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浄瑠璃本データベース ニ10-01451
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座本 竹本太市
伊賀越道中双六
大字七くだり 大坂島ノ内中橋三ツ寺筋北へ入
けいこ本 寺田吉九郎新版
伊賀越道中双六 座本竹本太市
第壱 靏が岡の段
大権聖者の未来記に書記したる四海の治乱 元弘
の戦ひ一統に切しづめたる足利氏草もゆるがぬ 鎌倉
山此は大永元年二月上旬靏が岡の奉幣に勅使下着
の知らせによつて 山の内の執権上杉顕定芸衛の役目承り
坂本に仮屋をしつらい一日がはりの家中の守護 和田行家が
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一子志津馬 威儀厳重に守り居る 折節佐々木丹右衛門 非
番の姿上(カミ)取て下(シモ)を憐む羽二重侍 仮屋に来かゝり志津馬殿
当日のお役目御苦労と挨拶し 別して今日は勅使御入の日な
れば 取分て大切の御番 随分麁末のない様に と申も此丹右
衛門 貴殿の親父(しんぶ)行家殿に剣術の門弟 是迄外の弟子よりも
格別に御差図下されし師匠の御恩山よりも高ければ 其御
子息の志津馬殿 次第に立身も有様と神に心願を込奉り
祈る程の拙者が進呈 日頃から歯に絹着せず申を 必気にはさへ
られな 貴殿の疵は御酒参ると万事を忘れさつしやる 色と酒をば
敵にせよとは賢者の禁しめ 常に此義をお忘れ有なと真実あまる
異見也 ハア忝いおしめし 兼々親共が申にも剣術の高弟といひ若
けれ共実義有丹右衛門殿 兄弟同前に万端を相談致せと申
付置れたれば 其元様を兄と思ふて居(おり)まする イヤそふ請て下さ
れば 拙者は何より甚祝着 弟子傍輩の事を申はいかゝなれども
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気の赦されぬ男は沢井股五郎 彼が従弟城五郎は鎌倉殿の昵近衆
直(じき)人を一家に持たと鼻にかけ 御前の勅も疎にして 昼夜遊所に入込由 必彼
を友になされな 昨日は拙者が番 今日は非番なれ共内証ながら見廻も
致さふと存じて推参致した 勅使のお入に間も有まじ 別当へ参て配膳
の勝手の案内見て参らふ 後刻/\と別れ行 折からうそ/\来かゝる町人
番人声かけ ヤイ/\とこへ行 御仮屋の前すさりおらふと口々に 噛付られて
犬つくばい アゝイヤ私は切通しの町人 本庄屋定七と申て 和田のお家へお出入
の者 志津馬様に用事有てと 聞より志津馬 苦しうない是へ参れと傍近く
今日は勅使御入の社内故 一々人を改る 急用か何事ぞ ハイ イヤ別儀でも
ござりませぬ 彼金子の義を コリヤ/\イヤサ家来共 其方共は南門へ参つて人を
通すな 残らずいけと追やれば ハアいか様金銀の事は内証 爰で申は不調法
アイヤ/\契約の日が延引すれば無理とは思はぬ ガ此事は股五郎殿を頼で置た
一両日猶予を頼と 咄し半へ大小も 金拵へのつか/\と 入来る沢井股五郎人を
非に見るのさばり顔 ヤア定七 お手前が来た筋は 股五郎が呑込でおる 部屋住の
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志津馬殿吉原通ひの内証金 今用立て置たれば兼てお身が願ふておる お国の掛屋
にしてやるさ 時に志津馬 頼が有 身が懇意にする町人の女房今日勅使のお入を
聞て 都人の装束姿拝見させて下されと 拠なく願ふに付 裏門からこつそりと最前社
内へ入れて置た 爰は粋な貴殿なれば大目に見てくれまいか どふじや/\ アゝイヤ/\ 町人たる者
殊に女 左様の事を政道する志津馬が役目 外の者の見ぬ中に一時も早く追かへ
されよ ハテそふ堅ふいふた物じやないわい コレ貴様の好きの女だはい マアちよとよい女房
見たがよい 器量はどてん天人姿天降(あまくだり)してお目にかけふ 爰じや/\と手招きに
下来る坂の段かづき 屋敷か町と三重の帯堅ふ見せてもしどけなく 志津馬様
わしじやはいなと被(かづき)を取ば松葉屋の ヤア瀬川じやないかと志津馬が恟り ナテ股五郎
は粋ではないか 何が一日逢ねば百日と 吸付合ふておる中身共とは逢ふて親持
の身分此間ゟ御前勅に間がなふて 郭へ来ぬを女気で若や心替りかと案じ
るが可愛さに手工合してけふの参会よもや腹も立まいが コレ太夫嬉しいか
/\遠慮なしに しげれ/\と突やられてひんとすね 女中法度の此お仮
屋追いなせとおつしやつたは よく/\わたしがお嫌ひそふなと 思はせぶりの雪の梅
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解(とけ)ぬしかけがそれしやなり ヤアサアそふではなけれど是は又きつい所へ連て来た
御門は誰が通したぞ イヤ此実内めでこはります スリヤ御門を通したは儕か
につくいやつと とはいふ物のおれも顔が見たかつたエゝとふからそふ砕ければよい 堅い
顔が気にくはぬ 家来共は散て仕廻ふた 実内は志津馬の腰付け 郭の供する
粋奴 こふ寄た所はとんと郭の座敷に成た 太夫主(す)のおもたせ是へ ナイと返
事は奴の遣手 蒔絵の提重角樽は股様ゟの御見舞 吉弥たばこアイ
と跡引長煙管包ほどいて取出す 裲姿立木の桜あたりまばゆく見へに
けり 先一献と股五郎大盃引受て サア志津馬慮外申 イヤ今日は大禁酒じや と
いふてあの君が顔見て呑ずには居られまい ちよつと一つは身の養生呑ば甘露の
菊の酒 其盃定七に差召れ 大事ない一つ呑やれ 扨盃を差て置て お手前に頼事別
義ではない 此瀬川と此通りに深ふ云かはした中 所に去大家から身請の相談 向ふは千両二千両惜
まぬ家柄 欲に喰付き親方が其方へやらふといふを 先約なれば志津馬が方へ五百両で見受
さすると 此股五郎がつつばつて置たれど けふ翌(あす)にせまつた日切 これ迄取かへも有る上なれば 用立って
くれまいか ハイそりやはやあなた方のお頼 いかにもとサ申たけれど 部屋住の志津馬様
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慥な引当がなければ ヲゝサ夫も思案仕て置た 和田の家の重宝正宗の名作を質物に差入れる
是程慥な引当はない イヤ/\コレ股五郎殿 其刀は先祖ゟ伝はつて 常の差料には致さぬ重宝
質物に入る事はハテ扨悪い合点 其大切は刀じやによつて書入て間に合すのさ 金さへ渡せば
きよじはない 殊に此度武将の若君御元服の御祝義 諸大名ゟ名作の剣献上有へき折から 正
宗多き中にも和田の正宗は勝れて無双の名作 殿ゟ御所望有は必定 其時になければ
ならぬ大事の刀 そばらくの用に立て 其中には股五郎が工面して取返す 気遣ひせずと
サア志津馬 其趣一礼書rを渡しなされと 色に付入り正宗を仕てやる心の剣とは 白紙取て
認(したゝむ)る 若気の思案で是非もなき定七証文懐中し そんなら金子調達致し股様方迄
持参致さふ 質物は結構なれど所詮こつちの物にはならぬ 御返済の違はぬ様に気遣ひ
するな 身が一門は歴々 金銀沢井が呑込だ よござります が申云ぬ事は聞へぬ 利
銀は二割三月おどりでござりますと欲の鵰股五郎に 詞番ふて立帰る サア/\祝ふて
是から祝言 天下晴ての志津馬が奥方 目出たい/\打て置しやん/\調子に
乗て最一つ大事か二つも三つもいつの間に 酔が廻つて役目の大事 忘れるめれ
んに仕てやつたと 笑壺に入やる股五郎 仲人は酔の紛れ 積もる咄しをゆるりと
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瀬川 暫く粋を通そふかと 跡に詮議を掛作り 廊下へぬけて行共しらず 股主/\とれへ
ござつた ぬけそとは手が悪い 人をころりと殺して置て 逃ふとは卑怯者 エゝコレナ 此様
な嬉しい中に 殺すの死のと気にかゝる事斗 そんならおれと祝言するが そなたは真
実嬉しいか と有ば我等も千万祝着 此悦びに又一つ アゝ申其様に御酒上つたら
御用とやらの害になろ もふ此盃は止にせふ 止にせふとは祝言がいやか いやでなくば
ま一献 たとへ知行召上られ ふちは瀬川に成とても 二人手に手を引合ふて どんな川へも
志津馬は本望 もう主も親も入らぬ殺せ/\と酔狂も物がいはする くだ枕膝に
たわいもなき折から 勅使のお入と呼はる声 聞とひとしく丹右衛門 志津馬はいか
にとかけ付れば 南無三宝例の沈酔 コレ志津馬殿/\ コレイナ 太夫様を待し
て置てあの様に寝てじやはいなァ こそくりおこそと二人して 抱起してもとろ/\目
コレ志津馬 正気を付やれ勅使のお入じや イヤ猪口は嫌ひ こつぷで致さふ エゝ何
いふても死人同前 一世の浮沈何とせん 家来共此女裏門から追かへせと替
上下の肩衣を 身に引かけて志津馬が代り勅使を出迎ふ深切も夢に
も白る高鼾 松吹風も音添て 後の難儀と 和田の家世の 成行こそ「定めなや