仮想空間

趣味の変体仮名

源氏物語(三十六)柏木

 

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/pid/2567594

 

1

かしは木

 

2

衛門のかんの君。かくのみなやみわたり給こと猶

おこたらでとしもかへりぬ。おとゞ北の方おぼし

なげくさまをみたてまつるに。しいてかけはな

れなん命かひなく。つみおもかるへきことをおもふ

心は心として。又あながちに此世にはなれがたく

おしみとゞめまほしき身かは。いはけなかりし

程より。思ふ心ことに。なにごとをも人にいまひと

きはまさらんと。おほやけわたくしのことにふ

れて。なのめならず思ひのぼりしかど。その心か

なひ(叶い)がたかりけりと。ひとつふたつのふし(節)ごとに

身を思おとして(思い落として)し。こなた。なべての世中すさ

 

 

3

ましう思ひなりて後の世のおこなひにほいふ

かくすゝみにしを。おやたちの御恨を思て。野山に

もあくがれむ。みちのおもきほだしなるべくおぼ

えしかば。とさまかうさまにまぎらはしつゝす

ぐしつるを。ついに。なを(猶)世にたちまふべくもお

ぼえぬもの思ひの一かたならず。身にそひにたるは。

われよりほかにたれかはつらき心づからもてそ

こなひつるにこそあなれ。と思ふにうらむべき

人もなし。神仏をもかこたんかたなきは。これみな

さるべきにこそはあらめ。たれもちとせの松ならぬ世

はついにとまるべきにもあらぬを。かく人にもす

 

こしうちしのばれぬべきほどにて。なげ(かりそめ:いいかげん)の哀をも

かけ給はん人あらんをこそは。ひとつ思ひにもえ

ぬるしるしにはせめ(しよう)。せめてながらへばをのづから

あるまじき名をもたち。われも人もやすからぬ

みだれいでくるやうもあらんよりは。なめし(失礼:無礼)と。心

を(置)い給へらんあたりにも。さりともおぼしゆる(許)い

てんかし。萬の事今はのとぢめ(死に際)には皆きえ

ぬべきわざなり。又ことざまのあやまちしな

ければ。年ごろものゝおりふしごとには。まつはし

ならひ給にしかたのあはれもいできなんなど

つれ/\に思ひつゞくるもうちかへしいとあぢ

 

 

4

きなし。などかく。ほどもなくしなしつる身な

らんと。かきくらし思みだれて枕もうきぬばかり

人やりならずながしそへつゝ。いさゝかひまあり

とて。人々たちさり給へる程に。かしこに御文

たてまつれ給。いまはかぎりになりにて侍るあ

りさまは。をのづからきこしめすやうも侍らんを。

いかゞなりぬるとだに御みゝとゞめさせ給はぬも

ことはりなれど。いとう(憂)くも侍るかななど聞ゆるに。

いみじうわなゝけば。思ふこともみなかきさして

 (柏木)いまはとてもえんけふりもむすぼゝれたえぬお

もひの猶やのこらんあはれとだにの給はせよ。

 

心のどめて人やりならぬやみにまどはん道のひか

りにもし侍らんと聞え給。侍従にもこりずま

にあはれなることゞもいひをこせ給へり。みdから

もいま一たびいふべき事なんとの給へれば。この

人もわらはよりわるたよりに参りかよひつゝ

みたてまつりなれたる人なれば。おほけなき心

こそうたておぼえ給へれ。今はときくはいとかなし

うて。なく/\猶この御返りまことにこれをとぢ

めにもこそ侍れと聞ゆれば。われもけふかあすか

の心ちして。もの心ぼそければ。大かたのあはれ

ばかりは思ひしらるれと。心うき事と思ひ

 

 

5

こりにしかば。いみじうなんつゝましきとてさ

らにかい給はず。御心本上のつよくづしやか(重々しい)なる

にはあらねど。はづかしげなる御けしきのおり/\

にまほならぬがいとおそろしうわびしきなるべし。

されど御すゞりなどまかなひてせめ聞ゆれば。

しぶ/\にかい(書い)給。とりて忍びてよいのまぎれに

かしこに参りぬ。おとゞはかしこきおこなひ人。かづ

らきやまよりさうしいでたる。まちうけ給て

かぢまいらせんとし給。御ず法。ど経などもいと

おどろ/\しうさはぎたり。人の申すまゝに

さま/\゛ひじりだつ。げんざなどおさ/\世に

 

もきこえず。ふかき山にこもりたるなどをも。お

とうとの君達をつかはしつゝたづねめすに。けに

くゝ(無愛想で)。心づきなき山ぶし共などもいとおほくま

いり。わづらひ給さまのそこはかとなく物を心

ぼそく思て。ね(音)をのみとき/\なき給。をんやうし(陰陽師

なども。おほくは女のりやう(霊)とのみうらなひ申け

れば。さる事もやとおぼせど。さらにものゝけのあ

らはれいでくるもなきに。おもほしわづらひて

かゝるくま/\゛をも尋給なりけり。このひじり

も。たけたか(丈高)やかに。まぶし(目伏:目つき)つべたましく(冷酷:冷たい光を放ち)て。あらゝ

かにおどろ/\しく。だらによむを。(柏木)いであなにく(憎)

 

 

6

や。つみのふかき身にやあらん。だらにのこえたか

きはいとけおそろ(気恐ろ)しうて。いよ/\しぬべくこそお

ぼゆれとて。やをらすべり出て。此侍従とかたらひ

給。おとゞはさもしり給はず。打やすみたるを人々

して申させ給へば。さおぼしてしのびやかにこの

ひじりとものがたりし給。をとなひ給へれ

ど。なをはなやぎたる所つきて。ものわらひし

給。おとゞのかゝるものどもとむかひいて。此わづらひ

そめ給しありさま。なにともなくうちたゆめ

つゝをもり給へること。まことにこの物のけ。あら

はるべうねんじ給へなどこまやかにかたらひ給

 

もいとあはれなり。(柏木)かれきゝ給へ。何のつみともお

ぼしよらぬに。うらなひよりけん女のりやうこ

そ。まことにさる御しう(執)の身にそひたるならば。

いとはしき身をひきかへ。やんごとなくこそなり

ぬべけれ。さてもおほけなき心ありて。さるまじき

あやまちをひきいでゝ。人の御名をもたて。身

をもかへり見ぬたぐひ。むかしの世にもなくやは

ありけると思なをすに。猶けはひわづらはしう。

かの御心にかゝるとがをしられたてまつりて。世に

ながらへんことも。いとまばゆくおぼゆるは。げにこ

となる御ひかりなるべし。ふかきあやまちも

 

 

7

なきに。見あはせ奉りし夕の程よりやがて

かきみだ(乱)りまどひそめにし玉しい。身にもかへ

らずなりにしを。かの院のうちにあくがれありかば。

むすびとゞめ給へよなどいとよはげに。から(殻)のやう

なるさまして。なきみ。わらひみ。かたらひ給。宮(女三)も

物をのみつゝましう。はづかしうおぼしたるさ

まをかたる。さてうちしめりおもやせ給へらん御

さまのおもかげにみ奉る心ちして。思ひやられ

給へば。げにあくがるらんたまやゆきかよふらんな

どゝ。いとゞしき心ちもみだるれば。今はさらに此

御ことよかけても聞えじ。この世はかうはかな

 

くてすぎぬるを。なかき世のほだしにもこそと

思ふなん。いと/\おしき心ぐるしき御ことを。

たいらかにとだにいかできゝを(置)い奉らん。見し昔

を心一(ひとつ)に思ひあはせて。またかたる人もなきが

いみじう。いぶせくもあるかなゝど。とりあつめ

思ひしみ給へるさまのふかきを。かつはいとうたて

おそろしう思へど。あはれはたえしのばず。この

人もいみじうなく。しそく(紙燭)め(召)して御返り見給へば。

御ても猶いとはかなげにおかしきほどにかい給て。

心ぐるしうき(聞)ゞながら。いかでかはたゞをしはか

りのこらんとあるは

 

 

8

 (女三の宮)たちそひてきえやしなましうきことを

思ひみだるゝけふりくらべにをくるべうやはと

ばかりあるをあはれにかたじけなしと思ふ。いで

やこのけふりばかりこそは。この世の思ひ出ならめ。

はかなくもありけるかなといとゞなきまさり

給て。御返ふしなからうちやすみつゝかい給。こと

のはのつゞきもなう。あやしきとりのあとの

やうにて

 (柏木)行衛なき空のけふりとなりぬとも思ふあ

たりをたちはゝなれじ夕(ゆふべ)はわきてながめさ

せ給へ。とがめ聞えさせ給はん人めをも。今は心

 

やすくおぼしなりて。かひなきあはれをだにも

たえずかけさせ給へなどかきみだりて。心ちの

くるしさまさりければ。よしいたうふけぬさき

にかへりまいり給て。かくかぎりのさまになん

とも聞え給へ。いまさらに人あやしと思ひあ

はせんを。我世の後さへ思ふこそくるしけれ。い

かなるむかしのちぎりにて。いとかゝることしも

心にしみけんと。なく/\いざりいり給ぬれば。

れい(例)はむこ(無期)にむかへすべてすゞろ事をさへ。いはせ

まほしうし給ふを。こと(言)ずくなにてもと思ふが

哀なるに。えもいでやらず御有さまをめのと(乳母)も

 

 

9

かたりていみじくなきまどふ。おとゞなどのお

ぼしたるけしきぞいみじきや。きのふけふ。す

こしよろしかりつるを。などかいとよはげには見

え給ふとさはぎ給。なにかなを。とまり侍まじ

きなめりと聞え給て。身づからもな(泣)い給。宮は

このくれつかたよりなやましうし給けるを。其

御けしきとみたてまつりしりたる人々さ

はぎみちて。おとゞにも聞えたりければ。おどろ

きてわたり給へり。御心のうちは。あな口おしや。

あもひまじるかたなくて見奉らましかば。め

づらしううれしからましとおぼせど。人には

 

けしきもらさじとおぼせば。げんざ(験者)などめし。

ず(修)法はいつとなくふだんにせらるれば。そう(僧)ど

もの中に。げん(験)あるかぎりみなまいりて。かぢま

いりさはぐ。よひと夜なやみあかさせ給て。日さ

しあがるほとに生れ給ひぬ。おとこぎみときゝ

給に。かくしのびたることのあやにくに。いちじるき

かほつきにて。さしいで給へらんこそ心ぐるしかる

べけれ。女こそ何となくまぎれ。あまたの人の見

ぬものなれば。やすけれとおぼすに。またかく心

うぐるしきうたがひまじりたるにては。心やす

きかたにものし給ふもいとよしかし(良いと思う)。さても

 

 

10

あやしや。我世とゝもにおそろしと思し事

のむくひなめり。この世にてかく思ひかけぬこと

にむかはりきぬれば(応酬を受けたのだから)。後の世のつみもすこしかろ

みなんやとおぼす。人はたしらぬ事なれば。かく

心ことなる御はらにて。すえにいでおはしたる

御おぼえいみじかりなんと思。いとなみつかうま

つる。御うぶや(産屋)のぎしき。いかめしうおどろ/\し。

御かた/\゛さま/\゛にしいで給。御うぶやしなひ(産養い)

よのつねのおしき(折敷)。ついがさね(衝重)たかつき(高坏)などの

心ばへも。ことさらに心/\゛にいと(挑)ましさみえつゝ

なん。五日の夜中宮の御方より。こもちのおまへ

 

のもの。女房のなかにもしな/\゛におもひあてた

るきは/\。おほやけごとにいかめしうせさせ

給へり。御かゆ(粥)とんじき(屯食)五十具。ところ/\゛のきやう(饗)。

院のしもべ。ちやう(庁)のめしつぎ(召次)所。なにかのぐ(隈)まで。

いかめしくせさせ給へり。宮つかさ大夫よりはじ

めて。院の殿上人みなまいれり。七夜はうちより。そ

れもおほやけざまなり。ちゝのおとゞなど心ことに

つかうまつり給べきに。此ごろはなにごともおぼさ

れで。おほぞう(通り一遍)の御とふらひのみぞありける。宮

たちかんだちめなどあまたまいり給。大かたの

けしきも世になきまでかしづき聞え給へど。

 

 

11

おとゞの御心のうちに心ぐるしとおぼす事あ

りて。いたうもてはやし聞え給はず。御あそ

びなどはなかりけり。宮はさばかりひはづなる(とても華奢な)御

さまにて。いとむくつけう(気味悪く)ならはぬことのおそろ

しうおぼされけるに。御ゆなどもきこしめさず

身の心うきことを。かゝるにつけてもおぼしいでば。

さばれ(いっそ)このついでにも。し(死)なばやとおぼす。おとゞは

いとようひとめ(人目)をかざりおぼせど。まだむつかし

げにおはするなどをとりわきてもみたてあmつり

給はずなどあれば。お(老)いしらへる人などは。いでやを

ろそかにもおはしますかな。めづらしくさしいで

 

給へる御さまのかばかりゆゝしきまでにおはし

ますをなど。うつくし見(いとおしく)聞ゆれば。かたみゝにきゝ

給て。さのみこそはおぼしへだつることもまさらめ

とうらめしう。わが身つらくて尼になりなばや

の御こゝろつきぬ。よるなどもこなたには御とのご

もらず。ひるつかたなどぞさしのぞき給。世中の

はかなきをみるまゝに。ゆくすえみじかうもの心

ぼそうて。おこなひがちになりにて侍れば。かゝる

ほどのらうがはしきこゝりするにより。えまい

りこぬを。いかゞは御心ちはさはやかにおぼしなり

にたりや。心ぐるしうこそとて。御几帳のそばよ

 

 

12

りさしのぞき給へり。御くしもたげ給て。なをえ

いきたるまじき心ちなんし侍るを。かゝる人は

つみもをも(重)かなり。あまになりてもしそれにも

や。いきとまると心み。又なくなるともつみをうし

なふ事にもやとなん思侍ると。つねの御けはひ

よりはいとおとなびてきこえ給を。いとうたてゆゝ

しき御事なり。などてか。さまではおぼす。かゝる

事は。さのみこそおそろしかなれど。さてながらへぬ

わざならばこそあらめ。と聞え給。御心のうちには。

まことにさもおぼしよりての給はゞ。さやうにて

みたてまつらんは。あはれなりなんかし。かつ見つゝ

 

もことにふれて心を(置)かれ給はんが心ぐるしう。我な

がらも。え思ひなをすまじう。うきことうちまじ

りぬべきを。をのづからをろかに人の見とがむる

事もあらんが。いと/\おしう。院などのきこしめ

さん事もわがをこたりにのみこそはならめ。御な

やみにことつけて。さもやなしたてまつりてまし。

などおぼしよでろ。またいとあたらしう哀に。かば

かりとを(遠)き御ぐし(髪)のお(生)ひさきを。しかやつさん

ことも心ぐるしければ。なをつよくおぼしなれ。

けしう(奇異:悪い)はおはせじ(心配無用)。かぎりと見ゆる人もたいらか

なるためしちかければ。さすがにのみある世になん

 

 

13

など聞え給て。御ゆまいり給。いといたうあをみ

やせて。あさましうはかなげにてうちふし給へる

御さま。おほときうつくしげなれば。いみじきあや

まちありとも。心よはくゆるしつべき御ありさ

まかなと見奉り給。山のみかど(朱雀院)はめづらしき御こと

たいらかなりときこしめして。哀にゆかしうおも

ほすに。かくなやみ給ふよしのみあれば。いかに物し

給ふべきにかと御おこなひもみだれておぼしけり。

さばかりよはり給へる人の物をきこしめさで。日

ごろへ給へば。いとたのもしげなくなり給て。とし

ごろみたてまつらざりし程よりも。院のいとこひ

 

しくおぼえ給を。又も見奉らずなりぬるにやと

いたうない給ふ。かくきこえ給さま。去るべき人

してつたへそうせさせ給ければ。いとたへがたくかな

しとおぼしてあるまじきことゝはおぼしめしな

から。よにかくれていてさせ給ふ。かねてさる御せう

そこもなくて。にはかにかくわたりおはしまいたれば。

あるじの院おどろきかしこまりきこえ給。世中を

かへりみすまじうおもひ侍しかど。猶まどひさめ

がたきものは。このみちのやみになn侍りければ。おこ

なひもけだいして。もしをくれ。さきだつみちの

だうりのまゝならでわかれなば。やがてこのうらみ

 

 

14

もや。かたみにのこらんとあぢきなさに。此世のそし

りをばして。かく物し侍るときこえ給。御かたち

ことにても。なまめかしうなつかしきさまにうち

しのび。やつれ給て。うるはしき御ほうぶくならず。

すみぞめの御すがたあらまほしうきよらなるも。

うらやましくみたてまつり給。れいのまつなみだ

おとし給。わづらひ給御さま。ことなる御なやみにも

侍らず。たゞ月ごろよはり給へる御ありさまに

はか/\゛しう物などもまいらぬつもりにや。かく

ものし給にこそなどきこえ給。かたはらいたきお

まし(御座所)なれどもとて。み丁(御帳)のまへに御しとねま

 

いりて。いれたてまつり給。みやをもとかう人々

つくろひ聞えて。ゆかのしもにおろし奉る。御几

帳すこしをしやらせ給て。よい(夜居)のかぢ(加持)のそう(僧)

などの心ちすれど。またげん(験)つくばりのおこ

なひにもあらねば。かたはらいたけれど。たゞおぼつか

なくおぼえ給はんさまを。さながら見給べきな

りとて御めをしのごはせ給。宮いとよはげに

ない給て。い(生)くべうもおぼえ侍らぬ(とても生きられそうにない)を。かくおはし

まsたるついでに尼になさせ給てよと聞え

給。さる御ほい(本意)あらば。いとたうときことなるを。さ

すがにかぎらぬ命のほどにて。ゆくすえとをき

 

 

15

人は。かへりてことのみだれあり。よの人にそしら

るゝやう有ぬべき事になん。なをはゞかりぬべき

なんとの給はせて。おとゞの君にかくなんすゝみの

給を。今はかぎりのさまならば。かたときの程にて

もそのたすけあるべきさまにてとなん思ふ給ふ

るとの給へば。日頃もかくなんの給へど。ざけ(邪気)などの

人の心たぶらかして。かゝるかたにすゝむるやうも

侍るなるをとて。きゝもいれはべらぬなりと

聞え給。物のけのをしへにてもそれにまけぬと

てあしかるべき事ならばこそはゞからめ。よはり

にたる人のかぎりとてものし給はんことを

 

きゝすぐさむは。後のくい心ぐるしうやとの給。御

心のうちにはかぎりなううしろやすくゆづりを

きし大事をうけとり給て。さしも心ざしふか

からず。我思ふやうにはあらぬ御けしきをことに

ふれつゝとしごろきこしめしおぼしつめける

こと。色にいでゝうらみきこえ給べきにもあらねば。

世の人の思ひいふらん所も口おしうおぼしわたる

に。かゝるおりにもてはなれなんもなにかは人

わらへ(笑え)に世をうらみたるけしきならで。さもあら

ざらん。おほかたのうしろみには猶たのまれぬべき

御をきてなるを。たゞあづけをきたてまつりし

 

 

16

しるしには思ひなして。にくげにそむくさまには

あらず共。御そうぶん(処分)にひろくおもしろきみや(宮)給(賜)

はり給へるを。つくろひてす(住)ませ奉らん。わがおはし

ますよに。さるかたにてもうしろめたからずきゝ

をき。またかの(彼)おとゞも。さいふ(そう言う)ともいとをろかには

よも思ひはなち給はじ。その心ばへをもみはてん

などおもほしとりて。さらばかく物したるつい

でに。いむことうけ給はんをだにけちえんに

せんかしとの給はす。おとゞの君うしとおぼすか

たもわすれて。子はいかなるべきことぞとかなしく

くちおしければ。えた(堪)へ給はず。うちにいりて。など

 

か。いくばくも跳ねるるまじき身をふりすてゝ。かう

はおぼしなりけるぞ。なをしばしこゝろをしづめ

給て。御ゆ(湯)まいりものなどをもきこしめせ。たう

とき事なりとも。御身よはうてはおこなひをもし

給ひてんや。かつはつくろひ給てこそと聞え給へ

ども。かしらふりていとつらうの給とおぼしたり。

つれなくてうらめしとおぼすこともありけるにや

とみたてまつり給ふに。いとおしうあはれ也。とかう

聞えかへさひおぼしやすらふ程に。夜明方になり

ぬ。かへりいらんに。道もひるははしたなかるべし(昼は人目につく)と

いそがせ給て。御いのりにさふらふなkに。やむ事

 

 

17

なうたうときかぎり。めしいれて御ぐしおろさ

せ給ふ。いとさかりにきよらなる御ぐしをそぎ

すてゝ。いむ事うけ給はさ法(作法)。かなしう口おしければ。

おとゞはえしのびあへ給はず。いみじうない給ふ。院

はた(院は)。もとよりとりわきてやんごとなう人よりも

すぐれてみ奉らんとおぼしゝを。この世にはかひなき

やうにないたてまつるも。あかずかなしければ。うち

しほれ給ふ。かくてもたいらかにておなじうは。ねん

ずをもつとめ給へ時声をき給て。あけはてぬ

にいそぎいでさせ給ぬ。宮はなをよはうきえいる

やうにし給ひて。はか/\゛しうもえみたてまつり

 

給はず。ものなども聞え給はずおとゞもゆめの

やうに思ひ給へ。みだるゝ心まどひにかうmかしお

ぼえたる。みゆきのかしこまりをもえ御らんぜら

れぬらうがはしさは。ことさらにまいり侍てなn

ときこえ給。御をくりに人々参らせ給。世中の

けふかあすかにおぼえ侍しほどに。またしる人も

なくてたゞよはむことのあはれにさりがたうお

ぼえ侍しかば。御ほいにはあらざりけめど。かうき

こえつけて。とし頃は心やすく思給へつるを。もし

もいきとまり侍らば。さまことにかはりて人しげ

きすまひは。つれなかるべきをさるべきやまざとに

 

 

18

かけはなれたらんありさまも。又さすがに心ぼそ

かるべくや。さまにしたがひてなをおぼしはなつま

じくなんと聞え給へば。さらにかくまでおほせら

るゝなん。かへりてはづかしう思ふ給へらるゝみだり心

ち。とかくみだれ侍てなにごともえわきまへ侍らず

とて。げにいとたへがたげにおぼしたtり。後夜の御

かぢに御ものゝけいできて。かうぞあるよ。いとかしこう

とりかへしつと。ひとりをはおぼしたりしが。いと

ねたかりしかばこのわたりにさりげなくてなん。

日ごろさふらひつる。今はかへりなんとて打わらふ。

いとあさましう。さは此ものゝ気のこゝにもあなれ

 

ざりけるにやあらん。とおぼすにいとおしうくやし

うおぼさる。みやはすこしいき出給ふやうなれど。な

をたのみがたげにみえ給ふ。さふらふ人々もいtふ

かひなうおぼゆれど。かうてもたいら(平)かにたにおはし

まさばとねんじつゝ。みす(御修)法またのべてたゆみなく

おこなはせなど。よろづにせさせ給ふ。かの衛門のかみ

は。かゝる御ことをきゝ給ふに。いとゞきえいるやう

にして。むげにたのむかたすくなうなり給にたり。

女宮のあはれにおぼえ給へば。こゝにわたり給はん

ことはいまさらにかろ/\゛しきやうにもあらんを。

うへもおとゞもかく(斯く)つとそ(添)ひおはすれば。をのづから

 

 

19

とりはづしてみたてまつり給やうにもあらんに

あぢきなしとおぼして。かの宮にとかくして今

一たびまうでむとの給ふを。さらにゆるし聞え給

はず。たれにもこの宮の御ことをきこえつけ給。はし

めよりはゝ宮す所は。おさ/\心ゆき給はざりしを。

このおとゞのいたち(居立ち:何度も)ねんごろ(懇願)に聞え給て心ざし

ふかゝりしにまけ給て。院にもいかゞはせんとおぼし

ゆるしけるを。二品の宮の御ことをおもはしみだれ

けるついでに。なか/\このみやは。ゆくさきうしろや

すくまめやかなるうしろみまうけ給へりと。の給

はすと聞給しを。かたじけなう思ひいづ。かくて

 

見すて奉りぬるなめりと思につけては。さま/\

いとおしけれど。心よりほかなるいのちなれば。たへ

ぬ契り恨めしうておぼしなげかれんが。こゝろ

るしきこと御心ざしありてとふらひ物せさせ

給へど。はゝうへにもきこえ給。いであなゆゝし。を

くれ奉りては。いくばく世にふ(経)べき身とて。かうま

でゆくさきのことをばの給とて。なきにのみなき

給へば。え聞えやり給はず。右大辯の君にぞおほ

かたの事どもはくはしう聞え給。こゝろばへのどか

によくおはしつる君だれば。おとうとの君だち

も又すえ/\゛のわかきは。おやとのみたのみきこえ

 

 

20

給へるに。かう心ぼそうの給ふをかなしと思はぬ人

なく。とのゝうちの人もなげく。おほやけにもおし

み口おしがらせ給。かくかぎりときこしめして

にはかに(柏木を)権大納言になさせ給へり。よろこびに思

おこして今一たびもまいり給やうもやあると

おぼしの給はせけれど。さらにえためらひやり給

はで。くるしき中にもかしこまり申給ふ。お

とゞもかくおもき御おぼえを見給につけても。

いよ/\かなしうあたらしとおぼしまどふ。大将の

きみつねにいとふかう思ひなげきとふらひ聞え

給。御よろこびにもまづまうで給へり。このおは

 

するたいのほとり。こなたのみかどは馬車たち

こみ人さはがしうさはぎみちたり。ことしとなり

てはおきあがることもおさ/\し給はねば。をも/\

しき御さまにみだれながらは。えたいめ(対面)し給はで。

思つゝよはりぬることゝ思ふにくちおしければ。

なをこなたにいらせ給へ。らうがはしきさまに侍(むさくるしい)

るつみ(罪)はをのづからおぼしゆるされなんとて。ふし

給へるまくらがみのかたに。そうなどしばしいだし

給て。いれたてまつり給ふ。はやうよりいつゝかへ

たて給事なkぅ。むつびかはし給御なかなれば。

わかれんことのかなしうこひしかるべきなげき。

 

 

21

おやはらからの御思ひにもをとらず。けふはよろこ

びとて心ちよげならまし物をと思ふに。いと

くちおしうかひなし。などかくたのもしげなくは

成給にける。けふはかゝる御よろこびにいさゝかすく

よかにもやとこそ思ひ侍つれとて。几帳のつまを

ひきあげ給へれば。いと口おしうその人にもあらず

なりにて侍やとて。えぼうし(烏帽子)ばかり。をしいれて。す

こしおきあがらんろし給へど。いとくるしげなり。

しろきゝぬどものなつかしうなよゝかなるをあ

またかさねて。ふすまひきかけてふし給へり。お

ましのあたり物きよげに。けはひかうばしう

 

心にくゝぞすみなし給へる。うちとけながらようい

ありと見ゆ。をもうわづらひたる人はをのづからかみ

ひげもみだれ。物むつかしきけはひそふわざなる

を。やせさらぼいたるしもいよ/\しろくあてはか

なるけして。枕をそばだてゝものなどきこえた

まふけはひいとよはげにいきもたえつゝ。あはれ

げなり。ひさしうわづらひ給へるほどよりはことに

いたうもそこなはれ給はざりけり。つねの御かたち

よりもなか/\まさりてなんみえ給との給物

から。なみだをしのごひて。をくれさきだつへだて

なくとこそちぎり聞えしか。いみじうもあるかな。

 

 

22

この御こゝちのさまをなにことにてをもり給と

だにえ聞わかい侍らず。かくしたしき程なからお

ほつかなくのみなとの給に。心にはをもくなるけ

ちめもおほえ侍らず。そこどころとくるしき事

もなければ。たちまちにかうも思ふ給へさりし程

に。月日もへてよはり侍りにければ。今はうつし心も

うせたるやうになんおしげなき身をさま/\に

ひきとゝめらるゝいのり。ぐはんなどのちからにや

さすがにかゝづらふも中々くるしうはべれば。心もて

なむいそぎたつ心ちのし侍る。さるはこの世のわかれ

さりがたき事はいとおほうなん。おやにつかう

 

まつりさして。いまさらに御心どもをなやまし。

君につかうまつる事もなかばの程にて身をかへ

りみるかた。はた。ましてはか/\゛しからぬうらみを

とゞめつる。おほかたのなげきをばさる物にて。又心

のうちに思い給へみだるゝことの侍るを。かゝるいまは

のきざみにて。なにかはもらすべきと思い侍れど。

猶しのびがたきことをだれにかはうれへ侍らん。こ

れかれあまた物すれど。さま/\゛なることにてさ

らにかすめ侍らんもあいなしかし。六条院にいさゝ

かのことのたがひありて。月ごろの心のうちにかし

こまり申ことなん侍しを。いとほいなう世中心

 

 

23

ぼそう思ひなりて。やまひつきぬと思ひ侍しに。

めしありて院の御賀のがく(楽)所の心みの日。まいり

て御けしきを給はりしに。なをゆるされぬ御

心ばへあるさまに。御まじりをみたてまつり侍

て。いとゞ世にながらへん事もはゞかりおほう(多う)お

ぼえなり侍りて。あぢきなう思給へしに。心の

さはぎそめてかくしづまらずなりぬるになん。

人かずにもおぼしいれだりけめど。いはけなう侍

りしときより。ふかくたのみ申す心の侍りしを。

いかなるざうげん(讒言)などのありけるにかと。これなん

この世のうれへにてのこり侍ければ。ろ(論)なうかの

 

後世のさまたげにもやと思ひ給ふるを。事のつ

いで侍らば。御みゝとゞめてよろしうあきらめ申

させ給へ。な(亡)からんうしろにも。このかうじ(勘事)ゆるされ

たらんなん。御とく(徳)に侍るべきなどの給ふまゝに。

いとくるしげにのみまされば。いみじうて心

のうちに思あはすることもあれど。さしてたし

かにはえしもをしはからず。いかなる御心のおにゝ

かは。さらにさやうなる御けしきもなく。かくをも

り給へるよしをも聞おどろきなげき給事

かぎりなうこそ。くちおしがり申給めりしかなど

かくおぼす事あるにては。いまゝでのこ(残)ひ給ひ

 

 

24

つらん。こなたかなたあきらめ申へかりける物を。今

はいふかひなしやとてとりかへさまほしうかなし

うおぼさる。げにいさゝかもひま有つるおりに。聞え

うけ給はるべうこそ侍けれ。されどいとかふけふ

あすとしもやはと。みづからながらしぬいのちの

ほどを思ひのどめ侍りけるも。はかなくなん。この

事はさらに御こゝろよりもらし給まじ。さる

べきついで侍らんおりには。御よういくはへ給へとて

きこえをくになん。一條には物し給ふ。みやこと

にふれてとふらひ聞え給へ。心ぐるしきさまに

て院などにもきこしめされ給はんをつくろひ

 

給へなどの給ふ。いはまほしきこと(言いたい事)はおほかるべ

けれど。心ちせんかたなくなりにければ。いでさせ

給ひねとて。かききこえ給ふ。かぢまいるそうど

もちかうまいり。うへおとゞなどおはしあつまり

て人々もたちさはげば。なく/\いで給ぬ女

御をばさらにも聞えず。この大将の御かたなども

いみじうなげき給。心をきてのあまねく人の

このかみ心にものし給ければ。右のおほいとのゝ北の

方もこの君をのみぞむつまじきものに思ひ聞え

給ひければ。よろづに思ひなげき給ひて。御いのり

などとりわきてせさせ給けれど。やむくすり(恋の病の薬)

 

 

25

ならねばかひなきわざになんありける。女宮にも

ついにたいめし聞え給はで。あはのきえいるやう

にてうせ給ぬ。年ごろしたの心こそねんごろに

ふかくもなかりしが。おほかたにはいとあらまほしくも

てなしかしづききこえて。なつかしう心ばへおかしう。

打とけぬさまにてす(過)ぐひ給ければ。つらきふしも

ことになし。たゞかくみじかゝりける御身にて。あ

やしくなべての世。すさましく思ひ給なりけり

と思ひいで給に。いみじうておぼしいりたるさま。いと

心ぐるし。宮す所もいみじう人わらへにくちおしと

みたてまつり。なげき給事かぎりなし。おとゞ北の

 

方などは。ましていはんかたなく。われにこそさきだゝ

め。よのことはりなうつらいことゝこがれ給へど。なにの

かひなし。あまみやはおほけなき心もうたてとのみ

おぼされて。世にながゝれとしもおぼさざりしを。

かくなどきゝ給ふはさすがにいとあはれなりかし。

わか君の御ことをさぞと主たりしも。げにかゝる

べき契りにてや。思のほかに心うきことも有けん

とおぼしよるに。さま/\゛物心ぼそうて。うちなが

れ給ぬ。やよひになれば。そらのけしきも。物うちゝ

かにて。この君いかのほどになり給て。いとしろう

うつくしう。ほど(日数)よりはおよすけて(成長:大人びて)。ものがたりなど

 

 

26

し給。おとゞわたり給ひて御心ちはさはやかになり

にたりや。いでやいとかひなくも侍かな。れいの御

ありさまにてかく見なし奉らましかは。いかにう

れしう侍らまし。心うくおほしすてける事と

なみたぐみてうらみ聞え給。日々にわたり給て。いま

しもやんごとなくかぎりなきさまにもてなし

聞え給。御いか(五十日)にもちい(餅)参らせ給はんとて。かた

ちことなる御さまを。人々いかになどきこえや

すらへど。院わたらせ給て。何か女に物し給はゞこ

そは。おなじすぢにていま/\しくもあらめとて

南おもてにちいさきおまし(御座)などよそひてまい

 

らせ給。御めのといと花やかにさうぞ(装束)きて。おまへの

物いろ/\をつくしたるこもの(籠物)。ひわりご(桧破籠)の心ばへ

どもをうち(内)にもと(外)にも。もとの心をしらぬ事なれば

とりちらしなに心もなきを。いと心ぐるしうまば

ゆきわざなりやとおぼす。宮もおきい給て。御ぐし

のすえの所せう(狭)ひろごりたるを。いとくるしとお

ぼして。ひたいなどなでつけておはするに。几帳を

ひきやりてい給へば。いとはづかしうてそむき給へる。

いとゞちいさうほそり給て御ぐしはお(惜)しみ聞えて。

なが(長)らそぎたりければ。うしろはことにけぢめも

みえ給はぬ程なり。すき/\゛見ゆるにび(鈍)色ども

 

 

27

の。き(黄)がちなる今やう色などき給て。まだありつか

ぬ御かたはらめ。かくてしもうつくしき子共の心ち

して。なまめかしうおかしげなり。いであな心う(憂)。す

みそめ(墨染)こそ。なを。いとうたて。め(目)もくるゝ(暗くなる)いろなりけれ。

かやうにても見奉る事はたゆまじきぞかしと

思なぐさめ侍れど。ふりがたうわりなき心ちする

涙の人わろ(悪)さをいとかう思ひすてられたてまつる

身のとがに思ひなすもさま/\゛にむねいたう口

おしくなん。とりかへすものにもかなや。とうちなげ

き給て。いまはとておぼしはなれば。まことに御心と

いとひすて給けるとはづかしう心うくなんおぼ

 

ゆべき。猶あはれとおぼせと聞え給へば。かゝるさ

まの人は物のあはれもしらぬものときゝしを。ま

してもとよりしらぬことにていかゞが聞ゆべからんと

の給へば。かひなのこと(仕方のない事)や。おぼししるかたもあらんと

物をとばかりの給ひさして。わか君をみたてま

つり給。御めのとたちはやんごとなくめやすきかぎ

り。あまたさふらふ。めしいでゝつかうまつるべき心

をきてなどの給。あはれ。のこりすくなき世におひ

いづべき人こそとていだきとり給へば。いと心やすく

うちえみてつぶ/\とこ(肥)えて。しろ(白)ううつくし。

大将などのちごおひ(稚児生ひ)。ほのかにおぼしいづるには

 

 

28

にたまはず。女御の御みやたち。はた。ちゝみかどの御

かたざまに。わうけ(王気)づきて。けたかうこそおはし

ませ。ことにすぐれてめでたうしもおはせず。こ

のきみいとあてなるにそへて。あいぎやうづき。ま

み(目元)のかほりて。えがちなるなどをいとあはれと見

給。思ひなしにや。なを。いとようおぼえたりかし。

たゞいまながら。まなこい(眼居)の。のどかにはづかしき

さまも。やうはなれて。かほりおかしきかほざま也。

宮はさしもおぼしわかず。人のみ心のうちにのみで

あはれはかなかりける人のちぎりかなと見給に。

 

おほかたこの世のさだめなさもおぼしつゞけられて

なみだのほろ/\とこぼれぬるを。けふはこといみ

すべき日をとをしのごひかくし給。しづかに思ひ

てなげくにたえたりとうちすごし給。五十八を。

とを(十)とりすてたる御よはひなれども。末はなり

にたる心ちし給て。いともの哀におぼさる。なんぢ

がちゝにとも。いさめまほしうおぼしけんかし。この

ことの心しれる人。女房のなかにもあらんかし。し

らぬこそねたけれ。をこ(烏滸:馬鹿らしい:間男)なりとみるらんとやすからず

おぼせど。わが御とがあることはあへなん。ふたつ(二つ)い(言)はん

には。女の御ためこそ。いとをしけれなどおぼして

 

 

29

色にもいだしたまはず。いと何心なうものがたり

してわらひ給へるまみくちつきのうつくしきも

心しらざらん人はいかゞあらん。なをいとよくかほり

たりけりと見給に。おやたちのこ(子)だにあれかしと

な(泣)げい給らんにも。え見せず人しれず。はかなき

かたみばかりとゞめをきて。さばかり思あがりをよ

すけたりし身を。心もてうしなひつるよと。哀に

おしければ。めざましと思ふ心もひいかへし。うち

なかれ給ぬ。人々すべりかくれたる程に。宮の御もと

により給て。この人をばいかゞみ給や。かゝる人を

すてゝ。そむきはて給ぬべき世にやありける。あな

 

心うとおどろかしきこえ給へば。かほうちあか(赤)めて

おはす

 (源)たが世にかたねはまきしと人とはゞいかゞい

はね(岩根)の松はこたへんあはれなりなどしのびてき

こえ給に。御いらへもなうて。ひれふし給へり。ことはり

とおぼせば。しいても聞え給はず。いかにおぼす覧(らむ)。

ものふかうなどはおはせねど。いかでかたゞには。とを(推)

しはかりきこえ給も。いとコオロぐるしうなん。大将

のきみは。かの心にあまりて。ほのめかし出たりしを。

いかなることにかありけん。すこしものおぼえたる

さまならましかば。さばかりうちいでそめたりし

 

 

30

に。いとようけしきをみてましを。いづかひなきと

ぢめにて。おりあしういぶせくて。あはれにも有し

かなとおもかげ忘れがたうて。はらからの君だちよ

りもしいてかなしとおぼひ給けり。女宮のかく

て世をそむき給へるありさま。おどろ/\しき

御なやみにもあらで。すかやかにおぼしたちける

」ほどよ。又さりともゆるし聞え給べき事かは。二

條のうへのさばかりかぎりにて。なく/\申給と聞

しをば。いみじきことにおぼしてついにかけ。と

め奉り給へる物をなどとりあつめて思ひくだく

に。猶むかしよりたえず見ゆる心ばへしのばぬおり/\

 

もありきかし。いとようもてしづめたるうはべは。人

よりげによういあり。のどかになにごとを此人の心

のうちに思ふらんとみる人もくるしきまでありし

かど。すこしよはきところつきてなよびすぎたりし

けぞかし。いみじうともさるまじき事に心をみだ

りて。かくしも身にかふへきことにやはありける。

人のためいもいとおしうわか身はたいたづらにや

なすげき。さるべきむかしの契りといひなから。いと

かる/\゛しうあぢきなき事なりかしなど。心一に

おもえど。女君にだにきこえいで給はず。さるべき

御いでなくて。院にもまだえ申給はず。さるはかゝる

 

 

31

ことをなんかすめしと申いでゝ御けしきも見ま

ほしかりけり。ちゝおとゝ母北のかたは。なみだのいと

まなくおぼししづみて。はかなくすぐる日かず

をもしり給はず。御わざのほうぶく御さうぞく

なにぐれのいそぎをも君立ちおかた/\゛とり/\゛

になんせさせ給ける。きやうほとけ(経仏)のをきてな

ども。左大弁の君せさせ給。七日/\の御ず経など

は。人の聞えおどろかすにも我になきかせそ。かくいみ

じと思ひまどふに。なか/\みちさまたげにも

こそとてなきやうにおぼしほれたり。一條の宮に

はましておぼつかなうてわかれ給にしうらみ

 

さへそひて。日ごろふるまゝにひろき宮のうち。人げ

すくなう心ぼそげにて。したしうつかひならし

給し人は猶参りとふらひ聞ゆ。この見給したか(鷹)。

馬など。そのかたのあづかりどもゝ。みなつくところ

なう思ひうむ(倦む)じて。かすかにいでいるをみたまふも

ことにふれてあはれはつきぬ物になん有ける。もてつ

かひ給し御でうど共。つねにひき給し琵琶。和琴な

どのを(緒)もとりはなち。やつされて。ねをたてぬもいと

むもれいたきわざなりや。緒まへの木だち。いといたう

けふりて。花は時を忘れぬけしきなるをながめ

つゝ。ものがなしくさふらふ人々も。にびいろに

 

 

32

やつれつゝさびしうつれ/\゛なるひるつかた。さき(前駆)は

なやかにを(追)ふをと(音)して。こゝにとまりぬる人あり。

あはれことのゝ緒けはひとこそうちわすれては

おもひつれとてなくもあり。大将殿のおはしたる

なりけり。緒せうそこ聞えいれ給へり。れいの弁

の君宰相などのおはしたるとおぼしつるを。いと

はづかしげにてきよらなるもてなしにて入給

へり。もや(母屋)のひさしにおましよそひていれたてま

つる。をしなべたるやうに(普通に)人々のあへしらひ(もてなし)きこ

えんはかたじけなきさまのし給へれば。宮す所ぞ

たいめし給へる。いみじき事を思ふ給へなげく心は

 

さるべき人々にもこえて侍れど。かぎりあればき

こえさせやるかたなうて。世のつねに成侍にけり。

今はのほどにもの給をく事侍しかば。をろかな

らずなんたれものどめがたき世なれど。をくれさき

だつほどのけぢめには。思ふ給へをよばんにした

がひて。ふかき心のほどをも御覧ぜられにしがなと

なん。かみわざなどのしげきころほひ。わたくしの

心ざしにまかせてつく/\゛とこもりい侍らんも

れいならぬ事なりければ。たちながら(ほんの少し)はた(また)=(庭先で失礼したのも)。なか/\

にあかず思ふ給へらるべうて(心残りで)なん。日頃は過し侍

にける。おとゞなどの心をみだり給さま見きゝ侍

 

 

33

につけてもおやこのみちのやみをばさるものに

て。かゝる緒なからひのふかく思とゞめ給けんほどを

をしはかり聞えさするに。いとつきせずなんとて

しば/\をしのごひ。はな(鼻)うちかみ給。あざやかにけた

かきものから。なつかしうなまめいたり。宮すむ所

もはなごえになり給て。あはれなる事はその

つねなき世のさがにこそはいみじとても。又たぐひ

なきことにやは。としつもりぬる人はしいて心づ

ようさまし侍るを。さらにおぼし入たるさまの。い

とゆゝしきまで。しばしも立をくれ侍り給ま

じきやうにみ侍れば。すべていと心うかりける

 

身のいまゝでながらへ侍て。かくかた/\゛にはかなき

世のすえの有さまを見給へすぐすべきにやと。いと

しづ心なくなん。をのづからちかき緒なからひにて。

きゝをよばせ給やうも侍りけん。はじめつ方より

おさ/\うけひき(承知)聞えざりし御事を。おとゞの御

心むけも心ぐるしう院にもよろしきやうにお

ぼしゆるいたる御けしきなどの侍(はべ)しかば。さらば

みづからのこゝろをきてのをよばぬなりけりと。お

もひ給へなしてなむ。みたてまつりつるを。かく夢

のやうなることを見給ふるに。思ふ給へあはすれば。

みづからの心のほどなんおなじうはつようもあ

 

 

34

らがひきこえまじをと思ひ侍に。なをいとくや

しう。それもかやうにしも思ひよりはべらざり

きかし。みこたちはおぼろげのことならで。あしく

もよくもかやうによづき給事は。え心にくからぬ

事なりと。ふるめき心には思ひ侍しといづかた

にもよらず。なか空にうき御すくせなりければ。

なにかはかゝるついでにけふりにもまぎれ給ひ

なんは。この御身のため人ぎゝなどはことに口おし

かるまじけれど。さりとても。しか。すかやかにえ思

ひすつまじう見たてまつり侍にいとうれしう。

あさからぬ御とふらひのたび/\゛になり侍めるを。

 

ありがやうもときこえ侍る。さらばかの御契りあ

りけるにこしはと思ふやうにしも見えざりし

御心ばへなれど。いまはとてこれかれにつけをき

給ける御ゆいごんのあはれなるになん。うきにも

うれしきせはまじり侍りけるとて。いといたう

ない給ふけはひなり。大将もとみにえためらひ

給はず。あやしういとこよなうをよすけ給へりし

人のかゝるべうてや。この二三年のこなたなんいたう

しめり。ものこゝろぼそげに見え給しかば。あまり

世のことはりを思ひしり。ものふかうなりぬる人の

すみすぎて。かゝるためしこゝろうつくしからず。かへ

 

 

35

りては。あざやかなるかたのおぼえうすらぐもの

なりとなん。つねにはか/\゛しからぬこゝろに。いさめ

聞えしかば心あさしと思給へりし。よろづより

も人にまさりて。げにかのおぼしなげくらん御心

のうちのかたじけなけれど。いと心ぐるしうも侍

るかなと。なつかしうこまやかに聞え給ふて。やゝ

程へてぞいで給。かの君は五六年のほどの。このかみ

なりしかど。なをいとわかやかになまめき。あい

だれてものし給し。これはいとすくよかに。おゝし

きけはひして。かほのみそいとわかうきよら

なる事人にはすぐれ給へる。わかき人々はもの

 

かなしさもすこしまぎれて見いだし奉る。おま

へちかきさくら(桜)のいとおもしろきを。ことしばかり

は。などうちおぼゆるもいま/\しきすぢなり

ければ。あひみんことはとくちずさみて

 (夕霧)ときしあればかはらぬ色にほひけりかたえ(片枝)か

れにしやどのさくらもわざとならずず(誦)しなし

てたち給に。いとゝう

 (御息所)此春は柳のめにぞ玉はぬくさきちるはなの行

衛しらねばと聞え給。いとふかきよしにはあら

ねど。いといまめかしうかどありとはいはれ給ひし

かうい(更衣)なりけり。げにめやすきほどのようい(用意)なめ

 

 

36

りとみ給。ちしの大殿にやがてまいり給へれば。君

だちあまた物し給ひて。こなたにいらせ給へと

あれば。おとゞの御いでいのかたにいり給へり。ため

らひてたいめんし給へり。ふりがたうきよげなる

御かたち。いたうやせおとろへて。御ひげなどもとり

つくろひ給はねば。しげりて。おやのけうよりも

げにやつれ給へり。みたてまつり給ふよりいと忍び

がたければ。あまにおさまらずみだれおつるなみだ

こそはしたなけれど。思へばせめてぞもてかくし

給ふ。おとゞもとりわきて御中よく物し給しを

と見給に。たゞふり(降り)にふりおちてえとゞめ給はず。

 

つきせぬ御ことゞもを聞えかはし給。一條の宮にまう

でたりつる有さまなどきこえ給。いとゞしうは

るさめかとみゆるまで軒のしづくにことならずぬ

らしそへ給ふ。たゝうがみにかのやなぎのめにぞと

かい給へるを奉り給へば。めも見えずやとをししぼり

つゝみ給。うちひそみつゝ見給御さま。れいは心づよう

あざやかにほこりかなる御けしき。名残なうひと

わろし。さるはことなる事なかめれど此玉はぬくと

あるふしの。げにとおぼさるゝに。心みだれてひさしう

えためらひ給はず。きみの御はゝ君のかくれ給へ

りし秋なん。世にかなしきことのきはにはおぼえ

 

 

37

侍しを。女はかぎりありてみる人すくなう。とある

こともかゝる事もあらはならねば。かなしひもかくろへ

てなんありける。はか/\゛しからねど。おほやけにつけ

て。あひたのむ人々をのづからつき/\(次々)におほ(多)う

なりなどして。おどろきくちおしかるも。るいに

ふれてあるべし。かうふかき思ひはそのおほかたの世

のおぼえも。つかさ位もおぼえず。たゞ事なかりし

みづからの有さまのみこそ。たへがたくこひしかりけれ。

なにばかりのことにてかは。思ひさますべからんと。空

をあふぎてながめ給。夕ぐれの雲のけしき。にび

 

いろにかすみて。鼻のちりたるこずえどもをも。けふ

ぞめとゞめ給。この御たうかみ(懐紙)に

 (致仕大臣)木のしたのしづくにぬれてさかさまに露の

衣きたる春かな大将のきみ

 (夕霧)なき人もおもはざりけんうちすてゝ夕のかすみ

きえきたれとは弁の君

 (弁の君)うらめしやかすみの衣たれきよと春よりさきに

花のちりけん御わざなどよのつねならずいかめしう

なんありける。大将殿の北のかたをばさるものにて。

との(殿)は心ことにず(誦)経などもあはれにふかき心ばへを

くはへ給。かの一条の宮にもつねにとふらひきこえ

 

 

38

給ふ。う月ばかりの空はそこはかとなう心ちよげに

ひとつ色なる。よもの木ずえ。おかしう見わたさるゝ

を。もの思ふやどはよろづのことにつけてしづかに心

ぼそうくらしかね給に。れいのわたり給へり。にはも

やう/\あをみいづる。わかくさみえわたり。こゝかし

このすなご(砂子)うす(薄)きものゝかくれのかたに。つくろひ給

しも。心にまかせてしげりあひ。ひとむらずゝき(一村薄)も

たのもしげにひろごりて。むしのね。そはん。秋おもひ

やるゝよりいと物あはれに露けくてわけ入給ふ。

いよす(伊予簾)かけわたしtれ。にびいろの几帳。衣がえしたる

すきかげ。すゞしげにみえて。よきわらはのこま

 

やかに。に(鈍)ばめるかざみ(汗袗)の。つまかしらつきなどほの

みえたる。おかしけれとなをめおどろかるゝ色なり

かし。けふはすのこにい給へば。しとねさしいでたり。

いとかろらかなるおましとて。例の宮す所おどろ

かし聞ゆれども。このごろなやましとてよりふし

給へり。とかくきこえまぎらはすほど。おまへのこ

だちども思ふ事なげなるけしきを見給もいと

ものあはれなり。かしは木とかえでとの。ものより

げにわかやかなるいろして。えださしかはしたる

を。いかなるちぎりにか。すえあへるたのもしさよと

の給て。忍びやかにさしよりて

 

 

39

 (夕霧)こどならば(どうせなら)ならしのえだ(馴らしの枝:連理の枝)にならさなん葉もり

の神のゆるしありきと みす(御簾)のと(外)のへだてある程

こそうらめしけれとて。なげしによりい給へり。な

よびすがたはた(なまめかしい姿)。いといたうたをやき(上品)けるをやと。こ

れかれつきしろふ。この御あへしらへきこゆる少将の

きみといふ人して

 (御息所)かしは木にはもり(葉守)ひ神はまさずとも人ならず

べきやどのこずえかうちつけなる御ことのはになん

あさう思ふ給へなりぬると聞ゆれば。げにとおぼ

すに。すこしほゝえみ給ぬ。宮すどころいざりいで

給ふけはひすれば。やをら。いなをり給ぬ。うき

 

世中を思ふ給へしづむ月日のつもるけぢめにや。み

だり心ちもあやしうほれ/\しくて過し侍

を。かくたび/\かさねさせ給御とふらひの。いとかた

じけなきに思ふ給へおこしてなんとて。げにな

やましげなる御けはひなり。おもほしなげくは

世のこてゃりなれど。まだいとさのみはいかゞ。よろづ

のことさるべきにこそは侍るめれ。さすがにかぎりある

世になんとなぐさめ聞え給。このみ宮こそきゝし

よりは心のおくみえ給へ。あはれげにいかに人わらは

れなることをとりそへておぼすらんと思もたゞ

ならねば。いたうこゝろとゞめて御有さまもとひ

 

 

40

聞え給けり。かたちぞいとまほにもえものし給

まじけれど。いと見ぐるすかたはらいたきほどに

だにあらずは。などてみるめにより。人をもおもひ

あき。またさるまじきに心をまどはすべきぞ

さまあしや。たゞ心ばせのみこそいひもていかん

には。やんごとなかるべけれとおもほす。今はなを昔

におぼしなずらへて。うとからずもてなさせ給へなど

わざとけさう(懸想)びてはあらねど。ねんごろにけしき

ばみてきこえ給。なをしすがたいとあざやかに

てたけだち。もの/\しうそゞろかにぞみえ給

ける。かのおとゞはよろづの事なつかしうなま

 

めき。あてにあいぎやうづき給へることのならび

なきなり。これはおゝしうはなやかに。あなき

よらと。ふとみ(見)え給。匂ひぞ人にゝぬやとうちさゝ

めきて。おなじうは。かやうにてもいでいりたまは

ましかばなど人々いふめり。いう(右)将軍がはか(墓)に

草はじめてあを(青)しと。うちくちずさみて。それ

もいとちかき世の事なれば。さま/\にちか(近)うと

を(遠)う心みだるやうなりし世中に。たかきもくだれ

るも。おしみあたらしからぬはなきも。むべ/\しき

かたをばさる物にて。あやしうなさけをたてた

る人にぞ物し給ければ。さしも有まじきおほ

 

 

41

やけ人。女房などのとしふるめきたるどもさへ。

こひかなしみ聞ゆる。ましてうへには御あそび

などのおりごとにも。まづおぼし出てなん忍ばせ

給ふける。哀衛門督。といふことくさ(言種)なにごとにつ

けてもいはぬ人なし。六条院にはましてあはれ

とおぼしいづる事。月日にそへておほかり。このわか

君を御心一つにかたみと見なし給へど。人の思ひ

よらぬことなればいとかひなし。あきつかたに

なれば。このきみ(薫)はひいざりなど(這うようになった)