仮想空間

趣味の変体仮名

けいせい恋飛脚 下の巻 西横堀の段 新町の段

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html

      浄瑠璃本データベース イ14-00002-258

 

32(左頁)

   下の巻 西横堀の段

色の道 好まぬ人は底の無し 盃なりと笑ひしはいづれ 昔の捨て詞 名を捨て身をも 捨て小松 恋の淵

瀬に漂ひし 亀屋忠兵衛は屋敷の為替肌にしつかり羽織の紐短き日脚も七つ過ぎ

つお一走りと門の口 出馴れし足の癖に成り 心は北へ行く/\と思ひなからも身は南 足は右へといつの間に 西

横堀をうか/\と 新町橋迄歩み来て ふつと気が付き傍を眺め 是はしたり中の嶋のお屋敷へ

行く筈を どふ狼狽(うろたへ)て爰へ来た事 但しは狐につまゝれたか 侗(あほう)らしいと引っ返せしが アイヤ/\/\ 我知らず爰

迄来たは梅川が身の上に 逢ねばならぬ用が有て 氏神のお誘ひか 爰迄来て寄らずにも逝なれまい

 

 

33

ちよつと顔を見てこふと 又立返つて アゝいや/\ 夕部の様に母者人 お諏訪にも誤つて 内祝言の枕

のぬくもり まだ醒め切らぬに又持病 殊に大切な此金持て入らぬ事/\ 又顔見たりや泊まりとふ成る

よしにせふ/\と 二足三足戻りても 引き戻さるゝ恋慕の紲(きづな)行くも行かれず アゝ儘よ 顔見る斗

は何の事 屋敷へ行ても戻りに寄る気 跡が先になづぶんと 一度は思案二度は不

思案三度飛脚 戻れば合はして 六道の冥途の 飛脚の〽先ふれや

 

  新町の段

九五(くはいごう)取たり 七五つお刎ね 一九八三四(いつけんくはいしゆぱまさんなす) 四筋の町の 繁昌に心浮き立つ瓢箪町は暮れぬ先から

 

儦(ざは/\)と 炭火ほのめく鬩(ぞめき)歌 思ひ/\の恋風に引かれて 里を通り筋 越後と挟む佐渡や町

井筒が元は色の淵身を憂きしほに梅川も爰を思ひの常宿と ちよこ/\走りに走り込む お清(きよ)

主(す)いナ けふもかはらぬ田舎の客に せびらかされて気色が悪さ 忠(たゞ)様に逢ふと思ふて お前の顔

見に借しに来た ヲゝそりや道理/\ アレ皆拳(けん)に凝つて居さんす お前も一拳して酒一つ

コレ梅川様が見へたぞへ そりやこそ拳の大得様と 傍輩女郎禿迄 サア/\爰へと招くに

ぞ いやもふ拳所か酒も咽へ通りやせぬ 忠兵衛様が身請の手附 夫で田舎の相談

ひへ 嬉しやと思ふ中 跡金も出来ぬ上 手附の日限(ぎり)も切れたのを 断りいふて云伸ばし 当座遁れの

 

 

34

たゞ中へ 意地悪の八右衛門づら きのふから見受けするともて返す情なさ 今も今迚木の本(もと)

屋へ呼び込んで 理屈詰のわつぱさつぱ こつちも負けず張りつよふ こなんの女房になる事は

いやじや/\と云切って 走つて出た故胸先へ 又癪が差し込んだ 忠兵衛様は養子といゝ皆は母

御の手前も有り 金の才覚出来ぬ時は 否(いや)な所へ受け出され 可愛ひ人に逢ふ事が ならねば

死ぬるに極めても 忠兵衛様や親兄の 事迄心引かされて 悲しいつらいわしが身を ちつとは泣いて

下んせと 泣きしみづけば一座の女郎 主(あるじ)お清も供涙 座もめいりてぞ見へにける 名山は目

も早く アレ通り筋から旦那様 こちらははづそと我一に 逝ぬるとくると摺り違ひ 梅川が親方槌

 

屋の次右衛門 門口から指し覗き ホ梅川爰にか 曲輪中を尋ね廻つた と云て外の事でもない 知りやる通り

其方(そなた)の身分 田舎のお客から見受けの談合 外へはやらぬと忠兵衛様が 五十両の手附金 そなたや

爰のが段々の頼み故 先(せん)をやめて跡からの忠兵衛様へ極めた所 跡金もけふ迄渡らず 手附の日限も

一昨日限 アゝ是は難儀じや 先によい見受けが有た物と 悔んで見るも金事故 所へ丹波やの八右衛門

急にそなたの見受けがしたい 是非に今夜は埒してくれ 追付金を渡そふときついせき様 斯方々から

身請/\と云てくるは そなたも大慶親方も仕合せなれば 八右衛門殿へやる程に マアそふ心得て悦んでたもと

案じるさなかへぼつかりと 云出す見受け梅川は はつと返事も涙ぐみ 差し?(うつぶ)いて居たりしが 迚も云はねば叶は

 

 

35

ぬ事と 笑顔作つて申旦那様 お前の前では云にくけれど 忠兵衛様とは深い仲 外の客の害にも成り 親方

様へも不奉公 其手前も有れば今のお咄し 否とは云れぬ義理なれど 八様と忠様とは 兼て私が身の上を

せり合んした中なれば 其八様へ片付てはどふもせ間へ立ませぬ 幸い忠兵衛様も 思ひがけない大金が

手に入ったと云ふ便り 今宵中には見へませふ ならふ事ならこちらへやつて 八様の方へは変返して下さんせと 一寸遁れ

の間に合いも 親方欺(だま)すも つらさの余り 次右衛門點頭く呑込み顔 四年以来(このかた)忠兵衛殿はそなたの

虫 アノ人故大分金を設け損なひ 堰たい心に成て居る親方に 云にくい事よふ云やつた 遖女郎じや

義理知りじや 是で日頃の恨みは晴れたが 今夜の切りに立てねばならぬ金が有る故 ふと八右衛門殿へ約束

 

はしたれど 義理をかいて変替(へんがえ)して そなたの云条立ててやろ 一代持った男を否と思ふては添はれまい 持ちまる

長者に成にもせい むごい親方じやと云れては 此次右衛門心が済まぬと 慈悲と義心で打固めた

槌屋は男 一疋也 忠兵衛はうか/\と 恋の綱手に引かるゝか 又死神の釣瓶縄 井筒が内を指し

覗けば 台所には梅川が親方と差し向ひ 涙ぐんだる体を見て 折も悪しと中戸の預けに 暗がり

にぞ隠れ居る 金の口入れ手合いの由兵衛 ぶつ/\わかして井筒やの 中戸ぐはらりと御赦されませ

次右衛門様は是にかな 誰じや フウ由兵衛か ヤ由兵衛か所じやござりませぬはいの 受け判なされた金

はどふして下さります 私が世話した金 切が伸びては金主へ口か利かれませぬ 夫(それ)で前方(かた)から念を入れて置き

 

 

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ましたに けふの明日のと云てござるは イヤモ御仁体に似合ませぬ ヲゝ尤々 シタガ先にも如在はない

三つに成る子が中風を煩ふ外借(げしゃく)腹の親仁が聟入するやら 何やかや取込んでの延引 不詳ながらマア

一両日待てやりや イヤコレ申そりやどふ㨸(なぶ)らしやりますのじや 先の人はかまはぬぞへおれが受けに

立つからは 先の相人が不埒なればこちから済ます 一日でも延ばしたらたんと有る女郎の内どれ成りと望み次第

連れていねと迄おつしやつたお詞 よもや忘れはなされますまい ハテ何の忘れふぞい コレ 爰に居る

梅川も知りやる通りこちの抱へ 弐百両で受け出される約束 其金が来次第 高が百両の

端金 こつちから取かへて済ましてやる 金の来る迄待たがよい ハテいつくるやら伸び/\な そんな事を当てには

 

得せぬ 目の前に有此女郎 さつぱりと渡さしゃれ 味(うま)ひ事云たはけ者 金のかたに女郎やつて

立つ物か あんだら尽せ ヤあんだらのたはけのとは口が過ぎると角目立ち 肘張りかけてせり合ふ折節 通り

筋から横切るに 邪(ゆが)んだ金を懐中しいそ/\来たる八右衛門 次右衛門爰に居やるげなと つゝと上つて 大あぐら

サア約束の通り梅川が身の代弐百五十両 改めて受取りやと 差し出しても目もやらず

弐百五十両さして有難い事もない 我遊ぶ茶屋でもないに 女主(おなごあるじ)と侮つて 案内も

せず座敷へ踏込(ふんごみ) 五文と五文の次右衛門が鼻の先で大あぐら 其金をかうにきて 人を直下に見下

すのか そんな無礼不躾者に 子も同然の女郎はやらぬ 金は入らぬ持ていにや ヤわりやあぢな事

 

 

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を杢(もく)に付けるな 此八右衛門男じやぞ 男が極めた見受け 変違(へんがい)に逢ふては立たぬはい ハテ約束変

替常のならひ 金はそつちの女郎はこつちの 別(べち)に損も徳もない 否といふたら金輪際否じや

ぞ ヲゝ損徳のない事なら何ぼなりと変替なされ こちは百両借したのじや 何と今済まさしやるか

此おやま連れていのか まだ侗尽くす 弐百五十両持て来てさへやらぬ女郎 百両の形にやらふかい コレ

治右衛門 そりや我儘といふ物じや 手形が有は事に寄て十両の形にでもやらざ成るまい 今此

金で見受けさしやると 三方司法の仕合せといふ物 但しせかして金を滄(?いぢ)り上るのか そりやむ

さい げしんが悪いぞ フウ何と云八右衛門 曲輪は勿論大坂中に名の通つた此次右衛門 人に頼まれたに寄

 

て無理も云ふ 気儘も云ふ 身の為にびたひらなか むさい事する男じやないぞ コレ梅川何泣くのじや おれが

手前を気の毒涙か 大事ない/\と 頼もしい程気の毒さ 幾瀬の思ひにくれ居たる 八右衛門居直つて エゝ人

に頼まれたとはならずの忠兵衛が頼んだか アゝわるい合点 尤千両取り扱ふ様なれど ありや皆(みんな)人の物 金

に一夜の宿借す飛脚屋 手限といふて家屋敷 家財かけて廿貫目には足らぬ身代 夫かマア弐百五十

両 盗みせふは知らぬ事 逆様にして震ふても衂(はなぢ)出よふが金は出ぬ 手附に渡した五十両 どこから出たと

思し召 おれが所へくる江戸為替 宙でくすねた盗み物 其尻が割れて催促すりや とこほへ廻つて手を合し 仏の

様な我抔を欺して 渡しもせぬ金に受取りさせ 横に寝る大衒 あの上は親の勘当 俵の着る物追付け着

 

 

38

よふと 悪口聞て花車中居 禿(かぶろ)小嬬(こめろ)に至る迄 ひよんな心にならんしたと 贔屓する程苦にやめば 次右衛門

由兵衛も済まぬ顔 はつと斗に梅川は 顔を畳に擦り付けて声を隠して 泣き居たる 短気は損気 気を

いる忠兵衛 三人寄らば公界(くがい)の中 恥頬(つら)かゝされ其上に 傍に居る梅川が 心は死んでも仕廻たかろ 此懐

の三百両 ほり出して存分云ふか され共是は屋敷の金 しほらしいお諏訪が心底 有難い母者人の お

慈悲を無下にするも残念と いふて胸へ突っかくる 此口惜しさがどふならふと 懐手を幾度か 入たり出し

たり気もうろ/\ 性根泣く雁若鳥の陸(くが)にまどへる心地して 鶍(いすか)の此角(はし)の喰違ふ心を知らぬぞ 是

非なけれ 八右衛門はしたり顔 何と皆聞くやつたか 友達さへ衒る忠兵衛 もふあれから巾着切 家尻(やじり)切 終には

 

首を斬られおろ そふでなくば心中するか 女郎の衣装を盗むか借(かる)か 片小鬢を剃り落とされ 大門口に肆(さら)

されて 友達迄の頬汚し 川主もぐつつり思ひ切りや 次右衛門も相人になりやんな 爰の内へも寄せぬが能いぞや

物盗まれるかとこぞでは 火を付けおらふも知れぬぞやと 口喚讒(わんざん)に梅川は 監視委と いとしいと身のはかなさを取交ぜて

胸も張り裂く忍び泣き 刃物が有らば舌を切り 切て成り共死にたいと身をもだへれば中戸には 忠兵衛は若気といひ

元来悪い癇癪持ち 胸先へ差し込む虫 押さへ兼てつゝと入 僭上を張る曲輪で 忠兵衛が身体の棚嵐忝い 渡

さぬ金に受取を書いて貰ふたも頼もしづく 夫(それ)を世間で??(ふいてう:吹聴)するが男か おれが目からは犬と見へるはい 五十両

や百両で 友達に損かける忠兵衛じやないぞ 盗まいでも衒らいでも 大和から敷金に持て来た三百両 コリヤ

 

 

39

見てくれと財布の紐解くゟ早ふどさ/\/\ 包ほどいて十廿始終詰らぬ五十両 くる/\と引包み

サア受け取れ八右衛門と 眉間へ丁ど打ち付けられ 目もくらむ程痛けれど屹相(きつさう)に気を呑まれ 金さへ取れば言い分

ないと 儕が金も一くるめ 懐に捻込み押込み 跡をも見ずして逃帰る 梅川始め一座もうき/\ 忠兵衛は

弐百両 次右衛門が前に置き 先達ての五十両と 都合弐百五十両 八右衛門へ頬当なれば ちつ共早ふ梅川を連れ

て宿へ帰りたい 其元の御深切お礼は緩りと申し上げふ 早ふ/\と頼むにぞ イヤモ好いた所へ梅川をやれば私も安堵

気づかひなされな 今の間に門出をさします 先づお目出たい/\ サア由兵衛も此内百両 こちで渡そと打連れて

帰れば花車は勇み立ち ない程はないも金 有る段には又有る物 川殿嘸嬉しかろ 悦び事に酒にせふこいよ/\と立騒

 

げば アゝ置きや/\ 祝ひ事は跡でする 宿の祝儀諸方の祝儀 其時一しよに急度渡せふ 是迄の算

用残り五百目斗 何かなしに ソレ拾両 是で帳を消しておきや 此門出はどふじやいのと 立そに立て

気をせけば イエ/\身請の衆は親方の判切ってから 宿老殿で見ず帳消し 月行事から札取らねば大門が出られ

ませぬ シタガきついおせきなれば 私がちよつと行てさんじよ りんも濱も五兵衛もおじや 宿老殿

から月行事手分けしていこサア/\と 皆引き連れて急ぎ行く サア/\此間に身拵へ べた/\した形(なり)取置て 帯

もしつかり裾短かと めつたにせけば不審立て 四年以来(このかた)曲輪へ来て 門出の訳も知ったお前 何で其様に

せかしやんすと いふ顔見るゟわつと泣き 可愛や何にも知らぬ故 そふ思ふは尤じや 今の小判はお屋敷

 

 

40

の為替金 ちらしたればモウ首沙汰 随分堪へて見たれ共 男気な親方の顔を潰すが口惜く

八右衛門が悪口(あくこう)雑言どふも斯もたまられず 可愛ひそなたが人中で恥かくが悲しさに ふつと金に

手をかけて 引かれぬが男の役 破れかぶれの今の見受 地獄の上の一つ足飛び そなたも繋がる

因縁じやと 思ふていつしよに飛んでたも ひよんなおれに逢い初めて 供に苦労がいとしいと 縋り歎け

ば梅川も はつと斗に身はわな/\ 声も涙に震ひしが 苦労は互いに同じこと もふ此段になつたれば悔む

事も歎きもない 常々云たは爰の事 二人死ぬればわしや本望 命が惜しくととつくりと 思案極めてくだ

さんせ ハテ命生けふと思ふて こんな事が成る物か 生きらるゝたけ添はるゝたけ 一日成と女夫に成り 高は死ぬると

 

覚悟仕や 去ながら母者人お諏訪も跡で嘸や嘸 義理しらず物しらず 犬よ猫よとお呵り

お恨み 今見る様で情ない 悲しいかれ共堪忍袋 切たが因果の寄り合い 何事も因縁づく

と 赦して下され赦してたもと 声も惜しまぬ詫び涙 ヲゝそふでござんす共 嘸母御様やお諏訪殿

私を鬼共外道共 恨んで斗ござんせふ お赦しなされて下さりませ 恨みられても憎まれても

離れられぬが互の悪縁 一日成と女夫にとは 可愛らしい事よふ云て下さんした 生きらるゝ

たけ此世で添い 長い未来で長ふ添ふ 必ず二世も三世もと袖から袖へ手を入て抱きしめ/\泣きけるが 今で

も若しやお宿から 人が来ては邪魔に成る ちとの間爰へと衝立の後ろへ隠せば忠兵衛は 兎角死に身と

 

 

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合点して そなたの回向はわしがせふ そなたはおれが回向をと 伸び上がつて顔差し出せば ハアゝ悲しやいま/\しい

ちやつと据(すは)つて下さんせ いやな物に似たはいなと 虫が知らした物いまひ 呂色(ろいろ)の縁にしがみ付き むせ

返りてぞ呌(叫)泣き 程なく家内立帰り サアどこもかも埒が明いた 門出の勝手も近いがよいと 西口へ

札が廻つたと 聞くも西方西向きの 知らせと二人はわな/\と さらば/\も震ひ声 お寒そぐなに酒

はいな イヤ/\/\ 何の酒が咽通らふ 皆様健(まめ)で居さんせへ アイ/\/\ お目出たいと申さふか お名残

惜しいと申さふか千日云ても飽はない 其千日が肝先へ焼き場の土には得成るまいと いふて出るのが

曲輪の名残 暫しの栄華も人の金 果は砂場を打ち過ぎて跡は 野となれ大和路へ足に 任せて〽走り行く