声も辰巳の上り口 尻まくりして高あぐら ヲゝ其様に
声高にいはずとしつかに物をいはしやんせ こちの人は夜が更たので今昼寝して
居られます 何じや昼寝じや 夜が更たとは エゝ聞へた 夜通しのてこつりかい
よいきげんじやな てこつる金が有なら借した金戻して行と いふに女房がふしん顔
ア魚つりに行に金か入かへ ヤそりや何いふのじや テモお前てこつる金が有なら戻し
ていけとはいはしやんすじやないかいな わしや又沙魚(はぜ)は釣やうにしらさ海老でつるかと

思へば 金で釣てこといふ魚はどんな魚でござんすぞ エゝすいほうの嬶に似合ぬきつ
い太郎四郎じや 金を餌にする魚が有てたまる物か コレてこつるといふはの れこさ
の事じやわいのこなたもすいほうの女房なら ちつとてんしよでも覚へそふな物じやが
なァ 今の世界に青二引ぬ者と お染久松語らぬ者は疫病を受取といの こんな事
いふ間はない 銀十郎/\起てこんかい事は何もない 高が借銭乞に来たのじや 起き
ざおこしに行ぞよと わめくをなだめる女房ももてあつかふて見へにける エゝあたやかまし
ぬかすので あつたら夢をさましおつたと 欠(あくび)まじくら立出る 銀十郎がねほれ声 コリヤ


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銀十郎 わりやマア夢所じや有まいがな けふ中に戻さふと約束の通り受取に来
たのじや サア金渡せ受取ふ いやといや此証文で直に代官所へお願ひ申す が わりや
でんどは出られぬ身分じや有ふがなと 病づかすは疫病の神と名の付く奇特なり
ハテやかましい日暮迄はけふの内大方工面も出来て有 是から直に先へいて才覚し
てくる程に 大義ながら晩方こいと 聞ては遉つよふも得いはず 晩方迄なりや待て
やろ 其かはりに暮六つをごんと打と直に受取に来る程に 其時に成てからならぬな
どゝ ねだ切はつた所て三どつぱ打れた様に がつくりさすのじやないかよ 今度ちがへば直

に代官 サア呑こんでいる 最一度いたら慥に工面の出来る金 われもいぬな連だと
かいと 云つゝ出る袂をひかへ 其様に慥にいふて何で充の有事か 又間違へば気の毒な
まあ二三日も云のべて イヤならぬ二三日の事は扨置き半時も待つ事ならぬ サア/\こいtごせり
立る 武太六伴ひ十郎兵衛我家を出て行跡へ 引違ふていきせきと飛脚 と見へて
草鞋(わらんず)がけ 内を覗いて 申此状届けますと投出す一通女房取上うは書に 銀十郎殿へ
急用と書た斗で下の名は 内儀様覚がござりますか 私も人伝に ことづかつて参り
ましたれど 必先へ直々にと 念入て申されましたが 内方へくる状かなと 念と入ればアゝ成


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程/\下の名はなけれ共 うは書の手は慥にこつちに見しりがござんす 置ていんで下さん
せ 夫も今は留主なれば 帰られ次第見せませう マアはいつてたばこでも アゝいへ/\まだ外
へ届ける状急用なればもふお暇 御返事あらば跡からと 云捨出る町飛脚 もと来し 道へ立帰る
跡打ながめ女房が心かゝりと封押切 よむ度ごとに恟りびくり ヤアこりや是 夫銀十
郎殿を始め仲間の衆へも吟味がかゝり 詮議厳く成たる故 捕へられし者も有 最早
遁れず立退くとのしらせの状 スリヤ夫十郎兵衛殿の身の上も けふ一日にせまつたなn
ぎ 昨日長町裏で危い所を漸遁れ ヤレ嬉しやと思ふ間もなく 今又此状の文体

では 中々こふして居られぬ所 我迚も女房の身 殊に衒の同類なれは罪科遁れぬ
夫婦が命 今更驚く気はなけれど 一合取ても侍の家に生れた十郎兵衛殿 盗賊
衒と成果しも国次の刀詮議の為 重い忠義に軽い命 捨るは覚悟と云ながら
肝心の其刀 有家も知れぬ其内に 若し此事が顕はれては 是迄尽せし夫の忠義 みな
むだ事と成のみか 死だ跡迄盗賊に名を穢すのが口惜い 盗み衒りも身欲にせぬ
女夫か誠を天道も憐れ有て国次の 刀の詮議済む迄の 夫の命助てたべと 心の内に
神仏 誓ひは 重き観世音 ふだらくや岸うつ波はみくまのゝ なちのお山に ひゞく瀧つせ


76  https://youtu.be/06JKlyO0Z7A
(道へ立帰る)年はやう/\とをくの道を かけたる笈摺に 同行二人としるせしは 一人は大悲のかげ頼む ふる
里をはる/\゛こゝに紀三井てら花の都も 近くなるらん 巡礼に御報謝と いふも優し
き国なまり テモしほらしい巡礼衆 ドレ/\報謝しんぜうと 盆にしらげの志 アイ/\有難
ござりますと いふ物ごしから爪(つま)はづれ 可愛らしい娘の子 定めて連衆は親御達 国
は何国(いづく)と尋られ アイ国は阿波の徳嶋でござります ム何ぞや徳嶋 さつても夫(それ)
はマアなつかしい わしが生れも阿波の徳嶋 そしてとゝ様やかゝ様と一所に巡礼さんすのか
イエ/\其とゝ様やかゝ様に逢たさ故 夫でわし一人西国するのでござりますと 聞て

どふやら気にかゝる お弓は猶も傍に寄り ムゝとゝ様やかゝ様に逢たさに西国するとは
どふした訳じや夫が聞たい マア其親達の名は何といふぞいの アイどうした訳じやしらぬが
三つの年にとゝ様やかゝ様もわしをばゞ様に預けて どこへやらいかしやんしたげな 夫でわたしは
ばゞ様の世話になつて居たけれど どふぞとゝ様やかゝ様に逢たい顔見たい 夫で方々
と 尋てあるくのでござります とゝ様の名は阿波の十郎兵衛 かゝ様の名はお弓 三つの年に別れて ばゞ様
に育てられて居たとは疑ひもない我娘と 見れば見る程稚な顔 見覚の有額の黶(ほくろ)


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ヤレ我子かなつかしやと いはんとせしがイヤ待てしばし 夫婦は今もとらるゝ命 元より覚悟の身
なれ共 親子といはゞ此子に迄どんな憂き目がかゝらふやら 夫(それ)を思へばなま中に 名乗だて
して憂めを見んより なのらで此儘かへすのが 却て此子が為ならんと 心をしづめよそ/\
しく ヲゝ夫はまあ/\年はも行ぬにはる/\゛の所を よふ尋に出さしやつたのふ 其親
達が聞てなら 嘸嬉しうて/\飛達様に有ふが 儘ならぬが世の憂ふし 身にも命に
もかへて可愛子をふり捨国を立のく親御の心 よく/\の事で有ふ程に むごい親と
必/\恨ぬがよいぞや イエ/\勿体ない何の恨ませう 恨る事はないけれど ちいさい時

別れたればとゝ様やかゝ様の顔も覚ず 余所の子供衆が かゝ様に髪結て貰ふたり
夜は抱れて寝やしやんすを見るとわしもかゝ様が有なら あの様に髪結て貰ふ
物と羨しうござんす どふぞ早ふ尋て逢たい ひよつと逢れまいかと思へば夫が悲しう
ござんすと ないじやくりするいぢらしさ 母は心もきへ入思ひ 扨も/\世の中に親と成り子と
生る程 深い縁はなけれ共 親が死だり子が先立たり思ふ様にならぬが浮世 こなたも
どれ程尋ても 顔も所もしらぬ親達 逢れぬ時は詮ない事 もふ尋ずと 国へいん
だがよいわいの イエ/\恋しいとゝ様やかゝ様 譬へいつ迄かゝつてなと 尋ふと思ふけれど 悲しい事は


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独り旅じやてゝ どこの宿でもとめてはくれず 野に寝たり山に寝たり 人の軒の下に
寝ては擲れたり こはい事や悲しい事 とゝ様やかゝ様と一所に居たりや こんなめには逢ま
い物を どこにどふして居やしやんすぞ 逢たい事じや逢たいとわつと泣出す娘よえい
見る母親はたまり兼 ヲゝ道理じや 可愛やいぢらしやと 我を忘れて抱付前後 正
たい歎きしが 是程親をしたふ子を何と此儘いなされふ いつそ打明けなのらふか イヤ/\夫
では此子も同じ罪 其時の悲しさを思ひ廻せばいなすが為と ヲゝ段々の様子を聞我身
の様に思はれて 悲しい共情ない共 いふにいはれぬ事ながら 兎角命が物種 まめでさへ

居りや又逢れまい物でもない コレ仕付けぬ旅に身をいため煩ひでも出りや悪い どこ
をしやうどに尋ふより其ばゞ様の方へいんで居るとの 追付とゝ様やかゝ様が逢にいて
じや程に 悪い事はいはぬ 思ひ直して 是から直に国へいんで随分まめで親達の 尋て
行しやるを待て居るのがよいぞやと なだめすかすを聞分けて アイ/\忝ふござります お前
が其様にいふて 泣て下さりますによつて どふやらかゝ様のやうに思はれて わしや爰がいに
とむない どんな事なと致しませふ程に 申お家様(さん)お前の傍にいつ迄も わたしを置て下さ
りませ エゝ悲しい事を云出して又泣sのかいの さつきにからわしも子の様に思ふて 爰に置


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たいいなしとむないと 様々思ひ廻せ共 爰に置てはどふも為にならぬ事が有によつて 夫(それ)
で難面(つれなふ)いなすのじや程に 聞分けていんだがよいぞやと いひつゝ内へ針箱の底をさがして
豆板の まめなを悦ぶ餞別(はなむけ)と 紙に包で持て出 コレ何ぼ独り旅でも たんと銭さへや
りやとめる 僅なれ共志 此銀(かね)を路銀にして 早ふ国へいにや 必々煩ふてばしたもんなと
銀を渡せば押戻し 嬉しうござんすれど 銀は小判といふ物をたんと持ております そん
なりやもふさんじます 忝うござりますと なく/\立つを引とゞめ 夫はそふでも是はわし
か志と 無理に持たしてちり打払ひ コレもふいにやるか 名残がおしい 別れとむない コレ今

一度顔をと引寄せて 見れば見る程胸せまり離れ がたなき憂思ひ 夫としらねと涙
の血筋名残惜げに ふり返りどこをどふして尋たら とゝ様やかゝ様に逢れる事ぞ あ
はしてたべ南無大悲の観音様 父母の恵みも深き粉川(こかは)寺 仏の誓ひ頼もしきかな なく
/\別れ行跡を見送り /\のび上りコレ娘ま一度こちらむいてたも 折角長の海山
こへ艱難してあこがれ尋るいとし子に ふしきと逢は逢ながらなのらでいなす母が
気はとの様に有ふと思ふ 狂気半分半分は死で居るわいの まだ長生(おいさき)の有る子
をば親故路頭に立たすかと其儘そこに どうどふし きへ入斗歎きしが おき直つて涙


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をおさへ イヤ/\どふ思ひ諦めても 今別れては又逢事はならぬ身の上 譬難儀がかゝ
らばかゝれ 又其時は夫の思案 程は行まい追付いて 連れて戻らふそふじや/\と子に
迷ふ 道は親子の別れ道跡を したふて尋行すでに其日も 入相のかねの工
面も引違ひ 我家へ戻る十郎兵衛が 巡礼の子の手を引て 女房共戻つたぞと
内へはいつて見廻し/\こりや日暮紛れに火も燈さず どこへいたとつぶやき/\
行燈ともしたばこ盆さげて どつさり高あぐら コレそこな子爰へおじや 今戻る
道筋をソレ 乞食共が寄集り わがみを剥て銀取ふとぬかしておるを聞た故

夫でおれが連て戻つたが わがみや銀でも持て居るか アイよその伯母様に貰
て持て居まする ムゝ何がそんな事を悪者共がかんばつて ヲゝあぶない事/\そして
其銀はどれ程有 ドレ伯父に見しや アイ是程ござんすと貰た銀を差出せば ムゝ
こりや小玉が五十両斗 もふ外に銀はないか イエまだ小判といふ物がたんとござんす 何
じや小判がたんと有 アノ小判か てもマア夫はよい物を持て居やるの コレ此辺りは用心
が悪いによつて 其様に銀持て居ると 今の様に人に取れては仕廻ふ ドレ伯父が預
かつてやらふ爰へ出しやと 武太六に約束の足にもなろを心の工面 だましおくれど


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合点せず イエ/\此小判の財布には 大事の物が包で有程に 人に見せなとばゞ様が
いはしやんしたによつて 誰にもやる事成ませんと 大事にする程猶見たく おどして
見んと目をいからし 其様に隠すと為にならぬぞよ 痛いめせぬ内ちやつと伯父に
預ておきや それでも大事の銀じや物サア大事の銀じやによつて持て居ると為
にならぬ 片意路いはずと預ておきやと いふ程こはがる子供心 こんな所に居る事じや
と逃出る首筋引掴めば アレこはい/\と泣出す コリヤやかましい/\近所へ聞へる 声が高い
と口へ手をあて コレこはい事はない 有やうはわしも ちと銀の入る事が有によつて 何

ぼ程有がしらねど 二三日あずけてたもや 其内には又拵て戻そふ程に まあ夫迄
はこちの内にゆるりつと逗留仕や 又観音様へも伯父が連て参る コレよい子じや
聞分けてサア ちやつと借してたもと 両手放せばかつくりと そこへ其儘倒るゝ娘 コリヤ/\
何とした/\ どふしたと いへ共さらに物いはず 息も通はぬ即死の有様 ヤア南無三宝 コリヤ/\
目が廻ふたか コリヤ 巡礼の娘やいと 呼いけ/\口押明 コリヤ気付けも水ももふ叶はぬホイ
はつと斗に俄のはいもう エゝ声立てさせじと口へ手を当てたが 思はず息をとめ 夫で
死だか ハアゝこりやマア不便と斗軻れ 果たる折からに 表へ聞ゆる足音は 女房ならんと


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布団で死骸つゝみ伝ひをいきせきと戻るお弓が ヲゝこちの人戻つてか サア/\ちやつといて
尋て/\と せき切る女房ヤイたわけ者 跡先もいはず尋てとは 何を尋て サアお前のる
すへ 国に残した娘のおつるが ふしぎと爰へ来たわいの ヤ何じや娘が来たとは そ
りや母者人と一所にか どふして来たぞ イエ/\おつる一人でござんする 様子をいへば長い
事 ふしぎに娘としつた故飛付く様に思ふたれどな 悲しい事はお前もわしも お尋
の身分なれば 今しれぬ身の罪科を 何にもしらぬ娘に迄供に難儀をか
けふかと わざと親子の名乗もせず 気づよういふて此内をいなし事はいなしたが

跡で思へば思ふ程 どふも捨て置かれぬ故直ぐに跡から尋にいたれど かげも形もしれぬ
故お前と手分けして尋ふと思ふて戻つた サアちやつといて尋ねてと 聞や聞ずにヤイ
たわけめ どんな事が有る迚 おれにもしらさず追いいなすとは 鬼でもそんなどうよく
な事はせぬわい イヤこふいふぃては居られぬと かけ出しがコリヤそしていくつ斗でどんな着物着
て居るぞ しれた事年は九つ 中形の振小袖 笈摺かけて 何じやアノ笈摺かけて アイ
笈摺も二親の有る子じやによつて 両方は茜染 アノ茜染に中形 アイ ホイはつと
肝に焼き鉄(がね)さゝるゝ心地 エゝコレ隙が入る程心がすまぬ お前は跡からわしや先へと いひ


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捨かけ出すお弓をとゞめ コリヤもふ尋ずとよしにせい 娘はとうから戻つて居る 戻つ
ているとは そりやごこに ソレ そこの布団の内に よふ寝入て居るわいといふにふしん
も立嶋の 布団を明けて顔見るより ヲゝほんに娘じや ヲゝ嬉しや/\ お前もこんな事な
らとうからそふといふたがよい 人にいきせいもましてエゝ嗜しやんせと恨ながらも気は
いそ/\ 何トマア見やしやんせいたか 大きふならふがな そしてまあめつそふな いかに草臥て
居れば迚からげもおろさず 笈摺もかけたなり ドレ/\ 帯といてゆつくりと 久しふりで母
が添乳(そへぢ)と 笈摺はづし帯とく/\ 見れば手足もひへ渡り息も通はぬ娘の死骸 ヤア

コレ こりや娘は死で居る どふして死だどふしてと 余りの事に涙も出ず立たり居たり
夫の傍あの娘はドゝゝゝどふして死んだ お前様子知てじや有ふ サア いふて聞して/\と気も
取登す有様を見るに脾肉も離るゝせつなさ ホゝ道理じや尤じや 様子といふたら因
果づく さつきに内へ戻る道 其娘が銀を持て居るを 非人共がよふ知て取るの剥ぐの
と聞た故 可愛そふにと連れて戻り 様子を聞ば銀も有故 少々成共武太六に返す工
面 二三日借してくれと訳をいへ共子供の事 声山立てて泣わめく 近所の聞へが気の毒さ
に うち口をおさへたが 息が詰つてソレ 其様に死で仕廻ふた エゝいぢらしい事したと 余所の様に


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思ふたが 夫(それ)が娘で有たとは 物の報ひか因縁事 コリヤ こらへてくれよ女房と 聞程
身も世もあられぬ悲しさ そんならお前が殺さしやんしたか ハアても扨も是非もなや
情なやと母は死骸を 抱上 コレ娘 是程むごい親々をよふ尋て来てたもつたの 独り
旅でとめてはなし 野に寝たり 山に寝たり こはい事や悲しい事も とゝ様やかゝ様に逢
たさ故といやつた時は 悲しうて/\身ふしも胸も 砕ける様に有たれど そこをじつとしn
ぼうして 親共いはずいなしたはいの わがみが可愛さ斗其時とめて置たらばこふいふ事
は有まいに いなした故の此間違ひ 夫からおこつた事なれば 殺さりやつたもわしが

業 堪忍してたもや/\ 年はもいかではる/\゛の道を厭ず苦労して 親を尋る孝
行娘 親は夫には引かへてむごう難面追返し まだ其上に親の手で 殺すといふはマア
何事ぞ 別れにいやつた巡礼歌 父母の恵みもふかき粉川寺 どこに是は恵みが深い こん
なむごい親々が広い唐(から)にも天竺にも最一人と有物かと 死骸の顔に我顔を 押当て/\
抱しめ 泣涕(きうてい)こがれ伏しづむ 銀十郎も後悔の涙五臓をしぼりしが いふて返らぬ事ながら
金の有る事得しらずばこふいふ事は有まい物 金が敵と死骸の懐 さがして財布取出し 中改
むれば金三両 コリヤ是僅かの金 いかい事も有やうに 思ひちがひがやつぱり因果と いひ


85
つゝ引出す財布の内 十郎兵衛殿夫婦の衆へ ムゝコレ 書たは正しう母の筆と 封押切て
よむ分体 わざ/\認め送りまいらせ候 国を立のかれし其日より 案じ暮すは互に親子の愛
着にて 浮世の中のならひなれば くどふ筆には記さず候 第一に申たきは日外(いつぞや)申越されし
国次の刀 郡兵衛に心を付て密かに手筋を求め詮議致し候所 則ち郡兵衛盗取所持
致し候段 慥に聞出し候故 早速詮議と思ひ候へ共 女子の身でなまなかの事を仕出し返
て妨げに成てはと差ひかへ 其共の有家を尋詮議させんと孫のおつる諸共に旅の
用意致し候内 遁れぬ無道の風に誘はれ 力及ばず身まかり候故書残申候 スリヤ

母人は お果なされたかいな ムゝ此一通届け次第早々国へ立帰り国次の刀を取戻し 立身
出世を草葉のかげより くれ/\゛も待ちまいらせ候 スリヤあの軍兵衛べが所為(しはざ)で エゝ母人の御さいご
残念至極と云ながら 難有きは刀の有所 是と申も母の御恩 ハアゝ忝し嬉しやと歎きの
中の悦びを 聞てお弓も顔を上げ お袋様の御最期一日の介抱も せずに別るゝ不孝な
嫁 せめて筐の其お文 わしにも読せて下さんせと 一通取て涙ながら 外に申す事
はなく候へ共 孤(みなしご)となりし孫が事 是のみ黄泉(よみぢ)の障るに候 神仏の恵みにて
つゝがなう其元にもしも尋逢たらば 随分/\大事に育て給はるべく候 夫は/\


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器用者にて物もよう書き琴も弾く 第一に縫い物が手利きにて 縮緬どんす
の衣装迄手際よう仕立て候やう 教へ置きまいらせ候 是斗はばゞが自慢に候儘
対面の後ぬはせて御らんなされ 夫婦ながら誉めてやつて給はるべく候 ヲゝばゞ様
の冥加ない常々から虫持ちにて 桑山がよう利き候故 たんと持たせて置き候儘 もし
虫でもおこつたならば 此子の年の数程御のましなさるべく候 くどふも/\大切に
育て頼み上げまいらせ候べく是程大事にばゞ様の 育て上げて下さんした物 思へば/\
どうよくな 惜しや悲しや いぢらしやと又も 正体なかりけり ヤアいつ迄いふても尽

せぬ歎き 刀の有家しれる上は 彼地へ下り詮議せんと いさむ折から表の方
俄にさはぐ人声足音 十郎兵衛きつと心付きコリヤ/\女房 あの物音は必定捕
手に違ひない 何百人取まく共 刀を我手へ入れん内は 切て/\切抜けると 娘の死骸の
だかへ 泣入女房を引立/\一間の内へ入にける 程なく来る捕手の大勢 ヤア/\盗賊の
銀十郎本名は阿波の十郎兵衛 此所に隠れ住む由 武太六が訴人によつて召
捕りに向ふたり 尋常に縄にかゝれと声々いへど音せぬは 風をくらふて逃のびた
か 家内残らず打こぼて 人数は半分裏道へ廻れ/\といふ下家 天井戸障


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子仏壇戸棚 粉もなく砕く壁下地すき間もおらさぬ大勢の 捕り手相手
に十郎兵衛が大わらはに働くを 我組とめんと追取巻 差付ける松明の火花を
ちらしていどみしが 十郎兵衛一人に切まくられ皆くもの子のちり/\゛に 逃行
すき間に女房が此間にちやつと十郎兵衛殿 ヲゝ合点とかけ出しが 立とゞ
まつてコリヤ女房 娘の死骸は何とした そりや気遣ひござんせぬ コレ此通り
と死骸の上 落ちる戸障子積み重ね 松明の火を差付けて 人手に渡さぬ火
葬のいとなみ なむあみだ仏と合す手も別れ 別れて「立出る