絵本太功記 尼崎の段

 

読んだ本http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/856569

 

 

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2
絵本太功記 十冊目の切
一間へ入にけり 残る蕾の
花一つ水上かねし風情
にえ思案投首しほるゝ
斗漸涙押とゞめ 母様にも

 

 

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3
ばゝ様にも 是今生の暇乞
此身の願ひ叶ふたれば
思ひ置事さらになし 十八
年が其間御恩は海山かへ
がたし討死するは武士のならひ

と思し召分られて 先立不
孝は赦してたべ 二つにはまた
初菊殿 まだ祝言の盃を
せぬが互ひの身の仕合せ
わしが事は思ひ切 他家へ

 

 

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4
縁付して下され 討死と聞
ならば さこそなげかん不便
やと 孝と恋との思ひの
海隔つ一間に初菊が
立聞なみだ転び出わつと

ばかりに 泣出せば はつと
驚き口に手を当 アゝコレ/\声が
高い初菊殿 扨は様子を アイ
残らず聞ておりました 夫の
討死遊ばすを妻がしらいで

 

5
何とせふ 二世も三世も女夫
じやと思ふて居るに情ない
盃せぬが仕合せとは 余り
聞へぬ光義様 祝言さへも
済ぬ内討死とは曲がない わしや

何ぼふでも殺しはせぬ 思ひ
留つて給はれと縋り嘆けば コレ
こなたも武士の娘じやないか
十次郎が討死は兼ての覚悟
祖母様に泣顔見せ もし


6
さとられたら 未来永々縁
切ぞや エゝサア とかふいふ内時刻が
延る 其鎧櫃爰へ/\ アイ/\
サ早ふに時延る程不覚の元
聞訳ないと叱られて いとしい

夫が討死の 首出の物の
具付るのがどふ 急るゝ物
ぞいのと 泣々取出す緋威の
鎧の袖にふりかゝる 雨が涙の
母親は 白木にかはらけ白髪


7
のばゝ 長柄の銚子蝶花形
首途(かどで)を悦ぶ熨斗昆布
結ぶは親と小手脛あて 六具
かたむる三々九度 此世の縁や
割小ざね 猪首に着なす

鍬形の あたりまばゆき出立は
爽なりし 其骨柄 ヲゝ遉武者
ぶりいさましゝ 高名手柄を
見る様な 祝言と出陣と一所
の盃 サア/\早ふ 目出だい/\嫁


8
御寮と 悦ぶ程猶弥増名残
こんな殿御を持ながら 是が
別れの盃かと 悲しさ隠す
笑ひ貌随分お手柄高名
して せめて今宵は凱陣

をと 後は得云ずくひしばる
胸は八千代の玉椿ちりて
はかなき心根を 察しやつたる
十次郎 包む涙の忍びの緒
しぼりかねたる斗なり 哀を


9
爰に 吹送る風が持くる攻
太鼓 気を取直しつつ立上り
いづれも さらばと云捨て 思ひ
切たる鎧の袖行方しらず
成にけり ノウ悲しやと泣入初菊

母も操も貌見あはせ 祖
母様 嫁女 可愛やおあつたら
武士をむざ/\殺しにやり
ました ノウ初菊 十次郎が
討死の出陣とは知ながら


10
なま中留て主殺しの憂死
恥をさらそふより 健気な
討死させん為 祝言によそへ
て盃をさしたのは 暇乞やら
二つには心残りのない様と 思ひ

余つた三々九度 ばゝが
心のせつなさを 推量
仕やと斗にて 始めて明す
老母の節義 聞初菊
も母親も 一度にどふと


11
伏転び前後不覚に泣
叫ぶ 襖押明何気なふ
つか/\出る以前の旅僧
コレ/\かみ様 風呂の湯が
湧ました どなたぞお這入

なされませと いふにこな
たは泣貌かくし ヲゝそれは
御苦労去ながら 年寄に
新湯は毒 後は若い女子
共 マアお先へ御出家から


12
いか様 湯の辞儀は水と
やら 左様ならば御遠慮
なし お先へ参る と立上
れば 三人は涙押包 奥の
仏間と湯殿口入や 月もる

片庇 実に苅取真柴垣
夕顔棚のこなたより 顕はれ
出たる武智光秀 必定
久吉此内に忍び居るこそ
究竟一只一討と気は張弓


13
心はやたけ藪垣の 見越の
竹をひつそぎ鑓 小田の
蛙の啼音をば とゞめて嘆に
悟られじと 差足抜足 窺
ひ寄 聞ゆる音心得たりと

突廻手練の鑓先に わつ
と出たる女の泣声 合点
行ずと引出す手負 真柴
にあらず真実の 母のさつき
七転八倒 ヤアこは母人か


14
死なしたり 残念至極と
斗にて 遉の武智も仰
天し 只茫然たる斗なり
声聞付てかけ出る操
初菊もろとも走り出 ノウ

母様か情ない 此有さまは
何事と縋り嘆けば目を
見ひらき 嘆くまい/\
内大臣春長といふ 主君
を害せし武智が一類 斯


15
成果るは理の当然 系図
正しき我家を 逆賊非道
の名を穢す 不孝者共
悪人共 譬がたなき人非人
不義の富貴は浮へる雲

主君を討て高名顔 譬
将軍に成た迚 野末の
小家の非人にも おとりし
とはしらざるか 主に背かず
親に仕へ 仁義忠孝の道


16
さへ立ば もつそう飯の切米
も 百万石に 増るぞや 儕が
心只一つで しるしは目前是
を見よ 武士の命を断
母も多いに此やうな引

そぎ竹の猪突鑓 主を殺し
た天罰の報ひは親にも
此通りと 鑓の穂先に
手をかけてえぐり苦しむ
気丈の手負 妻は涙に


17
むせ返り コレ見給へ光秀殿
軍の首途にくれ/\゛も
お諌め申た其時に 思ひ留つて
給はらば斯した嘆きは有
まいに 知ぬ事とは云ながら

現在母御を手にかけて
殺すといふは何事ぞ せめて
母御の御最後に善心に
立帰ると たつた一云聞して
たべ 拝むわいのと手を合し


18
諌つ泣つ一筋に 夫を思ふ
恨泣 操の鏡くもりなき
涙に涙あらはせり 光秀は
声あらゝげ ヤアちよこざいな
諫言立 無益の舌の根

動すな 遺恨を重る尾田
春長 勿論三代相恩の
主君でなく 我諌を用ひ
ずして 神社仏閣を破却し
悪逆日々に増長すれば


19
武門のならひ天下の為
討取たるは我器量 武王は
殷の紂王を討 北条義時
帝を流し奉る 和漢供に
無道の君をしいするは

民をやすむる英傑の志
女童のしる事ならず すさ
りおらふと光秀が 一心
変ぜぬ勇気の眼色
取付隙もなかりけり


20
折しも聞ゆる陣太鼓
耳を貫く金鼓の響 あは
やと見やる表口 数ヶ所の
手疵に血は瀧津瀬 刀を
杖にほろほび/\ 立帰つたる

武智が一子 庭先に大息
つぎ 親一これにおはする
やと いふも苦しき断末魔
見るに驚く母親より 娘は
傍に走寄 のふいたはしや


21
十次郎様 ばゝ様といひお前
迄此有様は情ない お心
慥に持てたべやいの/\と
取付て介抱如在泣斗り
光秀わざと声あらゝげ

ヤア不覚なり十次郎 子細は
何と 様子はいかに 具(つぶさ)に語れ
と呼はれば はつと心を取直し
親人の差図に任せ 手勢
すぐつて三千余騎 濱手


22
の方に陣所をかため 今や
帰国と相待所に 敵はそれ
共白浪の櫓を押切て陸
路(くがじ)に漕付 追々跡へ馳登る
真柴の軍勢ござんなれと

関をつくつて味方の軍兵
縦横無尽に薙立れば
不意を打れて敵は廃忘(亡)
狼狽騒ぐを追立追詰
爰をせんどゝ戦ふ中 後の


23
方より大音上 真柴筑前
之守久吉の家臣加藤
正清是に有 逆賊武智が
小わつぱ共目に物見せて
くれんずと いふより早く

太刀抜かざし 四角四面
に切立られ 瞬く間に味
方の軍卒 残らず討死
仕り 無念ながらも只一騎
立帰て候と息継あへず


24
物語れば 光秀いかりの
髪逆立 ヤア云がひなき
味方の奴原 シテ四方天
田嶋之頭は さん候四方天は
目ざすは久吉一人と 昨朝

よりの一騎がけ 乱軍なれば
生死の程も 慥にそれと
承はらず 親人の御身の上
心にかゝり候ゆへ 未練にも
敵を切抜 これまて落延


25
帰りしぞや 此所に御座有ては
危ふし/\ 一時も早く本国へ
引取給へ サ早く/\と 深手を
屈せず爺親を 気づかふ
孫の孝行心 聞に老母は

せき兼て アレあれを聞や
嫁女 其身の手疵は苦
にもせず 極悪人の倅めを
大事に思ふ孫が孝行 ヤイ
光秀 子は不便にはないか


26
可愛とは思はぬかやい 儕が
心只一つで いとし可愛の
初孫を忠と義心に健
気なる 討死でもさす事か
逆賊不道の名をけがし

殺すは何の因果ぞと
せぐり苦しき老の身の
声聞付て十次郎 ヤアそん
ならばゝ様には 御生害
遊ばしたか 今生のお暇乞


27
今一度お顔が見たけれど
もふ目が見へぬ 父上母様
初菊殿 名残おしやと
手を取て 妹背のわかれ
愛着の道に引るゝいぢらしさ

母は涙に正体なく 討死
するも武士のならひといへど
情ない 十八年の春秋を
母の中に人と成いつ楽しみ
の隙もなふ 弓矢の道に


28
日をゆだね けさの首途の
その時にも母さまけふの
初陣に 遖高名手柄して
父上やばゝ様に褒らるゝのが
楽しみと につと笑ふた其

貌がわしや幻にちら付て
得忘れぬとくどき立
くどき立れば初菊も
ほんに思へば此身程はか
ない者が世に有ふか とけて


29
逢夜のきぬ/\゛も永き
名残の云号 二世をむす
ぶの枕さへかはす間もなふ
此様な 悲しい別れをする
事はマどふした罪か情ない

私も一所に殺してたべ 死
たいわいなと身をもだへ
互ひに手に手を取かはし
名残涙の暇乞 見るに
目もくれ心きへ 母も老


30
母も声を上 わつと斗に
取乱せば 遉勇気の
光秀も 親の慈悲心
子故の闇 輪廻の絆に
しめ付られ こたへかねて

はら/\/\雨か涙の 汐境
浪立 騒ぐ如くなり 又も
聞ゆる人馬の物音 矢
叫びの声喧く 手に取
如く聞ゆれば 光秀聞より


31
つつと立上り アノ物音は敵
か味方か 勝利いかにと
庭先の すね木の松ヶ枝
ふみしめ/\よぢ登り
眼下の討手をきつと

見下し 和田の御崎の
弓手より 追々つゞく
数多の兵舩 間近く
立たる魚麟の備へ 千生
瓢の馬印は 疑ひもなき


32
真柴久吉 風をくらつて
此家を逃延 手勢引
具し光秀を うちとる
術(てだて)と覚へたりと 云より
早くひらりと飛おり

草履掴の猿面冠
者 イデひしぎと身繕ひ
勢ひ込でかけ出せば
ヤア/\武智光秀暫く
まて 真柴筑前之守


33
久吉 対面せんと呼はつ
て 三衣にかはる陣羽織
小手脛当も優美の
骨柄 ゆうぜんとして立
出れば 光秀見るより

仰天し かけ戻つてはつ
たとにらみ ヤア珍らしし
真柴久吉 武智十兵
衛光秀が 此世の引導
渡してくれん 観念せよと


34
詰寄光秀 中を隔つる
老鳥の子故に手疵
屈せぬ老女 ナフ久吉
様 我子にかはる此母も
天命遁れぬ引そぎ

鑓 つくりし罪の万分一亡
ぶる事も有ふかと 思ひ余
つた此最後 武智が母は
逆磔に かゝつてむざんの死を
とげしと 来世の記録に残し


35
てたべ それもやつぱり倅め
が 可愛さゆへの罪亡し 
うるさの娑婆に残らんより
孫と一所に死出三途 ハア
わたしもお供いたしまする

いづれもさらば おさらばと
未練残さぬ武士の 花も
実も有此世の別れ 今
ぞはかなく成にけり 操の
前も初菊もさらに詞も


36
出ばこそ あへ亡骸をおし
動かし 天にあこがれ地に
ふしてなげく 心ぞいぢらしき
あはれを余所に真柴久吉
光秀に打向ひ 供に天を

おたゞかぬ亡君の弔ひ
いくさ 今此所で討取ては
義有て勇をうしなふ道
理 諸国の武士に久吉が
軍功をしらさん為 時日を


37
移さず山崎にて 勝負の
雌雄を決すべし ガいかに/\
ヲゝ遉の久吉よくいふたり
我も惟任将軍と 勅許
を受し身の本懐 一先

都に立帰り 京洛中の者
共へ 地子をゆるすも母への
追善 互ひの運は天王山
洞が峠に陣所をかまへ 只
一戦にかけ崩さん くびを

 

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38
洗つて観念せよ ホゝゝ何さ
/\ たとへ頂羽が勇ある
とも 我また孫呉が秘術
をふるひ 千変万化にかけ
なやまし 勝鬨上るはまたゝく

中と久吉が 詞はゆるがぬ
大盤石 たちまちめぐり
小栗栖の 土にあはれを
残すとはしらずしられぬ
敵味方 にらみわかるゝ

 

 

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39
二人の勇者 二世をかため
の別れのなみだ かゝれ
とてしも羽場玉の 其
黒髪をあへなくうも きり
払ふたる尼が崎 菩提の

鐘と夕顔の軒にきら
めく千生びやうたん 駒の
いなゝきむかひの軍卒
見わたす沖は中国より
追々入来る数万の

 

 

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40
兵舩 威風りん/\りん
ぜんたる 真柴が武名
仮名書にうつす絵
本の太功記とすえの
世までも 残しける